彼は人としてはあまりにも強靭過ぎた。
彼は神としてはあまりにも高潔過ぎた。
あまたの英傑・怪物が彼に挑んだが、誰一人として彼に膝をつかせることはできなかった。
―――化け物。
ある者は彼を恐れ、そう呼んだ。
―――大英雄。
ある者は彼を敬い、そう呼んだ。
だが、どちらであろうとも彼にとって変わりはなかった。
隔絶した力は望まぬままに彼を孤独にした。
常に最強であるがゆえに並び立つ者はいず、理解者もない。
彼は望んだ。ただの一度だけでいい。
己が全てを出し切り―――鬼ごっこで鬼役をしてみたいと。
「ダーリン助けてー!」
早々に捕まったアルテミスの悲しむ声が聞こえるが、そう簡単には動けない。
ヘラクレスはオリオンを探し回りながらも、アルテミスへの注意を一瞬たりとも切らない。
たかだか、
(いや……タッチしただけで相手が怪我するから、鬼役ができなかったもんな)
間違って本気で触れようものなら死人が出かねない筋力。
誰だってヘラクレスに鬼役は頼みたくなどない。
頼むとしたらイアソンかイリヤぐらいなものだ。
(だからって、こうも全力全開で来られてもなー……今の俺はぬいぐるみだし)
木の上で身を隠しながらヘラクレスを観察する、オリオン。
ぐだ男達を先に行かせたはいいが、どう考えても今の自分では相手にならない。
ならば、隠れながら近づいてアルテミスを解放するしかない。
(なんとか隙を作ってそこを狙うしかないな)
相手に聞こえない音量で一人呟き、行動を開始する。
木が生い茂るこの森は、自分にとっては有利な場所だ。
もしも、平面で隠れる場所がない地形であったら、話にもならなかっただろう。
(よし、後ろを向いてるな。今のうちに)
何とかアルテミスのそばの木に移動し、一気に下まで飛び降りる。
後はアルテミスにタッチすればいい。
ヘラクレスは後ろ向いている。そして、距離が離れている。
勝利を確信した。―――だが、しかし。
「■■■■■!」
―――大英雄に死角などない。
オリオンが飛び降りる際に発した、僅かな枝の
そして、手にした石を手首のスナップだけでオリオンに投げつける。
「うそぉおッ!?」
「きゃぁあッ! ダーリンがまたお星様になっちゃう!?」
投石は数コンマでオリオンに直撃し、そのまま空の彼方まで吹き飛ばしてしまう。
「や、やべえ。中身が、中身が出てきちまう」
「■■■■■■!!」
「げっ! もう追って来てやがる!」
何とか爆発四散は避けられたオリオンであったが、ヘラクレスは追撃をかける。
重力に従い落下していきながら、どうやって逃れるか思考を巡らせ、細長い枝に目を付ける。
「一か八かやってやるぜ!」
地上で待つヘラクレスから逃れるために、オリオンはワザと体を枝にひっかけさせる。
「良いとこまで飛んでくれよな!」
そして、枝をしならせてバネの要領で再び空に打ちあがっていく。
下の方ではヘラクレスが、悔しそうに木々をへし折っているが見なかったことにする。
あんな力で掴まれてしまえば、筋トレをしていなければ即死だろう。
(さて、何とか逃げられたがどうするか。もう、木の上からじゃ通用しないだろうしなー)
一先ず、逃れた先の木の上で息を整えながら考える。
今度はカカシでも作って、自分の場所を偽装して近づくべきか。
そう考えていた時だった。
「■■■■ッ!」
―――森が割れた。
「は? なんで森が割れて―――」
巨大な石剣を投げた。
簡単に言えばそれだけだ。だが、それがもたらす被害は控えめに言って災害。
軌道上にある木々は、一直線に刈り取られるようにへし折られていく。
「ぬォオオオッ!?」
それはさながらモーゼの奇跡。
海を割ったその偉業を、ヘラクレスは己の腕力のみで成し遂げてみせる。
為すすべなどない。オリオンは木々の遺体と混ざるように、吹き飛ばされてしまう。
「やー! ダーリン、死んじゃダメー!」
「■■■■■■■!!」
アルテミスの悲鳴が森に響き、怪物は勝利の咆哮を上げる。
後はあの木々の山から、オリオンを見つけ出しタッチするだけだ。
それだけで
「うそ…ダーリン、死んじゃ、いや……」
その事実にアルテミスの瞳から、涙がこぼれ落ちる。
愛した男性が死ぬなど、彼女にとっては耐えられない。
しかし、そんなことはヘラクレスの知ったことではない。
勝利をつかみ取るためにゆっくりと歩き出そうとし―――降り注いできた矢の雨から飛び退く。
「■■■■■!」
「わりーな。もうちょい付き合ってくれや」
さらに、後方からは木々で跳弾させた矢の嵐がヘラクレスを襲う。
だが、ヘラクレスにとってはさして脅威ではない。
振り向きざまに腕を一振いして、全て弾き飛ばす。
「■■■■!?」
「うかつだったな。そいつは毒だ」
だが、それは罠であった。
ヘラクレスにとって矢は、皮膚を一枚裂く程度の威力でしかない。
しかし、皮膚を一枚でも裂けば毒矢の効果は生きてくる。
大英雄の行動を奪うことはできないが、動きを鈍らせることはできる。
「おいおい、悪く思うなよ、狩りってのは本来こういうもんだ。もっとも、お前さんなら真正面からで大丈夫なんだろうがな」
破壊された木々の隙間から差し込む月光が、一人の男を照らし出す。
狩人らしい軽装に、クマの毛皮を流すように羽織る。
その顔は毛皮で目より上が見えないが、非常に端正な顔立ちであることを窺わせる。
「すまん、アルテミス。心配かけちまった」
「ダーリン……」
男が親しげにアルテミスに話しかけ、彼女もそれに答える。
「惚れた女の手前、情けない姿は見せられねえんだ」
「■■■■…!」
毛皮に隠れた瞳がヘラクレスを射抜く。
それは、かの化け物にさえ自分が狩られる側であると錯覚させるもの。
地上の全ての獣を狩りつくすと、天上の神々に恐れられた伝説。
「悪いが、遊びはここで終わらせてもらうぜ―――大英雄」
―――オリオン。それが星座に名を連ねる最強の狩人の名だ。
天草と共に先へと進んでいく。
オリオンのことが気になるが、やるときはやる男なので信じている。
「おや、これは……」
『アーラシュさんが倒れてる!?』
そんなことを考えていたところで、地面に倒れ伏すアーラシュさんを発見する。
慌てて駆け寄って、助け起こす。
『大丈夫ですか、アーラシュさん?』
「く…こいつは……恥ずかしいところを見せちまったな」
『そんなことよりも一体だれがこんな酷いことを…!』
一瞬、他の挑戦者に敗れたのかとも思うが、アーラシュさんがここまでやられるとは思えない。
「全身黒の鎧を着た騎士が突然現れてな…。背中を切られちまった……」
『なんて卑劣な……』
姿を隠して相手を背後から斬るなんて、ただの外道じゃないか。
一人を殺すためにホテルを丸ごと爆破するようなものだ。
「卑劣で結構。親とは時に子どものために泥をかぶるものなのです」
『その声は…! ランスロットさん…?』
今まで隠れていたのか、靄が消えるようにランスロットさんが現れる。
アーラシュさんを襲撃して一体何が目的なんだ?
「私の目的はあなたです、藤丸君」
『な…!?』
「マシュとの関係を洗いざらい吐き出してもらいましょう」
鋭い眼光は研ぎ澄まされた剣のように、俺の喉元に突き立つ。
相手は本気だ。冷たい汗が額から流れ落ちていく。
いけない。こんなところで負けたらダメだ。
臆さずに、言いたいことを言わないと。
『お義父さん! お嬢さんを僕に下さい!!』
「君にお父さんと呼ばれる筋合いはない! というか、結婚とか早すぎる!!」
くっ! やっぱり一筋縄じゃ行かないか。
でも、諦めるつもりなど毛頭ない。
『認めてください! 必ず幸せにしますから!』
「軽薄な言葉を口にするな! まだ、付き合ってもいない男女が結婚など言語道断!」
『じゃあ、何年付き合えばいいですか!?』
「誰が付き合うことを認めると言ったぁッ!?」
お互いに怒鳴るように言葉を交わしていく。
これは意地の張り合いだ。
理屈で説明できることじゃない。言葉で分かり合えることじゃない。
「マシュはこの先に居る」
『つまり、マシュの下に行きたいのなら』
「私の屍を越えていくがいい!」
―――己の拳で語り合うしかない。
ファイティングポーズを取り、一呼吸する。
ランスロットさんも同じように構える。
『剣は使わないんですか?』
「ここにいるのは騎士ではない、ただの父親だ」
男の意地と意地の張り合い。
武器など無粋。拳で伝えられないのなら最初からその程度の気持ちだ。
『ごめん、天草。先に行ってて』
「……挑戦内容が変わりましたが、こういう挑戦でもいいでしょう」
『天草?』
「いえ、分かりました。先に行って待っておきますね」
何やら含みのある言葉を残しながら、先に進んでいく天草。
その行動が気にはなるが、今は考えている暇などない。
「では、始めようか」
『…ッ!』
爆発的な踏み込みにより、接近してくるランスロットさん。
回避―――間に合わない。
防御―――そのまま押し込まれる。
ならば、取るべき行動は一つ。
『それなら!』
「はぁッ!」
―――迎撃する。
『いつ…ッ!』
「く…ッ!」
互いの拳が同時に頬に突き刺さる。
口の中が切れ、血の味が広がる。
だが、関係ない。
『マシュをお嫁さんに下さい!!』
「手塩にかけて育てた娘を簡単にやれるものか!!」
―――殴り合い。
泥臭く、情けなく、子どものように殴り合う。
技術などどちらも捨て去っている。
「その程度の力でマシュを守れるのか!?」
『死んでも守り抜きます!』
「―――愚か者めがッ!!」
―――憤怒。
怒りの籠った拳が突き刺さり、体が宙に浮く。
腹部に入ったアッパーは、胃の中身を逆流させる。
「死んでしまえばマシュが悲しむとなぜわからない!!」
『…ッ!』
顔面への強打。
腹部への蹴り込み。
鼻から血が噴き出す。
「守るとは! いかなる困難に遭おうとも愛する者の下に帰ってくること!!」
『ぐぅ…ッ』
「相手だけを守り、自分がこの世から去ることを守るとは言わん! それは―――逃げだ!!」
―――言葉と拳が、俺の心と体を容赦なく砕いていく。
吹き飛ばされた肢体は、鈍い衝撃と共に地面に打ち付けられる。
「誰かを守り、自己満足に浸ったところで残るのは愛した者達の涙だけだ。それが分からないのであれば君にマシュを、いや、誰かを愛する資格はない!!」
視界はぼやけるというのに、声だけはしっかりと耳に入ってくる。
―――目が覚めた。
確かにその通りだった。自己満足に命を捨てることは守ることじゃない。
それはただのエゴだ。マシュの幸せを奪ってしまう最低最悪の。
『……なら、生きる』
―――四肢に力を籠める。
立ち上がる。例え、何度打ち倒されるのだとしても。
『泥水をすすってでも、血にまみれてでも、誰かを犠牲にしてでも、マシュのために生き続ける』
「……言うのは簡単です。示したいのならまずは―――私から生き延びてみせなさい!」
『当然…ッ!』
襲い掛かる拳が俺の体を傷つける。
でも、怯まない!
『オォオオッ!!』
「づぅ…ッ!?」
打撃とも言えぬ拳を叩きつける。
型なんて関係ない。いや、自分でもどんな攻撃をしているか分からない。
ただ、想いと共に腕を振るい続ける。
「まだ…まだその程度ではマシュはやれん!!」
『なに…!?』
―――体が宙に浮く。
防御を無視して放たれたストレートは、俺の顎を容赦なく打ち抜く。
「せいッ!」
そして、無駄のない動作で、浮いた体を地面に叩きつけられる。
息が止まる。呼吸をしようとしても肺が動いてくれない。
ああ、でも―――体は動く。
『……ハァ…ハァッ…!』
「今のは決まったと思ったのですが……」
『ははは……冗談。まだ、手も足も動く…諦めるには早すぎる』
精一杯に強がって笑ってみせる。
さあ、反撃の開始だ。
『マシュと…! ずっと一緒にいたい!!』
「ここに来てこのような力を…!」
今度は俺の方が顔面を殴り飛ばす。
続いて、蹴りを入れる。
しかし、それは避けられる。だが、止まることはない。
ただ前に出て攻め続ける。
『ずっと俺のことを好きでいてくれたあの子を…幸せにしたい…!』
―――いらない。
マシュ以外の全ての存在なんて。
―――排除する。
彼女が悲しむ原因となる全てを。
『何よりも大切なマシュを守り続けたい! それが俺の望む全てだから!!』
「……ならば、その力を示しなさい!!」
地面を蹴る。二人同時に最後の力を振り絞る。
宙で弓のように体をしならせ、右の拳に全てを籠める。
そして、互いが交差する瞬間に―――振り切る。
『…………』
「…………」
世界から音が消えたような静寂が訪れる。
拳を振りぬいた状態で双方動かない。
だが、それも―――限界だった。
『く…そ……』
足から崩れ落ちる。
最後の一撃は体の芯までダメージを残した。
立つことなんてできない。限界が来た。
ああ……でも、不思議だ。
『まだ…倒れていられない!』
―――マシュのことを思うと体に力がみなぎってくる。
限界を超える。震える体を無理矢理起き上がらせる。
「………仮にですが、もしあなたがマシュと世界、どちらか一つを選ばなければならなくなった時、あなたはどちらを選びますか?」
ランスロットさんが静かな声で尋ねてくる。
マシュと世界? そんなこと考えるまでもない。
『―――マシュに決まってる』
どちらか一つしか選べないのなら、本当に大切な者を選ぶだけだ。
誰に恨まれようとも、見捨てた者から呪われようとも。
「……マシュが世界を救うことを望んだ場合は?」
『俺はマシュを優先する。でも、マシュが悲しむのは嫌だからついでに世界も救う』
「マシュを見捨てれば世界が確実に救われるとしても?」
『マシュの居ない世界なんて俺は―――いらない』
マシュが居ない世界なら滅んだって構いはしない。
俺の考えはおかしいのだろう。でも、心がそう叫んでいるんだ。
大切な人のいなくなった世界に意味なんてないって。
「そうですか……それなら―――先に進みなさい」
ランスロットさんがゆっくりと膝をつく。
余力は
だが、戦うことをやめた。それはつまり、俺のことを認めてくれたということ。
「マシュがあなたを待っています」
『はい。迎えに行ってきます』
最後の力を振り絞り、足を前へと進める。
あと少しだ。あと少しでマシュの下にたどり着けるんだ。
だというのに―――それを遮る者が現れる。
「待っていましたよ、ぐだ男君。さあ、怪盗ジャンヌからの最後の挑戦です」
「サンタアイランド仮面もいます。さて、先程の啖呵は見事でしたが…実際に聖杯とマシュさんどちらか片方を選べと言われたら、どうしますかね?」
俺の邪魔をするな…ッ。ジャンヌ・ダルク、天草四郎。
真オリオンは作者の妄想なんで別にゲームで出たりはしません。
次回でマシュ√ラストになると思います。
終わったらアストルフォかモーさんか清姫をやります。
その前に√アフターを書くかもだけど。