二〇一三年 十月某日 765プロ
「一時はどうなるかと思ったぞ~」
「よしよし」
「よしよしなの」
貴音に抱き着きながら響は彼女の胸に泣きついていた。そんな響を子供をなだめるように、貴音と美希が彼女の頭を撫でていた。響の肩に乗っていたハム蔵も彼女の頬をぺたぺたと撫でていた。今では新しく結成されたユニット「フェアリー」としても活動している三人。
個々による仕事が増えている中、ユニットでの仕事も同時に増えていた。普段全員揃う事がない今。こうして三人が揃って一緒に仕事ができるだけでも本人達にとってとても嬉しいことだった。
そんな仲睦まじい三人を仕事をしながら見ていた小鳥と赤羽根。二人は仲が良い三人を微笑ましくみていたが、同時に深刻な問題を抱えていた。それは目の前にいる響本人にも関係していた。それは961プロからの妨害行為であった。
昨日、響が出演する番組収録が行われた。響は収録現場にスタッフが運転する車に乗り現場へと向かっていた。道中、運転手であるスタッフがやけに落ち着きがないなと響は感じていた。不審に思う中、車が止まり外に出た響は聞いていた現場と違うことに気付いた。そのことをスタッフに聞く前に車が急発進し、響を置き去りにしたのだ。響が車を追いかけようとしたその瞬間。足元の地面が崩れ崖に落ちてしまった。そこの道路はコンクリートで舗装はされていたが、ガードレールなどはない。一歩間違えば事故が起きるような場所だった。そこに運悪く響は落ちてしまった。幸いにも落ちた所から数メートル下にでっぱりがあり助かった。土が崩れやすく登れないとわかると不安になった響だったが、ハム蔵がなんとか脱出。ハム蔵はその小さな体で遠く離れた事務所までたどり着き、響が助けを求めていることを伝えたのだ。
そして、無事に響は救出され収録もなんとかできたのだ。
「ハム蔵、本当にありがとう」
「ちゅ!」
「赤羽根Pもありがとう」
「いいんだよ。それに、気付けなかった俺にも責任はあったし」
悔しそうに赤羽根は言った。響に同行していたのは赤羽根だった。今回の件に関しては自分が気付いていたら、そう何度も念仏のように唱えていた。それでも、赤羽根が近くに居たからこそすぐに救出できたのも確かであった。
(黒井社長。俺が思っていた人とは違うのか……?)
赤羽根は思っていた人物とは違うことに悩んでいた。
あの日のことを思い出す。あの時、響が間に合わなかった場合に備えてジュピターが備えていた。そこには黒井も来ており、そこで初めて赤羽根とは黒井と対面した。赤羽根は響の代弁をするかのように黒井に抗議した。
「黒井社長。今回、一歩間違えば大変なことになっていました! 命の危険性もあった。そうまでしてあなたは勝ちたいんですか!」
そう。一歩間違えば響が崖から落ちて死んでいたかもしれないのだ。今話題のアイドルがそういった事になってしまえば大きなニュースとなる。そうなればいくら強い影響力を持っている黒井ですら、自らが世間の標的となる。そんなミスを犯すとは燃えない。黒井とは初めて会った赤羽根だったが。一目で高木やプロデューサーが、彼が有能だと言っていた言葉の意味を理解した。覇気というかオーラが違う。そんなようなものを赤羽根は感じた。
黒井は赤羽根に言われて顔には出さなかった内心困惑していた。
命の危険? 何を言っているのだ、こいつは、と黒井は赤羽根に言われて考えていた。命令したのは我那覇響を現場から離れたところに置き去りにしろ。そう伝えたはずだった。
目の前にいる男は嘘をつくような男ではないと赤羽根を観察して判断した。となると、目の前のこいつが言うように何かトラブルが起きたということになる。
事情を知らない黒井からすれば、そこまでしか考えつかなかった。
「何か言ったらどうなんですか!」
赤羽根は無言を貫く黒井に対して怒りをあらわにしていた。例え大手事務所の社長だろうと、自分の担当するアイドルが危険な目にあったのだ。平静を装いながらできるとほど赤羽根は器用な男ではなかった。だからこそ、彼らしいとも言えた。
「……ふん。新米が調子に乗るな。教育がなっていないな」
「あなたは――ッ!!」
「出せ」
「わかりました」
黒井に指示
をされて運転手はアクセルを踏んだ。赤羽根にはそれが逃げたように思えた。叫ぶ中、動く車を追いかけようとする赤羽根は最後に見えた黒井の顔に驚き、その足を止めた。
(黒井社長のあの顔はまるで……)
だがすぐにその考えは違うなと思いを赤羽根は首を振った。今でもあの顔は脳裏に焼き付いている。けれど、あの黒井社長がそんな人間のはずないとそう思っていた。
「にしても、これで何回目でしたっけ」
小鳥に声を掛けられてハッと我に返る赤羽根。
「そ、そうですね。俺も数えてないです」
「響ちゃんの前は確か……ライブの妨害でしたよね?」
「はい。音響を担当するスタッフに色々と指示を出していたみたいです。でも、先輩もいたんですぐに解決しました」
「その前は番組出演が急遽キャンセルとか」
「その前の前は、嘘の仕事を流したりと。もうたくさんですよ」
自分にとっても、アイドルにとってもこんなのはもうごめんだと言わんばかりに赤羽根は言った。わたしもですよ、小鳥も同意した。
あの「テレビチャン」の一件以来、961プロの妨害が始まった。小さいものか大きなことまで。特にアイドル自身が危険な目にあったのは響が初だった。こういった事が起きてからというもの、765プロは受け身ばかりをとり続けていた。961プロが何か仕掛けてきてからの対応ばかり。その態度に再び伊織がプロデューサーに怒鳴ったが結局誤魔化された。
――今はこれといって被害がでているわけじゃない。結果はこれだが、表紙にも載っている。お前達にこんなことを言うのは最低な事だと思う。我慢しろとは言わない。でも、もう少し耐えてくれ。俺がお前達を護る。だから、少しだけ待っていてほしい。
あの日。事務所を出て行ったプロデューサーが戻ってきて皆に言った言葉だ。しかし、実際にプロデューサーが取った行動は先に言った通りであった。だが、実際に響が危険な目にあう出来事が起きてしまった。今まで約束を守ってきた男は、初めて約束を破ってしまったのだ。
「そう言えば貴音ちゃん。プロデューサーさんはどうしたの?」
「あの人でしたら少し出てくるから、そう言ってどこかへ行ってしまわれました」
「うぅ。プロデューサーは約束を破ったぞ。やっぱり、スパイだったんだ……」
彼女達の中で唯一直接的な被害を受けた響はプロデューサーのことが信じられなくなっていた。約束を破ったことが一番の原因だった。
自分に抱き着いている響に貴音は、彼を弁護するように彼女に聞かせた。
「それは違いますよ、響」
「どうして」
「あの人は……プロデューサーは響がそういった事に遭ったと聞いて酷く自分を責めていました。」
「うんうん。あんなハニーはミキも初めて見たの」
貴音を援護するように美希も後ろから響に言った。
「最低だ、糞野郎だとか色んな言葉で自分に罵声を浴びせていたの」
「プロデューサーが最低なのは今に始まったことではないぞ……」
美希を見ながら響は言った。それに対して美希は目を泳がせながら、あははと声をあげていた。
「響。あの人を信用、信頼しろとは言いません。ですが、あの人は絶対にわたくしたちを裏切ったりはしません。それだけは、信じてください」
「ミキからもお願い。ハニーのこと信じてあげて」
「……別にそこまで言ってないぞ。ただ……ちょっとナイーブになっただけだ」
ありがとう、二人は声を揃えて感謝の言葉を送った。三人のやり取りを見ていた小鳥と赤羽根。やけに二人がプロデューサーのことを詳しく言っているのに疑問を感じた。小鳥は二人についつい聞いてしまった。
「ところで。なんで二人ともそんなにプロデューサーさんがそんなことになっているのを知っているの?」
「やけに詳しいですよね。先輩って誰かに弱音とか吐かないタイプだと思うんですけど」
「いくら担当である貴音ちゃんと言えど、そこまで言わないと思うのよね……」
「美希も貴音と一緒に聞いたような口ぶりだし……」
『怪しい』
ビクッと貴音と美希は身体を震わせ、額に汗が流れる。言える訳がない。プロデューサーの部屋に入ったら一人でヤケ酒をし始め、二人が来たことに気付かず永遠と自分を責めていたところを目撃したのだと。美希に至っては週に三日、多くて四日は貴音の自宅に泊まることが増え、今回貴音と一緒に偶然目撃してしまったのだ。
「わ、わたくたちには弱音を見せるのですよ。ね、美希」
「そ、そうなのー。ミキ達はみんなと違ってハニーと特別な関係なの」
二人は声を震わせながら答えた。顔の表情から納得してないということは二人にもわかった。小鳥と赤羽根の二人は気になるがそれ以上のことは追及してこなかった。だが、貴音と美希の間にいる響が寂しそうに言った。
「最近、自分だけ仲間外れにされている気がするぞ」
「そんなことありませんよ、響!」
「そうなの。響はミキ達にとって大事な仲間なの!」
二人の言葉は素直に嬉しいと思った響であったが。ここ最近、フェアリーで活動する時が、それを一番に感じていると言った。二人は「それは……その」、「素直にごめんなの」と謝った。二人がプロデューサーにベッタリと言う事は響も当然のごとくわかっている。だからこそ、自分が邪魔な存在なのではないかと思ってしまったのだ。しかし、そんな二人に対してプロデューサーは響に逃げていることを三人は自覚していなかった。自覚はしてないが、勘や洞察力に優れている二人だ。最近の響がやけにプロデューサーと話している時が多いことに気付いていた。
「でも、響だってプロデューサーといっぱい話しているの」
「そ、それは仕事とかレッスンのことで相談しているだけだし」
「本当ですか?」
「本当だぞ!」
「本当に本当なの~?」
「本当に本当だってば!」
自分がからかわれている事に気付かない響。そんな響がかわいいのか、貴音と美希はついつい弄ってしまう。
小鳥もそれに気付いたのか、本人には聞こえない声で赤羽根に言った。
「響ちゃん、からかわれていることに気付いてないですね。そこがかわいいんですけど」
「いつもの感じに戻って一安心ですよ。俺は」
「ふふ。そうですね……あっ」
小鳥はある事を思い出し、自分のスケジュール手帳とホワイトボードにあるアイドル達のスケジュールを見合わせながら赤羽根に聞いた。
「赤羽根さん。明日のスケジュールはちゃんと調整できました?」
「ええ。社長にも言われたので律子と調整しましたよ。終わる時間はバラバラですが言われた時間には全員揃いますよ」
赤羽根は先日、高木からの指示で明日の二十時ごろまでにアイドル達の仕事を終わらせておくようにと言われたのだ。時間的に問題はなかったのだが、アイドルによっては時間が作れない場合もある。そのため、高木は前もって支持を出したのだ。
「先輩に至っては、聞いた時に既に終わってるんですから。頭が上がりませんでしたよ」
「プロデューサーさんは知ってましたからね」
「にしても。明日は何かあるんですか?」
高木やプロデューサーに聞いても二人揃って「当日になればわかる」と返された。小鳥の要をみると、彼女も知っているのかと赤羽根は気付いた。
「明日になればわかりますよ」
先の二人と同じように結局はぐらかされてしまった。
しかし、二人と違って小鳥はやけに嬉しそうだ。赤羽根は笑顔を浮かべている小鳥を見てそう思った。
そんな彼女を見ていると、明日が楽しみだ。そう思っている自分がいるのだった。
同時刻 961プロダクション 正面前
プロデューサーは今、かつての職場の前まで来ていた。ここは通い慣れた道だ。彼は迷うことなく、自分の記憶と照らし合わせながら歩いてここまで来た。口には出せないが、765プロと違って人の出入りが多い。961プロはアイドルだけではなく多くの事業を展開している。当然だと言えば当然だった。
今日、プロデューサーがここに来たのは先の響の件で直接黒井と話すためである。本音を言えばそれは建前だった。今日で終わりにしよう、そう思ってプロデューサーはやってきたのだ。自分の甘さでアイドルを危険な目に遭わせてしまった。それが特にプロデューサーに大きな精神的なダメージを与えた。今まで961プロからの妨害に対して受け身的な行動をしてきたのは、黒井と違って本気で戦う気など毛頭なかったのである。黒井に対して何をしても無駄だとわかってもらえれば、諦めてくれればそれでよかった。だがその前にアイドルが傷ついてしまった。
だから、責任を取らなければいけない。彼女達を裏切ってしまった。そう自分に言い聞かせる。
「さて。いくか」
ビルの前で立ち止まっていた足を再び動かす。自動ドアを抜けるとそこは広い空間が広がっていた。外に比べ、中には多くの人間がいた。プロデューサーはその光景を懐かしみながらも受付カウンターまで歩く。正面の入口から真っ直ぐだ。眼を瞑っても歩いて行ける。
プロデューサーは受付に座る二人の女性社員を見た。自分の知らない人間だったがそれも当然かと納得した。ここを去ってから自分の知らない社員がいるのは当然だし、人事移動だってある。変わらないのは建物ぐらいか。そう思いながらプロデューサーは受付の一人に声を掛けた。
「すみません。少しいいですか」
「はい。なんでしょうか」
「黒井社長はいらっしゃいますか?」
「黒井社長ですね。はい、おりますが……本日は誰かと会うと言ったお話は聞いておりません。アポイントは取られているのでしょうか?」
「いや、取っていない。765プロのプロデューサーが来たと言えばわかるから、伝えてほしいんだが」
「そうは申されましても……」
プロデューサーを対応していた彼女は隣に座っていた先輩に助けを求めた。彼女は首を振りながらそれに応えた。
「アポイントを取られてからもう一度お越しください」
「頼むよ。そう言ってくれればすぐに話は通るから。なんだったら――」
プロデューサーは自分が覚えている限りの961の社員の名前をあげて伝えた。ただ、逆にそれが不振がられたのか警備員を呼びますよと通告されてしまう。
頭を抱える。やはり、居なかった時間で自分のことも知らない社員が多いことは覚悟していたが、ここまで話が通じないのは痛恨のミスであった。
諦めかけていたその時。プロデューサーの後ろから昔の呼び名で彼を呼ぶ女性が現れた。
「あれ、見習い君?」
「……赤坂さん?」
呼ばれて振り向くとそこにはかつての仲間である赤坂智恵が立っていた。セミロングの髪型でおっとりとした顔。彼女は自分で美人だと言いふらしていたことを真っ先に思い出す。しかし、スタイルはアイドル顔負けで、あながち間違いではない。赤坂は961プロを起業した際に事務員として雇った一人であった。自分より4歳年上であり。間違っていなければ今年で30半ばぐらいのはずだ。
「赤坂さんじゃないですか! お久しぶりですね!」
プロデューサーは久しぶりにあった赤坂に嬉しそうに名前を呼びながら近づいた。赤坂も嬉しいのか近づいてくる。二人は握手をした。相当嬉しいのか、赤坂はぶんぶんと腕を振る。それを見てプロデューサーは思い出した。
「相変わらず元気ですね」
「当然。それが取り柄だしね!」
「にしても……」
「老けたって言ったらぶっ飛ばす」
「大人の魅力が増しましたね!」
「よろしい」
こういう女性だったとプロデューサーは再確認した。そのおっとしとした顔からは想像でいないぐらいに活発な女性である。言うなれば姉御と呼ばれるのがしっくりくる女性だろうとプロデューサーは常々思っていた。
「で、どうしたの。まさか、再就職しに来たわけじゃないんでしょ?」
赤坂はプロデューサーがここに来ること自体がおかしいと気付いたので聞いた。
「ええ。黒井さんに会いに」
「珍しいというか、もう二度と来ないかと思ったわよ。仕事の話かしら?」
「そんなとろこです」
「状況が察するにアポ取ってないんでしょ。どうせ、顔パスできると思って」
「その通り」
赤坂はこう見えて洞察力に優れている。伊達に黒井が入社を認めるだけの才能は持っていた。
「わかった。ちょっと待ってて」
赤坂はそう言うと受付まで歩き、先程プロデューサーが話していた女性と話を始めた。話はすぐに終わり戻ってきた。
「OKよ。じゃ、行きましょうか」
赤坂に付いてき、エレベーターの前まで歩く。ボタンを押すと、タイミングがよかったのか一階までやってきてすぐに乗り込むことができた。赤坂が社長室のある階のボタンを押して、扉を閉めた。そして静かにエレベーターは上へと上がる。
ふと、プロデューサーは赤坂の変化に気付いた。それは左手の薬指にある指輪だった。プロデューサーは予想はついていたが本人に聞いた。
「赤坂さん。結婚したんですか」
「ん? ああ、そうなの。ちなみに今は赤坂じゃなくて黒崎ね」
「黒崎って」
「ホント、わたしって黒に縁があるわ」
「それもそうですね」
「ま、赤坂でいいわよ。会社ではそっちで通ってるし。ところでキミはいないの。恋人とか」
赤坂はプロデューサーの方を向いて言った。その顔はどこか面白がっているようにも見える。
「いませんよ」
「あら即答。意外だわ」
「どうしてそう思うんです?」
「だって……」
そう言うと赤坂はプロデューサーに密着するぐらいまで近寄った。すんすんとプロデューサーの匂いを嗅ぐ。女としてそれはどうだろうとプロデューサーは声に出さず思った。言ったら拳が飛んでくるに違いない。
「女性の匂いがかなりするから。同棲しているかと思ったのよ」
どうして女というのはこうも鋭いのだ。プロデューサーは焦りつつもそれを顔には出さなかった。貴音に美希もそうだが、こういう事に関しては一歩も二歩も自分の予想を上回る行動をするのかと疑問を抱いた。
「まあ、見習い君もそれなりの年なんだし。結婚も考えておいた方がいいわよ」
「頭の隅には留めておきます」
「こいつぅ、相変わらず生意気ね!」
ていッと言いながらプロデューサーの胸に拳を振るう。痛みはない。そういう振りをしているだけだ。これも懐かしいやり取りだなとプロデューサーは思い出した。
そんな事をしていると、チンとエレベーターが着いた音が鳴る。二人はエレベーターから出る。ここからは赤坂の案内がなくともプロデューサーのわかる所であった。二人は並びながら社長室の前まで歩く。
赤坂が扉前でプロデューサーの方に振り向いて確かめた。
「じゃ、いくわよ」
「頼みます」
「赤坂です。失礼します」
赤坂はいつものように三回ノックをしてから一言言って入室した。黒井は赤坂を直接見ずになんだと淡々と答えた。
「お客様をお連れしました」
「客だと? そんな話は聞いていないぞ。一体どこの誰だ」
「社長も知っている子ですよ……いいわよ」
「……どうも」
「……」
赤坂に呼ばれてプロデューサーも部屋に入る。黒井は特に驚いた素振りはしなかった。むしろ、待っているかのようだった。
「赤坂しばらく誰も通すな」
「ジュピターもですか?」
「そうだ」
「わかりました」
一礼して赤坂は退室した。プロデューサーとすれ違う瞬間「頑張って」と小さな声で応援した。
扉が閉まり、残された二人。プロデューサーゆっくりと黒井の前へと歩く。同時に黒井も喋り始めた。
「遅かったな」
「そうですか?」
「ああ。もっと早く来るかと思っていた」
「あなたの予想を外したのであればそれは嬉しいですけどね」
「ぬかせ」
苦笑しつつもプロデューサーは黒井が座る前へと立った。机を挟んでも互いの視線が交差する。いつもと違って弱弱しい声で黒井は言った。
「私を……潰すのではなかったのか。あの日。お前が私にそう言ったはずだ」
あの運動会の日。二人は再開し、プロデューサーが黒井に言った言葉だった。
「何故、お前は何もしない。やろうとすればできたはずだ」
「そう、ですね」
黒井の言う通り、プロデューサーはやろうと思えば彼と同じようなことができた。しかし、それはしなかった。黒井は続けた。
「今日、お前がここに来たのは我那覇響の件だろう。アレは偶然だ。命令したのは我那覇響を現場がから遠ざけろ。それだけだ」
「わかっていますよ。偶然、そう偶然あんなことが起きてしまった」
「だが、結果で言えばお前の言ったアイドルを傷つけたことになる。違うか?」
プロデューサーは顔を横に振りながら言った。
「それは俺もです。俺はあの子達に護ると約束した。なのに破ってしまった。俺はプロデューサー失格です」
「そうだとしても、お前に責はない。悪いのは私だ。すまなかった」
黒井から謝罪の言葉が出たことにプロデューサーは驚いた。目の前にいるこの男から謝罪の言葉が出るなど、まして聞いたこともなかったからだ。だからこそ、プロデューサーは、
「やめてれくれ! あなたからすまなかったなんて言葉聞きたくない! いつもように見下しながらそれがどうしたと言えばいい!」
プロデューサーは感情的になっていた。自分をここまで育ててくれた恩師の一人。尊敬している男がすまなかった、そう言ったのだ。プロデューサーからしたら聞きたくない言葉であった。
「私とて大人だ。自分が犯したことについては理解している。だから……謝った」
プロデューサーは困惑していた。自分自身もそうだし、何よりも目の前にいる黒井がこんなことを言うとは思ってもいなかったからだ。
プロデューサーは唇を噛み、両手を強く拳を握り震わせていた。黒井もプロデューサーの状態には気付いていた。
「……お前はあの時順一朗への宣戦布告、そう言ったな」
「……ええ」
いきなり話が変わったがプロデューサーはそれに答えた。
「お前の言う通りそれも理由の一つだ。だが、本当のところは違う」
「どういうことですか」
「……成長したお前とやり合いたかったという好奇心もある。だが、本当の所は……未練だ」
黒井は机の引き出しから一枚の写真を撮りだした。そこには五人の人物が写っていた。順一朗に順二朗。若き頃のプロデューサーとアイドル時代の小鳥、そして黒井。黒井は昔のことを思い出しながら語った。
「あいつらと別れたあの日。お前が私と一緒に来たとき……嬉しかった。何故か、そう思った。ゼロからのスタートだった。一人でも絶対にできるという自信があった。それでも、お前がいることでそれが強固になった。色んなことがあったが充実した日々だった……」
「ええ。多くのことを体験しました。だからこそ、今の俺があります。あなたのおかげです」
プロデューサーも黒井と共に昔のことを思い出した。始めは雑用みたいな仕事だった。フリーの人間が簡単に仕事を貰えるはずがなかった。それでも、黒井のビジネスセンスは流石だった。気付けばすぐに事務所を構えていた。そして、数年で今のような大きなビルにまで事務所は発展した。自分に関しても多くの仕事を回してもらったし、交友関係も築くことができた。汚い仕事もしたが、今となればそれがアイドルのためにもなった。もちろん綺麗な、良い仕事だってした。スタッフと意気投合できたときは楽しかったと記憶している。それにハリウッドへ研修に行かしてもった。多くの事を学ばしてもらった黒井には感謝しきれないとプロデューサーは今でも思っている。
「だが、そんな私でも人生の中で二つ成しえなかったことがある。一つは音無小鳥をトップアイドルへと導けなかったこと。二つ、それはお前を……私の傍に留めておくことができなかったことだ。それが、私にとっての未練でもあり後悔でもあった」
「……」
プロデューサーは何も言わなかった。いや、言えなかった。前者についてはプロデューサー自身も辛い程わかっている。プロデューサーだけではなく、五人全員が同じ思いだったと思っている。後者に関しては薄々わかってはいた。
黒井という男は王のような人間である。自分にはそれだけの器があると思っているし、それができると自負している。だからこそ、彼の城はここまで大きなっている。
王は孤独だと誰かが言った。だが、黒井は孤独ではなかった。それはプロデューサーがいたからだ。プロデューサーの存在は黒井にとってなくてはならない存在だった。それに故に、プロデューサーがいなくなってしまったことで黒井は孤独になった。
黒井は失って初めて気付いたのだ。それが黒井の中で一番の……未練だった。
「だからなのだろうな。765プロにいや、お前に対して私は妨害をしていた。傍から見れば子供の嫌がらせと同じレベルだ。我ながら小さい人間だと思った。しかし、そんな子供レベルの嫌がらせもお前は全部退けた」
「俺はただ無意味だと知ってほしかった。何をしても無駄だと。諦めてくれればそれでよかった。その甘さがアイドルを危険に晒してしまった」
「すべては無駄だと言う事は始めからわかっていた。だが、認めたくない。いや、お前には負けたくない。これは……意地だ。961プロの社長としてではなく、一人のプロデューサーとしてのな」
「だったらもっとちゃんとした方法があった! そのためのアイドルで、ジュピターじゃないんですか!」
「知っているだろう。私はそれしか知らん」
嘘だ、そう言いたかった。黒井が見せる悲しい表情を見てプロデューサーはそれを言うことができなかった。
やり方はどうであれ、黒井はプロデューサーとしても優秀な男だった。しかし、手段を選ばない男でもあった。間近で見続けていたプロデューサーはそれを理解していた。そして、彼自身もそれを濃く受け継いでいた。
「お前は私に似ている。いや、そういった部分が私に似すぎている。だが、アイドルとして傍にいるお前は順一朗に似ている。お前は堕ちるとこには堕ちていない。私と違ってな」
今まで暗い顔をしていた黒井だったが、この時だけはどこか嬉しそうに語っていた。
「忘れたんですか。俺は、あなた達の一番弟子ですよ」
「ふん。そうだったな」
鼻で笑いつつも黒井は笑顔であった。黒井を知っている人間が今の彼を見たらこういうだろう。ここまで笑顔が似合わない男はいないと。常に悪い笑みしか浮かべない男がこうなれば当然でもある。
「見習いが何時の間にか一人前になっているのだから、私も歳をとったな」
黒井は椅子から立ち上がり真っ直ぐプロデューサーを見た。
「後日、我那覇響に直接謝罪をする。ケジメはつけんとな」
「でしたら明日の夜はどうですか」
「明日? 何かあるのか」
「ええ。とびっきりの良いことがありますよ」
ニヤリと口角をあげてプロデューサーは言った。その悪い笑みは黒井に似ているようだ。
「わかった。時間を空けておこう」
「ありがとうございます。場所はあのBARですから」
「なに。それはどういう……」
黒井が何かを言いかけようとしたその時、コンコンと扉をノックして退室した赤坂がお盆にマグカップを載せて能天気な声でやってきた。タイミングがいいのか、それとも空気を読んでやってきたのかはわからないが。はっきりと言えるのは赤坂は確信犯であるということだ。
「は~い。コーヒーお待ちどう!」
『……』
プロデューサーと黒井は二人して怖い目つきで赤坂を見た。当の本人はそんなの気付いていないような振る舞いをしながら、黒井の机の前にあるテーブルの上に置いた。
赤坂のせいで毒気が抜かれたのか、二人は溜息をつきながらソファーに腰かける。
(すげーふかふか。前のよりいいんじゃないか。これ)
プロデューサーは座るとソファーの感触を体で感じ取っていた。765プロの事務所にあるものとは比べ物にならない。こういう所に事務所の力の差を感じたが、それを口に出すことはなかった。
カップを手に取ると赤坂が隣に座りプロデューサーに言った。
「とりあえず、前と同じ感じに淹れて見たんだけど」
昔と言うのは961プロに居た時のコーヒーに入れるミルクと砂糖の分量のことだ。今のプロデューサーはブラック党であるが、昔はブラックでは飲めずにいた。なので、自分なりに調節したのだ。
(甘い……)
一口飲んでみたが結果は甘かった。だが、この甘さがやけに懐かしく思えた。いつだったかとプロデューサーは思い出す。ブラックを呑めるようになった時に「ブラックで飲める男ってカッコイイよな」なんて恥ずかしい台詞を吐いたことがあったなと思いだしくもないことを思い出した。
「ちなみに私。事務員兼社長のお茶汲み係なのよ」
赤坂はプロデューサーの耳元で呟いた。ただの事務員がえらく出世したなとプロデューサーはコーヒーを飲みながら思ったが、そもそもこの人に秘書は必要ないなと再確認した。
「ところで、見習い君はいま何をしているのかしら」
「言おうと思ってましたけど……見習い君ってもうやめません?」
「あら。私にとっては、見習い君は見習い君よ。ね、社長」
「お前の好きにすればいいだろ」
赤坂が黒井に話を振ったが相変わらずの素気なさだった。
「じゃあ見習い君でいいわよね」
「勝手にしてください」
「で。質問の答えは?」
「そうですね……」
現在のことや、昔のことを話しながら三人は久しぶりの時間を得た。数年ぶりに味合うこの雰囲気にプロデューサーは懐かしかった。実家に帰った時の安心感に近いような感じだ。そんな空気を味合いながらプロデューサーはコーヒーを少しずつ飲んでいた。飲み終わったら帰ろうと思いつつも、つい時間を割いてしまった。
そのあと、プロデューサーは赤坂と共に社長室をあとにした。赤坂とは途中で別れ、一人で一階まで降りた。すると、正面から黒い服がトレードマークと言うべき三人の男性三人がこちらにやってきた。向こうもプロデューサーに気付いたらしく驚いた顔をしていた。プロデューサーはそんなことを気にせず彼らの前まで歩いた。天ケ瀬達はその行動が意外だったのか少し動揺しているようにも見えた。
「確か……ジュピターの天ケ瀬君、伊集院君に御手洗君・・・だったね」
「そ、そうだけど。アンタは765プロのプロデューサーだったよな? なんでここにいるんだよ」
「と、冬馬。もうちょっと言い方が……」
「すみません。こういう子なんです」
やや喧嘩腰の冬馬をなだめる翔太と詫びを入れる北斗。プロデューサーは構わんよと彼の態度を受け入れた。
「ほとんど初対面な俺が言うのはお門違いかもしれないが聞いてもらえるかな」
「なんだよ」
「黒井社長に色々思う事もあると思うんだろうけどさ。もうちょっとだけ付き合ってもらえないか? あの人に付いていけないと判断したのならそれはそれで構わない。だけど、それまではあの人の……961プロのアイドルとしてやっていてほしい」
三人は互いに顔を見合わせた。冬馬が頭に手をやり、髪を軽くくしゃくしゃと弄って照れくさそうに言った。
「黒井のおっさんにはまあ……感謝してる。アイドルとして見出してくれて、ジュピターとして活動している今がすっげー充実しているしよ。おっさんが汚いことをしている事は俺達も知っている。けどよ、それでも俺達は本気でアイドルとして仕事してきたつもりだぜ。な、二人もそうだろ?」
「うんうん」
「そうそう」
「そうか」
その返事を聞けてプロデューサーは満足そうに答えた。
「だからアンタのところのアイドルにも言っておけよ。それでも俺達が勝つってな」
「……」
プロデューサーはポンと冬馬の肩を叩き歩いて行った。そのまま振り返らず歩きながら手をあげて言った。
「忘れなきゃ伝えとくよ」
「そこは伝えろよ!」
ついツッコミを入れてしまった冬馬。たくよ、と悪態を着く冬馬に北斗が言う。
「今更だけど」
「なんだよ、北斗」
「男性アイドルと女性アイドルが競い合うって……おかしいよね」
「言うな。カッコつけたのに自分が恥ずかしくなる」
男と女のアイドルではファン層が違うのだから当然であった。翔太は二人の間であははと笑っていた。
翌日 夜
時刻は既に二十時半を回っていた。社長に言われた通りアイドル達全員の仕事が終わり次第ある場所へとプロデューサーの案内で向かっていた。その社長は小鳥と一緒に先に現地へと向かっていた。
赤羽根と律子は何が行われるかは聞いていないので、アイドル達の質問に答えることはできてはいなかった。道中何度もアイドル達から質問を受けたプロデューサーは「いい所だ」と答えるだけであった。
最初はあれこれ考えていた彼女達であったが、こうして全員で夜の街を歩いて移動するのは滅多にないのでこの状況を各々楽しんでいた。ちなみに未成年者にはちゃんと親から許可を貰っていた。
律子と違って赤羽根はそれなりに夜の街に繰り出したことのある男である。優男ではるがへたれではない。キャバクラにだっていった経験はある。大人のお店は内緒だ。なので、今歩いている道はそれなりにこういう場所かと感覚的にわかっていた。事務所からしばらく歩いてプロデューサーが「さ、着いたぞ」と言った。看板にはお店の名前と思わしくものが英語で書かれていた。赤羽根は誰よりも真っ先にプロデューサーに言った。
「先輩。ここってBARじゃないですか!」
「どちらかと言うとジャズバーだけどな」
赤羽根が声をあげるのも当然である。自分やあずさならわかるが、他の子達は未成年である。こんな場所に連れてきてどうするのかと。だが、プロデューサーは真面目に答えた
「そうだが」
「そうだがって……」
「なに、今日は貸切だし問題ない。さ、いくぞ」
プロデューサーの後に続きながら特に亜美や真美が反応した。
「おぉ~。ここがバーというやつですな」
「真美たちも一歩大人の階段を上ってしまいますな!」
二人に続いて真や雪歩も反応した。
「BARってドラマとかでよく見るけどちょっと憧れるなあ」
「なんていうか、静かで落ち着いた雰囲気あるよね」
「あ、それ私もわかる!」
「萩原さんがいったけど、そういった雰囲気で歌ってみるのも悪くないわね」
意外と千早がそういったことを発言したことに春香は驚いていた。お酒を飲んだことがあるのはあずさのみで、それ以外の子達はお酒の代わりに雰囲気を味わっていた。
そんな中。列の一番後ろにいた貴音と美希は自分の世界を作っていた。
(わたくしはどちらかと言えば、家で一緒に晩酌をしたり、してあげたりのがいいですね)
(んーミキはこういう所で飲むのはアリかな?)
((で、酔った勢いで体に寄り掛かってそのまま……))
正反対の二人であるが似た者同士であった。
店内に入るとすでに順二朗がカウンターで座って待っていた。その隣には記者の善澤もいた。
プロデューサー達に気付くと待っていたとよ声をかけながらこちらにやってきた。
「まあ、見ての通りのバーだ。申し訳ないがアイドル諸君たちにはジュースで我慢をしてもらうよ」
「それはいいけど社長? わたしたちをここに呼んでおいて、一体何をするのかしら?」
「もう少しで始まるよ。席に座って待っていたまえ。あ、そうだ。赤羽根君とあずさ君は飲んでも構わんよ」
「いえ。自分は遠慮しておきます。送迎もありますし」
「えーと、私も今回は遠慮しておきますね」
「そうか、わかった」
店内の雰囲気にあった丸いテーブルを中心に椅子が並んでいた。そこに赤羽根達は座る。順一朗はプロデューサーの傍によりあることを聞いた。
「で、あいつはいまどこら辺なんだい?」
「さっき連絡したらもうすぐ着くそうです。小鳥ちゃんに会ってから俺は外であの人を待ってます」
「頼むよ」
高木がカウンターに戻るとプロデューサーは店の関係者専用の扉の向こうへと入っていった
そこからしばらく、彼女達はただ頼んだ飲み物を飲みながら話をしていた。
「で、ここに来て社長たちは自分達に何を見せたいんだ? 酒を飲むわけじゃないし」
「ミキもさっき聞いたけど。ハニーってば教えてくれないんだもん。ぶー」
「それには同意ですが、きっと誰かが歌うのでしょうね」
店内にあるピアノの前にマイクスタンドが一つ置いてあった。照明もそこにいつくか当てられてることから、貴音の言う通り誰かが歌うのだろう。
「でも、誰なんだろうね」
「わたくしにも見当がつきません」
「自分もだぞ。あ、そう言えば小鳥が見当たらないけど―――」
カランと扉が開く。入ってきたのはプロデューサーと黒井の二人だった。二人は響の前まで歩いてきた。プロデューサーはともかく、黒井が来たことに全員が驚いた。赤羽根も咄嗟に席を立ちあがったがそれを律子に止められた。
特に響が自分の前に来るとは思っておらず、口を開けたまま硬直していた。
「響、改めて紹介する。961プロの黒井社長だ」
「な、なんで」
「我那覇響だな」
「そ、そうだぞ。自分が我那覇響だ」
自分の呼ばれた響は、椅子から立ち上がり答えた。黒井の表情は冷たいと間近で見た響は感じた。それに恐怖もだ。先の一件で、黒井に対して恐怖心があった。
一体何をするつもりなんだ……響は額に汗を垂らしながら黒井を見た。目を反らない自分を褒めてやりたいと思った。
「一度しか言わんからしっかりと聞け」
ゴクリと息を呑む。
「……すまなかった。すべては私の責任だ」
「……へ」
黒井の口から出たのは謝罪の言葉だったことに響は呆気をとられた。
「以後、765プロには一切妨害行為はしないとここで約束する」
「あ、えーと」
「で、私に対する返事はなんだ。早くしろ」
「そ、その……確かに自分やみんなにしたことは許させない。でも! 本当にもう何もしないなら……その言葉を信じる」
わかった、黒井はそう言うとカウンターへと歩いて行った。響の耳は黒井が小さく呟いた言葉を聞き逃さなかった。「ありがとう」と。
「響。俺からあとで約束を破れなかったことに対する罰ってわけじゃないが、ちゃんと詫びは入れる」
「いいよ。約束を破ったことは関しては自分も少し怒ってる。でも……今度は破らない。そうでしょ?」
「――! ああ。今度はちゃんと約束するよ」
響の頭を優しく撫でてプロデューサーもカウンターへと向かう。頭を撫でられた響は少し照れていた。だがそれを、あの二人が見逃すはずもなかった。
「響……」
「あとでお話するの」
「……」
さっそく約束を守って欲しい。心からプロデューサーに願う響であった。
「待っていたよ。こうして直接会うのは久しぶりだな、黒井」
「順二郎。お前は相変わらずそのへらへらとした顔つきをしているな」
「もっと素直に言ったらどうなんだ」
「ふん。本当のことを言っているまでだ」
「まあまあ。折角の彼女の舞台だ。喧嘩はやめよう」
黒井と順二朗の間に善澤が仲裁に入った。
「彼女……?」
「ほら。彼女だよ」
善澤が向いた方に黒井も向く。そこには黒いパーティードレスと言えばいいだろうか。それを着て、胸にネックレスをしていた。化粧にも力が入っており、普段とは違った765プロダクションの事務員、音無小鳥がそこにいた。
小鳥はピアニストに振り向いて頷いた。ピアニストの男性も頷き、ゆっくりと鍵盤に手を近づけ……静かに舞台の幕が上がった。
登場した小鳥に見惚れていた赤羽根達。しかし、彼女の歌を聞くと静かに耳を傾けていた。確かに驚いた。驚いたが、それは後で聞こう。今は彼女の歌に誰もが見惚れていた。
そんな彼らの後ろに一人の男性が静かに声をかけた。
「いい歌だろう。君たちもそうは思わないかい? 」
『会長――!!??』
声は抑えたのは奇跡に近いだろう。なにせ、目の前の小鳥もそうだが、今声をかけてきたのは何を隠そう765プロの会長高木順一朗なのだ。
「久しぶりだね、君たち。それに、赤羽根君だったね。初めまして、高木順一朗だ」
「こ、こちらこそ、初めまして」
アイドル達は全員彼のスカウトによって765プロに入っており、期間は少ないが面識はあった。だが、赤羽根は順二朗によってスカウトされてプロデューサーになった。この場にいる人間で唯一、彼を知らないのは赤羽根だけだった。
「小鳥君もね、昔は君たちと同じアイドルだったのさ」
「え、それって……」
赤羽根の言葉に順一朗はクスリと笑った。
「ご想像にお任せするよ」
赤羽根の肩を叩き、順一朗はカウンターに歩いて行った。順二朗と黒井の間に順一朗は座り、
「いやあ、久しぶりだな。こうして、全員揃うのは何年ぶりかな」
「順一朗。貴様……今までどこに」
「この間まではハワイかな。彼から連絡を貰ってね。帰国したばかりさ」
彼と指されたのはプロデューサーのことだった。ロックグラスを片手に「どうも」と言っているようだ。
「いい機会だと思いましてね」
「ちなみに彼とはあの日からちょくちょく連絡を貰っていたんだよ。お前の近況報告と一緒に」
「何ィ! お前……」
「勘違いするな、黒井。彼は、彼なりに私達のことを思っての行動をしてたんだ」
「今だから告白しますけど。961を辞めた後に順一朗さんと順二朗さんのとこに少しいました」
「……もう怒鳴るきにもならなん。見習いの頃からそうだった。お前はこういういけ好かないことをする! お前のそういう所が一番嫌いだった!」
ガンッ! とグラスを置き、「もう一杯だ!」と偉そうにマスターに命令する。そのマスターは「はい、畏まりした」と慣れたような口ぶりで応えた。それもそのはず。目の前でグラスを拭いていた男は彼らの仲間と言っても過言ではない。ようは古い付き合いというやつだ。
「私も無礼講だから言うが、黒井から仕事を受けていたんだよ」
「え! それは聞いてないよ、善澤君!」
「それは守秘義務もあるからね」
「ふん! お前の腕は知っている」
「素直に褒めてくれたっていいだろうに」
「そういう順一朗たちと同じことをいう所が嫌いなんだ!」
やれやれと善澤は首を振った。これは死んでも治らないだろうなと善澤は確信した。
カランとグラスに入った氷を鳴らし、順二朗が言った。
「私たちは互いに違うやり方でやってきた。アイドルの方針も、アイドルへの接し方も、仕事のやり方も。それでも私たちは同じ夢を……目標を持っていた」
「順二朗の言う通り。だからこそ、互いに切磋琢磨し、腕を磨いてきた。そうすべては――」
『彼女をトップアイドルにするために』
三人の声が揃う。それを見て、プロデューサーと善澤は笑みを浮かべた。
「あとになって彼から聞いた」
順一朗は一口、ウィスキーを飲み語りだした。
「あの時の判断を私は間違っていないと思っている。もちろん、お前もそうだろう」
「……その通りだ」
「誰かが悪いとか、良いとかそういう話じゃないんだろうな、きっと。ただ、はっきり言えるのは、一番辛い思いをしたのはいや、させてしまったのは彼女だ」
「……」
黒井は歌う小鳥を見た。十年ぶりの再会でもあり、十年ぶりの彼女の歌を生で聞いた。当時はいやというほど聞いた。何回、何十回、何百回とレッスンの相手をしてきた。
黒井の目にはあの頃の小鳥がみえた。今よりも幼く、若いころの彼女を。ステージの上で背一杯に歌い、踊る小鳥を。
「実は少し前からここで、たまに歌っていたんだ。今日は態々無理を言って貸し切ったよ」
「今では小鳥さんの歌を聴くために来てくださるお客さんも増えましたよ」
マスターが嬉しそうに言った。口に出しては言えないが、小鳥のおかげで店の売り上げが少し上がったのは経営者としては嬉しい限りだった。
「人生の中で、一番の未練だ」
黒井は無念そうに呟いた。
「それは言わない約束だろ」
「したか? そんな約束」
「勝手に変な設定を作るのは、順一朗は得意だからな」
「え、そうかい?」
ふふとプロデューサーは笑いながら今のやり取りを懐かしんでいた。昔は毎日ようにこんな感じだったなと。
昔の雰囲気に酔いしれていると、ピアノの音が止まり、拍手が静かに店内に響き渡る。小鳥は正面に一礼してからピアニストにも一礼してカウンターへとやってきた。プロデューサーと黒井に間に座り、小鳥は黒井に話しかけた。
「黒井さん、お久しぶりです。どうでしたか、わたしの歌は?」
「……レッスンを怠っていたな。少し粗が目立っていた」
「素直じゃないんですから」
小鳥も彼らと同じ反応だった。最初の頃は勘違いをしていたものだが、今ではそれが彼の照れ隠しだということはわかっている。
「このドレスどうですか。プロデューサーさんがプレゼントしてくれたんですよ。それにメイクもしてくれて」
「ほう。やるね、キミィ」
「まあ、折角学んだモノを腐らせておくには勿体なかったので。綺麗でしょ、小鳥ちゃん」
「大人になって美人に磨きがかかったな。カメラを持ってくればよかったよ」
「ドレスも似合っているよ、小鳥君」
「お前は本当にどうでもいいことまで憶える癖をなんとかしろ」
「別にいいじゃないですか。損するわけじゃないですしね」
「そのおかげでこうしていられるんですから。メイクなんてわたしより上手くてショックですよ」
普段でも軽いメイクをしている小鳥だったが、プロデューサーにメイクをしてもらうと女として負けた気がした。現役のプロから教わったのだから、それもしょうがないと言えばそうなのだが、やはり女としてのプライドがあったのだろう。
「用は済んだ。私はもう帰る」
「なんだ。このあと皆で食事でもどうかと思ったんだが」
「そうですよ。黒井さん、今日ぐらいは一緒に……あの頃みたいに六人で」
「……今日だけだ」
小鳥のお願いに黒井は思いとどまった。
「それじゃあ、行きましょうか」
プロデューサーはカウンターから立ち上がり、赤羽根のところに向かった。
「先輩?」
「赤羽根。ここで解散だ。こっちは俺達だけで食事にいくから、これで好きなところにいくといい」
渡されたのはクレジットカードであった。プロデューサーの財布から取りだしたので、彼本人のものだろう。
「じゃ、頼んだぞ」
別れる際に貴音と美希にまた明日なと伝えてプロデューサー達は先に店を出た。また家でなと言えるわけがないので、二人は“またあとでな”と言っているのと理解した。美希は、今日マンションの方に泊まる予定だったので内心喜んでいた。
その後。六人は昔よく通っていた料理屋で食事をしていた。当時は仕事が終わったあとにはよくこうして全員で食事をとっていた。昔のようにまた皆でいられることが嬉しいのか、小鳥は終始笑顔だった。
食事を終えると解散となった。プロデューサーと黒井の二人で。小鳥は残りの三人に分かれて帰路に着いていた。
プロデューサーと黒井は肩を並べて歩いていた。共に身長は高く、怖い顔つきをしている二人をみた通行人は自然と道を開けていた。普段からサングラスをかけているプロデューサーもこの時間帯では外していたが、知らない者が見ればやはり怖いようだ。
二人はただ無言で歩いていた。だが、プロデューサーはあることにふと気づいた。
(……昔は、この人の背中を追いつこうとするみたいに、後ろで歩いていたな)
しかし、今は隣で肩を並べながら歩いていた。どこか不思議な気持ちになった。
すると、黒井が閉じていた口を開いた。
「聞きたいことがある。答えろ」
「なんです?」
「あの日。私に言ったことは達成することができたんだろうな?」
相変わらずの命令口調だったがプロデューサーと慣れたように答えた。
「そうですね。できたんじゃないですかね。」
「白々しいな。誰もがお前を認め、恐れている」
「あなたと一緒ですよ」
「ふん!」
鼻であしらった黒井だったが、プロデューサーには彼が照れているように思えた。
「実はあの時。俺には二つの目標があったんですよ。一つは今答えたように、自分が一人でどれだけできるかです」
「二つ目はなんだ」
「……それはまだ達成できていません。諦めてはいませんが」
「そうか」
黒井はそれ以上のことは聞かなかった。それから少し歩いているとタクシーが止まっていた。黒井は立ち止まり別れを告げた。
「私はタクシーで帰る。お前はどうする」
「このまま歩いて行きますよ。そこまで遠くないんで」
「それと、これは独り言だが。とあるドブネズミが色々と嗅ぎまわっているらしい」
「それは、困りましたね。罠を用意しておかないと」
「そうだな。用心に越したことない」
そう言いながら黒井はドアを開けてタクシーに乗り込んだ。窓を開けて黒井は何かを言おうとして言葉をつまらせたが、少し間をおいて聞いた。
「一つ答えろ。お前の達成できていない目標は……四条貴音や彼女達では無理なのか?」
聞くか聞かないが迷ったが黒井は聞いた。黒井はプロデューサーの二つ目の目標を勘であったが、絶対にそうだという確信があった。
「質問の意味が解りかねます」
黒井の質問にプロデューサーは答えなかった。黒井はそうかと言ってそれ以上追及することはなかった。タクシーの運転手に目的地を指示して窓を閉めようとする黒井。ほんの10㎝のところで止めて黒井はプロデューサーに聞こえるか、聞こえないかぐらいの声で言った。
「時計が、似合う大人になったな」
同時にタクシーは動き出した。
プロデューサーは聞こえたのだろう。タクシーが走り出すと頭を下げていた。嬉しかったのだ。黒井から褒めてもらった事は滅多にない。だが、今日はようやく自分は認められたのだ。一人の大人として。それが嬉しくて堪らなかった。
だが、すぐにその気持ちは消えてしまう。
――四条貴音や彼女達では無理なのか?
黒井に言われた言葉を思い出す。プロデューサーは右手で自分の顔を覆う。まるで見られたくないように。
「気付かれるとは思ってなかったな……ほんと、食えない人だ」
けれど、それで今更やめるという選択肢はない、そうだろう? と、プロデューサーは自分に言い聞かせる。
プロデューサーは歩きはじめた。胸にかけていたサングラスをかける。プロデューサーのサングラスのレンズはグレーであり、昼間でも少し暗く見える。それを街灯や店からあふれ出る光で照らされている時間帯でサングラスをかければどうなるか。街の光だけがぽつぽつと見えるだけだ。
街灯の光の列がまるで、自分が歩くべき道のようだと錯覚する。これがお前の歩く本来の道なのだ、そう訴えているように思えてくる。
(今の俺には、これがお似合いだ)
そう思いながらプロデューサーは歩く。
隣には誰もいないこの道を……ただ一人で。
この道に光が差し込むことはまだ、ない。
数日後。
「でね、その時ワニ子がさ――」
「おいおい、マジかよ。そいつは傑作だな」
『……』
事務所が所有する車の中で、運転するプロデューサーと助手席に座る響は楽しく談笑していた。一方、後部座席に座る貴音と美希は無言で二人の会話を聞いていた。その目はとても濁った眼をしている。
「さすがにこれは拷問に近いの……」
「耐えるのです……と言いたい所ですが、さすがのわたくしも限界です」
二人がなぜこんな絶望を味わっているのか。それは、プロデューサーが響にお詫びをすると言った約束を実行中だからである。お詫びというより、響のお願いを聞くという形になり、彼女はプロデューサーに買い物に付き合ってもらうことにしたのだ。ただ、時間がそうそう取れる筈もなく、プロデューサーの担当は貴音のため時間が合わない。なので、フェアリーの仕事が終わった後に行うということになった。しかし、フェアリーの仕事の後ということは、当然貴音と美希もセットでついてくる。そこで、響がお願いと一緒にある条件を提示した。
「一緒に居てもいいけど会話に入っては駄目。辛すぎるの」
「仕方がありません。同行する条件がそれしか許されなかったのですから。響、恐ろしい子」
「でねでね! 今度は―――!」
「ほう。それは凄いな――」
二人の会話など聞こえないかのように、前にいるプロデューサーと響は楽しい会話を続けている。プロデューサーも後ろに人がいないかのような振る舞いで話している。
「それにしても……」
「楽しそうですね……」
濁った目がだんだんとドス黒い色に代わっていく。死んだ目というよりも、そう。病んでいるような目だ。
『あはは!!』
『……』
それから数時間に渡ってこの地獄が続くことになる。
このあとの内容については……割愛する。
大変遅くなってしまって申し訳ありません。
理由はデレステのラブレターイベントの所為です! 俺は悪くねぇ!
冗談抜きで接戦でして。2000位から上へを目指していたPならわかると思うのですが、2000位のボーダーがかなり異常でした。土曜日から一日2万以上変動していたはず……。
文香を軽く超えてましたね!
さすがシンデレラガールズのセンターやで。
あ、自分はなんとか入りましたよ。イベント用に一万課金しましたがね!
みなさなんはどうでしたか?
で、次はもう凛なんですがまあ一枚どりでいいかと諦めてます。メドレー?だから大丈夫やろ。
さて、今回に関しては別で補足と言う名の言い訳をすぐに別で投稿しますが、私の自己満足みたいなものなんで。あまり、気にしなくても大丈夫です。
一応今回で主人公であるプロデューサーの設定がだいたい出たので、文字数が足りれば注意書きと一緒に投稿する予定です。
では、また次回で。