『暴王を討て』
『俺を踏み越え、新たな世界の扉を開け』
頭にガンガンと響く声がある。
ルシフ・ディ・アシェナの声。いつか自分が支えたいと思った男の声。あなたが望むなら、俺はどんな場所にも行こう。どんな命令にも従おう。どんな相手とも戦おう。
だが、たった一つだけ、受け付けない命令が俺にあった。いつもなら命令通りに動けるのに、まるでバグに遭遇して処理に困っているプログラムのように、身体が動かない。
『本当にお前らには感謝している。今まで力を貸してくれて、ありがとな』
また、端子から声が聞こえた。
ルシフ様、何を言ってるんだ。感謝しているのは俺たちの方だ。あなたがいたから、俺たちはこの理不尽な世界に真っ向から戦いたいと思った。この理不尽な世界を変えていきたいと思えた。
《なあ、俺とともに世界をぶっ壊してみないか? ぶっ壊して、都市間戦争や汚染獣の脅威のない世界を新しく作ろう》
ルシフと出会った日の懐かしくも輝かしい記憶。そこから次々にルシフや剣狼隊のみんなで過ごした日々の記憶が浮かんでは消える。
──俺は、何を求めて剣狼隊に入隊した?
確かに、この世界から都市間戦争と汚染獣の脅威を無くしたいという信念がある。だが、その世界の前提条件はルシフが存在していることだった。ルシフ無しでその世界を実現するなど、微塵も考えていなかった。
チラリと腰の辺りに視線をやる。銀色のボトル。
《もし勝てない相手がきたら、それを使って》
ヴォルゼーの声が脳裏に再生された。
ヴォルゼー。お前なら、どんな選択をする? いつものように愉し気に笑いながら、ルシフ様に武器を向けるだろうか? それとも、ルシフ様を救おうとするだろうか?
──俺は……俺の選択は……!
腰に括りつけてある銀色のボトルを取り、キャップを開ける。ボトルに口をつけて、中に入っている酒を飲んだ。ほとんどの都市で製造、販売が禁止されていた違法酒ディジー。剄脈加速薬。剄を爆発的に増大させる効果がある。
──すいません、ルシフ様。俺はあなたを救います。あなたの力になりたくて、俺はあなたに付いてきたんだ。
今までずっと剄をどれだけ制限して闘えるかということばかり考えていた。だが、生まれて初めて、どれだけ剄を解放して闘えるかということを考えている。
俺は腹の底から雄叫びをあげた。とてつもない音と音に乗った剄がグレンダンとヨルテムを震わせ、双方の武芸者はそれに呑まれ、身体を一瞬硬直させた。
サナックが吼えていた。
初めてサナックがスケッチブックを使わず声を出しているのを見たが、良い声してるじゃないかとハルスは思った。腹にズシリと響くというか、その声を無視できない力強さがある。
ハルスは遠目でサナックがグレンダンの武芸者を蹴散らしている姿を見た。身体が熱くなる。
──そうだよ、そうだ! ここで兄貴を切り捨てるなんざ、男のやることじゃねえ!
眼前のグレンダンの武芸者を大刀の峰で打ち払った。武芸者はうつ伏せで地面に叩きつけられる。
──兄貴の本音が聞きてえ……。
ルシフは本当はもっと生きたいはずだ。ルシフの嘘偽りない言葉を聞き、俺たちは正しい選択を選んだと思える自信を手に入れたい。
ハルスは通信機として使っている念威端子を口に近づけた。
「兄貴! 本当はもっと生きたいんだろ? 生きたいって言えよ! 俺たちがぜってえ助けてやる! 兄貴!」
このハルスの言葉は剣狼隊全員に届いていた。
大刀を振り回しグレンダンの武芸者を次々に叩き伏せながら、ハルスはルシフのところ目指して走った。ハルスの周囲にはハルスの隊員たちが揃っており、ハルス同様グレンダンの武芸者を吹き飛ばし、あるいは昏倒させている。
「ハルス! 俺たちもこの命燃え尽きるまで闘うぞ! 俺たちが露払いをする! お前は一直線でルシフのところへ行け! ルシフは俺たちを救ってくれた! 今度は俺らが恩返しする番だ!」
「おう!」
ハルスの前に隊員たちが出た。襲いかかってくるグレンダンの武芸者たちを連携で片っ端から倒していく。ハルスの目の前に道ができあがった。その道をハルスが駆け抜けた。
『兄貴! 本当はもっと生きたいんだろ? 生きたいって言えよ! 俺たちがぜってえ助けてやる! 兄貴!』
ルシフは苛立っていた。通信機から聞こえたハルスの言葉が苛立ちを助長する。
お前たちは俺と同じ信念を持っていたんじゃなかったのか? 俺の存在など、理想を実現するための部品みたいなものだ。俺でなければならない理由など、今となってはもうない。
結局こいつらも他の奴らと同じく、俺に依存してただ俺に付いてきただけの存在だったか。
失望が心を打ち抜く。
俺が確固とした自分を持っているように、あいつらも確固とした自分を持っていると思っていた。自立したお互いが協力し、同じ理想を追いかけているものだと思っていた。
急速に冷めていく心がある。
もう剣狼隊は同志でもなんでもない。俺前提の世界しか見えてない奴らがどうなろうがどうでもいい。
ルシフは念威端子を口に近づけた。
「お前らには失望した。ここで無駄死にしたいなら、勝手に死ね」
その時、剣狼隊のみんなで過ごした日々がフラッシュバックした。心の奥底でモヤモヤしたものが生まれる。なんだろう、この感情は? どうでもいい奴らが何人死のうが、何も感じないはずだ。なのに、何かが湧き上がってくる。なんだ、これは?
ルシフは胸に右手を当て僅かに首を傾げた。アルシェイラたちの姿が視界に入る。アルシェイラたちは今のルシフの返事に衝撃を受けたのか、構えているだけで攻撃してこない。
「おい、このノロマども! 早く俺を殺してみせろ! できんのなら、貴様ら全員ダルマにしてやる!」
アルシェイラたちはハッと我に返り、ルシフへの攻撃を再開した。
──それでいい。
激しい攻撃に晒されながら、ルシフは安堵した。だが何故安堵したのか、ルシフには分からなかった。
勝手に死ねと言われたことより、失望したと言われた方が心に突き刺さった。
俺たちのしていることは結局ルシフに対する裏切り行為なのだ。
レオナルトはそれでもグレンダンの武芸者に向かっていくのを止めなかった。
確かにルシフから失望されたのは辛い。だが、覚悟していたことでもある。たとえどれだけ失望されようが、ルシフにとってどうでもいい人間に成り下がろうが、そんなものはルシフを喪うショックに比べれば屁みたいなものだ。
──大将……あんた分かってねえよ。あんたがいたことで、俺たちがどれだけ救われたか。
都市間戦争と汚染獣の脅威を無くす。
武芸者ならば、誰だって一度は夢見る。しかし、現実の残酷さにその夢は儚く消え、今まで通りという名の殻に閉じこもった。
──誰もが殻に閉じこもっている中、あんただけが殻を破り、未知の世界へ飛び出そうとした。その一歩が俺たちに力をくれた。俺たちも殻を破って飛び出したいと思った。
あんたに出会った時、真っ暗な闇が穿たれ、ほんの少しだけ光が見えた。あんたと一緒にいればいるほど、その光は眩しく大きくなっていった。
ルシフが一年生きれば、人類は十年先へ行ける。ルシフが十年生きれば、人類は千年先へ行ける。俺たち全員の人生を足し合わせても、あんたの生きる一年にすら敵わない。俺はそう信じている。
──俺たちはあんたに依存してるんじゃねえ。あんたが誰よりもすげえんだってことをよく知ってるんだ。だから、助ける。こんなとこで死んでいい人じゃねえ!
レオナルトが棍を振り回し、隊員たちと連携してグレンダンの武芸者を倒していく。視界いっぱいにグレンダンの武芸者が群がる。レオナルトは雄叫びをあげた。全身に気迫をみなぎらせ、打ちかかる。グレンダンの武芸者は気迫に呑まれたのか、抗う間もなく叩き伏せられた。
ふと、レオナルトは死角から気配を感じた。振り向くと、その気配の主は剣を鋼糸に弾かれたところだった。プエルの鋼糸。理解。鋼糸が生きもののように動き、レオナルトの攻撃を当たるようにする。そこに棍を滑らせ、グレンダンの武芸者を吹き飛ばした。
《フォル、命令に従え! フォル!》
ルシフの最期の命令とやらを念威端子越しに聞いた時、頭に響く声があった。
《しかし……! わたしの別動隊が大量の幼生体に襲われています! 今すぐ救援に向かうべきです!》
《そんなことをすれば、防衛線が崩壊し、中央部への汚染獣の侵入を許すことになる! 目的を見失うな! 防衛線を維持しろ!》
《わたしの隊ならば……わたしの隊ならば大量の幼生体を瞬く間に殲滅できます!》
《おい、行くな! 戻れ! 命令違反だぞ! フォル! フォル!!》
故郷が汚染獣の襲撃にあった日。雄性体が数体に、千を超える幼生体の群れ。初めての汚染獣襲撃において、自分は部下の命を救うため、指揮官の命令に従わずに別動隊の救援に行った。
結果は部下の命は一つも失わなかったが、綻びが生まれた防衛線を雄性体の一体が突破。念威操者の三分の一と護衛の半数が死亡。
その後なんとか汚染獣の襲撃を退けたわたしに待っていたのは、命令違反による裁判だった。隊長の地位は取り上げられ、一武芸者となった。死刑にならなかったのは単純に自分が武芸者として優れていたからだった。命令に背き甚大な被害をもたらした武芸者を排除できないほど、我が都市の武芸者の損失は大きかった。
助けた部下からは唾を吐きかけられた。「俺たちは都市のために死ねるなら本望なのに、何故それを邪魔した!」と胸ぐらを掴まれながら怒鳴られた。
そんな失態をしても、隊長や指揮官は自分という戦力を使ってくれた。命令されるのはこんなにも嬉しいんだと自分に言い聞かせ続けた。二度と命令に背かないよう、命令に従うことが至高の喜びだと自分に刷り込ませ続けた。
どう考えても、ルシフの命令は正しい。従わなくては。ルシフの命令通り、ルシフを殺さなければ……。
ルシフと敵対し、殺す。考えただけでとてつもないショックに包まれた。
念威端子からはルシフの命令に反抗する言葉が聞こえてくる。
──ルシフ……ずっと自分を騙し続けたけど、やっぱ駄目みたい。あんたを失うくらいなら、死んだ方がマシ。
フォルは後方を振り返り、スカーレット隊の面々を見る。スカーレット隊の隊員の誰もがフォルの意図を読み、小さく頷いた。フォルも頷き返す。
「スカーレット隊、これよりルシフの救援に向かう」
「了解!」
隊員たちが一斉に返事をし、ルシフがいる方へスカーレット隊全員が駆け出した。
プエルの顔には汗が大量に浮かび、息を荒くついている。それでも見る者を萎縮させてしまうような気迫を纏っていて、プエルに声をかけることすら隊員たちは憚られた。
プエルの周囲にはグレンダンの外縁部の様々な戦場の映像が多角的に展開されている。
「エリちゃん、アナちゃん、もっと端子からの情報早くして! 数瞬ズレがあるよ!」
『ズレなんてありません。全てリアルタイムで映像を出力しています。プエルさまの気のせいです』
「嘘ッ! ズレてるよ!」
『あり得ません』
映像がズレてない。つまり、鋼糸の防御が間に合わないのは完全に自分の実力不足が原因になる。本当にそうなのだろうか? もしそうなら、どれだけ頑張っても今の実力では守れないことになる。
「お願いだから正直に言って! 怒らないから! 映像にズレがあるよね!?」
『最初から正直に言ってます。ズレはありません』
プエルは心を落ち着かせるために深呼吸して、無理やり息を整える。
今やることは守れない理由を他人に押しつけることか? 違う。大好きなみんなを守るため、たとえ実力不足でも全力を尽くす。それこそ、今やるべきこと。
「……ん、分かった。ごめんね、怒鳴ったりして」
『いいえ、気にしていません。要望があるならなんでも言ってください』
「ありがと、エリちゃん」
もう一度、プエルは深呼吸した。
周囲に展開している多数の映像を俯瞰するように観ながら、鋼糸を操る。
完全に守れないなら、直撃しそうな攻撃だけ見極めて防ぐ。それならばどの戦場でもなんとかなりそうだった。そういう読みだけは得意なのだ。外したことは一度もない。
無心で鋼糸を操り続けた。考えてから鋼糸を動かしているから、ズレが生じたように感じるのだ。考えるな。ただ視覚から入った情報に反射で動け。見極めも反射でしろ。みんなの役に立て。死ぬならあたしが最初だ。
その瞬間、プエルは不思議な感覚に落ちた。全ての戦場の動きがまるでスローモーションのように見える。グレンダンの武芸者の様々な武器や、剄弾剄矢の軌跡すら知覚され、知覚したと思った時にはもう鋼糸を最適な陣に組み上げている。
「エリちゃん、全ての戦場の視覚情報を展開して!」
『……はい?』
何を言っているのか理解できないという雰囲気を滲ませている声に、プエルはイラッときた。
「早く! 今なら全部守れる気がする!」
『プエルさま、今の時点で戦場の三分の一を網羅しています! 単純計算でプエルさまの負担は三倍になるのですよ! しかも全てをカバーなんて、そんなの無茶です!』
プエルの苛立ちが加速していく。こうしている間にも、剣狼隊の仲間が死ぬかもしれないのだ。焦燥が更に苛立ちを助長する。
「あたしのことはいいから! 早くやって!」
『…………』
ため息をつく音が念威端子越しに響いた。
プエルの周囲に映像が追加される。プエルの全方位が映像に囲まれているため、どこを見ても映像しか見えない。つまり今のプエルは自分の周囲を視覚で判断することができない状態だが、展開されている映像の外にはプエルの隊員たちがいて、プエルを守りながら戦っている。
プエルの鋼糸は全ての戦場に及び、危機に瀕していた剣狼隊の命を救い続けた。しかし、戦域の拡大は必然的にプエルの存在を多くの敵に知らしめる結果となる。
「……ほう?」
リンテンスがプエルの操る鋼糸に興味をもち、ルシフからプエルの鋼糸に視線を移した。
戦場に張り巡らされた鋼糸の量はレイフォンの比ではない。
──俺と同じ、蜘蛛か。
レイフォンは蜘蛛の才能がないのに蜘蛛の真似事をしているが、この鋼糸の主は違う。本能で鋼糸を操る術を理解している。
「念威操者、この鋼糸を操る奴が見たい」
『はいはいただいま』
デルボネのおっとりした声が聞こえ、リンテンスの近くに小さく映像が展開された。女が大量の汗を浮かべながら、周囲に展開された映像に見入っている。
──これは長くはもたんな。
このまま放っておいても、この女は勝手に自滅する。鋼糸の量に対して、剄量が少なすぎるのだ。鋼糸の一本一本全てに剄が行き渡っているから、並の剄量では鋼糸を維持できない。だからこそ、鋼糸は選ばれた者にしか扱えない武器となる。
──だが、自滅を待つ間が面倒だ。
今、この女の鋼糸の技量は神がかり的なレベルまで昇華している。このまま放っておけば、自滅するまでグレンダン側が劣勢に立たされる可能性があった。
リンテンスはルシフの方を見る。アルシェイラやレイフォン、天剣授受者たちの激しい攻撃に晒され、攻撃してくる奴らの対処で手いっぱいのようだ。今なら、あの女を倒す余裕がある。
リンテンスは鋼糸を女の鋼糸使いがいる方に張り巡らせた。
当然、リンテンスの矛先がプエルに向いたことは、プエル自身真っ先に悟っていた。
「展開している映像、全部目線より下に移動させて!」
『はい、今すぐやります』
プエルの周囲を取り囲むように展開されていた映像が、端子の移動で下の方に動いた。周囲の様子が肉眼で見える。隊員たちが必死にグレンダンの武芸者たちの攻撃から自分を守ろうと戦っていた。
プエルはそんな彼らに感謝しつつ、意識の外に彼らを置いた。リンテンスとの戦闘に集中するためである。
プエルの頭には、リンテンスの情報があった。リンテンス・サーヴォレイド・ハーデン。最強の鋼糸使い。剄量も技量も間違いなく格上。
だが、だからといって最初から負けを認めるのはあり得ない。剣狼隊のみんなを守る邪魔をするなら、どんな相手でも防ぎ切ってみせる。
リンテンスは鋼糸で陣を次々に構築し、鋼糸をプエルに届かせようと攻める。プエルはそれらの陣が完成する前に自らの鋼糸を介入させ、陣の構築を妨害した。
鋼糸で構築する陣には、いわゆる主軸がある。その主軸を肉付けしていくのが陣構築のプロセスであり、陣を崩すなら主軸を潰せばいい。剄量で劣るプエルは鋼糸を束ね、主軸の鋼糸に的を絞って鋼糸を操った。主軸の鋼糸に自身の鋼糸を絡めて、陣が完成する前に主軸として機能しなくするのだ。
幾重にも構築していく陣を無力化していくプエルの技量と読みの鋭さに、リンテンスは内心感心した。リンテンスとは対極に位置する鋼糸の技術。すなわち、相手を潰す攻撃の技術ではなく、自分を守る防御の技術。戦闘過程を見る限り、女の鋼糸の切断力は無しに設定されているらしい。防御に特化した鋼糸というのはここまで厄介になるのか、と一つ学んだ気分だった。更に危険を察知する能力もずば抜けて高い。
──だが……所詮は小蜘蛛。
様々な陣の構築という大技の連続の裏で、地面を鋼糸で貫き、密かに地面の中を移動させていた。
プエルがそのことに気付いたのは、地面から鋼糸が突き出てきて自身の身体に触れた時だった。
鋼糸が皮膚を突き破り、体内に侵入してくる。プツッ、と自分の中で音がした。強制的に電源をオフにされたように、意識が遠のいていく。
──……守るんだ。あたしが、みんなを。こんなとこで気を失ってたまるか。
プエルは鋼糸を自身に殺到させた。全身を鋼糸が貫く。鋼糸の先端だけは殺傷力を残していた。本来は傷を縫うための治療目的だが、気付けにも使えるようだ。
全身から血が噴き出す。意識は鮮明になった。
「あたしは、剣狼隊だ」
リンテンスは意識を奪って戦闘を終わらせようとした。そんな温いやり方であたしたちを止められるものか。
「止めたかったら、殺す気でこい。
全身から血を流しながら、プエルが鋼糸を操る。様々な戦場で鋼糸の陣が構築され、剣狼隊の窮地を救っていく。
──あたしが、みんなの盾になる……!
剄を大量に使用している影響か、血が止まらない。
『もう止めてください、プエルさん! もう、もうこれ以上あなたのそんな姿は見たくありません!』
「……心配しないで、ヴィーちゃん。あたしが……誰も死なせないから。またみんなで楽しく過ごせる日々がきっと……」
リンテンスの鋼糸が鞭のようにプエルに襲いかかってきた。プエルの両腕を切り落とす軌道。両腕を切り落とすことで鋼糸を操れなくしよう、とリンテンスは考えていた。切り落とす瞬間に切り口を剄の熱で焼き、止血をすることで失血死させないようにしようとしている。
プエルはリンテンスの鋼糸を防ごうと鋼糸を操るが、間に合わない。両腕を切断される、とプエルが確信したその時、プエルの周囲を守っていた男の隊員がプエルを横から突き飛ばした。
「……ッ! クラちゃん!」
「隊長、生き……」
隊員は首と腹部を切断され、臓物をぶち撒けて地面に落ちた。
──あたしが、守る。あたしが、みんなの盾に……。
「ああああああああッ!」
「隊長、危ない!」
発狂したプエルを隙ありとみたグレンダンの武芸者の一人が、プエルに斬りかかった。間に女の隊員が割り込む。斜め一文字に斬られた。大量の血が噴き出し、仰向けに倒れる。他の隊員たちが斬ったグレンダンの武芸者を叩き伏せた。
「フラちゃん!」
「たい……ちょ……ルシ……さんを……た……け……」
「フラちゃん!? フラちゃん! 死んじゃやだよぉ!」
「しっかりしろ、隊長! もうフランツィスカは死んでる!」
再び、リンテンスの鋼糸がプエルに迫った。
怒鳴った隊員がプエルの腕を掴み、引き寄せる。反動で隊員はプエルがいた位置になり、右腕が鋼糸で切断された。
グレンダンの武芸者たちがプエルに槍や剣を突き出してくる。隊員はプエルの前に出てそれらを防ぐが、一本の剣と槍が胸と腹を貫いた。貫かれたまま、隊員は左手に握る刀で周囲の武芸者たちを吹き飛ばした。
「ア、アレちゃん……」
隊員は口から血を吐き出し、崩れ落ちた。
プエルの両目に涙が溜まっていく。
「これ以上、誰も死なせるもんか──!」
プエルが更に剄を鋼糸に込めようとした時、プエルに異変が起こった。
剄が練れなくなり、鋼糸に剄を送ることができなくなったのだ。剄脈疲労。過度の剄の使用は武芸者の機能を停止させ、武芸者として正しい状態に戻すために休ませようとする。
プエルがどれだけ指を動かそうとしても、指は動かない。両手に付けている指輪が光を放つ。剄の供給が無くなった鋼糸は自動的に錬金鋼状態に戻った。
プエルは両膝を地面につき、そのままうつ伏せで倒れた。全身から流れる血が血溜りを作っていく。
プエルは必死に頭を起こした。周囲にいる隊員たちが、リンテンスの鋼糸により意識を奪われていく光景が視界に映る。
プエルは唇を血が滲むほど噛んだ。
「この……役立たずッ」
まぶたが重い。暗闇の世界へ連れていかれる。
──ルッちゃん、みんな……お願いだから死なないで……。
プエルの意識はそこで途切れた。
戦場に張り巡らされていた鋼糸が光となり、消えていく。
『プエルさま、戦闘不能! クラウス、フランツィスカ、アレクシス戦死!』
「未来ある若者が死んでしまったか」
念威端子から響く言葉に、オリバの顔が苦渋にまみれた。
戦死した三人と親しくしていたわけではなかったが、気持ちの良い人間だったことは確かだ。
鋼糸という防御が無くなったことで、これからは更に戦死者が増えるだろう。
オリバは走りながら大きな鎚を振り回し、グレンダンの武芸者を叩いていく。叩かれた武芸者は血を吐き、地面に沈んだ。
「おおおおおおッ!」
オリバの周囲にいる隊員たちも雄叫びをあげながら、鬼神のごとき強さをもってグレンダンの武芸者たちを倒していた。
今までは一応体裁のようなものを取り繕って戦っていたし、極力相手を苦しめずに倒すという気高い理想を汚さない戦い方をしていた。それがルシフの危機という想像だにしない事態に剥がれ落ち、なりふり構わず戦うようになっていた。腕の一本平気で切り落とし、あえて激しい痛みを与えることで動きを封じる。
グレンダンの武芸者たちにしても、ルシフから負けを認めるような意味合いの言葉を聞き、気が緩んでしまった部分もある。そこに剣狼隊のとてつもない気迫と闘気をぶつけられれば、浮き足立つ。
しかし、その効果も切れようとしていた。逆に剣狼隊の気迫と闘気がグレンダンの武芸者に元々備わる武芸者気質に火を点ける結果となる。そして、剣狼隊の桁外れの気迫と闘気はグレンダンの武芸者に恐怖と不安を植えつけ、グレンダンの武芸者の頭から不殺の二文字はすっかり消えてしまっていた。これが剣狼隊が死んでいる理由である。
オリバの斜め前をハルスが駆けていた。ハルスの側面にデルクが回り込んでいる。
オリバは鎚を構えながらデルクに体当たりした。デルクの身体がよろめき、オリバを睨む。
「爺さん!?」
「ここはわしに任せて行け! ルシフ殿を頼む!」
「……ああ!」
ハルスが隊員たちを引き連れ、ルシフがいる方向に駆けていった。
デルクはハルスを追わず、オリバに向かって刀を構えた。デルクの周囲にはデルクの隊員らしき武芸者たちが大勢いる。
「……死ぬつもりか? ルシフという少年の覚悟と決断、無駄にするでない」
「我ら剣狼隊、常に死を覚悟し戦場に臨んでおる。気遣い無用」
「あくまで地獄を行くか」
「地獄しか知らぬ」
「ならば、せめて同じ武芸者として、死をもって地獄より救おう」
「お主にそれができるか?」
オリバとデルクが同時に踏み込む。鎚と刀がぶつかり合い、火花を散らした。オリバがインパクトの瞬間に力を込めると、デルクは後方に吹っ飛ばされた。空中で体勢を立て直し、危なげなく着地。
二人の戦闘をきっかけに隊員たちとグレンダンの武芸者たちも戦い始める。
デルクが三人に分身し、前方左右から同時に斬り込んできた。内力系活剄の変化、疾影。オリバは左に鎚を振るう。金属同士がぶつかり合う音が響いた。
デルクは止められるのを読んでいたため、防がれた時には地面を足で抉り、そのまま蹴り上げた。土がオリバの顔目掛けてかけられる。オリバは不意をつかれ、頭を右に傾けてよけた。殺気。オリバの右から銃弾が迫っている。後方に跳んで回避するしかない。オリバは後方に跳んだ。
オリバが後方に跳ぶよう仕向けていたデルクは、当然オリバが跳ぶ瞬間に剄を練って剄技を使用。内力系活剄の変化、水鏡渡り。瞬く間にオリバに肉薄。
デルクが刀身を片手で掴み、居合いの構えをする。サイハーデン刀争術、焔切り。居合いによる抜き打ち。オリバは鎚で防御するも、空中のため踏ん張りがきかない。焔切りは二段攻撃であり、斬撃を防いでも衝剄が残っている。オリバの身体は衝剄で吹き飛んだ。
オリバはすぐさま体勢を立て直す。周囲では鬼神の強さを見せてグレンダンの武芸者を倒していくも、圧倒的な数に囲まれ、あるいは剣狼隊以上の実力者とぶつかり、息絶えていく隊員たち。オリバは今まさにとどめをさされんとする隊員の姿が目に入った。咄嗟に鎚を投げる。鎚はとどめをさそうとしていた武芸者に直撃し、とどめをさされそうになっていた隊員が起き上がって武芸者を昏倒させた。その隊員は片腕を失っていた。
「ありがとうございます、たいちょ……あ、ああああああ!」
オリバの方を見た隊員は、オリバの身体から刀が突き出ているのを見て絶叫した。
デルクは苦い表情で刀を引き抜く。オリバはそのまま両膝をつき、そのままうつ伏せで倒れた。血溜りに沈んでいく。
「見事な生き様、敵ながら感服させられる」
──見事? わしの生き様が?
都市を守るため、都市間戦争では大勢の未来ある若者の命をずっと奪ってきた。自分の人生はこの程度かと、自分の人生に絶望もしていた。
だが、ルシフに出会い、本当の意味での生きがいを見つけた。この歳になっても人生が輝きに満ちるとは思いもしていなかった。
──ルシフ殿。
どこまでもあなたにお供いたします。老い先短い命、悔いはありませぬ。
《俺が行く道は地獄の道。覚悟を決めてから来い》
出会った時に言われたルシフの言葉が鮮明に脳内再生された。
確かに辛く苦しい日々だった。だが、剣狼隊というかけがえのない仲間と共に世界そのものを変えていく日々は、人生はこんなにも楽しく光に満ち溢れたものだったかと教えてくれた。
「ルシフ……殿……」
視界が霞み始めた。
「地獄にしては……ここはとてもあたたかですぞ」
──ルシフ殿、どうか生きてくだされ。
オリバは自分が笑ったのが分かった。
背中に熱い何かが入ってくる。オリバはただその熱さに身を任せた。
ハルスが駆けていると、レオナルトの隊と合流した。
グレンダンの武芸者たちは前方に立ち塞がっている。その中には天剣授受者のカルヴァーンもいた。
ハルスは雄叫びをあげ、カルヴァーンに斬りかかる。ハルスの隊員たちもグレンダンの武芸者にぶつかっていった。
「ハルス! 俺が援護に──」
「そんなもんいらねえ! お前は兄貴んトコ行ってくれ! 俺の隊が足留めする!」
ハルスは大刀を薙ぎ払い、大刀に纏っていた剄を衝剄にして放った。
カルヴァーンとグレンダンの武芸者たちは吹き飛ばされないよう、その場でこらえた。
レオナルトはハルスに何を言っても無駄だと悟り、視線をハルスから正面に向ける。
「分かった! お前も必ず後から来い!」
レオナルトの隊はハルスの隊が作ったほんの僅かな隙をつき、前方のグレンダンの武芸者たちの壁を突破した。
突破されたグレンダンの武芸者たちがレオナルト隊を追いかけようとする。
その背後からハルスの隊員たちが襲いかかった。グレンダンの武芸者たちはレオナルト隊の追撃を諦め、ハルスたちの方に身体を向けて構えた。
ハルスはカルヴァーンと斬り合っている。しかし、互角ではない。カルヴァーンは幅広の剣でハルスの斬撃を受け流している。
カルヴァーンが剄を高め、剣を下から斬り上げた。ハルスは大刀で防いだが衝撃は殺せず、後方に吹っ飛ばされる。ハルスは空中で体勢を立て直し、片膝をついて着地した。大刀を地面に突き刺し、杖のようにしている。
「さすがは天剣授受者……一筋縄じゃいかねえか」
大刀に指を当てる。指の先から焔が出現し、刀身にまとわりついた。
「化錬剄の変化、業火招来」
「炎刀か。そんな小手先の剄技でどうにかできると考えているのか? がっかりさせてくれる」
「やってみなきゃ……分かんねえだろうが!」
ハルスが刀身を身体で隠しながら、居合い抜きのように斬りかかる。カルヴァーンが剣で炎の刀身を防ぐ。炎の刀身は剣に触れた瞬間霧散した。
業火招来時の型、幻影斬。炎で刀身を創り、実際の刀身は炎の刀身を隠れ蓑に別の斬線を描く。
刀に限らず、殺傷力の高い武器は急所をいかに破壊できるかが重要である。故に相手の呼吸を乱したり、隙を作る技が大量に生まれる。派手な攻撃技などいらない。急所さえ捉えればそれで勝てる。ハルスはそういった派手な剄技で陽動し、堅実に急所を斬る戦法が得意だった。
実際の刀身はカルヴァーンの剣をよけ、カルヴァーンの横腹を斬り裂く斬線だった。カルヴァーンに刀身が迫る。
「……ッ!」
刀身はカルヴァーンの腹部で止められた。服に傷すら付いてない。よく刀身を見ると、黄金の剄膜が刀身と服の間にある。どうやらこの剄膜が斬撃を防いだらしい。
外力系衝剄の変化、刃鎧。
カルヴァーンの全身が瞬時に黄金色の剄に包まれ、その黄金の剄の鎧から黄金の細い剣が伸びた。ハルスは後方に跳躍していたが、右肩をその黄金の細剣に貫かれ、身動きが取れなくなっていた。
カルヴァーンが黄金の剄の鎧を纏ったまま、幅広の剣で袈裟斬りをした。ハルスの左肩から右腹まで斜めに斬線が刻まれ、血が噴き出した。
ハルスの右肩を貫いていた黄金の細剣が引っ込む。支えを失ったハルスはそのまま仰向けに倒れた。
「……ちく……しょう」
天剣授受者に勝つ気で挑んだが、傷一つつけられなかった。あまりの悔しさと無力さに、ハルスの表情は歪んだ。兄貴を救うことも、兄貴の役に立つこともできねえ。俺はなんて弱い男なんだ。
「分からんな。何がそこまでお前を駆り立てる? そうまでしてルシフのために闘う理由はなんだ? 敗北をルシフは暗に認め、お前たちを救おうとした。その決断を無にしてまで、何故?」
カルヴァーンが幅広の剣を持ち、ハルスを見下ろしている。
──小難しい理屈を並べやがる。
ハルスはカルヴァーンの言葉を鼻で笑った。
「……惚れた男の力に……なりたかった」
自分の夢や信念は全て、ルシフという存在に重ねてきた。だからこそ、俺の夢や信念はルシフの力になることなのだ。
「……ふむ、至極明快。腹に落ちたわ。人に夢を託して闘う。そんな武芸者もいるのだな」
「……なあ……天剣授受者さんよ。一つ訊いても……いいか……?」
「なんだ?」
「俺は……強い男……だったか?」
「ああ。もし同じ剄量だったならば、私の横腹が切り裂かれていただろう。剄と大刀の技量、そのどちらも一流であったぞ」
「はは……そうか。俺は……強かったか……」
ハルスは笑みを浮かべた。
ハルスの目にはもう自分を見下ろしているカルヴァーンの顔など入らなかった。ただ澄んだ空だけが見える。
「……兄貴……先に逝って……待ってんぜ。兄貴は……ゆっくり……来て……くれ……や……」
その時、ハルスの胴体を熱いものが貫いてきた。
──気分良く死ねそうなのに、余計なことしやがって。
しかしハルスには文句を言う気力も、抵抗する体力も残っていなかった。
剄脈加速薬ディジーを飲んだサナックは、天剣授受者を超える実力者になっていた。元々天剣授受者並みの剄量があるのだ。そうなるのは必然だった。
サナックの右ストレートがカウンティアに放たれた。カウンティアは青龍偃月刀で防ぐ。手甲と青龍偃月刀がぶつかり、大きな火花が散った。カウンティアは力負けし、後方に吹き飛ばされる。
「ッ! こいつ!」
「ティア、逃げて!」
カウンティアを追撃してきたサナックの前にリヴァースが立ち塞がり、そう叫んだ。
サナックがリヴァースに勢い任せの右フックを振るう。リヴァースは金剛剄で真っ向から対抗。サナックの剄量はリヴァースを上回っていたため、リヴァースは攻撃を無効化できなかった。威力を軽減させはしたが、鎧を纏った身体が横に吹っ飛んでいく。
「リヴァ!」
カウンティアが叫び、そして見た。サナックに襲いかかるグレンダンの武芸者たちが、サナックの放つ圧倒的な衝剄で空へと舞い上がっていくのを。
サナックは再び走り出す。サナックはルシフを目指して走っているが、進行方向にいる天剣授受者を無視して進むほど、周りが見えていないわけではなかった。なんせサナックの後ろからは剣狼隊員たちが付いてきているのである。天剣授受者は行動不能にしなければならない。
その時、サナックに鉄球が迫った。サナックが右の手甲で鉄球を弾き、鉄球が飛んできた方を見る。ルイメイが鉄球の鎖を握っていた。
「お前らは、危険すぎんだよ。生かしておくにはな」
剣狼隊の誰もがまるで何かにとり憑かれたように死を恐れず、尋常ならざる闘気と気迫を纏い、鬼神のごとき無類の力を発揮している。グレンダンの精鋭が次々に倒れていく。たった一人の男を救うために、その救う男の願いも踏みにじる。ある種、彼ら剣狼隊は狂信者の集団なのかもしれない。宗教というものがあった頃の神を崇める信者のように。彼らもまたルシフという神に囚われ、ルシフという神を敬虔し、ルシフという神に傾倒している。神のためならばどんなことでもやる集団。
放置できるはずがない。こんな危険極まりない集団は。早急に彼らが傾倒する神を殺す必要があるが、神を殺したら正気に戻るなんて誰が言い切れる? 神を殺された怒りで、不殺の信念さえほっぽり出してグレンダンで暴れまくり、甚大な死傷者と被害を出すかもしれない。故に、今は剣狼隊を殺さず倒すなんてことは考えてはいけない。殺してでも止める。あるいは、立ち上がれないほどの重傷を与える。
そして、現時点のサナックの脅威レベルは天剣授受者を上回っていた。殺さずなどという甘い考えで闘える者は誰一人としていなかった。
ルイメイの身体と鉄球が真紅に輝き、灼熱を纏う。活剄衝剄混合変化、激昂。触れるもの全てを焼き尽くす弾丸となって、サナックに突撃する。サナックが吼えた。凄まじい声量と音に乗った衝剄がサナックの前方を薙ぎ払う。サナックの前方に展開していたグレンダンの武芸者が根こそぎ飛ばされていった。ルイメイは吹き飛ぶのを覚悟した。
ルイメイに衝剄が届く直前、光の膜が前方に展開された。光の膜はサナックの衝剄を無効化するまでには至らなかったが、ルイメイが突撃を維持できるレベルまで威力を軽減させた。活剄衝剄混合変化、金剛剄・壁。リヴァースの防御が間一髪間に合ったのだ。
「おおおおおおおおおッ!」
ルイメイがサナックの衝剄を突き破り、灼熱の弾丸のままサナックに正面からぶつかる。その衝撃とルイメイの剄技により、サナックの後方にいた隊員たちは灼熱の突風に呑み込まれ、全身火だるまとなって地面に倒れた。
サナックは焔に包まれてなお、健在であった。ルイメイ同様全身を覆う圧倒的な剄の膜が、サナックを火の脅威から守っていた。
サナックがルイメイを掴んだまま、地面に投げ飛ばす。ルイメイが横向きで地面に叩きつけられた。ルイメイを包んでいた火が消える。
投げた後の僅かな隙を突き、グレンダンの武芸者たちは旋剄でサナックの周囲に近付き、各々の武器を突きだした。サナックが全方位に衝剄を放ち、攻撃を仕掛けた武芸者はルイメイもろとも吹き飛んだ。
「このぉ!」
跳躍しながら青龍偃月刀を振るってサナックの衝剄を相殺したカウンティアはその勢いのまま、サナックの頭上から青龍偃月刀を振り下ろした。サナックが頭上に向けて右ストレート。カウンティアの青龍偃月刀に当たり、そのまま宙に舞い上げた。
しかし、カウンティアは最初からそれが狙いだった。空中で身体を捻って紙一重で自身はサナックの攻撃をかわし、着地と同時にサナックの腹部に容赦ない蹴りを叩き込んだ。青龍偃月刀が宙に舞う直前、できる限りの剄を足に集中させていたのだ。
剄脈加速薬で剄を爆発的に増大させていたサナックですら、カウンティアの蹴りは脅威となり得た。サナックは内蔵の損傷により口から血を吐き出し、後方に滑るように下がった。そこを狙いすましたようにグレンダンの武芸者たちが各々の武器をサナック目掛けて突き立ててくる。サナックの胴体にあらゆる角度から多数の武器が侵入した。
サナックは更に血を吐き出した。さっきの吐血とは比べものにならない量である。地面が真っ赤に染まっていく。
カウンティアはサナックのその姿を見ても、攻撃を止めなかった。カウンティアの脇腹からは血が出ている。さっきの攻撃がかすっていたのだ。
カウンティアは落ちてきた青龍偃月刀を掴み、多数の武器が突き刺さったままのサナックに突撃。
サナックの身体に青龍偃月刀が吸い込まれ、そのまま背中を突き破った。
「はぁッ……はぁッ……」
カウンティアが荒く息をついている。
サナックはゆっくりと自分の胴体を見た。
壊すことしかできない剄という力が大嫌いだった。壊しても残るもの、新たに生まれるものがあるのかと、ずっと自分に問いかけ続けた。
しかしルシフや剣狼隊と共に過ごし、壊れても残るもの、新たに生まれるものがあることを知った。剄という破壊の力を少しだけ誇りに思えた。少しだけ自らに宿った剄の力を好きになれた。
──ルシフ様……俺なりの答えが出せました。
一斉にサナックから武器が引き抜かれる。全身から血が噴き出した。
──生きてください、ルシフ様……。
サナックはそのまま両膝をついた。
別に、死など怖くはない。
生きるものはいつか死に、作られたものはいつか壊れる。なんてことはない。ただ自分の番が来ただけだ。
視界が闇で染め上げられた中、サナックはそう思った。
カウンティアは絶命したサナックの前に立っている。サナックは死んでも地面に倒れず、まるで座っているような姿勢だった。死んでも倒れずというのは、武芸者であれば誰もが畏敬の念を抱く。
カウンティアの傍にリヴァースが立った。
「……リヴァ。強かったよ、この巨漢。本当に、強かった」
「うん」
「なんでかな、少し羨ましいって思っちゃった。最期の最期まで、あるがままの自分を貫いた気がして。こいつのこと、何も知らないのにさ、そう思ったんだ」
「うん、分かる気がする」
カウンティアとリヴァースは周囲を見渡す。サナックが率いていた隊は全滅していた。
レオナルトは走り続けていた。
もう隊員は三人しかいない。他の隊員は死んだか、重傷で倒れてしまったのだろう。後ろを振り返る余裕なんて無かった。一秒でも早く、ルシフのところへ。それしか考えていなかった。
向かう途中、ニーナが呆然と立ち尽くしているのを見た。おそらく思い描いていた展開と違う現実にショックを受け、現実を受け入れられない状態に陥っていたと考えられる。何故なら、まるで怯える子どものように、鉄鞭を持つ両手で耳を押さえていたから。
おそらく、俺たちがやっていることも本質的にはニーナと変わらない。現実を認めたくなくて、なんとかして変えてやろうとありもしない希望的展開を夢見て、じたばたもがいているだけ。
卑怯なやり方だとも分かっている。俺たちの死で、俺たちの死を無駄にできないとルシフが考え直すことを狙っているのだから。それは新たな鎖でルシフを縛りつけるのと同義と理解していても、俺たちはこうするしかできなかった。ルシフの故郷であるイアハイムだけは反乱が起きなかったため、イアハイムに逃げればまだルシフに再起の可能性は残されている。あのルシフが、その可能性に気付いていないはずがない。しかし、ルシフは自分から逃げるという選択を絶対に選ばないだろう。
それでも、たとえそうだとしても、俺たちに他に何ができるんだ? ルシフがいたから、俺たちは自分の力の使い方が分かったんだ。前を向いて闘ってこれたんだ。ルシフがいたから……。偉大な救世主がいたから、俺たちは……。
ルシフの姿が見えてきた。周囲を女王や天剣授受者、レイフォンに囲まれている。四方八方からの攻撃を防ぎつつ反撃しているが、そのどれもが防御されている。戦力が拮抗しているため、互いに決定打を与えられないのだ。
レオナルトは足に剄を更に集中させた。ここまで来たら、もうやることは一つだけだ。
──俺は約束したんだ。俺自身に。どんなことがあっても、大将を守るって!
ルシフに向かって、女王が二叉の槍を突きだした。ルシフは他の連中の対応で女王に対応できていない。
横からルシフを突き飛ばした。こっちが思わず驚いてしまうほど、ルシフは簡単に突き飛ばされた。それだけ限界ギリギリの勝負をしていたのだ。ルシフがこっちに顔を向けた。呆気に取られた表情だった。
女王や天剣授受者、レイフォンもルシフと同じで、ルシフのことしか頭に無かったようだ。
ズン、と腹の辺りに衝撃が来た。槍が身体を突き破った衝撃だ。間一髪というタイミングでの乱入だったため、女王は槍を止められなかったのだ。
「なんてことしてんのよ! ようやくこの闘いを終わらせられると思ったのに!」
女王の声が耳に響いた。槍が引き抜かれる。血が溢れていく。
レオナルトはそのままうつ伏せで倒れた。地面が赤く染まり、血溜りができていく。
──大将。俺の、希望の光。どうかいつまでも、消えないでくれ。
身体から力が抜けていく。
脳裏に妻と子の姿が浮かんだ。
「……わりぃ……イザベル……リリー……」
──人間同士が争わない世界で、二人が生きられますように。
背中から熱い何かが体内に侵入してくる。
レオナルトは抗えず、ゆっくりと眼を閉じた。
アストリットは自分の隊を引き連れ、襲ってくるグレンダンの武芸者たちを着実に倒しながら、少しずつ前に進んでいた。
しかし徐々にその足も止まらざるを得なかった。進めば進むほど、グレンダンの武芸者が増えていくからだ。
圧倒的な数の暴力により、アストリットの隊は瞬く間に壊滅寸前になっていた。
そこにフォルの隊が現れ、包囲網の外から包囲の一角を崩した。
「逃げて! アストリット!」
アストリットは頷き、包囲が崩れたところから包囲網を脱出した。アストリットと共に脱出できた隊員は半分だった。
「フォルさん、あなたも──」
アストリットが走りながら振り返る。フォルの身体に刀と槍が突き刺さっていた。フォルはアストリットの視線に気付くと、笑みを浮かべた。
「……ッ!」
アストリットは顔を正面に戻し、走った。
その時、遥か遠くにいるバーティンの姿が視界に入る。
「あの方、何を考えてますの!?」
アストリットは舌打ちした。
バーティンは襲いかかってくるグレンダンの武芸者たちを無視して、姿勢を低くしていた。内力系活剄の変化、瞬迅。しかし、あまりに無防備。あれでは、加速する前に潰され──。
不意に、遥か遠方にいるバーティンと目が合った。バーティンは一瞥しただけで、視線はすぐに外され、正面を向いた。
信じているというのか。私が援護射撃で、障害を全て排除してくれると。
アストリットは錬金鋼を復元。狙撃銃を構え、スコープを覗き、連射した。バーティンに襲いかかっていた武芸者たちは横からの射撃で吹っ飛んでいく。バーティンが加速していく。それを阻もうとする武芸者たちに射撃を続けた。もう当たらなくなっていたが、それでもバーティンから意識を逸らすことはできた。バーティンの姿はすでに消えていた。
その時、一筋の光がアストリットの胸を貫いた。
アストリットはゆっくり光が来た方向を見る。バーメリンが狙撃銃を構えていた。
「……迂闊……でしたわ」
アストリットは狙撃銃を杖のようにして、身体をなんとか支えた。
バーメリンが活剄で身体強化をし、一瞬でアストリットの前に現れる。
「撃ち殺すって言ったよな、クソ女」
アストリットは血を吐き出しつつ、バーメリンを見据えた。
「……武芸者が戦場で死ぬは本望……」
銃の支える力が無くなり、アストリットはそのままうつ伏せで倒れた。
「なんであんなガキのために命捨ててんだか。ほんと、バカみたい」
「かわいそうな方……愛した人に尽くす幸せも知らないなんて……」
視界が霞んでいく中、遠くにルシフの姿が見えた。
──私のことなど気にせず、前に進み続けてくださいませ。そんなあなたの姿に、私は惹かれたのですから。でも……本当に、たまにでいいですから、私のこと、思い出してくださると嬉しいですわ。
熱い何かが胸を貫いた。
アストリットの視界は暗転し、何も聴こえなくなった。
バーティンは瞬迅により、一気にルシフのところまで移動していた。
レイフォンがルシフに肉薄し、右拳を引いているのが見える。ルシフはリンテンスの鋼糸やティグリスの剄矢を方天画戟で弾いていて、レイフォンの攻撃を防御する余裕は無さそうだ。
バーティンは刹那という時間でレイフォンとルシフの間に飛び込んだ。レイフォンの右拳がバーティンの胸を貫く。
「……え? あ、ああ……」
レイフォンが取り乱しながら右拳を引き抜いた。真っ赤に染まった右腕を見て、表情を苦し気に歪める。
ルシフは右手でバーティンを支えつつ、方天画戟を薙ぎ払った。ルシフの周囲にいたレイフォン、サヴァリス、カナリスは跳躍して退避。
その時、アルシェイラから放たれた衝剄──青白い閃光がルシフに迫ってきていた。それはレイフォンが攻撃を仕掛けた時から放たれていて、もしルシフがレイフォンの攻撃を防いだ時の追撃の役割を担っていた。
そこからのルシフの行動は無意識であった。考えるより先に身体が動いた。いわば反射的行動。
ルシフはバーティンの身体を抱き、自身の背中を青白い閃光に向けるようにしてバーティンを庇った。ルシフの背中に閃光が直撃し、ルシフの黒装束の背の部分が消し飛び、肉が裂けて骨まで見えるようになる。
ルシフは歯を食い縛って激痛に耐え、バーティンの身体をゆっくりと寝かせた。膝の部分をバーティンの頭の下にやり、枕のようにしている。
バーティンの胸には風穴が空けられていて、致命傷だった。もう一、二分もすれば死ぬような、そんな手の施しようがない状態。そんなことはルシフには最初から分かっていた。ルシフはただバーティンの身体が死後も存在できるようにするためだけに、バーティンを庇っていた。何故どうでもいい人間にそんなことをしたのか、今のルシフは内心で首を傾げている。
「……ルシフちゃんはやさしいね……」
バーティンが微笑み、小さく言った。
ルシフは何も言わず、ただバーティンの顔を見つめた。
「ルシフちゃんならきっと、誰よりもやさしい王になれるよ。誰よりも……やさしい……王に……。だから……泣かないで。誰よりもあなたは強く在らなきゃ」
バーティンがゆっくりと右腕をあげ、指先でルシフの目尻を拭った。
ルシフは必死に感情を殺した。何故震えが来るのか分からない。
バーティンの右手首を掴み、ルシフはゆっくりとバーティンの腹部につけるようにした。
「俺が泣くか、お前らごときで」
「……ふふ、そうだね。ルシフちゃんは強いもの」
バーティンが咳き込んだ。血の塊が吐き出される。
バーティンはルシフから視線を逸らし、どこまでも澄んだ空を見た。
都市間戦争で自分を庇って死んだ愛しい弟の顔が空に浮かぶ。
「……セーレ……お姉ちゃん……あなたと同じ死に方……できた……よ」
──あなたと同じ死に方をしたから、きっとあなたと同じところに行けるね。
ずっと弟と同じように大好きな人を庇って死にたかった。死に場所を本当は求めていた。
ようやく……願いが叶う。
バーティンの瞳から光が消えた。
もうすでに絶命しているバーティンの頭を持ち上げ、ルシフは膝をどかした。そのままゆっくりとバーティンの頭を地面に寝かせ、開いたままになっているバーティンの眼を、まぶたを右手で触れて閉じた。
「バーティン……」
《ルシフちゃん!》
脳裏にそんな明るい声が響く。
ルシフはゆっくり立ち上がり、辺りを見渡した。
アルシェイラやレイフォン、天剣授受者たちは身を呈して他人を庇ったルシフの姿が信じられず、あまりの衝撃で攻撃するのを忘れているようだ。
ルシフの目には、そんな彼らの姿は映らない。映るのは倒れている剣狼隊の面々だった。
《ルっちゃん、暴力はダメだよ?》
「プエル……」
《どこまでもお供しますぞ、ルシフ殿》
「オリバ……」
《俺に任せてくれ、兄貴!》
「ハルス……」
《はい!》
「サナック……」
《大将、あんたは希望の光だ。あんたは必ず俺が守る》
「レオナルト……」
《命令して、ルシフ。どんな命令だって、わたしは従うから》
「フォル……」
《ルシフ様、いつも私がお力になります》
「アストリット……」
そして、それ以外の剣狼隊の隊員たちの名前と顔が次々に浮かんでは消えていく。
頭が痛い。
なんでこんなに頭が痛くなる?
こいつらはどうでもいい連中なのに、なんでこうも感情を揺さぶられる?
ルシフの脳裏に、剣狼隊と共に過ごした日々がフラッシュバックした。
そうか。俺はいつの間にか、信念とかそんなものがどうでも良くなるくらい、お前らの存在そのものが大切になっていたんだな。
腹の底からルシフが雄叫びをあげた。
ビリビリと大気を震わせ、暴力的ともいえる剄が暴れ狂う。
アルシェイラやレイフォン、天剣授受者たちはある種の恐怖を覚えた。ルシフはかなり傷を負っているが、それはこちらも同じ。もし剣狼隊の隊員が殺された怒りで我を忘れて殺す気できたら、この圧倒的優勢をひっくり返されるかもしれない。
雄叫びの後、ルシフは深呼吸した。自分の内に溜まる感情を吐き出したことで、ルシフは怒りに身を任せそうになる自分を鎮めた。
「役立たずどもが」
──お前らは、武芸者の中の武芸者だ。
「どいつもこいつも潰されて精々した! 愚かなゴミどもだ! ハハハハハハ……!」
──悪名なら全て、俺が背負う。その代わり、お前らの死後の名誉は汚さない。最期まで俺への忠誠と民への博愛を貫いた最高の武芸者として、お前らは歴史に名を刻め。それが今の俺にできる、たった一つの恩返しだ。
《ルシフ……》
内側からメルニスクの心配そうな声が聴こえた。
ルシフは無視して笑い続ける。頭痛はどんどん激しくなっていった。