鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第64話 魔王との付き合い方

 ルシフが昼食を食べているのと同じ頃、ニーナとリーリンも飲食店でヴォルゼーとともにご飯を食べていた。ヴォルゼーの他にも二メートル近い大男が一緒にいる。赤装束で、腕に茶色の腕章を巻いていた。

 ニーナとリーリンの後ろにも、剣狼隊の同い年くらいの女がそれぞれ二人ずつ控えている。彼女らはルシフの指示でニーナとリーリンの侍女のようになっていた。部屋の掃除から洗濯といった家事全般、果ては風呂場での身体洗いまで、まるでおとぎ話のお姫様のような扱いをされている。さすがに風呂場での身体洗いは二人とも断ったが、それ以外はどうしてもやらせてほしいと譲らなかった。同じ女ということもあり、他人に身体を洗われる抵抗は理解してもらえたようだが、それ以外は聞く耳をもたない。

 彼女らにとって、自分たちの主張は得である。仕事が減るのだから。だが、彼女らはやると言い張るのだ。何故かと尋ねると、ルシフから怒られたくないからだと言った。しっかり仕事をこなせば、ルシフは褒めてもくれる。だから、仕事を奪うようなことは言わないでと。

 

「ニーナ、リーリン。ここの料理はどう?」

 

 ヴォルゼーが言った。その後、ラーメンの麺をすする。

 料理はラーメンやチャーハン、焼売など、中華料理ばかりだった。大きい器にそれぞれ盛り付けられていて、手元にある器に好きなだけ取って食べる。そういう食べ方だった。

 

「おいしいです」

 

「わたしも、おいしいと思います」

 

 ニーナとリーリンが言った。

 リーリンの右目は黒の眼帯で覆われている。交通都市ヨルテムに滞在中、ルシフと二人きりで話していた時間があった。何を話していたかは知らない。部屋から追い出されてしまったからだ。その話が終わってからリーリンに会うと、黒の眼帯をしていたのだ。一度だけ眼帯の下を見せてもらったが、なんともなっていなかった。リーリンに何故眼帯をしているのか訊くと、この方が良いからだと言った。ルシフと何を話したか訊いても、大したことじゃないからとはぐらかされた。何か隠し事をしていると直感で感じたが、リーリンはそこに干渉してくるのを拒絶している。それも話の中で感じた。

 リーリンには何かある。だからこそ、グレンダンの女王はリーリンをグレンダンに連れ帰ろうとしたのであり、ルシフがリーリンに興味を持つきっかけになってしまったのだ。

 

「そう。それは良かったわ。ヴォルゼーが頑張って選んだ甲斐があったわね」

 

 ヴォルゼーは嬉しそうに笑った。

 

「ニーナ。どうしてルシフに敵意があるの?」

 

 いきなり、真正面から斬りつけられたような感じだった。

 ニーナの瞳が揺れ動く。ニーナとリーリンの後ろに立つ四人の女が、僅かに殺気を放った。

 

「わたしは別にルシフを敵視なんてしてません」

 

「嘘ね。ニーナがルシフを見る時、いつも剄がほんの少し乱れてるもの。ヴォルゼー、そういうの感じるの得意なのよ。

ツェルニでルシフが何をしたか、話してみてくれないかしら?」

 

 ヴォルゼーに尋問されてるという感じはしなかった。何故ニーナがルシフを敵視しているのか。純粋な好奇心で訊いているだけのようだった。

 ニーナの顔をリーリンが見ていた。ルシフがどういう男なのか、知りたそうな表情をしている。

 体感で数分は黙っていたと思う。だが、実際は一分も経ってないかもしれない。

 ニーナはぽつりぽつりと話し始めた。ルシフが入学してきた時のこと。小隊での出来事。汚染獣の幼生体が襲撃してきた時のこと。グレンダンの女王にボコボコにされた時のこと。老性体、雄性体三体と闘った時のこと。廃都市での出来事。違法酒の件。サリンバン教導傭兵団との争い。それによるマイの瀕死と暴走のこと。ファルニールとの都市間戦争と、その時に現れた老性体との激闘。グレンダンとの闘いでグレンダンに勝ったこと。思いつく限りを全て話した。

 ヴォルゼーはニーナの話を真剣に聞いていた。ニーナの話に頷き、たまに笑い、たまにちょっとした質問をしてきた。

 そのせいか、最初の方にあった話す時の緊張は解け、途中からは自然体でただ頭に浮かんだことを話すようになっていた。

 

「ルシフは冷酷すぎるんですよ。平気な顔をして、相手を痛めつける。手段も選ばない。利用できるものはなんでも利用する。そういうのが、わたしは許せない」

 

 こんなことまで、ニーナはヴォルゼーに言ってしまった。

 ヴォルゼーがマイ、バーティン、アストリットのようにルシフに心酔していないように感じるから、こういうことが言えるのだろう。もしマイたちにこれを言ったら猛反発されるのは、火を見るより明らかだった。

 ヴォルゼーはなんというか、ルシフから一歩引いた場所でルシフを見ているような感じがある。だから、ルシフのことを話しやすいのかもしれない。

 

「じゃあ、ニーナはどうすれば良かったって思う?」

 

「……え?」

 

「あなたが話してくれたルシフの話。その中で、ルシフはたくさんの選択をしてきた。ニーナがルシフの立場だったらその時、どういう選択をするのがベストだったと思う?」

 

「それは……」

 

 そういうことを、ニーナは考えたことがなかった。ただルシフのやり方は非情すぎると思っていただけだった。

 

「そういうのを考えて相手を非難しないと。ただあのやり方はダメだって言うなら、子どもだって言えるのよ」

 

 その通りかもしれない、とニーナは思った。

 ルシフのやり方はダメだと思う。だが、ならどうすれば良いかというところまで考えなければ、ルシフに言葉は届かない気がする。

 

「ニーナに一つ、ルシフとの付き合い方を教えてあげるわ」

 

 ルシフと上手くやっていくコツのようなものか、とニーナは思った。ならば、知っておいて損はない。

 

「それは?」

 

「ルシフを好きになることよ」

 

 ニーナは吹き出した。リーリンも食べ物を喉に詰まらせたのか、激しく咳き込んでいる。

 

「いきなり何言ってるんですか!?」

 

「好きになるって言っても、別に結婚したいとか、恋人になりたいとか、そういう感情じゃなくてもいいのよ。ただ好意的にルシフに接する。それだけであの子は随分変わるわ」

 

「……本当ですか?」

 

「ルシフ・ディ・アシェナ。あの子はね、鏡なのよ」

 

「鏡?」

 

「好意的に接すれば好意的に。敵意を持って接すれば、ルシフも敵意を持って接する。好意が上がれば上がるほどルシフの接し方も柔らかくなり、逆に敵意を強めれば強めるほど、ルシフも冷酷になる。まあ、例外もあるけどね」

 

「例外?」

 

「ルシフ自身が気に入った相手は、たとえ相手に敵意があっても好意的に接するのよ。でも、基本は鏡。ルシフが気に入る相手なんてそういないから」

 

 ルシフの態度が相手によって決まる。そんなものは嘘だと思った。ルシフに好意を抱いていた教員たちがルシフの暴走を止めようとした時、ルシフは平気で排除しようとしていた。

 

「ルシフはそんな男じゃありませんよ。どれだけ好意的でも平気で傷つける奴です」

 

「厄介なことに、あの子は目的のためなら私情を殺すことができるの」

 

 ヴォルゼーは苦笑した。

 

「どれだけ好意的に接しても、目的を達成するのに邪魔な障害物と判断されれば、問答無用で敵にされる。でもね、そこでルシフに屈すれば、別に痛い目には遭わないの。つまり、常にルシフに好意的に接し、ルシフが敵対してきても抵抗せずに屈服する。これがルシフとの付き合い方よ」

 

 ニーナの中で、怒りに似たものが膨らんでいる。

 それはつまり、ルシフにとって都合の良い人間だけが生きやすく、ルシフを嫌いな人間は生きづらい、ルシフ中心で回っている世界だ。ルシフの意はなんでも反映され、ルシフの好きなように創られる世界だ。そんなことが許されていい筈がない。

 

「わたしには無理です」

 

「そう。厳しい生き方になるだろうけど、頑張ってね。でも忘れないで。ルシフの敵になるということは、ヴォルゼーの敵になるということ」

 

 ヴォルゼーの表情が凄絶な笑みになる。

 ニーナは金縛りにあったように動けなくなった。

 

「ヴォルゼーの前に立つ時は、今より少しでも強くなっててね。あなたとの闘いを楽しみたいから」

 

「ヴォルゼーさんは、どうしてルシフに従ってるんですか?」

 

 リーリンが訊いた。

 

「退屈しないから、かな。それと、いつかルシフを殺したいのよね」

 

 ニーナとリーリンはぎょっとして、周囲の他の剣狼隊を見る。一緒に食事をしている大男はただ苦笑しているだけだ。後ろにいる侍女のようになっている女たちは、ただ困惑した表情を浮かべていた。

 ヴォルゼーは楽しげな笑みになる。

 

「勘違いしないでよ。ルシフのことは気に入ってるんだから」

 

「なら、なんで殺したいんです?」

 

「なんでって言われても、ちょっと説明できないのよね。殺したくなる魅力があるとしか言えないわ。今は全然殺す気ないけど。まだ早いのよね、殺すのは。もっと大きくなってからじゃないと」

 

 殺したい相手なのに、気に入っていて仕える。ニーナとリーリンにその感覚は理解できなかった。

 

「あなたはどうしてです?」

 

 リーリンが大男に訊いた。

 大男はスケッチブックを取り出し、ペンを走らせる。書き終えた後、スケッチブックをニーナとリーリンに見せた。《世界を壊してみたいから》と書かれている。

 ニーナとリーリンはゾッとしたようなものを感じた。自分が何を書いたか分かっていないのか、大男は照れたような笑みを浮かべている。

 

「じゃあ、そろそろルシフのところに行きましょうか。多分、今の時間ならプエルのところにいると思うわ」

 

ヴォルゼーは会計を済ますため、店員を呼んだ。会計を済ますと、全員席を立った。

 

「あ、そうだ。ニーナ、リーリン。二人にあげたいものがあるの」

 

 ヴォルゼーは懐から銀の首飾りを二つ取り出し、ニーナとリーリンに渡す。首飾りの先端には、小さなルビーの宝石が丸い形をした銀の中にはめられていた。かなり高い首飾りだろう。

 

「いいんですか? もらっても」

 

「ええ。気に入った相手にはあげることにしてるの。ヴォルゼーの手作りよ」

 

 ニーナはルビーの装飾がある部分の裏を何気なく見てみる。裏には小さく『ヴォルゼー・エストラ』と刻まれていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 午後二時十五分。

 中央部にある公園の広場。大きな木が一本少しだけ盛り上がった丘のようなところにあり、辺り一面が芝生で覆われている。

 その木の下、茶髪の少女が座って琴を弾いていた。胸まである茶髪の一部をサイドテールにしている。茶色の瞳に抜けるように白い肌。赤装束を身に纏い、右腕にオレンジの腕章。

 少女の名はプエル・フェ・チェンといった。ルシフやダルシェナと同じ、候家の人間である。年齢は十九歳。

 プエルの休憩時間はいつも二時から三時の一時間であり、晴れの日はいつもこの場所で琴の練習をしていた。

 琴を弾いていると、ルシフが方天画戟を手に持ち足音を立てずに近付いてきた。当然プエルはルシフに気付いているが、琴を弾くのを止めなかった。

 ルシフは静かにプエルの隣に座り、後ろにある木に頭をもたれさせて目を閉じた。

 琴の音色が響き続ける。心の隅々まで沁み渡り、優しく癒していくような音色だった。

 プエルはチラリとルシフを見た。

 ルシフは目を閉じたままだった。琴の音に全神経を集中させている。

 

 ──おかえりなさい、ルっちゃん。

 

 プエルは微かに笑い、琴を弾き続ける。

 お互いに無言だった。

 琴を弾き、ルシフがそれを聴く。ただそれだけの時間がプエルは好きだった。お互いに別の相手と結婚して、子どもができたとしても、この時間がいつまでも続いてほしいと願う。

 プエルは別にルシフを異性として好きではない。友だちとして好きなのである。だが、プエルに異性として好きな相手は今までできたことがない。というより、プエルはルシフ、マイとよく一緒に行動した。あるきっかけでルシフに興味を持ち、ルシフのことをいつも見ていた。そのせいか、いつの間にかプエルの中の男の基準はルシフになっていた。ルシフと比べると、どんな男も色()せ、物足りなく感じた。

 人が集まってきていた。赤装束を着ている者が大半だったが、公園に遊びに来た親子などもいた。

 全員音を立てないように近付き、芝生に立ったままだったり、座ったりして琴の音を聴いていた。

 ルシフがいると、人が集まる。それも好きだった。こうしてずっとみんなで穏やかな日を過ごしたい。

 琴を弾く指が震えてきた。ここにいる全員が、自分の生み出す音を聴いているのだ。

 また誰かが近付いてきた。ヴォルゼーやニーナたちだった。

 

「素晴らしい音色だッ!?」

 

 ニーナの呟きは、方天画戟の柄を脳天に叩き込まれて途切れた。ルシフが片目を開けている。不機嫌そうな表情だった。

 ニーナは両手で頭を押さえてうずくまる。涙目でルシフを睨んだ。

 

「いきなり何を……!」

 

 ルシフに怒鳴ろうとしたニーナの口を、侍女の仕事をしている剣狼隊の女たちが慌てて手で塞いだ。ニーナはもごもごと何か口を開いているようだが、音にはなっていない。

 ルシフはこういうのにとてもうるさかった。音を聴いているのに雑音を入れたり、食事をしているのに口に物を入れて喋ったりすると、烈火の如く怒るのである。前にも剣狼隊のある一人が食事中に口に物を入れて喋ったため、ルシフが食事の席から追い出したことがある。

 プエルの指の震えはどんどんひどくなっていた。琴を弾く指が自分の意思と無関係に動くような感覚になっている。やがてプエルは琴の音を外してしまい、そこで琴を弾く指が止まった。

 音が無くなると、大きな拍手がプエルを包み込んだ。

 

「今日はここまでか。相変わらず、プレッシャーに弱いな」

 

 ルシフがプエルの隣に立っていた。

 

「……ルっちゃん」

 

「だが、一人の時に弾いているお前の琴は最高だ。心を揺り動かす力が音に宿っている」

 

「褒めすぎだよ」

 

 プエルは顔を赤くした。照れているのだ。

 ルシフはプエルに背を向ける。

 ルシフの前の人だかりが真っ二つに割れた。

 

「俺はイアハイムに帰ってきた。お前の琴を聴いたら、それを実感した。最高のひとときだったぞ」

 

 ルシフは人だかりが割れてできた道を歩き、プエルの前から去っていった。

 琴を片付け、立ち上がる。

 周囲に集まっていた人も、どんどんいなくなっていた。

 プエルはルシフが去っていった方向を見た。

 

「あたしも、最高のひとときだったよ。ありがとね、ルっちゃん」

 

 プエルは呟き、琴をしまったケースを抱えて歩き出した。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフはプエルのいた場所からまっすぐ王宮に向かった。黒装束で、マントは羽織っていない。

 ルシフの後ろからはマイ、ヴォルゼー、ニーナ、リーリンが付いてきていた。大男と女四人も一緒である。

 王宮の入り口には番兵が二人左右に立っていた。赤装束ではない。白を基調とした戦闘衣を着ている。王宮の警護は宝剣騎士団に一任されていた。

 

「ルシフ殿。錬金鋼(ダイト)は我々に預けてください」

 

 番兵の声は震えていた。

 緊急時以外は、王宮に錬金鋼を持って入るのを禁止されている。間違いが起きないようにするためである。

 ルシフは方天画戟を番兵に渡した。番兵はホッとした表情で方天画戟を受け取り、すぐに驚いた表情になる。

 

「ルシフ殿。これは錬金鋼ではないのですか?」

 

「錬金鋼だ」

 

「しかし、ルシフ殿の手を離れても錬金鋼に戻りません」

 

「俺の手から離れても、その武器は俺の剄を帯びているからな」

 

 ルシフは常に方天画戟を持ち歩き、尋常ではない剄を注ぎ続けていた。そのせいか、ルシフの手を離れても方天画戟の剄が途切れることが無くなったのだ。

 ルシフが番兵二人を正面から見る。威圧的な剄が更に勢いを増した。番兵二人は顔を青ざめて後ずさりした。

 

「いいか? よく覚えておけよ。俺の方天画戟を少しでも汚したら、お前らは明日から両手無しで生きてもらうからな」

 

「は、はい! 分かりました! 細心の注意を払い、ルシフ殿の武器を扱いたいと思います!」

 

「それでいい」

 

 ルシフは王宮に悠然とした足取りで入っていった。

 マイやニーナ、女四人も錬金鋼を番兵に渡す。ヴォルゼーと大男は番兵を無視して王宮に入った。ニーナが不思議そうにヴォルゼーと大男に視線をやった。

 ニーナの視線にヴォルゼーは気付き、笑みを浮かべる。

 

「ヴォルゼーとサナックは錬金鋼、持ってないのよ。ヴォルゼーたちの剄に錬金鋼が耐えられないから」

 

 ニーナとリーリンは驚いた。それはつまり、この二人は天剣授受者に匹敵する武芸者ということ。次グレンダンと戦闘した時、間違いなく脅威になる。

 ルシフたちが王宮に入ると、宝剣騎士団の一人がルシフたちの前に立った。錬金鋼を剣帯に吊るしている。王宮警護の武芸者は特例として、錬金鋼の所持を認められていた。

 

「謁見の間まで案内いたします」

 

 宝剣騎士団の武芸者がルシフの前を歩く。ルシフたちはその後ろを無言で付いていった。

 

「ねえ見て、ルシフさまがいるわ」

 

「相変わらず美しいお姿。たまらないわね」

 

 王宮にいる使用人らしき若い女たちが、ルシフの姿を見て騒いでいた。

 ルシフはそちらにチラリと顔を向ける。女たちからかん高い歓声があがった。

 ルシフはすぐに顔を正面に戻す。いつも通りの勝ち気な表情で歩いていた。今のはルシフなりのサービスなのだろう。なんとなく腹が立つが。

 ニーナは王宮を歩きながら、周囲を見渡す。

 一目で高いと分かる調度品がそこかしこに置かれていた。都市で一番偉い人が住む場所なのだ。どの都市でもこれは当たり前のことなのかもしれない。

 大きな扉の前で、武芸者は立ち止まった。

 武芸者が扉をノックすると、内側から扉が開いた。

 

「中にどうぞ」

 

 武芸者が扉の方に腕を伸ばした。

 ルシフは武芸者を横切り、謁見の間に踏み入れた。続いて、ニーナたちが謁見の間に入る。

 玉座に中年の男が座っていた。

 玉座の前には階段のような段差が五段あり、灰色を基調とした絨毯が玉座から扉の前まで敷かれていた。絨毯には汚染獣を殺している騎士や王冠、盾、剣、王宮などが刺繍されている。

 玉座は高い位置にあるため、誰もが見上げるようにして玉座に座る男を見なければならない。

 謁見の間の段差に近い方には、執政官らしき人物や民政院の政治家たちが並んでいる。

 更に、謁見の間には宝剣騎士団が数十人といた。全員それぞれの武器をすでに復元している。玉座の後ろに二人立ち、謁見の間の絨毯から少し離れたところで絨毯と平行に整列していた。左右対称に整列しているため、謁見の間に閉じ込められたような印象を受ける。

 ルシフは左右に並ぶ宝剣騎士団を全く気にせず、歩き続ける。マイ、ヴォルゼー、サナック、侍女四人も左右に誰もいないかのように自然体で歩いた。

 ニーナとリーリンにはそれができなかった。左右に並んでいる宝剣騎士団と呼ばれる武芸者一人一人が、かなりの強さであると感じたからだ。

 ニーナとリーリンはおそるおそるという感じで、ゆっくりとルシフたちの後ろを歩いた。

 段差の前でルシフが立ち止まった。マイたちも止まる。

 

「ルシフ、陛下の御前であるぞ! 跪け!」

 

 玉座の後ろにいる金髪の若い男が叫んだ。ミッター・シェ・マテルナ。宝剣騎士団団長であり、王の息子でもある。

 ルシフは不愉快そうな表情になり、一歩踏み出す。段差に右足が乗った。

 ミッターは明らかに動揺した。周囲にいる宝剣騎士団の面々に視線を飛ばすが、宝剣騎士団はそれに気付かない振りをしている。

 宝剣騎士団といえど、ルシフの恐ろしさはよく理解していた。ルシフの機嫌を損ねたら、どんな場所であろうと惨劇が幕を開けるのだ。これだけの人数がいようとも、ルシフはものともしないだろう。それに加え、ヴォルゼーとサナックがいる。錬金鋼の有無など、この三人に関係ない。

 

「よい、ミッター。そんな些事、私は気にせん」

 

「しかし、面目というものがあります」

 

「ルシフは私にとって頭脳のようなものだ。頭脳に頭を下げさせるのか?」

 

 玉座に座った男は笑い声をあげた。それにつられ、宝剣騎士団の何人かも笑った。ミッターが笑った団員を睨むと、団員たちは真顔に戻った。

 ルシフが一礼する。

 

「陛下。イアハイムに帰還した挨拶と、連れてきた客人たちの待遇に関して、話をしに参りました」

 

 ニーナはルシフが丁寧に話しているのに驚いて、ルシフの方を凝視した。後頭部しか見えないが、それでも見た。

 ルシフが丁寧に話すなど、ツェルニでは一度として無かった。どんな相手にもタメ口、上から目線は当たり前だった。

 ルシフも王の前となると、多少は立場をわきまえるらしい。

 

「私には昨日の昼に君が帰ってきたという情報が入っていたのだが、丸一日遅れるとは……」

 

「色々忙しかったんですよ」

 

「だろうな。君がいるのといないのでは、都市の活気がまるで違う。君には色々苦労をかけて、申し訳なく思うこともある」

 

「気にしないでください。俺も好きでやっていることです」

 

「そう言ってもらえると気分が晴れる。それで、客人とはその二人かね?」

 

 玉座の男がニーナとリーリンに視線をやる。

 ニーナとリーリンは反射的に軽く頭を下げた。

 

「はい。彼女ら二人は今、剣狼隊の宿舎の空き部屋にそれぞれ住まわせています。滞在中の費用は全て俺が出します。陛下は滞在許可証だけ発行していただければ」

 

「君が連れてきた人物だ。間違いなどなかろう。すぐに滞在許可証を発行し、剣狼隊の宿舎に届けさせよう」

 

「感謝いたします。では、これにて失礼させていただきます」

 

 ルシフは再び一礼し、回れ右をする。マイやニーナ、リーリンを横切り、謁見の間の扉の方へ歩いた。

 その後ろをニーナたちも付いていく。

 

「ルシフ君」

 

 玉座の男が声をかけた。

 ルシフは立ち止まり、振り返る。

 

「これからも私の力になってくれ」

 

「俺はいつでもあんたの力になります」

 

 ルシフが再び歩き、謁見の間の扉に近付く。近付くと、扉の前にいる宝剣騎士団の二人が扉を内側に開けた。

 ルシフたちは謁見の間を出る。謁見の間に出ると、案内をした宝剣騎士団の武芸者が再び先頭に立った。

 

「入り口まで案内いたします」

 

 その武芸者の後ろを歩き、王宮から出た。

 

「どうぞ。あなた方の錬金鋼です」

 

 王宮から出ると、番兵が錬金鋼を渡してきた。ルシフは方天画戟を手渡されている。

 ルシフは方天画戟をじっと眺めた。緊張した表情で番兵二人は立っている。

 

「きれいなままだな」

 

「はい。汚さないよう心がけました」

 

「よくやった」

 

 ルシフは懐から金を取り出し、番兵二人に渡した。番兵二人は周囲を軽く窺ってから、金を受け取る。表情は嬉しそうだ。

 番兵二人は頭を軽くさげた。

 

「ありがとうございます、ルシフ殿」

 

 ルシフは番兵に軽く手を振り、王宮を後にした。

 王宮の敷地を抜けると、ルシフは振り返ってニーナたちを見た。

 

「俺はこれから行くところがある」

 

「お供いたします、マイロード。ヴォルゼーたちはいつでもあなたの力になりますので」

 

 そう言うと、ヴォルゼーは笑い声をあげた。サナックも笑みを浮かべ、マイと侍女四人もくすりと笑う。

 ルシフは舌打ちし、そっぽを向いた。

 ルシフのそんな子どもっぽい仕草に、ニーナとリーリンも思わず笑ってしまった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ルシフたちは大きな屋敷の前に来ていた。

 

「このお屋敷は?」

 

「ジュリア・ミューエさまのお屋敷です」

 

 ニーナの問いに、マイが答えた。

 

「以前はジュリア・ディ・アシェナという名でした」

 

 マイが表情を暗くした。

 それだけで、ジュリアという人間とルシフがどういう関係なのか、察しがついた。

 

「俺の母だった人だ。縁を切られたが、毎年生活費を渡している。俺を産み、十年間育ててくれた人だからな」

 

 ルシフはただ屋敷を見ていた。ニーナはルシフの後ろにいるため、表情は分からない。

 ルシフが振り返る。いつも通りの表情だった。

 

「見たくないものを見るかもしれん。ここで待っていてもいいぞ」

 

 見たくないものではなく、ルシフが見せたくないものなんだろうとニーナは思った。だからこそ、見なければならないと感じた。それに、ルシフの母親なのだ。ルシフについて、深く知れるかもしれない。

 リーリンも同じ考えのようで、黙ってルシフを見ていた。

 ルシフは軽く息をつく。

 

「絶対に取り乱すなよ」

 

 ニーナはギクリとした。ルシフがここまで言うということは、本当に見たくないものがこの屋敷にあるのかもしれない。だが、今さら後に引けない。

 ルシフが呼び鈴を鳴らす。

 扉が半分開き、使用人らしき女が顔を出した。

 

「お前は……」

 

「若さま……」

 

 その使用人は昨日ルシフが解雇した使用人だった。解雇された後、すぐこの屋敷に雇われにいったらしい。

 

「若さま、私は今まで知りませんでした。ジュリアさまが、ここまで変わり果てておられるとは……」

 

 使用人が両目から溢れる涙をハンカチで拭っていた。

 

「開けてくれ。母の様子が見たい」

 

 使用人が無言で扉を全開にした。

 ニーナとリーリンは口を両手で押さえた。叫び声をあげそうになったからだ。

 ヴォルゼーやマイも悲しげな表情で視線を屋敷から逸らした。ルシフだけは屋敷の中を直視している。

 顔である。床、壁、天井まで、隙間なく同じ顔が描かれている。短い赤髪をオールバックにし、赤い瞳をした男。顔つきから、かなり体格が良かったのだろう。その顔が、ずっと廊下の奥まで連なるようにして描かれているのだ。

 

「アゼルさま……」

 

 マイが視線を逸らしながら、そう言った。

 ニーナとリーリンがマイに視線を向ける。

 

「ルシフさまのお父さまです」

 

 二人の視線に気付き、マイが続けて言った。

 ルシフは何事もないように、屋敷の中に足を踏み入れた。父親の顔を踏みながら、屋敷の奥に進んでいく。

 ニーナたちもためらいながら、なるべく顔を踏まないように歩いた。

 ルシフが一番奥の部屋の扉を開けた。そこで立ち尽くしている。

 ルシフの後ろにくるようにして、ニーナたちは部屋の中を見た。

 女性が座り、黙々と大きなスケッチブックに男の上半身を描いていた。おそらくルシフの父親の肖像画なのだろう。戦闘衣を着て、威厳のある顔をしている。

 女性は痩せ細り、黒髪もボサボサだった。頬も痩せこけている。ルシフの母親なら四十前後の年齢だろうが、五十代、下手したら六十代と言われても違和感がないほど老けていた。

 

「ジュリアさまは、本当に美しいお方だったんです」

 

 マイが呟いた。

 使用人は数人いた。絵を描く女性の後ろに控えている。おそらく食事も排泄も全て使用人の手に任せているのだろう。部屋の床は描き終わった絵で埋め尽くされていた。部屋の壁と天井も、廊下と同じ惨状だった。顔で囲まれている。

 ルシフが部屋にいる使用人に向かって手招きした。使用人がルシフに近付く。

 

「生活費を渡しにきた。一年は暮らせる」

 

「ルシフさま。そんなものはいらないと、毎年言っております。今まで受け取った生活費も、全く触っておりません。ジュリアさまは絵で充分稼がれておりましたし、遺産も残っております」

 

「それでも、受け取ってほしい。別に許してほしくて渡しているのではない。俺自身に刻んだ約束を果たしているんだ」

 

 使用人はため息をつき、ルシフから渡されたカードを受け取った。おそらく生活費を渡す度にしているやり取りなのだろう。

 ルシフはチラリと一度女性を見ると、無言で玄関に向かった。ルシフの声が響いても、女性はルシフに一度も視線を向けず、ずっと絵を描いていた。

 屋敷を出ても、ルシフはずっと無言で歩いた。何かを話せる空気でもなく、誰もが無言で歩いていた。

 しばらく歩くと、ルシフがニーナたちを見た。

 

「ひどいものだったろ。あんなのが、俺の母だ」

 

 表情はいつもと変わらない。

 

「ルシフ、一体何があったんだ?」

 

「俺が壊した。背負うべき(もの)の一つだ」

 

 日の光が、ルシフを照らしている。

 ルシフの表情がほんの少しだけ、寂しそうな表情になった気がした。


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