「……」
「どーした飛龍。何か悩み事か?」
こちらは鎮守府にある埠頭。そこで飛龍は海の上に立ち、ボーっと空を眺めていた。そこに、鎮守府庁舎の窓越しから見ていて不思議に思った戸嶋がここまでやってきて呼びかける。
飛龍は声だけ聴いて、空を眺めながらボソリと言う。
「あ、えーっと……相談、いいかな?」
「俺で対処できるんなら別にいいけど」
「じゃあ、話さない」
「……悪い、嘘だ。とりあえず聞いてやる」
戸嶋は埠頭の淵から片足を投げ出し、片膝を立ててそこに座って飛龍の話を聞く姿勢になる。
少しの間。その後、飛龍が息を吸って、今不安に思っていることを話す。
「……私も、忘れちゃうのかな」
「ん……何がだ?」
「もし、私が改二へ改装されたときにさ……私は今までの記憶なくしちゃうのかなって」
「………」
戸嶋は無表情ではあったが、内心すごく驚いている。
実のところ、今でも戸嶋は、艦娘は兵器であって人間ではないと思っており、そんな悩みなんて聞けないどころか強くなることは寧ろ喜ばしいことなのではないのかと、今まで思っていたのだから。
だが、飛龍の考えは一人の人間としての不安であり、恐怖なのだろうと、そう思っていた。
……もし、強くなる代わりに記憶を失うリスクがあるなら、俺はそのリスクを受け入れられるのだろうか……?
「……だからこそ強くなっていくんだろ。いつか敵の軍がこっちに来襲してきても構わないぐらいにな」
……きっと俺は、そのリスクを容認して強くなろうとするんだろう。だったら、それぐらいお安い御用だと思う。
戸嶋は自分の考えをきっちりまとめて、飛龍にそう告げる。飛龍はただ、「……そっか」とだけ弱々しく呟き、海の水平線を眺める。
何か間違っていたのか? 戸嶋は飛龍の背中を見てふと思った。ただ飛龍は何も言わずに遠くを見ているだけだから、本人の答えは分からない。戸嶋は、ただ何も言わずに飛龍の背中を見ていた。書類は片づけたし、今頃休暇に戻ってもやることがないからだ。
数分しただろうか。飛龍が海の水平線から目を背け、やがてどこかへと移動しようと―――おそらくは海に面している出撃室なのだろう―――していた。
「……なぁ、飛龍」
飛龍が通り過ぎる前に、戸嶋は飛龍に顔を向ける。飛龍は不思議に思って一度止まって戸嶋の方を振り返る。
「……お前だったら、忘れないさ」
それだけ言うと、戸嶋はそのまま立ち上がり歩き出した。何となく照れくさく見える戸嶋の背を見て、ただ飛龍はクスッと笑っただけであったが、その一言は飛龍にとって、とても安心させる言葉だったに違いない。
やがて自身の執務室に戻った戸嶋は、上着を脱いでソファーに投げ捨てて壁に寄りかかる。特に何もすることのない、穏やかで退屈な時間が流れる。
そんな中で、戸嶋は初めて飛龍と出会った日を思い出していた。
少々ぎこちない挨拶、全員の耽々とした返事。その中で、ある艦娘だけ異様なまでに目立っていた。紛れもなく、今の飛龍だ。
一人だけ何故か挨拶が大きく、自室に戻った後も少ししたら顔出してきていろんな話をして。そして金森に「あれも艦娘」と言われた驚きは今でも忘れていない。
ただ……人間である戸嶋にとって、この鎮守府にとって気楽に話せる一人と言っても過言ではない。他の艦娘だと、どうしても距離を開けられるように感じてしまうが、飛龍だけは例外で、彼女と話していると艦娘であることすらも忘れてしまう。
そんな飛龍だから、悩みなんてないと思っていた。否、飛龍も艦娘だから悩みなんて一つもないと確信していた。
戸嶋が気づいた時には、飛龍の戦闘データが入っている引き出しを開けていて、それを見始めていた。自分でも何をやっているのか分からないが、ただ見ただけであった。
「……何をやっているんだ俺は」
データを一通り見た後、それを持ったまま床にドサリと座り込んで、自分の行いを悔やむかのようにつぶやく。一体、なぜ自分がこんなことをやっているのかと、自分でも疑問に思うぐらいに。
やがて力尽きたかのように戸嶋は身体を横にして楽な姿勢になり、一度仮眠を取り始める。そういえば、いきなり呼び出されてからいろいろあったから精神的にも疲れていたな、と、ふと思っていた。
「よーっす。入るよー」
時間は流れ、突然金森が押し掛けてくるように扉を開き、中へと入ってくる。ほぼ同時に意識を戻して、急なお客に溜息をつきながらも戸嶋は立ち上がっていつもの調子に無理やり整える。
「……今日で二回目ですよ。いい加減ノックして入ってきてくださいって」
「まぁ固いこと言わずに。とりあえずお疲れさん。いい酒入ったから一緒に飲もうか?」
「……俺お酒飲めませんし、そもそもこんな昼間っから……」
「……何言ってんのさ。もう暗いよ?」
「え?」
思わず戸嶋は窓を振り返る。……確かに、もう暗い。どうやら仮眠を取ろうとしたらいつの間にか寝てしまっていたようだ。自分でも不覚を取ったかのように錯乱し、自嘲するかのように笑った。
「ったく……本部の連中俺をこき使いやがって……って、まさか金森さんアンタが……」
「まーね。ぐっすり眠ってたみたいだし、本来休暇だったはずだったろ? だからまとめて指揮をしましたっと」
「それは……ホント申し訳ない。こっちも任されている身だってのに……」
「いいっての。そもそも元々この鎮守府は私の管理下だし」
そう言いながら金森はお酒とお茶、それからおにぎりとコップ二つを机に置いてソファーに座り込む。戸嶋も向かい側に座って金森のコップにお酒を酌む。
「……ここの鎮守府の飛龍って、変わってますよね」
「んー。そうかも」
ふと、疑問に思っていることを戸嶋はつぶやいた。金森も静かに頷く。
「アイツと話していると、アイツ自身が艦娘であることを忘れてしまうんですよね。それぐらい人間らしいっていうか……」
「好きなんだ?」
お酒を一口飲み、金森はそういう。戸嶋は口角を上げると、自分のコップを見ながら言い始める。
「そんなわけないですって。ただ、結構話しやすいだけですって。好きと言われたら……まぁ好きな方ですかね」
「……私はそんなでもないかなぁ」
その言葉に、戸嶋は動きを止める。金森はそれに気づいて慌てて首を横に振った。
「あぁ違う違う。そこまで愛情が深いわけじゃないけど、確かにそこまではっきりと言えるわけじゃないんだけどね」
「でも、好きと」
「まーね。最初の方は驚いていたなぁ。普通の艦娘とは違くてびっくり。知り合いの提督にこのこと話したら驚かれちゃった」
笑いながら金森はそう言う。その光景が目に見えるかのようで、戸嶋も思わずつられて笑ってしまう。
ひとしきり笑った後、金森はふとある方向へと目を向ける。
「ところでさ、それ気づいた?」
「ん……あれは……毛布?」
金森の指さした方向。そこには黒色の毛布が一枚だけ置いてあった。そして、よくよく思い返してみると、あそこはほぼ自分が仮眠を取り始めたところであって、寝る前に持っていた資料も今手元にない。
まさか金森さんが? そう思うより早く戸嶋は金森を見たが、すぐに金森は首を横に振った。
じゃあ誰が? そう思うより早く予想はついた。そしてその予想は正解だった。
「飛龍が、『提督が寝ていてお疲れ気味だったから』って理由で毛布持ってきたし、わざわざ扉に張り紙で、『提督執務中、立ち入りを禁ずる』ってごまかしていたよ」
「飛龍が……」
予想はしていたが、それでも驚きは隠せない。わざわざ自分に気を遣ってくれたこと、そして……
「……アイツの方が、一番疲れてるはずだってのに」
前線へ誰よりも戦い、あれだけ悩みを抱えていたのにも関わらず、飛龍は戸嶋のことを気を遣ってくれた。提督として情けなく感じつつも、戸嶋として素直に感謝したい。心の底からそう思った。
「ほんと、飛龍は私の鎮守府の中で一番の働き者だよ。そう思わない?」
「……えぇ。そう思いますね」
金森にお茶を注がれ、それを一口飲み、一言だけそうつぶやいた。
温かな雰囲気の漂う鎮守府で、海に立っている人の形をしたものが月を背景にし、刀を振るっていたが、二人は気づきはしなかった。
もちろん、その鎮守府庁舎で起こっている話も、この者は気づいてはいないだろう―――
タイトルが思い浮かばず、分かりにくいタイトルになった気がする……