ルシフに襲いかかってきた武芸者の集団。
その中にはハイアの姿もあった。
ハイアは一昨日、ルシフを待ち伏せしている場所に誘導してほしいとカリアンに交渉を持ちかけた。
カリアンが交渉に乗るメリットは、いつ暴走するかも分からない廃貴族の処理と、しばらくの間サリンバン教導傭兵団がツェルニを無料で護衛することにより得られる安全の確保。
サリンバン教導傭兵団側のメリットは何もない。言うなれば、タダ働きである。
『善意』で厄介事に手を出した。
カリアンから見ればそういう風に見えるよう、ハイアは交渉を進めた。
もちろん本心は金銭など幾ら積んでも手に入らない廃貴族をグレンダンに持ち帰り、サリンバン教導傭兵団の宿願を果たすところにある。
結果的に、カリアンはハイアとの交渉に乗った。
ハイアと協力することで、ルシフをツェルニの外に出したかったわけではない。というより、ルシフ相手にそんなことは出来ないと、ルシフが戦う映像を何度も観てきたカリアンは確信していた。
カリアンの狙いは、サリンバン教導傭兵団の機嫌を損ねず、ツェルニとのコネを作ることだった。
サリンバン教導傭兵団は他都市でも名高い優秀な武芸者集団。そんな彼らと繋がりを持てれば、ツェルニが危機に瀕した際、有効なカードになると考えた。
故に、あえてカリアンの目的をあげるとすれば、交渉に乗りご機嫌を取るのが目的だったと言えよう。ルシフがサリンバン教導傭兵団の手に落ちるかどうかはどうでもいいのだ。
しかしハイアに、そんなカリアンの本心は見抜けない。彼はサリンバン教導傭兵団というブランドに絶対の自信を持っている。
サリンバン教導傭兵団を敵に回すと恐ろしい。
各都市がそういうイメージを持っているらしく、自分たちの取引を無下にされたことなど、今まで一度もない。
カリアンも我が身可愛さで交渉に応じたのだろう、とハイアは当然のように思った。
ハイアは内力系活剄の変化、水鏡渡りでルシフに肉薄。刀で斬りかかる。ルシフは半身になり回避。続けて別方向から襲いかかってきた武芸者の攻撃もルシフは受け流す。
完璧な連繋で攻め続けるサリンバン教導傭兵団。
ある一人が仕掛ければ、その一人をフォローするように複数の団員もそれぞれ少しずつタイミングをずらして攻撃を仕掛ける。フェイントを織り交ぜ、誰が本命か悟らせないようにもしている。
世界最強の傭兵団全員の本気の連繋。
学生都市に住む一学生にはもったいない、豪華過ぎる
しかし、どうやら彼の口には合わなかったようだ。
どの攻撃も彼の前ではかわされた。
迫り来る斬撃と打撃、それらの間を縫って飛び込んでくる剄弾。
物理的によけられない攻撃の厚さ。
ルシフはその隙間もない程の圧倒的な手数の攻撃を、最低限の受け流しと体捌きで防ぎ続けた。
彼の手に錬金鋼は未だに握られていないにも関わらず、サリンバン教導傭兵団の攻撃は彼の両手以外の部分に触れていない。
ハイアも刀を振るい、何度も何度もルシフに斬りかかっているが、そのどれもが空を切った。
──な、なんさ? こいつ……。
ハイアは内心で驚愕していた。
以前刀を交えた時と動きがまるで違うのだ。以前は真っ正面から敵の攻撃を受け止める、例えるなら岩や鋼鉄のような屈強にして剛力な戦い方。
今は水の流れのような流麗で柔軟な戦い方である。第三者が見れば目を奪われてしまう美しさも兼ね備えていた。
不意にゾクリと、ハイアの背筋に悪寒が走った。
「──ッ! 全員下がれ!」
直感が警鐘を鳴らし、ハイアの全身から汗が噴き出した。
ハイアはルシフから飛びずさり、それと同時に全団員に攻撃を中断するよう指示を出す。
その指示に従い、全団員は攻撃を止めルシフから数メートル距離を取った。
その瞬間、ルシフから大量の剄が天に昇った。ルシフ本来の赤色の剄ではなく、黄金色の剄が。
ハイアはルシフから視線を逸らさず、次の動きを窺う。
ルシフの口元が微かに動いた。
それは音としてハイアの耳に届かなかったが、口の動きで言葉は届いた。廃貴族──と。
「うぐっ……お前……この俺を……アアアアアッ!」
ルシフが胸を掻きむしり、苦し気に呻く。
何かを抑えるように前屈みになり、何かを堪えている。
しかし、その抵抗も無駄だったようで、やがて掻きむしっていた両手はだらりと下がり、ルシフの身体から力が抜けた。
そして、そのルシフの背後に現れたのは──。
ハイアがごくりと唾を呑みこんだ。
それは期待からではなく、恐怖と緊張からきた行為。
「は、廃貴族だって!? ホントに暴走したさ!」
太く曲がりくねった角を生やし、人間のような瞳をして、ルシフの身長に匹敵する胴体をもつ黄金の牡山羊。
その牡山羊がルシフのすぐ後ろに立っている。ルシフの瞳に光はなく、ルシフの顔に表情もない。
完全に廃貴族に身体を乗っ取られた。
サリンバン教導傭兵団はそう確信する。
やはりこの男の身柄を確保することが、サリンバン教導傭兵団の目的を達成できる手段なのだ。
ハイアは刀を構え、サリンバン教導傭兵団も顔に浮かんだ汗と緊張に支配されそうになる身体を必死に制御して、ルシフの動きに注目する。
必ず捕らえる。
サリンバン教導傭兵団の誰もがその覚悟を胸に秘めながら。
しかし、現実は非情である。
そんな彼らの思いなど、道端に落ちている石ころ同然の価値しかない。
廃貴族に操られたルシフが一瞬で包囲している内の一人の懐に飛び込む。
下から突き上げられる右拳が腹部にめり込み、血を吐き出しながら武芸者の身体が浮き上がる。浮き上がったその胴体に、もう一方の左拳が叩き落とすように上から振り下ろされた。
武芸者の身体は左拳と地面の両方に強打され、ひび割れた地面の中心に倒れた。肋骨とあばらは粉々に砕け、口から血を垂れ流しながら全身をピクピク震わせている。
そうなって初めて、サリンバン教導傭兵団の団員たちはルシフの方に顔を向けた。誰一人として、ルシフのこの一連の動きを捉えられていなかったのだ。団長であるハイアですら。
しかし、彼らの視線の先にルシフはもういなかった。
「う、うあああああっ!」
すぐ近くから聞こえた悲鳴。強烈な打撃音と一瞬よぎる影。後方にある廃ビル崩壊。人が飛んでいった。理解。打撃音がした方をハイアが見る。ルシフの姿はない。
「ごぶッ……!」
別方向からの呻き声。
声が漏れた方を見る。
建造物の廃虚に人間が突き刺さっていた。
「がはっ」
「ぐっ……!」
「あうっ!」
「ぐえぇ……」
兄、姉と慕っている団員たちが、次々に変わり果てた姿にされていく。
腕や足が奇妙な方向に曲がり、白目を剥いて横たわっていく。
視界いっぱいに赤が舞っていて、この空間を彩っている。ハイアの隣にいた団員が消えた。表情の抜け落ちたルシフの顔が間近にある。団員の顔面を殴り飛ばしたらしい。殴られて舞った団員の血が、ハイアの横顔に付着した。
「……え? あ……ああ……」
恐怖に染まりきったハイアの口から漏れた声。
ハイア以外の団員はものの数十秒で全員行動不能の重傷を負った。ハイア以外に立っている団員はいない。
廃貴族を背後に控えたルシフの右手が、ハイアの首を掴んだ。
「……この……バケモノ……!」
ルシフがハイアを頭から地面に叩き落とす。
「……ッ!」
倒れたハイアの横腹を、ルシフがボールでも蹴るように蹴り飛ばす。
「げぇ……!」
ハイアの身体は地面を転がりながら建造物に突っ込んでいった。
「……ごほっ……ごほっ!」
ハイアの身体がぶつかって壊れた壁の破片。自分の身に降り注いだそれらを咳き込みながら両手でどかす。
自分の近くに落ちている愛刀を拾い、握りしめた。
刀を支えのように使って立ち上がる。
ハイアは牡山羊をバックに立つルシフを恐怖に染まった瞳で見た。
それから、ハイアは視線を周りにさまよわせた。
地面が大量の血で赤く染まり、その上に団員たちが、家族たちが変わり果てた姿で倒れている。
この光景を一言で表すならば、地獄絵図。
「……なんさ、これ?」
ハイアが口から血を吐き出す。
今のルシフの攻撃でどこかの内臓を損傷した。
「なんなんさこれはああああッ!」
更に口から血を吐き出す。
それでもハイアは叫んだ。
こんな筈じゃなかった。おれっちとアイツは互角だった筈なのに……。今頃倒れているのはアイツの予定だった。それが、『廃貴族の暴走』という予想外の事態で全部狂った。
──おれっちが身動きすらできず、動きを見ることすらできずに一方的に──。
ハイアの視界に捉えていたルシフの姿がぶれる。
「がはっ……」
そう思った時には、ハイアの腹にルシフの左膝が突き刺さっていた。
ハイアの身体が折れ曲がる。
折れ曲がって下がったハイアの顎に、流れるような動きで放たれた下から掬い上げる左手の掌底。
ハイアの身体が斜め上に飛ぶ。建造物の壁を頭から突き破り、ハイアの身体が建造物の内部を転がる。
ハイアはそれでも離さなかった刀を地面に突き立て、立ち上がる。
ハイアの視界の景色が揺れ、気付いたら地面に再び倒れていた。ルシフの掌底で脳を揺らされていたのだ。
ハイアから数メートル離れた正面に、牡山羊を纏うような姿で跳躍したルシフが立つ。
そこから一歩一歩確かめるように、ゆっくりとハイアに近付いてくる。
「ひっ……!」
ハイアは倒れているため、ルシフの足しか視界に映らない。
その足が、ハイアの目と鼻の先で止まった。
そして──ハイアの視界は一瞬にして漆黒の闇が広がった。
廃貴族をバックにしたルシフは足元を見る。
そこには手刀を叩きこまれ気を失ったハイアがいた。
ルシフは建造物の外に一瞬で移動。
流れた血で赤い絨毯が敷かれたように見える地面に立つ。
「ご苦労だった、廃貴族」
ルシフが一言そう口にした。
ルシフの背後にいた廃貴族が空気に溶けるように消え、ルシフの正面に立つ。
《……我には理解できぬ》
廃貴族に表情はない。
表情のない瞳がルシフを責めるように捉えている。
《汝の身体を乗っ取り、あの者らを蹂躙する。それが汝が我にした命令。それに何の意味があろうか》
ルシフはハイアと初めて刀を交えた後、廃貴族と話し合った。
その話し合いで決まったことは二つ。
一つ目は廃貴族と話す時、廃貴族は外に出てくること。
二つ目は次にサリンバン教導傭兵団と戦いになった時、廃貴族はルシフの身体を乗っ取りサリンバン教導傭兵団を叩きのめすこと。
つまり、ルシフは廃貴族にわざと乗っ取られたのだ。
「理由は二つ」
廃貴族の前で、ルシフは二本指を立てる。
「一つ目、お前が憑依した相手を操れるかどうか知るため」
ルシフは原作知識で廃貴族が憑依した相手を操れるのを知っていた。
それが正しいかどうか確かめるため、自分の身体を乗っ取らせ、自分は身体の力を抜いて廃貴族の好きにさせた。
そして、原作知識は間違いないと分かった。
廃貴族を利用し、他人を自分の思い通りにコントロール出来る可能性。
これはルシフにとってかなり重要だった。
「二つ目、ある人物を徹底的に叩き潰すため」
廃貴族は無表情のまま首を微かに傾げた。
サリンバン教導傭兵団を『廃貴族の暴走』という形で叩き潰したのが、何故ある人物を徹底的に叩き潰すことに繋がるのか理解できないようだ。
《やはり理解できぬ》
「だろうな。先を読もうとせず、人間を理解しようとせん奴には一生分からんに違いない」
ルシフは皮肉たっぷりに言った。
ルシフは都市中心にある建造物の時計を見る。あと一時間もすれば、第十七小隊と第十小隊の対抗試合が始まる。
ルシフは対抗試合が行われる野戦グラウンドに向けて歩き出した。
その隣を廃貴族も歩いている。電子精霊が歩く必要があるのかとルシフは思った。
そして、いつまでも自分の身体に戻らない廃貴族の様子に少しイラッときた。
「……分かった。お前にも理解できるよう説明してやる」
廃貴族は何も言わずに隣を歩き続けている。
その反応に気分を害した様子はなく、ルシフは口を開いた。
「奴ら──サリンバン教導傭兵団はお前の確保が目的だ。だが、自分たちでは確保できないと気付いた。しかし、廃貴族はサリンバンひいてはグレンダンの目標であり、容易く諦められない。
となれば、奴らは次にどう考える?」
《応援を呼ぶ……か》
「その通り。おそらくグレンダンに応援を求める。グレンダンに送られる手紙にはこう書かれるだろう。
『廃貴族の暴走により、確保に失敗した』と」
《まさか汝の徹底的に叩き潰したい相手とは……》
「察しの通り、グレンダンの女王だ。あいつだけは、死んだ方がマシだと思うような地獄を味わわせてやる」
《暴走したと教えることで、我を使いこなしていないように見せかけるわけか》
「そうだ。第三者から暴走したと伝えられることにより、信憑性も増す」
《そう上手くいくのか?》
「……何か勘違いしているようだな」
ルシフは廃貴族の方に顔を向ける。
「俺にとってはグレンダンの女王が信じようが信じまいがどっちでもいい。そうなった時点で俺の勝ちが確定しているのだからな」
廃貴族は黄金の粒子に変わり、ルシフの身体に吸い込まれていく。
《……それにしても》
ルシフの中から廃貴族の声が響いた。
《我が汝の言葉を聞かず、事が終わった後も汝の身体を乗っ取り続けるとは考えなかったのか》
自分の身体を完全にあけわたす。
それは一歩間違えば、廃貴族に身体を奪われる危険があった。
一度完全に身体のコントロールを奪われれば、それを取り返すのはルシフでも容易ではない。
それは力ではなく精神力の問題になるからだ。
「なんだ、そんなことか」
ルシフは大して気にもしない様子でそう言った。
「お前は俺を選んだ。ただの『器』ではない、存分に力を発揮出来る『器』を。ならば、乗っ取るなど考える筈もない」
──この男は我を信じたのか。
廃貴族の中に、言い知れぬ感情が渦巻く。
おそらく人間の感情に当てはめるなら困惑という感情が一番近いだろう。
この男は初めて会った頃から、我を『道具』、『ただの力』として見ない。
そう見ているなら、我に乗っ取らせるなど考えられる筈がない。
そんな回りくどいことをせず、乗っ取られたように見せかけるだけで目的は果たせるのだから。乗っ取られるリスクをわざわざ冒す意味がない。
──変わり者だな、やはり。
廃貴族は胸中で呟いた。
それからしばらくして、野戦グラウンドの出入り口が見えた。
出入り口付近にはマイがいる。
マイはルシフの姿に気付くと、ツインテールを揺らしてルシフの方に駆け寄ってきた。
「こんにちは、ルシフ様。早く中に入りましょ!」
「ああ、そうだな」
ルシフは野戦グラウンドの観客席がある方に歩を進めた。その後ろをマイがついてくる。
第十七小隊と第十小隊の対抗試合はあと五分もしない内に始まる。
そのためか、観客席は全て埋まっていた。
「席、空いてませんね」
マイはキョロキョロと周りを見渡す。
ルシフは最上段の観客席の後ろに立った。
「たまには立ち見でもいいだろう」
「そうですね」
マイはルシフの隣に立ち、グラウンドを見下ろした。
すでに第十小隊と第十七小隊は初期配置の状態で睨み合っている。
そして、試合開始のサイレンが野戦グラウンドに鳴り響いた。