鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第4話 魔王の苛立ち

 ルシフは質素な机に並べられた写真を、一枚一枚手に取り目を通していく。

 正確にいうなら、それは写真ではなく念威端子で映した映像をプリントアウトした画像だ。

 ルシフは今、マイ・キリーの部屋に居る。部屋にあるのは、ベッド、机、タンス、椅子しかなく、それらの家具の色は茶色で統一されたお世辞にもオシャレといえない地味さで、とても女の子の部屋には見えない。

 カーペットすら敷いていない床に正座をして、マイはルシフの横顔をじっと見つめている。その瞳は心なしか不安そうだ。

 ルシフは椅子に座り、机の上に並べられた写真を一通り目を通したら、手に持っている写真を机の上に放り投げ、マイの方に椅子の向きを変える。

 

「この一年で、ツェルニは隅々まで余すところなく調べ尽くしました。今ご覧になった画像は、その中で私が気になったところです」

 

「で、お前のこの都市に対しての意見は?」

 

「不気味です。少女らしき人型を捕らえて実験体のように扱われている画像があったと思いますが、あんなもの、私は今まで見たことがありません。

一体この都市の学生は何をしようとしているか……それを考えるだけで寒気がします」

 

「ふむ、ごく一般的な意見だな。なんの面白みもない」

 

 マイは正座の姿勢のまま、びくりと身体を震わせた。

 マイ・キリーは念威操者であり、幼少の頃にその念威の才能を見出だされてルシフに拾われた孤児だ。念威の才能は、フェリ・ロスに勝るとも劣らない。

 

「そう強張るな。今の言葉は別にお前の意見を責めるつもりはない。

調査に関しては、むしろ一年という限られた時間の中で、よくやってくれたと褒めてやってもいいくらいだ」

 

 ルシフにとって、その言葉に嘘偽りはない。

 ルシフは鋼殻のレギオスの世界の知識を生まれながらに持っている。

 大抵の人間ならば、自分は未来を知っていると自惚れ、その知識に胡座をかいて日々を過ごしていくだろう。

 だが、ルシフは違う。ルシフは未来と鋼殻のレギオスという世界の全てを知っているからこそ、幼少の頃から様々な都市の歴史書や、その都市について書かれた書物を買って持ってくるよう外に出ていく人に頼み、様々な都市に関する知識を集めた。

 法輪都市イアハイムにあるルシフの部屋は、多数の書物が所狭しと本棚に並べられている。

 何故、そんなことをルシフがしたのか?

 理由はたった一つ。自分の知る未来と知識が本当に正しいかを知るためだ。

 未来はちょっとしたことで大きく変わる。自分は未来を知っているからとその時まで何もしなければ、いざとなった時に知っている未来と現実が違っていた場合、その知識は何の意味も無くなり、未来を知っているというアドバンテージは無に帰す。

 ルシフはそんなつまらないヘマをするつもりはなかった。

 ルシフは常に世界の情報を仕入れ、自分の知る未来からズレていないかを監視し続けた。

 特にグレンダンに関しては毎年のように人を送り込み、グレンダンの情報を得ていた。

 グレンダンは原作においてツェルニと並ぶ重要都市であり、また原作知識の中にはグレンダンで起きた出来事が他都市と比べて多く入っているため、ズレているかどうか知るのにはうってつけの都市だった。

 結論をいえば、ルシフの知る未来とほぼ同じ未来が展開され、原作とほぼ同様の状態でツェルニに入学出来た。

 そして、一年前のツェルニに入学させる前にマイ・キリーに頼んでいたツェルニの調査。

 その調査で得られた旧錬金科実験棟のポッドの中にいる少女。

 少女の名を、ルシフは知っている。

 ニルフィリア・ガーフィート──ツェルニに住む学生を操り守護獣を開発し、来るべき戦いに備えている存在。以前は電子精霊ツェルニと同化していた少女。

 ニルフィリアに対してどうこうする気は、ルシフにはない。彼女は一応この世界を護ろうとする側の存在であり、放っておいたところでルシフの障害にはならない。

 それに、ニルフィリアはマイがツェルニを調べていたことに気付いている筈だ。にも関わらず、何らかのコンタクトをとろうとしてこないのは、ルシフの行動を黙認したという根拠になる。

 このツェルニの情報を得て、ルシフは自分の知る未来と大筋の流れはズレていないと確信した。

 これからルシフは、原作の流れを当てに行動すればいい。

 

「あの、ルシフ様?」

 

 黙りこんだルシフを、マイは首を傾げて怪訝そうに見る。

 

「──マイ、お前は俺の物だ。その事を忘れるな」

 

 マイは顔をほころばせて頷く。

 

「初めてルシフ様と出会ったあの日から、私はルシフ様の物です。これまでも……そして、これからもそれは変わりません」

 

「ならいい」

 

 ルシフは机の上にばら蒔かれた写真の内の一枚を手に取り、制服のポケットに入れる。

 そして、椅子から立ち上がり部屋の扉の方に歩き、扉のドアノブを握ろうとルシフが手を伸ばす。

 が、その扉は外から勢いよく開けられた。

 

「マイ! あのルシフがツェルニに──っ!」

 

 長い金髪を縦ロールさせた少女が勢いよくマイの部屋に入ろうとして、その扉のすぐ前に立つルシフに驚き顔を強張らせる。

 

「──ダルシェナ・シェ・マテルナ。三年ぶりくらいか?」

 

 ただ立っているだけの筈なのに、息が詰まりそうになる威圧感を放っているルシフに、ダルシェナは後退りしそうになった。

 ダルシェナは深呼吸を一つして自分を落ち着かせ、ルシフを見据える。

 

「何故お前が学園都市ツェルニ(こんな場所)にいる? お前のいるべき所ではない筈だ」

 

「ほう……障害物なしに俺と話せるようになったか。

貴様も気付いていただろうが、俺は貴様のあのひ弱な立ち振舞いが本当に嫌いだった」

 

「お前が私をどう思っているかなどどうでもいい。それより、私の質問に答えろ」

 

「俺がツェルニに入学した理由はただの気紛れにすぎん。

そんなことより、随分と気が強くなったな。身体も女らしく成長した。

今の貴様なら、一晩抱いてやってもいいぞ?」

 

 ルシフの指がダルシェナの顎に触れ、顔をダルシェナに近付ける。

 そのままダルシェナの唇に自身のそれを重ねようとして、ルシフの左頬をダルシェナが右手で思いっきり平手打ちした。

 部屋に乾いた音が響く。

 

「誰が貴様のような下劣な男に身体を許すか!

私をそこらの女と一緒にするな!」

 

 ダルシェナは顔を真っ赤にして叫んだ。自分を軽んじられたことに、ダルシェナは相当の怒りを感じている。

 そのまま乱暴に踵を返し、ダルシェナは足早にマイの部屋から去った。

 ルシフは左手で左頬を軽くさする。左頬には綺麗に手形が残っている。

 ──痛覚。それは本当に久し振りの感覚だった。じんじんと熱を帯びていく左頬。

 さすがは武芸者といったところか、ダルシェナの平手打ちは思った以上に痛かった。

 

「お優しいですね」

 

 ルシフの後方から掛けられた言葉に、ルシフは無言で振り返り、微笑しているマイに視線をやる。

 

「ダルシェナ様の平手打ちに当たってあげるなんて」

 

「俺がそんな善人に見えるか? あの程度の女の平手打ちなど、防ぐまでもない。

それに、マテルナに机の上にあるものを見られるわけにはいかん」

 

 あえてダルシェナを怒らすようなことをして、ダルシェナをマイの部屋から遠ざける。

 今のダルシェナならされるがままでなく、自分の意思をハッキリと示す気丈さがあるのをルシフは見抜いていた。

 強引に関係を迫れば、ああいう態度をとるのは予想できた。

 

「平手打ちを防いでも、ダルシェナ様は逃げていったと思いますよ。

ダルシェナ様の気を晴らしてあげるために、平手打ちを防がなかったんですよね」

 

 くすくすと笑うマイから、ルシフは視線を逸らした。

 念威操者にしては、マイは感情表現豊かだ。初めてマイと出会った時に比べたら、感情の起伏に雲泥の差がある。

 

「俺があんな女を気にするわけがないだろう。

もう俺は自分の部屋に戻る。机の上の画像は処分しておけ」

 

「はい。

ルシフ様、またいつでも私の部屋に来て下さい。それとも、私がルシフ様のお部屋にお邪魔しましょうか?」

 

「来んでいい。お前が必要になったら、俺から呼ぶ。念威端子は常に俺の近くに置いておけ。周りにバレんようにな」

 

「分かりました」

 

 マイが剣帯に吊るしていた重晶錬金鋼(バーライドダイト)を復元し、半透明の杖がその手に握られる。六角形の結晶が集まり、角ばった形をしている杖。その杖の先端から六角形の結晶が一つ離れ、ルシフのポケットに入っていく。

 

「私だと思って、大切にしてくださいね」

 

「気が向いたらな」

 

 マイの軽口を素っ気なく返し、ルシフはマイの部屋を出て自分の部屋に向かった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 翌日。第十七小隊は野戦グラウンドで対抗試合に向けての連携訓練をしていた。

 ルシフはレイフォンの護衛役を命じられ、レイフォンと並走して、襲いかかってくる樽のような形をした自動機械を殴って破壊する。

 野戦グラウンド内は木々が植えられていて、訓練用の自動機械が多数仕掛けられている。自動機械にもバリエーションがあり、斧を使う自動機械もあれば、狙撃してくる遠距離攻撃型の自動機械もいる。

 

 ──つまらない。

 

 自動機械を次々に壊しながら、苛立ちを覚える。苛立つ理由は、こんなものに手間取る第十七小隊の不甲斐なさだ。

 ニーナは明らかに冷静さを欠き、八つ当たりのように自動機械を鉄鞭で叩きのめす。

 ニーナが指示をしたのは、最初のポジション決めくらいだ。

 訓練が始まってから、ニーナはフェリに対して「遅い!」と怒鳴ったり、舌打ちばかりで全く指示を出していない。

 一体何のために隊長がいて、念威端子という通信機があるのか。その事に頭が回らないニーナは、結局他人に対して高く期待し過ぎているのだ。

 ──言われなくても、これくらい察しろ。そんな言葉がニーナの態度から伝わる。

 レイフォンは集中力が散漫で、動きが鈍い。遠距離攻撃型の自動機械を常に気にしているようで、いつも頭を左右に振り、近くの自動機械への対応が僅かに遅れている。

 後方もチラチラ見ているから、シャーニッドの動きも気になるのだろう。

 シャーニッドは狙撃手で、遠距離から味方の援護を行う。その援護が自分に当たらないか不安なのだ。それは、シャーニッドとて同様なのだろう。

 現にシャーニッドは、訓練が始まってからレイフォンとルシフから離れたところの自動機械しか狙撃していなかった。

 それでは、狙撃の効果を大して得られない。

 フェリは念威で一応索敵しているが、大抵直接視認してから、その情報を念威端子で伝えてくる。

 もうその情報は視覚から伝わっている情報であり、はっきりいって念威操者の役割を一切果たしていない。そんな半端なことしか出来ないなら、むしろ何もするなとルシフは言いたい。

 だが、一番の苛立ちの理由は、自分の立ち位置。

 この訓練で自分がどう行動しようが、第十七小隊の面々がばらばらで、それぞれ問題を抱えているのを変えられない。

 不毛。自分がここでこうしている意味。貴重な時間の浪費。

 それらがルシフにのしかかり、ルシフの苛立ちを加速させる。

 ──そして、ついにそれは限界を迎えた。

 自分がここでこうしているのが無意味なら、少しでも早くこの不毛な時間を終わらせよう。

 遠距離攻撃型がニーナを照準に捉え、近くの自動機械に攻撃しているニーナに、遠距離攻撃を放った。

 ニーナは近くの自動機械に気をとられ、遠距離攻撃に対応できない。

 ルシフはレイフォンから離れ、旋剄でニーナと遠距離攻撃型の射線上に移動。そこから右手を前に翳し、放たれたペイント弾を受け止め、衝剄を利用してそっくりそのまま遠距離攻撃型に弾き返す。

 遠方でごんという音がした。直撃したことを確信し、ルシフは旋剄で次々に自動機械を破壊していく。そして最後の自動機械を破壊した時、全て破壊したことを報せるサイレンが野戦グラウンドに響いた。

 

 

 野戦グラウンドのすぐ側にあるロッカールーム。ニーナが全員を睨んでいる。ルシフを含めた全員だ。

 そもそもニーナは訓練が始まる前から機嫌が悪かった。その原因はシャーニッドが訓練に遅刻したせいだ。

 ルシフはこんなことに付き合う気はない。さっさとロッカールームから出て、シャワーを浴びる。そう決めている。

 

「ルシフ! どこに行く!?」

 

 ニーナの怒鳴り声で、ルシフはロッカールームから出ていこうと動かしていた足を止める。

 

「シャワールームだが? 訓練はもう終わりだろう?」

 

「お前は今の訓練で何も感じなかったのか!?」

 

「感じたさ。

ただの一隊員に成り下がっている隊長。

戦闘に集中できないアタッカー。

狙撃することを怖れる狙撃手。

索敵も満足にできない念威操者。

これ以上ないくらい最悪だな。貴様らは何もしなくていい。俺一人いればどの小隊にも勝てる。

対抗試合は貴様ら全員後方で座ってろ、役立たずども」

 

 ルシフの言葉が、ロッカールームの空気を凍らせる。

 怒りを露わにしていたニーナの表情が強張る。

 レイフォンが拳を握りしめて、顔を俯ける。

 フェリが役立たずという言葉に反応し、眉を僅かに寄せる。

 ロッカールームの腰掛けに寝転がっていたシャーニッドが起き上がり、ルシフを睨む。

 

「へいへい、確かに俺は援護できなかった。レイフォンとお前の動きやリズムが分かってなきゃ、援護射撃なんざ怖くて出来ねぇよ。

けどな──後ろから見てたから分かんだよ。お前が自分を攻めてきた敵しか倒さず、レイフォンの方はまるで無頓着だったことをな。

レイフォンの護衛を任されている奴がそれでいいのか?」

 

「貴様の目は節穴か? レイフォン・アルセイフのどこに傷や染料がある? 無傷なら、俺が役割を果たしたも同然だろう?」

 

 レイフォン・アルセイフは訓練衣を泥で汚している。だが、自動機械から一撃もくらっていない。

 

「それに、最後の最後でお前はレイフォンの護衛という役割を捨てて、ニーナを守った。更にそこからは役割もなんも無しに、ただ自動機械を壊していっただけ。

お前だって他人のことを言えた義理じゃない」

 

「なら、あそこで俺がアントークを守らなければどうなっていた? これは対抗試合に向けた訓練なのだろう? 隊長の戦闘不能は負けじゃなかったか?

──それに、何故貴様は息の合わないアルセイフからアントークに、援護する人間を切り替えなかった?

アルセイフは俺が付いていた。貴様があの時アントークの近場にいた自動機械を狙撃していれば、アントークは敵の狙撃に対応出来ていたのだぞ」

 

 ルシフは不快感を露わにして、そう言った。

 シャーニッドがぐっと唇を噛み締める。

 

「俺の役割はレイフォンとお前のカバーと援護だった。ニーナを援護するのは俺の役割じゃ──」

 

「状況判断をせず、ただ与えられた役割しかこなせん頭でっかちが。まともに援護できんのに、役割もクソもないだろう。

役割をこなせないなら、こなせる役割を見つけて、それを果たすために全力を尽くすことを考えろ」

 

 シャーニッドは反論する気力を失なったようで、ルシフから顔を逸らして、舌打ちした。

 沈黙が、ロッカールームを包む。

 ルシフは全員の顔をざっと見渡して、自分に意見を言ってくる相手がいないことを確認すると、ロッカールームの扉を開けた。

 ルシフはロッカールームから出て、ロッカールームの扉を閉めた。いや、閉めたというよりは、ロッカールームに向かって扉を叩きつけた。

 そして、ルシフの足はシャワールームを目指して動き出した。

 ルシフがいなくなったロッカールーム。

 乱暴に閉められた扉の音が、まるで責められているような気分にさせる。

 「何故もっと考えて闘わないのだ!?」と言われた気がする。

 だが、ルシフという圧力を否応なく振り撒く存在が消えたことで、この部屋にいる全員の心に少し余裕が戻った。

 

「聞いたか、ルシフの言葉──」

 

 ニーナが自嘲気味に力のない笑みを浮かべる。しかし、目の光は失っていない。

 その青い瞳の最奥に、怒りの火が燃えている。

 ニーナ以外の三人は、視線をニーナに集中させた。 

 

「わたしは隊長ではなく、隊員だそうだ」

 

 隊員に指示を出さず、一人で闘っている隊長──確かにそんなものは隊長のあるべき姿ではない。

 隊長とは、刻一刻と変化する戦場をいち早く把握し、小隊ひいては全体を勝たせるための作戦を頭に思い描き、それを通信機を使って隊員に伝え、隊員と力を合わせて現実のものにする。

 これこそが、隊長のあるべき姿。目指すべき到達点。

 ニーナの立っている場所は、そこから遥か下。山で例えるなら、まだ登り始めて間もない段階。

 

 ──当たり前だ。

 

 ニーナは脳内でそう吐き捨てる。

 ニーナの第十七小隊が小隊として認められたのは、つい昨日の話。隊長としての経験値が絶対的に不足しており、武芸の腕もツェルニで上位に位置してはいるが、ニーナより上の武芸者はそれなりにいる。

 自分はまだ隊長として相応しい能力に達していない。それは分かってる。

 なら、この胸の内の悔しさは、怒りはなんだ?

 自分はそんなものを言い訳にして現状に満足していない、何よりの証ではないか! 

 

「悔しくないか、お前たち? 入学してまだ数日しか経っていない一年に、好き勝手言われて──」

 

 誰もニーナの言葉を否定しなかった。

 この場にいる誰もが悔しさを感じている。

 レイフォンとて同様だ。

 戦闘に集中していないと言われた時は、そんなに怒りを感じなかった。確かに言う通りだと納得した。

 悔しさを感じたのは、「役立たず」と言われた時だ。

 役立たず──つまり、戦場において無意味な存在。

 レイフォンがその気になれば、訓練時のルシフのような動きくらい余裕で出来る。レイフォンはルシフに匹敵する強さをもっている。

 その強さは、レイフォン一人で手に入れた強さではない。

 サイハーデンの技を余すところなく教えてくれた養父──デルクのおかげであり、綱糸という武器を使った技を教えてくれたリンテンスのおかげでもある。

 レイフォンはその二人を侮辱されたような気分だった。

 デルクがしっかりレイフォンを鍛えていないと、リンテンスが技を教えるのに手を抜いたと非難されている感じだ。

 許すな。思い知らせてやれ。徹底的に叩きのめして二度とそんな口を利けなくしろ。

 心がそう叫んでいる。

 だが、理性は止めろと制止の声を必死にあげている。

 レイフォンの心は、未だにどうするべきか、どうするのが正しいのか決めかねていた。

 だが、たった一つ分かっていることがある。

 

(ルシフをびっくりさせられたら、気分がスカッとするんだろうな)

 

 なんとなく、そう思う。

 あの傲慢で容赦のない男の鼻を明かせたら、今感じている悔しさを晴らせる気がする。

 

「わたしは悔しい! わたし自身のこともそうだが、何よりわたしが集めた隊員のお前たちを低く見られたことが、本当に悔しい!」

 

 ニーナの纏う剄がきらめき、光を放っている。

 それはニーナの意志の強さだ。ニーナという存在そのものの輝きだ。

 シャーニッドはため息をついた。

 

「──心の底から不本意だが、今日のデートはキャンセルしねぇといけねぇな」

 

「シャーニッド?」

 

「一年坊に好き放題言われて黙ってられるほど、人間できてねぇんだわ。あの野郎をぎゃふんと言わせてやらぁ」

 

 シャーニッドは立ち上がり、レイフォンの眼前に立つ。

 

「だから教えろよ。お前の動き、リズム、全部俺に教えろ。それが分かりゃあ、俺は常にお前の十センチ横を撃ち抜けるぜ」

 

「わ、分かりました」

 

 いつも飄々としてやる気があるのかどうか分からないシャーニッドが、やる気を見せている。

 たったそれだけのことなのに、なんだか嬉しくなってニーナは微笑んだ。

 

「──よし、じゃあ連携の訓練を再開するか。幸いさっきの訓練はほとんどルシフが倒して、そんなに疲れてないしな。

フェリはどうする? いや、無理にとは言わないが」

 

「……隊長がやるというなら、やります。

わたしは十七小隊の隊員に所属していますので」

 

「そうか。

じゃあお前たちは先に野戦グラウンドに行っててくれ。

わたしはちょっとルシフに用がある」

 

「あ、隊長っ、ちょっと──」

 

 レイフォンの声が聞こえたが、レイフォンが全てを言う前に、ニーナはロッカールームを出た。

 あの場でレイフォンが言うことは、大して重要じゃないだろう。

 そう判断しての行動だった。

 本来なら、第十七小隊がまとまり始めるのはもっと先だった。

 しかし、ルシフという容赦のない性格の人間が現れたことで、第十七小隊の面々は火がついた。

 ──絶対に見返してやる。

 ──二度と生意気な口を叩けなくしてやる。

 ルシフという共通の敵が、ばらばらだった十七小隊を繋いだ。

 そこに同じ十七小隊所属のルシフが含まれていないのは、なんたる皮肉か。

 第十七小隊にとって、ルシフは自分たちという存在を認めさせる相手になった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 シャワールームは男女共用だ。中央に長椅子が三つ置かれて、左右にずらりとシャワーがある個室が並べられている。個室の扉は、閉めきらないよう隙間があった。

 ルシフはシャワーを浴びながら、自分を落ち着かせるように息をついた。

 何故あんなにも第十七小隊に腹が立ったのか?

 ルシフは分かっている。第十七小隊の面々の実力があの程度ではなく、もっと上にいけることを。

 つまり、期待していたからこそ、あんなにもイラついた。あの程度の訓練くらいなら容易くこなしてほしかった。

 ニーナのことをルシフは言えない。ルシフとて、ニーナ同様勝手に第十七小隊を高く見積もっていたのだ。

 

(頭を冷やせ……俺は廃貴族を手に入れるために第十七小隊に所属したのだ。

それまであいつらとは適当に接していればいい)

 

 ルシフはいずれこの世界を統べる王になるつもりだ。その時、第十七小隊はおそらくそれを止めようとしてくるだろう。

 最終的に敵になる連中と仲を深めたところで意味はない。

 そんなことを考えている最中、シャワールームの扉をノックする音が聞こえた。

 

「ルシフ、入るぞ」

 

 ニーナ・アントークの声だ。ニーナはシャワールームの扉を開け、シャワールームの中に入る。

 そして、ルシフがシャワーを使っている個室の前まで歩いてきた。

 ルシフはニーナに背を向けて、シャワーを浴び続けている。

 ニーナから見ると、ルシフの姿は頭と膝から下が見えている。

 

「ルシフ、お前がわたしに腹を立てた気持ちは分かる。わたしは確かに指示らしい指示を出していなかった」

 

「…………」

 

「目の前の自動機械に気をとられて全体を把握できず、目の前の自動機械を倒すことだけしか考えられなかった」

 

「……………………」

 

「わたしが弱いからだ。お前のようにどんと構えて、落ち着いて闘えない。目の前で起こったことに焦る。周りの隊員たちのことが頭から消える。

だから──わたしを鍛えてくれ。お前は性格はともかく、武芸の腕はわたしの目指すところにいる。

必死にお前に食らいついていくつもりだ。

だから──」

 

 その先の言葉が、ニーナは出てこなかった。

 いや、ニーナはもう言いたいことは全部言った。その先の言葉など、あるわけがない。

 シャワールームの中は、シャワーの水が床を叩く音だけが響く空間になった。

 

 ──駄目か……。

 

 ニーナは僅かに顔を俯けた。

 ルシフが人を教えるわけないとなんとなく分かっていたから、この程度の落胆で済んでいるが、がっかりしたという気持ちは誤魔化せない。

 

「ニーナ・アントーク、稽古をつけてほしいなら、別に構わんぞ」

 

 ニーナの顔が弾かれたように上がり、扉越しにルシフを見た。

 ルシフは先と変わらず、ニーナに背を向け続けている。

 

「本当に良いのか?」

 

「貴様、俺を誤解しているだろう。俺は必死に頑張ろうとする奴を、馬鹿にしたことは一度たりともない。その覚悟が本物か、試すことはあってもな」

 

 ルシフが気に入らないのは、弱者に一方的につっかかりでかい顔をする奴と、身の程をわきまえず好き勝手する奴と、つるんで大人数で調子にのる奴だ。

 そういう奴らは一切の慈悲なく粉砕する。自分たちが何をしていたのか、その身をもって味わわせる。

 しかし、それ以外の奴に関しては刃向かう奴以外、そうする気が起きないし、何かを求めてきても、一方的にそれをはねのける気もない。

 

「──ありがとう、ルシフ! 恩に着る!」

 

 ニーナの顔がぱっと明るくなり、軽く頭を下げた。

 ルシフはニーナの方に身体を向け、ニーナの顔をじっと見る。

 頭を上げたニーナはそれに気付き、怪訝そうな顔をした。

 

「それにしても──」

 

「……なんだ?」

 

「まさか貴様にシャワールームを覗く趣味があるとは、夢にも思わなかった」

 

「ば、ばかっ」

 

 ニーナはそこでようやく、自分がどういう状況か客観的に把握した。

 二人きりのシャワールーム。男がシャワーを浴びている個室の正面に立つ女。

 第三者が見たら、男を覗こうとする女に見えなくもない。

 

 ──そうか、レイフォンはこれを言いたかったのか。

 

 それをようやく悟ったが、もう遅い。

 ニーナはこうと目的を定めたら、他のことが一切見えなくなるタイプだった。

 なるべく早くルシフに鍛えてほしいと伝えたかったために、見境なしにこの場所に来た。

 ルシフしかいないからという理由もある。さっきの言葉を他の人間に聞かれるのは恥ずかしかった。

 ニーナは顔を真っ赤にして、シャワールームから出ていこうと早歩きした。

 

「ニーナ・アントーク」

 

 その背に、ルシフの声がぶつけられる。

 

「な、なんだっ」

 

 ニーナは振り向かず、足も止めない。

 

「赤くなった貴様の顔──可愛かったぞ」

 

「うるさいっ!」

 

 ニーナはシャワールームの扉を開け、シャワールームから出ると乱暴に扉を閉めた。

 全くあいつは……全く!

 いきなり何を言い出すのだ!

 あんな歯の浮いたセリフを言う奴とは思わなかった!

 だから、顔が熱いのは怒りのせいだ。そうに違いない。

 ニーナは野戦グラウンドに出て、自分を待っている第十七小隊の元に近付いた。

 

「……あれ? 隊長、なんか顔赤くないですか?」

 

 レイフォンが、不思議そうに尋ねる。

 

「なんでもない」

 

 シャーニッドが意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「レイフォン、訊くな。

ニーナはうぶなんだ。あいつのシャワーシーンを見て興奮しちゃったんだよ」

 

「……シャーニッド、わたしの鉄鞭をそんなに受けたいとは知らなくて済まなかったな。

安心しろ、今からたっぷり受けさせてやる」

 

 氷の如く冷たい表情をしているニーナ。

 シャーニッドは顔に冷や汗を浮かべながら、レイフォンの後ろに隠れた。

 第十七小隊が訓練を再開したのは、結局それから十分後のことだった。

 

 

 

 ルシフはシャワーの水を止めて、扉付近に掛けられていたタオルを手に取り、頭に乗せて髪をごしごしと拭く。

 意外に思うかもしれないが、ルシフは人を鍛えるのが好きだ。

 人を鍛える行為とは、言い換えれば自分の分身を創るような感覚に近い。自分を楽しませる相手に成長する可能性もある。また、鍛えることによって見えてくる新たな一面も、ルシフが楽しみにしている理由の一つ。

 結局のところ、ルシフは他人を知ることが好きなのだ。それも上辺ではなく根っこの部分。

 そうして、自分の創る世界に必要か不必要か判断する。ある意味人材マニアといってもいい。

 なんにせよ──。

 

(廃貴族を手に入れるまでに、いい暇潰しができた。

廃貴族をその身に宿した意志の強さ──俺に見せてみろ)

 

 原作では、最終的にニーナが廃貴族をその身に宿す。

 ニーナを知れば、廃貴族を手に入れる可能性が高まるかもしれない。

 ルシフは微かに唇の端を上げた。

 そして、それから数日後、ついに小隊の対抗試合の日がやってきた。




原作キャラの、しかも主人公サイドを役立たずって……。
ルシフは動かすたびに頭が痛くなります。
しかし、最悪な性格のせいか、第十七小隊の反抗心をこれでもかというくらい煽り、結果として原作より早く十七小隊がまとまってきています。ルシフを除いて。

ルシフ……涙拭きなよ。ハンカチやるから。

あと、ルシフはかなり女好きです。
ま、まぁ欲望に忠実なんで……。

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