鋼殻のレギオスに魔王降臨   作:ガジャピン

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第12話 ニーナの焦燥

 ニーナ・アントークは一人で機関掃除をしていた。

 班長の話では、レイフォンは都市警の用事でこっちのバイトは休みだという。

 都市警には臨時出動員と呼ばれる、いわゆる助っ人のような立場の枠がある。

 どうやらレイフォンはそれになったらしい。

 機関掃除という重労働のバイトに加え、時間が不定期になる仕事の臨時出動員。

 

 ――あいつは大丈夫なのか?

 

 その話を聞いて真っ先に頭に浮かんだのは、これだった。

 第十七小隊の中で、ルシフに近い実力をもつレイフォンが倒れたら――第十七小隊はどうなる?

 今のルシフがいない状況で、レイフォンまで欠けてしまったら――。

 

 ここまで考えて、ニーナは頭を振った。

 そもそもレイフォンを入隊させた当初は、レイフォンにそんなに期待していなかった。

 穴埋め要員で、訓練すれば使い物になるだろう程度の認識だった。

 それが今や、第十七小隊の主戦力として考えるようになっている。

 別にその認識が間違っているとは思わない。

 レイフォンは事実として、とんでもなく強い。

 問題なのはルシフにしろレイフォンにしろ、彼らの強さに依存している自分だ。

 彼らさえいれば、彼らの強ささえあればどんな相手にも勝てると思った。

 たとえ片方欠けたとしても、一人さえいればどんな小隊だって相手じゃないと思っていた。

 だが――敗北した。

 

 何故だ?

 

 自問する。

 

 何故負けた?

 

 答えは出ている。

 

 作戦だ。第十七小隊には作戦がなかった。

 第十四小隊の作戦とチームワークに、第十七小隊は負けた。

 チームワークも作戦も、はっきりいって自分がしっかりすれば手に入るものだと考えている。

 チームワークとはつまり、連携。

 シャーニッドもレイフォンもルシフも、指示されれば指示通りに動いてくれる。

 ルシフはその指示自体を認めない時が多々あるが、何故その指示を認めないのか、どういう指示を出してほしいかをしっかりと発言する。

 指示されて、気に入らないから何も言わずに指示を無視することは一切ない。

 フェリに関しては辛抱強く説得していくしかないが、自分がやる気を出して一生懸命やれば、いつかフェリもやる気を出してくれると信じている。

 要するに、自分がしっかり隊長として機能すれば、第十七小隊は強くなれると思う。

 敵との闘いの真っ最中でも隊員に指示を出せる冷静さと、フェリからの情報を処理して瞬時に戦術を思いつけるだけの経験と対応力。

 これらが自分に備わっていたら、きっと第十四小隊に勝てていた。

 なら、どうすれば身につく?

 どうすれば――。

 

「ん?」

 

 考え込み、モップを動かす手も止めていたニーナは、何かが自分の髪を引っ張る感触に我に返った。

 髪を引く何かが自分の後ろから首に抱きついている。

 背中に腕をのばし、ニーナは抱きついているものを掴んで前に持ってくる。

 

「なんだ、お前か」

 

 ニーナの髪を引っ張っていたのは、この都市の意識――ツェルニだった。

 電子精霊ツェルニは、幼い女の子の姿をしている。

 ツェルニはニーナを見て、ニコニコと笑っていた。

 ニーナもつられて笑みを浮かべた。

 ツェルニは機関部を抜け出して、よくニーナの元に会いにくる。

 

「なんでお前は、わたしになつく?」

 

 ニーナはそう言いながら、ツェルニを撫でる。

 ツェルニはニーナの言葉が分かっていないのか、ニコニコとした笑みのまま何も言わない。

 いや、ツェルニが喋ったことはニーナが接してきた中で一度もないため、答えないのは別に普通だ。

 ニーナはそれを承知している。

 だからツェルニが答えなくても、嫌な顔せず言葉を続ける。

 

「お前に出会えたのは、わたしにとって最高の喜びだ。

そして――お前に出会い、共に触れあい、共に笑えることは、わたしにとってとても新鮮で嬉しいことだった」

 

 ニーナはツェルニを抱き寄せる。

 ツェルニがニーナに会いにくるのは、きっと意識そのものに触れてほしいのだろう。

 都市に住む全てを愛しく思っているからこそ、ツェルニはこうしてこの都市に住むニーナに愛らしく接するのだ。

 

「だからわたしは――お前を守りたい」

 

 こうして触れあった。温もりも感じる。

 ニーナにとってツェルニは、ただ自分が暮らしている都市ではない。

 ツェルニという大切な存在がいる、大切な都市。

 都市が死ねば、この電子精霊も死ぬ。

 ニーナにそれは堪え難いものだった。

 絶対に自分がツェルニを守る。

 そこで気付く。

 ルシフもレイフォンも、自分より遥か高みにいる武芸者。

 だが、そんな彼らに頼ることなく、自分の力で、自分の手でツェルニを守りたい。

 そのためには、立ち止まっている暇などない。

 今よりもっと、もっともっと――。

 

「わたしは強くなるぞ、ツェルニ。

わたしの手でお前を守れるくらい、強く――」

 

 ツェルニに微笑みながら、ニーナは静かに呟いた。 

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 練武館にいたレイフォンとシャーニッドは目を丸くしていた。

 原因は、練武館の部屋に置かれている大剣。

 縦にすれば、レイフォンの身長同等の大きさになるほどの大剣だ。

 ただし錬金鋼(ダイト)で作られておらず、木でできている。剣身には鉛の重りが巻きつけられていた。

 おそらく錬金鋼でこの大剣を作った場合の重量と同じにしているのだろう。

 

「こいつはなんだ?」

 

「ちょっとしたテスト。少し前にやったレイフォンの調査の続き。

レイフォン、この剣使えるかい?」

 

 レイフォンは大剣の柄を握り、片手で持ち上げる。

 かなりの重量があるが、扱えない重さではない。

 

「なんとか、使えそうです。

2人とも、離れてください」

 

 レイフォンにそう言われ、シャーニッドとハーレイがレイフォンから離れる。

 レイフォンは正眼に構え、上段から振り下ろす。

 大剣が重いため、振り下ろした後に身体が揺れた。

 レイフォンは活剄で肉体強化をし、再び剣を振るう。

 だが、いつものように大気を斬れない。

 レイフォンはしっくりこない気分を味わいながら、下段からの切り上げや突き、薙ぎ払いなど、様々な型を試した。

 

「ふう……」

 

 一通り試したら、レイフォンは素振りを止めた。

 レイフォンの素振りで風が荒れ狂っていた部屋が、落ち着きを取り戻す。

 そこで部屋の扉が開き、フェリが現れた。

 

「……今隊長に会ったんですが、野戦グラウンドの使用許可が取れたらしく、今日はそちらで訓練だそうです」

 

「随分急だな」

 

「わたしに言わないでください」

 

 フェリは用件だけ伝えたら、すぐに部屋から去っていった。

 

「しっかしよぉ……なんでこんな(モン)作ったんだ?」

 

 シャーニッドがハーレイに尋ねる。

 

「基礎密度の問題で、このサイズになっちゃうんですよね。完成すれば、軽量化もできると思いますけど」

 

「へぇ、新型の錬金鋼作ってんのか。

あれ? ハーレイの専門って開発だったか?」

 

「僕は開発じゃありませんよ。僕と同室の奴がこの剣を考えたんです。

それに、開発自体が僕とレイフォンとそいつの3人で作るっていう条件で予算おりましたし」

 

「成る程な。なら、俺に手伝えることは無さそうだ」 

 

 レイフォンたち3人は部屋を出て、野戦グラウンドに向かった。

 

 

 

 野戦グラウンドはいつも通り終わった。

 自動機械との模擬試合を行い、3戦全勝。

 ルシフがいなくても、自動機械相手ならなんとかなる程度までは、連携が取れるようになった。

 シャーニッドの援護もしっかり出来ているし、フェリからの情報伝達も以前と違い、遅れていなかった。

 ニーナとレイフォンの連携も、食い違うことはなくなった。

 

「これで、今日の訓練は終了だ」

 

「お疲れ~」

 

「お疲れさまでした」

 

 シャーニッドはシャワールームに移動し、汗をかいてないフェリは、荷物を持ってロッカールームをさっさと出ていく。

 レイフォンは立ち上がり、練武館に戻ろうとする。

 訓練の後はニーナとルシフの3人で訓練していたからだ。

 今はルシフがいないため、2人で訓練していた。

 前衛は精度の高い連携が出来なければならないと、ニーナは考えていて、レイフォンはそれに異義がなかった。

 だから、レイフォンも訓練に付き合っていた。

 

「レイフォン、今日はもういいぞ。

しばらく、全体訓練後の訓練は中止する」

 

「どうしてです?」

 

「必要ないだろう」

 

 さっきの模擬試合も行動が食い違うことはなかったが、それは別にコンビネーションというわけではない。

 はっきりいって、息の合った連携には遠く及ばない。

 ニーナは息の合った連携を求めていると思っていた。

 しかし、必要ないという。

 やはりニーナに対して、違和感がある。

 それに、ニーナから拒絶されている感じがする。

 

「では、失礼します」

 

 レイフォンは内心ですんなりこの言葉が出てきたのに驚いた。

 「違う」と言うのは簡単だった。

 だが、ニーナが訓練に乗り気でないのに何か言ったところで、意味ないと思った。

 レイフォンは自分の荷物を持ち、ロッカールームから出ていった。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆    

 

 

 

 同じ日の夜、都市外縁部にニーナはいた。

 ここ最近は訓練が終わるといつもこの場所にきて、秘密の特訓をしていた。

 ニーナは錬金鋼を持たず、素手で様々な型を繰り出している。

 内力系活剄で肉体強化しながら、型に合わせて剄を一点に集中させたり、両足だけ他の部位より大きく強化したりと、ルシフと特訓するようになってからこういう動きばかりしている。

 ニーナが拳を地面に叩きつけると、地面にひびが入った。

 以前までのニーナなら、錬金鋼無しで地を割るなど出来なかったし、出来るとも思わなかった。

 こういうことが出来るようになったのも、ルシフとの特訓の成果だ。

 ニーナは身体を動かしてはいるが、頭は別のことを考えていた。

 ニーナは初めてルシフと特訓した日を思い出す。

 

 

 

 

 初めて特訓した場所は、野戦グラウンドだった。

 ルシフだけでなく、レイフォンもいる。

 

「アントーク、今日から俺が貴様とついでにアルセイフを鍛えるわけだが――」

 

「僕は連携訓練しかするつもりないけど……」

 

「貴様の話などどうでもいい。話の腰を折るな、アルセイフ」

 

 レイフォンはルシフから容赦のない言葉を言われて、少しむっとした。しかし、口には出さなかった。

 

「これから特訓の際は、錬金鋼の使用を禁じる」

 

「……お前と違い、わたしは錬金鋼無しで闘うなど出来ないぞ」

 

 正直、何を言ってるんだこいつはと思った。

 今まで自分がしてきた鍛練は、全て錬金鋼を使いながらやっていたからだ。

 ルシフは軽く息をつく。

 なんだその、一から説明せんと分からんのかと言わんばかりの目は……。

 

「――まあ、貴様のようなタイプは口で言うより、実際に見せた方が早いな」

 

 ルシフは右手の人差し指を上に向けた。

 自然と視線が人差し指にいく。

 そして、一瞬でその人差し指に膨大な剄が集まった。

 剄が、赤と白を混ぜたような強烈な光を放っている。

 

「剄の一点集中。貴様にこれが出来るか?」

 

「時間をかければ……」

 

 多分出来ると思う。自信がない理由は、一点集中をやったことが無いからだ。

 錬金鋼全体に剄を走らせたりする場合は多々あれど、錬金鋼の一部に剄を集めたことはない。

 

「はっきり言うが、剄量こそ武芸者の強さの基準であり、強くなるうえで避けては通れない問題だ。

しかし、剄量は生まれながらに大体決まっていて、成長すれば多少増えるが、劇的に剄量は変わらない。

ならば、どうすれば強くなれる?」

 

「限られた剄量をいかに効率良く使うか。

それが強さに繋がる――と言いたいのか?」

 

「その通りだ」

 

「しかし、錬金鋼使用禁止とは関係ないだろう?

錬金鋼を使用しながらでも、その特訓は出来る筈だ」

 

 ルシフはため息をついた。

 なんだその、手間のかかる奴だと言わんばかりの目は……。

 

「例外はいるが、基本的に武芸者は錬金鋼で闘う。

錬金鋼が剄量に耐えきれるなら、錬金鋼を使用した方が強いしな。

つまり、錬金鋼は武芸者にとって手足のようなもので、逆に言うなら手足のように扱えなければならない」

 

 わたしは頷く。

 錬金鋼を手足のように扱うために今まで型の特訓を散々やってきていたから、その重要さはよく分かる。

 

「なら訊くが、自分の手足ですら剄量の集中、制御が出来ん奴が、錬金鋼という自分とは全く異なった物質に、剄の集中や制御が出来るか?」

 

 この言葉でようやくわたしは、ルシフが言いたいことを理解した。

 自分の身体で剄のコントロールが出来ないのに、錬金鋼と合わせた剄のコントロールが出来るわけがない。

 錬金鋼を使用するのは、自分の身体の剄のコントロールをマスターしてからということなのだろう。

 それにしても、わたしはルシフがこんなことを言うのが意外だった。

 ルシフはこんな繊細な闘い方ではなく、豪快な闘い方しかできないと思っていたし、そっちの方がルシフらしいと感じていたからだ。

 

「ん? なんだその目は?」

 

「いや、お前らしくないと思ってな」

 

「まあ、そうだろう。俺の父の闘い方だからな。

だが、この闘い方が手っ取り早く強くなれる」

 

 ルシフから父という単語が出たのに、わたしは驚いた。

 あまりにもルシフは常識外れのため、全てルシフが独学で習得したものばかりだと思っていた。

 だから、少し気になった。

 

「ルシフの父親はどういう人なんだ?」

 

「弱い男だった。武芸者としても、人としても弱い男だった。

……俺の父親のことなど、別にどうでもいいだろう。

特訓、開始するぞ」

 

 父親のことを話していた時、ルシフの目が少し悲しそうな目をしていた気がしたのは、わたしの錯覚だろうか。それとも、願望だろうか。

 ルシフが人間らしい心を持っていてほしいという、わたしの――。

 

 

 

 ニーナはある程度錬金鋼無しでの剄のコントロールが出来るようになっていた。

 しかし、錬金鋼と合わせた剄のコントロールは今一つだった。

 第十四小隊の隊長に苦戦したのも、これが原因だ。

 ニーナは大量の汗をかきながら、錬金鋼無しで様々な型を繰り返しやり続ける。

 当然型に合わせた剄のコントロールをしながら。

 これをやりながら型の動作をするのは、はっきり言って今までやっていたわたしの特訓より圧倒的にキツかった。

 今まで自分がただ漫然と型の鍛練をしていただけだったことを、身を持って知った。

 ニーナの脳裏に未だに焼きついている映像は、アルシェイラに必死に立ち向かっていったルシフの姿。

 ニーナは信じられなかった。

 ルシフが負けたこともそうだが、それ以上にあんなにボロボロになりながらも立ち向かうのをやめなかったことが。

 正直ルシフらしくないと思った。

 善戦しようがぼろ負けしようが負けは負けであり、勝てないと分かった時点で、ルシフは上手く負けると思っていたからだ。

 ルシフは間違いなく頭が良い。

 しかしアルシェイラと闘っていたルシフは、負けると分かっていた筈なのに、愚直に正面から闘い、ボロボロになってもなお闘おうとした。

 

 ――分からない。

 

 圧倒的に実力が違う相手と闘っている時、ルシフは何を考えていたのか。

 何故上手く負けようとしなかったのか。

 あの闘いは、わたしとルシフの関係性を表しているように見えた。

 ルシフがアルシェイラで、わたしがルシフ。

 しかし、以前わたしの技が何一つ通じなかった時、わたしは身体に傷を負っていないのに、戦意を粉々に砕かれ、抵抗することすらできなくなっていた。

 ルシフのあの熱線は、間違いなく切り札だった筈だ。

 それを容易く防がれたにも関わらず、わたしと違いルシフは戦意を失わなかった。

 わたしとルシフで精神力に違いがあるのか、考え方に違いがあるのか、だが間違いなく精神面で差がある。

 

 ――何故なんだルシフ! お前は何故負けを分かっていてあんなになるまで闘った!? わたしに教えてくれ!

 

 それを知れば、自分に足りないものに気付けるかもしれない。

 

 ニーナは自身の疲労もかえりみず、ひたすら型の鍛練を続ける。

 そして、少しの休憩。

 休憩が終われば、再び型の鍛練。

 さっきからニーナは、ずっとそれを繰り返している。

 しかし休憩を挟んでいても、限界はおとずれる。

 ニーナは仰向けに倒れた。

 荒く息をしながら、ニーナは夜空を見上げた。

 夜空には月が浮かんでいるだけで、他に光を放っているものは何もない暗闇だけが広がっている。

 月を見ながら、ニーナは汚染獣が襲来した次の日に、ルシフとこの場所で特訓していた時のことを思い出す。

 

 

 

 

 この時の特訓に、レイフォンはいなかった。

 ルシフとただひたすら素手で組み手を行うという単純な特訓内容だったが、わたしははっきりと断言できる。

 この特訓内容は、汚染獣との闘いよりもキツく恐ろしいものだと。

 何度地面に叩きつけられたか分からない程ボコボコにされ、わたしは地面に仰向けで倒れている。

 

「だらしのない奴だな。俺は指2本しか使っていないというのに」

 

 ルシフは涼しい顔でわたしの横に立っていた。

 わたしはそんなルシフから視線を逸らして、夜空に浮かぶ月を見る。

 暗闇の中で圧倒的な存在感を放っている月は、手を伸ばせば届きそうな気がする。

 ルシフはわたしの視線に気付いたのか、頭上を仰ぎ見る。

 

「月――か。まさか手を伸ばせば掴めそうだとか、ベタなこと考えているんじゃないだろうな」

 

 思わず顔が熱くなった。

 ロマンチストとか、メルヘンチックな頭をしていると、きっとルシフに思われている。

 

「なんだ図星か。分かりやすい奴だ」

 

「うるさい」

 

「……月を掴んでみせようか?」

 

「…………は?」

 

 ニーナがルシフの言葉を理解するのには、数秒の時間を要した。

 月を掴む? 空に浮かぶ月を?

 いや、いくらルシフでもそれは無理だろう。

 しかしルシフなら、もしかしたら掴んでしまうのではないかと思ってしまう。

 

「それじゃあ、やるぞ」

 

 ルシフはじっと月を見る。

 わたしは自然と立ち上がり、ルシフが何をしようとしているのか、ルシフの方に視線をやる。

 ルシフは両手の平を合わせて器のような形をつくっている。

 そして両手の平が剄で輝き出し、その輝きが収まると、ルシフの両手の平の中には水が溜まっていた。

 剄を水に変化させたらしい。

 

「あッ――」

 

 その水を見て、わたしは思わず声をあげた。

 水に月が映っていたのだ。

 そして、ルシフはそのまま両手を握る。

 

「ほら、掴んだぞ」

 

 わたしは唖然としていたが、ルシフの言葉で我に返った。

 冷たい視線をルシフに送る。

 

「なら、掴んだ月を見せてくれないか?」

 

 ルシフは両手の平を開ける。

 握る際に水はこぼれていたため、当然手の中に月はない。

 

「掴めてないじゃないか」

 

「ん? もしかして空に浮かんでいる月を掴むとでも思っていたのか?

俺は空に浮かぶ月を掴むとは言っていないぞ」

 

 わたしは再び顔が熱くなった。

 ルシフはわたしの反応を見て、自分が言ったことが正しいのを悟ったらしい。

 

「くっ、はははははっ! アントーク、貴様面白い奴だな! あれを掴めるわけないだろう!」

 

 ルシフは爆笑していた。

 汚染獣を蹂躙している時のような残虐な笑いではない、まるで普通に友だちと談笑している時のような、少年らしい笑顔だった。

 こんな顔で笑えるのかと、正直驚いた。

 しかしそういう一面が見れたことは、純粋に嬉しかった。

 ルシフも人間なんだと思えた。

 

「お前なら、掴んでしまうんじゃないかと思っただけだ。

わたしだって、本気でそう思っていたわけじゃない。

月を掴めるわけないからな」

 

「――ニーナ・アントーク。確かに月そのものは掴めないが、月らしきものは俺が掴んでみせただろう。

浮かんでいる月をどれだけばか正直に掴もうと思っても、掴めやしない。

なんでもそうだ。出来そうにないことも、視点を変えれば簡単に出来る場合もある。

色々な角度から物事を考えてみろ。

たとえ不可能なことでも、可能にしようと挑戦し続けることが一番大事なことなのだ」

 

「挑戦し続けても、不可能な場合もある」

 

「そんなものは当たり前だ。だが、いつまでも手を伸ばさない奴と、手を伸ばし続けた奴とでは、同じ届かないでも意味合いが違う。

考えることこそが、人間の価値を高めるのだからな」

 

「ルシフ……」

 

 なかなか良いことを言うじゃないか。

 ルシフはごそごそと右手で、自分のポケットを探り始める。

 

「アントーク」

 

 ルシフが左手で、わたしの右手首を掴んだ。

 ルシフの顔が間近まで迫る。

 

「ル、ルシフ? い、いかん、いかんぞそんな未成年なのに――」

 

 ルシフはわたしの右手を上に向かせ、その上にお金を置いた。

 

「喉が渇いた。コーラ買ってこい」

 

 ……殴り倒すぞこら。

 

 初めて血管が切れそうになるくらい、怒りを覚えた。

 その後、お釣りは全部くれるというので、買いに行ったのは内緒だ。

 

 

 

 

 あの時のことを思い出して、ニーナは両手を握りしめる。

 本当にあの時は頭にきた。

 いや、思い出すべきなのは、そこじゃない。

 考えることが大事なのは、わたしにも分かっている。

 だが、わたしの頭で強くなれる鍛練の仕方といったら、これしかない。

 わたしが強くならなければならない。

 武芸大会が始まるまでに、ツェルニを守るためにわたしが強く――。

 わたしが強くなり、目の前の敵を冷静に対処できるようになれば、作戦を立てる余裕も、小隊員への指示もできるようになるだろう。

 そのためには、このまま立ち止まっている暇などない。

 武芸大会までの時間は一年を切っている。

 だからこそ――1秒たりとも無駄にはできないのだ。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆     

 

 

 それから2日後の夕方。

 ニーナ・アントークはゆっくりと目を開けた。

 周りを目線だけで見渡す。

 どうやら病室のようだった。

 ということは、つまり――。

 

「気がつきましたか?」

 

 レイフォンがニーナの近くの椅子に座っていた。

 

「昨日の深夜、外縁部で倒れていたのを僕と友だちが発見して、病院に連れて来たんです」

 

 あんな場所に、たまたま通りがかる人間などいない。

 

「そうか。お前、昨夜わたしを付けてたんだな」

 

「明らかに体調悪そうだったんで、心配で……」

 

 この場合、レイフォンを責めるのは筋違いだろう。

 そんな気遣いをさせてしまった自分に非がある。

 

「先輩は、どうしてそんな無茶したんです?」

 

「お前やルシフがいたからだ。

第十七小隊が、武芸大会で核の存在になれると思った。

わたしは勝ちたいんだ。お前たちを上手く活かせる隊長になりたいと思っている。

そのためには、強さがいる。常に落ち着いていられるだけの強さが」

 

 レイフォンは静かにニーナの言葉を聞いている。

 

「先輩、強くなりたいなら、剄息で日常生活ができるようになってください。

先輩が特訓してた最後の方、かなり剄息が乱れてました。

剄息が乱れるのは無駄があるってことです。

最初なら剄息を使えば、剄脈も常にある程度以上の剄を発生させるようになります」

 

 ニーナは目を見開く。

 ルシフは、そういうことは言わなかった。

 

「剄息で日常生活はかなり辛いですが、できるようになれば、剄量も、剄に対する感度も上がります。

剄を神経のように使えるようにもなります。

武芸者として生きたいなら、まず自分が人間という考えを捨ててください。

武芸者の身体構造は、人間とは違うんです」 

 

 レイフォンは、武芸者は人間じゃないという言葉にニーナがショックを受けると思っていたが、ニーナは大して驚いていなかった。

 

「……ルシフも、小隊でのポジション決めのテストの時に似たようなことを言っていたな。

お前は気を失っていたが」

 

「あ、そうなんですか」

 

 確かにルシフなら言いそうだなと、レイフォンは思った。

 

「先輩が強くなりたいなら、僕もこれからは協力します。

僕がやってた剄息の鍛練方法を教えるくらいしかできませんけど……。

先輩一人だけで強くなろうとする必要ないです。

第十七小隊のみんなで強くなればいいじゃないですか」

 

 ニーナはそう言われて気付いた。

 自分だけが強くなれば、全部上手くいく気がしていた。

 しかし、第十七小隊のみんなに自分の胸の内を打ち明ければ、レイフォンのように協力してくれるようになるかもしれないし、チームワークもより良くなるだろう。

 

「――そうだな。

わたしたちは、小隊だったな。

だから――全員で一緒に強くなっていこう」

 

 ニーナは微かに笑った。

 

「じゃあ、僕はこれで失礼します」

 

「ああ、ありがとうレイフォン」

 

 ニーナの言葉を背に受けながら、レイフォンはニーナの病室を出た。

 

 レイフォンは廊下を歩き、ルシフの病室の前に立つ。

 ルシフが入院している病院に、ニーナは運びこまれていた。

 レイフォンは軽くノックする。

 ついでにルシフのお見舞いをしてもいいかと考えたからだ。

 

「はい?」

 

 ルシフの声ではない。

 1週間くらい前に、2週間停学処分になったマイ・キリーの声だ。

 ちなみに停学処分の理由は、ルシフの病室で問題を起こしたから。

 マイ自身はラッキーと考えて、毎日ルシフの病室にいられるようになったと喜んでいる。

 

「レイフォンです」

 

「……はい、どうぞ。念威爆雷は全部解除しました」

 

 そう。マイ・キリーはルシフの病室に念威爆雷を仕掛けていた。

 それ自体に威力はなく、強い光と音を出すだけの設定にしてあるため、怪我はしないがかなりうるさい。

 それで患者から苦情が出たらしいが、マイは止めるつもりはないようだ。

 レイフォンは扉を開け、中に入る。

 ルシフが寝ているベッドの近くの椅子に、マイは座っている。

 その手にはぎゅっと錬金鋼が握りしめられていた。

 随分警戒されてるなと苦笑しつつも、レイフォンはルシフの傍にいき、ルシフを見る。

 ルシフは数日前に見た時と、姿は全く変わっていなかった。

 しかし数日前とは違い、ルシフの身体から剄が漏れている。

 この現象を見て、レイフォンはどうしてルシフが今まで目覚めなかったのか、全て悟った。

 

「大丈夫そうですね。では、失礼します」

 

「……お見舞いに来てくれて、ありがとうございました」

 

 マイが軽く頭を下げた。

 レイフォンは意外に思いつつも、一度頷いてそのまま病室を出る。

 そして足早に、カリアンや技術科の学生長との待ち合わせ場所へと向かう。

 今夜、ツェルニの進行方向にいる汚染獣を倒すために、レイフォンはツェルニの外に出る予定だった。

 

 

 

 それから数時間後、レイフォンは汚染物質遮断スーツを着て、その上から新型の戦闘衣を更に着る。

 新型というだけあって、ゴツゴツしてなくスマートになっている。

 動きやすいと素直に思った。

 レイフォンの傍には、ランドローラーと呼ばれるバイクに似た形状の乗り物が置いてある。

 汚染獣がいる場所までは、このランドローラーで向かう。

 レイフォンはランドローラーに跨がり、ランドローラーのエンジンをかける。

 そして、漆黒の景色の中にランドローラーを走らせた。

 ランドローラーで汚染されている地面を進む。

 予定では、汚染獣の場所までたどり着くのに約1日かかるらしい。

 ランドローラーを走らせながら、レイフォンはルシフのことを思い出していた。

 

 身体から溢れだしている剄。

 数日前に見た時は、剄は溢れていなかった。

 これらの情報から導き出したレイフォンの結論。

 

 ルシフは最低限生命維持に必要な力だけ残して、それ以外の力を全て自然治癒力にまわしている。

 身体から剄が溢れていたということはつまり、内側の傷は全て完治し、外側の傷を治している証拠。

 

(本当にキミは凄い奴だ。医者が1ヶ月はかかると言った傷を、僅か10日程度でほぼ完治までもっていくなんて)

 

 認めざるを得ない。

 ルシフ・ディ・アシェナは――常識外れの天才だということを。

 

 

 

    ◆     ◆     ◆     

 

 

 

 レイフォンがツェルニを出発して数時間後の早朝。

 病室のベッドの上で、ルシフ・ディ・アシェナはゆっくりと目を開けた。




次回からオリ主本編復帰です。

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