銀の星   作:ししゃも丸

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いいですか! まゆはいい子なんです。ですから、部屋に勝手に侵入しているわけないんです! 


第18話

 二〇一四年 一月一日

 

 プロデューサーの前に貴音と美希が姿勢を正して椅子に座っている。テーブルの上にはどんぶりが三つある――年越しそばである。二人はまるで「待て」と言われた犬のように大人しく待っている。尻尾があるならきっと彼の合図を、「まだ、まだなの?」と待ちながら尻尾を振るっていることだろう。

 だが、すでに今日は一月一日に二時間ほど前になったばかり。本来であれば年を越す前に食べなければいけないということは誰もが知っている。無論、三人も。

 その理由は大晦日の風物詩とも言ってもいい紅白歌合戦に貴音が出場することになっていたためだ。

 そして765プロ最後での仕事でもあり、プロデューサーが貴音と一緒にする最後の仕事でもあった。彼からしたら最後の仕事は本当に簡単な物であった。貴音を送り、スタジオでいつものように仕事をしながら放送が終わるのを待つだけである。

 特に問題もなく紅白は終わり、二人はこうして自宅に帰宅した。

 家に帰ると美希がこうして年越しそばを作って待っており、それを今食べようとしていたわけである。

 

「えー、あらためてあけましておめでとう」

「おめでとうございます」

「おめでとうなの」

「それじゃあ冷めないうちに食べようか」

「どうぞなの」

 

 うん、美味い。彼は素直な感想を抱いた。

(料理の腕をまたあげたようだ)

 貴音とどっちが美味いと言われると……貴音になるのだろうか。彼の前にいる貴音と美希に目を動かした。

 貴音はプロデューサーに料理を作るようになってもう少しで一年が経とうしている。彼の母親の味とまではいかないが、彼がどんな味が好きなのかを把握している。例えばご飯の堅さとか、麺の茹で時間へのこだわりとか色々だ。

(それでも米を使った料理は美希に軍配があがるんだよな)

 プロフィールにあるぐらいに美希はおにぎりが好きだ。彼は彼女の作ったおにぎりを食べたがそれはもう美味かった。貴音より。

 プロデューサーが二人をまじまじと見ていると、

 

「あなた様、どうかなされたのですか?」

「美味しくなかった?」

「ん? 美味しいぞ。ただ、あれだなあって」

『あれ?』

 

 貴音と美希が同時に言った。

 

「もう年が明けたなって。美希は四月から高校生か」

「えへへ。女子高生だよ、JKだよJK! それにミキも十六歳になったから……。結婚でき――」

「ふんっ」

「いたあっ!?」

 

 美希が言おうとした瞬間、貴音は彼女の足を踏みつけた。

 

「あらあら。どうかしたのですか美希?」

「惚けないで欲しいの! ……あ、そっか。ミキが二歳若いから嫉妬しているんだ」

「違いますぅ。断じて違いますぅ」

 

 プロデューサーは二人のやり取りをただ黙々とそばを食べながら聞いていた。意外な貴音の口調に彼は驚いていた。

 すぅとか言うのか。ちょっと可愛いと思ってしまった。

 それにいつも冷静で落ち着きのある貴音が慌てている。と思ったがそれは最初だけで、今ではよく起きるなと彼は思い出した。

 しかし、このままで埒が明かない。プロデューサーはこんな時に言う秘密の言葉を口にした。

 

「……俺は当分結婚なんて考えてないぞ」

「ほら」

 

 貴音は分かりきっているような顔をしながら言った。

 

「何が、『ほら』なの! でもでも! ミキはハニーがお爺ちゃんになってもずっと好きだから。安心してね!」

「わたくしはちゃんと一緒のお墓までいきますのでご安心を」

「いきなり色々と通り越し過ぎなの!?」

 

 そのあともあーだこーだと論争を続けている。プロデューサーは首を横に傾げていた。

(おかしいな。今回は別の展開だ)

 いつもだったら「酷いお方です」とか「なんでなの!?」と言うはずだったが今回は違うらしい。年が明けて色んなところが変わったようだ。

 

「……む」

 

 二人が口論をしている間に気付けばそばを食べ終えた。麺が無くなり汁だけが残っている。プロデューサーは箸を置いてどうするべきかと思考し始めた。とりあえず話を変えることにした。

 

「そう言えば美希。家には帰らないのか?」

「――え? ああそれなら朝になったら一旦帰るよ? そしたらまた戻ってくるけど」

「どうして?」

「どうしてって。初詣に行くからに決まってるの」

 

 そんな話は聞いていない。数時間前に仕事が終わって目の前に起きている面倒事を片付けたら寝るつもりだった予定だった。これでは貴重な休みが潰れてしまう……いや、もう潰れたと同じだ。溜息をつきながら彼は貴音に視線を向けた。

 

「ええ。美希とそういう話をしていました。駄目とは言わないでくださいね。どうせあなた様は明日から仕事なのでしょう?」

「貴音の言う通りなの」

 

 まったくもってその通りなので否定はできなかった。プロデューサーのスケージュールはアイドル以上にハードだ。といっても仕事内容はそこまで大変という訳ではないが、やらなければいけない仕事があるだけだ。世間が正月という事もあり一部を除いて大勢の人達は仕事だ。一日仕事ではないだけましだった。

 その貴重な休日である今日を手放さなければいけない。しかし、彼女達の頼みをきっと断れないと思っている自分がいるのが情けないと彼は思った。

 

「わかった。一緒に行けばいいんだろう?」

「はい」

「もちろんなの」

「わかったよ。じゃあ明日、というか今日か。少し寝ないとな。さすがに一睡もしないのは辛い」

「わかりました」

「じゃあ後片付けしてから部屋に戻るの」

「いや、俺がしておこう。二人は戻れ」

「では、お言葉に甘えて。美希いきましょう。あなた様、お休みなさい」

「お休みなの。ハニー」

「ああ。おやすみ」

 

 二人が部屋に戻りプロデューサーは食器を台所へと運んだ。裾をまくり、スポンジを手にとる。

 

「さて。とっとと終わらせよう」

 

 と言ったはいいものの。ある事を失念していた。

 この時期の水道水はとても冷たい。

 

 

 部屋に戻った貴音は寝室へと美希と共に戻っていた。美希が同棲するようになって自分の部屋には彼女の私物が増えるようになったと彼女は思った。

 自分もそうだがいつも使うような物は彼の部屋に置いてあるのでこちらは少し地味というか物が少ない。それは美希も同じだった。

 最初は反対していたが今の生活が当たり前だと思うようになってからは、美希がいることが普通だと思えてきた。気付けば一緒にお風呂に入ったり、同じベッドで寝る仲でもある。

 不思議ですね。

 恋のライバルだと言うのに。

 それでも、彼女は大切な友であることには違いなかった。今では家族のような存在だ。もちろん、自分が姉で彼女が妹だが。

 そう思いつつ貴音は寝室の明かりを消した。隣にはもちろん美希が一緒にいる。いつもだったら寝るまでお喋りをするが今日はそんな気分ではないようだ。もちろん自分も。

 そんなことを想っていると美希が話しかけてきた。

 

「……あっという間だね」

「そうですね」

「これからは……。ハニーと会える時間も減るのかな……」

「そうでしょうね。今まで以上にこうしていられる時間は……減るでしょう」

 

 本人から聞かされたことだった。事務所に泊まり込みで家に帰らない日が多いかもしれないと言っていた事を彼女は思い出す。それほど切羽詰っているのかと聞くと「処理することが多すぎてな」と言っていた。

 まだ正式には決まっていないが、彼は346プロ〈アイドル部門〉におけるチーフプロデューサーの役職を与えられることになっている。意味合い的には少し違うが人材の統括、企画の立案、人材の育成からアイドルのプロデュース等の権限を持つことになるので問題はなかった。実質彼が〈アイドル部門〉の責任者みたいなものだ(実際には彼は違うのだが)。

 

「寂しいなあ。ミキ達が会えない時間にハニーが今度担当するアイドル達がいるんだもんなあ」

「問題なのはあの人にそのアイドル達がわたくし達と同じになってしまうことです」

 

 もっとも懸念することがそれだった。はっきり言って彼は魅力的な人だと貴音は思っている。見た目はちょっぴり怖いが実際には優しい男だ。最初はキツイ態度をとる人だが触れ合っていくうちに彼が自分のためにしているのだと気付くだろう。そういう人がたまに見せる優しさにコロッといってしまうに決まっている。

 特に問題なのがそれを本人が無自覚でやっていることだった。

 まことに解せない。

 だが、自分達以上に彼と親密な人間はいないだろう。なので、絶対に負けることはない。もちろん、恋のライバルとして。

 

「でもさ。今の状況以上のことが起きると思う? 好きな人が隣の部屋に居て、毎日のように入り浸っているし。恋人以上お嫁さん未満? な関係だと思うの」

「現状は本妻というより妾が二人と言ったところでしょう」

「まあミキはハニーと一緒に居れればどっちでもいいけど」

 

 意外だと貴音は素直に思った。美希はどちらかと言えば本妻が言いの! というと思っていからだ(そもそも日本で本妻とか妾とか言ってもどうしようもないのだ)。

 貴音の反応に気付いたのか美希は驚きもせずに言ってきた。

 

「やっぱり貴音は本妻がいいの?」

「それは……。はい。確かにその通りです」

「別にね? ミキは貴音がハニーと結婚してもいいって思ってるよ。そしたらミキも一緒に暮らすから」

 

 美希がさり気無くとんでもないことを言っていることにさすがの貴音も気付いた。ただ意外なことに、それに驚いていいない自分がいる。つまり、彼女の意見に自分も概ね同意しているということだ。そして、その逆も。

 

「わたくしも美希だったら何も言いません。もちろん、わたくしも一緒に付いていきますが」

「やっぱり考えることは一緒なの。ミキね? 今の生活結構気に入っているんだ。ハニーがいて、貴音もいる三人の生活」

「わたくしもです。わたくし達はもう家族……のようなものだと思っています。だからこそ大切にしたい」

「そうだね。でも、問題はハニーだよね」

「それもその通りですね」

 

 彼が今の生活をどう思っているのだろう。きっと嫌ではないはずだと思いたい。嫌だと思っているなら自分がここに引っ越してきた時から拒んでいるはずだから。そこに美希も加わり彼にとっては心労が絶えないことだろう。

 もちろん反省はしていない。

 実際に彼も一人の男性、ということは理解はしている。自分や美希もそうだが過激なスキンシップが多い。彼は頑なに平静を崩さないが、きっと鋼の精神で堪えているに違いない。ちゃんとわたしたちを意識しているということだ。

 しかし色々と憶測は出てくるが、実際に今の生活と自分達のことをプロデューサーがどう思っているかを確かめる術を貴音は持ち合わせてはいなかった。

 本来は白い天井が見えるが電気を消しているため真っ暗な空間を見つめながら貴音は考える。

(さて。どうすべきでしょうか)

 美希の言う通りこれからは傍に居られる時間が今以上に減ってしまう。彼が早々他の女性に目を向けるとは思ってはいない。だが、心配である。ならどうするべきか、そこが問題だ。

 ようするにわたし達の関係をより強固のものとすることだ。

 意識的、そして肉体的にも……。

 ふむ。あ、そうです。あれでいきましょう。

 貴音はなにやら妙案を思いついた。しかし、その顔はいい意味で悪い顔をしている。隣にいる美希にははっきりと見えないが、彼女はそれを直感ではあるが感じ取り聞いてみた。

 

「貴音。何かいい案でも思いついたの?」

 

 まるで好物のらぁめんを食したあとのような幸福に満ちた声で貴音は答えた。

 

「美希。わたくしにいい考えがあります」

 

 その言い方はある人物を彷彿させた。

 

 

 それから時間が経ち。時間にして十時過ぎといったこところ。

 三人は都内にある某神社に参拝に来ていた。さすがと言うより当たり前だと言うべきが。前を見ても人、右を見ても人、左を見ても人ばかり。元旦という事もあって晴れ着姿の女性が目につく。

 そんなプロデューサーの両隣にいる貴音と美希もそうだった。時間が少しかかるので待っていてください、と一人でテレビを見ながら待っていた。それから言われたように少し待っているとお待たせしましたと言われて振り向いた先には着物を着ていた二人がそこにいた。

「どうかな。ハニー、似合う?」と、美希に聞かれた。プロデューサーは、「ああ。似合ってる。貴音もよく似合ってるぞ」とちゃんと美希を褒めつつ貴音も褒めた。

 その時驚いたのはよく着付けができたということだった。多分、美希ではないことは彼にははっきりと断言できた。となると貴音ということになる。

 プロデューサーは薄々予想が付いていたのでコマンドー風に聞いた。

 

「どこで着付けの仕方を習った?」

「婆やに教えてもらったのよ」

 

 普通に合して返事を返されたのがちょっぴり嬉しかった。

 貴音の話にたまに出てくる存在。それが『爺や』と『婆や』である。プロデューサーはその二人が彼女の世話役と教育係のような存在だということは、彼女が話す内容から予想はしていた。

 この二人が四条貴音という存在を形成したに違いない。

 直感ではなく、はっきりと言える。特に押しの強さや、弱みを握られたりとか、こうぐいぐい迫ってくる感じなどどうみてもその婆やの入れ知恵だろうとプロデューサーは思った。

 例えば、「男は胃袋でつかむのですぞ」とか、「今の時代男は船、女は港なんていう時代ではないのです。自分から動かないといけません」といったようなことを貴音に教育したのだろう。意外と的外れではないと思っている。

 しかし、その婆やとやらの指導のおかげでこうして二人の晴れ着姿が拝めることができたのだから感謝しなければいけないだろう。

 ありがとう。顔をも知らない婆やとやら。

 それにしても、貴音の技術は相当のものだと見てとれた。着付けだけならまだしも、髪の毛のセットまでしたのだろうから大したものだ。

 貴音にメイク等を教えたのはプロデューサー自身だったので、彼は鼻を高くしていた。

 そんなことを思いだしながらプロデューサーは両手に花という誰もが羨むであろう状態で向拝所へ向かっていた。大勢の参拝客で中々進まないのが悩みの種ではあった。

 ふと周囲に目を回し、聞き耳を立てる。

(本当に誰も気付かないのか……)

 プロデューサーは二人の晴れ着姿を褒めつつも変装しないと面倒になると思っていた。その事を二人に伝えると、

 

「あなた様。そんなに心配せずとも大丈夫です」

「ハニーは心配性なの」

「なんでそうはっきりと言えるんだ?」

「だって」

「ねぇ?」

 

 貴音と美希は声を揃えて言ったのだ。

 

『そういう風にできているから』

 

 訳が分からなかったがどこか納得している自分もいたのは確かで、こうして現実にはまったく問題は起きていないのだから不思議だ。

(それにしても……。どこかにアイドルの卵はいないものか)

 これだけ大勢の人間がいるのだからアイドルになれる逸材の一人や二人居てもいいはずなのだ。こう例えるならドラゴンレーダーみたいな感じだ。それは頭の中でアイドルレーダーが微弱だが反応を示している。ピコン、ピコンと少し長い間隔を置いて音をたてている。

 たしかにこの付近にいると思うのだが……。

 誰かがそれを聞けば、アイドルの卵がそこら辺の雑草みたいにいるわけがないだろうとツッコミを入れられるに違いない。

 先程から辺りをキョロキョロと見回しているプロデューサーが気になって貴音が聞いた。

 

「どうかなされたのですか?」

「ん? アイドルになれそうな子でも居ないかって探して――ッ!」

 

 口は災いの元とはこのことか。貴音と美希の二人に腕を抓られた。それも本気なのか、かなり痛い。

 

「最低なの」

「今日はオフなのですから仕事の話は厳禁です。特にアイドル関連は」

 

 アイドルの部分だけやけに強く発音したのを聞き逃さなかった。プロデューサーは大人しく従うことにした。

 逆らったらもっと酷い目に遭う。

 素直にいう事を聞くのが一番だ。プロデューサーはこれ以降探すのを止めた。ただ、問題が新たに浮上した。

 仕返しか、それとも罰なのかはわからないが貴音と美希に腕を組まれる。その光景を左右と背後から視線が突き刺さる。

 奇怪な目で見られているのがわかる。

 しかし、サングラスがなければ耐えられなかった。

 当の本人は現状に四苦八苦していたが貴音と美希は終始楽しそうにしていた。

 そのあとも向拝所に着いてからも視線が突き刺さり、プロデューサーはとっとこの場所から逃げ出したい気持ちで一杯だった。

 やっとの思いで賽銭箱に辿りつくことができると貴音の豆知識講座が始まった。まず、鈴を力強く鳴らしてから、

 

「いいですか。今のように鈴を鳴らしたあとにお金を入れて二礼二拍手一礼をするのです」

 

 貴音に関心しながらプロデューサーと美希も彼女を見習って……。

 二回おじぎ。ぱんぱんと手を叩いて祈念を込める。

(この人が浮気をしませんように)

(ハニーが他の子に目移りしませんように)

(アイドルが見つかりますように)

 最後におじぎをして向拝所を離れる。

 願いをしてさっそく貴音と美希は不安でしょうがなかった。きっと無理なのではないかと心のどこかでそう思ってしまっている。

 当の本人はと言うと、

 

「それじゃあおみくじ引いて帰るか」

「そうですね……」

「賛成なの……」

「……?」

 

 先程と打って変わってテンションが低くなっていることに違和感を覚えたが、プロデューサーは気にせずおみくじのある場所まで移動した。

 三人分のお金を払いくじを引く。先に貴音と美希に引かせ、二人は周りの人の邪魔にならないように少し離れた場所で渡された紙を開けた。

 

「あら。大吉ですね」

「あ、ミキもなの!」

 

 新年早々幸先がいいと思った二人であったがある項目で目が止まった。ここのおみくじは縦長で色々書いてある。仕事運、金運、今年の運勢云々。しかし、それらはどうでもいいのだ。問題は……恋愛運。

 ――恋愛運。意中の人との関係はますます距離を縮めることできるでしょう。ただし、その人次第で状況は一変。あなたにはどうすることもできないので諦めましょう。

 

『……』

 

 貴音と美希は理解している分、非常に受け入れがたい内容であった。

 一方プロデューサーはというと。紙を開くなり目を大きく開けた。サングラスを外し、目を押さえてもう一度見る。

 ――大凶。あなたの今年の運勢はとても最悪です。抗っても無理なので諦めましょう。ですが、あるきっかけであなたの運勢は大吉ぐらいにはなるでしょう。

 なんなのだこれは。

 あるきっかけ? それで大凶から大吉になるというのだろうか。それに『ぐらい』とはなんだ。『ぐらい』とは。

 プロデューサーがおみくじの結果に困惑している中、隣で同じくおみくじの結果を見て声をあげた女性がいた。

 

「あ。今年も大吉です。やったぁ!」

 

 今年も? それはどういうことだろうか。プロデューサーは気になって声の主の方へ向いた。

 おそらく二十代で、大学生だろうか。とても可愛らしい女性がいた。そう、まるでアイドルと言われて不思議では……。

 ティンときた。

 今まで長い間隔を置きながら反応していたアイドルレーダーがピコン! ピコン! と間を開けず鳴り響く。プロデューサーのサングラスがドラゴンボールのスカウターのように目の前にいる女性のアイドル力(ちから)を計測していく。

 7875……11550……。馬鹿な、まだ上がるのか。17325……26475……だと?

 どうやら新年早々とんでもないアイドルを見つけてしまったようだとプロデューサーは歓喜した。

 いつものようにスーツではないがスマホや財布、腕時計と同じくいつも所持している名刺ケースを懐から取出した。まだ346プロのものではなく765プロのままだが自分の連絡先が書いてあるので問題はない。

 プロデューサーは一枚名刺を取り、前の前にいる彼女に声をかけた。

 

「あの……。すみません」

「……? あ、はい。私……ですか?」

「はい。実は私、こういう者なのですが」

 

 一瞬。後ろにいるである貴音と美希のことが脳裏を過ったが無視した。

 今は目の前の子をスカウトするのが最優先だ。逃がすわけにはいかない。

 さあ、スカウト開始だ。

 

 

 二〇一四年 三月某日 346プロ オフィスビル31階

 

 時は流れ気付けばもう三月となっていた。

 去年の十二月に行ったオーディションとプロデューサーにスカウトされたアイドル達は年が明けた一月から本格的に活動を開始した。下は子供から上は大人まで多種多様なアイドルが揃っている。特に個性が強いのが特筆すべき点であると彼は身を以って知った。

 今までは準備期間という名目での形であったが来月の四月を以って正式に〈美城プロダクション アイドル部門〉が誕生するのである(現状は芸能部門の一部という扱いであった)。ついでに予算も〈アイドル部門〉として振り分けられることになるので結果を出さなければ意味がない。

 現在三月の時点では予想を超える成果を出している。その要因としては元々アイドル達が培ってきた経験が生かされたと言うべきだろう。中には元キャスターや読者モデルを経験しているアイドルがいたので、最初の仕事選びには困らなかったというのが本音だ。

 それ以外の子達は素人と言ってもいい。最初の一か月はレッスンの日々だった。それが今では全員がデビューし活躍をし始めている。

 残念でならないのがこの活躍は〈芸能部門〉に持っていかれてしまうのが悔やまれる。

 そんなこともあったが四月に正式に〈アイドル部門〉として活躍するにあたって、この三月上旬に〈アイドル部門〉にもオフィスが与えられた。それもまるごと一階分のフロアをである。

 古い伝統を持つ〈美城プロダクション〉ならではと言ったところか。事務所に関してはあの961プロよりも上なのだから相当のものだと思われる。

 アイドル達には活動拠点となる部屋が振り分けられ、もちろんそれはプロデューサーにも与えられた。

 オフィスビル31階。プロデューサーは自分と同じ歳だということになぜか不思議な気持ちになった。

 自分が三十代だということを改めて認識させられる。

 そんなことを思ってはいたが、それはすぐに吹き飛んだ。自分専用のオフィスを与えられ喜びに満ち溢れていたからだ。はしゃいではいないが、心の中では自分の部屋を与えられて喜んでいる子供のよう気分だった。

 部屋の奥にある椅子に座ると以前とは比べ物にならないぐらい座り心地がいい。前には来客用のテーブルとソファーがあり、壁際にはロッカーが三つほど並んでおかれている。この部屋には似つかわしくないホワイトボードも完備されている。

 ホワイトボードに関してはきっと一個では足りないだろうと彼は予想していたが、今現在は年少組によって落書きだらけになっている。今ではタブレットとパソコンでアイドル達と自分のスケジュールをプロデューサーは管理していた

 プロデューサーは現状にとても満足していた。なぜなら自分だけの空間を与えられ、そこで仕事ができるのだからこの上ない最高の仕事場である。さらにAm〇zonでネスカフェのバリスタを購入したことにより仕事へのやる気も数段上がった。難点なのはマグカップを洗うのに給湯室に行かなければいけないことだったが我慢した。

 小さな不満あれど、とどのつまり、最高の環境、最高の職場で仕事ができるというわけなのだ。

 ここは聖域だ。自分だけの。

 とプロデューサーは思っていた。思っていたのだが……。

 

「――プロデューサーさん、コーヒーですよ。大丈夫ですか……?」

「お前の入れるコーヒーは上手いよ……。アイコ」

「……うふふ。わたしは藍子ちゃんじゃなくて、まゆですよ。プロデューサーさん……?」

「か、かなりヤバイな。毒キノコを間違って食べたのか……? で、でも、友達であるプロデューサーなら平気そうだな。フヒヒ……」

「えへへ……プロデューサーの目がだんだん堕ちてくよ。ふ、ふふふ……かわいい……」

「ではでは。ここは私のサイキックヒーリングで! ムム、ムムムッ!!」

「――あれ? 肩が軽くなって腰の痛みがなくなったような……」

「あれぇ? 菜奈ちゃん十七歳なのにもう苦労してるの?」

「え゛っ!」

「凄いですねユッコちゃん! 私にもやってください!」

 

 といったように、すでにオフィスはプロデューサーの聖域ではなくなっていた。四日も徹夜している彼の精神状態はオフィスに入り浸っているアイドル達を追い出す気力はなかった。

 ただ仕事をするだけの機械(マシーン)と化している。プロデューサーの精神状態は危険だが、彼の身体は異常なほど正常だ。目は半開きだがパソコンの画面をしっかりと捉え、キーボードを打つ手は間違えることなくキーを打っている。

 そんなプロデューサーの様子を心配する子もいれば、楽しんでいる子もいる。しかし、当の本人はそれを把握することはなかった。

 そんな時、扉をノックして千川ちひろが入ってきた。

 

「プロデューサーさん。判子が必要な書類がいつくか……。あら、あなた達こっちにいたのね」

「あ、ちひろさん。実はプロデューサーさんがまた(・・)こんな状態になっちゃって」

 

 困惑しながら藍子は言った。彼女を含め、アイドル達はこの状態になったプロデューサーを見るのはこれが初めてではなかった。連日で徹夜をした日はいつもこうなのだ。

 ちひろは部屋に入るなり呆れた顔をしながら、

 

「もう。あれ程念を押したのに……。また泊まり込みで仕事をしたのね。困った人なんだから」

 

 言いながらちひろはポケットから一本の栄養ドリンクを取りだした。キャップのところに星形の装飾がついている。

 それは美城が薬品会社と契約している栄養ドリンクだ。まだ正式に販売はされてないが試験品として美城に提供されている。プロダクションの施設内にある自動販売機にはその薬品会社から発売されている〈エナジードリンク〉が販売されている。その味は無類である。

 仮称ではあるがこの〈スタミナドリンク〉の効果は市販で売られているどの薬品よりも効果は抜群だ。

 

「はい、どうぞ。プロデューサーさん」

 

 プロデューサーはそれに手を伸ばしキャップを開けて飲んだ。すると……。

 

「……!」

 

 シャキーン。などという効果音が聞こえてくるよう感じで、プロデューサーに纏わりついていたどんよりした空気は消し飛び、彼はいつもの厳つい顔に戻った。

 

「千川。書類を」

「はい。こちらになります」

「お前らも部屋に戻れ。このあとレッスンの時間だろうが」

『は~い』

 

 いつもの調子に戻って嬉しいのか彼女達は不満を言わず部屋から出て行った。彼女達が部屋から出て行くのを確認すると彼はサングラスをとり溜息をついた。

 

「慣れんな。君の呼び方」

「アイドル達に変な意識を持たれては困りますから」

「俺的にはちひろちゃんって呼ぶのに慣れてしまっているからな。なんなら、ちひろって呼ぼうか?」

「も、もう! やめてください……ちょっといいかも」

「何か言ったか?」

「い、いえ。なんでもありません。ところで! プロデューサーさん、今日はちゃんと帰ってくださいよ! 色々言われるの私なんですから!」

「さすがに今日は帰るよ。それでなんだが、明日は昼前にはこっちに来るから。仕事の方は帰るまでにやっておくから頼む」

「お願いしますよ。本当に……」

 

 心配してくれる彼女に、疲れた声でプロデューサーは言った。家にも帰らずここのオフィスで寝泊まりしているせいか家のベッドが恋しくなってきたと思い始めた頃だった。それに徹夜で仕事をするための必需品である着替えや食料の関係もある。

(二人の飯が恋しい)

 二人の料理以外だと満足できない体になってしまった。

 実家にいる母親には失礼だが、気付けば子供の頃から毎日作ってくれた母の味より彼女達の味に舌が味を覚えてしまったらしい

 そんなことを思いつつも彼はオフィスに閉じこもって、書類仕事を一枚一枚処理をしていた。全部に目を通して、判子を押す。訂正すべきところがあれば修正して送り返す。デスクに向かって仕事をするよりも、身体を動かしている方が性に合っているのだとしみじみと思う。

 それが幸いしたのか、今日はアイドル達への付き添いをしなくてもいいということだった。武内を始めとした、数人のプロデューサー達にアイドルの担当を任せられるようになったのが大きい。一部のアイドルは不満そうであったのを彼は思い出した。

 誰とは言わないが。

 彼らは入社しばかりの新入社員ではない。仕事の基本は皆わかっている。今はどちらかというと、プロデューサーというよりはマネージャーに近いと彼は思っている。だが、いずれは自ら企画を立案し、アイドルを導くようになるだろう。

 プロデューサーは一息つこうと思い、各フロアに数か所しかない喫煙ブースで今西と煙草を吸っていた。

 

「ふぅー。にしても四日も泊まり込みで仕事とは。顔から疲れが見てとれるよ」

「まあ、忙しい時期ですから。本音を言えば、帰るより泊まって仕事をした方が手っ取り早いんですよね。ふぅ……。あれだ、完全な仕事中毒(ワーカホリック)だ。これ」

「気を付けてくれたまえよ。会社にとってもアイドル達にとっても君は大事だからね」

「気に留めておきますよ。……そういえば、彼女を見ませんね」

 

 吸い終えた煙草を処理しながら彼は言った。

 

「彼女?」

「お嬢ですよ。お嬢」

 

 彼の言う人物が分かったのか、今西は苦笑しながら答えた。

 

「彼女か。君ぐらいだよ、彼女をお嬢なんて呼べるのは」

「他の呼び方がないもので」

「確かにね。彼女は今アメリカで仕事をしているそうだ。それぐらいしか知らないがね。ところで……」

「……?」

 

 今西は不思議そうな目でプロデューサーを見た。

 

「一体どうしたんだい? 前はもっと吸っていたじゃないか。それが今じゃたったの数本だ」

「あー。その、制限されて。一日三本までだって」

「おや。君は確か結婚はしていなかったはずだ。ということは……。彼女かい?」

 

 面白い話だと今西は思ったのか笑みを浮かべながら聞いてくる。プロデューサーはどういえばいいか迷ったが、適当に誤魔化した。

 

「違いますよ。……姪っ子が一緒に同居してるんですよ。こっちの大学に入るからって相談を受けまして。ほら、俺ってそんなに家にいないんで丁度いいと思って。それに掃除もしてくれているんで助かってます」

 

 我ながら上手い言い訳を咄嗟に思いついたものだとプロデューサーは思った。今西の様子を窺うと、即席ながら効果は出ているようだ。

 

「だが……。それだったら別に吸ったってバレないんじゃないのかい?」

「毎日箱をチェックされるんですよ……」

「そ、それは……あれだねえ」

 

 事情を知った今西は言葉を失った。なんと言っていいのかわからなかった。しかし、彼はふとある事に気づき、

 

「じゃあもう一箱買ってそれを見せればいいんじゃないか?」

 

 天啓を受けたかのようにプロデューサーは口を開けて今西を見た。

 

「それだ……! ちょっとコンビニ行ってきます」

 

 喫煙ブースから出たプロデューサーは走り出した。彼の後姿を見て、煙を吐きながら言った。

 

「かなり怖い姪っ子なんだろうねえ」

 

 

 午後十七時過ぎ。世間一般の公務員や会社員なら作業を終え自宅に帰る頃である。プロデューサーも自分のオフィスで帰り支度をしていた。彼の表情は疲れながらも嬉しそうである。

 今日の書類は全部片づけた。明日分の仕事も今日できる範囲で処理をした。これで十二時間以上は休める。とりあえず寝よう。我が神聖なる寝室へいざゆかん。

 ビジネスバッグと着替えなどが入ったバックを手に持ちオフィスを出て鍵を閉める。エレベーターのある方に歩こうとした時、背後から声をかけられ振り向くとアイドルの川島瑞樹がいた。

 

「あ、いたいた。プロデューサー今……あら。大分お疲れのようね」

「瑞樹君か……。大方検討はつく」

「なら早いわ。これから飲みに行くのよ。いつものメンバーに……あ、菜々ちゃんも誘ってるわよ」

 

 それを聞いてプロデューサーは菜々の反応がすぐに思い浮かんだ。『え゛!? い、いやですよ瑞樹さん! ナナは十七歳ですからお酒は……』と言うに違いない。初めてではないのだから普通にすればいいのにと彼は思いつつも、彼女の年齢は本当ではないことを知っている人間もいるのだ。

 遠慮しなくていいのにな。無茶しやがって……。

 彼女のお誘いは魅力的だが今は睡眠欲が勝る。

 

「俺じゃなくて武内でも誘ったらどうだ?」

「彼なら楓ちゃんが交渉中よ」

「手回しがいいことで」

「それにちひろさんも誘ってるわよ?」

「なんでそこで千川の名前が出てくるんだ?」

「だって君とちひろさんってなんだか堅いのよ。だから、関係をちょっとほぐそうと思って」

 

 どうやらちひろの思惑通りの展開らしい。瑞樹や他のアイドル達から見た二人の関係はお堅い上司とそれに従う部下の関係と言ったところだろうか。実際にそういう関係で問題ないのだが、彼女達からしたらもっとフレンドリーになってほしいようだ。

 だが、真実は彼女達が望んでいるような関係である。

 

「言いたいことは分かった。だが、今回はパスだ。勘弁してくれ」

「今回はさすがにしょうがないわよね……。わかったわ。また次回ということにしましょう」

「そうしてくれると助かる。それじゃあお疲れ」

「ええ。お疲れ様です」

 

 別れを告げプロデューサーはオフィスビルから本館を通り外に出た。未だに自家用車は持っていないので徒歩か電車、或いはタクシーを使って帰るしかない。疲労感で一杯の彼はタクシーを呼んでマンションへと帰宅した。

 かなり限界にきていたのか。彼は自分の部屋までの道のりすら辛く感じ、エレベーターで移動している最中に意識が飛びそうで危なかった。

 自宅の前まで来るとポケットから鍵を取出し玄関を開けた。するとなぜか明かりがついていた。

(……連絡したんだっけ、俺)

 今日は帰ると決めたプロデューサーは貴音に伝えていたのだが、疲れているせいかその事も直前まで忘れていたらしい。

 プロデューサーが帰ってきたことに気付いたのか、エプロンをつけた貴音が出迎えた。

 

「お帰りなさい、あなた様……あなた様?」

 

 出迎えた貴音を通り過ぎてプロでシューサーはソファーに倒れ込んだ。貴音はまたかと思いながら台所に戻った。

 

「貴音……。いつもと同じようにスーツとYシャツをクリーニングに出しておいてくれ……」

「はいはい。わかりましたよ」

「それと……」

「この間出したスーツとYシャツは戻ってきていますよ」

 

 プロデューサーが言おうとしたことを貴音は先に伝えると「あ゛あ゛……」と声を漏らしあとにその場所を聞くと、「そこのテーブルですよ」と言われる。彼は歪んだ歯車のように顔を横に向けると確かにあった。

 ダイニングテーブルに料理が盛られたお皿を並べながら貴音は尋ねた。

 

「夕食はどうしますか?」

「もう……寝る。朝食べる」

「わかりました。お風呂も入らないのですか?」

「……ねる」

 

 プロデューサーはなんとか立ち上がると自分の寝室の方へとふらふらと歩いていく。扉を開けると彼は立ち止まり、

 

「みず……くれ」

「今持っていきますよ」

 

 コップに水を入れると貴音はすぐに持っていかず、エプロンのポケットから実験用ろ紙を折ったようなものを取出すと……。

 サー。

 と粉末状の薬をコップに入っている水の中に入れてかき混ぜてからプロデューサーに渡した。彼はそれを一気に飲み干すと表情を歪めた。

 

「どうしました?」

「……変な味がする」

「それはきっと、あれです。連日もちゃんとした食事をとらないから舌がおかしくなっているのですよ」

「そうかも……。あ、美希はどうした……?」

「もう少しで帰ってくるそうですが。何か用でも?」

「なんでもない。じゃあ、ねる」

「お休みなさい。あなた様」

 

 プロデューサーは襖を閉めスーツとYシャツを脱ぐと床に放り投げた。いつもジャージで眠る彼はなんとかジャージを着た。ズボンは反対だが。

 着替えを何とか終えた彼はそのままベッドに潜り込んだ。

(……ただいま。我が愛しの聖域)

 彼はそのまま眠りについた。

 深い眠りに。

 

 

 ただいまの時刻は深夜零時過ぎ。

 私達は今まで踏み込むことができなかった禁断の地へ一歩踏み出そうとしているのだ。ここまで辿り着くのにどれだけ待った事か……。

 だが、それも今日で終わりだ!

 いざ、ゆかん。禁断の地へ!

 壮大な前振りを頭の中で語りながら美希はプロデューサーの寝室の前で貴音と共に待機していた。小さな懐中電灯を持ち、静かに待っていた。

 美希はこの日をずっと待ち望んでいた。まだか、まだのかと。

 元旦のあの日。貴音の考えたいい話とはこのことだった。その内容とは疲れ切ったプロデューサーのベッドに潜り込んでやろうという話だった。それも今回のような状態が一番好ましかった。しかも念を押して睡眠薬を混ぜて飲ますほど徹底的にだ。

 

 

「ところで、睡眠薬なんてどうやって手に入れたの?」

「婆やに頼みました」

「協力的なお婆さんなの」

「薬は保険ですから。それぐらいしないと起きそうですし。……気配で」

 

 それは確かにありあるなと美希は思った。室内にいるのに外にいる自分達が来ることがわかるぐらいだ。

 まるで、ハリウッドの主人公みたいなの。

 常人ではない。それでも美希にとっては、それが彼の魅力の一つだと言える。

 貴音は寝室へ通じる扉に手をかけ、

 

「では、行きますよ」

「オッケーなの」

 

 二人はゆっくりと寝室へと踏み込んだ。寝室を見渡すと部屋の中央にベッドがあり、壁の方にはクローゼットがある。美希は懐中電灯を床の方に照らした。そこには放り投げられた彼のスーツがあった。貴音はそれを手に取り綺麗に整えた。

 

「あらあら。困った人ですね」

「かなり疲れてたみたいだね……ん?」

 

 美希は彼が眠るベッドの傍にある棚の上にコルクボードがあることに気付いた。そこには多くの写真が貼ってある。問題はそこに写る人物だった。彼女は慌てながらも小さな声で貴音を呼んだ。

 

「貴音、ちょっと来てなの……!」

「なんですか美希。……これは!」

 

 そこには世間に疎い貴音ですら知っている有名人物が写る写真があった。〈シェリル・ノーム〉、〈ランカ・リー〉、〈星宮いちご〉と国内や海外で活躍するアイドルと一緒にいる写真。

 

「あと、これ見てなの」

「やはりもっと問い詰めるべきでしたね」

 

 二人が見つけたのはプロデューサーと東豪寺麗華が写っている写真だった。一枚だけではなく他と比べると枚数が多い。しかも、どこかで開かれたパーティーで一緒にいる写真もある。

 ボードに張られている写真には女性だけでなく男性の写真もある。〈熱気バサラ〉や最近無人島を開拓しているアイドルもいる。

 

「この人の交友関係は凄いですね……」

「それも気になるけど今はそれどころじゃないの」

 

 貴音も美希の言葉に同意して行動に移した。二人は懐中電灯のスイッチを切るとプロデューサーが眠りベッドへと潜り込んだ。美希が右側で貴音がその反対だ。

 二人はベッドに入るなり持ってきていたスマホを取出し、写真を撮り始めた。

(これをネタにしてハニーを……。むふふ)

 恐らく貴音も同様の事を考えているに違いない。ハニーと一緒のベッドに寝るのが目的だが本音はきっとそれに違いないと(なお、それが一緒に寝ることもこの作戦の目的の一つなのだが)。

 そう思いながらも何度も写真を撮るので人のことは言えない。貴音をちらりと見るが、彼女も自分と同じように何枚も写真を撮っている。その顔は嬉しそうである。

 だが、これは序の口。本命はまだ残っているのだ。

 

「貴音。そろそろ撮影はやめるの。本命はこれだよ?」

「――はっ! そうでした。わたくしとしたことがあまりにも夢中でそれを忘れていました」

「最初は貴音に譲るから。ほら、スマホを貸すの」

「わかりました」

 

 貴音は美希にスマホを渡すと、彼の顔に急接近した。まるでキスをするかのようである。

 否。これからするのだ。

 

「いい? 約束通り頬だからね? 抜け駆けは許さないの」

「わかっております」

 

 事前の打ち合わせでキスをするが唇は駄目と決めていた。先に譲ったのも貴音にはそれの資格があるし、まあ頬だからいいかなと、美希には余裕があったからだ。

 貴音はゆっくりとプロデューサーの頬に近づいていく。そして、優しく彼女の唇が彼の頬に触れた。

 ――カシャッ。撮った画像は部屋が暗いため少し悪いが問題なく撮れている。それからキスをしたり抱き着いたりと一人では撮れない写真を撮った。

 そして、やっと自分の番が回ってきた。

 

「では美希。次はあなたです」

「待ちくたびれたの。じゃあ……」

 

 目を閉じてゆっくりと近づく。彼の頬はすぐそこなのに、目を閉じているからか遠く感じる。まだかな、と唇が柔らかいものに触れた。

(初めてのキスなの)

 唇ではないのが残念だがそれは最後のお楽しみである。いつになるかわからないのが問題だが。

 そのあとも貴音と同じように美希は色んなポーズで写真を撮ってもらった。

 そして、最後の大詰めである。

 

「上手く撮れるかな……?」

「とりあえずやってみましょう」

 

 今までは一人だったが今度は二人一緒に撮る。試に自分がカメラマンをやってみる。右手を伸ばして角度を調整。カメラの距離を少し離してこれくらいかな?

 貴音と美希はまずはプロでシューサーの顔に自分の顔を寄せて視線をカメラに向けた。

 

「じゃあ撮るね……」

 

 フラッシュがしたので撮れたようだ。画像を見る。笑っている自分と貴音に彼の寝顔。よし。問題ない・

 では、これが最後だ。

 美希は貴音を見た。彼女もそれを理解したのかうなずいた。

 貴音がまずプロデューサーにキスをして、次に美希がキスをする。そして、彼女のだいたいの予想でスマホの位置を決め、シャッターのボタンを押した。

 貴音と一緒に見たそれは上手い具合に三人が写っている。作戦はこれで全部だ。

 ミッションコンプリートなの。

 美希は貴音の方に向いて尋ねた。

 

「結局このあとどうずるの?」

 

 作戦会議の時点では貴音の部屋に撤退する手筈になっていた。だが、ここで引くのは少し勿体ないと美希は思っていた。

 それは貴音も同じようで少し悩んでいる。そして、結論を出した。

 

「……寝ちゃいましょうか。このまま」

「賛成なの。起きたら怒られそうだけど」

「大方そうなるでしょうね。ですが……。これを逃したらこのような機会は二度ないでしょうし。その時はその時です」

「じゃあ……寝るの。さすがにミキも眠くなってきたの」

「ええ。では、美希。お休みなさい」

「お休みなの。貴音」

 

 そう言って数分もしないで美希は眠りについた。

 

 

 翌日。午前五時頃。プロデューサーは自分の意識が眠りから戻ったことを認識した。

 ……朝か。

 プロデューサーは仕事に行かなければと思ったが、今日は遅れて出社することを思いだした。時計を見てないがおそらく五時頃だということは予想できた。いつもその時間に目覚めるから間違いではないはずだ。

 

「はあー。……二度寝するか」

 

 プロデューサーは欠伸をしながら両手をあげた。身体を逸らしながら右手の左手で引っ張る感じで。癖のようなものだった。彼の両腕はそのまま敷布団の上に落ちた。

 ――むにゅ。

(……?)

 やけに敷布団柔らかいことに気付いた。クッションなんて持ちこんだのかと疑ったが思ったが綿の柔らかさではない。なんと言えばいいか。張りがあって、弾力もあり、どこかで揉んだことのある感触。

 プロデューサーはゆっくりと視線を右下に向けた。そこには……美希がいた。自分の右手は彼女の胸を掴んでいる。左側の。

 そのまま視線を左に向けると今度は貴音がいた。左では彼女の右側の胸を揉んでいた。

(貴音のがデカいのか。やっぱり)

 何故かそんなことを思った。寝ぼけているのかプロデューサーはまだ意識が朦朧としている。

(……寝よ)

 プロデューサーはそのまま毛布を引っ張り眠りついた。いつもりベッドが暖かいと思いながら再び眠り着いた。

 約一時間後。プロデューサーは勢いよく体を起こした。意識も先程と違ってはっきりとしている。だからこそ、今がどういう状態なのかを瞬時に理解してしまった。

 自分のベッドに二人が寝ている。つまり、あれ程寝室に入るなという言いつけを破ったわけだ。誰にだって知られたくない……。いや、見られたくないモノはあるものだ。それを無視してこんな事をさせられたのだ。これは叱っても許されるはずだ。ただ……。

(触った、んだよな……?)

 両手を握っては開く。貴音を見て、美希を見る。二人の胸の感触が頭から離れていないらしい。

 それに……。

 プロデューサーは視線を自分の腰の辺りを見た。どうやら反応しているらしい。どうしようもないやつめ。

 二人は自分が触ったことを知らないとはいえこ、これはそう、不可抗力だ。偶然起きた事故だ。

 俺は悪くないのだ。

 そんなことに意識を向けている「んんっ……」と声が聞こえた。二人が起きたらしい。ゆっくりを体を起こし、目をこすりながら二人は呑気にあいさつをしてきた。

 

「あ。おはようございます。あなた様……」

「おはようなの。ハニー……あふぅ」

 

 寝起き姿はとても可愛らしいと素直に思った。だが、今はそれどころではない。叱らなければ。怒らなければいないところだぞ、ここは! 

 

「起きたところ悪いが俺はお前らを怒らなければいけない。わかるな?」

「はぁー。ええ、わかっております。でも……」

 

 言いながら貴音は抱き着いてきた。やめてくれ。今の俺には効く。

 貴音はスマホを取りだして画面をプロデューサーに見せた。そこには彼女が彼にキスをしている写真だった。

 

「お前……!」

「ハニー。こういうのもあるよ」

 

 美希が言って見せたのは二人がプロデューサーにキスをしている写真だった。

 

「……」

 

 絶句。ここまでやるのか。俺が一体なにをしたというのか。

 これは脅迫なのだとプロデューサーは思った。それを散らかせて自分を脅すに違いないと。

 

「俺にどうしろと言うんだ」

「何もありませんよ? ただ、わたくし達が本気であなた様のことを思っている事を再認識してほしいだけです」

「そうなの。好きじゃなかったらこんなことしないの」

「……お前達の言いたいことは理解した。頼むからこんな真似は二度としないでくれ」

 

 本音だった。今にも泣きそうだったが堪えた。最後の聖域だと思っていたのに、これではもう自分に安寧の地はない。勘弁してくれ。

 

「約束は難しいの」

「極力努力はしますよ。あなた様が346プロのアイドル達と一線を超えなければの話ですが」

「超えるわけないだろう……。お前らとこんな関係なんだぞ」

「本当ですか?」

「信じられないの」

 

 プロデューサーはまた二人を見た。

 なんでこんなにも信頼されていないのだろうか。確かに、いや、百歩譲って今は問題ないはずだ。約一名とても扱いに困る子がいるが、彼女はどう対処していいか本当にわからないのだ。

 それを差し引いても今仕事で接しているアイドルと深い関係になるとは思えないとプロデューサーは断言する。

 プロデューサーは上手い具合に二人に触れずベッドから脱出した。ベッドを見ると、自分の聖域は最早二人の侵略者によって支配されてしまったことに改めて気づいた。

 寝間着姿を見るのは初めてではないが、寝起きということもあってとても妖艶に見える。

(黙ってればなあ……)

 しかし、それを認めると言う事はつまりそういう事であるわけで……。

 プロデューサーは頭を掻きながらどうするべき考えた。ふとやけに腹が減っている事に気づいた。

 考えは纏まった。とりあえず、

 

「朝ご飯、にしようか」

 

 プロデューサーは目の前の問題から目を逸らすことにし、リビングへと向かった。

 昨日の夕飯はいったい何だったのだろうか。

 彼の頭の中はそれで一杯だった。

 

 

 二〇一四年 四月 第一週目 美城プロダクション オフィスビル 第六会議室

 

 数多くある美城プロダクションの会議室の一室に〈アイドル部門〉のスタッフとアイドル全員が集まっていた。奥には〈アイドル部門〉の役職を持っている者が数名おり、その中には今西も座っている。

 手前には武内やちひろを始めとしたスタッフが座っており、その後ろにアイドル達がいる。

 そして、プロデューサーは一番奥の中央に立って最後の挨拶をしており、その場にいる全員が彼に注視していた。

 

「この四月からアイドル部門は正式に発足されることになった。よって、本年度から成果を出さなければならない。社員である我々の辛いところではある。しかしだ。俺も、君達も一月から活動を始めてから今日までやってきて手応えがあると感じているはずだ」

 

 プロデューサーの言葉に反応している者が多くいた。彼らもそれを確かに感じており頷いている者もいる。

 

「例えるなら……。今はアイドル戦国時代と言ったところだ。まさに乱世だ。数多くのアイドル達が我々の先で活躍している中、そこに飛び込もうとしている。いや、すでに飛び込んでいるな。そんな中君達は不安や疑念を抱いているだろう。特にアイドルである君達は我々以上に感じていることだと思う」

 

 その言葉に誰も表情を曇らせなかった。アイドル達はむしろ笑顔で彼を見ている。

 

「一年だ。この一年で絶対に成果を出す。そのために君達の力を貸してほしい。そして……俺を信じて欲しい。以上だ。では、諸君」

 

 プロデューサーは書類を机の上に叩きつけながら笑みを浮かべて言った。

 

仕事(プロデュース)を始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




というわけでこれで765編、アニマスは終了です。

今回はデレマスで登場するアイドルを数名出しました。茄子を出したのは時期にちょうどいいので出しました。個人的に好きなアイドルの一人でもあるからだけどね!

前から言っていたように一応次回からは自分ができるであろうアイドルのスカウト編をやります。アニメにも出てないアイドルもやれけたらいいなと思っています。一人あたりを少なく書いて大勢書ければいいな……。

最後に765編を書いて思ったことは貴音と美希を除けば伊織と響が書きやすかったなと。この二人はちょくちょく何かの形で出せると思ってます。伊織はお嬢様で絡ませれるし、響は弄りがいがあるし。
属性別のヒロインで行くなら響もキュートという形でヒロインにできたのですが辞めました。まあ、今からでも昇格できるといえばできるのですが。
その枠はデレマスにとっておくことにしました。
ただ、現状Pと貴音、美希の三人に割り込めるのかという不安が……。

今後は月二回更新を頑張ります。1週間はさすがに難しくなってきたので。

では、また次回で。

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