アニメでいうED後のCパートのイメージなので短いと思います。
現在時刻17:30。
「お待たせしました」
脱衣所からりんがやってきた。私はマッサージチェアから半身起こし、
「もう平気なの?」
「はい。応急手当程度ですけど、何とか回復できました」
と、りんは笑顔をつくっていった。さらにくすりと笑って、
「まず、あずちゃんはどうしたとは聞かないんですね」
「いくら梓が一番大事でも、いま真っ先に心配すべき事の区別くらいつくわ」
「そうですか。ありがとうございます」
りんは嬉しそうに感謝を口にした。
あの後、りんは滋養といい梓と改めて温泉に向かった。曰く、あの温泉にはドラッグ抜きやフィールダメージ等にも効能が働くのだとか。
私は、ふたりの時間を与える為にも一度脱衣所を出て、休憩スペースに設置されたコイン式のマッサージチェアでゆっくり体を休めていた。先にりんが戻ってきたとき、丁度チェアのコインタイマーが終了した所だった。
梓はまだ温泉に入ってるのだろう。確かにりんは洗脳時に梓に危害を加えたが、同時にその洗脳が弱まったときの反応も知っている。だから、りんが梓に手をかける事はないはずだ。
「良かったわ。にしても、フィールダメージにも効く温泉って何って話だけど」
すると、
「実は、あの温泉にはフィール・カードを使ってるんです」
りんはいった。
「私がこっちに来たとき、温泉で効率的にドラッグの禁断症状を治せないかなと思って、専用の装置を導入して貰ったんです」
「専用の装置?」
「ポンプとかに特殊なデュエルディスクみたいなものを取り付けたんです。これで、汲み上げた温泉を《神の恵み》化させて、さらに《治療の神 ディアン・ケト》とか《洗脳解除》とかのフィールを溶け込ませながら流してるんです。そしたら、効能に即効性のある万能温泉になってくれて。天然のカードは《神の恵み》だけで、他のカードは全部養殖物ですけど」
なるほど、フィール・カードにそんな使い方があるなんてと。私はりんの発想に感心する。
ただ、疑問がひとつ。
どうして、りんはそんな技術を温泉に導入できたのだろうか。《神の恵み》の天然のフィール・カード版なんてものの出所も気になるし。
「一度出てしまえば元の温泉の効能しか残らないので、慢性の症状には効果が薄いのですけど、怪我やその場限りの疲労には効きますし、ドラッグも物によっては効果はあります。少なくとも沙樹さんに打たれたドラッグは効果がありました」
とはいえ、慢性の症状も浸かってる間は効果があるのだろう。木更ちゃんの妹の水姫ちゃんも、普段は体が弱いのだけど《No.49 秘鳥フォーチュンチュン》を身に着けてる間は元気でいられるように。
「そして、フィールの温泉ですから当然フィールが関係した症状には効果抜群です。だから闇のフィールの損傷にも効果があると踏んでみたら」
「まさか」
訊ねると、りんは満面の笑みで、
「はい。バッチリ効きました」
これは凄いと思った。現時点でも闇のフィールに侵された被害者は腐るほどいるだろうし、今後この温泉の需要は高い。問題は、温泉がフィール・ハンターズに知られてしまったら間違いなく狙われるという点だけど。
「そっか」
この件に関する相談はまたあとにするとして、私は素直にりんの回復を喜ぶ。……ただ。
「ところで、りん? そういえば洗脳中の記憶は?」
私は意識して大した問題じゃなさそうに訊ねる。
先述の通り、りんが梓に手をかける心配はしてないが、逆にいうと、もし覚えてるなら、梓に暴力を振るった記憶をりんに刻み込んでしまった形になるのだ。
「ごめんなさい。覚えてないんです」
「そう、ならいいわ」
良かった。私は内心でほっと安心したが、
「でも。やった事は想像ついてます。あずちゃんに酷いことをしたんですよね?」
「え」
そんな事は! 私はなるべく自然に嘘の否定をしようとしたけど、
「大丈夫です。もう、先ほど温泉であずちゃんに白状させましたから」
りんは、笑みに少しだけ影を落とした顔で、
「実際、そう考えてたときもあったんです。沙樹さんがあずちゃんしか見えてないって自力で気づいたときと、それを沙樹さんの口から改めて言われたとき」
やっぱり。
りんの梓への憎悪は、単に洗脳だけではない彼女の隠れた本音がみえていた。りん自身に後ろめたい感情があったからこそ、洗脳中の記憶がなくても分かってしまったのだろう。
「責めないんですね、沙樹さん」
りんはいった。
「私、素であずちゃんに憎悪や殺意を覚えた事があるって言ったんですよ?」
ああ。本当に憎悪や殺意だったのか。
正直な所、素の感情自体はもう少しだけ平和なもので、それが闇のフィールで歪められたものと認識していたかった。まあ、どちらにしても。
「他の人ならともかく、それでりんを責める権利。私、ある?」
その一番の原因な私に。
「権利の問題じゃないと思いますけど? 大切な人を傷つけた相手なら、どんな理由があっても怒っていいと思いますよ」
「それをりんが言うの?」
大切な兄を殺した人と仲直りしたいとか、普通ありえない事してる人が。
しかし、当のりんは何故そう返されたのか本当に分かってなさそうに、
「どうして?」
なんて首をかしげる始末だった。
「あずちゃんにはもう少し長く温泉に浸かって貰ってます。お腹ですから、万一を考えて。ですね」
そういえば、あの温泉はフィールの効果で怪我にも効くんだっけ。
「ありがとう」
「勿論。私はすぐ自分の非は認めて謝りましたよ?」
にっこり。りんの笑顔の追い打ちが私を襲う。
「ごめん」
私はまだ、りんに何一つ謝れてないのだった。
「ドラッグのことも勿論だけど。あの金髪ヤンキー、りんのお兄さんだったのね」
「はい。知ってたのですか?」
訊ねるりんに私は、
「洗脳中のりんが言ってた。りんとお兄さんの関係は噂では知ってたし、そうでなくても肉親を殺されれば最悪の裏切りに見えるわよね? 酷い事したわ」
しかし、
「そうじゃないでしょう?」
「え?」
「謝るときは、格好もつけず“ごめんなさい”ですよ」
「っ」
私は、りんの言葉につい笑みをこぼした。そういう所よ、あなたが優等生とか真面目ちゃんとか言われ続けるの。
「ちょっと。どうして笑うんですか?」
「いや何でもないわ」
私は一拍置いて、
「ごめんなさい」
「はい」
満面の笑みで応じるりん。
……。やっぱり、これで解決って話は絶対ない気がする。
「ねえ」
私は、気づくといっていた。
「本音を聞かせてくれない? りんは、いま私にどれだけ恨みや失望を残してるの?」
「え?」
りんの顔がきょとんとしたものに変わる。私は続けて、
「温泉のときは、結局、お互い金髪のことより裏切られたショックのほうが大きかったんだって思った。でも、そんな筈はなかった。肉親殺されて誰が許すって話でしょ? その上自分の人生壊されて、誰が能天気に仲直りしたいって言いだすのよ。全部私に都合の良い言葉ばかり言ってるのよ、りんは。実際、洗脳されてた時のあなたも自分で言ったのよ? どうして、相手を許そうとしたのか分からない。洗脳前の自分が正気の沙汰に思えないって」
「私が?」
「覚えてない話をぶり返すのはどうかと思うけど、正直私も同意見よ。償わせてよ、今日りんが言った言葉が全部本当だっていうなら、綺麗ごとばかりじゃなく憎しみも殺意も遠慮なく向けて頂戴。梓に殺意抱いておいて、私にはないって言わせないわよ」
それに、洗脳中のりんが最期にいった言葉もある。憎しみとか殺意を全部抱えたうえで、それでも尚、私を求めていたのだとしたら。今度は私からりんに向き合うべきなのだ。
「……あー」
すると、りんはバツの悪そうに視線をそらしていった。
「困りました。実は、お婆ちゃんや旅館のみんなにも言われてるんですよね。正気の沙汰とは思えないって。まさか私自身にも言われるとは思いませんでした。だって、本当に気分が落ち着いたら、お節介目線であの日を思い出して、沙樹さんのこと何も知らないって気づいて、知りたい仲直りしたいお世話焼きたいって思ったんです。おかしいですか?」
「おかしい」
特にお世話焼きたいの部分。
「でも、そこも含めて、わざと全部鵜呑みに信じた上で私はいまりんに訊ねてるつもり」
「わざと鵜呑みに?」
「そう。その結果、もし夜中に寝首を掻かれても、りんになら構わないって思ってるから」
「しませんよ。そんな事」
りんは苦笑いで否定するも、私が本気でそれを言い、それだけの覚悟で相手と向き合おうとしてるのに彼女は気づいたのだろう。
「怒ってますよ? いまも」
りんはいった。
「それこそ、ある日突然気がふれて本当に寝首を掻いてしまう自分だって容易に想像できます。私は聖人じゃないですから、あれだけ酷く裏切られて憎悪も失望も忘れるなんてできません」
「よね」
やっと、正気のりんからその本音を聞くことができた。
「でも、それはそれ、これはこれです」
……。……………………は?
「憎しみを晴らしたいなら、心の中だったり夢の中で実行すればいいだけじゃないですか? 何度だって、どんな方法でだって殺せますよ?」
????????????????
「そんな事より、相手が自分からお世話のネタを撒いてくれたのに、目先の憎しみに囚われて話を聞こうともしなかったんですよ? しかも、そのままお別れするなんて。お節介が趣味で生き甲斐の人間としては、そちらのほうがずっとずっと致命的じゃないですか」
ッッッッッッッッッッッッッッッッ!?!?!?!?!?
「当時も言いましたけど、趣味に生きてるだけなんです、私は。だから、憎しみだけ取り挙げて正気じゃないって言われても、正直本気で困ってしまうんですよね」
りんの話を聞きながら私は、密かに背筋がぶるっと震えていた。
いま分かった。
こいつは人格が破綻してる。思考回路が正常じゃない。蓋を開けてみれば、闇のフィールで洗脳された時のりんのほうがよほど“人間の思考”をしていたのだ。
という事はだ。洗脳中のりんが最期にいった言葉の数々。確かにいましか伝えるチャンスがなさそうに聞こえたが、まさか洗脳が解けたら一番大事な所を正常に認識できなくなるから?
…………。ありえるのが恐ろしい。
「それで納得できるの?」
せめて、私は抵抗する。何に抵抗してるのかはともかく。
「憎しみよりお世話を選んで、それでりんの腹の虫は収まるの?」
するとりんは、
「仕方ないですよ。事情を知って納得しちゃったんですから。善人扱いも嫌いですけど、実はもうひとつ、スマートじゃない考えも同じくらい嫌いなんです」
結局、りんは
そして、
「実をいうと、もう知ってるんです」
「なにを?」
「沙樹さんと兄との間に何があったのか」
突然、りんはとんでもない事をのたまった。
「梓から聞いたの?」
私は訊くも、
「いいえ。こちらに来てから自分で調べました。兄はあの日起きた爆破テロの犯人で、沙樹さんは被害者だったこと。沙樹さんが兄を殺す以前に、実は兄が一度沙樹さんを殺してたこと。そして、一度死んだことで地縛神の眷属になってしまい、沙樹さんの意志とは別のところで兄を殺したことも」
は?
「え、ちょっと待って。なんでそれをりんが」
「その後、ある研究施設に回収され噂の半機人として蘇生。現在はハングドって組織でレズの肌馬なんて名前で活動をしている。ですよね?」
「だからちょっと、なんでりんが」
直後だった。
「お嬢様」
私たちを部屋に案内した仲居さんが、慌てた様子でやってきた。しかも、りんをお嬢様呼びして。
「どうされましたか?」
そのうえ、返事をするりんも妙に板についてる。
「たったいま、名小屋のフィール・ハンターズ支部の方から連絡がきまして。本日泊まられてる“レズの肌馬”を確保するために協力を要請したいと。……あ」
ここで仲居さんは私に気づく。
「えっと、その」
しどろもどろになる仲居さん。私はりんに、
「どういうこと?」
訊ねると、まずりんは仲居さんに、
「大丈夫ですよ。その要請を請ける気はありませんから。名小屋支部にお断りしますと伝えて頂けますか? それと、総員に指示をもうひとつ」
そして、りんは私に向かって、
「改めまして。フィール・ハンターズ・ミハマ支部リーダーの
とんでもない事実を、一見、人畜無害な笑顔でのたまうのだった。