鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第40話 絆

 マイアスに襲いかかってきた汚染獣は、外縁部に設置された剄羅砲の集中砲火を浴びた。

 だが、やはり汚染獣の外殻は硬く、鱗をいくつか弾きとばすだけに留まっている。それでもやはり痛みはあるらしく、汚染獣は怒りの咆哮をあげた。

 汚染獣は速度を下げず、剄羅砲をものともせずにマイアスのエアフィルターを突き破った。

 

「……ふむ」

 

 サヴァリスとカルヴァーンは外縁部近くの建物屋上に立っていた。もしマイアスの武芸者が汚染獣を倒せそうにないなら、密かに汚染獣を倒そうと考えたからだ。

 

「雄性一期、しかも成り立てですか。つまらない相手ですね」

 

 サヴァリスにかかれば──いや、天剣授受者ならば一撃で殺せる雑魚。やはり、リーリンを傷付ける脅威には逆立ちしてもなれない。

 リーリンの護衛の方が楽しめそうだったと残念そうな表情のサヴァリスに、カルヴァーンは深くため息をついた。

 

「戦いに楽しさなどいらん。勝つことこそ重要だと何故分からんのか」

 

「カルヴァーンさんはもう少し気を抜いた方がいいですよ」

 

「余計な気遣いをするな。それより、マイアスの武芸者は未熟ながらも闘志は失っていない。武芸者の質はともかく、心構えはグレンダンの武芸者に引けを取らんな」

 

 サヴァリスは視線を汚染獣からマイアスの武芸者に移した。

 二人がいる建物のすぐ近くで、マイアスの武芸者たちが隊列を組んでいる。確かにカルヴァーンの言う通り、汚染獣に恐怖しながらも戦意は失っていない。何かを期待しているような光が彼らの瞳の中にある。

 

 ──何が彼らの支えになっている?

 

 サヴァリスは少し興味を持った。

 マイアスの隊列の中から、赤装束に身を包んだ三人が出てくる。

 彼らは隊列から離れ、汚染獣の進路上に立った。どうやらあの三人が汚染獣の相手をするらしい。確かに学園都市にいるのが不思議なほど実力が高い武芸者だと、サヴァリスは一目で見抜いていた。

 成る程。彼らなら汚染獣を倒せると考えているから、希望を失わず戦おうと思えるのか。

 

「これは……僕たちの出番はありそうにないですね」

 

「良いことだ」

 

 二人は完全にただの観戦者になっていた。

 赤装束の三人は突っ込んでくる汚染獣を見据え、それぞれ錬金鋼(ダイト)を復元。槍や剣、戦斧が握られる。

 隊列から遅れてもう一人、ガタイの良い男が出てきた。その男の錬金鋼はすでに復元されており、両手に手甲を付けている。

 彼は三人より前に立った。

 

「ガイア、オリティガ、メッシュ! ジェットストリームアタックを仕掛けるぞ!」

 

「おうッ!!!」

 

 四人が旋剄で汚染獣に突撃。縦一直線に並んで駆ける。独特の装束、その連携技の姿から、彼らは赤い三連星と呼ばれた。

 ガイアは先頭から二番目を走りながら思う。

 目の前を走っているこのガタイの良い男はなんなのだろう、と。名前がアフロ・レイということだけは知っている。

 だが、ジェットストリームアタックは三人での連携技。こいつはいらない。

 そう思う一方で、ジェットストリームアタックの新しい可能性を見出だせるかもしれないという期待感もあった。

 汚染獣が咆哮し、先頭を駆けるアフロに爪を振るった。アフロは手甲で受け止め、その場でこらえた。

 ジェットストリームアタックは対武芸者用の連携技である。縦一直線で攻撃を仕掛けるため、相手にこちらの動きを読ませない幻惑効果を与え、錯乱している間に倒す。

 しかし、汚染獣に対しては全く効果がない。何故なら汚染獣は巨大であり、俯瞰的にジェットストリームアタックを捉えられるからである。

 だが、彼らはジェットストリームアタックを選んだ。効果があるかないかではない。そこにロマンとノリがあるかどうかこそが、彼らにとって重要なのだ。

 ガイアは目の前で爪を受け止めているアフロの背を踏みつけ跳んだ。

 

「俺を踏み台にしたぁ!?」

 

 ガイアは槍を汚染獣の頭目掛けて突く。汚染獣がガイアを払い落とそうともう一方の腕を振るった。その腕を左右に散開したメッシュが剣で切り落とし、逆側からオルティガが汚染獣の横腹を戦斧で切った。

 汚染獣は一瞬で殺到した三連撃に対応できず、断末魔をあげて地に突っ伏した。

 マイアスの武芸者たちが歓喜の雄叫びをあげる。歓喜の渦の中で、受け止めた際に腕を負傷したアフロと赤い三連星が手を取り合い笑みを浮かべた。

 こうして、マイアスに襲いかかった危機は去った。

 天剣授受者二人は効率を考えないロマン戦闘に呆れた表情になっていたが、そんなものは彼らにとってどうでもよかった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 ツェルニが暴走状態であることを知っているのはごく一部の生徒しかいなかったが、大半の生徒はツェルニの置かれている状況を異常だとなんとなく感じていた。

 授業の欠席が急激に増えた一部の武芸科の生徒。教員五名が教える授業の不定期な中止。慌ただしい生徒会長や武芸長。

 これだけ重なれば、誰もが何か問題が起きていると察することができる。生徒たちの間に不安が募り、それを誤魔化そうと根拠のない楽観視をして、彼らは日々を乗り切っていた。

 そんな彼らの必死な思い込みによって得られていた仮初めの安心は、脆くも崩れさることになる。突如として現れた空からの汚染獣によって。

 ツェルニのエアフィルターの内側の空を裂き、老性体並みの巨大な汚染獣が現れた。トカゲに似た胴体に大きな翼が生え、頭部には天を衝く角。

 この時ツェルニの外に出ていた武芸者は一人もおらず、現戦力としては万全に近い状態で汚染獣の出現に対応。

 レイフォンは空に居座る汚染獣を見て直感した。この汚染獣には勝てないと。以前戦った老性一期など、この汚染獣と比べれば赤子のように見える。老性何期かすら判別できないほどの古びた体躯は、汚染獣経験の多いレイフォンに絶望を与えるには十分な威力を誇った。

 レイフォンだけではない。剣狼隊小隊長の五人も空を悠然と旋回する汚染獣に、普段の余裕な態度はとれなかった。

 レイフォン以外の第十七小隊も、レイフォンと教員五名のところに集まってくる。

 

「レイフォン、倒せそうか?」

 

 ニーナが問いかけた。レイフォンは黙るしかなかった。

 

「……そうか、分かった」

 

 ニーナはレイフォンのその反応で全て悟ったらしく、悔しそうに拳を震わせた。

 

「おいおい。勝てねぇからって、まさか戦わねぇなんて言うつもりじゃねぇよな?」

 

 レオナルトは錬金鋼を復元し、薙刀を手にしている。

 レイフォンは顔を俯けた。

 

「けど……あの汚染獣はきっと、僕が今まで出会った中で最強の汚染獣です。あんなのに勝てる気しません。レオナルトさんだって分かるでしょう?」

 

「ああ、分かる。けど、戦わねぇ理由にはならねぇな。どれだけ相手が強大だろうと都市を守るために戦う。それが武芸者ってもんだろうが」

 

「勝てないのに戦って、なんの意味があるんです?」

 

 レオナルトがレイフォンの胸ぐらを掴んだ。

 

「……いい加減にしとけよ。てめぇはこん中で一番強ぇけど、覚悟の方はまるでなってねぇな。勝てる勝てねぇじゃねぇんだよ。都市を守るために全力を尽くしたかどうかが大事なんだよ。 そうすりゃ、希望が見えてくるかもしんねぇだろ」

 

 乱暴にレイフォンを放すと、薙刀を握り直して汚染獣の方に向けた。

 ニーナがレイフォンに近付く。

 

「レオナルトさんの言う通りだ。無駄な足掻きかもしれないが、何もしなければ勝率はゼロ。ならば全力で戦い、千回に一回、もしかしたら一万回に一回の勝利を掴んでみよう。そのためにはお前が必要だ」

 

 レイフォンは数秒沈黙したが、ゆっくりと頷いた。

 それを見て、ニーナは笑みを浮かべた。

 

「……あの汚染獣、おかしくありません? ちっとも餌を食べに来ないですわ」

 

 アストリットが狙撃銃を肩に預けながら言った。汚染獣は未だに空を飛び回り、襲ってくる気配がない。

 

「餌が多すぎて、どれがうまそうな餌か選り好みしてんじゃないっすかね」

 

 シャーニッドが言った可能性も否定できない。

 なんの前触れもなく汚染獣が現れたせいで、一般人の避難は全くできていなかった。動いたら汚染獣に目をつけられると考えたのか、汚染獣を前に誰も動けなくなっている。彼らはその場で泣くしか選択肢が残されていなかった。それ故に、汚染獣から見れば多数の獲物が抵抗もせずに喰われるのを待っているように見えるだろう。

 

「いやしかし、分の悪ぃ戦いだなこりゃ。旦那がいないのが悔やまれるぜ」

 

 エリゴは刀を構えつつも苦笑いしていた。

 

「ルシフ様は必ず帰ってくる。私たちが今すべきことは、ツェルニを全力で守ること。私たちは『剣狼隊』だぞ。弱音を吐くな」

 

 バーティンが銃を両手で持ち汚染獣に向けている。バーティンは双剣だけでなく、銃も扱えた。

 

「『剣狼隊』?」

 

「法輪都市イアハイムに百名ほどいる、ルシフが指揮する武芸者集団の総称だ。様々な都市の武芸者が集まっていて、一人一人が鬼のように強い」

 

 レイフォンの呟きに、ダルシェナが答えた。

 

「シェーナ、それでもあの汚染獣には敵わないのか?」

 

「わたしには分からない。だがディン、わたしたちも全力で戦おう」

 

「当然だ」

 

 レイフォンたちを中心に、ツェルニの武芸者が集まってきていた。カリアンやヴァンゼも集合している。話している間にフェリが念威端子で全武芸者に集合する座標を伝えたからだ。

 レイフォンが所属する十七小隊、それと教員五名は、ルシフがいない今、ツェルニの最大戦力になっている。彼らを中心として、汚染獣に対して策を考えるのは至極当然の動き。

 

「人よ……境界を破ろうとする愚かなる人よ。なにゆえこの地に現れた?

足を止め、群れの長は我が前に来るがよい。さもなくば、即座に我らが晩餐に供されるものと思え」

 

 唐突に声がツェルニを震わせた。

 どこからの声か理解した時、ツェルニに住む全員が驚愕した。

 声の主は汚染獣だ。汚染獣が人語を話したのだ。

 

「……汚染獣がなんか言ってんぞ?」

 

「気持ち悪い。早く戦いましょう」

 

「そうだな。汚染獣と交渉など無駄に決まってる。とっとと殺すぞ」

 

 アストリット、バーティンが銃を汚染獣に向けて構えた。それにつられ、シャーニッド含むツェルニの銃使い、弓使いも一斉に構える。

 

「アストリットさん、バーティンさん、お待ちを!」

 

 フェイルスが二人の前に立った。

 

「……なんですの? まさか汚染獣とおしゃべりでもするつもりなのかしら?」

 

「その通りです!」

 

「フェイルスさん、あなたは汚染獣に媚びを売ると言うのか。そんなやり方、ルシフ様は認めまい」

 

「そうは言いますが、勝算はあるんですか? 何か策は? マイロードは常に策や勝算を考えたうえで戦います。なんの策も勝算もなく戦うのは、勇気ではなくただのやけくそです」

 

「……そこまで言うなら、あなたは策があるのか?」

 

「言葉から察するにあの汚染獣、ツェルニが何故ここに来たのか知りたがっているようです。そこで、汚染獣と話をして、汚染獣が油断したところを全力で頭を潰します」

 

「何を大層なことを言い出すかと思ったら、ただの不意打ちじゃありませんこと?」

 

「これが一番勝機を見出だせる策です。レイフォン君の言う通り、勝たなければ戦いは意味がない。全力で勝ちにいくなら、この場の攻撃は愚の骨頂ですよ」

 

「──フェイルスさんの言う通りだ!」

 

 生徒会長カリアンの力強い声が周りに響き渡った。

 全員がカリアンの方を見る。

 

「だがフェイルスさん、不意打ちをするというのも止めていただきたい! あの汚染獣に対して攻撃を加えようとするな! これは会長命令である!」

 

 誰もが形はどうあれ戦おうとしているところに、この指示は眉をひそめる指示だった。当然周囲から戸惑いの声が次々に生まれる。

 

「まずは武芸者全員銃と弓を下ろせ! 従わない者は学生、教員問わず厳罰に処す!」

 

 カリアンの放つ覇気と語気の強さに気圧され、学生たちは次々にそれぞれの武器を汚染獣に向けるのを止めた。教員五名もとりあえず武器の構えを解いた。

 カリアンは全員が自分の指示に従ったことに対して、内心ホッとした。教員五名が指示に従うか不安だったからである。厳罰に処すなどと言ったが、教員五名に罰は与えられない。というより、罰を与えた後に何かの拍子でルシフが現れた場合、ルシフの怒りを買うのは必至。

 そんなリスクを冒そうとする者など、ツェルニに誰一人としていないだろう。

 

「……生徒会長さんよ、その指示はあの汚染獣の言いなりになるっつう意味でいいのか?」

 

「言いなりになって我々の命が助かるなら、私はそちらを選ぶ! 勝てるかどうかも分からない戦いなんて、避けるに越したことはない!」

 

「……仲間の群れに私たちを誘い込むために、あの汚染獣が話しかけてきたのだとしたらどうします? 状況は今より悪化しますよ」

 

「その懸念は問題ない筈だ。なんせ優秀な念威操者がこちらにいる。仲間の群れに誘い込まれる前に、事前に情報は得られる。その場合は、容赦なく戦ってもらって構わない。

だがッ! 今この場は私を信じ、私に全てを任せてもらいたいッ!」

 

 教員五名はカリアンからルシフのようなカリスマ性を感じとった。

 並の人物なら、この絶望的な状況に右往左往するだけだろう。しかし、現状を打開するための最善をカリアンは必死になってやろうとしている。何より、剄を持たない一般人がこれだけの武芸者を前にしてここまで言いきる度胸。

 これだけの覚悟をぶつけられ、教員五名はそれを無下にしようなどと思わなかった。

 教員五名は静かに下唇を噛み締めた。

 あの強大な汚染獣に敵わないと内心痛いほど理解している。己の無力さに腹が立ち、命を汚染獣に見逃してもらうために汚染獣の言いなりになる情けなさが許し難かったのだ。

 

「なら早速、あの汚染獣に了承の意を──」

 

 突如として、ツェルニが再び揺れた。

 頭上を飛んでいる汚染獣が吹き飛び、外縁部に叩きつけられた衝撃が原因だった。

 莫大で威圧的な剄がツェルニ全体を支配する。

 

「この剄はまさか……!」

 

 レイフォンが心当たりのある剄の波動に目を見開いた。

 教員五名の顔が笑みに変わっていく。彼らはこの剄の主をよく知っていた。

 

「ルシフ様が……ルシフ様が帰ってきた!」

 

 ルシフは汚染獣を殴り飛ばした後、レイフォンたちの近くにある建物の屋上に着地していた。

 

「帰って早々これか。退屈せんな」

 

 ルシフは屋上から顔を出してレイフォンたちの方を見る。

 

「奴はこの俺が倒す。貴様らは俺の邪魔にならんよう退避しろ!」

 

 それだけ言うと返事も聞かず、旋剄で外縁部に向かった。建物を次々に蹴り、あっという間に外縁部近くにある建物の屋上に到着。

 そこから、ルシフは外縁部を見据える。老性何期かも分からない古びた巨躯。別人格の知識にあった生物の中で、一番その見た目に近いのは竜。汚染獣は怒りの咆哮をあげていた。

 ふと、ルシフは自分の内から湧き上がってくる感情を自覚した。自分に一時的に憑依しているツェルニの感情である。

 その感情にあるのは、自分の勝手な判断のせいでツェルニに住む人々を危険にさらしてしまった自責と後悔。

 

「ツェルニ、お前の思いは伝わった。安心しろ、お前の選択は間違ってなどいない。俺が今からそれを証明してやる」

 

 ルシフはツェルニの感情が徐々に変わっていくのを感じた。

 ルシフから緑色の粒子が溢れ、粒子が髪の長い幼女の姿を形作る。ルシフの眼前にツェルニが浮かび、明るい笑顔で小さく礼をした。

 ルシフはそれを見て微かに笑った。

 

「礼などする暇があったら、とっとと機関部に戻って機関部の連中を安心させてやれ」

 

 ツェルニは頷くと、機関部がある方に向かって消えていった。

 ルシフは笑みを消し、汚染獣を鋭い表情で睨む。

 

「──やるぞメルニスク! ヤツにツェルニの土を踏んだことを後悔させてやるッ!」

 

《おうッ!》

 

 ルシフは膨大な剄を肉体強化に使用し、一瞬で汚染獣のところに移動。汚染獣の腹に拳を入れる。

 汚染獣の身体は浮かび上がるが、ルシフが行く手に先回りし、かかと落としで地面に叩きつけた。

 汚染獣は身悶えしてルシフを睨みつける。

 

「愚かなる人よ……我に刃向かえば、この都市にいる人々は悉く我らの晩餐になるぞ」

 

「黙れ」

 

 ルシフは汚染獣の頭部を殴りつけた。汚染獣は地面に倒れる。

 ルシフは倒れた汚染獣の腹に乗り、そこから何度も何度も腹を殴り続ける。汚染獣の鱗を砕き、腹に穴が空いて血が噴き出そうとも拳を止めない。

 腹が穴だらけになった汚染獣をルシフは軽く跳んで蹴り飛ばした。汚染獣の巨体が外縁部の端まで吹っ飛んでいく。

 ルシフは悠然と汚染獣に向かって歩く。汚染獣は咆哮する力も無くしたようで、倒れたまま起き上がろうともしない。

 ルシフが汚染獣の頭部に手を置き、そのまま地面に叩きつけた。汚染獣の頭部に顔を近付ける。

 

「縄張りかなんか知らんが、この都市で晩餐したいなら勝手にすればいい。だが、ここでの晩餐は高いぞ。貴様の仲間全員の命を懸けても足りないくらいに。

分かったら、とっとと失せろ。人語を解するなら、ほんの少しだけ情けをかけてやる」

 

 ツェルニが進行方向を変化させた。電子精霊が機関部に戻ったことで、ツェルニ本来の行動領域に戻ろうとしているのだろう。

 それはこの汚染獣も気付いたようで、汚染獣はツェルニの進行方向が変わってすぐ、巨躯をゆっくりと起こした。

 そして、大きな翼を広げた汚染獣は一度だけルシフの方に目を向ける。

 

「調子に乗り、晩餐にすると言ったことを謝罪する」

 

「……許してやるよ。俺は寛大だからな」

 

 汚染獣は一度だけ頷くと、ツェルニから弱々しく飛び立った。汚染獣の姿はみるみる小さくなり、汚染された大気の中に消えていった。

 汚染獣がツェルニから消えると、いつの間にか外縁部付近に集まっていた武芸者や一般学生が歓声をあげた。

 

「ルシフー! よくやってくれた!」

「さすがルシフ! 俺たちにできない事を平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれる!」

「ルシフ君カッコよすぎ……!」

 

 ルシフは外縁部の方を振り返ると、左拳を天に突き上げて歓声に応えた。歓声が一際大きくなる。これはパフォーマンス。こうすることで民衆は指導者との一体感を感じ、感動と興奮で熱がさらに上がる。ルシフはそれをよく理解していた。

 ルシフの元に十七小隊と教員五名が近付いてくる。

 

「ルシフ、本当に帰ってきたんだな」

 

 ニーナが嬉しそうに言った。

 

「ああ。俺がいなくて寂しかったか?」

 

「……そんな軽口が叩けるなら、体調も問題なさそうだな」

 

 ニーナはジト目になる。

 ルシフの正面からバーティンが抱きついた。

 

「ルシフちゃん……よかった、よかったよぉ。もう二度と会えないかと思ったぁ」

 

「大げさな奴……俺が消えるわけないだろう」

 

「うん……うん……!」

 

 ルシフはバーティンを引き剥がし、集まってきた面々を見渡す。その中に、見知った顔がないことに気付いた。

 

「……マイがいないな。どこにいる? そういえば、マイの念威端子も見なかったな」

 

 場の空気が固まったのが分かった。誰もがルシフから視線を逸らし、言葉を詰まらせている。

 

「マイは、どこだ?」

 

 自分の声が鋭くなったのを自覚した。自身を纏う剄もそれに呼応するように威圧さを増す。

 やがて、エリゴが口を開いた。

 

「旦那、マイは──」

 

 

 

    ◆     ◆     ◆   

 

 

 

 マイは病院の個室でゆっくりと目を開けた。目の動きだけで周囲を見渡す。

 マイのベッドのすぐ右隣にルシフがいた。背もたれがない椅子に座っている。ルシフ以外に、十七小隊の面々と教員五人もいた。

 

「ルシフ……様?」

 

「マイ、お前は『俺の目』だぞ。一流の俺の目だ。それが、限界を超えて剄を使用し倒れるなどというバカみたいなミスをするな」

 

 マイは静かに笑みを浮かべた。

 

「……なら、ルシフ様も私と同じバカです。以前に無理をして入院したのをお忘れですか?」

 

 空気が、凍りついた。

 その場にいたルシフ以外の全員の身体が強張り、ルシフの怒りに備える。

 しかし予想に反し、ルシフは微笑んだ。

 

「……ああ、そうだったな」

 

「そうですよ」

 

 その会話を最後に、ルシフはマイの隣にしばらく無言で座っていた。

 五分ほど経ち、ルシフは立ち上がった。

 

「もう俺は行く」

 

「はい」

 

「忘れるな、マイ。お前は俺の物だ。お前に手を出す奴など誰もいない」

 

「はい」

 

 ルシフはマイの右頬を左手で優しく撫でた。マイは気持ち良さそうに目を細める。

 

「じゃあな」

 

「はい。おやすみなさい、ルシフ様」

 

 ルシフはマイから左手を離し、病室から出ていく。

 その光景を信じられないような目で十七小隊の面々が見ていたが、すぐに我に返った。ルシフの後に続いて退室する。

 全員がマイの病室から廊下に出た。

 ルシフが振り返り、ニーナの方に視線を向ける。

 

「アントーク、お前がマイを病院まで連れてきてくれたと聞いた。ありがとな」

 

「い、いや、気にしないでくれ」

 

 普段のルシフらしからぬ優しげな表情に、ニーナは戸惑った。

 ルシフは正面を向き、いつも通り悠然とした足取りで歩き出す。

 

 それら一部始終を、念威端子で見ていた者がいた。

 窓の陰から念威端子が離れ、夕焼けの空に溶けていく。サリンバン教導傭兵団の放浪バス目指して。




ハルペー涙目。書いてる時、ルシフが再三「イライラするからこいつ殺したい」と言ってきましたが、頼むからやめてくれと拝み倒して回避。本作品でのハルペーの出番はここだけなので、ハルペーの生死はストーリーに一切関係ありません。でも、このままルシフに殺されるのはあまりに不憫な気がして生かしちゃいました。

今回で6巻終了。次巻の話は個人的に書きたくないです。超がつくほど重要な話になるので、気合い入れて書きますけど。

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