鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第16話 理想の形

 剄羅砲が火を噴いた。

 それは極秘で開発されていた対汚染獣兵器である。

 凝縮された剄の砲弾が青白く光り、汚染獣3体へと撃ち込まれる。

 汚染獣は砲弾を胴体で受け止め、そのまま後ろに吹き飛んだ。

 汚染獣の胴体を傷付けることには成功したが、汚染獣を倒しきれていない。

 

「……もっと威力を上げなければ、汚染獣に通用しないか」

 

 剄羅砲はつい最近使える段階になった兵器であり、前回の幼生体と合わせて2度目の使用であるが、武芸者数十人の剄を集めた程度では、汚染獣の硬度を完全に凌駕できない。

 試射すらしていない、2度の実戦投入。

 それにより、汚染獣に対してどれだけ有効なのかを結果的に知れた。

 もっと改良する余地があるなと武芸長のヴァンゼは感じ、ヴァンゼは汚染獣3体を見据えた。

 汚染獣は怒りの咆哮をあげ、低空飛行でこちらに向かってくる。

 あまりの恐怖に背筋が凍った。

 だが目は決して逸らさない。

 その目の前を、多数の念威端子とマイが乗った念威端子のボードが横切っていく。

 

『射撃部隊は汚染獣一期2体の足留めを!

私は汚染獣二期の相手をします!』

 

 通信機からマイの指示が飛ぶ。

 

「全員マイ・キリーの指示に従え!

でなければ生き残れんぞ!」

 

 ヴァンゼはマイの指示のすぐ後に通信機に叫んだ。

 マイは二年生であり、それより上の学年の生徒は命令されるのに反感を覚える可能性がある。

 こう言えばマイに従うのはヴァンゼの指示となり、年下に従う屈辱を緩和できる。

 

『ありがとうございますヴァンゼ武芸長!』

 

「礼は不要だマイ・キリー。それが正しいと俺が判断した。

俺たち第一小隊はお前の援護を可能な限り行う」

 

『助かります!』

 

 汚染獣を前にしても、マイの声から恐怖は感じられなかった。

 

「……どうしてそんなに平然といられる? 汚染獣と戦う時のコツでもあるのか?」

 

『死んでください』

 

「……何?」

 

 ヴァンゼは己の耳を疑った。

 コツを訊いただけなのに死ねとは、余りにも度が過ぎる言葉だ。

 

『生きたければ、死んでください。

死から逃げるのではなく、死を受け入れた上で死に立ち向かってください。

これが、汚染獣と戦う時に必要な覚悟です』

 

 死から逃げようとすれば、恐怖に身体が呑まれ、身体の動きが鈍くなる。

 生に執着すれば、それが隙になり身を滅ぼす。

 死人。

 生を捨てた人間だけが至る境地。

 身体は死の恐怖を感じて鈍らず、頭は常に冷静に最善手を迷いなく選べる判断力を持つ。

 そうか……。

 その覚悟こそ、武芸者が! 弱者が強者に立ち向かうために必要なものか!

 ヴァンゼは右手で持つ身の丈程の大きさの棍を頭上に掲げた。

 

「行くぞ第一小隊! 最強小隊の実力を汚染獣どもに教えてやれ!」

 

「了解!」

 

 近くにいる第一小隊の面々から力強い返事が返ってきた。

 ヴァンゼは表面上は恐怖を抑え込んだ隊員たちを誇りに思い、微かな笑みを一瞬浮かべた。

 しかしすぐに表情を引き締める。

 

「第一小隊の後方にいる武芸者たちは、第一小隊のフォローに入れ! 近付きすぎるなよ」

 

『り、了解しました』

 

 隊員とは違うぎこちない返事。

 まあ、無理もないとヴァンゼは思った。

 戦えるイメージが微塵も持てないのだろう。

 それは、自分も含めた第一小隊も同じだった。

 士気を上げるためには、自分たちも戦えるのだという自信。

 それを感じさせるものが無ければならない。

 そして、気付く。

 念威操者を最前線に行かせたルシフの真意に。

 剄で肉体強化もできない念威操者を、あえて最前線に立たせた理由を。

 

(ルシフ・ディ・アシェナ。お前は何なんだ? 何を考えている?)

 

 ツェルニを守りたいのか?

 なら何故幼生体が襲ってきた時は、己の欲望を満たすことを優先した?

 他人のことが大切なのか?

 なら何故他人の尊厳を踏みにじる?

 

「くそッ……!」

 

 ヴァンゼは余計な思考を振り払い、汚染獣に意識を集中する。

 棍を両手で持ち前方に構えた。

 

「総員! 俺たちがツェルニを守るぞ! 突撃ィィイイイイ!!」

 

 全員が各々の武器を構え、己を奮い立たせるために声を上げ、汚染獣3体目掛けて駆ける。

 あと二百七十秒、彼らだけで食い止めなければならない。

 

 

 マイ・キリーはすぐ間近まで迫っている雄性体二期を鋭い眼差しで睨んだ。

 雄性体の姿は、基本的にトカゲのような胴体に羽が生えたような姿。

 脱皮を繰り返す毎に身体は大きくなるが、そこは変わらない。脱皮で姿が劇的に変わるのは、老性体からだ。

 マイは老性体との戦闘経験はない。ルシフもそうだ。マイの汚染獣との戦闘経験は雄性体と幼生体のみ。

 その経験の中で、マイは知った。

 自分は汚染獣を殺せないと。

 マイの念威端子による斬撃は、錬金鋼(ダイト)の硬度に依存している。

 剄を流して錬金鋼を強化出来る武芸者と違い、念威操者であるマイはそれが出来ない。

 つまり錬金鋼以上の鋼度をもつ敵に対して、マイは無力になる。防御に特化した武芸者にも、同じことが言えた。

 ルシフはレイフォンを除いたツェルニの全ての武芸者を相手にできると言っていたが、それには前提条件がある。

 その条件が、この情報を知られていないことだ。

 ツェルニにも防御に特化した武芸者がいる。ニーナも防御に特化した武芸者の一人だ。

 正直、この情報さえ知っていれば、マイは恐れるに足らない相手になる。

 だからこそ、マイが汚染獣に対して攻撃できる箇所は限られている。

 間近まで迫った雄性体の死角から、念威端子の刃が襲いかかる。刃は雄性体の右目に突き刺さり、雄性体は激痛で地面に落下し、身体を起こして咆哮をあげた。

 右目を潰した時には、マイは方向転換をして、雄性体から距離をとっている。

 

「汚染獣との戦闘の時は、囮役を決めてください!

囮役が汚染獣を引き付け、その隙にアタッカーが攻撃を叩きこむ。汚染獣の標的がアタッカーに向いたら、まとまらずに散開して、標的になったアタッカーが囮役になる。

これをずっと続ければ、無傷で汚染獣を足留めできます!」

 

『了解した! 全小隊の隊長が最初の囮役になれ!』

 

『了解ッ!』

 

 マイの指示に、ヴァンゼと小隊長たちの力強い返事が返ってきた。

 マイはマイ自身を囮にして、念威端子をアタッカーにした。

 そうすることでなんとか汚染獣と戦える。

 マイの指示は明瞭であり確実だったが、それで汚染獣の脅威は消えるかと言われれば、別にそういうわけでもない。

 そもそも、汚染獣の方が動きが速いのだ。

 連繋が一瞬でも遅れ、汚染獣の動きを止められなければ、その間に近場にいる武芸者がやられるだろう。

 マイは念威で見た。

 囮役として雄性一期に近付いた隊長が、雄性一期の尻尾で吹き飛ばされるのを。

 雄性一期は追撃しようとしたが、周囲にいた小隊員が側面から剣や槍を打ち込み、それを阻止。

 しかし、今度は彼らが近付きすぎた。

 雄性一期は彼らに向かって鋭利な爪を横凪ぎに払う。

 それを各々の武器で防いだが、勢いまでは殺せず後ろに吹き飛んだ。

 彼らの身体には所々に爪痕が刻まれ、そこから血が流れている。

 幸い射撃部隊が再び集中砲火を浴びせたことで、雄性一期は彼らに止めをさせなかった。

 だが、彼らにこれ以上の戦闘はできないだろう。すぐさま隊長共々後方に下がるように指示をされ、彼らは悔しげな表情で後退した。

 他の雄性一期のところも似たような戦況だった。

 射撃部隊が集中砲火をするが、ダメージは通らず、僅かな足留め程度の効果しかない。

 その隙を突き、近距離武器の武芸者たちが一斉に攻めるも、雄性一期が暴れ出すと次々に傷を負ってその場からの撤退を余儀なくされた。

 まだ死者が出ていないのは、数の多さのおかげか。

 烏合の衆だが、仲間を死なせないという気迫だけは一人前だった。

 だからこそ、仲間が倒れれば、執念で汚染獣に対して全員で猛攻撃し、ぎりぎりのところで仲間の命を繋いでいる。

 

『あれから何秒経った!?』

 

『百秒! まだ二百秒もある!』

 

『クソッ、有効打を与えられない! このままじゃ死者が出るぞ!』

 

『今は時間など考えるな! 目の前の敵に集中しろ!』

 

 通信機からは絶えず怒号と悲鳴が聞こえてくる。

 マイは雄性一期2体の情報を得ながらも、雄性二期を注視する。

 この調子なら、雄性一期に関しては外縁部で足留めさせ続けられる。

 問題は雄性二期。

 片目を潰したとはいえ、動きは鈍くなっていない。それどころか、それに対しての怒りで最初よりも動きが良くなっている。

 ヴァンゼら第一小隊や第十小隊は奮戦しているが、それ以外の武芸者は雄性二期の激しい動きに近付けず、離れたところからその戦いを眺めるしかない状態になっていた。

 第一小隊と第十小隊にしても、優勢ではなく防戦一方であり、雄性二期の攻撃を防ぐだけで精一杯で、雄性二期に攻撃できていなかった。

 マイは念威のボードを再び雄性二期の方へと向ける。

 

「……ふー……ふー……」

 

 意識して呼吸し、冷静さを保つ。

 簡単に自分を潰せそうな巨体に心が呑まれないよう、眼前の脅威に集中する。

 禿頭の男、第十小隊隊長が雄性二期の突進で吹き飛んだ。

 

「ディンッ!」

 

 ダルシェナの悲鳴に似た叫びが聞こえた。

 しかし、そんなにディンという男を心配する必要はないと、マイは思った。

 彼は吹き飛ぶ寸前で、先端に尖った(おもり)がある幾本ものワイヤーを操り、それを自分の正面で編むようにして盾を創っていた。

 あれならば、雄性二期の突進の衝撃はだいぶ緩和されている。

 それより納得いかないのは、ダルシェナの動きである。

 ディンが吹き飛んでから、明らかに精彩を欠いていた。

 

 ――ダルシェナ様、そんなザマでは死にますよ。

 

 結局ダルシェナは、昔と本質は変わっていない。

 気丈な女に成長しても、根っこの部分は昔と同じく臆病で、誰かの安寧の元でしか自分に自信を持って振る舞えない。

 しかし、見捨てるわけにはいかない。ルシフは死者を出さないことを望んでいると、マイは確信しているからだ。

 雄性二期が、茫然自失になりかけているダルシェナに牙を向ける。

 そのままダルシェナを噛み千切ろうと、雄性二期は大口を開けた。

 マイは低空飛行でダルシェナを両腕で掴み、間一髪のところで雄性二期の牙からダルシェナを救った。

 

「……(おも)っ……」

 

「重くないッ!」

 

 マイから思わず漏れた言葉に、ダルシェナは顔を真っ赤にして反射に近い速度で返した。

 マイは雄性二期の牙から逃れたら、低空飛行の状態からダルシェナを掴んでいた両腕を緩め、地面に落とした。長くダルシェナを持てないと悟ったからこその判断だった。

 ダルシェナは危なげなく着地。

 

「マイ、すまない! 恩に着る!」

 

「いえ――ッ!」

 

 マイは反射的に自分の眼前で念威端子を組み合わせ、念威端子の盾を創った。

 雄性二期の攻撃対象が、マイに変わっていたのだ。

 雄性二期の爪が高速でマイへと振るわれる。

 

「きゃッ……」

 

 爪は念威端子が防いだが、創った盾がマイを押し潰す凶器に変わり、マイは自分が創った盾にぶつかり、念威端子のボードから落ちて、地面に尻餅をついた。

 雄性二期のもう一方の腕が、頭上からマイに振り下ろされる。

 マイの身体能力で、それは避けられない。

 

 ――私、ここまでみたい……。

 

 自分の死を確信したマイは、振り下ろされる腕をただ見ている。

 

「マイ・キリー!」

 

 ヴァンゼがマイに飛び付いてその場から退避。雄性二期の攻撃を避けた。

 ヴァンゼはマイを押し出すようにし、マイの身体が一回転して前方に転がった。

 ヴァンゼはバランスを崩したらしく、雄性二期の近くで膝をついている。

 マイはすかさず飛び起き、後方を振り返ってヴァンゼを見た。

 その表情は、助けられたことに感謝している表情……ではない。怒りと屈辱がごちゃ混ぜになったような、普段のマイからは想像できない表情。

 

「……触られた……ルシフ様以外の男に……」

 

 汚い私が、もっと汚くなる。もっと穢れてしまう。

 嫌、そんなの嫌!

 

 ――殺してやる!

 

 雄性二期の方ではなく、ヴァンゼの方に錬金鋼の柄を向ける。

 狂気に染まったマイの顔が、ヴァンゼを睨む。

 その時、錬金鋼の柄が視界に入った。

 

『……頑張ってこい。俺もすぐに行く』

 

 脳裏を、ルシフが通信で言っていた言葉がかすめた。

 そうだ。私はあの頃の、何もなかった頃の私じゃない。

 私はルシフ様の――。

 

「うわああああッ!」

 

 絶叫することで発狂しかけた自分を抑え、錬金鋼を操り念威端子を動かす。

 多数の念威端子は一直線でヴァンゼに飛来し、一斉に念威端子が起き上がる。

 それらはボードのように組み合わさり、念威端子の腹の部分でヴァンゼを雄性二期の攻撃範囲より外へと押し出した。

 それと同時に潰していなかった雄性二期の左目を、念威端子で潰す。

 雄性二期は絶叫し、激痛で身体をよじらせた。

 これで視覚は完全に奪った。

 だが、汚染獣は視覚だけでなく、嗅覚でも人間のいる場所を把握できる。

 そして、今一番雄性二期に近い場所にいるのがマイだった。

 雄性二期がマイの方を向き、口を開けてマイに噛みつこうとする。

 マイはそれを見ながら微笑した。

 

 ――私、頑張りましたよ……ルシフ様。

 

 マイに雄性二期の大口が迫る。

 雄性二期の側面を数人の武芸者が攻撃するが、雄性二期の動きを止めるほどの効果はなかった。

 マイの視界を埋め尽くす牙の大群。

 

 ――死んだら、ルシフ様は哀しんでくれるかな。

 

 そんなことを考えながら、マイは自分に死をもたらす牙をぼんやりと見た。

 しかし、マイを殺す筈だった牙は、エアフィルターを切り裂いて飛んできた紅く輝く何かに口を貫かれ、マイの眼前で雄性二期の口は閉じられた。

 それは、神が汚染獣に与えた天罰のようだった。

 雷のように一瞬で汚染獣を貫き、地面に縫い付けている紅く輝く剄の大槍。

 こんなことが出来る人物を、マイは一人しか知らなかった。

 マイの顔が満面の笑みに変わっていく。

 エアフィルターを再び切り裂き、一人の人影がツェルニに弾丸のごとく、飛び込んで来る。

 そして、マイの眼前で(こうべ)を垂れている雄性二期の頭上を踏みつけた。

 マイはあれから何秒経ったか確認する。百八十秒。

 最低でも三百秒かかるところを、ルシフは百八十秒までに縮めていたのだ。

 

「マイ、大丈夫だったか?」

 

 もう二度と聞けないと思っていたルシフ様の声。

 

「はいッ!」

 

 マイははじけるような声で、嬉しそうに返事をした。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 ツェルニ到着まで汚染獣が着いてから三百秒かかる。

 これは紛れもない事実だった。

 しかし、それは最後までランドローラーに乗っていた場合だ。

 ルシフはツェルニをフェイススコープ越しの肉眼で遠くに捉えた時、ランドローラーを蹴って遥か上空まで跳躍。

 そこから内力系活剄で視力を強化。

 ツェルニにいる汚染獣三体を捉え、マイが危機的状況であることも悟った。

 ルシフは剄を凝縮させて紅く輝く大槍を創る。化練剄で切れる性質を持たせて、それをマイの眼前にいる汚染獣目掛けて投擲。

 投擲したら、ルシフは身体を半回転させ、宙を舞っている汚染物質を、足下に剄を集中させて固める。

 化練剄を使い、足下の剄になんでも吸い付ける性質を持たせたのだ。

 そうして創った汚染物質の足場を思いっきり蹴り、ツェルニに迫る。

 蹴った勢いが少しでも弱まったら、また同じことをして足場を瞬時に創造し、蹴る。

 それをしたおかげで、ルシフはツェルニに着く時間を大幅に短縮させた。

 もはや化け物と呼ばれても仕方ない神業である。

 ルシフは真下にいる雄性二期を瞬時に八つ裂きにした。

 マイは起き上がって、雄性二期の残骸の中に佇むルシフに駆け寄り、ルシフの肩を右手で触れる。

 その時、ぬるっとした何かが、マイの右手に付着した。

 マイは右手をルシフの肩から離して、右手の平を見る。

 右手の平は、ルシフの血で真っ赤に染まっていた。

 

「……ルシフ……様?」

 

 マイは呆然として呟いた。

 確かに、ルシフのしたことは神業だった。

 しかし、これにはリスクがあった。

 それは、汚染物質を防いでいた剄の膜を纏いながら、この動きは出来なかったということ。

 顔や両手といった制服に隠れていない部分は、部分的になんとか剄の膜を纏えた。

 だが、制服に隠れている部分は守れなかった。服の隙間から汚染物質が入り込み、ルシフは汚染物質による全身火傷を負っていた。

 元々白と青が基調だったルシフの武芸科の制服が、今はどす黒く染まっている。

 ルシフはマイの声に耳を貸さず、マイの眼前から一瞬で消えた。

 内力系活剄、旋剄で残っている汚染獣のところに移動したのだ。

 そこからは一瞬の出来事だった。

 旋剄で雄性一期をすれ違いざまに剄の刃で切り殺し、最後に残っている雄性一期も同様に殺した。

 あれだけ苦戦していた汚染獣を瞬く間に始末したルシフに、武芸科の生徒たちは自身の無力さを感じていた。

 そしてこの男は、自分たちがどんな思いで戦ってきたかも考えず、ツェルニの武芸者をバカにするだろう。

 それだけ数がいて、こんな雑魚も倒せないのかと。

 そう考えるだけで、ツェルニの武芸者たちの気はどんどん滅入っていた。

 ルシフは無表情で、通信機に手を当てる。

 

「ヴァンゼ・ハルデイ。被害状況は?」

 

『今確認した。負傷者は多数いるが――死者はゼロだ』

 

「ほう……」

 

 ルシフは全身を襲う痛みを堪え、無理やり笑みを浮かべる。

 

「実を言うとな、俺は何人か死者が出ると思っていた。

貴様らの武芸者としてのレベルはあまりに低いと知っていたからだ」

 

 通信機から聞こえるルシフの声に、誰もが顔を歪め、悔しさをあらわにした。

 

「だが――貴様らは死者をゼロに抑えた。貴様ら一人一人が持てる力を全て出し切り、かつ強い精神力が無ければ、この結果にはならなかっただろう」

 

 あれ? と武芸者として戦った生徒たちは思った。

 てっきり汚染獣を倒せなかったのを罵倒してくると思っていたのに、これはまるで褒めているような――。

 

「貴様たち、よく頑張って戦った! 自分より強い相手に怖じけず、よく立ち向かった!

貴様たちはツェルニの誇りだ! 貴様たちの力が、ツェルニを守ったのだ!

ツェルニに住む一学生として、礼を言いたい! ありがとう!」

 

 感極まるとは、こういう気分を言うのだろうか。

 ツェルニの外縁部を、生徒たちの歓喜の雄叫びが包んだ。

 自分たちが戦ったのは無駄ではなかったと、ツェルニを汚染獣から救った男が言ったのだ。

 それも、いつも自分たちを見下している男から。

 

『何言ってんだよ! らしくねぇぞ!』

『こっちこそ、礼を言わせてくれ! 汚染獣を倒してくれてありがとう!』

『ルシフくん、カッコ良かったよー!』

 

 通信機から様々な声が聞こえる。

 

「礼を言われるほどではない。あの程度の汚染獣、俺には倒せて当然の相手だからな」

 

 出来て当然のことをした人間と、自分の力量だけでは出来ないことをやってのけた人間。

 どちらが褒められ讃えられるべきかを、ルシフはよく理解している。

 ルシフは絶対に謝罪しない。その代わり、相手を褒めたり讃えることに関しての抵抗はない。

 凄いと思ったり、頑張ったと感じれば素直に褒める。

 プライドの高いルシフがこんなことを出来る一番の要因は、そういう教育を幼い頃からされていたからだろう。

 ツェルニの生徒たちは、ルシフのことを見直した。

 前の時は自分の欲望を満たすのを優先して、汚染獣をなぶり殺していたが、今回は速攻で倒した。

 ルシフにとっても一番大切なのはツェルニを守ることであり、欲望を満たすための戦いはそれが前提での話なんだと、生徒たちは感じた。

 ルシフは普段通りの自身満々な表情を顔に貼り付け、自分の学生寮目指して歩き出した。

 身体中を襲う激痛を堪えながらも、周りに悟られないよう普段通りの立ち振舞いを意識して歩みを続ける。

 その間も周囲にいる生徒たちがルシフを褒め、ルシフに礼を言っていた。

 マイは、そんなルシフから2歩下がった後ろを付いていく。

 やがてルシフとマイの姿は、建造物の陰へと消えていった。

 

 

 ルシフがいなくなっても、生徒たちのルシフを褒め讃える声は途切れなかった。

 そんな光景を、中央部に近い外縁部後方で、生徒会長のカリアンが眺めている。

 その隣にはヴァンゼもいた。

 

「これだよヴァンゼ。彼が真に恐ろしいところは……」

 

 カリアンは静かな目で、そう呟いた。

 ヴァンゼは未だに震えている両手を握りしめる。

 

「ルシフのあの言葉を聞いた瞬間、俺の身体に震えがきた。あいつと共に戦うのも悪くないかもしれないと思った。

少し前までは、他人をなんとも思わない奴だと思っていたのにな」

 

「ルシフ・ディ・アシェナ。彼のカリスマ性は群を抜いている。たとえ性格や立ち振舞いに問題があっても、彼の為す圧倒的な結果は、それらをどうでもいいものにする。

彼ならばあの態度や性格も許せると、そう思ってしまうようになる」

 

 ルシフ・ディ・アシェナが本格的に行動し始めたら、生徒会長の名など何の力もない空虚なものに成り下がるだろう。

 彼の性格からしてずっと大人しくしている筈がないと思っていたが、今回の出来事を上手く利用された。

 

 ――だがルシフ君、忘れないでくれたまえ。たとえ非力でも、ツェルニを害するならどんな手を使っても君を排除する。……どんな手を使ってもね。

 

 カリアンは微かに唇の端を吊り上げた。

 

 

 ルシフは自分の部屋の扉を開け、自分の部屋に入る。

 マイも後ろに続いて部屋に入った。

 

「はぁ……マイ、扉を閉めろ」

 

 苦しそうに息を荒くしながら、ルシフがそう言った。

 マイは部屋の扉を閉める。

 扉を閉める音が聞こえたら、ルシフはその場に崩れるように倒れていく。

 マイは急いで駆け寄り、ルシフを後ろから抱き締めて支えた。

 そして、抱き締めたまま壁を支えにして床に座り込む。

 病み上がりで体力が回復していないにも関わらず、ルシフは無茶をした。

 汚染物質で身体中に火傷を負うという重傷。それを周囲に悟らせないよう堪え続けた精神力。

 既にルシフは限界にきていたのだ。

 一体誰が想像できるだろう。

 ここまで無茶をして、誰も死なせたくないというルシフの気持ちを。

 ルシフが誰よりも人の命を大事にしているという事実を。

 しかし、マイはそれを言いふらすようなことをしたいとは思わなかった。

 ルシフはそんなことを望んでいないと知っているからだ。

 マイ自身、自分だけがルシフを理解しているという優越感に浸りたい気持ちもあった。

 マイの制服は、ルシフの制服に滲んでいる血で赤くなっている。

 それを一切気にせず、マイはルシフを抱き続けた。

 

「ルシフ様、お疲れ様でした。本当に……本当に……!」

 

 ルシフは薄れゆく意識の中で、目線だけを動かしてマイを見た。

 

 ――マイ、お前に傷一つなくて……本当に良かった。

 

 ルシフは微かに笑みを浮かべて、そのまま意識を手放した。

 ずっとルシフの傍にいるマイですら――ルシフの本心に気付けない。

 それからしばらくの間、マイは身体を壁に預けながら、ルシフを抱き続けていた。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 汚染獣三体と戦った次の日の昼間。

 ルシフは再び入院して、病室のベッドの上で上半身を起こしている。

 ルシフの病室にはマイと、第十七小隊の面々がいた。

 

「全く……無茶をしてまた入院するとはな」

 

 言葉ではそう言うが、ニーナの顔は微笑んでいた。

 

「ルシフ、君がいてくれたおかげで、ツェルニを守れた。僕からも礼を言わせてほしい。ありがとう」

 

 レイフォンがルシフの傍にいき、頭を軽く下げた。

 ルシフは左手で、それを鬱陶しそうに払う動きをする。

 

「やめろやめろ。俺だけではツェルニは守れなかった。アルセイフ、貴様がいたから俺はこういう無茶が出来たんだ。

だから、ツェルニを守れたのは俺のおかげじゃない。

強いて言えば、この場にいる全員のおかげだ」

 

 ルシフのその言葉を聞き、その場にいる全員が微かに笑った。

 

(僕は、戦闘狂のサヴァリスに似ていると思っていた。でも君は、ツェルニのためにこんな無茶をした。君はツェルニを守るために戦える人間なんだと、今回のことで分かった)

 

 レイフォンはルシフの左手の近くで、自身の左手をあげた。

 ルシフは少し驚いた表情をしたが、すぐにその表情は勝ち気な笑みに変わった。

 

「今回だけだからな」

 

 ルシフはそう言って、レイフォンがあげた左手と自分の左手でハイタッチをした。

 

 

 その光景を、ニーナは微笑ましそうに眺めている。

 

 ――少し前まで、あんなに仲が悪かった筈なのにな。

 

 しかし今は、あんなことができるようになるくらいまで、仲が良くなった。

 バラバラだった第十七小隊は、今回の出来事で一つにまとまれた。

 

「おい、丁度いいからみんなで写真撮ろうぜ。ツェルニを守れた記念だ」

 

「なんですか、そのセンスのないネーミングは……」

 

「たはーっ、フェリちゃんは手厳しいねぇ」

 

 最終的にシャーニッドの提案を受け入れ、ハーレイがカメラをタイマーにしてセットした。

 そのカメラに入らないよう、マイは隅の方にいる。

 

「マイ、お前も入れ。こういうのは人数がいた方がいい。別にいいだろ、ルシフ?」

 

「構わんが……俺はあまりこういうのは好きじゃ――」

 

「わがまま言うな。写真に写るくらい、いいだろう?」

 

 ニーナの言葉に、ルシフは舌打ちする。

 その一方でマイの顔はぱっと明るくなり、ルシフの下に座った。

 ルシフはそんなマイを見て、苦笑する。

 そして、カメラのフラッシュが焚かれ、その光景を切り取った。

 ニーナは現像された写真を見て、微笑む。

 レイフォンの若干呆れているような笑み。シャーニッドの楽しそうな笑み。シャーニッドの腕の中で押さえられているような格好をして苦笑しているハーレイ。無表情で写っているフェリ。ベッドの上で苦笑しているルシフ。そのすぐ下で笑みを浮かべるマイ。そして――微かに笑っている自分。

 

(きっと第十七小隊は強い小隊になる。ここにいる全員で力を合わせ、どんな脅威にも立ち向かっていける、どこよりも強い小隊に――)

 

 この時のニーナは確かに――そう思っていた。

 写真に写る光景が、ずっと続いていくものだと信じていた。

 それが幻想だとも気付かずに――。




これにて、原作2巻の内容終了です。
ツェルニの生徒が、徐々にルシフに洗脳され始めました。
言うまでもありませんが、もしマイがツェルニにいなかったら、ルシフはあんな無茶をしていません。
それを周囲の人間が、自分たちの都合の良いように解釈しています。

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