「へぇ、教育ね」
「なんだよ……意外か?」
「別に、あんたのことよく知らないし」
それもそうだな、と彼はぬるい水を一口含んだ。
彼は……比企谷は、どうやら教師を志しているらしい。実習に行くたび姿勢の悪さについて言及されるのと、本の読みすぎで目が悪くなり、黒板を見る時に「目が怖い」と大学の教師から涙ながらに言われたことが彼の見た目の大いなる変化の原因だそうだ。事実、大人びて文句のつけようのない容貌の彼に彼女達は目を奪われていた。
ほかの男達はそれが面白くないようで、「やっぱ比企谷連れてくんじゃなかったわ」と次々ぼやいている。
「そういう三浦はどうなんだ」
「あーし?……どうなるんだろーね」
「まぁお前ならなんとかなりそうだな」
「何だよそれ」
こんな男からとはいえ、しかも皮肉めいているとはいえ……なんだか嬉しかった。
私の未来は何も決まっていない。よくいえば白いキャンパスで、悪くいえばそこの見えない落とし穴。どちらかというと落とし穴をのぞき込んでるような気持ちだ。暗くて何も見えない。
私は、何も変わっていない。
私と比企谷の間に居心地のいい沈黙が訪れると、また小うるさい爽やか系イケメン……名前なんだっけ……が割り込んできた。
「優美子ちゃんと比企谷って知り合いだったわけ?」
「おう。高校の時のな」
「へぇ、トモダチってわけね」
比企谷が他人と流暢に会話しているのはひどく不気味な光景だった。彼からすれば心外であるのだろうが、彼の変化は見た目だけではなかったようだ。
爽やか系イケメンはなにか含みのある言い方であるが、これ以上絡まれるのは御免なので何も言わないでおこ……
「じゃあさ、優美子ちゃんのメアド、聞いてもいいよね?」
…う…。
(だから合コンなんて嫌だったのに)
そろりと横の様子を伺うと、今度こそこちらに気付いていた彼女達はそれはそれは恐ろしげな形相であった。
『突然現れたイケメン君(笑)と同級生で仲良さげでその上爽やか系イケメン(笑)にメアド聞かれてやがるこの女』
といったところか。このパターンは数度経験しているが、慣れないものだ。私には恋愛する気は無いというのに、彼女達にとってそこは重要でないらしい。
そんなことにも気付かず、目の前の憎らしい笑みをたたえた男は依然としてこちらを見つめてくる。そうすれば大抵の女は落ちてきたんだろうけど、私には無意味である。
あんたみたいなタイプがいるから、おちおち恋愛もしてられないんだから。
進歩のない世界にも周りにも、自分にも。うんざりである。
「……」
私が黙っていると、ずっと黙って水をちびちびと飲んでいた比企谷が、
「おい……、……」
ぼそぼそ、と男に何かを耳打ちした。
「なっ…」
面白いくらいに顔が真っ青になっていく男。
「……い、いやー、あはは、ちょっとトイレ行ってくるわー」
急に様子を変えた男に、険悪な雰囲気を漂わせた彼女達。
気まずいムードのまま、合コンはお開きとなった。もうあの女達と話すこともないだろう。
「あんた、何したん?」
「何って、どういう」
目的もないままずるずると比企谷と行動を共にしている。繁華街はもうすっかり夜らしい雰囲気となっていた。
「あの男。なんかぼそぼそ言ってたっしょ?」
「ああ、あいつ。あいつな、彼女いるんだよ。その彼女ってのが俺と一緒のサークルでな、言いつけてやるぞーってちょっくら脅してやった」
これだからリア充ってやつは、と彼は肩をすくめた。同時に暗い笑みを浮かべる比企谷は完全に見た目悪者である。
「そうだったんだ……てかヒキオがサークルとか受けるんだけど」
「俺だって一応奉仕部の一員だったんだがな……文芸部だよ。一日中本読んでるだけの、つまらんトコロ」
「そういうわりには楽しそうだけど」
「ほっとけ」
ぷいっと顔を背けるが、比企谷の耳は赤い。
「お前は?テニスとかしてんの?」
「…いや、あーしの大学そんなに活発じゃなくてさ」
中学生の頃は、毎日がテニス中心で回っていた。
高校生の頃は、毎日あのグループでワイワイしてるのが一番楽しかった。
今は、どうなんだろう。
何も変わっていない?それは嘘だ。
過去にこだわりすぎて、大事なものを沢山置き忘れてしまった。
「ヒキオ。飲み直すぞ!」
「は?!俺はこう見えて忙しくて」
「なに、あーしの言うことが聞けないってわけ?」
「……くそ、さよなら俺の休日」
けど変わったことは一つだけある。
このよくわからない男と話しているのは割と楽しいということがわかった、それだけだけど。