Fate/stay night プリズマ☆イリヤ   作:やかんEX

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ACT6 「槍兵(上)」

 

 

 耳を聾した轟音の後、立ち昇った土煙。

 紗幕のように場に掛かった白い煙のその後ろで、イリヤは自身の兄を後ろ背に庇うように立ちながら、目の前の青い男を強く睨みつけた。

 そんな彼女の身に纏われた桜色の派手な衣装。

 あまりにも急な展開と少女の奇抜な装いに、沈黙を保って状況を窺うしかない他二人。

 ……各々の思惑に、意図せず場が膠着する。

 誰もが決め手を欠いて次の行動を選択できない、そんな奇妙なこの状況で、ぷるぷる、ぷるぷる、と、唯一の動きを見せていたのは────

 

 

 

「イ……イ……ッ、イリヤさ〜んっ!」

 

 

 カレイドステッキ・マジカルルビー。

 少女の相棒たる魔法のステッキだった。

 

 

 

「イリヤさんイリヤさん、イリヤさんっ!!!」

 自らの主に受け止めてもらった彼女はよほど嬉しかったのか、声を上げ身をよじり、ピコピコとせわしなく明滅を繰り返して喜びを表現する。

「わっ、ちょっ!?」

「世界の狭間に投げ出されさまよい幾日や。皆さんとはぐれ、サファイアちゃんとすら交信が取れていませんでした……。

 しかし、その時に聞こえた声! 気付いた時には空に投げ出されていた我が身! それでもなお一瞬にして求められる事を察するわたしとイリヤさんの固い絆! なんと素晴らしいことでしょう〜〜〜〜!!」

「ちょ、ちょっと待って、ルビーっ!」

「ああ、この懐かしのリアクション! 可愛らしいお手手のジャストフィット感! やはり今こそ貴女をこう呼ばせてください、わたしの最初で最後のマイ・マスター……!!」

「わ、わかったから、ストップ! お願いだからストップして、ルビーっ!!」

 

 

 突然開始された一人と一体(?)のコント。

 思わずあっけに取られていた他二人のうち、いち早く気を取り直した青の槍兵が、中腰に構えていた槍を地に付け、どこか気勢が削がれたように口を開いた。

 

 

「……あれだな、近頃の魔術師ってのは、えらく変わった格好してるんだな」

 気の抜けたその言葉に、相棒の少女と漫才を繰り広げていたステッキが翻ってさらりと答える。

「そうですよー。これが流行りの魔法少女スタイルです」

「……おまけに喋る杖ときたもんだ」

「むむっ。しかしそう言うお兄さんも、実はこういうゲテモノっぽい服装が好きだと見ますが!」

「ゲテモノってルビーが言っちゃうの!?」

 思わず愉快型魔術礼装にツッコミを入れたイリヤを尻目に、青い騎士はひどく愉快げに言葉を返した。

「さすがにそこまで先鋭的な格好はお断りだが……ま、同感だな。遊びがなさすぎるのは性に合わねえ」

「ですよねー。その格好もきちゃってますもん!」

「────は、言ってくれる」

 おかしげに、くつくつと肩を揺すって笑う男。ルビーの不躾な言葉をも飄々と受け止める彼は、まるで普通の、何処にでもいる気の良い青年のようで。

 先ほどまでの彼とのギャップに、思わずイリヤは気を抜いてしまいそうになる。

 

 

 

「────それにしても」

 そんな困惑を隠せない少女をおいて、ルビーがもう一度くるりと身を翻して言った。

「これはまた面白い展開になってますね〜」

 彼女の振り向いた先には、一人の少年の姿があった。

 

 

 

「念のためにお名前をお伺いしてもよろしいですか、おにーさん?」

「……え? あ、ええと……衛宮士郎、だけど」

 よく分からない展開でよく分からない物体に矛先を向けられた彼は、戸惑いながらもなんとか返事を返した。一方、その返答の何が面白かったのか、そいつは興奮したように自らの機体を点滅させる。

「ふむ、ふむふむ!」

「え、ええっと、お前、いったい」

「ああいえすみません。ただ、やっぱりどの世界でもお兄さんは朴念仁っぽい方だなと思いまして」

「は?」

「ちょ、ルビーっ!」

 慌てたイリヤが口を挟む。

「イリヤさん? だってこれ完璧にイリヤさんのお兄さんですよね?」

「だからって、おに────し、シロウさんに失礼だよ!」

「おや? 『シロウさん』?」

「……あ」

 イリヤは何故か、とんでもない地雷を踏んでしまったような気がした。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 軽い沈黙が降りた。────そうしてふと、場にぴこーんと変な機械音が鳴って、ルビーがにやにやと意地悪いオーラを露骨に滲ませだしてきた。

 

 

「は、は〜ん」

「……な、なんなの、ルビー」

「いえいえ。イリヤさんもなかなか隅におけないと思いまして」

「え」

「だってですよ? あのイリヤさんが、まさか、お兄さんのことを『シロウさん』だなんて、親しげにお名前を呼んでいるだなんて」

「っ!!!」

 ぼん、と少女の顔が一瞬で真っ赤になった。

「う〜ん、でもルビーちゃん、少しショックです。見知らぬ世界でお一人。イリヤさんもさぞ寂しがられていたのかと思いきや、まさか平行世界のお兄さん相手に着々とラブコメってるとは。ひっじょ〜に、ショックです!!」

「ち、ちがっ」

「ですが、同時にイリヤさんの成長を喜ばしく思います! そちらも満更じゃないですよね、お兄さん!」

「あ、え?」

「も、もう、ルビーは黙っててっ!!」

 

 

 羞恥心から、イリヤは思わずそう叫んで────瞬間、彼女は、場に走ったとんでもない殺気にぞわりと身体を竦ませた。

 

 

 

「────っ!!」

 

 

 

 いつの間にか湧いた雲が、月に掛かっていた。

 急激に薄暗くなる場の中、何もかもが黒く縁取られて、炭を流したような暗闇が辺りを包み出す。

 しかし、イリヤが咄嗟に振り向いたその先。風にゆるやかに流れていく薄煙の中から、その暗闇に置いてなお鮮やかな、深い青の色彩が浮き上がる。

 そしてその影を固唾を飲んで見つめたイリヤの耳に、獲物を目の前にした獣が唸るような、殺気の浮いた冷たい声が、低く届いた。

 

 

 

「────さて、今度はお嬢ちゃん達が、オレの相手をしてくれるってコトでいいんだな?」

 

 

 

 紅い、美しい線が不意に宙を走った。

 

 

 

 ぶん、という音を置き去りにした疾風。その余波に吹き散らされた煙の残滓が彼の周囲を嬲って消えて、後は場に、払われた朱槍の余韻をかすかに残す、しんとした静寂が降りた。

 晴れた視界の先に立つ男のその表情は、先ほどまでの気の良い青年の物ではなかった。

 代わりに浮かぶのは、親しみの一切をそぎ落とした無情な色。温度のない赤い瞳でイリヤを睨んだ槍の騎士は、聞いた人間がぞっと凍りつくように低い、鋭い声で言葉を発した。

 

 

 

「せいぜい楽しませてくれよ────」

 

 

 

 ────その言葉を合図に

 

 

 

 獣の青い体躯が、くっと地に沈みこんだ。

 

 

 

「────っ、ルビーッ!!」

 男のその動きを視認したイリヤは、咄嗟に行動を開始していた。半ば無意識に発した呼び声。自身の発した火急のその叫びに、緩んだ頭が急速に臨戦態勢になっていく。

 そしてその声に応えるように、己が相棒が膨大な魔力を供給してくれたのを肌に感じて────即座に砲弾に変換させたそれを、敵が動き出す前に撃ち放つ────!

 

 

砲射(フォイア)…………!!」

 

 

 狙い打つは目の前の青い獣。ロクに収束すら行わずに編み込んだ速度重視の一撃が、轟々一直線に標的を打破せんと迫っていく。

 

 

「────はっ」

 

 

 それを、青の騎士は一歩横に逸れるのみで躱して見せた。

 

 

 とん、と、ステップを踏むような軽やかな動き。あまりにも流麗なその回避は、そのままイリヤと槍兵との隔絶した技量の差を表しているのだろう。そしてその証拠に先んじて攻撃を受けたにも関わらず、まるで彼女の一挙一動を愉しむように、男の口元には余裕の笑みが浮かべられていた。

 

 

「イリヤさん……!」

「うん、わかってるっ……!!」

 だが、その程度は彼女たちも織り込み済みだ。

 狙い定めるは不可能。そう即断したイリヤはステッキを素早く頭上に掲げ、一息にそれを振り下ろす。

散弾(ショット)…………!!」

 相手の反応に追いつかないなら、照準を定める必要がない攻撃をすればいい。

 ゆえに、彼女たちが選んだのは『点』の砲射ではなく『面』の散弾。

 前面全てを覆い隠すような幅広の弾幕が、周囲の空間ごと目の前の標的を覆い埋め尽くした。

 

 

 ────しかし

 

 

 青の騎士にとっては、この空間制圧でさえ、単なる目眩まし程度にしかならなかったらしい。

 ひゅん、という音を立てた一閃なる槍の薙ぎ払いに、彼女の放った散弾はことごとく四散する。

 直後、弾いた魔力光によって、ぼう、と妖しく光った紅い槍。その長槍をそのまま半身に構え直した男の身体が、今度こそ、放たれる前の、引き絞った弓のようにぐっと屈められた。

 

 

 ……威力不足だ。 

 

 

 目の前の光景に、イリヤの脳裏にそんな考えが焼きついた。 

 範囲を広げた散弾では一発当たりの威力が小さく、先ほどのようにあっさりと防がれてしまう。それに、たとえあの槍の隙間を縫って攻撃できたところで、あの程度の魔力弾では大したダメージを与えられない。このままでは徒らに労力を消費してしまうだけだろう。

 

 

「────だけど」

 

 

 同時に、次に取るべき行動も頭には浮かんでいた。それもそうだろう。何時だったか、今までの戦いで自分たちはこんな展開も経験していたのだ。

『点』の砲射では当てるに能わず、『面』の散弾では威力が及ばず。なら、その両立を担う攻撃は────

  

 

「『線』の────斬撃(シュナイデン)!」

 

 

 薄く、鋭く。

 限界まで研ぎ澄ました渾身の一撃。

 威力を十全に清廉させた大斬撃が、空気に亀裂を入れるかのように前面を横薙いでいく。

 

 

「ルビー! もっと魔力をおねがいっ!」 

 しかし、その強烈な斬撃を放ったイリヤは、前を油断なく見据えたまま次弾の装填に取り掛かっていた。

 もとより、彼女はこの程度の攻撃であの敵を打倒できるとは考えていない。

 この一撃は布石なのだ。

 先のように避けることも軽々しく防ぐこともできないこの一撃を、相手は本格的な防御の構えで迎え撃つだろう。意識も自然とこの斬撃に向けられる筈。

 

 

 態勢だけでも崩させてもらえればこちらのもの。

 そんな思考を巡らせたイリヤの目の前で、標的である青の槍兵は迫り来る一閃の斬撃に対して────何故か、じっと立ち尽くすように動かないままで在り続けて。

 

 

 

 ────次の瞬間

 

 

 

 突如、男の姿が、その場から消え去っていた。

 

 

 

「────え?」

 

 

 

 イリヤは思わず惚けた声を上げた。

 なにせ、まったく意味がわからない。だって彼女は瞬きすらしていない。油断なく前だけを見据えていた筈なのに。それなのに、本当に何の前触れもなく、この暗闇においてもあれ程目立っていた目の前の青色が、ごっそり視界から居なくなっていたのだ。

 彼に当たるはずだった斬撃が先の場を通り過ぎる。如何に強力な攻撃と言えど、標的がいなければ虚しく空を切るだけだ。

 そうしてイリヤは斬撃を横薙いだ姿勢のまま、ただ呆然と目の前の空間を眺めていた。

 

 

 

「イリ────」 

 

 

 

 ルビーが、彼女の名を口にしようとしていた。 

 何か気づいたのだろうか。

 なら早く言って欲しいとイリヤは思った。 

 だって、たぶん大変な事になる。

 このままでは取り返しのつかない事になるのだと、己の半身であるクロの折り紙つきの、彼女の直感が全力で警鐘を鳴らしているのだ。

 だけど漠然と背中に這い上がるそんな危機感を前に、イリヤはただ呆然と前を見据える事しかできなくて────

 

 

 

「────上だッッ────!!」

 

 

 

 その時、背後から聞こえた、よく知った声。

 

 

 

「…………っ!」

 その声に反射するように、イリヤは己の頭上に全力で魔力を集めていた。

 

 

 ばり、と鈍い破裂音が近くで鳴った。

 咄嗟に張った物理保護壁。

 複数に折り重なって出現したそれに、強烈な勢いを保ったナニカがかち当たり、あっさりとその全ての防御を突き破っていったのだ。

 

 

「────へぇ」

 そして直後に聞こえた、どこか感心したような声の主────先ほど視界から突如消え去った青の槍兵が、いつの間にか彼女の頭上に忽然と現れ、そうして突き出した槍の反動で軽やかに地に着地するところを、ようやくイリヤは視界に納めた。

 

 

「────っ、お兄ちゃん!」

「わっ!?」

 イリヤは背に庇っていた士郎を引っ掴んで後ろに飛んだ。 

 驚く兄を気遣う余裕もない。

 状況に驚愕している暇もなかったのだ。

 幸い、どうしてかあの槍兵は距離をとるイリヤたちに追撃せず、彼女は無事に態勢を整えることに成功した。

「すみませんイリヤさん! あまりのスピードに警告が遅れてしまいました」

「……うん、すっごく速かった」

 イリヤはルビーを責めなかった。

 先ほど追撃を狙おうとした自分たちが浅はかだったのだ。

 今までに戦ってきたどんな敵よりも、あの槍兵は速い。

 

 

「はい……そしてそれだけに驚きです。いくら私たちより遠距離(ロング)での事とはいえ、まさかイリヤさんのお兄さんが反応なさるとは」

「……」

 そうだ。これで兄に対する『わからない』が、また一つ増えてしまった。

 そのことを怖いと、そう思う。

 けれど、今は余計な事を気にしている場合ではない。イリヤは胸の内に湧いた恐怖に歯を噛んで思考を切って、別の話題を口にすることにした。

「ルビー、あの槍って」

「お察しの通りです、イリヤさん。アレは間違いなく、わたし達が知っているあのカードの槍と同一の存在です。……それに」

 ルビーはいったん口を閉ざすと、普段の彼女に似合わない、ひどく深刻なトーンで言葉を継いだ。

「……それに、わたしが曲がりなりにもあの敵の動きを察知できたのは、実は理由があるんです。それは、『あの敵の身体自体がわたしの感知できる要素で編み込まれている』ということ────ぶっちゃけると、にゃろうの身体は第五架空元素たるエーテル、それによって構成されているんです!」

「だ、第五……? え、えっ、なにそれっ」

 謎の用語にイリヤは思わずたじろいでしまう。

「要するに、あの敵はわたしたちが戦ってきた────」

 困惑するイリヤにルビーが説明を重ねようとした、その時だった。

「────よう」

 遮るようにして掛けられた言葉があった。

 

 

 その声に彼女たちが咄嗟に振り返ると、先ほど尋常ではない動きをしてみせた青の騎士が、どこか呆れたような視線をこちらに向けているところだった。

「あー、お前等、気を抜きすぎじゃねえのか?」

「……っ!」

「まぁ、見てる分には面白えからいいんだけどよ」

 そう言って肩を竦める男にイリヤは困惑を隠せない。

 思えば、先ほどからこの敵は自分たちをいつだって殺せたはずなのだ。

 それなのに何故、彼は隙だらけの自分たちに声をかけるなど、わざわざ抵抗を助長させるような真似をするのだろうか────。

 

 

「それにしても────」

 そんな時不意に、彼の瞳が射抜くように眇められた。

「どうやらお嬢ちゃんは、この槍の事を知っているらしいな」

「っ!」

「……やはりか。ま、最初から変だとは思っていた。聖杯戦争の事を知らない割に、何故かオレをランサーと呼ぶお嬢ちゃんの反応。そして、何より────嬢ちゃんの戦い方は、オレの槍を知っている奴のもんだ」

 魔槍ゲイ・ボルク。因果を歪め、心臓を必ず穿つという結果を約束する必殺の朱槍。

 この槍の持ち主と戦う以上、イリヤは一定の距離を保ち、なんとか槍の効果の範囲外からの攻撃を行わなければならなかった。

「────どこでコイツを知った?」

「…………」

 男の問いかけにイリヤは応えない

 より正確には、応える余裕もなかった。

 立て続けに起こる出来事に頭は困惑を超えてショートしかけていたが、その現状を僅かに残った理性で律して、この場をどうやってくぐり抜けるか、彼女はただそれだけを必死に考えていたのだ。

 

 

 

 

 ────月が、白い月光を落としている。

 淡い光に濡れた庭の地面に、彼ら彼女らの影がくっきりと落ちていた。

 耳の痛い無音。

 音もなく吹きすぎた風が、この場の打開策に懸命に思考を巡らせているイリヤの、その銀の髪を僅かに揺らした。

 一方では、青の騎士がその少女を眇めた瞳で眺めながら、片肩に紅い槍を担ぎ、とん、と、軽く槍の反動に音を鳴らしていた。後ろに無造作に括っている彼の長い髪が、同じように吹きすぎる微風に微かに揺れる。

 

 

 

 

「────はっ」

 

 

 ────不意に

 

 

 青の男が心底楽しげに、愉快そうに虚空に笑い声を響かせた。

 

 

「…………っ?」

「ああ、いや、悪いな」

 先の笑いに、思わず体をビクつかせて身構えたイリヤの様子を察したか、口に手をあててくつくつと笑い声を押し殺しながら、青の騎士は顔を俯かせて独りごちるように呟いた。

 

 

「────いや、おまえ達を馬鹿にして笑ったわけじゃない。むしろ、オレはおまえ達に腹の底からの賞賛を送ろう。

 ま、ちと愚痴を聞いてくれると嬉しいんだが、オレはこの世に現界して以来、つまらねえ仕事ばかりをさせられていてな。……っとに、自分の運の悪さはよくよく知っているとは言え、こればっかしはどうにもやりきれねぇ。

 ────でだ、そんな時の事だ。おまえ達のような、良い目をした連中に出会えたのは。ようやくオレにもツキが回ってきたのかと思えてきてね……ああ、そういえば、さっき出会ったお嬢ちゃんもかなり良い線行ってたけな」

「……」

「ま、そういう訳でおまえらに会えて良かったって話だ」

 くつくつと、本当に嬉しげに笑っていた青の騎士は、そうして最後に言葉を締めると────不意に面を上げ、凛とした顔つきを作ってこちらを見た。

 

 

 雲の隙間から月光が落ちる。地に在る青と紅に反射する。

 妖しい光沢を放つ紅い槍を手に、青の騎士は毅然とした態度でイリヤ達に相対し、言葉を紡いだ。

 

 

「勝手ながら、敬意を示させてもらおう。オレはランサー。言葉の通り、今回の聖杯戦争では槍兵としてこの世に現界している。

 ……ああいや、これじゃ、お嬢ちゃん達はわからないんだったか」

 

 

 男は自身の失敗に頭を掻くと、何の衒いもなく朗々と続けた。

 

 

「────真名はクー・フーリン。太陽神ルーを父とし、母たるデヒテラの胎より生まれ落ちた、古きエリンの地の戦士だ」

 

 

 その言葉に

 何気なく為された彼のその名乗りに 

 ────その場の全員が、息を飲んだ。

 

 

「…………っ」

 

 

 イリヤも士郎も、あのルビーでさえも、口を噤んだまま、ただの一言すら発することができなかった。

 呆然とするそんな彼女達を気にした風もなく、青の騎士は飄々と相変わらぬ態度で独りごちる。

「この槍を知ってるならオレの正体にも薄々感づいてたろうから、先に言わせてもらったが……柄でもなかったか。まったく、お行儀の良い騎士サマじゃあるまいに。────ともあれ、それだけオレがおまえ等を買ってるってこった」

 男は言葉を続けているが、イリヤの頭には何も入ってこなかった。

 だって、全くもって現実味がない。

 目の前の彼は、黒化英霊のように物言わぬ敵ではない。自分たちと同じようにこの世に在り、誰憚ることなく軽口すら叩いているのだ。……それなのに、その存在が、まさか大昔の英雄そのものだなんて────。

 

 

「やはり……これは……無理、ですね」

 ぽつり、とルビーが静寂を破った。

 

 

「黒化英霊なんて比ではありません────目の前のあれは、正真正銘のバケモノです。

 英霊とは、人々の『かくたれ』という想念によって編まれた言わば人類が考える最強の存在。その英霊が、まさか自我を持ったまま目の前に現れるなんて……とにかく、彼らは人の身で打倒し得る存在ではありません。反則です!」

「……反則」

 その言葉が、他人事のようにイリヤの耳に聞こえた。

「ええ、あの八枚目のカードの少年もそうでしたが、今回も相手が最悪です。クーフーリンと言えば世界に三人と居ないほどの槍使い。武としての一を極限まで高めた、違うことなき大英雄です!

 ────イリヤさん、とにかく撤退しましょう!!」

「て、撤退って言われても……っ」

 イリヤは思わず泣き言を洩らしてしまうが、それも仕方ない。

 先ほどの動きからして能力も桁違い。加えてその存在が英雄としての経験を持って敵対してくるのだ。カレイドステッキを有しているとはいえ、イリヤには万が一にも出し抜ける相手ではなかった。

 

 

 彼女達のその遣り取りに、憮然とした様子で片眉を吊り上げた男が口を挟む。

「おいおい、つまんねえ事を言ってくれるなよ。

 オレはこれでも雇われの身でね。下された指令は心底気に喰わないが、こっちの方からおまえらを逃すつもりはこれっぽっちもねえんだ。そんなコトは、今までのオレを見てればわかりきってるこったろう?

 ────それに、まだお嬢ちゃんは何かを隠し持っている。これは直感なんてたいそうなモンじゃなく、単なる勘に過ぎねえんだが、こと戦いにおいてはそう間違いは起こさないと自負していてな。オレはいったいそれが何なのかは知らねぇが────それを、真っ向から受け止めたいと思うオレがいる。打ち破りたいと思うオレがいる。結果なんぞどうでもいい。ただオレは、オレ自身の誇りを満たすために、おまえに全力を尽くしてもらわなきゃ困るんだよ」

 そうして、男は長々とした口上を述べて

「……ま、お嬢ちゃんがもう何もないってんなら、さっきみたいにもう片っ方が足止めってのも悪くはないが。

 なぁ、坊主?」

 ついと持ち上げられた、槍の穂先が向いた先には────

 

 

「ダメ…………っ!!!」

 

 

 イリヤは振り向かないままに、ただ下を向いて声を足元に叩きつけるように叫んでいた。

 その声が張り詰めた空気に反響する。どくどくと、怖いぐらいに己の心臓が鼓動を刻み始めた。

 ……状況は正確に把握していた。

 きっと自分の背後には、どこか知らない人のように決然とした顔で立つ兄の姿があって、そして目の前の青い男に掛けられた言葉に対し、今まさに、その彼が、一歩足を踏み出そうとしているところだったのだろう。そんなこと、わざわざ振り向かなくても分かった。

 

 

「…………っ」

 

 

 だけど、そんな事は認められない。

 先ほど自分は決めたのだ。

 自分が、兄を、絶対に守るのだと。

 

 

「…………何か」

 

 

 知らず、口をついていた言葉に自分で驚く。そして即座に胸の内で反芻する。

『まだお嬢ちゃんは何かを隠し持っている』

 青い男の先ほどの発言。

 それが、不意に脳裏に蘇っていた。

 

 

「何か────」

 俯いたままに再度呟く。また、拳を強く握っていた。

 男が言っていた、今の状況を覆す何か。

 それを、自分はきっと知っている。

 ────思い出せ。

 己に言い聞かせる。

 ────早く、思い出せ。

 ただ、言い聞かせる。

 ────何か、何か────。

 

 

 何か────!!!!!

 

 

 

 

 

 

 その時、ふと、彼女の目に映ったものがあった。

 

 

 

 

 

 

「……そっか。敵が反則なら、こっちも反則すればいい」

 

 

 沈黙を保っていたイリヤは、不意にそう呟いて────瞬間、どこからか取り出した何かを、力いっぱい地面に叩きつけた。

 甲高い音が鳴る。

 その音が、張り付くような場の静寂を突き破った。

 

 

「カード!!? ですが、限定展開では……!」 

 

 

 そのイリヤの行動にルビーが驚きの声を上げた。

 

 

 ────彼女が地に叩きつけたのは、右脚のホルスターに入れていた一枚のカード。

 普通のタロットカードのようなそれの表面には、典型的な魔法使いの老人の姿が描かれている。

 そしてその何の変哲もないカードに士郎と槍兵が疑問を浮かべる一方で、その場で事情を知るルビーだけが、しかしそれ故に、少女の行動に対して疑問を叫び上げていたのだ。

 

 

「────ううん、違う」

 

 しかし、イリヤはその懸念を一言で制して

 

「もうわたしは、カードを使える(・・・・・・・)……!!」 

 

 迷いなく、自身の言葉を発するのだった。

 

 

 

 

「────夢幻召喚(インストール)────!」

 

 

 

 

 彼女の、非常な力の込められた宣言の、その声に呼び出されるように魔力の風が地面より吹き上がった。同時に足元に現れた魔法陣。その下より煌びやかな光が湧き上がって彼女を包みこんだ次の瞬間、少女の身には濃い紫紺のローブが纏われていた。

 

 

 クラスカード・キャスター。

 その冠に刻まれたるは、旧きコルキスの王女『メディア』

 ギリシャ神話に記された裏切りの魔女。まだ神々の奇跡が満ちていた時代に生き、その頃の魔法を自在に手繰った比類なき魔術師。

 

 

 その存在を、イリヤはその身に宿していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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