第41話 逆鱗
ルシフがツェルニに戻ってきたことで、ツェルニの学生はどんな問題が起きてもなんとかなると喜んだ。
実際、信じられないほど巨大な汚染獣を一人で撃退する離れ業をやってのけているから、あながちその考えは間違っていない。
一部の学生はルシフから統治者の風格を感じ、ルシフがツェルニに戻ってきたことを『王の帰還』などと言っていた。当然大多数の学生はカリアンの立場を考慮し、ルシフを王などと表立って言わなかったが、誰もが心の内に抑え込んでいる言葉がある。それは、ルシフこそツェルニの実質的な統治者──という言葉。
今のところルシフの意見は全てツェルニに反映され、新入生以外はルシフが入学する前と今のツェルニの変わりように動揺を隠せない。
だが、確実にツェルニは良くなったと彼らは断言する。
年々の武芸科の質の低下。様々な都市の人間が集まるからこそ起きる喧嘩。年頃の子供ゆえの暴力沙汰や脅迫。
年々人が入れ替わり、学生だけで運営していく学園都市は、その特殊性ゆえに通常都市に比べて治安の変化が激しい。
だが、ルシフがツェルニに来てからは驚くほど治安が良くなった。
理由は単純である。
ルシフはそういった争いや脅迫を目にすると、良い獲物を見つけたとばかりに介入し、相手をボコボコにしてしまうからだ。
ルシフの強さを目の当たりにした後は、暴力沙汰を起こす学生は激減していた。
さらにルシフの教員雇用に関しては、上級生は独学で学ぶしか選択肢がなかったところを、しっかりその分野を理解した相手に教えられるという選択肢が増えたうえに、教員の教え方も良いことから大多数の学生が好評価だった。
ヴァンゼは生徒会長の執務机に、こういった学生からのルシフに対する声をまとめた資料を広げ、仏頂面をしている。
カリアンは苦笑した。
「機嫌悪そうだね」
「当たり前だろうがッ!」
ヴァンゼが勢いよく執務机を叩いた。置かれていた資料が一瞬浮き上がる。
「いいか? これは深刻な問題だぞ。もしお前が何かやれと言ったとして、ルシフがそれをやるなと拒否した場合、学生たちはどっちを選ぶ?」
「十中八九、ルシフ君の言うことを聞くだろうね」
「ヤツが入学してまだ半年も経ってないんだぞ! だが、多数の学生はルシフに従ってもいいと思っている! このままではツェルニは、ヤツに私物化されてしまう恐れがある! なんとかして学生たちの信頼を取り戻さなければ……!」
「私たちの信頼は別に落ちてないよ」
「お飾りの長になるなら同じことだ」
「なら聞くけど、ルシフ君が今までツェルニでしたことの中でマイナスになったものがあるかい?」
「それは……」
ヴァンゼが言葉を詰まらせた。
ルシフはツェルニで様々なことをやった。それら全てがツェルニをより良くし、ツェルニに住む学生を成長させた。
無理やりマイナス点をあげるなら、ルシフに賛同する者にしか安らぎがなく、ルシフの敵にならないようルシフの機嫌を常にうかがう息苦しさ、窮屈さがそこはかとなくツェルニ全体に感じられる点。
しかし普通に生活していれば、今のところルシフから制裁はない。
「ルシフ君のやっていることがツェルニにとってプラスになっている以上、その信用を落とそうとすれば、こっちが逆に返り討ちに遭う。今はルシフ君の行動を支持していればいい。
もうルシフ君に関する話もいいだろう。そろそろ本題を聞かせてくれないかい? 武芸大会の件について」
ヴァンゼは感心と呆れが混じったようなため息をつく。
「言わなくても本題を分かってるじゃないか」
「私のはあくまで予想だよ」
「全く……。今までの傾向から、そろそろ武芸大会が始まる頃だと思ってな、最終的な部隊編成とそれぞれの役割を決めるべきではないか?」
「確かに一理ある。でも、例年通りならその役目は小隊対抗戦一位の君だけじゃなく、同率一位のニーナ君にもあるんじゃないのかな?」
全ての小隊総当たりで行われた小隊対抗戦は全試合を終了していた。
その結果、一敗した第十七小隊が一位。武芸長のヴァンゼ率いる第一小隊も一敗で同率一位という大番狂わせが起こった。
「ニーナにはまだ荷が重すぎる。武芸大会の経験も浅いし、指揮官としての信頼も低い」
第一小隊は第十七小隊に負けた。そのせいで、勝率は同じでも、第十七小隊の方が第一小隊より強いという声が少なからずあった。ヴァンゼはそれが悔しくて仕方ないのだ。
「君はニーナ君が能力不足と言ったけど、十七小隊にはさっき話があがったルシフ君がいるよ」
「だから、深刻な問題だと言ったんだ。どちらに従うべきか、武芸者たちが迷う。こんな状態では、とてもじゃないが一丸となって闘うなどできん」
「それで、どうするんだい?」
「全小隊長の純粋な実力査定……すなわち、小隊長同士の総当たり戦をやってみようと思う。これの結果で、小隊長に合った最終的な陣形配置を決めたい」
カリアンは納得したように頷くと、ヴァンゼが執務机に並べた小隊長同士の総当たり戦に関しての書類に承認の判を押した。
◆ ◆ ◆
ヴァンゼが発案した全小隊長の総当たり戦。その舞台は体育館に決定した。
この体育館は運動クラブが試合で使用する場合もあるため、観客席が作られている。観客席にはそれぞれの小隊員がちらほらと座っていた。十七小隊も例に漏れず観客席にいる。
「なーんでルシフはいないのかねぇ。あいつも十七小隊の隊員だろ、一応。我らが隊長どのを応援しなくていいのかよ?」
「……お腹痛いから休むと連絡してきましたが」
シャーニッドの呟きに、フェリは無表情で答えた。
シャーニッドがため息をつく。
「あいつが腹痛で休むタマかよ。ぜってぇめんどくせぇとか思って仮病使ったんだぜ。ったく、あいつは協調性ってもんがねぇ。なぁ、レイフォン?」
「それは、否定できませんけど……正直、ルシフの気持ちも少しは分かります」
レイフォンは対抗戦が行われていた間、なるべく他小隊の試合や情報を見ないようにしていた。
ツェルニの武芸者のレベルは低い。それを視覚で直に理解してしまえば、そんな気なくても対抗戦に身が入らなくなるかもしれない。
要は、見たところで自分のプラスにならないのだ。
ルシフにとって、目の前で繰り広げられている試合は見る価値がないのだろう。自分もニーナが出なければここにいなかったかもしれない。
「それにしても驚いたよねぇ。まさかルシフがあんな顔するなんてさ」
ハーレイが何気なく言った。
みな、ハーレイが何のことを言っているか気付く。病院でのやり取りをハーレイは言っているのだ。
「先輩はどう思います? 恋愛経験多そうですけど」
ナルキがシャーニッドに尋ねる。
シャーニッドは難しい顔で唸った。
「う~ん、ルシフがマイを好きなのは確かだな。そこは間違いない。だが、恋愛感情があるかどうかっつう話になると、難しい話になる。
シェーナから聞いたんだが、マイとルシフは幼い頃からずっと一緒にいたらしい。それこそ、一つ屋根の下で暮らしていたんだと。色々二人にしか分からん事情はあるんだろうが、それを考慮すると恋愛対象というよりは家族愛のようなものなのかもな。
まぁ、喜ばしいことじゃねぇか。あのルシフにも、俺らみてぇな部分があって」
その通りだ、とレイフォンは思った。
どこまでも傍若無人のルシフが、マイ・キリーという存在の前に立つとたちまちその姿を崩す。自分たちと同じようにただ相手を案じ、相手のために何かしようと考え実行する。
正直な話、レイフォンは何故ルシフがツェルニやツェルニに住む人々を守ったり救ったりするのか理解できなかった。他人を一切気にしていないのに、他人が死なないよう闘ったり、違法酒で道を踏み外した人を正しい道に戻したり……。そういうある意味でルシフの在り方と正反対の行動が、ルシフという存在を計り知れないものにしていた。
だが、病院でのルシフを見た時、それらの点が線で繋がった気がしたのだ。ルシフには元々自分たちと同じ相手を思いやる心があり、それがあの傍若無人な振る舞いの中に隠れていただけだと。
「ルッシーファンクラブの会員が知ったら阿鼻叫喚の嵐でしょうけどね」
「はは、ちげぇねぇ! そんときゃ俺が慰めてやるか」
軽口を叩くシャーニッドに、ナルキとフェリが汚らわしいものを見るような視線を向けた。
「最低ですね」
「死ねばいいのに」
「……ジョウダンニキマッテンダロ? レイフォンなら分かるよな?」
「ならなんで棒読み?」
レイフォンは呆れている。間違いなく本気で言った筈だ。
シャーニッドは視線をあらぬ方に向けた。
「あー……マイ・キリーは結構可愛いから口説き落とせるなら落としたかったが、ルシフのあれを見た後じゃそんな気にならねぇな。地獄を見せられそうだ」
シャーニッドは話題を変えるために深く考えないで言ったのだろう。
しかし、レイフォンはシャーニッドの言葉にぎくりとした。
自分のことしか考えない人物なら、自分に害が及ばない限り暴走することはない。では、他人を思いやる心を持っている人物は……? 心を寄せる相手が傷付いたら……?
普通なら怒る。傷付けた相手を許したりしない。必ず罰や報いを求める。
ルシフも同じじゃないだろうか。そして、その時は一体どれだけの罰と報いを求めるのだろう。傷付けた相手だけで終わるのか。それとも、傷付ける原因を作った全てに報いを求めるのか。
審判が高らかに勝利を告げる声で、レイフォンは現実に引き戻された。
次の試合はニーナが出る。
思い思いの会話をしていた十七小隊の面々は自然と口を閉ざし、試合会場に注目する。
ニーナは第十四小隊隊長と対峙していた。
第十四小隊隊長の名はシン・カイハーン。
ニーナが第十七小隊を立ち上げる前、ニーナは第十四小隊にいた。その時の隊員にシンもいた。シンはニーナの練習に付き合ってくれたりした世話好きな性格だった。
言ってみればこの試合は師弟対決のようなもの。
「お前が小隊長で、しかも戦績が一位とはな。正直、今でも信じられないが」
「優秀な隊員たちのおかげです」
「とは言うが、ルシフなしで一位だ。ルシフの扱いも上手くやってるように見えるし、隊長としてよくやってると思うぜ」
「ありがとうございます!」
ニーナは素直に嬉しくなり、軽く頭を下げた。
ニーナをよく知っている相手だからこそ、純粋にその言葉を受け取れる。
「それじゃ、やるか。遠慮なく来いよ」
「言われなくても、手なんて抜けませんよ」
審判が開始を告げる。
お互いにバックステップして距離を取った後、二人は
シンの剣に剄が流れ込み、シンの周囲に風が起こった。
碧宝錬金鋼は剄の収束率に優れている。突きを主体とするシンの戦い方に碧宝錬金鋼はうってつけの錬金鋼だった。
シンが先に行動を起こす。
剣に収束させた剄を衝剄にし、突きの動作で放つ。
ニーナもよく知っているシンの得意技。外力系衝剄の変化、点破。
剣より放たれた衝剄の雨をニーナは足さばきだけでかわし、その内の一つだけ右の鉄鞭で防ぐ。右の鉄鞭が衝剄の威力でビリビリと震えた。ニーナは衝剄の威力がどれ程のものか知るため、あえて鉄鞭で防いだ。
衝剄が放たれる方向は剣筋により決められる。どこに衝剄がくるか剣が教えてくれる点破は、今のニーナの脅威にならない。以前のニーナならなんとかかわすかいなすのが精一杯の剄技だったが、ルシフとの組み手経験により、構えも剄の動きも丸見えな剄技には余裕で対応できるようになっている。
シンが驚きで目を見開いた。
──点破……以前より速さと威力が上がっているが、溜めが長い。これなら問題ないな。
ニーナは自身の成長をかつてのチームメイトに見せられたことに内心喜びを感じつつ、頭は冷静にシンを分析する。
ニーナはシンの懐に飛び込み、まず左の鉄鞭を振ってみせる。シンが剣でいなそうとするのが分かった。ニーナは更に剄を高め、左の鉄鞭を振る力を強める。途中で急に速度が上がった鉄鞭にシンは驚き、歯を食い縛りなんとか剣で鉄鞭を防いだ。タイミングを外されてもなんとか防いだシンは、やはりツェルニの武芸者の中でも上位の実力者である。
しかし、いつの間にかニーナはシンを軽く追い越していた。
シンが鉄鞭を防ぐ動きをしていたときにはすでに、ニーナは次の攻撃に入っていた。そもそも今の鉄鞭の攻撃は、シンに防がせるためにしたのだ。ニーナの予想通りの動きをシンがなぞり、ニーナはがら空きの腹に左膝蹴りを入れた。
「ぐっ……」
シンは腹部を抱え、うずくまるように床に両足をついた。
そこで審判が笛を吹き、ニーナの勝利を告げる。
シンは深く呼吸して息を整えると、ゆっくり立ち上がった。
「お前、強くなりすぎだろ……ったく、これじゃ先輩として面目が立たんぜ」
「先輩も、ルシフと組み手すれば嫌でも強くなれますよ」
シンはニーナの急成長の理由が分かった気がして、苦笑した。
「やっぱりルシフか。お前がそこまで頑張るのはあいつらのためか?」
シンの視線が観客席にいる十七小隊に向けられる。
ニーナは誇らしそうに頷いた。
「ええ。わたしは隊長ですから。いつまでも隊員におんぶにだっこではダメなんです」
第十七小隊の隊員たちはみな優秀な武芸者ばかりだ。特にレイフォンとルシフはずば抜けている。だからこそニーナは自分にできるだけの努力をして、少しでも二人に近付きたいと決意した。今はお飾りの隊長なのかもしれない。しかし、いつか胸を張って第十七小隊の隊長だと言えるように。
「ニーナの奴も、ずいぶん強くなったな」
観客席では、ニーナの闘い振りにみな嬉しそうな表情をしている。
レイフォンもニーナの闘い方が自分ではなく相手を意識した闘い方になっているのを感じられ、ニーナが強くなっていると確信した。
自分だけで完結している闘い方をするのは二流以下。相手をよく分析し、相手に合わせて有利な闘い方をするのが一流の武芸者だとレイフォンは思っている。そういう意味でいえば、ニーナは一流の世界に足を踏み入れる資格があるのだろう。
もっとも、ルシフ相手に闘えば誰もが嫌でも相手を意識して闘うようになるだろうが。
「なぁレイとん。わたしも、ルッシーと組み手すれば隊長くらい強くなれるんだろうか?」
「う~ん、どうかな?」
ナルキの問いに、レイフォンは言葉を濁した。
間違いなく強くはなれる。しかし、その代償は大きい。何百回と地面をなめる苦痛と屈辱、ルシフからの容赦ない言葉に打ちひしがれない忍耐力、常にルシフに勝とうとする向上心。それらを持ち続けなければ、強くなる前にギブアップしてしまう。
たまたまニーナは強い意志と持ち前の忍耐力が上手く合致したため、ルシフとの組み手と鍛練であれほどの強さになるまで成長したのだ。
ルシフのやり方は一人の強者を生み出すが、その影で九人──いや、九十九人が脱落する超スパルタ。できれば友だちでもあるナルキに、そういう鍛練はしてほしくない。
小隊長総当たり戦は次々に試合を消化していく。元々一日しか時間をとっていないため、直撃を一発でも与えたら勝ちという単純明快かつダメージをなるべく持ち越さないルール。
試合は目まぐるしく進み、すぐにニーナの出番になる。
今のニーナの実力はツェルニ屈指。更に防御が得意で金剛剄を会得しているニーナにとって、今日の試合の勝敗条件は有利だった。
ニーナは破竹の勢いで勝ち続け、未だに負けはない。
次のニーナの対戦相手は第五小隊隊長、ゴルネオ・ルッケンス。
ゴルネオは両拳をコンパクトに構え、ニーナを見下ろしている。
ゴルネオは巨体のため、ニーナから見てかなりの圧迫感と威圧感があった。
しかし、ニーナはそれに呑まれず、平常心でゴルネオを睨み返した。こういう胆力もルシフとの組み手で鍛えられている。ルシフの相手ばかりしていれば、大抵の相手は可愛く見えるようになった。それはゴルネオでも同様だ。
審判の開始の合図とともに、ゴルネオがニーナに接近する。
ゴルネオは巨体に見合わず、隙が少なく威力よりも速さに重きを置いた拳打を連続で放つ。さすがのニーナもこれを回避するのは難しく、両手の鉄鞭で打ち落とすように拳打の連続突きを防いだ。
ふとニーナの背筋に悪寒が走り、その場から後ろに跳ぶ。ニーナの眼前を、見えない剄の塊が通り過ぎていった。剄の塊は止まらず、試合用に設置された壁の一ヶ所に穴を開けた。観客席がざわつく。
ゴルネオの剄技、外力系衝剄の変化、風蛇。拳から放った衝剄を曲げ、予想外の方向から撃ち込む剄技。
ゴルネオは連続突きの中に風蛇を紛れ込ませ、連続突きに気をとられた隙にニーナの横腹に直撃させるつもりだった。試合ルール上、一撃でも直撃させればそれで勝負は決まる。そう考えると、ゴルネオの攻撃は理にかなっていた。
ニーナは軽く息を整え、ゴルネオの動きを注視する。
ゴルネオは今の攻撃で決められなかったことに落胆している様子もなく、落ち着いて再び構えた。
──よくわたしの実力を分かっているな。
ニーナはゴルネオの慎重ともいえる堅実な構えと攻撃に感心した。
いくら攻撃の威力が高くとも、ダメージが通らなければ意味はない。見え見えの攻撃はニーナに攻撃箇所を予測させることになり、金剛剄で防がれる。ならば攻撃箇所を予測させない奇策をもって、確実なダメージを与えにいく。
ニーナの実力を冷静に分析しているからこその戦法。それは、ニーナの心を熱くさせた。
本気で自分に勝とうとしている。自分より実力が上だと思っている相手が、自分を対等と認めている。
ニーナの両鉄鞭に力がこもった。内力系活剄の変化、旋剄でゴルネオに近付く。ゴルネオはニーナを迎え打ち、ニーナが振るった左の鉄鞭をゴルネオは右の手甲で弾いた。
弾かれた影響でニーナの体勢がわずかに崩れ、ニーナは体勢を整えるため距離を取る。しかし、その動きを読んでいたゴルネオはニーナの右側面に移動し、左拳を振るった。
ニーナは左拳を右の鉄鞭で防ぐ。体重差と空中ということもあり、ニーナの体勢が更に崩れた。
すかさず放たれた左の蹴り。ニーナは腹部に迫った蹴りを金剛剄で防ぎ、続けざまの背中への打撃も左の鉄鞭で受け流した。
唐突に、ニーナの身体が真横に吹き飛ぶ。ゴルネオが風蛇を放っていたのだ。当然ニーナの頭にその剄技の存在はあったが、畳みかけるようなゴルネオの猛攻に、ニーナはそれを防ぐのでいっぱいいっぱいだった。
ニーナは床を転がりながらも受け身をとって、片膝をついている。まだまだ闘えるというアピールも兼ねて、ニーナはなんでもないという風に立ち上がった。
しかし審判はこの攻撃を有効と認めたらしく、ゴルネオの勝利を告げた。
ニーナは悔しそうに顔を歪めながらも、充実していたゴルネオとの試合に満足していた。
ニーナのもとにゴルネオが近付いてくる。
「あそこで熱くなり、自分から攻めにいったのが裏目に出たな。防御が得意なお前が俺相手に接近戦で勝てると思ったのか?」
もしニーナが今まで通り、相手の攻撃を防ぎつつ相手を分析し、相手の隙を狙う闘い方だったならば、ゴルネオにも勝てたかもしれない。
「いえ……ですが、こちらから攻めてみたくなったのです。今の試合でわたしはまだまだ未熟だと思い知らされました。次は必ず勝ってみせます」
ニーナがそう意気込むと、ゴルネオは苦笑した。
「正直、今の勝利はこの試合ルールだからこそだ。どちらかが倒れるまで闘うのが試合ルールだったら、お前が勝っていたかもしれない。だが、勝ちは勝ち。そう簡単に勝ちをお前に譲るつもりはない。次闘う時は、俺も強くなっているぞ」
ゴルネオは去っていき、ニーナはその後ろ姿に軽く一礼した。
小隊長総当たり戦は全ての試合を終え、ニーナはゴルネオ以外の相手には全て勝った。
ゴルネオは全勝のため、一位。ニーナは次いで二位。三位は二敗のヴァンゼと、試合前に学生たちが予想していた順位とはかなり違う結果になった。
ヴァンゼが生徒会長室で膝を抱えながら「そろそろ武芸長の座を譲るべきかもしれんな」と呟いていたが、そのことを知っているのはカリアンしかいない。
◆ ◆ ◆
ハイアはサリンバン専用の放浪バスの屋根に座っていた。その右手には手紙が握り潰されている。
手紙の送り主は、グレンダンの女王──アルシェイラ・アルモニス。
手紙の内容を要約すれば、天剣授受者を三名ツェルニに送るから、後はそいつらに任せろという内容。サリンバン教導傭兵団のお役目は済んだから、もう廃貴族に関わらなくていいという女王の慈悲深いお言葉に、ハイアは手紙を握り潰した。
──ふざけるな。
ハイアの心中を怒りが支配していた。まるで自分たちの存在など眼中にないと言われているようで、ハイアは屈辱に顔を歪めた。
その一方で、ハイアはルシフをある程度客観的に評価できている。
ツェルニが暴走している最中、サリンバン教導傭兵団はツェルニに協力した。その際、 ともに戦う相手の情報を要求し、カリアンは今までのルシフが戦っているのも含めた記録映像をハイアに渡した。
その記録映像を見たサリンバン教導傭兵団の面々は、顔を青くしていた。無論、ハイアもその一人だった。
ルシフの圧倒的な実力と容赦のなさは映像の中で際立ち、レイフォンすら超える実力を持つルシフに戦いを仕掛けるのは無謀の極みと言えた。
グレンダンの女王が天剣授受者を三名もよこしたのも、過剰ではなく妥当だとハイアは思う。いや、それでも足りないかもしれない。
だが、だからこそ、ルシフをグレンダンに連行できれば、サリンバン教導傭兵団は大きな手柄を立てたことになる。そして、女王はハイアを必ず天剣授受者にするよう動くだろう。それだけの価値が、ルシフにある。
ルシフと戦おうなどとハイアは思っていなかった。
戦わずして、ルシフに言うことを聞かす。それをするためには、ルシフの弱みをこちらが握らなければならない。
『ハイア』
すぐ側の念威端子から聞こえてきた声に、ハイアは軽く周囲を見渡す。ハイアの斜め後方──放浪バスの車体の近くに、フェルマウスが佇んでいる。
『本国からの手紙の内容はなんだったのだ?』
手紙はハイアが一番最初に読み、そのまま握り潰した。ハイア以外、手紙の内容を知っている者はいない。
「グレンダンから応援がくるって。それだけさ」
『そうか』
ハイアは放浪バスの屋根から飛び下り、フェルマウスの前に立つ。
「それより、ルシフの弱点か弱みは何か分かったんさ?」
『……いや、分からなかった。もう、これ以上探ったところで意味ないのではないか?』
フェルマウスは若干身体を緊張させていた。
無理もない。フェルマウスはルシフの弱みらしきものを知った。しかし、ルシフと争う愚を理解しているフェルマウスは、それを絶対にハイアに悟られてはならないのだ。
だが、長年一緒に過ごしてきた家族のような存在だからだろう。ハイアはフェルマウスにかすかな違和感があるのに気付いた。
ハイアが不敵な笑みを浮かべる。
「時間はまだあるさ~。なのに、もう止めるって言うのかい? あんたが?」
フェルマウスはハイアからフードごと顔を逸らした。
あんたがという言葉に隠れた真意。優秀な念威操者が何も得られずに途中で情報収集の切り上げをする筈がないと、ハイアは言外に言っている。
「分かったんだろ? ルシフの弱みが。だから、そんなことを言ったんさ。これ以上続けて他の奴にそれを知られたら困るから」
フェルマウスは言葉を失っている。
図星だからだ。
ハイアは言葉を続ける。
「で、こっからが本題。ルシフの弱み、それは何さ? ルシフ自身が持ってる弱みじゃないよな? なら、隠す必要はない。力ずくで奪えないとあんた自身よく分かってるだろ。となると、力ずくで俺っちたちが奪えるところに、ルシフの弱みはあることになるさ~」
ハイアの目が捕食者のような光を放って、フェルマウスを見ている。その光の中に狂気の影が混じっているのに気付いた。
いつから、ハイアはこんな目をするようになったのだろう。
フェルマウスは自問する。だが、答えは見つからなかった。
フェルマウスは意識的にハイアの顔を見ないようにした。こんな目のハイアは見たくない。
「……あの念威操者の女か?」
ハイアが低く呟いた。
フェルマウスの身体が急激に重くなる。
ハイアが言った条件で一番可能性があるものは、いつもルシフの側にいる念威操者の少女しかいない。
その答えにいつか行き着くと考えていたが、あまりにも早すぎる。もしかしたら弱みとかそういうの抜きで、ハイアはあの少女に報復をしたかったのかもしれない。以前、ミュンファや団員たちを傷付けた報復を。
フェルマウスの反応に、自身が正解を言い当てたのを悟ったハイアは心を躍らせた。
ようやく、溜まりに溜まった屈辱と憎悪、怒りを吐き出す時が来たのだ。
「これから作戦を立てるさ~。フェルマウス、あんたも来い」
ハイアは放浪バスの入り口を開け、中に入っていく。
放浪バスの入り口付近は灯りが付いておらず、真っ暗だった。
ハイアの姿が暗闇に消えていくのを見て、フェルマウスは恐ろしい予感に背筋を冷たくした。