☆
鳴り止まない蝉の声。
今年は少ないとかなんとかニュースでやってたんだけど大嘘じゃん。
飽きもせずにジージーミンミンと。聞いてるだけで堪らなくなる。
反響する鳴き声が夏のボルテージをさらに高めてるようだった。
心の中まで炙られてる気分。
夏という名の電子レンジでチンされてる感じ。
30℃越えの室内に身を置いてるこちらの気持ちにもなれと、あたしは夏の神様に主張する。
念じるだけで、体は1㎜も動いてないけど。
ポンと開けっ放しの窓の外へ素足を放った。
暑さから逃げられず苦肉の策だ。
エアコンも扇風機もない室内は地獄の釜茹で。
あたしは少しでも空気を肌に晒そうとタンクトップにパン1の極力薄着。
大の字に体を伸ばして放熱の努力。
でも、そんな足掻きも虚しく赤熱した窓のサッシがあたしの足首を襲う。
「ぐえぇっ!?」と足を振り上げ、でんぐり返し。
勢い余って、机に足をぶつけ「ぎぃえー!」とゴロゴロ転がってたら今度は頭打った。バカ。
夏の暑さにノックアウト。
蒸気に項垂れて奇声を発して逃げ惑う。
花の小学3年生……じゃなかった、女子大生がやることじゃないよ。
あたしって世界一の、バカ。バカ。バカ。
大学生の夏休みって言ったらもっとやることあるはずなのに。
旅行とか、バイトとか、恋とか。
小学生の夏休みとは雲泥の差だった。
麦茶とか、MAHO堂の手伝いとか……恋とか。
あの時あったものが今はない。
もっとワクワクしたり、ドキドキしたり。
言葉にできない気持ちが夏の太陽の中に隠されていたのに。
一体、どこに行ってしまったんだろうか。
膝を抱えて体を丸める。
ぶつけた痛みはぼんやりと奥へ吸い込まれた。
舞い上がる埃がチリチリと光った。
あたしはそれを黙って眺めて。
手を伸ばしてそれを掴み取ろうとする。
当然、掴めるはずもなく握った手に陽射しがかかって影が伸びるだけだった。
――あたし、なにしてんだろ。
ホント、なにしてんだ。
あたしは確かにここにいるのに、どこにもあたしがいない感じ。
気持ちの置き所をなくして心がトゲトゲしている。自分の内側から抵抗を受けていた。
不満はないけど満足も、全てが宙ぶらりん。
何かがあたしの中で重い石みたいに固化して気持ちを塞いでる。
せっかくの夏休みなのに、なんでこんなに不安なんだろう。
退屈だし、パーっと開放的になってもおかしくないのに。
逃げるほどでもない焦りがあって、暴れるほどでもない葛藤があった。
それがあたしを野放しにしない。
不安定な現実にあたしを結び付けようとする。
年を経るにつれてより強く。
多分、小学校を卒業してから、ずっと。
あたしが独りになってからだ。
一人ぼっちってわけじゃないんだけど、回りには家族も友達もいて……まぁ、普通。
なのに、なんだか壁を感じちゃって。
最初はハードルくらいの高さだったそれは徐々に競り上がってきて、あたしは年月ともに聳え立つ壁を見ては顔が青ざめた。
後ろから飛べ、飛べ、と誰かに急かされてるようにプレッシャーを感じていた。
昔は、こういうことを逸早く相談できる大親友達がいたんだけど――
今は、もういない。
いつも5人で一緒にいた。
ずっと仲良しでいたいと、願っていた。
ももちゃんとはたまにメールをするけど、あいちゃんやはづきちゃんについては今はどこで何をしているのかも知らない。
小学生の時が最後で、大人になった彼女達の姿が想像もつかなかった。
町ですれ違ってもお互いに気付きもしない。
気付いたとしてもそのまま通り過ぎるだけ。
赤の他人なんだと思う。
また、あの時みたいに。
互いをぶつけ合ったり、支えあったりすることは、もうあり得ないんじゃないかな。
大人になってからそ~いうのがサムくなったってのもあるけど、一番の原因はあたし。
あたしが壊したんだ。皆の絆を。
切り裂いて、あたしから輪を離れた。
幼馴染みだったはづきちゃんですら、地元に戻っても顔を合わせることはない。
顔を合わせるのが嫌だから、あたしは美空町を離れて日本の端っこの、国立の端くれにしか過ぎない大学にテキトーに入学した。今思えばちょっとやりすぎだった。
あいちゃんも大阪に行ってから……。
はづきちゃんとは仲良くやっていると話で聞いている程度。
ももちゃんはアメリカにずっと住んでて時折、あたしの体調のこととか心配してくれる。
あたしはメールを受け取る度に「オカンか!?」と一人でツッコんではその気遣いを嬉しく思うんだけど、未だにアメリカからこっちに来てくれることはなかった。
ももちゃんもあたしも、会いたいなんて一言も言わないから当然で。でも、たま~にその距離感がエラく寂しかったりする。
さっきは独りって言ったけど、よくよく考えてみれば別にこれでいいのかも。
皆それぞれ自分の人生を歩き出しただけで、別れ方が少し悪かった……。
責任を棚に上げてるわけじゃないよ。
だって、しょうがないじゃん。
あたし達は二度と戻れない道を歩いている。
あたしもちっとは冷静に、図々しく物事を見れるようになったんだ。
一々落ち込んでたらドジばっかしてるあたしみたいな人間はやってられない。
人生は一度きり。どんな人も後悔だらけ。
でも、そんな後悔も心持ち次第で納得できる。
ましてや、あたしは魔女見習いだった。
普通の人間とは、違う。
物事を複雑にした原因。
あたしの今までに過ちがあるとすれば、それは魔女に関わってしまったことかもしれない。
もし、魔女に出会わなければ。
あたしは自分の在り方を丸ごと変えてしまうような大きな選択を、あんなにもあっさりと決めることはなかったはずだ。
もう何もかも遅いんだけど。
あたしは数奇な運命へと、足を踏み出した。
ずいぶん遠くまで歩いた気がする。
振り返るほどの記憶はないけど、過去なんてもうあたしには関係ない。
あるのは途方もなく長い年月。
数えるのも億劫な、明日だけ。
あたしは前を向く度に溜め息をついてしまう。
それほどに遠い未来。
道、というほど親切なものじゃない。
目の前に広がるのは砂漠のように荒涼な世界。
目的はなかった。
どこへ向かおうと、それもいいかなと思える。
だけど、その曖昧さが仇となり、あたしの行く日々に蜃気楼を立ち昇らせる。
あたしはいつも迷いや幻想にふらふらと惑わされ前へ後ろへ進んでは行方を見失う。
捻曲がったあたしの人生。
そんな旅路にも何故か奇妙な道連れがいた。
だだっ広い砂漠でも、二人でいると狭く感じてしまう。
彼女はよくあたしの隣で微笑む。あたしはいつも心がキュウと縮んだ。
堪らなく窮屈だった。
だけど、もし彼女がいなくなったら、あたしは心に空いた隙間に堪えきれなくて彼女を探すためどこまでも歩いていくと思う。
あたしにとって唯一の道標。
その喪失を他で埋めることはできない。
足りない大学生活でも、一つだけ叶ってることがあった。
行方を失ったあたしと、あたし自身を目的にしている彼女。
二人はいつも一緒だ。
「ま~ただらしない格好! 死体じゃないんだから少しはシャンとしなさいよ!」
外からは肌に絡み付くような湿った風。
その風を遮るように、窓辺には一人の女性が空に浮いていた。
普通はあり得ないその姿も幼い頃から見飽きた光景だった。
箒に跨がって空を飛ぶ。不可能を可能にする力を持っている。
そして、それはあたしも同じ。
「また遊びに来たわよ! どれみちゃん!」
アメジストのような艶やかな髪が風に舞う。
夏の陽射しをバックライトにして、おんぷちゃんがあたしの部屋へ降り立つ。
☆
「汚いわねぇ~。人の住むとこじゃないわ、この部屋」
おんぷちゃんは頭だけで部屋の中を覗いては悪態をつく。
「よっと!」と窓の敷居に足をかけて堂々と中に入ってきた。
あたしは寝そべりながら体を起こそうともせず威厳も威圧感もない体勢で客人を出迎える。
「うっさいな~。ほっといてよ。てか、なにしに来たのさ? 一昨日も来たのに」
「何度でも来ますとも。時間がある限りね。ふむふむ、誰か訪ねてきた形跡はなし……関心関心♪ 相変わらずうらぶれた大学生活を送ってるようね!」
おんぷちゃんはウンウンと楽しそうに頷いて、あたしのベットに足を組んで座った。
サマーワンピースの長いスカートを翻して。優雅に、大胆に。
あたしは一つ一つの仕草に目を奪われていた。
――綺麗。
心臓の鼓動が大きくなる。
ちょっとした動作でも様になっていた。
所作の中に滲み出る高貴さは他の誰とも違う雰囲気を醸し出す。
美しい女性だ。女のあたしからしても、嫉妬すら浮かばないほど。
小学生の時ですらアイドルとして人気を誇っていた美貌は大人になって磨きがかっていた。
シンプルな出で立ちは彼女の美しさをさらに引き立たせ、旺盛な夏の陽射しすら霞んだ。
薄い生地から女性的なラインが浮かび上がり、扇情的な光景。見てるだけでノボせそう。
肩まで伸びた髪は柔らかに波打ち、白く滑らかな肌、口紅を塗った唇はふっくらとしている。
彼女ほど美しいモノは他にないだろうと、どれだけ追求したところでこれ以上の美しさは作れないだろうと、強い確信を持てるほどだ。
あたしはおんぷちゃんと一緒にいる時だけ、夏が好きだった。
美人は3日で飽きるなんて大嘘で、現にあたしはいつもまでも馴れない。
見とれてすぐに顔が赤くなってしまう。
夏なら赤くても暑さで誤魔化せる。緊張で顔を伏せても熱のせいにできる。
代わりに冬はどうしようもなくて。
あたしの思いはいつも筒抜けだった。
おんぷちゃんは芳香が漂うような吐息を溢し、黒く濡れた大きな瞳で見つめてくる。
あたしはそれだけでドキリと目が泳いだ。
まるで思春期みたいな慌てようで自分が恥ずかしくなる。
とりあえず視線を床の畳に逃がした。
「それにしてもやっぱ暑いわ、日本。魔女界は季節関係ないから楽なのに……どれみちゃんもやることないなら休みの間だけでも魔女界に来なさいよ。わたしは忙しいんだから手間が省けるわ」
おんぷちゃんは手で風を扇ぎ、ベットへ仰向けで倒れた。
まるで自分ん家みたいな寛ぎよう。おんぷちゃんはあたしの家に来るといつもそう。
魔女界への催促も、口酸っぱく。
同じ台詞で日増しに多く、高圧的に。
おんぷちゃんの勝手な言い分にあたしは少しムッとする。
別にあたしが会おうって言ってるわけじゃないし、何で魔女界に行かなくちゃいけないわけ?
別に来るのは勝手だけど、何であたしがおんぷちゃんの言うことに従わないといけないの?
別に何で別に何で何で別に何で別に別に……。
あ~、ムカムカしてきた!
よ~し、これは一言言っちゃろ。
あたしは暑さに眩みかけてる勢いに任せて、おんぷちゃんに逆襲を試みる。
ガバッと起き上がって、
「こっちだって忙しいもん! そっちに行く暇なんてないよ!!」
「へぇ~、その割りには部屋でゴロゴロウダウダしてたみたいだけど?」
「あ? それはそのぉ……そ、そうそう! 宿題! 一般アパートで使われてる畳の縫い目についてのレポートを大学に提出するためだよ! あたしは観察の途中だったんだから邪魔しないでよね!!」
「ははぁ、それはまた高尚な研究ですこと……具体的にはどんな?」
おんぷちゃんはあどけない顔で質問してくる。
小首を傾げて、人形みたいに愛くるしい。
いや、どんなって……。
そんなことあたしに聞かれても……。
自分がついた大嘘に湯立つ頭が悲鳴を上げる。
「ど、どんなとな!? それはね~、あ~、いぐさ、とか? ほら、畳って日本の心じゃん? 緊密に縫い合わされた藁床を見れば日本人のあいでんてていが呼び覚まされるというか?」
「『アイデンティティ』ね。全然言えてないじゃない、ふふ。それでそれで?」
「それで~、それでいてシャープというか? 目の付け所がね? 縦とか横とか、黄色にも緑にも、組み合わせで味わいが違って……樹齢にも似た趣があるわけさ。それはまるで日本で大事にされてる絆を象徴したレガシィで……」
「あっははは!! なにそれ~? うんうん、もっとわたしに教えてくださる? プロフェッサー様♪」
自分一人でしりとりをしているみたいだった。
単語から単語へ、言葉が跳ね回る。
畳なんて全く知らないから御託並べてるだけなんですけど。
それでもおんぷちゃんはケラケラと笑って話の続きを促す。
あたしはおだてられるまま、無い髭でもそびやかすようにエッヘンと胸を張る。
「うむ! 畳というのはだね、おんぷ君! 筵、蓙と進化し続けていてね。連綿と受け継がれてきた芸術なのさ。一個一個、縫い目を数えて込められた意志を読み取る。これは民俗学なんだよ!! 」
「どれみちゃんって文学部じゃなかった?」
「それはそれ! 枠に囚われちゃダメ! 畳ってのは床に敷いてあるもの。心の中でも。その根底にあるものなんだから全てに通ずるんだよ。枠を作っていいのは畳一畳だけなんだ!!」
「まぁ! なんて力強いお言葉!! ふふっ、無学なわたくしめをお許しください……!」
「うむ、分かればよろしい!」
あたしは腕を組んで顎をクイッと持ち上げる。
鼻息を鳴らして、どうだと言わんばかり。
そんなあたしをおんぷちゃんはしばらく見つめていた。
息を止めてるみたいに口を結んでいる。
やがて体がプルプルと震え出して、
「――ブハッ!! あっははは~! もうだめ! 息苦し~! なによ、枠を作っていいのは一畳だけって!良いこと言ってるつもりなのそれで~!」
「え~? カッコよくない? 決まった!って思ったんだけど……てか、笑いすぎだよ」
おんぷちゃんは布団に足をバタバタさせて笑い転げていた。
お腹を抱えてる姿すらも綺麗。彼女が笑うだけで回りが華やぐような生気に満たされていく。
対してわたしの心中は複雑だった。
おんぷちゃんが笑ってくれるのが嬉しいような悲しいような。
話している内に暑さにやられた頭が次第に冷めていった。
よくよく現状を考えると……。
ベットで横になりながら頬杖をついて微笑む絶世の美女の前で、パンツいっちょの半裸の女が畳をバンバンと叩いて訳の分からない戯言を喚き散らす。
寛ぐ女王様の前で芸をする奴隷、とか……?
さすがに他国かどっかから献上された珍獣には当て嵌めない。最低限のプライドだった。
あたしもそこまで自分を貶めたくはなかった。もう遅いような気するけど。
「あ~! 喉渇いた!! どれみちゃん! お茶!」
「……はいはい、ただいまお持ちします」
おんぷちゃんはグワーッと手足を伸ばす。
女王様というより、ワガママお姫様って感じ?
さながらあたしはかしづくメイド。
やった! ちょっとだけランクアップ! と少しだけ気持ちが上向いてしまう自分を情けなく思いながら、トホホとお茶の準備をしようと立ち上がる。
戸棚からグラスを、冷蔵庫から麦茶を取り出してテーブルに置く。
「ちょっと~? 氷は~? わたしが来る時ぐらい作っときなさいよ~」
「ごめん、忘れてて……じゃなかった!! 文句言わないの!」
「こっちは笑いすぎで暑いってのに~!エアコンもない部屋にわざわざ来てあげたわたしをもっと敬え~! 崇め奉れ~! 氷を用意しろおじゃ~!」
おんぷちゃんがウガ~と駄々をこねる。
女王様、姫様、次は暴君。何かと忙しい
見た目と態度が全然合ってないけど、あたしの前ではいつもこんな感じ。
猫を被るというよりは使い分けてるんだろう。
おんぷちゃんはプロだから、舞台の上と外は違うんだって割り切ってるんじゃないかな?
ただ、割り切りすぎて性格の乖離が大きくなってる気がする。
それだけ仕事が大変なんだと思うけど、躁鬱みたいな変わり様で見てると心配になってくる。
小学生の時のように多少の誤差があるにせよクールな性格を維持できていなかった。
例えるなら舞台の上では研ぎ澄まされた日本刀なのに、プライベートという鞘に納まると蒟蒻みたいに緊張が緩む。そんな感じ。
まぁ、師匠があのマジョプリマだからさ。
悪いとこも似ちゃったんだろうね……。
今のあたしはその蒟蒻になってる素のおんぷちゃんを間近で見れる名誉な立場なわけさ。
小さい時からずっと一緒にいるから今さらなんだけど、すこ~しだけ誇らしくも思う。
いつも振り回されっぱなしで苦労もしてる。
「もういい加減に……って、あぁぁ――っ!! おんぷちゃん!! 土足! 土足!」
「ん~? あらら、ついうっかり♪ ごめんね」
あたしは大声を出して指差す。
そういや窓から入ってきたんじゃん!!
気付かないあたしもあたしだった。
おんぷちゃんは涼しげな表情で履きっぱのサンダルを眺める。
フラフラと足先を揺らしながら手を上げて、指を弾いた。
部屋の空気が一斉に制止する。
柔らかい清涼感が辺りを漂い『魔力』がおんぷちゃんを中心に集束するのが視えた。
おんぷちゃんの意志が万物に浸透していく。
彼女が白と言ったら何もかもが白に変わるような絶対の号令。
『魔法』が発現した。
足先が淡い光に包まれておんぷちゃんの足からするりとサンダルが抜け出す。
ふわふわと漂いながら、玄関の方へ。サンダルは綺麗に揃えられた。
おんぷちゃんはくすりと笑って、
「これでいいかしら? お嬢さん♪」
ついでとばかりにまた指を弾く。グラスの上に氷の粒がザッと降ってくる。
冷えた麦茶を一口飲んだ。
魔力が霧散する。
見習いの時は曖昧だった感覚が今は手に取るように分かった。
おんぷちゃんの力量も。
いつ見てもおんぷちゃんの魔法は凄い。
物の移動という小さな魔法ですら。
結果が同じでもそこに至るまでの過程、そのレベルの高さに目を見張る。
頭でイメージ、指パッチン。
単純な行使だからこそ魔法は奥が深く、違いがよく理解できるんだ。
まずは静かだ。まるで息でもするかのように魔力を意のままに操る。
あたしは見慣れてるからまだしも他の魔女ならいつ魔法を使ったのかも分からないと思う。
それでいて自身の強い魔力に振り回されることなく乱れもしないその繊細さ。
小さい時のハナちゃんにあたしが苦労したように魔力が大きいと桁違いの魔法が発現できても、その分扱いが難しく暴発しやすい。
ダイナマイトで蟻の巣を破壊するようなもので、魔女としての素質や成長の度合いで魔力の加減が大変になる……らしい。
マジョリカからの受け売りだ。あたしは制御が必要なほど魔力を持ってないので……。
おんぷちゃんは魔法の鍛練にも余念がなくて今やその技術は魔女界でも屈指だった。
水晶玉も手にズシッとくるぐらい重くて純粋な魔女すら越える魔力量を誇る。
あたしの水晶玉も大きくなったけどまだ指先で摘まめるサイズ。技量は言うまでもなく……。
スタートラインは同じだったのに、こうも差がつくもんかなと柄にもなく殊勝な気持ちになる。
だけど、それだけに。
感心してばかりもいられなかった。
強い力だ。なのに、どうして――?
それをこうも簡単に使ってしまうおんぷちゃんに苛立ちを覚えてしまう。
何も今に始まったことじゃないけど、あたしはどうしても窘めずにはいられなかった。
「……おんぷちゃん、靴くらい自分で脱いだら? 無闇に魔法を使わないでよ。さっきだって窓から……あたしいっつも言ってるよね? 玄関から入ってって」
「え~、そんなこと言ってもどれみちゃん、ノックしても出ないじゃない。それにわたしは魔女なんだから魔法を使うのは当然でしょ。あなたもそうじゃない?」
おんぷちゃんの素っ気ない台詞にあたしは歯噛みした。
へらへらとした態度も、気に食わなかった。
おんぷちゃんは魔女になってから箍が外れてしまったように、ちょっとしたことにも魔法を使って楽をしようとする。
「効率的でしょ」とか「魔法は使わないと伸びないわ」とか、おんぷちゃんは言うんだけど……。
あたしからしたら何だか自棄を起こしてるようにしか見えない。
怒りを通り越して切なさすら感じてしまう。
おんぷちゃんの魔法がいかに凄くても、あたしはその使い方が大嫌いだった。
それに、今のおんぷちゃんの手首にはくすんだ色をしたブレスレットが鈍く光っていた。
小学3年生の時と同じ、禁呪のお守り――。
おんぷちゃんは、また人の心を操ったんだ。
小学校を卒業してアイドルを引退。
中学を卒業して魔女界に移り住む。
おんぷちゃんはその都度説得のために、どこからか手に入れたお守りを使って家族を洗脳した。
さすがに子供の時のように暴走はしてないけど明らかに許されない行為だった。
家族を操ったのだって「パパやママを悲しませたくなかったし説明するのも面倒じゃない?」とあっけらかんで反省の色すらない。
魔女になってからおんぷちゃんは物事にドライな対応が多くて――
無駄を省くために情を挟まなくなっていた。
あたしが何度言っても聞く耳を持たないし、マジョリカにも訴えたけど「今のおんぷなら大丈夫じゃろ」と取りつく島がない。
堪らなく悲しかった。
皆バラバラになってしまったけど、一つだけ確かな思いがあって――
どこで、間違えてしまったんだろう。
魔法グッズを作ってた時も、ハナちゃんを育ててた時も、パティシエ試験の時も、先々代女王様の思い出を蘇らせた時も。
あたし達は同じ答えに辿り着いたはずなのに。
どうしてそんなことが言えるのか、信じられなかった。
おんぷちゃんはおんぷちゃんなりに考えがあるにしても、年月と共に人が変わるとしても。
一緒に過ごして同じものを得た友達同士。
共に成長して培ってきた、あの日々を。
ぜんぶ、忘れちゃったの――?
あたしは内心頭を抱えていた。
無駄だとは分かってるけど、それでも言葉を選びながらおんぷちゃんを諭し続ける。
「……自分が魔女だから知ってるんだよ。人間界で魔法を使うことがどういうことか。魔女ガエルの呪いが解かれてやっとこれから魔女と人間の友好が始まるって時におんぷちゃんが――」
「はいはい、お説教どうも。さすがおジャ魔女のリーダー様、大した志です。でも、ご心配なく。空飛ぶ時には視覚阻害の魔法使ってるからバレやしないわ。あなたと違ってわたしは魔女試験飛び級の天才なんですから」
あたしの言葉を遮って、おんぷちゃんは降参でもするみたいにお手上げのポーズをする。
ふざけた雰囲気にあたしは尚も食ってかかる。
「バレなきゃいいって、そういう問題じゃないよ! おんぷちゃんは忘れたの? 5人で話しあったことを。約束したよね? あたし達で魔女界と人間界を変えようって」
「あっはっはっは!! どれみちゃんがそれを言っちゃうんだ~!」
おんぷちゃんの笑い声が部屋に響いた。
単純な声量と、体の奥底で鳴るような力強いメロディにあたしはビクリと動揺する。
中学を卒業して、おんぷちゃんは魔女界でオペラの修業をしていた。
移住してから働き口を探してたおんぷちゃんにマジョプリマが声をかけたんだ。
同じ芸能とは言え自分が今までやってきたことと違うから最初は戸惑ったらしいけど、付き人や舞台裏での仕事を通してオペラの魅力にのめり込んでいった。
今では役を貰えるまでに実力をつけて、若手のディーヴァと評判の人気。
おんぷちゃんは鍛えているだけあって常人とは声の張りが違った。
まるで琴のように旋律を奏でて吐息すら甘い音色に変わる。
アイドルの時も凄かったけど今のおんぷちゃんは声だけでなく、存在自体がさらにパワーアップしたというか、スター性が段違いに濃くなった。
そこにいるだけで人を惹き付けるオーラ。
生まれ持った才能や資質、それに驕ることなく続けた努力や鍛錬。
あたしじゃ比べるまでもなく、おんぷちゃんの器量は他と厚みや深みが違っていた。
だから、おんぷちゃんの挑戦的な眼差しに、あたしはこんなにも簡単に狼狽えてしまう。
「……お言葉ですけど、その約束をいの一番に破ったどれみちゃんが言えることかしら? あなたのせいで5人は割れたわ。なまじっかその言葉が本気だとして、なぜ魔女界に行ってマジョハナ女王様をお手伝いして差し上げないの?」
おんぷちゃんの言葉がザクリと空気を裂いた。
あたしは息を呑むことしかできない。
全部、その通りだったから。
2年前、ハナちゃんは女王に即位したと同時に人間界との交流復活に向けて準備を始めた。
魔女からの反発が多くて道程は険しいけど、それでも約束を果たそうと頑張っている。
自分の娘ですらしっかりと目的を見定めて前へ進む中、あたし一人だけだ。
あたしだけが、自分の心と向き合おうとせず何の努力もしないでのうのうと生きていた。
他人をとやかく言う権利なんて、あたしは持っていないのだと分かり切ったことなんだ。
おんぷちゃんは一度視線を外して、窓の外遠くを眺めた。
「……わたし達の娘はよくやってるわ。なのに、母親達の中でハナちゃんにもっとも信頼されているあなたが……マジョリンさんの指導も逃げ回ってるようだし、いつまでこんなとこで燻ってるつもりなのかしら?」
「……ッ」
あたしは黙って下を向く。
燻ってる、ね……ぐうの音も出ない。
もうやり直すことは出来ないのに、あたしは未だにあの時の決断を、自分自身を疑っていた。
どうしてこんなことに……。
呪文のように繰り返される己の後悔に苛まれ、それを見ないように目を瞑って踞る。
そればっかりだった。
おんぷちゃんは皮肉げに口の端を吊り上げて、
「わたしはあなたが無為に時を過ごしてるようにしか見えないわ。人間のフリをしてなにか見えてきた物があった? それをわたしに聞かせて」
挑発的に睨む。
勿論、あたしは何も言えない。
当然だ。逃げていただけで得た物など何一つないのだから。
あたしは叱られる子供のように悄気て視線を合わせられなかった。
『ほら、やっぱり』とでも言いたげに、おんぷちゃんはあたしを鼻で笑う。
「まだ自覚が足りないのかしら? いつになればあなたは自分が魔女になったと理解するの? 全員、死んでからかしら? み~んな、あなたより先に死ぬわよ。お母さん、お父さん、ぽっぷちゃん、はづきちゃん、あいちゃん、ももちゃ――」
「やめてよっ!!」
あたしは堪らず叫んだ。
激しい拒否感だった。
想像するだけで吐き気を催すほど。
60年70年先の未来なんて知らないけれど。
一つ分かることは、あたしと皆は生きる時間を決定的に違えてるということだ。
その時、あたしは皺も出来ていない。
白髪もないし腰も曲がってないだろうし、入れ歯だってつけてないと思う。
今のまま、今と変わらず。
皆が老いていくのを眺めるしかない。
何度も巡る悪夢のような想像。だけどこれは後に必ず現実になる。
だって、あたしは魔女なんだ。
血は同じ赤でも、違う。人間とは流れてるモノが違うんだよ。
今でこそ押し潰されそうなのに遠い未来、魔女にとっては近い将来、訪れるこの深い悲しみに堪えられるのか、あたしには到底分かることも、分かりたくもなかった。
おんぷちゃんは呆れたように溜め息をついて、
「はぁ、だったら同じことを何度も言わせないでよ。何年も前から繰り返し繰り返し……一番最初に言ったこと憶えてる? 魔女になるってことは人間をやめることだって……」
憶えてる。小学6年生の春が間近に迫る頃だ。
先々代女王を目覚めさせ魔女ガエルの呪いを解き放った、あの日。
『時の流れは残酷です。人間と関わった魔女に待ち受けているのは悲しい別れだけ。そして残るのは人間を愛してしまった後悔……私と同じ苦しみを他の魔女に味わわせるわけには……』
『違う! 後悔だけが残るなんて……絶対そんなことない!!』
先々代女王の切なげな瞳。あたしの強い叫び。
確かに、時の流れは残酷だった。
楽しい思い出ほどすぐ色褪せるくせに、忘れたい思い出は何時までも流れ去ることはない。
くっきりと、昨日のことのように憶えていた。
「……おんぷちゃんはなんでそんな簡単に割りきれるの? おかしいよ。魔女なんて、化け物みたいなもんじゃんか……嫌だよ、こんなの……」
鼻の奥がツンとなった。
口の端に雫が流れて、あたし泣いてるんだ、と初めて気付いた。
気付いてから、涙が止めどなく溢れる。腕で締め付けるように体を抱いた。
そんなあたしを見て、おんぷちゃんがふっと小さく微笑む。
何故か物腰は、少しだけ優しい。
「化け物とは心外ね。わたしも同族なのよ? それに……自分から魔女なった癖によく言うわ」
突き付けられる言葉。
あたしは脅されたわけでも追い詰められたわけでもなく、自分から好き好んで魔女になった。
傍目から見ればそうとしか見えないし、実際それは事実だ。
なのに、あたしはうじうじと悩み続けていた。
自分の中で生じる矛盾に何時までも苦しむ。
対しておんぷちゃんは、あたしの後を追って魔女になったけど……。
魔女になった時から一瞬たりとも迷った姿を見たことがなかった。
何の未練をなくアイドルを辞め、親を惑して魔女界に越してった。
魔女になるために必要な物、不必要な物を淡々と取捨して省みない。
あたしはその平然とした姿に畏怖すら覚えた。
おんぷちゃんと比べて自分の惨めな姿が心底、情けない。
「……おんぷちゃんの思ってる通り、あたしは怖じ気付いた臆病者だよ。だから、もうほっといて。なんでこんなあたしに付きまとうのさ?」
おんぷちゃんは何時もあたしの側にいた。
虚ろばかりが募る旅に飽きもせずついてくる。
あたしは瞳に彼女の姿が過る度に猛烈な罪の意識に支配された。
おんぷちゃんが魔女になったのはあたしのせいなんだから――。
あたしはいつも責め立てられていた。
おんぷちゃんがいくら魔女界で活躍しても何の慰めにもならない。
人間は人間として生きるのが幸せなのだと、5人で話し合って出した結論。
あたしはそれを翻して魔女になった。おんぷちゃんを道連れにして。
あたし一人で良かったはずなのに、頑なで嬉々として魔女になったおんぷちゃん。
もっと幸せになれる道があったんじゃないか。
もっと他に方法があったはずだ、と。
あたしがいくら悩やんでいても、おんぷちゃんは飄々としていてその内側は見えない。
だから、あたしはいつも聞いてしまうんだ。
先の言葉を、とっくに見越しているのに。
――おんぷちゃんは、後悔してないの?
返事は、いつもシンプルだった。
「だって、わたしはどれみちゃんを愛しているもの。それだけよ。あなたが魔女になったから、わたしも魔女になったんだから」
希望も不安も、同時に消え失せる。
心痛だけが、あたしを貫いていく。
恥ずかしげもなくそう言い切る。
初めて魔女になった日から、ずっと。
あたしには身に余る、愛の発露。
おんぷちゃんにとって魔女になるということは、あたしを愛するということと同義なんだ。
あたしはそれを何年も何年も、痛いほどおんぷちゃんに思い知らされてきた。
その度に胸が張り裂けそうな気持ちになってキツくて堪えられなくて。
でも、おんぷちゃんがいないと膨らんだ心が萎んで、その空洞を一人ではどうしようもできなくて退屈と苛立ちに身を蝕まれる。
あたしも大概、惚れてるんだよね――。
まるで魔法のような、星の巡り合わせ。
数奇な運命が引き寄せた、あたしの恋人。
おんぷちゃんは穏やかな表情で見つめて、
「本当は今日、大事な用があって来たんだけどね。その前に……」
気を取り成すように髪を払って立ち上がる。
スカートの裾がフワリと揺らして、あたしの前に座り込んだ。
おんぷちゃんが肩を撫でる。
薬を塗り込むみたいに、ざわりとした手触り。
茫然自失のあたしを抱き締めた。
背中をなぜて、頬を擦り当ててくる。
あたしはむず痒くて首を捩った。
「今、気分じゃない」
「あなたはいつも最初はそう言うわ……」
微熱のような眼差しが徐々に近づいて。
おんぷちゃんが躊躇なくあたしの唇を奪う。
唇を強引に押し割り、舌が入ってくる。
唾液を吸いとられ、情欲を擦り付けるように口の中を貪られた。
キスをしながら頬や首を撫でる。
手をなぞるように、あたしの胸元へ。
反射的に拒もうと手を出すけど、その手はおんぷちゃんに柔らかく掴み取られた。
そうなると、もうだめだ。
指があたしの胸を這っていく。
先端に触れ、捏ねるように揉みしだく。
んっ――。
あたしは腰を浮かせて呻きを漏らす。
全身が熱くて、骨から蕩けそうだった。
何も考えられなくなる。
何も考える必要がなくなる。
今だけは悲しみや辛さが、押し寄せる快楽で隅へと追いやられていた。
時の流れが止まって、抱き合う恋人達をおいてけぼりにする。
少し気だるげで、ほろ苦い。
心がじんと甘くなるチョコレートの海に漂う。
生温い愛の蜜月にドロリと体が溶けていく。
体も心も中身も何もかもが、ひとつに。
あたしはおんぷちゃんの腕の中で、抗うこともなく愛に溺れていた。
☆