〈5〉
『
◆◇◆
アイツがこの学校に転校してきたのは6日程前の話だった。自己紹介については聞いていない、まだそんな事になるとは私でも思いもしていなかったのだから。だから彼が隣の席に来た時、
「……初めまして、今日から隣になる若宮翼だ。君は?」
と言っても私は無言の後にポツリと、
「…………篠ノ之束」
と返しただけで特に何も返さなかった。でもここで私は気付くべきだったのだ、彼が普通じゃない事に。普通ならこれだけでも他人は私に良い感情は抱かない、なのに彼は、
「よろしく、篠ノ之さん」
「…………」
普通にそう返してきたのだから。
その後のやりとりはあまり覚えていない、適当に聞き流していたしさして覚えようともしていなかったからだ。でも何故か、「また明日、篠ノ之さん」と帰り際に言われたその言葉は、冷えきっていた私の胸の奥に届いた。
◆◇◆
2日目以降も彼が私に話し掛けない日は無かった。毎時間休み時間になると世間話からちょっとマイナーな話まで様々な話題を持ってして私に彼は話し掛けてきた。殆ど無視してやったが彼は飽きる事なく私に話し掛けてくる、そしてすぐに気付いた事だが彼は『引き』が上手い。彼は私が限界となるギリギリのラインで毎回話を切り上げた。あくまで自然に、周りが違和感を感じないよう、さり気なく。
それでいくら無視し続けている私でもそれに気付くし興味も湧いた。
『変わった奴だ、少し周りの様な有象無象の凡人とは違うのかもしれない』と、
それで私は彼の話を聞くのにほんの少し、そうほんの少しだけ興味を向けてやる事にした。
次の日、
「おはよう篠ノ之さん」
「…………うるさい」
その次の日、
「おはよう篠ノ之さん」
「…………ん」
「目の下に隈ができてるよ。昨日はしっかり休んだ?」
「…………休んでない、休まなくてもいける。あとうるさい」
…………今考えればかなり酷いものだと思える。その次の日はまだ良い、次の日はやっぱり酷過ぎた。反省……。
コホン、ま、まあ置いといてだ。ちょっとだけ……ちょっとだけだが真面目に聞いてやってやると基本彼が話題にあげるのは1割が雑学、2割がマイナーな話、そして大部分を占める7割はどうしてか私の健康についてなのだ。大事な事なのでもう一度言うが何故か私の健康についてなのだ。
ちゃんと休んだのか云々
睡眠は取ったのか云々
朝食は食べたのか云々
運動は大切です云々
健康は云々…………等々
……私ってそんなに不健康そうに見えるだろうか……?いや確かに体育は基本ボイコットしてるし(若宮が来てからは無理矢理若宮に連行された)休憩や睡眠なんて殆ど取らずにPCを触ってる(若宮との会話により無理矢理休まされている)けれどここ数年は問題なく生活してるんだよ?いやでも……そんな私にアイツはこれだけ言ってくるのだからもしかしたら側から見れば私は健康そうには見えないのかもしれない。…………少しぐらいアイツの言う通り改善してやらないでもないか……。
そして、彼が転校して来て5日が経った日。すなわち、私の運命の
「おはよう、篠ノ之さん。昨日はしっかり寝ましたか?」
「…………」
「……寝てなさそうだね……、篠ノ之さん。いくら1日以上ぶっ続けで作業出来るからってしっかり寝ないと疲労は蓄積するし成長しないよ?」
「…………うるさい、3時間は寝た」
「いやいや、短いよ⁉︎せめて5時間は寝て⁉︎」
「……やっぱりうるさい。思考の邪魔……」
「……ごめん」
「……分かればいい。……おはよう」
ようやくまとも(?)に近い会話ができた。日々思ってしまう様になっていた事だが、私はもしかしたら彼とのこの会話が楽しくて、本当は楽しみにしているのかもしれない。
だからだろうか?私は忘れていた。私はみんなに嫌われる、みんなとは違う化物の『天災』なのであることを……。
「ねぇ、『天災』さん?若宮君が毎日話掛けてくれてるんだからもう少し返事しなさいよ」
ほら、ね?来た。
「ねえ、聞いてるの。返事しなさいよ『天災』!」
「なによ、偉そうに授業も受けないでノートパソコンばっかり触って!そうやって偉そうにしてるのが気に食わないのよ‼︎」
一方的な主張ばかり……私を否定するばかり……、やっぱり『天災』を肯定するものは……ない。
冷え切った心のままに私は口にする。
「……うるさい、私の邪魔をしないで。貴女みたいな凡人構っている暇は私には無い」
「……っ⁉︎」
感情の針が振り切れたらしい、目の前の『私を否定する』人は手を振り上げ……それが振り下ろされる事はなかった。
「駄目だ。手をあげちゃ駄目なんだ」
どうして?どうして貴方が止めるの?どうして私を守ろうとするの?なんの関係もない、たった5日しか関わりのない貴方が?
私を守ったのは彼だった。友達である
私は分からなかった、どうして『他人』の筈の彼が私を守ったのか。『友達』ですらない赤の他人が私なんかを助けたのか。そもそも何故私にこれ程まで構ってくるのか。だから……私は彼を放課後に教室に呼び出した。
◆◇◆
そして、彼が私を守った理由を聞いて、私は、私の心の奥底にしまってあったその思いを、その感情を溢れさせてしまった。
溢れさせる必要は無かったのに、溢れされてはいけなかったというのに、私は初めてそれをコントロールする事ができなかった。
「……うるさい、うるさいうるさいうるさい!転校してきたばかりのお前に何が分かるっていうのよ⁉︎」
違う……こんな事を言いたいんじゃない
「優しくして私に媚でも売るつもり?そんな手になんか乗らない、私は1人だって気にしない!」
そうじゃない、そうじゃないのに……
「そもそも、最初に私を1人ぼっちにしたのはお前達じゃないか‼︎異常だって、おかしいって、私は他の皆んなと違うって!私を最初に見捨てたのは、切り捨てたのは、1人にしたのはお前達じゃないか‼︎」
こんな事を言いたいんじゃ……ない、彼に言うのは間違ってる。でも……心から溢れる。
彼にぶつけるべきではない感情が溢れ、私はそれを彼に投げつける。
ああ……どうして私はこうも醜いのだろう?歪んでいるのだろう?
私がもっと人らしかったならば、美しければ、真っ直ぐであれば、私は彼と『友達』になれただろうに…………。
「……もういい、もういいんだ」
気付けば……私は彼に抱きしめられていた。
「ごめんね……」
ああ、なんで今更……
「辛かったね……」
何故今更……
「寂しかったね……」
どうして貴方は……
「よく、頑張ったね。だから……
……泣いていいんだよ?」
こうも優しいのだろう?
感情が決壊した。
随分と……久しぶりに流した涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになる。
ぽんぽんと背中と心音に合わせリズム良く背中を叩かれる。ああ……心地いい。子供扱いをされているのは分かっていたが、私は何も言わなかった。こんな時くらい……甘えてもいいよね?
泣いた、泣いた、涙が枯れるまで、今まで流せなかった分を今流しているかの様に。泣いて泣いて泣き続けて、ようやく落ち着いてきた時、彼は私の頭の撫でながら聞いてきた。
「……落ち着いた?」
「ぐすっ……うん」
「しっかり泣いた?」
「うん……」
「なら……いいよ」
彼はハンカチを取り出してぐちゃぐちゃになった私の顔を拭く。
「……その、……ごめん」
「気にするな、俺がしたくてした事だ」
「ん……」
彼は優しく私に微笑む、彼のシャツは私の涙と鼻水でさっきまでの私の顔と同じ位ぐしゃぐしゃになっていて私には少し罪悪感を感じた。
「さて、もう時間も遅いし帰ろうか?送ってくよ」
彼は自分の机にある鞄を取るために私に背を向ける。自然に私の手は彼の服の裾に伸びていた。
「ん?なんですか篠ノ之さん?篠ノ之さん?」
彼は振り返る。
「……ありがとう」
感謝を込めよう。私を守ってくれた貴方に、私を救ってくれた貴方に、私を見てくれた貴方にこの感謝の思いを言葉で伝える為に。優しい貴方にこの胸に生まれた新たな『感情』を伝える為に。
私は自然と彼に微笑んでいた。私が微笑んでいるのを見て驚いたのか彼は固まっている。私は途端に恥ずかしくなって彼を置いて教室から飛び出て行ってしまった。送って行ってくれると言っていたのに悪い気がする、でも……
「『若宮……翼』かぁ……」
この日、しばらく彼女が付け加えらる事の無かった『友達』と言う項目欄に新たな名前が付け加えられた。『若宮 翼』……それはそんな名だったと言う。
この日、1人の『天災』と呼ばれた少女の運命が変わった。