ルシフは『縁』の空間内にいた。
メルニスク、シュナイバルもいる。
「シュナイバル。電子精霊にヨルテム目指して移動するよう指示を出せ。ただし、グレンダンだけは除く」
「何故です?」
「グレンダンは今の状態では従わないだろう。アルシェイラに情報を与えるだけで、こちらに利が無い。グレンダン以外の都市を奪い、古い政治は何もかも破壊し、新たな民政に移行し安定させて初めて、グレンダンやアルシェイラが抵抗する無駄を悟り、こちらに従うようになる」
「そう上手くいきますか?」
「まあアルシェイラの性格上、一騎打ちぐらいは仕掛けてくるかもしれん。自分より弱い奴をグレンダンの支配者にできない、などと言って。だがアルシェイラは政治に興味が無い。代わりに政治をやる奴が出てこれば、喜んで王の座を譲るだろうよ。それがアルシェイラという女だ」
「分かりました。しかし
「それから、メルニスクが全都市に『縁』で行けるようにしてもらいたい。そうすれば俺は放浪バスを使わず、一瞬で他都市に行けるようになる」
「それも、ヨルテムがメルニスクに協力すれば可能でしょう」
「頼んだぞ」
ルシフとメルニスクは『縁』の空間から消えた。
星を散りばめたような空間の中、シュナイバルだけがいる。
「ヨルテム」
シュナイバルが呟くと、電子精霊ヨルテムが空間内に顕現した。
「グレンダン以外の全電子精霊に伝えてください。あなたの都市を目指して移動するように、と。それから、メルニスクにあなたの『縁』を利用できるようにもしてください」
顕現した電子精霊ヨルテムは驚いたような雰囲気を出したが、シュナイバルの言葉を理解した後は頷いた。
電子精霊ヨルテムが消える。
「……世界が全く別の形に変わる。見せてもらいましょうか、あなたの答えを」
シュナイバルの姿が消えた。
数分後、グレンダンとヨルテム以外の都市が本来の進路から外れ、ヨルテムを目指し始めた。その変化に気付いている者は誰もいない。
◆ ◆ ◆
ルシフは剣狼隊専用の放浪バスに乗ってヨルテムに戻らず、シュナイバルに留まった。今シュナイバルはヨルテム目指して移動しているため、言ってみればシュナイバルそのものが放浪バスのようなものになっている。放浪バスに乗る理由が無かった。
シュナイバルでもヨルテム同様の民政を始めた。都市旗の変更。武芸者選別。増税。外縁部を潰しての工業区、農業区の拡大。とりあえず今はこれだけでいい。グレンダン以外の全都市がヨルテムに集結したら、役人も選別して無能な者は全員辞めさせる。とにかく都市が管理する人材から無能を取り除いていかなければならない。
武芸者選別試験をやって三日が経っていた。
武芸者選別試験は元々シュナイバルに潜伏させていた剣狼隊五人とジルドレイドが中心となってやった。ジルドレイドが指示に従っているせいか、シュナイバルの武芸者は協力的で試験がかなり楽だった。
試験を始める直前、ニーナがまるで汚染獣の前にでも立ち塞がるように、ルシフの前で両手を広げてきた。言葉は無く、ただルシフを睨んでいた。
ルシフは容赦なくニーナの頬を平手打ちし、ニーナの身体は横に転がった。
ニーナが痛めつけられた姿に怒ったのか、試験を受ける武芸者たちが
シュナイバルの武芸者は約千七百人いて、その内の約百五十人が合格した。千五百人以上が武芸者の地位を剥奪され、武芸者は一気に今までの一割にも満たない数に減少した。
試験の次の日、ヨルテムと同じく大量自殺があった。人数は四百人に近い数だった。一家心中などを含めると五百人を超える。自殺者の中に、アントーク家の者もいた。
大量自殺があった都市旗がある建物の広場の前で、ニーナはずっと泣いていた。ニーナだけでなく、何百人という都市民が集まって泣いていた。
痛みを知って、人は成長する。この痛みは、人類が成長する糧となる。いや、糧にするのが指導者の役目だ。
ルシフは与えられた部屋の椅子に座っている。
部屋にはルシフの他に、マイとジルドレイドがいた。
「俺はこれから『縁』を利用して次々に都市を制圧していこうと思う」
『縁』についての説明は、すでにしていた。マイはしばらく困惑したが、なんとなく理解したようだった。
「儂らの役割は、お前がいなくともいるように見せることか」
「そうだ。俺は自室で自堕落に過ごしているという内容の噂でも広げておけ。なんなら女を利用してもいい。剣狼隊に二人女がいた。
マイ、ジルドレイドに協力するよう二人の女に言っておけ」
「分かりました」
ルシフは椅子から立ち上がる。左手には方天画戟。
「行くのか?」
「ああ。あとは任せたぞ。……言い忘れていたが、帰ってくるまでにお前の孫娘をどうにかしておけ」
ルシフの姿が光に包まれ、消えた。
部屋にはジルドレイドとマイが残り、二人きり。
気まずい空気になった。
「……では、私はリーリンさんとニーナさんの監視がありますので」
マイは逃げるようにさっさと部屋から出ていく。
「……前途多難だな」
ジルドレイドが呟いた。
マイが出ていって数分後に、ジルドレイドも部屋の外に出た。
ニーナはリーリンと同じ部屋にいた。
シュナイバルはニーナの出身都市であり実家もあるが、ニーナとリーリンは今まで通りルシフから与えられた客室で過ごした。
ニーナはツェルニを卒業するまで、実家に帰らないと決めていた。今はツェルニを離れているが、いずれはツェルニに戻り卒業する。ツェルニに留年はないため、どんな生徒も六年で卒業できるのだ。
ニーナは自分のベッドの上で膝を抱えて座っている。親戚の武芸者だった人が一人自殺したのだ。何故とめられなかったのか。今のニーナは自責の念に駆られていた。
リーリンはメモ帳にシャーペンで何かを書きこんでいる。
ニーナはリーリンのベッドの方に移動し、リーリンが何を書いているか盗み見した。メモには『暴政の理由』とタイトルが書かれ、その下に理由らしきものが書かれている。
一つ目。恐怖を植えつけ、反抗する気力をなくすため。
二つ目。平和だった都市を力で奪って善政したところで、都市民から慕われないため。
三つ目。税収を増やし、ルシフ自身が使えるお金を増やすため。
四つ目。最初に最低な暴政をして、それから少しずつ善政に変えていけば、都市民はルシフが良くなったと錯覚して慕うようになるため。
そこから先は何も書かれていない。
リーリンはシャーペンのノックボタンの部分で、こめかみの辺りをぐりぐりしている。その時にニーナがメモを盗み見ているのに気付き、苦笑した。
「四つまでしか分からないや。ルシフは六つあるって言ったんだよね?」
「……ああ、確かに六つあると言っていた。だが、この四つ目は間違っている。あれだけのことをしでかしたルシフが、都市民から慕われるようになるものか」
「……そうかな? ルシフは何のために剣狼隊と対立しているように見せかけていると思う?」
「都市を少人数で制圧する際、都市民の味方に見えるようにするためだろう。実際ルシフのグレンダン蹂躙映像を見た後、彼ら剣狼隊の言葉は都市民にとって真実に聞こえた筈だ」
「それだけじゃないよ。ルシフは暴政だけじゃなくて、善政もしてる。暴政の部分はルシフが強引にやって、善政の部分は剣狼隊に言われて仕方なくやるか、剣狼隊が独断でやってる。つまり都市民は、『ルシフは危険だけど剣狼隊の言うことも多少聞くから、剣狼隊がいればそんなに酷くならないな』と思う。そこからルシフ自身も少しずつ善政をするようになれば、『剣狼隊から学んでルシフは成長した。力ずくで無理やり都市を奪っていた時のルシフじゃなくなったんだ』ってきっと思うようになる」
「そんな都合良くいくわけが……」
「誰だって過去より現在の方が大事だよ。現在が良くなってきたら、その流れに逆らう人は本当に少ないんじゃないかな?」
「じゃあなんだ、ルシフは今さえ乗り切ってしまえば、あとは楽に世界中の人々に自身を認めさせることができるというのか! そんな理屈──」
「誰だって善政になったら敵対しなくなるよ。敵対する理由がないもん。今暴政してるのは普通に政治していた都市を力ずくで奪ったから。善政しても、『ただのご機嫌取りでまた自分の好き勝手やるんじゃないか』って都市民が不信感を抱いて警戒するだけだろうし。今の暴政には、数年後に都市民の不信感や警戒心を完全に無くすための下準備のような役割もあると思うんだよね」
数年後を見据え、数年後に世界をどういう形にもっていくか決めたうえで計画を考え、計画通りに事を進める。もしそうなら、ニーナとは次元の違う場所に間違いなく立っている。少なくとも、彼女にそんな生き方はできない。後々良くするからといって、今の人々を苦しめたり見殺しにはできない。ルシフは自分が望む世界を創造し、その世界に付いていけない者は知らないと切り捨てていく。世界はルシフだけのものじゃない。世界に生きる全ての人のものだ。
そもそもルシフのやろうとしていることは、例えるなら水の中に突き落としておいて助けに行くようなやり方であり、自作自演。たとえ正しくても、最適解だとしても、ニーナは認めたくない。
それに、それはルシフが世界の全てを一人で背負い込むのと同じだ。ルシフ自身の幸福や人生を犠牲にして得られる平和。ルシフは最低でも数年間誰からも恐怖され、忌避され、嫌悪され続ける。それは本当に正しいのか。
「たとえ狙いがあったとしても、冷酷すぎる。武芸者選別試験の不合格者には何の救済策もないし」
「ほんとに、ルシフは冷酷なのかな?」
リーリンはメモに視線を落とした。
ニーナは意外に思い、リーリンを凝視する。
「どう考えても冷酷だろう。不合格だからといって容赦なく切り捨てる。人の心があったらできないことだ」
「でも、本当にルシフが不合格者のことを考えてないなら、今まで不合格者が武芸者として受け取っていた給金だって不当なものだから、財産の半分もしくは十分の一でも奪い取ってもおかしくないのに」
「……何?」
「でもルシフは一切不合格者の財産に手を付けてない。それってつまり、『今まで武芸者だったことは認めるけど、これからは新たな基準で武芸者を選出する』っていうメッセージでもあると思う。そもそもほとんどの不合格者の人には蓄えがあると思うから、それがニーナが言うところの援助金になるんじゃない? あからさまじゃないだけで、人の心はあると思うな、わたしは」
「……リーリン」
──一体いつからだ? 一体いつからお前は……ルシフの思想に惹かれていたんだ?
ルシフの暴政の理由を考えている内にルシフに共感したのかもしれない。
リーリンの右目の黒い眼帯が急に存在感を増した気がした。眼帯をする前のリーリンと、今この場所にいるリーリンが全く別人だと感じるような違和感。
二人はそれからしばらくの間会話もなく、部屋で過ごした。
リーリンは眼帯を右手で撫でた。
眼帯はイアハイムに行く前に中継したヨルテムでルシフに与えられたものだった。
その時に大まかにルシフから教えてもらった。この世界そのものを滅ぼそうと考える敵──イグナシスという存在がいて、以前見た仮面の人型はその手先。リーリンに宿った右目は剄と同じでイグナシスに対抗するための力。
それらを知ってからしばらくして、リーリンの脳裏に浮かび上がる光景があった。
レイフォンの身体に棘が吸い込まれていく光景。赤ん坊の頃、レイフォンと一緒に助けられた時からレイフォンがグレンダンを追放されるまで、ずっと繰り返されていた光景。
何故レイフォンが莫大な剄を持っていたか。単純な答え。リーリンの右目に剄を増幅する力があり、無意識の内にリーリンの守護者としてレイフォンを選んでいたから。
棘がレイフォンに吸い込まれていく光景はずっと見えなかった。いや、見ようとしなかっただけなのかもしれない。レイフォンを武芸者という過酷な道に引きずりこんだ事実を。
もし自分がレイフォンを選ばなければ、レイフォンが闇試合に出てグレンダンから追放されることも、闘って傷つくこともなかった。自分のせいで、レイフォンは傷つく道に進んでしまった。
だがルシフがヨルテムの支配者になった時に宣言していた全レギオスの支配が実現し、ルシフが支配者になったらどうなるか。ルシフを中心に全レギオスの武芸者が結集し、イグナシスや外敵に備えるようになる。
そうなればレイフォンはもう傷つかなくてもいいし、無理して闘わなくてもいい。レイフォンが戦闘を選んでも、負担はかなり減る。レイフォンの代わりに闘える人はたくさんいるから。
ニーナの言っていることも分かるが、リーリンとしてはルシフの目指す世界の方が自分の望みに近かったのだ。
──もしルシフがニーナの言う通り人の心を無くしたなら……。
リーリンの右目の能力である、見たものを眼球に変える力。この能力を使い、ルシフを殺す。その覚悟の刃を、リーリンは今も密かに磨き続けている。
リーリンは再び眼帯を右手で撫でた。
◆ ◆ ◆
ルシフがヨルテムを出発した後、放浪バス五台ほども日数を置いて出発した。その放浪バス一台一台に剣狼隊の一小隊──十人程度が乗っている。
これらの放浪バスの目的は他都市の制圧である。ルシフがシュナイバルにいつ到着するかは逆算できるため、ルシフがシュナイバルに到着した次の日に他都市に到着するよう計算して、放浪バスを出発させた。
一気に多数の都市を同時制圧する急襲作戦。当然だがルシフが作戦計画を立て、実行を決定した。
今ヨルテムの反乱分子は無いに等しい状態になっているため、警備する剣狼隊の数は少なくとも問題無くなった。ましてや都市民に、ルシフはヨルテムにいるように思わせている。ルシフがいると思っていて、勝ち目の無い闘いを仕掛ける者は少数だろう。
放浪バスに乗っている間、剣狼隊の小隊長たちはルシフとの出会いから今までのことを思い出していた。
プエルは放浪バスの中で目を閉じていた。
思い出しているのは、初めて都市間戦争に参加した時のこと。
『……はぁ……はぁ……』
走りながら、後ろを見る。敵の武芸者が数人追いかけてきていた。
初めて都市間戦争に参加した時は十歳だった。前の都市間戦争で五歳のルシフが参戦していたのが父としては気に入らなかったらしい。父はルシフの父にいつも対抗心を燃やしていた。
だから、今回の都市間戦争に参戦してきなさい、と父に言われ、十歳で都市間戦争に参加することになった。
闘うのは嫌いだった。人を傷つけるのも嫌いだった。鋼糸という特殊な武器で闘う武門だったから、鋼糸の残酷さはよく理解できた。それ故に、鋼糸の扱い方や闘い方を覚える気にならず、家族や親戚から「何故こんなこともできないんだ!」とよく叱られた。陰で『もっと才能のある子が生まれてほしかった』と父がぼやいているのを聞いたこともある。
それに対して申し訳ない気持ちに何度もなった。どうして自分は闘うことが嫌いなんだろう。武門の人間なのに、どうして闘うことに抵抗がない人間として生まれなかったのだろう、と何度も自分を責めた。
でも、人殺しなんてしたくない。相手は人間。心がある。闘わなくても、相手と分かり合えればいい。そうすれば、お互い痛い思いをしなくてすむ。
走りながら、鋼糸で陣を組み上げる。簡単な陣なら体得していた。鋼糸は切断力があるから、相手を傷つけないよう配慮しなければ。
おそらくその甘さが陣の構築を僅かに遅らせ、陣も隙がある不完全なもので終わったのだろう。
武芸者たちはたやすく陣を掻い潜り、あたしの眼前まで接近していた。武芸者たちの剣や刀が振るわれる。
どうして、顔も名前も知らないのに殺し合うのだろう。
死ぬ間際に思ったのはそれだった。だが、死は訪れなかった。突風のような衝撃が眼前の武芸者たちを吹き飛ばしたのだ。とてつもない衝剄が放たれたと気付いたのは、それから二、三秒後のことだった。
衝剄を放ったのは誰か知ろうと、視線を動かす。赤みがかった黒髪で、赤い瞳の男の子が立っていた。ルシフ・ディ・アシェナ。アシェナ家の問題児と言われているアシェナ家の長男。確か七歳だった筈だ。顔は当然知っていたが、好戦的なところが苦手だった。人を傷つけることも平然とやる。そこが嫌いでもあった。
ルシフの数歩後ろには、青い髪の女の子がいる。こちらはよく知らない。倒れていたところを助け、そのままルシフの使用人としてアシェナ家に住まわせるようになったという話は聞いたことがある。
まともにルシフと会話をしたことはない。たまに交流があっても、いつも避けていた。でも、今助けてくれたのだ。お礼は言わないと。
『……あ、あの……あり、ありが──』
『口を動かす余裕があるなら闘え。闘えないなら、そこで倒れていろ。相手は見逃してくれるだろう』
かちんときた。誰もが、キミのように闘えると思ったら大間違いだ。闘いなどしたくない、相手を傷つけたくない人だっている。
『キミの方こそ、なんで顔も名前も知らない人を傷つけられるの!? 相手もあたしたちと同じ人間だよ! 言葉だって通じる! 傷つける必要なんてない! 相手に諦めてもらうまで、攻撃を防ぐだけでいい! そうすればきっと相手も分かってくれる! 武器を錬金鋼に戻して、手と手を取り合える!』
気付けば、ずっと心の内で溜め込んでいたものを吐き出していた。
攻めてくる相手に応戦してしまえば、闘いは終わらなくなる。どちらかが死ぬか戦闘不能になるまで闘い続けることになる。防御だけで攻撃はしない。そうすれば、どちらも傷つくことなく戦闘を終わらせられる。
ルシフはあたしの顔をじっと見据えていた。
『……それが、本当に優しさか?』
『……え?』
『それは人を傷つけたくないという貴様の独善的なものにすぎない。相手が攻めてこないと分かったら敵はどうするか。もっと深く攻めてくる。傷つけられる危険がないからな』
『それでも! 闘ったらダメだよ! もっと酷い闘いになっちゃう!」
『違う!』
ルシフが一喝した。威圧的で暴力的な剄が激しさを増し、金縛りにあったように身体が動けなくなった。
『貴様のやり方はいたずらに戦闘を長引かせ、最終的に傷つく人数を増やすだけだ! 傷つく人数を減らしたいなら、まず戦闘そのものを終わらせる方法を考えろ! 速戦即決こそ、戦闘の基本! こちらから攻めずして、犠牲者を減らすことなどできない! そこで貴様はよく見ていろ!』
ルシフの姿が消えた。
数分後には敵対都市の武芸者が悲鳴をあげている念威端子の映像が浮かび、あっという間に敵の都市旗をルシフが取った。
戦闘理由が無くなったお互いの武芸者は武器を錬金鋼に戻し、自分の都市に戻っていった。
あとに聞いた話では、今回の都市間戦争の両都市合わせた犠牲者の数は普段の二割程度だったらしい。
プエルは現実に意識を戻した。
あの日から、ずっと考えている。本当の優しさとは何か。
闘わなければ、犠牲者が逆に増え続ける。それを思い知った瞬間でもあった。
あの都市間戦争の後、鋼糸の設定を変更した。鋼糸の先端以外から殺傷力を無くしたのだ。先端だけ殺傷力を残した理由は、味方が傷を負ったら鋼糸で傷口を縫合しようと考えたからだ。
あの日以来ルシフに対して見る目が変わり、興味をもった。父から親しくするなと言われても聞かずに、時間があればルシフのところに行ってルシフやマイと一緒に過ごした。鋼糸の技も積極的に覚えるようになり、いつの間にかツェン家一の天才と呼ばれるようになった。
プエルは左手を見る。包帯が巻かれていた。包帯は左肘から左手の爪先までぐるぐる巻きにされていた。ルシフからの罰による爪剥ぎと釘打ちの傷はまだ完治していない。
プエルは知っている。ルシフが優しいことを。残酷に見えるが、結果を見ると犠牲者が極端に少ないのだ。それが、本当の優しさなのではないのだろうか。
だからプエルはルシフを信じ、ルシフのためならば自分の全てを捧げようと決めた。ルシフがどれだけの苦痛と重圧に苦しんでいるかは、簡単に想像ができる。それに比べれば、自分が傷つくことや痛めつけられることなど楽なものだ。
「隊長、もうすぐ都市につく」
隊員の一人が声をかけてきた。
正直な話、自分なんかが剣狼隊の隊長をやっていいのだろうかと今も悩んでいる。剣狼隊に入隊できたこと自体が奇跡のようなものだし、自分より強い隊員はいくらでもいる。
「ありがと」
「隊長、都市を制圧したらデートしましょう! デート! おごりますよ!」
「あっ、抜け駆けはずりぃぞ! プエルちゃん、俺とデートしよう!」
「……えっ、ええッ!?」
隊員たちが近寄ってきた。
プエルは顔を真っ赤にして身体を縮こませた。
「こらッ! プエルが困ってるじゃない! 座ってなさい!」
女の隊員が怒鳴った。
近寄ってきた隊員たちは慌てて自分の座席に戻っていった。
「……あの、ご飯一緒に食べてもいいよ? でもデートとかじゃなくて、ここにいる全員一緒でいいならだけど」
プエルの言葉に、隊員たちは顔を見合わせて笑った。
「いいっすね、それ。全員生きてたら、そうしましょう」
これから攻める都市にも、多数の武芸者がいる。内通者がいるといっても、相手の数が圧倒的なことに変わりはない。
「誰も死なせないよ。あたしがみんなの盾になる。だからみんなは、重要施設と都市長室の制圧を迅速にやって。ただし必要最低限の攻撃しかやっちゃダメだよ。必要以上に攻撃したら怒るからね」
隊員たちは笑みを浮かべた。彼らはプエルのこういう部分をよく理解し、慕ってもいた。
プエルは戦闘が必要だとしても、相手を傷つけない闘い方を貫いていた。
「了解であります! 期待してますよ、隊長!」
「ふえッ!?」
プエルが途端に落ち着きを無くし、視線を至るところにさまよわせる。
「……で、できれば、あまり期待しないで自分の身は自分で守ってほしいな」
プエルが周囲の期待といったプレッシャーに弱いことは全隊員が知っていた。
隊員たちは笑い声をあげた。
プエルは顔を真っ赤にしたまま、咳払いをする。
「んッ! んんん! 無駄話はおしまい!」
都市の放浪バス停留所に到着した。
全隊員の表情が引き締まる。
プエルは左腕を見た。オレンジの腕章が巻かれている。全隊員も同様にオレンジの腕章を巻いていた。
「オレンジ隊! 今から都市制圧作戦を開始するよ!」
「了解!」
プエルの号令で全員が錬金鋼を復元した。