「………電。今朝の話聞いていたよ。なんでも、飛龍に連れられて一緒に食事をとったとか」
「あ、あの……怒ってますか?」
とある一室にて。質素に置かれた机と椅子、その部屋で海を眺めていた、水色の長い髪の響が自身の妹艦である、髪をまとめている電に話しかける。
響は黙って首を横にふる、が、すぐに話を進める。
「悪いわけじゃないさ。ただ、自覚はちゃんと持ってもらいたい。私たちは艦娘であって兵器なんだ。分かっているよね?」
「はい……人間の味方であって、敵さんの敵………分かってます……でも……」
「でも……何だい?」
響は電の方に振り返って問いかける。電は多少の沈黙のあと、こうつぶやいた。
「でも……なるべくなら戦いたくないのです。敵さんだって、痛いのは嫌だと思うのです……」
「それが戦場だよ。甘えた考えをよぎった時点で沈んでいくんだ。覚悟を決めた方がいい」
容赦なく、けれど、確かな答えが口に出され、電はそれっきり黙ってしまった。
響は息を吐き、電を置いて部屋を出ようとする。気になった電は呼び止めた。
「あの……どこへ?」
「少し外の空気を吸ってくる」
それだけ言うと、響は部屋の外へと歩き出した。
「…………」
少しきつく言い過ぎたかな、と、あれぐらい言わないと成長しない、が同時に混ざり合う。響としても、妹艦は大事に思っている。
分かってる。私が電の元を離れたあの日、電は沈んでいった。そして、あの日から暁型は私一人になったこと。
不死鳥? そうかもしれない。けど、ただ単に運が良かったとも取れてしまう。
そして戦後、ソ連に賠償艦として日本を離れ、沈んでいったはずだった―――
「ワン」
「うん……? あぁ、あの飛龍が飼ってる犬か……」
偶然、犬が響を呼びかけるように吠えたため響は足を止め近づく。犬は吠えた後にぺったりとうつ伏せに寝ころんだ。恐らく暇だったからなんとなく呼びかけただけなのかもしれないが、とりあえず近づくことにしてみた。
「……やれやれ。お前は本当に気まぐれだな」
響は犬の頭をなでながらそうつぶやく。
思えば、この犬と最初に出会ったのも飛龍だったな。と、ふと思い始めた。
偶然外で、飛龍がこの犬を撫でてるところを響は見つけた。
そこに金森提督がやってきて、飛龍にこの犬をどうしたのかを聞き始めた。
「そこの古びた倉庫で寝そべっていたので飼おうかなと思いました」
冗談も言ってない、本人にとって真面目に言った回答なのだろう。もちろん響にとっては、ばからしい答えだと思っていた。
しかし、金森提督は違った。金森は一瞬言葉を失ったが、すぐに大笑い。
「そっかそっか! いいじゃん! だったら飼ってみる? 飼うならそれなりの覚悟必要よ?」
「はい! ちゃんと私が見ておきます!」
あまりにもあっさりと承認してしまった。
そんなあっさりと進んでしまった飼育に、響は思わず反論した。
「……飛龍。何を考えているんだい? 飛龍も私も艦娘であって兵器なんだ。そういった人間らしさはないほうがいい」
「でもせっかくなんだし飼おうよ。この犬どこから迷い込んだのかは分からないけど、ここが気に入ってるらしいし、無理に追い出すわけにも行かないわよ」
「……」
呆れて言葉も出ない。代わりに聞こえてきたのは金森の言葉だった。
「まぁ他の鎮守府の提督からも変わってるだとか言われそうなぐらい飛龍は変わってるけど、犬を飼うぐらいは少女らしいとは私は思うよ」
犬を撫でてる飛龍を見ながら金森はそういう。
響には、よくわからない。何故こんなことをする必要なんてあるのか、ずっと疑問であり、今でも疑問に残る一つである。
しかし、今では響自身もある程度は仕方ないとして、このことを考えるのはやめている。
「あれ、珍しいところにいるものね」
「その声……金森司令官か」
響の視線は犬から金森に移り、振り返った。手には数枚もの紙を持つ金森がいた。
「最近、響はがんばってるよね。まずはそのことを褒めに来たよ」
「……用はそれだけかい? 悪いけど、世間話をするほどの話はないんだ」
「用がそれだけでもいいんだけど……まぁ今回は違うわね」
違う? 響は疑問に思うが、金森はふっと息をつくと、要件を言った。
「響はもう改二になる資格があると判断した。よって、響の改装を今日から実施する」
改二。その言葉に、響は息をのんだ。
改二は強力な装備に換装され、今まで以上の実力を発揮できるようになり、艦娘たちの戦闘能力を引き上げることが可能になる手段の一つだ。
だが……それには負担も大きい。一番のリスクとして「記憶の挿入により、暴走ないし死亡する恐れがある」こと。
艦娘たちのベースであるその艦船の戦闘記録や轟沈記録など、より艦船に近づけるようにする必要がある。そのため、良くて記憶喪失、悪くて暴走、最悪死亡の可能性がある。そのため、造られて間もない艦娘たちの記憶は実はそこまでインプリントされてはいない。おぼろげの記憶のように「何かがあった」程度の記憶を有しつつ、練度を上げることでその負担を軽くすることができる。最も、今現在ではほとんどの記憶がやや鮮明に映る程度がほとんどであるが。
強くはなるが、強くなるための手段は最も手ごわい。そのため、今でも半数以上の艦娘はそれほどの練度があっても改二になることができず、今の状態のままのことが多い。
その中で、『響』は改二実装を許されている艦の一つである。
その言葉を理解して、響はうなずいた。
「……了解。もし拒否権があったとしても、拒否はしていない」
「はいはい。じゃ、早速始めようか。時間は有限、時は金なりってね」
そういって、二人は工廠室へと歩き出した。
そうか、もう改二になれるのか……。これで、役目を果たすことがさらに出来るようになる。私の……私のもう一つの名として。
異様に時間が長く感じられたが、工廠室へとたどり着き、中へと入って響は鋼鉄で作られたベッドのようなものに一度腰掛ける。
「不安?」
金森はそう質問した。しかし、響は首を横に振った。
「全然。寧ろ喜ばしいさ」
「そっか………。じゃあ、始めるよ」
「ああ。頼む」
そう言って響は横になり、金森は部屋を後にする。
カチ、と響の両手首に何かが装着され―――
瞬間、響の視界が真っ暗となった。
そして流れ込む。『響』としての戦中の記憶。そして―――
『信頼』を意味する、艦船としての、記憶―――
覚悟はできていた。出来ているのはずなのに、艦娘は声を上げたくなった。しかし声は出ない。
急にこの事実に逃げたくなってきた。恐らく、震えていてもおかしくないぐらいに艦娘は事実から目を反らしたくなってきた。
しかしそれらは紛れもない事実であり、自身の真実。だから、必死に受け入れた。受け入れて―――
………一体、どれくらいの時間が経ったのだろうか。艦娘はかなりの疲労がたまっているように錯乱したが、やがてゆっくりと目を開ける。
「……お目覚めかな?」
……あぁ。
「念のため聞くけど、私の名前は?」
……司令官なのは分かるが……すまん。覚えてない。後で教えてくれ。
「そっか。じゃあ、自身の名前は?」
………私は―――
「……それだけ言えれば十分。今は出撃予定もないから……一度外に出て散歩してきたらどう?」
了解した。心遣い、感謝する。
そういって、艦娘はこの部屋を出る。陽の光が入っている廊下は、何故か不思議と落ち着いていた。
「……あれ、響?」
誰かが話しかけてきた。思わず振り返り、相手を確認する。橙色の和服を着た、どこかで見たような顔だ。恐らく、この身体が体験してきた中で知っているはずの艦娘なのであろう。
しかし……私は『響』ではない。
「……私は『Верный』だ。よろしく頼むよ」
唐突に告げられた言葉。その言葉に、飛龍は思わず数歩後ずさってしまう。
「え……? いや、どこからどう見ても響だよ……どうしたの?」
「どうもこうもしない。それより、私は司令官から命令をされているんだ。邪魔をしないでくれるかな?」
「ま、待ってよ! 本当にどうしたの響……じゃなくて、ヴェールヌイ?」
「あぁ。それでいい。……ではな」
そう言って、ヴェールヌイはその場を後にする。
飛龍は思わず追いかけたくなるが……あまりにも冷ややかなその背を見て、その場で硬直してしまう。
「……響……もしかして失敗したの……?」
「いや、失敗はしてない」
言葉と共に、金森は工廠室から姿を現す。
「響は戦後、Верныйとしてソ連に引き渡された。あれが……響としての『改二』」
「………そのリスクを知ってて……提督は黙っていたの……?」
「……彼女も望んでいたこと。拒否権があったとしても、響は……じゃないな。ヴェールヌイはこの道を行くことにしたんだよ」
納得いかない……。思わず、飛龍は叫んだ。
「何で!? どうしてそんなことをしたの!?」
「……多分だけどさ。もちろん、私としての意見だから間違っているかもしれないけど、あってるかもしれない」
金森は落ち着いた声で、飛龍に視線を向けず、ヴェールヌイのいない廊下の奥を見ながら呟いた。
「響は……自分の姉妹艦を守りたいんじゃないかな」
飛龍は反論したかった。けれど、金森の複雑な表情を見て、それ以上何も言えなかった―――
自身の改二の妄想の一つ。
艦娘が人間じゃないならこんな感じに悲しくなるのかなぁ……と。