気付いたら、真っ暗な空間が広がっていた。前後左右どこを見ても何もない暗闇。
「なあ、いつまで演じ続けるつもりだ?」
いつの間にか影が正面に立っていた。ルシフの影を切り取った姿だった。口がある部分だけ、口の形をした白いものが貼り付けられている。この空間に光は全く無く、通常なら影も闇の中に呑まれている筈だが、影の輪郭は闇に浮かび上がっているようにはっきりとしている。
「何を言っている?」
ルシフは影に逆に訊き返した。
影が大口を開いて笑いだした。
「いつまで演じるつもりだ、って訊いてんだよ、このなりすまし野郎」
「なりすまし? はっ、俺は元からルシフだ。演じているわけじゃない。そんな戯れ言信じんぞ」
「ほんとにそうかな?」
影がにやりと笑った。
「別人格の記憶と知識、持ってんだろ? なのに別人格の意識は持ってないなんて、そんな都合の良いことあるのかな?」
影の口はにやにやとした形のままだ。
イラついた。怒りが全身を沸騰させている。
「その身体は俺のなんだよ。いい加減返してくれよ」
「俺の前から消えろ!」
ルシフが叫んだ。
ルシフの言葉に応えるように、真っ暗な空間の崩壊が始まる。影も足から徐々に消えていく。
「時間切れか」
影は自身の姿を確認するように俯いた。もう足は全て消え、今は腹部が消えていっている。
「まぁ今回はこれでいいか。最後に一つ言っておく。世界は都合良くできていない。どこまでも残酷で無情だ。真実を知った時のお前の顔が
完全に消えるまで影は笑い続けていた。
真っ暗な空間が砕ける。真っ白な光に呑み込まれた。
ルシフはベッドで勢いよく身体を起こした。周囲を視線だけで見渡す。いつもの寝室。自分以外誰もいない。
──夢……か。
夢にしては鮮明な夢だった。起きた今でも、夢の内容を全て思い出せる。
「……ッ!」
激しい頭痛。頭を右手で押さえ、眼を細めた。頭がくらくらする。
ベッドの横に置いてある机の引き出しから温度計を取り、脇に挟んだ。数分そうしたあと、温度計を脇から出して見た。三十八度五分だった。
あの日から、ほぼ毎日頭痛と熱があった。マイがハイアに誘拐された日から。
頭痛はあんまり痛くない時と頭が割れるように痛くなる時があり、熱もたいてい七度五分前後くらいで、八度を超えるのは稀だった。
何もしていない時が一番辛かった。政務をしている時、闘っている時、女を抱いている時など、何かをしている時は頭痛も熱も和らいでいく気がした。逆に剣狼隊を痛めつけたりすると、頭痛が更に激しさを増し、耐え難い苦痛に襲われた。
俺は『王』だ。王が情けないところなど見せてたまるか。何度も自分にそう言い聞かせ、気力で耐えてきた。
夢で影が言っていた言葉が再生される。
──俺はルシフだ。俺の人格が本当はルシフじゃない? そんなことはありえん。
ありえないのに、不安になる。自分が本当は自分じゃない。考えただけで震えそうになるほどの恐怖に襲われた。死ぬより恐ろしい。
時計を見た。もうすぐ朝の七時になるところだ。
武芸者選別試験から四日が経っていた。その間、都市中央部にある建造物を破壊し、王宮を建てる準備をしたり、外縁部付近の農業区画や工業区画を外縁部を潰して広げるよう動いた。何度かヨルテムの武芸者だった者が集まって自分を倒すために暴れたが、自分のところまでたどり着く前に剣狼隊が潰した。捕らえた反逆者全員の右腕を切り落とし、解放した。切り落とした右腕は解放する時渡してやったから、病院に行けば元に戻る。
ルシフはベッドから下りて着替えた。黒装束に黒のマントを羽織り、立て掛けてある方天画戟を左手で取った。
《ルシフ、どうかしたのか? うなされているようだったが》
メルニスクの声が自身の内から響いた。
「なんでもない」
《……そうか》
メルニスクの声はそれっきり聴こえなくなった。
寝室を出ると、黒髪の少女十人が家事をやっていた。
「おはようございます、陛下」
少女の一人が頭を下げた。それにつられるように残りの九人が頭を下げる。声を出して挨拶したのは最初の一人だけだ。
「ああ、おはよう」
挨拶を返しながら、声を出した少女を見た。この女がシェーンの筈だ。全員が同じ髪色、髪型、体型、服装をしているため、未だにシェーンが誰なのかはっきり分からない。
体型についてはわざと合わせている。風呂に入った時に気付いた。風呂に入ろうとすると、身体を洗うと言っていつも少女たちが裸にバスタオルを巻いて入ってきた。その時、明らかに胸の大きさが違っていたのだ。普段はパッドやら小さめの下着を付けることで、全員同じくらいの胸の大きさにしていたらしい。
それで確信した。たまたまではなく、わざと全員似たような容姿にしていたと。何故か? 決まっている。毒殺を成功させた後、誰が殺したか分からなくするためだ。
ますます少女たちを警戒した。出された料理も少女たちに分け与え、飲み物や食べ物を少女たちが躊躇いもせず食べたところを確認してから、出された料理や飲み物を口に入れた。当然十人分も料理はないから、足りない分は食材を持ってこさせ、自ら料理を作って少女たちに振る舞った。殺したい相手の料理を食べることに抵抗があるかどうか確かめるためであり、媚びてくるかどうか試すためでもあった。
少女たちは驚いただけで作った料理を抵抗も無く食べた。シェーンが満面の笑みでおいしいと言った。他の少女たちも媚びるような笑みは浮かべず、純粋に食べるのを楽しんでいた。予想外の反応に、こっちが困惑した。媚びるには最適の機会の筈だ。なのに、媚びてくる少女は一人もいない。
「朝ごはんならすぐ用意できます。どうされますか?」
「後でいい」
「分かりました」
シェーンがルシフの顔をじっと見ている。シェーンはよくああして顔を見つめてきた。自分の心の底を見透かそうとしているようで、ルシフは苦手だった。
ルシフは気付かない振りをして、黙って部屋を出た。
不思議な方だ。
ルシフが部屋から出ていくのを見届けた後、シェーンはそう思った。
武芸者選別試験。増税。旗の変更。都市開発。反逆者への徹底した制裁。ルシフがヨルテムに来て五日が経過し、それだけのことをやった。
休憩時間に都市を歩くと、都市民のルシフに対する陰口や罵倒が聞こえた。ヨルテムを私物化している。自分が好きに生きることしか考えてない。私たち住民を蔑ろにしている、といった言葉だ。
シェーンは主人だったベデからルシフの暴政はわざとだと言われていたため、ルシフに対する怒りは感じなかった。ただやったことの意味を一つ一つ考えた。
武芸者選別試験の後、都市中央部の建物を破壊すると決定し、今は建物を壊している最中だった。外縁部も工場や農地にするため、多くの人が働いている。その多くは武芸者選別で不合格だった者だった。肉体労働ができる労働者が急遽必要になったため、剣狼隊が労働者を募集した。それに武芸者で無くなった者が飛びついたのだ。
ルシフは武芸者という地位の大量剥奪の応急措置のような意味で、都市開発を推し進めているのではないか。確かに暴政と呼ばれる行為だが、働き口が増えるという意味では都合が良い。
都市民にそう言えば、あの男がそこまで考えてやっているものか。たまたまに決まっている、と言われるだろう。確かにそうかもしれない。しかしシェーンは、狙ってやったと思うことにした。
部屋にいる時のルシフは恐ろしくなかった。誰一人として、ルシフから酷いことや痛いことは未だにされていない。むしろ優しいとさえ感じた。料理を運ぶと、いつもお前らも食べろと言って、料理を分けてくれた。料理が足りないと、暇潰しだと言って料理を作ってくれた。
自分たちにも与えられた部屋があった。五人で一部屋で、合わせて二部屋。ベッドと最低限の家具しか置いてない部屋だが、それで十分だった。
ルシフがいない場所なら、自分以外の少女も話す。むしろ饒舌だった。シェーンもなるべく少女たちと話そうと、与えられた二部屋を交互に使っていた。
少女たちとは様々な話をした。思ったより怖くない。身体を求めてこないから、仕えるのも苦痛じゃない。仕えるのが楽しくなってきた、という少女もいた。三人の少女はルシフが好きになったとさえ言っていた。
料理の話もたくさんした。ごはんの時間が実は楽しみ、とみんなが言っていた。シェーンもあんなにおいしい料理を食べたことなんてほとんど無かったから、少女たちの言葉に同意した。
風呂場での話もした。そもそも男性経験が全くない少女ばかりだったから、ルシフの裸を見ただけで顔を真っ赤にする有り様だった。自分たちはバスタオルで身体を隠していたが、ルシフは一切隠していなかった。当然男の部分も丸見えだったため、初めて身体を洗った時は直視できず、顔を背けながら洗った。今は慣れたため、むしろ男の身体はこうなっているのか、という目で見る余裕もできた。あの時間が至福、と顔を赤らめながら言った少女も何人かいた。興奮したらどうなるのか見てみたい、という少女も二、三人いた。ルシフは見られることや女の身体を見ることに何も感じないらしく、男の部分はずっと通常のままだったのだ。
シェーンは料理を振る舞ってくれた時のルシフの顔が、頭からずっと離れなかった。とてもおいしいです、と自分が言った時のルシフの顔が。
驚いたような、戸惑ったような、普段からは考えられない隙のある無防備な顔だった。あの顔を見てから、もっともっとルシフのことを知りたいと思った。一体この人は何を考え、何をやろうとしているのか、ますます興味が出てきた。
ルシフのあの顔を見て一つ、シェーンは確信したことがある。
──わたしはルシフさまを愛せる。
それが分かっただけでも、シェーンにとっては収穫だった。
普段は恐ろしいことを平然とするのに、時折優しさのようなものを感じる。それが不思議で、ルシフの内面を見ようといつもルシフの顔を見つめていた。
剣狼隊はルシフに絶対の忠誠を誓っている、とベデは言っていた。剣狼隊は事あるごとにルシフに痛めつけられている。ルシフにとって剣狼隊は大切な部下のはず。なのに、痛めつけなければならない。内心でルシフはとても傷つき、苦しんでいるのではないだろうか。
「シェーン、どうしたの? 掃除しよ?」
少女の一人がシェーンに言った。
シェーンは現実に意識を戻す。
少女の言葉に頷き、シェーンは掃除用具を取りにいった。
ルシフは部屋を出ると、まっすぐマイの部屋に向かった。
別に用事があるわけでもない。マイに会いたいだけだ。
頭は今も激しく痛み、くらくらする。しかし、平常と同じ顔と仕草を意識して歩いた。
マイの部屋の前に来ると、扉をノックした。
「……ル、ルシフさま!? い、今すぐ開けます!」
念威の波動を扉越しに感じ、その後少ししてから扉が開いた。
マイの部屋に入る。マイは赤のスカーフを首に巻き、
「あの、何かご用ですか?」
「用がないと、来たら駄目なのか?」
「用がないのに、私に会いに来てくださったのですか!」
マイは嬉しそうな笑みを浮かべた。
ルシフは左手でマイの右頬を撫で、顔を近付けた。マイの透き通った青い瞳を覗き込む。
この瞳が好きだった。この瞳を見ていると、王になりたいと思った原点を思い出せる。自分が何者なのか、確信することができる。
──俺はルシフだ。ルシフ・ディ・アシェナだ。
頭痛が和らぎ、くらくらしていた感じも収まった。マイを見ていると、安心するからなのか。
「ルシフさま、何かありました?」
「どうしてそう思う?」
「何かあると、いつもこうして私の顔をじっと見てきますから。私はもちろんとても嬉しいですけど」
「別に何もない」
そうして数分間、お互いを見つめあった。
頭痛はほとんど消え、頭もくらくらしなくなった。
「そろそろ行く」
「はい。来てくださってありがとうございました」
マイの部屋を出た。
それから自室に戻って少女たちと朝ごはんを食べ、謁見の間に行った。
玉座に座り、様々な報告を聞いた。都市開発に関することや都市の警備状況、武芸者の訓練など。
警備体制については、以前は武芸者千人以上の人数で警備していたところが、今は剣狼隊と合格した武芸者を含めた五十人程度で十分になった。都市全体に散らすように詰所を設置し、三人で一つの組を作ってそれぞれ配置。念威操者が都市全体の情報を得て、何か問題が起こりそうなら近くの詰所にいる武芸者に伝達。それだけで、治安を維持するどころか見違えるほど良くなったのだ。いかに武芸者と呼ばれた者たちを遊ばせていたか、よく分かる。
報告を聞いている最中、剣狼隊が一人謁見の間にやってきて、ルシフの前で片膝をついた。
「陛下。王命により、先の大量自殺及び大量殺人で犠牲になった者の葬儀金、遺族への弔慰金の手配完了いたしました」
おおッ、と謁見の間にいたヨルテムの者たちが歓声をあげた。
これも計画通りだ。後は王命と偽って指示を出したエリゴに罰を与えればいい。
ルシフの顔は不機嫌そうに歪められる。剄が謁見の間を暴れ回った。
謁見の間にいる者は恐怖で顔をうつむけた。
「……今、なんて言った? 俺はそんな命令だしていないぞ」
ルシフは玉座から立ち上がった。
片膝をついている剣狼隊は怯え、尻もちをついた。
「し、しかし! 確かに王命での指示を……!」
「その王命を出したヤツは誰だ! 今すぐ捕らえ、この場に引きずってこい!」
「りょ、了解しました!」
報告にきた剣狼隊が慌てて謁見の間から出ていく。謁見の間内の者たちは無言で視線を交わし合っていた。
十分ほど経つと、五人の剣狼隊がそれぞれ剣狼隊二人ずつに捕らえられて連れてこられた。すでにヨルテムにはイアハイムにいた剣狼隊全てが来ていて、錬金鋼技師たちも同じようにやってきていた。
五人の剣狼隊を見て、ルシフは内心で困惑した。エリゴ一人の予定が五人いる。エリゴ、フェイルス、オリバ、ヴォルゼー、プエルの五人。しかし、予定通り全員に罰を与えなくてはならない。
「この者たちでございます!」
「言い訳を聞くつもりはない。お前たちは王命を偽った。万死に値する。そいつらの首を即刻はねろ!」
ルシフは右手でこめかみの辺りを触っている。
捕らえていた剣狼隊十人と謁見の間にいた剣狼隊全員が跪いた。
「陛下! この五人は今まで多大な功績をあげてきました! それに免じ、なにとぞ死刑だけはご容赦を!」
「お願いします、陛下!」
跪いた者全員が頭を下げ、取り乱しながら許しを懇願していた。
これでいい。
ルシフは自分が落ち着いたように見せるため、息をついた。
「確かにお前たちには功績がある。また、実力のある武芸者を五人も失うのは痛い。いいだろう、死刑だけは免じてやる。今から三時間後、中央広場でお前らを処罰する。それまでその五人は拘束しておけ」
「御意!」
エリゴら五人は両腕を捕まれ、謁見の間から連れ出された。
「偽の王命による葬儀金、弔慰金はどうなさいます?」
剣狼隊の一人が跪き、訊いた。
「たとえ偽だったとしても、それは王命として周知されてしまった。いいか、王命は絶対だ。それを容易く取り消してしまっては、王命が軽くなる。それに、これからは今までとは比べものにならんほどの金が得られるようになるだろう。ならばその程度の出費、認めてやってもいいかと考えた」
「素晴らしい判断でございます、陛下!」
ヨルテムの者たちが頭を下げた。ルシフはそいつらなど見ていなかった。
「今後、先の王命を偽物だと戯れ言を触れ回るヤツがいたら、捕らえて俺の前に連れてこい。厳罰を与える」
王命を取り消すより、偽の王命を出された方が問題だった。王の権威を軽く見られているのと同義だからだ。
「分かりました」
剣狼隊が頭を下げた。
これから、あの五人に厳罰を与えなければならない。それを考えると気分が滅入った。
その感情を周りの者に勘づかれないよう、ルシフは無表情で玉座に座り直した。
◆ ◆ ◆
中央広場にステージのようなものが作られていた。
ステージには台が五つ置かれていて、それを前にしてエリゴら五人が両腕を左右の剣狼隊に拘束されている。台の上には親指ほどの大きさの黒い塊が十八個置かれていた。
ステージの周りと中央広場には大勢の人がいた。不敬罪で処罰する、と都市全体に伝えられていたのだ。言ってみれば公開処刑のようなものだった。
ルシフがステージに立つ。いつも持っている方天画戟は、ステージの端に立つサナックが大事そうに抱えていた。代わりに、ルシフの左手には黒い錬金鋼が握られている。
「ここにいる五人は俺に対し、許しがたい大罪を犯した。この俺に命令したのだ! 本来ならば首をはねて晒し首にしたかったが、それはやめた! やめたが、厳罰は与える! 貴様らもよく見ておけ!」
ルシフはレストレーションと呟き、左手に持つ錬金鋼を復元。大工が使うようなハンマーが握られた。
ルシフがプエルの横に立つ。
「左腕を押さえつけろ」
プエルの左右に立っている剣狼隊が頷き、プエルの左腕を台に押さえつけた。
「今からこいつらの片手の爪を全て剥ぎ、指毎に釘を三本打ち込む。それが終わったら手の甲に一本、手と肘の間に一本、肘の関節に一本打ち込んでいく」
集まった民衆から悲鳴があがった。押さえつけている剣狼隊二人も驚いていた。プエルの顔は青ざめている。
ルシフがプエルの親指の爪を親指と人差し指でつまむようにした。プエルの左手は震えている。
本当に、これをやることが必要なのか。心の奥底で叫ぶ声が聴こえる。
「いいよルっちゃん、やって」
微かな声で、プエルが言った。顔は青ざめているが、ルシフに向かって微笑んでいる。
「あたし、ルっちゃんのこと、信じてるから。ルっちゃんなら、人が争わなくてもいい世界にできるって、信じてるから」
プエルの声は震えていた。プエルの左手も相変わらず震えている。
やれ。やるんだ、俺。
缶の口を開けるように、つまんでいる人差し指を起こした。プエルの親指の爪が上に飛んでいく。プエルは唇を噛んだ。残りの爪も同じように剥いでいく。集まっている民衆は顔を背けたり、目を手で覆ったりしていた。
プエルの五指の爪を剥いだ部分から、血が滲んできている。
まだ、これからだ。ここからが本番だ。
台の上に置かれている黒い塊を一つ取り、レストレーションと呟く。黒い塊は一本の太い釘になった。
これは、錬金鋼技師としてヨルテムに来たハントに作らせたものだ。
釘を親指の爪を剥がした部分に持っていく。
本当にこれを打ち込んでいくのか、やり過ぎじゃないか。奥底からの叫び声は途切れない。うるさい、やると決めたらやる。それが王だろ。
ハンマーを持つ手が微かに震えた。プエルと目が合う。プエルは堪えているような表情をしながら、僅かに頷いた。
ハンマーで釘を親指の先に打ち込んだ。プエルが絶叫した。
ルシフは次から次に黒い塊を釘にし、指毎に三本ずつ釘を打ち込んでいく。打ち込む度に左手がビクンと跳ね、プエルの絶叫がこの場を震わせた。
指に釘を打ち込み終わったら、次は手の甲に釘を打ち込んだ。その次は手と肘の間。最後は肘の関節部分。
全てが終わった後、プエルは荒く息をつき、ぐったりとしていた。しばらくすると釘が錬金鋼状態に戻り、プエルの左手と左腕から血が溢れだした。
頭が痛くなってきた。あと四人、これをやらなければならない。
次はフェイルス。
「やってください、マイロード。必要なことなんでしょう?」
フェイルスもプエル同様左手の爪を全て剥ぎ、釘を打ち込んだ。フェイルスも絶叫し、終わった後はぐったりとした。
頭が更に痛くなってくる。もういいだろう! 誰かが内側から叫んでいる。聴くな。聴けば『王』では無くなる。
次はオリバ。
「ルシフ殿、わしはあなたと地獄を行くと決めました。この程度、なんてことはありませんぞ」
オリバの左手の爪を全て剥ぎ、釘を打ち込む。オリバのうめき声が聞こえた。終わった後、オリバは荒く息をついていた。
こいつらは大切な同志だろう! 家族同然の奴らじゃないか! 内からの叫びが更に大きくなる。うるさい、黙れ。俺は『王』だ。やらなくてはならないんだよ。
頭がくらくらしてきた。頭痛と合わさり気持ち悪くなってくる。表情には出さないよう、気力で抑えた。
次はエリゴ。
「ガツンとやってくれや、旦那。許しちゃ周りに示しがつかねえもんな」
エリゴの左手の爪を全て剥ぎ、釘を打ち込んだ。エリゴは歯を食い縛り、うなり声を歯の隙間から漏れさせていた。釘を全て打ち込み終わると、エリゴは何度も深呼吸していた。
もうやめよう! これで十分だ! 必死に叫ぶ声。誰の声だ。
ステージは処罰されている者以外の音が無くなっていた。目の前の残虐な光景に悲鳴も出ず、顔を背ける者ばかりだった。
激しい頭痛。反射的に頭を押さえた。
辛いなら、やらなくてもいい。もう目的は達成した。声が響いてくる。大切なものであろうと必要ならば壊す。それが『王』だ。臣下は使い潰す。それが『王』だ。
最後はヴォルゼー。
「ルシフ、あなたが選んだ道よ。やらなくちゃ」
ヴォルゼーの右手の爪を全て剥がした。釘を打ち込んでいく。最後まで、ヴォルゼーは悲鳴もうめき声も出さなかった。顔を僅かにしかめただけだった。
全員の処罰が終わった。
ルシフは両手を見る。両手は五人の血で真っ赤に染まっていた。
──何をやってるんだ、俺は。
そう思った瞬間、頭が割れるほどに激しい頭痛がルシフを襲った。
考えるな、そんなこと。俺の計画に必要だった。だから、これは意味のある行為だ。無意味なんかじゃない。
「これで処罰を終了とする!」
ステージの前方に立って、ルシフはそう言った。
ステージの端に立つサナックから方天画戟を受け取り、ルシフは中央広場から去っていった。
中央広場で処罰を見ていたレオナルトは、両拳を握りしめていた。
「なぁ、ハルス。本当にこれが必要なのか? 俺たちは仲間だろ。なんで大将は仲間を傷付けるんだ?」
「俺には兄貴の考えていることなんてどうでもいいよ。兄貴と一緒に生きられれば、俺はそれでいい。どれだけ痛めつけられようが、たとえ殺されようが構わねえ」
「俺は……お前みてぇに考えられねえよ。剣狼隊の奴らはみんな、俺の大切な仲間だ。あんな風に痛めつけられているのを見て、怒りを感じねえなんて無理だぜ」
ハルスがレオナルトの右肩を軽く叩いた。
「落ち着けよレオナルト。信じようぜ、兄貴を」
「…………」
ハルスは軽く息をついた。
「これから警備任務だ。持ち場に行くぞ」
「……ああ」
レオナルトは頷く。両拳は握りしめられたままだった。
ルシフは自室に戻ってきた。
頭が痛い。目眩がしそうなほど、頭もくらくらしている。
「お帰りなさい、陛下」
リビングに少女が集まり一礼したが、無視して寝室に行った。
寝室には誰もいない。寝室のベッドに座り、頭を押さえた。
何故か無性にマイに会いたくなった。
寝室の扉が開く。一人の少女が入ってきて、すぐに寝室の扉を閉めた。
少女は驚いた表情でルシフを見ている。
苦しそうなところを、見られた。どうする? この女の舌を引き抜き、言葉を話せなくするか。
そう考えて、首を軽く振った。残酷な思考に引っ張られるな。他のやり方がある筈だ。
「苦しいのですか、陛下」
少女が口を開いた。喋るということは、この女はシェーンか。
シェーンはルシフに近付き、首に触れた。シェーンがはっとした表情になる。
「すごい熱です! 横になってください!」
ルシフはシェーンの言葉に従い、横になった。横になる際、シェーンの頭を掴み、シェーンも倒れた。
ルシフの目の前にシェーンの顔がある。シェーンの顔はほんのり赤くなっていた。
「あ、あの、陛下? いけません、お休みになっていただかないと……」
ルシフはシェーンの言葉など聞いていなかった。
「陛下、ずっとわたしが陛下の傍にいます。精いっぱい、陛下を癒します」
シェーンがルシフを見つめてくる。
ルシフはシェーンの瞳を覗き込んだ。シェーンの黒く深い瞳。しかし、何も感じない。
こんな女の瞳じゃ駄目だ。あの瞳がいい。マイの瞳が。どこまでも透き通っていて力強い光を放つ青く澄んだあの瞳が。
──どこにいるんだ、マイ。今すぐ俺のところに来てくれ。俺の存在を確かめさせてくれ。お前の瞳で……。
シェーンは起き上がり、寝室から出ていった。数分後、シェーンは再び寝室に戻ってきた。氷水が入ったバケツとタオル、コップを持っている。
シェーンが氷水にタオルを浸し、絞った。
ひんやりとしたタオルが額に乗せられる。ルシフは両目を閉じた。警戒は解かない。何か不審なことをしたら、シェーンの両腕を切り落とそう。そう簡単に殺せると思うな。
ルシフはしばらくの間、シェーンの看病を受けていた。
シェーンはルシフの看病をしながら、ルシフの顔を見つめていた。
処罰は爪を全て剥ぎ、釘を打ち込むという残酷なものだった。
剣狼隊はルシフにとって大切な存在だったから、こうして精神的に弱り、熱が出てしまったのではないか。
そこまでして、何を目指しているのか。
──もっとあなたを教えてください。もっともっと深いところまで、あなたを。
ルシフがうなされている。水、と小さく呟いた。
シェーンは机に置いてある水が入ったコップを手に取った。水を口に含む。そのまま自身の唇とルシフの唇を重ね、口移しでルシフに水を飲ませた。
初めてのキスだったが嫌な気分にはならず、むしろ少し嬉しかった。
今年も終わりですね。一年間お付き合いくださり、本当にありがとうございました。
今はクライマックスに向けての舞台作りとフラグ立てを行っている最中でございます。作者が何らかの理由で死なない限り、来年完結します。あと少しの間だけ、お付き合いしてもらえると嬉しいです。皆さまの来年が今年より良い年になることを願っています。