銀の星   作:ししゃも丸

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第17話

 二〇一三年 十二月二十四日 765プロ事務所内

 

 

 事務所内に飾り付けられた装飾に経費で購入した小さなクリスマスツリー。日付は十二月二十四日。そう、今日はクリスマスである。一年の中で一つの大きなイベントであり、子供から大人までが待ち望んでいる日でもあり、そうでない日でもある。

 この日は音無小鳥にとっても例外ではない。

 今年はさすがに皆忙しいから無理だろうなと思っていながらも、小鳥は自分の仕事の合間にクリスマスパーティーの準備をこそこそと始めていた。もちろん、これは仕事内容ではないために当然のことだった。なお、去年は社長が直々に命令を出したので問題はなかった。

 ただ、今年は去年と比べ仕事が多いので中々作業が捗らなかった。まあ、アイドルが売れている証拠なので文句は言えない。

 実際、小鳥の予想はいい意味で外れた。春香がクリスマスパーティーをしようと皆に話したからだ。しかし、売れっ子アイドルである彼女達のスケジュールがそれを許さなかった……と思っていたのだが。

 それを先読みしていたのか、それとも春香が彼に伝えたのか。ここ最近姿を見せないプロデューサーが全員のスケジュールを調整しており、夕方以降の時間は全員フリーになっていたのである。これには赤羽根と律子も脱帽していた。それを知った時、二人とも眼鏡がずれた所を小鳥は微笑しながら眺めていた。

 その赤羽根に少し変化があったことを小鳥は気付いていた。千早が復帰して以来、彼の仕事ぶりはすでに一人前と言ってもいいのではと小鳥は思っていた。元アイドルである小鳥はよく視野が見えている。

 そのためか、プロデューサー関連の話になると少し表情を硬くしていたのを目撃した。プロデューサーがスケジュールを調整したと聞いた時も、見えないところでそんな顔をしていたのを目撃した。

 なにかあったのだろうかと心配していたが、この問題はちょっと自分には手に負えないと悟り小鳥は無言を貫いた。

 その問題を起こした原因であろうプロデューサーのおかげで小鳥は堂々とパーティーの準備ができたのだ。

 年にこういったことを何度も経験している彼女にとって事務所の飾り付けなど、書類整理と同じくらいに簡単な作業だ。

 そして肝心のクリスマスツリーは最後に取っておいた。「やっぱりクリスマスツリーがないと寂しいね。よし。小鳥君、買ってきてくれるかね!」と、順二朗が言った。「はい、よろこんで行ってきます!」と、小鳥は年甲斐もなくはしゃいで答えた。

 ツリーに一個ずつ飾り付けをしていく小鳥は実感のこもった声を漏らした。「ああ。今年も一人で過ごさなくていいのね。分かっていながらも口に出してしまう駄目なわたし」と。

 クリスマスは聖なる夜でもあるけど、一部の人間にとっては性なる夜なのよね、と大人になって腐ってしまった自分の心に酷く小鳥は絶望した。

 だが、本人が思っている以上に小鳥がクリスマスの日に過ごす日は絶望などしていない。アイドル時代は高木達を初めとしたメンバーで集まっていたし、アイドルを引退してからは毎年ではなかったが、彼女は一人の男性と過ごしていた。そう、プロデューサーである。

 彼から誘ったかと思うだろうが実際には小鳥からである。若いころは普通に誘っていたが、年々歳を重ねるにつれ必死になっていた。そんな彼女をプロデューサーは心の中で受け止めていた。ひっそりと。

 二十歳になってお酒を飲める歳になった小鳥はある一つの作戦を実行していた。それは酔った勢いで既成事実をつくってしまおう、である。しかし、現在の彼女をみれば失敗に終わっているのは明白。先に彼女が潰れてしまい、家に送ってもらっているのだ。送り狼なんてことを期待したが、彼は紳士であった。

 音無小鳥にとって、プロデューサーという存在は彼女が一番接触のある男性であり、意識をしていた男だ。アイドル時代は年の近い兄のような存在だった。それが一人の男性としてみるようになったのはアイドルを引退してから二十歳を過ぎたあたり。意識をする原因となったのはちょっとしたキッカケだ。

 いわゆる、恋バナである。

 女性同士ならそんな話をする機会は多い。小鳥も例外ではない。友人から「アンタ、気になっている男とかいないの?」と、ごく普通なことで意識し始めた。

 小鳥から見たプロデューサーと言うと、イケメンではないが頼りになる男性。優しいし、面倒見もいい。たぶん、自分が心を許している男性、だと思っている。

 プロデューサーが忙しいのはわかっているが、それでも自分と会うために時間を割いてくれる彼に小鳥は淡い期待を抱いていた。彼が765プロで仕事を共にすることになったときは誰よりも心の中で喜んでいた。

 だが、小鳥の淡い恋心はさり気無いことで儚く散った。それも、自分の手で。

 プロデューサーの好みの女性ってどんな人ですかと聞いた。返ってきたのは自分には当てはまらない彼の好み。唯一当てはまっていたのは黒い髪の女性。ロングヘアの女性が好きだと言う彼のために髪を伸ばそうと思ったが時間が足りない。色んな意味で。吹っ切れているかと聞かれれば、まだ無理かもと答えるぐらいの状態であった。

 そんな比較的新しい苦い思い出に悩まされながら小鳥はクリスマスパーティーの準備をほとんど一人でこなしていた。

 気づけば事務所にはアイドル全員が揃っている。食べ物にケーキ、飲み物までずらりと用意していた。事務所に一つしかない接待室はファンから送られてきたプレゼントで溢れている。小鳥も個別にわけておくと意気込んでいたがあまりの数の多さに断念したが、当人たちにはそれを喜んで一つ一つ開ける光景が目に浮かんだ。きっと自分と同じように途中で断念するだろうと思いながら、

 

「はあ。非力な私を許して、みんな」

 

 折角のパーティーだというのに一人溜息をついている小鳥を見かねて春香が声をかけてきた。

 

「小鳥さん。どうしたんですか? 折角のパーティーですよ! パーティー!」

「春香ちゃん。そうよね。みんな忙しい中揃ったパーティーだものね。楽しまなきゃ損よね」

 

 小声でお酒がないのが残念だけど、と小鳥は呟いた。春香は聞こえなかったのか首を傾げた。

 春香は事務所を見渡した。みんな楽しんでいる。年末ということも相まってスケジュールに空きはない。そんな状態なのにこうして全員が揃えたことはとても貴重だ。だが、この日を実現してくれた立役者はいない。

 みんなもそれを知っているのか心の底から楽しめていないと春香は感じた。表情を曇らした春香に小鳥が気付いた。

 

「春香ちゃん、どうかしたの?」

「いえ、その……ちょっと。楽しい、はずなんですけど。みんなもきっと同じだと思うんです」

「プロデューサーさんのこと、でしょ?」

 

 春香は無言で頷いた。

 なぜそんなことを言うのか。小鳥はその理由を知っていた。自分もそれを始めから知っていた人間の一人。春香達全員を今のような状態にした原因の一人でもある。

 心が痛む。

 しかし、彼女達は自分よりも辛い思いを味わったのだ。プロデューサーが辞めることを突然に。

 

 

 数日前、クリスマスライブが行われた。このライブは765プロが開催する年内最後のライブでもあり、全員が揃って行われたライブでもあった。会場は満員御礼。特に問題もなく無事終わることができ、ライブ終了後は控室で打ち上げが行われた。

 

『乾杯~!!』

 

 ライブが無事終わり、彼女達も楽しく最高のライブをすることができて満足していた。そこには社長も小鳥もおり、765プロ全員が集まっていた。また、現在346プロに出向中のプロデューサーもこの日は一日付き合っていた。

 部屋の壁際で全員が見える位置に高木が立ち、うんうんと嬉しそう頷いていた。彼からしたら最高の光景であろう。どんな絶景にも勝るとも劣らない。

 そんな高木の傍にプロデューサーがやってきて声をかけた。

 

「社長」

「うむ。でも、いいのかい」

「今言わないといけませんから。引き延ばしたのは俺ですし。それに、どういう状況になってもあと一週間ちょっと。問題はありません」

「本当にそうかね? 言葉で言うのは簡単だ。だが、実際には……辛いはずだ」

「女性を泣かすのは慣れてます」

 

 前科もありますしねとプロデューサーは美希に目をやった。高木は溜息をつきながら彼の肩を優しく叩いた。

 

「困った男だよ、キミは……。みんな、ちょっといいかね」

 

 高木の声に全員が反応した。アイドル達はどうしたのだろうと思いながら彼の方を向いたが、小鳥を始め、赤羽根も律子も隣にいるプロデューサーを見て何を言うのか察した。

 貴音と美希は一緒におり、二人はプロデューサーが今日告げることを聞いていたので動揺はしなかった。

 

「実はみんなに話さなければいけないことがあるんだ」

「社長、それってなんですか?」

 

 千早が聞いた。

 

「もしかして社長から直々にご褒美が貰えたり!?」

「お、それは十分あり得ますな~」

 

 亜美と真美が話を勝手に造りだし始めて周りも浮足立つ。期待の眼差しで高木を見るが、彼の顔はそうではないと言っている。

 

「期待を裏切るようで悪いがそうではないんだ。キミ達には突然のことだと思うが、今月一杯でプロデューサーは765プロダクションを退社する」

『……え?』

 

 知っている者は眼を瞑って顔を横に向け、知らない彼女達は全員驚いている。当然だとプロデューサーも勝手ながら思った。

 

「嘘、ですよね」

 

 彼女達の中の誰かが言った。

 

「本当だ」

 

 横からプロデューサーが割って入り真実だとみんなに認めさせた。

 

「彼が辞めるのは元々決まっていたことだ。いや、そういう契約内容なんだよ」

「契約って、それどういうことよ!」

 

 伊織がプロデューサーの前まで怒鳴りながら駆け寄ったが、高木が二人の間に入った。

 

「彼には短くて一年、長くて二年を条件に我が765プロのプロデューサーとして働いてもらうことになっていたんだ。私も一生とは言わないが居てほしいと思っていた。だが――」

「そこからは自分が話します。俺は社長に依頼される前に別の事務所からプロデューサーとして働くことになっていた。守秘義務があるから詳しくは言えないが、向こうに訳を話して期限付きということで765プロのプロデューサーとして働くことになった。そしてその期限が迫り、俺は765プロを去る。そういうことだ」

「そういうこと? そういうことって何よ! ええ、話はわかったわ。私も馬鹿じゃない。あなたや社長の言っていることは理解している。それが仕事で、そういう事情だってこともわかる。でも、そうじゃないわ。私達が納得できないのはそこじゃない。どうして、それを今言ったのかってことよ! 最初に私達に会った時に言えばいいじゃない!」

「ああ。確かにその通りだ。だが、それはできなかった」

「できなかった? どうしてよ」

「それはわたくしが原因なのです」

 

 伊織は後ろを振り向いた。伊織は声の主が貴音だと言う事はすぐにわかった。独特の喋り方をする彼女の声を聞き間違えることはなかった。

 

「みなも気付きませんでしたか。あの日、どうしてわたくしだけ先にデビューすることになったのかを。今ならわかるはずです。このお方の実力を身を持って知った今なら」

 

 貴音の言葉に皆何か心辺りがあるかのように表情や素振りを見せた。貴音が次の言葉を言おうとしたその前にプロデューサーが先に口を開いた。

 彼女に言わせるわけにいかなない。

 彼は自ら悪役になることを選んだ。

 

「貴音の言う通り、俺はお前達全員をプロデュースすることができた。嘘じゃない。だが、そうはしなかった。さっきも言った様に俺には時間がない。ずっと765プロにいるわけじゃない。だから俺は貴音を選び、一人だけ先にデビューをさせた。それも全力で」

「皆、誤解しないでほしいのは、それは俺のためでもあるんだ」

「赤羽根Pの……?」

 

 プロデューサーを擁護するため赤羽根が口を挟んだ。近くにいた春香が彼の名前を口に出した。

 

「ああ。先輩が765プロに入る条件に、社長はもう一人プロデューサーを探していた。それが俺だ」

「そこからは私が話そう。彼が入社にするにあたって問題があった。それは彼が去ったあとに君達をプロデュースする人間が必要だった。それが赤羽根Pだ。彼の仕事はアイドルのプロデュースだけではなく、赤羽根Pの指導も含まれていた。もちろん律子君もだ。そして、今では二人とも立派なプロデューサーとして育った。律子君は竜宮小町を生み出し、何も知らないままこの世界に入った赤羽根Pは見事に君達をここまで連れてきた。事務所としては、彼は成果を出した。十分すぎるほどにね」

 

 赤羽根と高木の言葉に彼女達は納得をせざるを得なかった。だが、事務所側としてはそれでいいのかもしれないが、一個人としてはまだ納得できていない。プロデューサーにもそれは見てとれた。

 

「……話を戻すが、今まで言わなかったのは貴音のためだ。事情が事情なだけに、話してしまえば貴音は侮蔑の目で見られるかもしれない」

「そんなことしない! 貴音は自分にとって大切な友達だぞ」

「そうかもしれない。だが、本当にそうだと言えるか? 貴音がデビューして赤羽根が来るまで小さな仕事とレッスンだけの日々。なんで貴音だけなんだと一度も思わなかったと言えるか?」

「だから言えなかった。それと自画自賛のように聞こえるかも知れないが、俺だけを頼るような、依存した形を残したくなかった。社長も言ったように赤羽根は一年と経たずにここまでお前達を引っ張れるようになった。俺がここ(765プロ)でする仕事は終わった」

 

 プロデューサーは一度呼吸を整え、真っ直ぐ彼女達を見ながら、

 

「今まで黙っていて悪かった。すまない」

 

 頭を下げた。彼女達からすれば彼が自分達に頭を下げると思っていなかった。なぜなら、頭を下げるような男ではないと知っているからだ。大人として、年下で子供である彼女達に頭を下げるわけがないと。だが、現にこうして謝ったと言う事は本当に申し訳ないと思っているからだと気付いた。

 

「楽しい雰囲気を壊してすまなかった。話はこれで終わりだ」

 

 プロデューサーは高木の方を向いて、ではと言い、高木はそれに頷いた。彼はそのまま控室を出た。振り返る事もなく、彼女達も止めなかった。彼が部屋の扉をしめて少し経ち、響が貴音に慌てて駆け寄った。

 

「その、自分がこういうのも変だけど、プロデューサーが辞めていいのか!?」

「最初は勢いに呑まれて考えていませんでした。ですが、今ではあの人の存在がとても大きいことに、かけがえのない存在なのだと思っております。響、わたくしの我儘で迷惑をかけたくないのです。それに、あの人が辞めてもわたくしのプロデューサーは彼だけです。それだけはずっと変わることはありません」

「貴音……」

「それと、みなに言っておきます。わたくしはみなの気持ちに気づいておりました。わたくしだって同じ立場になったらそう思うと思います。だから、気にしないでください。わたくしは大丈夫ですから」

 

 焦りや困惑した素振りもみせず、貴音はいつもと同じ口調で言った。

 そして、打ち上げはしばらくして閉会となった。

 

 

 結局のところ。春香達が思い悩んでいるのはプロデューサーであるのは間違いないのだと小鳥ははっきりと分かっていた。ちゃんと話をしたわけでもなく、彼から一方的に話しただけだ。

 だが、どんな言葉をかけてあげればいいか小鳥は悩んでいた。自分もその事を黙っていたのだ。共犯ということになる。困ったことになった。

 とりあえず、小鳥は春香に声をかけた。

 

「春香ちゃん。キツイことを言うけど、大人になればこういう事はたくさんあるわ。自分の知らない所で勝手に話が進んでいたりもする。大人になると得る物も多いけどそれと同じくらい犠牲にする物も多いわ」

「わかっているならこれ以上は言わないわ。じゃあ、ここから私個人の話。……春香ちゃんが思っている以上にプロデューサーさんは強い人よ」

「それは、わかります」

「強い人だから、全部一人で抱え込んじゃうの。弱音を吐かず、どんなに罵声を浴びせられても何一つ言わない。弱音を吐く人を私は軽蔑しない。だって、本当のことを言っているんですもの。でもね、あの人は強いから本当のことをちゃんと言ってくれない。春香ちゃんも聞いたことないでしょ? あの人が弱音を吐いたことなんて」

「はい。一年一緒に過ごしてきましたけど、プロデューサーさんは弱音なんて吐いたことないです。それに文句だって言ったことも」

「でしょ。プロデューサーさんとの付き合いは一番長いと思っている私だけどね? 一度も聞いたことないの。十年以上の付き合いなのにね……」

 

 ああ、そうなのよねと改めて小鳥は気付いた。

 十年以上の付き合い。一体どれだけの人にそういった人がいるだろうか。学生の頃から仲が良い友人でもいつかは連絡をしなくなる人だっているだろう。それも十年という長い年月だ。毎日会っていたわけではないが、それでも今日まで関係は途切れず続いていた。それなのにあの人の弱いところを何一つ知らないのだと彼女は気付いてしまった。いや、知りたくないとずっと心の中で思っていた。

 食事の席で聞いたことあるのは仕事の話や、愚痴に最近起きたこととかそんな話。弱音なんて聞いたことも、聞かされたこともない。

 つまり、彼にとって私は妹かそれに近いような存在なのだ。女として見られていない。正直に言って、辛い。

 

「小鳥さん?」

 

 いきなり小鳥が黙ってしまったので春香は声をかけた。

 

「あ、ああ。ごめんなさい。なんでもないの」

 

 いけない。今は自分のことより春香ちゃんやみんなの事が大事よね。

 小鳥はそのための行動を起こした。いつも使用しているデスクに向かい、椅子に座る。伊達に事務員をしているわけではないので、プロデューサーの携帯の番号は頭に入っている。彼女は手馴れた手つきでボタンを押していく。受話器を取ろうとしたその時、事務所の扉をノックする音が聞こえた。

 

「ちょっと見てくるわね」

「はい」

「一体誰かしら……すみません。今日はもう営業は……あれ?」

 

 扉を開けるとそこにはいるべき人間がいないことに気付いた。悪戯かしら、と小鳥は思いながら扉をしめようとする。ふと彼女の目はある物をとらえた。

 箱である。事務所側の壁に大きい箱と小さい箱が一個ずつ。扉を閉める時に顔を偶然下に向けなければ気付かなったことだろう。

 箱にはメッセージカードが両方付いており、『765プロダクション様へ』と『萩原雪歩様へ』と書かれている。後者はわかる。

 なにせ、今日は彼女の誕生日だからだ。にしても、なぜ事務所の分も? 彼女は疑問に思いながらも、大きい箱の上に小さい箱を乗せて事務所の中へと戻った。両手で持てるぐらいの大きさで、ちょっと重いぐらいだったので彼女一人でも持つことができた。

 

「小鳥さん、それどうしたんですか?」

「多分、ファンからのプレゼントだと思うんだけど。うちのと雪歩ちゃんの」

「わ、わたしですか?」

 

 ええ、と答えながら自分のデスクの上に置いて、小鳥は雪歩にメッセージカードを渡した。

 彼女はそれを受け取り、ゆっくりと開いてみた。

 

「……特に何もないですよ? ハッピーバースデーとしか書いてないです」

「本当?」

「はい」

 

 雪歩は小鳥にカードを渡した。そこには『Happy Birthday』と少しオシャレな字体で書いてあった。もしかしてと、彼女は事務所あてのカードを見た。『Merry Christmas』と書いてあるだけだった。

 小鳥はゆっくりと大きい箱をあけ、雪歩も丁寧に包装されている包み紙を剥がして箱を開けた。そこにはフルーツを贅沢に使ったタルトケーキと何やら高そうな茶器セットがあった。

 

『お~~!!』

「凄く美味しそうですぅ!」

「ほんと、いいのしから。いただいても……」

「でも、あずさんさん。本当は食べたいんでしょ?」

「そ、それは……」

「にしても、雪歩のプレゼントはこれまた凄いね」

「う、うん。でも、どうしてこれなんだろう?」

 

 雪歩の趣味は日本茶だということはプロフィールにも書かれている。飲むのも好きだし、自分で淹れるのも好きだ。売れ始めてからもそれなりにファンからプレゼントを貰っているが、そういった関係の物はなかった。

 美希が急須を持ち、目を細めながら鑑定士の真似事をし始めた。

 

「素人目だけど、凄い高そうなの」

「髙そうじゃなくて高いわよ。それ」

「デコちゃんわかるの?」

「デコちゃん言うな。多分だけど京都にある有名なお店のやつよ。茶葉は玉露じゃないかしら?」

「そ、そんな高いのを頂いていいんでしょうか?」

 

 雪歩が震えながら言った。

 

「いいんじゃないの? それが好きな雪歩のために送ってくれたんだから」

「……それもそうですね。でも、一人じゃ勿体ないからみんなで一緒に呑みたいと思います」

 

 ありがとうと皆が雪歩にお礼を言った中、一人貴音がまじまじと彼女のプレゼントを見ていた。そんな貴音に響が心配して聞いた。

 

「貴音。どうしたんだ? そんなに眉間に皺を寄せて」

「いえ。ただ、どこかでそれを見たような……はて、どこでしたか」

「雪歩のプレゼントを? 京都で仕事をした時とか?」

「それはありえると思いますが違います。多分、実物ではなくて写真……。美希も、見覚えありませんか?」

「え、ミキ? んー、そう言われるとどこかで見た記憶があるような、ないような」

 

 二人は腕を組みながらうーんと唸りながら思い出そうとする。相変わらず仲いいなと思う春香達であったが、どうして二人が見たことあるのだろうとは気付かなかった。

 あっ、と二人は声を揃えて思い出した。

 

「それ、ハニーがパソコンで見てたの!」

「プロデューサーさんが?」

「ええ、そうでした。珍しい物を見ているなと思っておりましたが……成程。雪歩のプレゼントだったのですね」

「プロデューサーさんがわたしに……」

 

 プレゼントの送り主が彼だとわかる皆顔を暗くした。小鳥もその空気に呑まれたのかもう一度彼に電話することができなかった。

 そんな中、春香が勇気を出した。

 

「やっぱりこのままじゃ駄目だよ。わたしも思う所はあったけど、でも一年間お世話になったんだし最後は笑顔でいたい。それに今ならわかる。プロデューサーさんって不器用だからこういう形をとるんだよ。全員が揃うのは今日ぐらいだし、プロデューサーさんに直接会える機会も当分ないかもしれないんだよ? 貴音さんだってそう思いませんか?」

「へ? あ、ああそうですね。でも、わたくしはその……問題ないと言いますか、ケジメはつけていると言いますか……えーと」

 

 まさか自分が指名されると思っていなかった貴音は口ごもった。そう言った質問に対して何度思ったことか。隣に住んでいて毎日食事を作っているなどと。それに、今日の朝も彼と朝食をとり、現場に送ってもらったなどと口が裂けても言えない。彼女は酷く焦り始めた。

(なにやってるの……)

 隣に貴音の慌てふためく姿を見て、美希は内心呆れた。ここは春香の意見に同意して、ハニーを呼ぶべきなの。彼女は貴音に代わっていつものように声をあげた。

 

「はい、はーい! ミキもそう思うの! ミキもこのままじゃいけないと思うな。それに、ハニーからプレゼント貰わなきゃいけないの!」

「ふふ。美希は相変わらずなんだから。でも、春香の言う通りよね。このまま最後を迎えたくない。私もそう思うわ」

「千早ちゃん……」

「それにあれですな。プロデューサーもいい年ですから」

「うんうん。独身のおじ様が一人で過ごすクリスマス。哀しいですなー」

「……」

 

 なぜだろう。自分にもそれがつい最近まで当てはまると赤羽根は他人事のにようには思えなかった。

 

「まったく。プロデューサーも世話が焼けるさあ」

「……そうよね。一人で過ごすクリスマスは……寂しいわ」

『……oh』

 

 小鳥が言うとこう何か凄味があると全員が感じた。でも、キミは頻繁に彼と過ごしていた気がするんだがと高木は思っただけで声には出さなかった。大人である。

 

「ま、まあ、全員の気持ちは一緒ということで、早速電話しましょう!」

 

 電話機の発信履歴からプロデューサーの携帯番号を選択、発信。小鳥は皆にも聞こえるようにスピーカにした。

 皆を代表して春香が答えた。

 

「ぷ、プロデューサーさん。わたし、春香です」

『春香か。……どうした。何か問題でも起きたか?』

「はい。大問題です。折角のクリスマスパーティーなのにプロデューサーさんがいません」

『それは……そのだな』

「わたし達も色々……思う所はあります。でも、最後なのにしこりを残したまま別れたくないんです!」

 

 春香の声に続くように他の子達も彼に向けて言葉を送った。電話の向こうからは何も返さず聞いていた。彼はそれが延々と聞かされるような気がしたのか、諦めの声をあげた。

 

『わかった、わかったよ。俺の負けだ』

「それじゃあ!」

『ああ、行く……。――ちょっと待て!』

『……?』

 

 突然大声を出したプロデューサーにその場にいた全員が首を傾げた。走り出したのだろうか、声が荒い。スピーカから雑音が入り、彼の声がちゃんと聞き取れない。それが数分続き、その中で彼の声ともう一人女性らしき声も聞こえた。彼と同じように叫んでいるようにも聞こえる。

 

『……』

 

 貴音とミキの目つきが変わった。獲物を捕らえるような鋭い眼光だ。隣でそれを見てしまった響は額に脂汗を流した。これは、不味い。その野性的な直感でそれに気付いた……というよりいつものことだ。そう、いつものことだから非常によくない……。

 

「あなた様」

「ハニー」

 

 底冷えするような声で彼の名を呼んだ。始まってしまった、もう止められない。響は彼の無事をちょっぴり祈った。

 

「あなた様。御一人ではないのですか?」

「それも女の人と一緒なの」

『今はそれどころじゃ――おい、わかったからそのトナカイを止めてくれ!』

 

 トナカイ? 彼は何を言っているのだろうかと貴音と美希をはじめ全員が心配し始めた。確かに今日はクリスマス。クリスマスと言えばサンタクロースである。サンタクロースと言えばトナカイでもある。トナカイが都内にいる訳でもあるまいし、着ぐるみを着た人のことを言っているのかと全員が思った。

 だが、声からしてそうであるとは考えにくかった。切羽詰っている。そんな風に誰もが感じた。

 

「トナカイ? あなた様、何を言っているので――」

『一時間以内にはそっちに行く! またあとでな!』

 

 そう言うと通話が切れた。

 

「……とりあえず、プロデューサーさん。来るってことで言いんですかね……?」

 

 春香が皆に聞きながら言った。

 

「ああ言った手前ちゃんと来ると思いますが……」

「うん。ミキもそうだと思うの。ただ……」

『トナカイって?』

 

 謎は深まるばかりであった。

 

 

 春香達から連絡を受けてから四十五分ほど過ぎたあたりの765プロダクション事務所の扉の前にプロデューサーは立っていた。すぐに目の前の扉を開けて入ればいいのに彼はそうしなかった。

(さて。来たはいいもののどんな顔をすべきか)

 本当に今更すぎる。自分からあんな態度を取っていながら結局こうなってしまった。確かに、春香の言う通りこのまま彼女達との間にしこりが残ったまま別れるというのは……気分がいいわけではない。

 こういう性分のためあんな言い方や態度しかできない。それが年を重ねるごとに酷くというか、悪化している自覚はあった。つまり、自分は彼女達との関係を修復したいと思っているわけで、それを素直に言えないのだ。立場というより、年下のそれも子供に頭を下げて仲直りというのは、自分が彼女達より大人だというプライドがあり中々できない。

 これは渡りに船なのだ。

(いるな。多分……美希だな)

 気配からしてそんな気がした。きっと向こうもガラス越しに映る人影で自分がいることはわかっているだろうと彼は予測した。そういうことならば、自分が取るべき行動は一つだ。

 プロデューサーは扉を開けながらそのまま下がった。すると、

 

「ハニー―――ッ!!」

 

 プロデューサーの予測通り美希が彼の名を叫びながら走ってきた。そして、そのまま向かいの壁に衝突した。彼は何食わぬ顔で事務所に入った。

 

「よっ。お待たせ」

「プロデューサーさん。もう、遅いですよ! 女性を待たせるのはよくありませんよ!」

「すまんな。まあ、いつものことだ。許してくれ。それと、春香……ありがとうな」

「……はい!」

 

 春香は嬉しそうに答えた。直後、プロデューサーの後ろから彼女の声とは反対に怒鳴り声が耳に入る。

 

「酷いのハニー! 大事なアイドルの顔に傷がついちゃったの!」

「へぇ、どれどれ」

 

 プロデューサーは美希に合わせて屈みながら彼女の顔をみた。確かに少し鼻が赤いように見えた。

 

「問題ないですね。塗り薬を出しておきますから、帰っていいですよ」

「ぶぅ! ミキの扱いが酷いの。アイドルに傷を負わせたんだから責任を取るの! 色々と最後まで!」

「何を言っているんだ。お前は」

 

 美希の妄言に呆れていると近くにいた貴音が「責任……はっ!」と、何かを思いついたようにテーブルの上にあるケーキを切り分けるために置いてあったケーキナイフを手に取った。彼女は何を血迷ったのかそれを自分の左手に斬りかかろうとしたところを雪歩と響が止めた。

 

「な、何をやろうとしているんですか、貴音さん!?」

「貴音。いい加減その斜め上の考えをやめるんだ!」

「離してください二人とも!」

「自分でやっても責任とか取らせることはできないんだぞ!」

「そうですよ! それはただの――」

「何をやっているか。この野郎」

 

 貴音の頭にプロデューサーのチョップが直撃。痛っ、と声をあげてナイフを手放した。床に落ちそうになったナイフを彼が受けとめた。

 

「響。貴音の手綱を握っていろと言っただろう」

「そんなこと言われてないぞ! そもそも、貴音が勝手に暴走するのはプロデューサーが十割原因なんだからね!?」

「言ってないか、俺?」

「言ってない!」

 

 ふふ、ははっと事務所に笑い声が広がる。手で口を押えながら苦笑している子もいる。

 

「あー、やっぱりこうでなくちゃ!」

「そうよね。こうじゃなきゃ」

「うんうん。戻ってきたって感じがするよね!」

「いつもの765プロに!」

 

 その通りかもしれないとプロデューサーは肯定した。このやり取りがどこか懐かしさも感じさせた。たった数日だと言うのに。

 笑顔のまま春香は彼の前に立ち、

 

「おかえりなさい、プロデューサーさん!」

「……ただいま。みんな」

 

 ――こういうのも悪くない。

 

 

 プロデューサーが戻ってきてから一時中断していたクリスマスパーティーが再開した。今日が誕生日であった雪歩にプレゼントを渡した彼が、自分にもくれないのかと美希が彼に駆け寄ってきた。

 

「ねぇ、ハニー。もちろんミキにもプレゼントあるよね!」

「ん? プレゼントなら渡しただろう。ほれ」

 

 顎でそのプレゼントを指した方向に美希が顔を向けると、そこにはタルトケーキを切り分け食べているあずさの姿に目に入った。

 

「もしかして……アレ?」

「そうだが。何か問題でもあるか?」

「大ありなの! 大問題なの!」

「まあ、美希にはないでしょうね」

「それどういうことなの!?」

「あなた様。もちろん、わたくしにはありますよね?」

 

 怒鳴る美希を余所に貴音が聞いた。いつものやり取りである。

 

「だからアレだって」

「……これは面妖と言わざるを得ませんね。あなた様、今日はクリスマスなのですよ? それなのにプレゼントがないというのはとても愚かな行為です」

「そうなの。愚かな行為なの!」

「あのな? あれはお前達全員へのプレゼントなの。個別に用意をしてるわけないだろが」

「じゃあ、雪歩は!?」

「それは彼女が誕生日だからだ」

 

 プロデューサーは強くはっきりと言った。雪歩も改めてお礼を言うために彼の所にやってきた。

 

「プロデューサーさん。その、ありがとうございます。こんな高そうな……」

「気にしなくていい。こういう時にしか金を使えんからな。大事に使ってくれると嬉しい」

「はい! でも、プロデューサーさんが居なくなる前に一回はお茶を淹れたいです。……駄目、ですか?」

 

 上目づかいで雪歩はプロデューサーを見た。そんな目で見ないでくれと思いながらも彼の答えは決まっていた。

 

「駄目じゃないさ。じゃあ今頼むよ。やるからには一番いいのを頼む」

「わかりました。わたし頑張ります!」

 

 雪歩は真のもとに戻ると「やったよ、真ちゃん!」と言うと「よかったね、雪歩」と喜んでいた。二人を微笑ましくプロデューサーが見ていると美希が背伸びをしながら彼の耳に小声でささやいた。

(ねぇ、ハニー。アレ)

(ん……なるほど)

 美希に教えられたその先には赤羽根の前にもじもじとしている春香だった。彼女は後ろに手に持っているそれを隠していた。どうやら彼に送るクリスマスプレゼントであるとプロデューサーは気付いた。

(背中を押してやったらどうだ)

(いいの? アイドルとの恋愛は反対じゃないの?)

(お前。それを俺の前でよく言えるな)

(それもそうなの)

 さっそく美希は春香の隣まで歩くと、彼女の手を掴み赤羽根から少し離れたところに移動して聞いた。

 

「春香。それ、赤羽根Pに渡さないの?」

「み、美希。別に、これはそういうわけじゃ……」

「好きなんでしょ? あの人のこと」

 

 絶対そうだという確信を持って美希は言った。赤羽根と近くにいたと言えば全員当てはまるが、彼女は春香が一番彼に近い所にいたと思っていた。

 それに、春香は一番赤羽根Pを気にかけていた、というより心配していた時が多かったと美希は記憶している。

 

「え! ちが……」

「違うの?」

 

 春香は首を横に振った。

 

「じゃあ、渡さなきゃいけないの」

「美希はすごいよね。どうしてそんなに前向きに行動できるの?」

「だって、好きだから。好きな人に振り向いて欲しいもん。あの人はそう人だから……自分から動かないと見てくれないもん」

「強いね、美希は。わたしには……真似できないよ」

「強くないよ。むしろ、いつもビクビクしているもん。見放されるんじゃないかって、だから後悔しないように頑張ってるの」

 

 プロデューサーという男は自分から好意を向けてくる人ではないのだと美希は分かり始めていた。酷い言い方だが枯れているのではないかと疑った事もある。けど、そうではないのだと。何よりも仕事とアイドルを優先するのだ。

 美希が思うに、プロデューサーは好きな人に対して積極的に動くタイプではないと彼女なりに推測していた。別に鈍感というわけではない。今の自分と貴音の状況を見ればそのはずだ。だからこそ、彼を好きになってしまった女の子は自分から動いて、振り向かせなければいけないのだ。

 

「後悔、か。うん……。わたし、勇気を出して渡してくる」

「その意気なの」

 

 決心をした春香は赤羽根にプレゼントを渡しに向かった。周りが見ている中渡すため緊張したのか声が少し上がってしまったようだ。それでも、彼女はしっかり彼に渡すことができた。

 赤羽根がプレゼントを開けると長財布があった。彼が今まで使っていた財布がボロボロになっているのを春香は知っていたので財布を選んだのだ。周囲が二人をからかっている様子をプロデューサーは苦笑して眺めていた。そこに、今回の立役者である美希が戻ってきた。

 

「うまい具合に春香の背中を押したな」

「当然なの。でも、赤羽根P気付くかな?」

「春香の気持ちにか? 相当な鈍感男じゃなきゃ気付くだろ。多分な」

 

 それを聞き逃さなかったのか、貴音がプロデューサーの前に現れた。

 

「あら。それは自分が鈍感ではないみたいな言いぐさですね」

「鈍感だったら今のような関係な訳ないだろ」

 

 呆れるように言った。三人の関係はとてもデリケートで大きな爆弾でもある。ちょっとそこらの男だったらすぐに起爆してしまうところだろう。

 

「それもそうなの」

「確かにその通りではありますね。ただ、あなた様」

「なんだ?」

 

 近づく貴音にプロデューサーの額に汗が浮かびあがる。顔には出さなかったが、動揺しているのもお見通しだと何故か彼は思った。

(先程の電話の件。忘れておりませんからね)

 艶めかしい声だ。

 彼は視線を貴音に向けると彼女はクスリと笑みを浮かべた。

(誤解なのに理不尽だ)

 そう、俺は悪くない。悪いのは……クリスマスだ。

 

 

 貴音と美希から逃げるようにプロデューサーは他の子達と話してまわることにした。時間は少しかかったがようやくひと段落つき、彼は赤羽根と話していた。

 

「調子はどうだ」

「まあまあです。先輩との引き継ぎもスムーズにできましたし、律子との連携も上手くやれています」

「そうか。それは何よりだ。貴音と美希は……その、どうだ」

 

 我ながら変な感じで聞いたとプロデューサー思った。らしくない、そう思われても仕方ないぐらいだ。まるで、親子関係で娘と気まずい関係なってしまった父親のようだ。

 

「どうだと言われても。具体的に言うと?」

「迷惑をかけてないか? 仕事終わりにラーメン屋に連れてけとか、爆弾発言しまくるとか」

「そうですね。前者はたまにですが、後者はいつものことすぎてもう諦めました。知ってます? ファンの間だとその“ハニー”とやらの憶測が色々あるみたいですよ。」

「初耳だな。何か面白いものでもあるのか?」

「特にこれといってないですね。自分もそうですけど、お二人の事を知っている人間なら誰でも知っているでしょうし」

 

 それもその通りだと彼は頷いた。事務所内や知っている人間なら大目に見ていたのだが、仕事現場でもハニーと呼ぶので注意はしていた……意味はなかったのだが。

 今ではそれが当たり前のように現場でも受け入れられているのが悩みの種でとても問題――いや、大問題である。これから346プロのプロデューサーとして働くと言うのに知っているスタッフが何か言ってきたら問題である。

 何とかしなければ……。

 

「で。先輩はどうなんです? 小耳に挟みましたよ。この間オーディションがあったって。」

「耳が早いな。まだ活動してないからアイドルについての詳細は言えん。企業秘密だからな」

「だと思いました。便利過ぎません? その言葉」

 

 肩をすくめながら赤羽根は言った。

 

「いいだろ。ま、来年から活動できる子はすぐに表に出るし、隠す必要もあんまりないんだがな」

「流石と言うべきですかね。ちなみにどういったアイドルがデビューするんですか? 先輩の目に適う子ですから逸材なんでしょうね」

「まだ知り合ったばかりだから何とも言えんが……。“みんな”個性豊かな子ばかりだよ。」

「……?」

 

 赤羽根は耳を疑った。みんなとは一体どういう事だろうか? 一人ではないのか? 彼は混乱したが、きっとうちと同じくらいの人数のことを指しているのだろうと推察した。

 だが、赤羽根はどうしても気になったのでつい彼に聞いた。

 

「ちなみに……今現在どれくらいのアイドルが?」

「まだ十数人ぐらいか?」

「すみません。ちょっと待ってください。まだって言いました!?」

「ああ。ちなみに……」

 

 彼は周りに聞かれないよう赤羽根の耳元で囁いた。

(色々あってさっきも一人スカウトしてきた)

 赤羽根は飽きれて言葉がでなかった。つまり、まだ増え続けるということである。普通ならどうかしていると思われるが、目の前にいるこの人はそれをやってのける力があると赤羽根は改めて再認識していた。

 

「向こうからは特に言われてないからな。それにアイドル全般に関しては一任されているし、日にちは経ってないがそれなりに充実しているよ」

「ここよりも?」

 

 ズルい質問だと素直に思った。それに対抗してか、彼は胸を張りながら自慢げに言った。

 

「ああ。こことは比にはならないぐらい手を焼かされている」

「それは……ご愁傷様です?」

 

 同情されたが自分で言っておいて何とも言えない気持ちにプロデューサーはなった。なにせ、自分からスカウトしているのだから同情も何もないではない。知っている人間が知れば、それは自業自得だと言われてもしょうがないが、別にそんなことは考えたことはないと彼は思っている。

 

「あ、そう言えば。先輩は美希から聞きましたか? 今度、美希と春香がミュージカルに出演するんです」

 

 赤羽根は手に持っている紙コップにジュースを注ぎながら思い出したように言った。

 

「それはまだ聞いてないな。ちなみに役は?」

「向こうがこれからの稽古次第で二人のどちらかを主役にするみたいです」

「そうか。どちらにせよ、二人にはいい経験になるだろう」

「そうですね」

 

 プロデューサーは素直に喜びたいが、そうすることができずにいた。確信を持っていう事が出来ないが、胸がこう、モヤモヤする感じがしている。

 不安だ。よくないことが起きそうだ。

 

「ちょっと春香と話してくる。初めての事だろうから色々悩んでいるかもしれないからな」

 

 春香と話すためにそれらしい理由をつけてプロデューサーは言った。

 

「自分にはそういう経験がまだありませんから、ありきたりなアドバイスしかできないと思うので助かります。でも、美希の奴にはいいんですか?」

「あいつはいつでもいいから問題はない」

「……はあ?」

 

 赤羽根はあまり理解していないような顔をしていた。別にわからなくてもいいとプロデューサーは思った。

 どうせ、このあとも自宅でそのことを自分に言ってくるのだろうから。なので、問題はないのだ。

 そう思いつつ彼は春香に声をかけた。

 

「調子はどうだ、春香」

「あ、プロデューサーさん。はい、絶好調です!」

「それはアイツにプレゼントを渡せたからか?」

「ち、違いますよ!」

 

 ニヤニヤしながら彼は言った。春香は顔を少し赤くしながら慌てて否定したがバレバレだ。

 

「赤羽根から聞いたんだが、今度ミュージカルに出演するんだって?」

「は、はい。でも、美希も一緒に選ばれて。稽古次第でどちらかが主役に選ばれるみたいなんです」

 

 どこか不安げに言う春香の異変に気付いた。これは色々と話をした方がいいかもしれないと今の彼女を見て思った。他にも悩みがあるように見える。

 

「ふむ。では、特別にお悩み相談室でも開くか」

 

 彼はそう言って春香を連れて社長室へ向かった。もちろん、部屋の主には許可を取らずに。

 

 

 社長室にある予備の椅子に春香は座り、目の前にいる男性を見ていた。目の前にはいつも社長が座っている椅子にプロデューサーが座っているのだ。脚を組み、優雅に持ってきた紙コップに入っている飲み物を飲んでいた。ジュースを飲むような人には見えないからコーヒーだろうか。

 そんな彼の姿を見て、本当の主には申し訳ないが目の前の彼は物凄く様になっていると彼女は思った。

 

「単刀直入に聞くぞ。悩みがあるんだろ? 色々と」

 

 胸に突き刺さる一言が飛んできた。

 なんでこの人は分かるんだろうか? 誰にも相談はしていないのにも関わらず今日久しぶりに会ったばかりなのに。まあ、顔には出ていたかもしれないけど。

 

「その、通りです。プロデューサーさんには分かっちゃうんですね」

 

 春香は否定しても無駄と分かりつつも、素直に助言を求めたかった。きっと、自分一人では解決はできないし、彼の提案は願ったり叶ったりだ。

 赤羽根Pや他の皆には相談はできなかった。きっと、同じ立場で考えて大丈夫だよと、言うと思ったから。でも、決して頼りないから、信じていないからではない。彼女は心の中ではっきりと否定した。

 

「まあ、推測だったけどな。人生経験は豊富な方だし。一つ一つ聞いていこうか。一体何を悩んでいるんだ?」

「……今度のミュージカルについてです」

「ほん……。んっ、美希との主役の……座を競うんだったな」

 

 プロデューサーは言葉を選んだように言った。

 

「相手が美希だからなのか。それは」

「それも一つ、だと思います。自分じゃ美希に到底及ばないってどこか思ってて。ダンスも歌もわたしより上手だし。わたしより美希の方が主役に向いているんじゃないかって」

「……聞きたいんだが。ミュージカルの話を聞いてどう思った?」

「嬉しかったです。まさか自分が舞台に立てる日が来るなんて。そう思いました」

「そうか。……自分と美希を比べてしまったんだな。そしたらどんどん下向きな考えをしたわけか」

「……はい」

 

 下を向きながら春香は頷いた。

 

「しかし、美希はきっとお前と主役を競うために精一杯頑張ると思うぞ。お前はどうだ? 手を抜いて美希に主役を譲るか? そんなことをしたらアイツは……怒るな。多分。いいか。向こうはお前か美希のどちらかが主役に合うと判断したんだ。相手はお前の悩みなんて気にも留めない。見ているのはお前の演技だ。手を抜いた演技は相手にも失礼だ。お前だから相手は選んだのにだ」

 

 正しい。彼の言っていることは正論だ。

 結局自分の我儘なのだ。自分がどこか劣っているとか、美希のが良いとか、結局美希を理由にして言い訳をしているだけにすぎない。

 これでは彼女に失礼だし、きっと彼の言う通り主役をとるために精一杯稽古に励む。なのに、自分はそれを蔑ろにしようとしている。

 ごく普通なことなのにそれに気付くことができなかった自分が嫌になる。

 

「ほんと、言われて気付くんですから。わたしって駄目ですよね」

「まだ大丈夫だ。これからしっかりとしていけばきっとな。春香、美希は手ごわいぞ? 手を抜いていたらあっという間に追い抜かれる」

「そうですよね。相手はあの美希なんですから」

 

 美希は凄いと誰もが思っていると春香は思っている。そんな彼女と競い合うとやっぱり弱気になる。彼女の事は近くで見てきたからわかる。きっとプロデューサーも言わなくてもわかるだろう。

 けれど、そんな彼女のおかげ今日は勇気を出すことができたのだ。

 

「……美希はすごいですよね。さっきも美希がいなかったらプレゼントを渡せませんでした。プロデューサーさんは美希の気持ちを知っていますか?」

「……分かっているから答えるが、知っているよ。貴音のことも」

 

 意外だった。春香は彼が素直に答えるとは思っていなかった。それに貴音のことも話したのだから驚きだ。

 

「お前だって赤羽根のことが気になっているんだろ? 見ていれば分かる。向こうはどう思っているかは分からないが」

「その、やっぱり駄目ですよね。アイドルが担当のプロデューサーにそういう想いを抱くのは」

「別に駄目ではない。もし、そうなったらちゃんと社長に相談することだ。俺でもいいが、ここにいないからアドバイスぐらいしかできないが」

 

 アイドルとプロデューサーやその関係者が恋人同士になるのは珍しいことではないと、彼は続けて言った。驚愕の事実を知ってしまったような気がした。

 なら、プロデューサーも貴音さんと美希のどちらかと……?

 いや、それを思うのも考えるのもやめておこう。きっとよくない結果になると彼女は日々の惨劇から学んだ。

 

「話を戻そうか。美希の件が一つということはまだあるんだな?」

「はい。その『夢を失って孤独で苛まれる主人公』っていう設定で、少し悩んでて」

 

 実を言うと、美希と同じぐらいに悩んでいた。主人公の設定を見ながら春香は自分と比較しながら色々考えていた。けれど、答えを中々見いだせず、どう演技すればいいか頭を悩ませていた。

 ふむと彼は腕を組んで考えているようだった。

 春香は気になってあることを彼に聞いてみることにした。

 

「唐突なんですけど、プロデューサーさんは夢ってありましたか?」

「夢、ねえ……」

 

 哀愁がこもったような声でプロデューサーは言った。

 

「そうだな。今は夢が目標と言うか……果たさなきゃいけないもの、だと思う」

 

 切ないとか、悲しいとかそんな風にも感じた。けど、それよりもはっきりとある事が伝わってきた。

 諦めていない。彼はその何かをまだ、果たそうとしているのだと春香は感じ取った。

 

「その果たさなきゃいけないものが失ってしまったら?」

「……何も無い、何も残らないだろうな。きっと、すべてが無駄だったのだと絶望するのかもしれない」

「本当にそうですか?」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、わたしが、皆が残るじゃないですか!」

 

 何よりもあなたには貴音さんと美希の二人がいます。だから、きっとあなたはそれを失っても孤独ではないし、わたし達の出会いと思い出が無くなるわけじゃないと、春香は絶対の自信があった。

 

「なら、その主人公もそうなんじゃないか?」

「え……?」

「それがどんなストーリなのか、主人公がどんな風にして夢を失ったのかはわからない。けど、春香の言う通り何かが残っているかもしれない。主人公が夢を失ってそれから何かを見出すのか、それともそのまま絶望し孤独のまま朽ちるのか。その答えを演じながら見つけるたらどうだ?」

 

 プロデューサーはそうだと頷いた。

 確かに、その通りかもしれない。わたしはまだ夢を失った経験も、絶望したこともない。なら、稽古を通し主人公を演じて彼がどんな思いだったのかを見つけなければならないのだ。

 

「答えは、見つかったようだな」

「はい。わたし、まだわかりませんけど頑張ってみます。それと、美希に駄目だしされないように」

「なら、もう大丈夫だな」

「あ、あの!」

 

 椅子から立ち上がり歩き出そうとしたプロデューサーを春香は止めた。

 

「まだ聞いて欲しいことがあるんですけどいいですか?」

 

 この際だ。今、一番思い悩んでいることを聞いてもらおうと思った。

 彼は聞こうと言って再び椅子に座りなおした。

 

「その、こんなことを言うのもおかしな話なんですけど。みんなと居たいって、変ですか?」

「居たいって。具体的に教えてくれないか?」

「みんなアイドルとして売れてきて仕事も一杯あってそれはいいんです。でも、少し前まではみんなここに一緒にいたのに、今では全然揃う事もなくて。一回も会わない日だってありました。今日だってプロデューサーさんが手を回してくれなかったら全員揃うことができませんでした」

 

 春香は自分の言っていることが我儘で傲慢だという自覚はあった。アイドルとして売れるのはとてもいいことなのに、それでもみんなと一緒に居たい、仕事を、ライブをしたい。そんな欲張りなことを悩んでいた。

 プロデューサーは真剣な目をしながら言った。

 

「春香、その願いは矛盾しているよ」

「分かってます! でも、わたしはみんなのことが……」

「仲間以上の存在になった、か?」

「……はい」

 

 彼はわたしの悩んでいる原因を口にした。いつからだろうか。みんなと過ごしてからというもの、仲間だという意識から気付けばそれ以上のことを思うようになった。

 それはわたしにとってはもう一つの、

 

「家族だと思っているんです。……変ですか?」

 

 プロデューサーは首を横に振った。

 

「前にも言ったな。お前は誰よりも周りを見ている。だからなのかな。誰よりもみんなとの繋がりを大事にしたい、そう思っているんだろ?」

「みんなトップアイドルになって、仕事ばかり気が向いて忘れちゃったのかなって」

「何を?」

「最初の頃みたいに、楽しくアイドルをすることを。今はみんな……仕事ばかりに目が向いてて。それがわたし、なんだか嫌だなって思って」

 

 春香は言うたびに段々と辛くなり、涙が零れそうだった。すると、彼女の頭に大きな彼の手が乗せられた。彼の撫で方は優しくて、嫌悪感はなかった。優しい笑みを浮かべながら彼女を見ていた。

 

「ぷろ、でゅーさーさん」

「お前は凄いよ。そこまで皆のことを想っているなんて……俺には出来ないな。でもな? これから言う事を胸に止めておいてくれ」

 

 春香はこくりと頷いた。

 

「人には出会いがあり、別れもある。誰かとずっと一緒にいるなんて事は……きっとないのかもしれない。今も全員が揃うことは滅多にないし、もしかしたら今よりも触れ合う機会も減ってしまうかもしれない。それでも、きっとここで皆と繋がっている。俺はそう思うよ」

 

 プロデューサーは自分の胸を指した。心で繋がっているのだと彼は言いたいのだと春香は理解した。そっと自分の胸に手を当てる。

 言葉を交わし、触れ合うだけがすべてはない。わたしたちはきっとここで繋がっているのだ。

(みんなもそうだといいな)

 少し不安だった。自分だけがそう思っているだけで、実際は違うのではないかと。それでも、彼がそう言うのだから嘘ではないのかもしれない。

 だから、信じよう。

 

「さて。お悩み相談室もおしまいだ。特別に最初で最後の生徒のために一肌脱ぎますか」

「……え、それって」

「ほら、いくぞ」

 

 きっと彼は何かをしようとしているのだろう。それが何かはわからないが、きっと自分が関係していることは間違いない。

 しかし、止めるという選択肢はない。心のどこかでそれを望んでいるからだ。

 

「あ、待ってください!」

 

 春香は零れ落ちそうになっていた涙を拭いながら彼の下へ歩き始めた。今日はクリスマスだ。涙は似合わない。

 

 

 どのくらいの時間が経っていたのだろうか。プロデューサーが社長室から出るとぞろぞろとアイドル達が近づき不満を漏らしていた。

 彼の後ろにいる春香を見て、特に亜美と真美が騒ぎ出した。

 

「もしかして、逢引ですかな!」

「これは思わぬ伏兵ですぞ!」

「ただのお悩み相談室だ。勝手に捏造するんじゃない」

 

 と言っても納得しないであろうとこはわかっていた。それを気にせず、プロデューサーは話を変えた。

 

「ちょっと早いが俺は先に帰るよ。仕事が溜まってるんでな」

 

 非難の声が耳に届く。頬を膨らませている姿は年相応で可愛らしいと彼は思った。ただ、理由は本当なので嘘ではない。

 本来であれば、ここにいることはなく自宅か346で仕事をしているはずだったのだ。急を要するのかと言われれば違うのだが……そこは秘密だ。

 

「そうかね。予定なら年末の紅白で最後だったね」

 

 いつものように後ろで手を組みながら聞きなれた声で高木が言った。

 

「ええ。ただ、直接ここには来ませんけどね。だから、みんなとこうして会うことができるのは今日で最後だ。もしかしたら、どこかの現場で会うかもしれないな」

 

 いざそう言われるとやはり別れは辛いのだろう、彼女達は悲しそうな顔をした。ただ、若干二名はそういう振りをしているように見えるのは気のせいだろう。

 

「じゃあ最後に記念写真を撮りましょう! 折角全員揃っているんですから!」

「おお。それはいいね! 小鳥君、早速準備だ!」

「はい!」

 

 当の本人を余所に高木と小鳥を先頭に話がどんどん進む。全員で撮れるスペースを確保するためにテーブルや荷物を退かす。全員でやるとあっという間に簡単な撮影スペースの出来上がりだ。

(こういう時の行動力は抜群にいいんだもんな)

 数倍良い動きで作業をする姿が目に入る。普段もこれぐらいでやればいいのに。

 呆れてはいるが、らしいと言えばそうだと言わざるを得ない。ここ、765プロダクションらしい光景だ。

 

「さ。プロデューサーは真ん中ですよ! 背が高いから座ってくださいね」

「では、左はわたくしが」

「ちっ、出遅れたの。じゃあ、ミキはこっち!」

 

 左手を貴音に、右手を美希に支配された。両腕から別々の感触が伝わってくる。柔らかいというのは確かだ。違うのは大きさだ。

(しかし、枯れてるのかな。俺……)

 トップアイドルの二人に腕を組まれていながらもプロデューサーは冷静であった。なにせ、いつものことである。腕を組まれることなど日常茶飯事だ。当たり前すぎて反応に困るというのは贅沢な悩みだろうかと彼は思った。

 

「え、じゃあ自分はえーと……。あ、ここに決めたぞ!」

「わたしはこっちにしようかしら」

「なら僕は……」

 

 次々と自分の立ちたいポジションを選ぶ。すでに貴音と美希に拘束されているので振りむくことができないので、誰がどこにいるのかがわからない。

 

「いやあ、なんだかアルバムを撮るような気分だよ。さしあたり私が校長で彼が担当の先生かな!」

 

 そんな光景を高木は何かを懐かしむように言った。確かに、そう言われるとなんだかしっくりくると彼は思った。それでいくなら、自分は別の学校に赴任することになったという感じだろうか。

 

「社長、そんなこと言ってないでちゃんとしてくださいね。……はい、じゃあいくわよ!」

 

 カメラのタイマーをセットし小鳥が急いでこちらに走ってきた。

 シャッターが切るまで少し時間があった。その数秒の間にプロデューサーふと春香に言った言葉を思い出した。

 別れは辛い、と言ったら信じてくれるだろうか。自分も血の通った人間だ。感情だってしっかりしている。だからこそ、

(悪くない一年だった)

 ――シャッターが切られた。じゃあ行くぞとプロデューサーは立ち上がり、置いてあった自分の荷物を手に取って出口まで歩き始め、途中足を止めて振り返った。

 

「最後に俺から言葉を贈ろう。……お前ら、今楽しいか?」

『……ぇ』

「本当に心から楽しいって思えているか? 仕事をするのが当たり前になってそんなことを思わなくなったんじゃないか? 初心にかえるとまでは言わないが、自分が一体どんな時楽しいと思えていたのか思い出してみるといい。それと――」

 

 扉を開けて外に出る。みんなの方を向いて、特に春香を見つめながら、

 

「春香に感謝するんだな。春香が言いださなきゃ、こうして全員が揃う事もなかったんだから。……それじゃあ、またどこかでな」

 

 扉を閉める。あとは春香、お前次第だぞ。

 プロデューサーは自宅に向けて歩きだし、765プロを後にした。きっと、当分ここには来ることはないだろう。だから、ここでの思い出に浸りながら帰ろう。

 一階に降り、外に出る。ふと空を見上げた。雲はなく、星が見えるだけであった。

 残念ながら雪が降ることはなさそうだ。

 

 

 時刻はすでに二十二時半をまわったところだ。

 帰宅したプロデューサーは風呂に入ったあと私用のノートパソコンを起動して仕事をし始めたのはいいが、なんやかんですぐに終わってしまった。

 することもないのでロックグラスにウィスキーを注いで飲んでいた。ビールに飽きたわけではなかったが、たまにはこういうのも悪くはない。

 子供の頃、海外の映画やドラマに出てくる大人がこうしてウィスキーかバーボンだと思われる瓶の蓋をあけて飲んでいるシーンに憧れていた。そのまま飲む豪快なところも好きだったが流石に真似はできない。

 気晴らしにテレビをつけるとまだクリスマスのCMが流れていた。まだ明日もあるし当当然かと彼は思った。年末年始も近いのでそれ関係のCMも多く流れている。

 気晴らしにテレビをつけるとまだクリスマスのCMが流れていた。まだ明日もあるし当然かと彼は思った。年末年始も近いのでそれ関係のCMも多く流れている。

 ふと彼は玄関の方に顔を向けた。

(……帰って来たか)

 雰囲気というか感覚で貴音と美希が帰ってきたのを感じ取った。意外とこれが高確率で当たるのだから馬鹿にはできない。

 たぶんこっちに来るだろうなと思いチェーンロックを外しに行ってリビングに戻る。普段からちゃんとしなければいけないのだろうが、貴音が朝食を作る手前それをするわけにいかないのだと彼は訳のわからない言い訳をしていた。

 それから少しして玄関が開いた。

 

「おかえり」

「ただいまなの」

「ただいまです」

 

 二人はリビングに入るといつものルートを歩きソファーに座るプロデューサーの左右に座る。左が貴音に右が美希。毎度のことだが、これがいつもの光景だ。

 

「あなた様。少しカッコつけて去ろうとしましたね?」

「何のことだ? 俺はただ春香の思いを代弁しただけだ」

「それは本当にありがとうなの」

 

 意外なことにお礼を言われた。別にしてほしいわけではないと思っていたが、どうやら効果はあったようだ。

 美希は続けて言った。

 

「あのあとね、春香が話してくれたの。ハニーが言った事を含めて色々と」

「その様子なら春香の悩みは解消だな。で、実際のところどうなんだ、お前らは」

 

 二人はプロデューサーを間に顔を見わせた。少し申し訳なさそうに貴音が口を開いた。

 

「実を言うと……わたくしも美希もその、あなた様に見てほしい一心でアイドルをしています。お恥ずかしい限りです。でも……」

「結局、自分のことしか考えおりませんでした。みなもいつのまにか仕事ばかりに気が向いていて、みなと過ごす大切さを忘れておりました。春香はそれを分かっていたんですね。だから、今日のことも率先して……」

「ええ。あなた様も言っていたように、始めはみんなでどんな仕事も楽しくやっておりました。互いに励まし合いながら共にトップアイドルを目指すために頑張っていたあの日々は、確かに楽しかったです」

「ごめん。それ、貴音が言うと説得力ないの」

「……なんのことでしょうか」

 

 プロデューサーを間に口論が始まった。彼は今までの会話は静かに聞いていた。どうやら春香の思いはちゃんと皆に伝わったことを感じ取っていた。

 春香もこれで悩むことなくアイドルを続けることができるだろう。もう、大丈夫だとなぜか思えるぐらい安心できた。

 

「たく。騒ぐんじゃない。いい感じに終わると思ったらこれだ!」

 

 怒っているよりも、むしろ嬉しそうにプロデューサーは声をあげた。

 

「そんなことだと春香に主役をとられるぞ?」

「そうですよ。春香に主役をとられてしまえばいいのです」

 

 意地悪な言い方でさりげなく貴音が言った。

 

「問題ないの。ハニーが美希にただ一言『頑張れよ、美希』って言ってくるだけで絶対大丈夫なの!」

「はいはい。頑張れよ」

「もう! 愛を感じないの! ところで、もしミキが主役をとったらご褒美が欲しいな~?」

 

 プロデューサーは小さな溜息をついた。左腕を引っ張られていることに気づき貴音の方に視線を向けると、首を横に振っていた。駄目ですと言っているのだろう。

 人のことを言えないくせに。

 貴音もことあることにご褒美をねだろうとするのだから美希と変わらない。二人して考えることは同じレベルだ。

 

「それはできない」

「えーー!!」

「ほっ」

 

 納得できない美希と安堵する貴音。わかりやすい構図である。

 

「ただ……その、なんだ」

 

 プロデューサーは頬を掻きながら言葉を詰まらせた。彼は立ち上がり、自分の寝室へと向かった。二人はそれを呆然と見ていた。そこだけはこの二人でも立ち入ることが許されない禁断の聖域だったが、プロデューサーの様子が変だと思ったのか見ている事しかできなかった。

 そしてすぐに戻ると二人の前に立ち、

 

「さっきは皆がいる手前ああ言ったが、そのプレゼントは用意してた」

 

 彼は両手で小さな箱を二人に差し出した。二人は受け取り、開けてもいいかと聞くと彼は静かに頷いた。

 箱を開けるとそこには一個のリングがあった。形はシンプルで星のデザインをしたものだった。星のあとに続くようにキラキラと光っているのはダイヤモンドだ。流れ星をイメージしているようにも見える。

 二人のイメージカラーを意識しているのか貴音がシルバーで美希がゴールドだ。

 二人共目を光らせてリングを見ている。とても嬉しいのだろう。

 

「まだ未成年だしそんな大層な物よりファッションとかに使える物を選んだんだが……」

「あなた様。その、これを本当に頂いてもよろしいのですか?」

「そ、そうなの。別にこういう物じゃなくてもいいんだよ?」

 

 二人は今更だと思いながら言った。貴音に美希も誕生日に高そうな(実際に高いのだが)プレゼントを貰っている。それは仕事以外では毎日身に着けている。最近というより、今後彼がいないと思うと、それが彼の代わりにように思えてきてもいた。

 つまり、これだけも充分なのだ。今のように求めているのは彼に構ってほしいからきた行動だ。

 

「まあ、あれだ。お前達との縁は切っても切れそうにないし、長い付き合いになるんだから、えーと」

 

 珍しく動揺しているプロデューサーに二人は苦笑していた。その先の言葉を聞きたいのかじっと待っている。

 彼も二人の表情からそれは見てとれた。だからこそ、余計に恥ずかしかった。自分のキャラじゃないと思いつつも、ここまで来たら言うしかない。

 すー、はー。

 よし。言ってやる。

 

「貴音、それに美希。……これからもよろしく頼む」

 

 二人は笑みを浮かべて交互に、

 

「こちらこそ」

「よろしくしますなの」

「わたくしの」

「ミキの」

 

 声を揃えながら満面の笑みを浮かべて呼んだ。

 

『プロデューサー!』

 

 

 

 

 

 




お待たせしまた。仕事が忙しくかなり時間がかかりました。

最初に補足で、アニマスだとたぶんクリスマス当日にミュージカルの話を聞いているのですが、本作ではちょっと前に聞いていて打ち合わせ等はしている感じです。
あと本編で社長が美希にいったなんとか賞(忘れちゃった)は貴音になってます。しょうがないね。

今回はかなり詰め込んだので苦労しました。美希のライバルが貴音になっているので、アニマスのようになりません。よって、赤羽根Pが落ちることもありません。個人的には予告が辛いんですよね、あの話。

自分でも言うのもなんですが最後の展開からみると、たぶん765編の最終回だと思っています。ただ、自分的には次回が最終回のはずなんですけど……。
アニマスでもあったように後日談のように近い感じになるので、次回はエピローグといったような感じになるのでしょうかね。
前回も含め、シンデレラのキャラが登場し始めました。今回はクリスマスということであの子を出しました。そして、次は年明け。ということは……?

初期の段階から思っていて、プロデューサーがアイドルを攻略しているのではなくてアイドルがプロデューサーを攻略している感じになってると思ってます。プロデューサーが行うのはただ親愛度をあげているだけで、MAXになったアイドルがプロデューサーに好意を抱いて彼を振り向かせる……そんな感じですね。

上でも言ってますが次で765編は最後のはずです。今回みたいに時間がかかると思いますが気長に待っていただけると幸いです。それが終わり次第、デレマス編の前日譚というよりスカウト編及び765側の幕間を考えています。
では、また次回で。





PS. 最後にあの場所にいたのは三人だけではない……。




11/5 最後のある所を修正

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