鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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最終話 あふれる心

 転生者が方天画戟の穂先をアルシェイラに向ける。

 

「アルシェイラ。『鋼殻のレギオス』を読んでる時、あんたが羨ましかったよ」

 

「『鋼殻のレギオス』? 何よそれ?」

 

 そう言った後、アルシェイラはサヤに言われたことを思い出した。この世界が物語として書かれている世界から、魂を連れてきたと。つまり『鋼殻のレギオス』とは、この世界の物語のことを意味しているのだろう。

 

「他人なんか気にせず、自分の好きなように生きて、どんな困難だろうが己の力一つで踏み潰す。人生、さぞ楽しいんだろうなぁ。憧れるよなぁ、そういう自由奔放な人生」

 

「……何が言いたいの?」

 

「要点はこうだ。あんたがこの世界で一番強い。つまり、あんたをぶっ殺せれば、俺の自由を阻める邪魔者は誰一人としていなくなるってわけよ! 俺の自由のために死ねや、クソババア」

 

 転生者がアルシェイラに向けて走り出した。

 レイフォン、サヴァリス、カナリスが前と左右から同時に攻撃を仕掛ける。

 転生者はそれら全てを防ぎ、全身から電気を放出した。閃光の乱舞。化練剄で剄を電気に変化させた剄技。

 錬金鋼(ダイト)を持っていないレイフォンは後方に跳躍しつつ、衝剄で閃光を相殺した。だが、サヴァリスとカナリスは天剣に閃光が絡みつき、衝剄で相殺する間もなく電撃が全身を打った。二人は全身に火傷を負いながら、その場に倒れた。死ななかったのは咄嗟になるべく多くの剄を防御に回せたからだった。そういう咄嗟に剄を制御する技量を向上できていたのは、ルシフを倒すための特訓によるところが大きい。

 転生者はそんな二人を見てニヤリと笑い、方天画戟を倒れた二人に向ける。完全に息の根を止めるためだ。

 転生者は方天画戟を反射的に横に薙いだ。ビリビリと方天画戟を持つ左手が震える。アルシェイラが放った衝剄を防いだ影響だ。

 

「はっ、手下をやられて怒ったのかよ?」

 

 アルシェイラは転生者を憤怒の形相で睨んだ。二叉の槍を持つ手は怒りで震えている。

 

「美しくてスタイル抜群のわたしのどこがクソババアだ!」

 

「そういうとこだよ。若い女にババアって言っても怒らないだろ?」

 

「ぐぬぬ……」

 

 アルシェイラが歯ぎしりしていると、リンテンスの鋼糸が全方位から転生者に襲いかかった。転生者は方天画戟を回転させて防ぎ、リンテンスを見据える。

 

「大分わかってきたよ。この身体の使い方ってヤツがさあ……。天剣最強、コイツが防げるかな?」

 

 方天画戟に剄を集中し、リンテンスに向けて振り抜く。方天画戟の剄が衝剄となり、閃光がリンテンスに迫る。

 リンテンスは鋼糸を網状に張り巡らせた。閃光が鋼糸の網にぶつかる。すると、鋼糸で切られたように閃光が細切れになった。まるで針のような形状となった無数の閃光がリンテンスに直撃。リンテンスは遥か後方まで吹き飛んだ。

 

「はッ、鋼糸じゃ面での攻撃は防げねえよなあ? 何が天剣最強だよ、笑わせてくれる。けど……あぁ、まだ息あんな、あのニコ中」

 

 周囲の鋼糸が消えずに漂っているのを横目で見つつ、転生者はため息をついた。

 ティグリス、トロイアットがそれぞれ弓と杖を転生者に向けている。アルシェイラも二叉の槍を転生者に向けて構えていた。レイフォンは転生者の動きを観察するように少し離れた場所にいる。

 

「よく漫画とかで悪役が言うだろ? 簡単に殺しちゃつまらないとかさ。読んでる時は『いやさっさと殺しちまえよ』って思ってたんだけど、実際その立場になってみるとさ──いやいや、俺は主人公だからむしろ悪役はお前らなんだけど、そこは今の話で重要じゃない。つまり、要点はこうだ。殺すより生かしつつ痛めつけた方が自分に対する恐怖を感じられていいなあ!」

 

 嬉々として話す転生者の姿。

 ルシフの容姿をしているのに、別人のように醜悪な顔に見える。表情にルシフにはない闇があるからだ。

 

「狂ってる」

 

 レイフォンが呟いた。

 

「人間なんざ誰もが狂ってるだろうが。真人間ぶるなよ。真人間に見える奴らってのは弱い人間さ。弱いから敵を作らないように欲望を制御するんだ。そいつらに力を与えてみ? あっという間に狂った人間ができあがるぜ」

 

 転生者のレイフォンに噛みつく言葉に、その場にいる者はため息をつきたくなった。こいつの思考は偏見で凝り固まっており、何を言ったところで無駄だと悟ったのだ。

 転生者が右手の平をティグリスとトロイアットの方に向ける。

 

「吹っ飛べ」

 

 右手の平から凄まじい衝剄が放たれた。それは衝撃波をともなった閃光となり、周辺のものを吹き飛ばしながら突き進む。

 ティグリスとトロイアットは回避しようとして、その後ろに多数の武芸者と都市部があることに気付いた。回避すれば多数の武芸者はあの衝撃波に耐えられず、身体がバラバラになるかもしれない。下手すれば、都市部も壊滅的な損害を被る可能性もある。そうなってはグレンダンは立て直せない。グレンダンの備蓄資源は先のグレンダン崩壊の復興でほぼ使ってしまっているのだ。

 ティグリスとトロイアットは回避せず、その場で剄を高めて防御態勢をとる。衝撃波をともなう閃光に向かって衝剄を放出して少しでも威力を軽減させつつ、きたるべき衝撃に備えるべく剄による身体強化を最大限にした。

 閃光が二人に直撃した。二人は吹っ飛ばされ身体のいたるところの骨が砕けたが、なんとか一命はとりとめた。閃光は二人に直撃した時点で消滅。

 転生者は不思議そうに首を傾げる。

 

 ──なんでこうも簡単に攻撃が当たった? 防げるという自惚れ? いやいや、 それはないだろ。俺が女王に匹敵するほど強いことは最初の攻防で分かってんだ。ん~……。

 

 ティグリスとトロイアットが吹っ飛ばされた背後。転生者は剄を眼に集中して視力を強化。

 グレンダンの都市部と多数の武芸者の存在が確認できる。

 

 ──はーん、なるほどね。そういうこと。

 

 転生者がニヤリと笑った。

 

 ──どうやらこの身体は宿主の望むことを反射的に実現するようだからな、面白くなりそうだ。

 

 実のところ、転生者は剄を制御しているわけではない。リンテンスの時はただ面での攻撃を望み、ティグリスらへの攻撃は吹っ飛ばすことを望み、今も視力を良くすることを望んだ。そういう望みをこの身体が受信し、その望みを叶える剄の制御を自動で行うのである。更に命の危機が迫れば、最適な防衛行動をする。防御行動でないことが、転生者は気に入っていた。攻防一体であり、防いで敵を倒すところまでがワンセットなのだ。防いで終わりではない。

 方天画戟を横にしつつ後ろに引く。転生者の身体はティグリスとトロイアットがいた方向に向けられている。

 

「全部消し飛べや!」

 

 方天画戟に瞬時に剄が集中し、振る動作に合わせて閃光が放たれた。先程よりも太くて強力な閃光であり、破壊力も衝撃波も前よりも上。

 その閃光を横から直視したアルシェイラの脳裏に、ルシフのデュリンダナへの攻撃で王宮と中央部が崩壊していく光景がまずよぎった。次に、決戦が始まる前にグレンダンの武芸者に対して死なせはしないと言った時の彼らの顔。

 

「やら……せるかぁ!」

 

 アルシェイラが駆けた。その速さは稲妻のようであり、一瞬で閃光の前に立ち塞がった。二叉の槍を前方に構える。白い閃光が二叉の槍と衝突。凄まじい衝撃波がグレンダンの外縁部を駆け巡り、並の武芸者は吹っ飛ばされた。アルシェイラは槍と足に剄を集中させ、その場で踏ん張っている。

 そこで、閃光に変化が起きた。閃光が更に強烈な光を放ちつつ爆発したのだ。どうやら内部を化練剄で火の性質に変化させていて、それが衝剄と混じったことで爆発を引き起こしたらしい。なんにせよ、その爆発を至近距離で浴びたアルシェイラは後方に転がるように吹き飛んだ。身体中に火傷を負い、ルシフにつけられた傷も含めて重傷だった。爆発による衝撃により、全身のいたるところを骨折もした。簡潔に言ってしまえば、アルシェイラは戦闘不能になった。

 

「ハハハハハハッ! ザマァねぇなあ! ええ!? アルシェイラよお! あんたの強さは何にも縛られず、好き放題に力を振るうところだったはずだろうが! それがザコと都市を守ろうなんざ考えるから、弱くなっちまったんだ! あんたが守ろうとしたモンを見てみな」

 

 アルシェイラが転生者の言葉で、首を必死に動かして後ろを見た。爆発の衝撃波はアルシェイラだけでなく、アルシェイラの背後にいる者たちにも及んでいたため、全員アルシェイラより後方に吹っ飛んでいたのだ。

 

「あああああああ! あちぃ! 誰か! 誰か火を消してくれえ! あああああああーッ!」

 

「ッ!」

 

 アルシェイラの視界に飛び込んだのは、爆風の炎に全身を包まれ、絶叫しながら地面を転げまわっている何十人もの武芸者の姿。やがて彼らは動かなくなり、叫ばなくなった。

 

「アッハハハハッ! 見たかおい! あんたが守ろうとしたやつの末路をよお! ああ、たまんねえぜ! これだよ俺が求めていたモンは! お前らが俺に選択肢を与えるんじゃない! 俺がお前らに選択肢を与えてやんだ! 思い違いをするんじゃねえよ! クソどもが!」

 

 後半の言葉はここにはいない誰かに向けて言われているようだった。

 それにしても皮肉なのは、不殺の信念を貫き闘っていたルシフはなかなか相手を倒せなかったのに、殺すつもりで戦った転生者が結果として命を奪わず女王と天剣授受者たちを戦闘不能にできていることだ。ルシフも不殺など考えず闘った方が結果として理想通りの勝ち方ができたかもしれない。しかし、『殺すつもりで戦ったけど殺せませんでした』と、『最初から殺すのではなく倒すつもりで闘い殺しませんでした』では意味合いが違ってくる。殺すつもりで殺せなかったというのは、ルシフにとって敗北と同義である。掲げた目的を達成できなかったのだから。

 さて、話を戻そう。ついに転生者よりスペック的には上の女王まで倒れてしまった。事実として、今まで拮抗していたパワーバランスは崩れてしまったことになる。女王がいたからこそ、ルシフも天剣授受者たちを戦闘不能にする余裕が無かった。女王がいなければ、何人天剣授受者が集まろうとルシフは次々に戦闘不能にできただろう。

 転生者は勝ち誇った表情で周囲を見渡す。天剣授受者で残っているのはバーメリン、リヴァース、カウンティア、ルイメイ、カルヴァーン。レイフォンもいるが、所詮レイフォンなど主人公になれなかった奴だ。実力も天剣授受者レベルだから、脅威にはならない。あと原作で天剣授受者レベルだったのはニーナだが、今の時系列がどの時点か分からない。もしかしたら今のニーナは電子精霊を憑依させていないかもしれない。まあ憑依していたとしても、ニーナの未熟な技量では天剣授受者レベルまでしかいかなかったのだから、敵ではないが。

 

 ──ならやるべきことは……。

 

 転生者はまだ息があるアルシェイラに顔を向けた。正直転生者はアルシェイラを殺そうか迷っていた部分があった。レヴァンティンの襲撃において、アルシェイラの死はグレンダンの致命傷になるからだ。グレンダンが崩壊すれば、この世界そのものが終わる。それがこの世界のルールなのだ。

 だがレヴァンティンだろうが、アルシェイラを圧倒したこの力があれば軽くぶっ殺せるのではないだろうか。ここでアルシェイラを殺せば、世界の全てを好きにできる。その誘惑は、転生者にアルシェイラを殺す決断をさせた。

 倒れているアルシェイラに向けて、転生者が歩き始める。

 その後ろ姿をじっと見つめている少女がいた。マイだ。

 マイは現在の状況を分析し、計算していた。倒すことに拘ったが故に倒せなかった女王は倒れた。つまり、ここでルシフの人格が戻ってこれば、逆転勝利でこの決戦を終わらせることができる。ルシフの別人格はもう用済み。それにマイ自身、今のルシフからは恐怖と絶望しか感じられなかった。時折見える愉しげなルシフの表情がとても醜悪なものに見えてしまう自分が、嫌で嫌でたまらなかった。早くいつものかっこよくて、強くて、優しいルシフに会いたい。そんな想いが恐怖を相殺し、絶望に希望を添えた。震えていた身体を動かす原動力となった。

 マイは駆け出し、転生者の腰に抱きついた。

 

「もうやめて! ルシフさまに身体を返して!」

 

「あぁ?」

 

 転生者がマイを振り払いつつ、肩越しにマイを見た。

 マイは振り払われた反動で尻もちをついたが、すぐに起き上がる。

 

「なんべん言わせるのかな? 俺がそのルシフなんだって。てかさ、さっきはなんとも思わなかったけど、『さま』づけしてるね、俺を。メイドかなんか? いや、異世界転生つったら、奴隷の購入がセオリーだからそっちか? ううーん……まあ、どっちでもいいか。要点はそこじゃないな。要点はここだ。キミを俺のハーレム第一号にしてやる。そう今俺が決めた」

 

「……は?」

 

 あまりの衝撃的な言葉に数秒マイの思考は停止したが、言葉の意味を理解するとマイの身体は恐怖で再び震え始めた。

 転生者はマイの顔に恐怖に支配されたのを見て、唇の端を吊り上げた。マイの方に向き直る。

 

「聞こえたろ? 俺の世話をさせてやるっつってんだ。主に夜の。今までも毎日のようにやってきたんだろ? キミみたいな美少女を侍らせて何もしないなんて男として有り得ないからね」

 

「何もやってません! ルシフさまはそういう目で私を見ませんでした!」

 

「はあ!? 有り得ねえ……男として終わってやがる。けど、まあ、そこは別にいいか。要点はこうだ。調教済みより調教前の方がそそる」

 

「……気持ち悪い。吐きそう」

 

 マイが嫌悪感を顕にして吐き捨てた。

 

「言っとくが、一方的にやらせるつもりはないぜ? 豪華ででかい屋敷、高価な宝石や装飾品、高級で美味い食事、キミが望むものならなんだってあげるよ。それだけの力が、今の俺にはあるんだ。な? 悪くない話だろ?」

 

 マイの脳裏をかけ抜けるは、ルシフと今まで過ごした日々。

 

「豪華で大きいお屋敷……良いですね」

 

「だろ?」

 

「高価な宝石や装飾品……良いですね」

 

「だろ!」

 

「高級で美味しい食事……良いですね」

 

「だろお!!」

 

「でも、あなたに従うつもりはありません。それよりもっと良いものを、ルシフさまは私に与えてくださいました」

 

「はあ? なんだよそりゃ?」

 

「心」

 

 確かに転生者が例としてあげたものはどれも良い。だがルシフの場合、それらのものが無くても、ルシフさえいればいい。ルシフの傍にいられるなら、他に何もいらない。どんな場所だって、ボロボロの服だって、粗末な食事だって、ルシフと一緒にいられさえすれば最高の一時になるのだ。

 転生者から笑みが消えた。

 

「……心? ナメてんのか? そんなモン、なんの価値もねえガラクタ同然のモンだろうが。それからよお……お前に選択肢はねえんだよ。分かるだろ? あぁ!? お前が拒否しても、無理やり連れていくに決まってんだろうが! 俺がそう決めたんだから、俺の思う通りにならないとダメなんだよ!」

 

 転生者の全身から凄まじい剄と殺気が放たれた。

 

「……あ……ああ……」

 

 マイはあまりの恐怖に失禁していた。腰が抜けたのか、力無くその場に両膝をついた。

 

「俺に付いてくるよな?」

 

「……あぅ……ぅぅ……」

 

 マイの身体は更に震え、歯も噛み合わずに何度も何度もガチガチと音を鳴らしている。全身の穴という穴から汗が噴き出し、涙と鼻水がダラダラと流れていく。

 

 ──怖い。

 

 ここで拒否したら、どんな目に遭わされるか。幼少の時に思う存分経験してきた。

 

 ──怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

 

 屈してしまえば、痛い目に遭わなくてすむ。苦しまなくていい。

 

「わ……わた……わたしは……あなたに……し、したが──」

 

《マイ、お前は俺の『目』だ》

 

 ルシフの声が、マイの耳に響いた。

 ルシフと過ごした日々。どんな相手にも恐れず立ち向かったルシフの姿。ルシフに言われた言葉。それらが頭をぐちゃぐちゃにかき回す。

 

 ──そうだ。私は、ルシフさまの『目』で、ルシフさまの一部。ルシフさまの一部なのに、情けないことできないよ。

 

「……うとでも……言うと思った?」

 

 マイは必死に身体の震えを抑えこんだ。両足に力を込め、ゆっくりと立ち上がる。

 

「なんだって?」

 

「お前なんかに屈してたまるかああああああ!!」

 

 腹の底から、喉が潰れるほど思いっきり全力でマイは叫んだ。叫ぶことで恐怖を抑え込む。

 

「無理やり連れていかれる前に死んでやる! 私を犯したかったら、私の死体を犯せ!」

 

「……そうかよ。もういいや。そんなに死にたきゃ、俺が死なせてやる。お前が慕う男の身体に殺されるんだ。悪くはないよな?」

 

 方天画戟が振りかぶられた。

 マイの青い瞳が方天画戟を映し、次に転生者の赤い瞳を映す。

 

「ル……ルシフさまああああああ!」

 

 マイの絶叫とともに、方天画戟が振り下ろされた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 

 ──ルシフさまああああああ!

 

 暗転した世界に意識が溶けきる直前、誰かの絶叫が聴こえた。

 

「……マ……イ……?」

 

 意識が急速に暗闇から浮上した。

 暗闇に漂いながら、ルシフは目を開けた。

 そうだ。今この瞬間にも、あの転生者が、俺の身体を使って悪行の限りを尽くしているかもしれない。メルニスクに万が一の場合に備えて頼んでおいたが、それも確実とは言えない。

 

 ──何をやってるんだ俺は……。何を考えていたんだ……俺は!

 

 神に勝てなかった? 運命に勝てなかった? 違うだろ! まだ俺はこうして思考できている。まだ死んでない。死ぬまで、絶望などしている暇はない!

 

 ──勝てなかったら、勝つまでやる! それこそ! ルシフ・ディ・アシェナだろうが!

 

 ルシフの身体が光り輝き、周囲の暗闇を押し潰していった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 マイの首すじで、方天画戟が止まった。

 

「……え?」

 

 マイは首すじの方天画戟を横目で見る。

 

「な、なんだこりゃ……身体が……あ、ああああああ!」

 

 方天画戟はそのままで、転生者が右手で頭を押さえた。

 苦しげな叫び声はしばらく続き、叫びが唐突におさまる。

 

「……マイ?」

 

 ルシフが呟いた。

 

「ルシフさま? ルシフさまですか!」

 

 マイが正面からルシフに抱きついた。

 ルシフはマイを引き剥がし、マイの全身を見る。傷は無さそうだ。良かった。

 

「ぐっ……!」

 

 方天画戟を持つ左腕が勝手に動き、マイを再び殺そうとする。ルシフが右手で左腕を打ち、軌道を逸らした。

 

 ──身体の主導権は完全にヤツにもってかれている……!

 

「マイ、俺から離れろ!」

 

「は、はい!」

 

 マイが慌ててルシフから距離を取る。

 ルシフは周囲をゆっくりと見渡した。倒れているアルシェイラや天剣授受者、黒焦げになっている多数の人だったもの、両断された人々。

 ルシフの表情が歪む。

 この事態は、俺の弱さが招いた。俺の責任だ。

 

 ──俺自身の手で、この事態の収拾をつける!

 

 剄を制御し、化錬剄で剄に斬性をもたせ、その剄で首をはねようとする。剄が不可視の鞭となり、首をはねる直前、不可視の鞭は消滅した。不可視の鞭へ衝剄がルシフの意に反して放たれたからだ。

 ルシフが右手に斬性の剄を集中させて首を切ろうとしても、やはり首に触れる直前に止まる。方天画戟で身体を貫こうとしても、やはり戟を操っている左腕が硬直する。

 どうも死の危険がある行動は反射的に防ぐようになっているらしい。

 

《この死にぞこないがぁ! さっさと身体を返せや!》

 

 頭にヤツの声が響く。

 ルシフは無視して、自分を殺そうと色々試し続ける。

 

《分かってんだろ!? もう優劣は決まったんだ! すぐにまた俺の身体になる! 無駄な足掻きはやめちまえ!》

 

 ──……最悪だ。

 

 思いつく限りの自殺方法を試したが、全て無駄だった。

 自分を殺すことはできない。

 ルシフは視線を巡らせる。レイフォン。目があった。様子のおかしいルシフから距離を取って注意深く様子を窺っている。

 

 ──ああ……本当に最悪だ。まさか、自分の尻を拭くのに他人の手を借りることになるとは……。

 

 だが、背に腹はかえられない。この場合の犠牲はルシフのプライドである。それだけのものを犠牲にしてでも、コイツだけは確実に今殺さなくてはならない。

 

「アルセイフ!」

 

「ルシフ……か?」

 

 ルシフの声に、レイフォンが冷静さを保つよう努めつつ問いかけた。ルシフはもちろんレイフォンの心情などどうでもいい。

 

「アルセイフ! 俺を殺せ!」

 

「……なんだって?」

 

「俺がこの身体を抑え込む! 俺が抑えている内に殺せ!」

 

 レイフォンは明らかに動揺した。

 ルシフは舌打ちする。

 

「グレンダンやフェリ・ロス、リーリンなど、お前の大切なものが傷つけられてもいいのか!? 殺さないなら俺自らお前の大切なものを壊して回るぞ!」

 

「キミはホントに狂ってるよ!」

 

 たまらずレイフォンは叫んだ。

 まったくもってメチャクチャな理屈である。要は殺す気になるまで破壊、蹂躙し続けるとルシフは言っているわけだが、そもそもそうさせないために殺せと言っているのにそれを実行してしまったら本末転倒である。意味が分からない。だが極めて残念なことに、ルシフは本気かつ真剣であった。ルシフはやると言ったことは必ずやるのだ。まさしく有言実行の塊のような人間。

 ルシフは百人傷つけることで千人助けられるなら、笑ってそれを実行できる人間である。この場合の理屈もこれと同様であろう。

 レイフォンは迷いが表情に出ていたが、やがて消えた。覚悟を決めた顔つきになる。

 ルシフは左手を開き、方天画戟を下に落とした。鈍い音が響く。

 レイフォンがルシフに向けて走り出した。

 ルシフはすかさず剣帯から天剣ヴォルフシュテインを抜き取り、レイフォンの方に放った。

 レイフォンは驚きつつも天剣を掴み、レストレーションと呟き復元。復元できたことにより、レイフォンは確信に至る。

 

 ──ルシフ……キミは怖れていたんだな。いつかこんな日が来るかもしれないと。だから、自分を殺すための武器を肌身離さず持っていたんだ。

 

 レイフォンが剣を構えて迫るにつれ、ルシフの内からの転生者の声が必死さを帯びてくる。

 

《やめろぉ! ホントに、ホントに死んじまうぞ! 分かった! この力は人助けにしか使わない! 目が覚めた! 俺は聖人になる! だからやめろォ!》

 

 ルシフは鼻で笑った。

 

《転生者……お前には怒りもあるが、感謝もしている。お前の知識のおかげで、この世界を効率良くぶっ壊すことができた。だから……俺もお前とともに死んでやる。俺みたいな史上最高の男が心中してやるんだ。感謝しろ》

 

《誰が感謝なんかああああ! 嫌だ! せっかく楽しく生きられそうなのに、死ぬのは嫌だああああ!》

 

 レイフォンは剣を振りかぶる。

 

「斬らないでええええええ!」

 

 マイの絶叫がレイフォンの耳を突き刺した。レイフォンが横目で声がした方を見ると、マイがルシフの方に走っている姿が見えた。ルシフまでの距離は四、五メートル。

 レイフォンの頭にルシフとともにいた日々や、ルシフを慕う人々の顔が次々に浮かぶ。最後に、悲しげな顔をしているリーリンが浮かんだ。

 レイフォンは振りかぶった剣を下ろそうとする。しかし、ここでレイフォンは気付いた。あのルシフのこと。自分の優柔不断さは計算に入れているに違いない。

 レイフォンが天剣に意識を集中すると、目に見えないほど細くて、微かな剄しか感じない剄糸が天剣に張りついていた。どうやらルシフはこの剄糸で天剣を操り、レイフォンの意を無視して自分を斬ろうと考えているらしい。レイフォンはただ天剣を復元し天剣の間合いまで持ってくる役割に使われただけ。

 レイフォンは天剣から剄糸を引き剥がし、天剣も錬金鋼状態に戻した。これで、万が一にもこの天剣でルシフを斬れない。

 ルシフは驚愕の表情でレイフォンを見ている。ズキリ、とレイフォンの心が痛んだ。

 

「ルシフ、僕の知ってるキミならあんな人格に負けない。殺すなんてしなくても──」

 

 不意に、ゾクリとレイフォンに悪寒が走った。ルシフの唇の端が吊り上げられ、勝ち誇ったような表情をしたのだ。

 レイフォンの背後、黄金の粒子が瞬時に集まり、牡山羊の姿を形作る。レイフォンは身体の内側から、何かの力が止めどなく溢れてくるのを感じた。

 その力はレイフォンの全身を包み込み、天剣まで達する。

 

「レストレーション」

 

 レイフォンの声ではない。ルシフの声である。

 ルシフの声に反応し、天剣が再び大剣へと復元。どうやらルシフは、この牡山羊の力とルシフの声を復元鍵語として追加していたようだ。

 斬る直前での逡巡。天剣への剄糸の察知。その対処と錬金鋼状態への移行。そして、そうした対応を経て生まれた安堵と油断。これら全て、ルシフに読まれていた。

 

 ──何もかも……キミの手の平の上か!?

 

 レイフォンは必死に身体をコントロールし、黄金の牡山羊を自身の身体から引き剥がそうとする。

 

 

 

 ──全て、計算通りだった。

 

 メルニスクに身体の自由を奪われたレイフォンを見て、ルシフの笑みは深くなった。

 レイフォンが優秀な武芸者であることは、ルシフも認めていた。また殺す度胸がないこともよく理解していた。故に必ず剣は斬る直前で止まり、またルシフという人間を知っているなら、必ず何か天剣に仕掛けをしたはずという答えに達する。バレないように付けられた剄糸に気付き、また万が一に備えて錬金鋼状態に戻す。ここまですればもう大丈夫だろう。そう思って気を抜いた一瞬。そこが、ルシフにとって狙い目だった。

 レイフォンをもし身体が奪われ自殺できなかった場合の保険として選んだのは、原作知識が主な理由であった。

 レイフォンは主人公として原作では書かれているが、後半の扱いは不遇と言ってもいい。まるで邪魔者のように扱われ、物事の中心には関われない。だが主人公として書かれているためか、重要な場面には必ずと言っていいほど姿を現す。またレイフォンの行動理由も、リーリンのためとかニーナのためとか言っているが、別に深いものは何もない。

 この原作知識を以てすれば、レイフォンの脅威度はかなり低いと言わざるを得ない。レイフォンを味方につけるのも簡単だ。故に、転生者はレイフォンの殺害をしないか、殺害するにしても後回しにするのではないか、とルシフは考えたのである。

 メルニスクに身体を乗っ取られたレイフォンが、悔しげな表情で大剣を再び振りかぶった。

 メルニスクはこの計画についてルシフが話していた時のことを思い出していた。マイがハイアに誘拐され、マイアスの武芸者をルシフが蹂躙した後。

 『頼みがある……!』と言った後、ルシフは頼みの内容を話した。もし別の魂にこの身体を奪われた時、そいつに力を貸すな。俺の意識が残っていて身体の自由がきかず、自分の殺害を他人に任せるしかできなかった場合、レイフォンが殺そうとしてきた時は、レイフォンに俺は奪う予定の天剣を渡す。レイフォンは必ず直前で斬れない。天剣も錬金鋼状態に戻す。その油断をつき身体を奪い、以前俺にやったように身体を操れ。天剣は復元できるよう手を打っておく。復元した天剣で俺を殺せ。レイフォン以外の者が殺そうとしてきた場合は、そいつに力を貸してやれ。身体は奪わなくていい。レイフォン以外の奴なら、俺を殺すのに躊躇はしないだろう。

 頼みを聞いた後、『本当にそれでいいのか』とメルニスクは問い掛けた。ルシフはああ、と肯定した。

 その時から、メルニスクは決めたのだ。もしそんな時が来たら、自分がルシフを殺すと。他でもないルシフが、血を吐くようなすがる声で頼んできたのだ。これに応えるのが、ルシフに電子精霊として救い上げてもらった自分にできる恩返しではないか。どれだけ殺すのが嫌でも、もう共にいられなくなるのが辛くとも、ルシフの願いを叶える。それが、自分の為すべきこと──。

 しかし、振りかぶった大剣をなかなか振り下ろせない。メルニスクの記憶が掘り起こされ、ルシフと共にあった日々がフラッシュバックする。不快な気分になった時もあるが、新鮮で充実し、何より温かかった日々。自分を友と呼び、相棒と呼んでくれた変わり者との光溢れる日々。

 

「斬れ! 相棒!」

 

 ルシフの怒鳴り声。

 メルニスクはハッとした。ルシフはレイフォンではなく、その背後にいるメルニスクを真剣な表情で見つめていた。

 大剣を振り下ろす。大剣はルシフに当たる直前で一瞬止まり、また振り下ろす動作を再開した。

 ルシフの身体に斜めで深く斬線が刻まれた。 メルニスクの力と黄金の粒子が傷口から侵入してくる。

 

《ああああああ! いてえ! いてえよ! こんなの死んじまう! 死んじまうよおおおお!》

 

 身体の主導権は転生者が持っていたため、痛覚も共有していた。

 ルシフは自分の身体を必死に動かないよう抑えていたが、勝手に身体を動かそうとする力はきれいさっぱり消えていた。どうやら死を確信したことと激痛で精神が崩壊し、肉体がまだ死んでないのに転生者の魂が離れたらしい。痛みに慣れてないから、そうなるのだ。ざまあみろ。

 

「ははははは……」

 

 ルシフは乾いた笑いをあげながら、膝をつきそうになる自分を気力を振り絞って支えた。

 目の前にいるレイフォンはすでにメルニスクの支配から脱していた。メルニスクはレイフォンの斜め後方に静かに佇んでいた。

 レイフォンは悲しげに目を細めていた。幾重にも策を巡らし、そこまでしてでもあの別人格を殺そうとしたルシフの世界を、人の命を救おうとする意志を明確に感じとったからだ。

 レイフォンと目が合うと、ルシフは微笑んだ。レイフォンがハッとした表情で、ルシフを見返す。

 

「すまん、アルセイフ」

 

「……は?」

 

「本当は自分で何もかもケリをつけたかったんだが、お前の手を借りなければならなかった。俺の命を、お前に背負わせることになる。本当にすまない」

 

「謝るな! ルシフ・ディ・アシェナが、他人に謝るな! キミはいつだって謝らなかった! 自分は間違えないし、失敗もしない! それがルシフの在り方だったじゃないか! だから謝るな! 謝るなんて、まるで──」

 

 死を受け入れているようじゃないか。

 理解したんだ。ルシフという男を。先入観や偏見を無くして、これから仲良くなれそうな気がするんだ。友だちに、なれる気がするんだ。たとえキミがそう思ってくれなくても。

 ルシフは目を丸くしたが、すぐに笑い声をあげた。笑ってる最中に咳き込み、血を吐き出した。

 

「ルシフ!?」

 

 吐血したことに驚き、より接近しようとしたレイフォンを横からマイが突き飛ばした。

 レイフォンは思いがけない方向からの衝撃にバランスを崩し、二歩、三歩と横によろめく。

 

「ルシフさま! ルシフさま!? 死なないでください! ルシフさま!」

 

 マイがルシフの身体に刻まれた斬線を見て悲鳴をあげた。切り口はとても深く、内臓まで見える始末だった。まだルシフに意識があり、生きているのは一重に剄による延命が優れているだけであり、常人なら即死である。

 ルシフは震える左腕をゆっくり上げ、マイの右頬を優しく撫でた。マイはその手に右手を重ね、ルシフを見つめた。

 

「マイ……この世界に、俺よりいい男はいない」

 

「当然です!」

 

 一瞬の迷いすらなく、マイが即答した。

 ルシフは嬉しさと悲しさが同時に襲ってきたような複雑な感情に襲われた。

 

「だが、俺よりお前を大事にしてくれる男なら、腐るほどいる」

 

「……え?」

 

 マイが困惑し、泣きそうな顔になる。

 

「ルシフさまより大事にしてくれる人なんていません! 嫌です! そんなこと言わないでください!」

 

 マイの瞳に涙が浮かび、叫んだ。

 

「マイ、よく聞け。怖がらずに世界に飛び込むんだ。世界はお前が思っているより、お前に優しいんだ」

 

 唐突に、ルシフは悟った。

 自分はマイにこの一言が言いたくて、世界をぶっ壊したかったんだな、と。

 全く滑稽な話だ。たかがそんな一言のために、世界の全てに喧嘩を売り、世界のシステムそのものをぶっ壊したのだから。

 だが、それが人間の強さだ。力でも、頭脳でも神と運命には勝てなかった。強靭な意志こそ、神をも超える人間の武器なのだ。力も知恵も、その意志の付属品でしかない。

 マイもルシフの言葉を聞き、ルシフが今まで世界を破壊して新世界を創ろうとしていた理由は自分のためだったと悟った。

 マイの目から涙が止めどなく流れ落ちる。

 世界なんて、どうでもよかった。ただルシフが傍にいてさえくれれば、それでよかった。

 

「私はそんなの──!」

 

 望んでない、と言おうとして、マイは黙り込んだ。

 もう、ルシフは助からない。それは痛いほど分かる。これが最期なのだ。その最期に、ルシフの想いを否定して何になる。

 

 ──笑うんだ。

 

 いつも、自分のために笑っていた。いつも、自分のために生きてきた。純粋にルシフさまのためにやれたことなんて、何一つない。

 

 ──最期くらい、笑え。自分のためじゃなく、ルシフさまのために笑え! 汚なくて醜い私にだって、ルシフさまのために何かできるんだって、最期の最期に証明しろ!

 

 マイは必死に泣き顔を笑顔にした。

 何も言葉は言えなかった。口を開けばたちまち泣き顔に戻ってしまうと確信していたからだ。

 ルシフもマイのぐしゃぐしゃな笑顔を見て、笑みを浮かべた。左手は優しくマイの右頬に添えられている。

 

「お前に出会えて本当に良かった」

 

「……ッ!」

 

 マイの顔が歪み、涙が次々に溢れていく。唇が震えていた。それでもマイは、必死に笑顔を崩さないようにしている。

 ルシフはマイの右頬から左手を離し、地面の方天画戟を掴んだ。方天画戟を地面に突き刺し、それを身体の支えにし、膝を伸ばして立つ。

 正面には、メルニスクが佇んでいた。

 

「他ならぬ、汝の頼みだ。汝と共にある存在として、汝を斬った。だが我は……そんな頼み聞きたくなかった」

 

 メルニスクは頭をルシフに向けているが、感情は読めない。

 ルシフはメルニスクに向かって微笑んだ。

 

「それでも……お前は頼みを聞いてくれた」

 

 今回だけではない。メルニスクにはずっと助けられてきた。メルニスクのおかげで、俺はここまで来れた。

 今まで、自分の弱さを認めるようで、どうしてもメルニスクに感謝の言葉を言えなかった。でも今なら、素直に言える気がする。

 

「今までありがとう、相棒」

 

 メルニスクはルシフを見つめていた頭を地面に向かって下げた。電子精霊なのに、まるで草を食む草食動物のような動きをしたことがおかしくて、ルシフは笑った。

 別れの言葉は言わない。死んでも自分の一部はメルニスクの中に残り、これからも共に生きていけると信じているからだ。メルニスクがそう思っているかどうかは置いといて。

 戟を支えている左手から力が抜けていく。最期の力を振り絞り、方天画戟を地面により深く突き刺した。

 やがて力が完全に抜け、ルシフの瞳から光が消えた。それでも方天画戟が支えとなって、ルシフは倒れず立ったままだった。

 

 

 

 マイは顔を俯けていた。

 マイの視界には、方天画戟とルシフの下半身が見えている。

 

「人間なんて、醜い生き物じゃないですか……」

 

 小さく、マイが呟いた。

 

「人間なんて、愚かな生き物じゃないですか……」

 

 マイは今までルシフに対して好き放題言ったりやったりしてきた人間たちを思い出していた。

 

「人間なんて、自分と自分に近しい人以外はどうでもいい、自分勝手な生き物じゃないですか!」

 

 ルシフの思いも分からず、理解しようともせずに踏みにじった民衆。ルシフに構ってもらうために今まで自分がやってきたこと。それらが次々に脳裏をよぎる。

 

「そんな生き物が支配する世界のどこに、優しさなんてあるんです!? 答えてください! 答えてよ! ルシフさまああああああ! うわああああああ!」

 

 マイが両膝を地面につき、号泣した。何度も涙を拭っている。

 レイフォンは静かにルシフに近付き、開いたままの目のまぶたを指で下ろして閉じさせる。

 レイフォンは背後に気配を感じた。振り返りはしなかった。その者が纏う剄で、背後の相手には察しがついていた。

 

「ルシフが、死にました」

 

 レイフォンの背後にいる者──ニーナは息を詰まらせた。それでも、ニーナの目に涙はない。

 決めたことがある。自分は絶対に泣かないと。泣いてルシフの死を悲しむ資格など、自分にないのだと。自分が勝手なことをしてしまったから、きっとルシフは死んでしまったのだ。そんな自分が、涙など見せてはいけない。

 ニーナは涙が出そうになるのを必死に我慢した。泣くな、と自分に言い聞かせ続けた。

 

「隊長……こんな結末しか、なかったんですかね?」

 

「……ッ!」

 

 レイフォンの言葉が、必死に塞き止めていたニーナの心の堤防を破壊し、心が氾濫した。ニーナの両目から涙があふれる。

 この物語は、誰よりも雄々しく、誰よりも激しく、誰よりも熱く、誰よりも美しく生きた魔王の物語。

 一人の少女のため、世界の全てに喧嘩を売った少年の物語は、今ここに終幕する。




ルシフ死亡ルート(通常ルート)の場合。

次話『エピローグ 心ある魔王』へ。

ルシフ復活ルートの場合。

次々話『アナザーエピローグ 二人手をつないで』へ。

本音を言えば、ルシフを生き返らせるルートというのは、一切考えていませんでした。この物語は魔王ルシフが目覚めてから死ぬまでの一生を描く物語であり、ルシフが死んでこそこの作品は完成すると思っていたからです。
ただ読者さまのルシフへの反応が予想に反して好意的であり、また私も最初はルシフのことが大嫌いだったのですが、書いていく内に大好きな主人公になったので、今まで作者の無理難題に付き合ってくれたルシフへの感謝を込め、ルシフ生存ルートを書こうと思いました。ただこの生存ルート、いつにも増してご都合主義が多くなってしまう予定です。そこだけはご勘弁を。

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