今回、前編は全体の1/3程度の長さになってます。(デュエルシーンを省くと前編のほうが長いかもしれません)
また今回、前編部分にギャグ要素は殆どありません。
夜も明るい繁華街の道を、ひとりの少女が駆けていた。
二回りほどサイズの大きいシャツをワンピースにし、下着は穿いておらず、セミロングほどの髪もボサボサに痛んでいる。
よほど余裕のない状況なのだろう。何度も街歩く人と肩がぶつかり、時には、
「おい、どこ見て歩いてるんだ!」
と、怒鳴りつけられたが少女は無視。そのうち腕を掴む若者が現れたが、少女は遠慮なくフィールの入った拳を相手の心臓に打ち付け、地面に転がした所を逃げる。
少女が去った後、倒れた若者がそのまま死亡して騒ぎとなるが少女は知る由もなかった。
「見つけたぞ」
繁華街を抜ける寸前で、背後から男がいった。
どうやら、通りの出口で待ち伏せしていた様子。瞬く間に少女は囲まれてしまった。
「もう逃げられないぞ。早く戻ってこい」
「嫌。私は帰らない」
少女の言葉を聞き、男はいった。
「仕方ない。なら半死でも構わん。やれ!」
その時だった。
辺りが急に吹雪に襲われ、少女を囲む追っ手たちが次々と倒れては、そのまま氷の棺に閉じ込められる。
「ニェット。悪いけど、その子を渡すわけにはいかないんだ」
吹雪の中から、白い肌を持つロシア系の少女が姿を現した。背には、氷の翼をもったドラゴンを引き連れている。
(き、貴様は)
男の最期の言葉が声になることはなかった。
最後のひとりが倒れ、この場に立ってるのがふたりの少女だけになると、そのうちの白い肌の子は空を見上げ、こういった。
「プリベェット! やあ、ヴェーラだよ。USUALLY2で伝えた通り、行方不明の謎の少女、時子が話に大きく関係するMISSION29を始めようか」
――現在時刻、午後19:00。
木曜日。
「皆、次回のコ〇ティアでは
この日、鳥乃 沙樹が
彼女の発言に、実の娘である菫は挙手して訊ねる。
「お母さん。それ需要あるの?」
「あるか無いかじゃない。作るのよ。私たちの力で、かすが店長のHOLEを緒方が股間の《ヴォルカニック・デビル》で激しく《ブレイズ・キャノン》する。そんな風潮を」
「そんな風潮要りませんわ」
組織のNo.2である立花 鈴音はいうも、
「あ、悪いけど《ブレイズ・キャノン-トライデント》は無理よ。男の穴は2つしかないし」
「聞いてませんわそんな事!」
「ん、何? 穴がひとつ足りないならヘソの穴を貫けばいい? マニアックな事をいうじゃない鈴音」
「誰も言ってませんわ!」
鈴音は声を荒げて否定するも、
「うわ、鈴音さんがヘソ姦趣味だったなんて」
と、誰かがいっては次々に蔓延。
「勝手に人の趣味を捏造しないでくださいませ!」
鈴音はいつものように嘆くのだった。
そこへ、会議には混ざらず、ひとり別件でパソコンに向き合ってた藤稔 木更が、
「かすが様……?」
と、小さく反応した。これを聞いて高村司令は、
「これが理由よ」
「どういうこと? お母さん」
菫が訊ねると、
「いま藤稔はゼウス関連で正常を失ってるのは知っての通り。だけど唯一かすが店長が絡む物事には反応を示すわ」
「それなら、いつも通り霞谷×かすが本でいいと思う。どうしてここで新規開拓を?」
「どっちもフィール・ハンターズだからよ」
高村司令はいった。そして、机に座ってゲンドウポーズを取り、
「新規開拓するなら当然、双方に取材しなくちゃいけないわ。となると必然的に緒方ミリタリーに足を運ぶことになる」
「ああ。なるほどですわ」
鈴音はここで意図に気づき、
「沙樹の報告によると、藤稔 ゼウスは昨日、赤い彗星のマスクと軍服を着た姿で現れたそうですわ。となると、現在は緒方の下で動いてる可能性が高いですわね。つまり真の目的はかすが店長を餌に木更さんを焚きつけつつ、スタジオミストの活動を使っての潜入捜査」
緒方 銃が社長を務める緒方ミリタリーは、表向き迷彩服やモデルガンなどを扱う近辺の軍オタ御用達の専門店や射撃場、さらにお祭りの射的やサバゲーのサークル管理などにも手をまわす会社とされている。しかし、その実態は緒方 銃が支部長を務めるフィール・ハンターズ名小屋支部のひとつであった。
現在はかすが店長の支部に吸収され傘下に入っているが。
「とはいえ、勿論スタジオミストの活動に手を抜く気もないわ。いまハングドとフィール・ハンターズの関係は以前より険悪。この状況で取材に応じて貰うなら、緒方ミリタリー側にも利益あるプロジェクトを作る必要がある。ぶっちゃけると、ガチで売りに行くつもりで薄い本を描く。そして私たちの本で緒方ミリタリーの知名度と人気に貢献するわ」
「元々、私たちの財政に爆死する作品を世に出す余裕はありませんわ」
鈴音は溜息を吐いた。彼女にとって、今回のプロジェクトは爆死するはずの作品をヒット作にしろという無茶振りに他ならないからだ。
そこへキッチンからフェンリルがやってきた。
「ボクはあまり賛同したくないな。やれと言われたらやるけど」
言いながら、フェンリルは各々の机にランチプレートを置く。煮込みハンバーグにペペロンチーノ、サラダがひとつの皿に盛りつけてあった。すべてフェンリル手製の、今晩の夕食だ。
「一応、ワンプレートで炭水化物・タンパク質・野菜は摂れるようにしたけど、丸パンとコーンボタージュもあるから、足りない人はセルフサービスで各自好きなだけ持ってって」
木更には及ばなないが、フェンリルも比較的料理は得意なほうだった。特に喫茶店で出るような洋食が得意で、フェンリル自身の好物でもあるナポリタンはすでにハングド内でも一定の好評を得ている。昨日作ったばかりなので、今日は昼夜共に出されることはなかったが。
「セルフサービスね。ビールはある?」
高村司令が訊ねると、フェンリルは苦笑いし、
「冷蔵庫にあれば自己責任で。他人のビールを飲んでも飲まれてもボクは一切関与しないから。買いにいけっていうなら行くけど、足代と請求書は申請するよ」
「チッ」
高村司令は舌打ちし、冷蔵庫からビールの代わりにストロングゼロを出して自らの机に置いた。
「では、かすが様の取材は私にお任せください」
少し時間差ながら木更がいった。高村司令は小さく拳を作って、
「よし。第一目的達成」
「第一目的、ですか? はっ!? もしかして私とかすが様をゴールインさせて、披露宴にゼウスちゃんを出席させて保護する作戦? そんな、私まだ早いわ。こういうのはまず、花嫁修業と同棲を各数年……あ、同棲ってことは、夜もふたりひとつのベッドで。きゃーーーーっ」
顔を真っ赤にしながら、嬉しそうに身もだえる木更。高村司令は缶を一気に呷り、
「どっかのレズと違ってメンタルのライフが0でも特定ワードで暴走してくれるのは助かるわ」
なんていって、空にした缶を煙草の灰皿にする。
「そのレズさんが不在で良かったよ。この複雑な気持ちで曇るのはボクだけでいいからね」
木更に恋と劣情を抱きながら、今日まで彼女を一度も立ち直らせることができなかったフェンリル。自分より積み上げた関係の長いレズこと鳥乃 沙樹でも不可能だっただけに、かすが様が絡むだけでスイッチが入った木更を前に、彼女の心のライフポイントは鉄壁ラインに突入する。
「愚痴くらいならいつでも聞きますわ。フェンリルさん」
鈴音は慰めるように言いながら、力の無い瞳を高村司令に向ける。ストロングゼロは鈴音の私物だったからだ。
事務所の扉が開いた。
中から入ってきたのは、20代後半くらいの白人と黒人の男性コンビ。
「よう司令、無事に見つかったぜ」
白人がいうと、続けて黒人が、
「自宅で寝てただけなんだけどよ」
このふたり。どちらもハングドの構成員のひとりで、白人はパイン・サラダ。黒人はマイケル・ベックマンという。ふたりは両方前線のペアで行動しているのだが、数日前からマイケルの連絡が取れなくなり、パインが捜索してた所だった。
高村司令はいった。
「おかえり、ふたりとも。早速アンタらには選択肢が二つあるわ。いますぐスタジオのアシスタントをするか、依頼に駆り出されるか。二つに一つよ」
「おいおい待ってくれよ高村さん」
パインはいった。
「普通、ここは精密検査だろ。マイケルは何日も行方不明で急に戻ってきたんだぜ? 俺はマイケルの自宅だって捜索したんだ」
しかし、当のマイケルは、
「依頼だ。できれば殲滅任務みたいなのがいいな。酒飲んで寝て飯食っての自堕落を過ごして体が鈍ってるんだ。早くターゲットをブチのめしたくてウズウズしてるぜ」
「だろ? 見ろよ、今日のマイケルはなんか違和感があるんだ。俺は数日の間にマイケルの身に何かあったと思って不安で仕方ないよ」
肩をすくめるパイン。実際、マイケルは獰猛な性格ではあったが戦闘狂いではなかった。ハングドに所属する理由はギャンブルで多額の借金を抱えたためで、日ごろから金さえあれば、ステーキを喰らいながら酒を飲み、グラマーな女性を一晩買ってアンアンいわせたいと言っていた。まさに今回、ささやかな夢を実行するため数日休暇を取った所、パインがフライドチキンを差し入れにマイケル宅に向かった際に行方不明が発覚したのだった。
「了解、依頼ね」
高村司令はいった。
「パイン・サラダ。アンタに任務を申し付けるわ。ただちにマイケルの身柄を田村崎研究施設まで護送し精密検査を受けさせろ。依頼人は私よ」
「おい、待てよ」
今度はマイケルが反論する。
「俺は問題ないって言ってるじゃないか。しかも、なぜ俺が田村崎研究施設で検査を受けなくちゃいけないんだ。俺は機械じゃねえ、人間だ!」
「それを証明するために検査をしろと言ってるのよ。フェンリルやガルムを作った黒山羊の実の技術がフィール・ハンターズに渡ったのよ。突然の行方不明から戻ってきて、しかも数日のアリバイが食い違ってるやつを心配するのは当然でしょ」
「悪いがお断りだ」
憤慨するマイケル。パインが頭を抱える中、不意にノックもなく事務所の扉が開いた。
外には小学生くらいの少女がふたり。ヴェーラと、先ほど繁華街を逃げてた少女だった。
ヴェーラはいった。
「プリベェット! やあ、ヴェーラだよ。依頼があるんだけど、直接持ち込んでもいいかい?」
「ヴェーラ!?」
高村司令は立ち上がり、
「アンタ、取材とは聞いてたけど音信不通でどこほっつき歩いてたのよ。BARのマスターが心配してたわよ」
「
ヴェーラは一度きょとんとしてから、
「
「時間移動でもしたのアンタ」
呆れた顔で高村司令はいったが、ヴェーラを理解することは不可能と知ってるため、これ以上は追及しない。
「で、依頼って?」
「
ヴェーラはいって、少女を事務所の中に入れる。
高村司令は訊いた。
「この子は?」
「フィール・ハンターズに拉致されてた被検体で脱走者だよ。年齢は今年10歳、名前は」
ヴェーラが説明する途中で少女は、
「時子!」
と、フェンリルの前まで駆けだす。
「え?」
フェンリルがきょとんとする中、少女はまくし立てるように言った。
「良かった、時子。無事だったのよね。私よ、満智子よ。ひとりだけ先に目覚めたっていうから心配だったけど、組織を抜けたってことは時子だけは正気なのよね?」
「え、ちょっ、待ってよ」
フェンリルは目でみんなに助けを求めてから、満智子という少女の肩を掴んで制止。いった。
「人違いだよ。ボクの名前はフェンリル。時子じゃない」
「だから、時子がフェンリルなの」
満智子は断言する。
「フェンリルっていうのは、時子がデュエル兵士として与えられた名前で、冷凍保存されてたあなたをプライドって人が勝手に持ち出して。覚えてないの?」
「ごめん」
フェンリルはすまなそうに言った。
「記憶がないんだ。フェンリルとして生まれてくる前の。だからボクは、プライドの作品として生まれたことしか分からない」
「そんな」
一転し、満智子は悲痛な顔で、
「嘘よ。じゃあわたしは何のために洗脳処置を逃れて、時子の危機を伝えるためにここまで」
一歩、二歩と後退してから、
「この馬鹿ああああああっ」
と、フェンリルに罵声を浴びせ、事務所を逃げ去る。
「あ、ちょっと」
フェンリルはすぐ手を伸ばすも、もう手の届く所に満智子はいない。
代わりに、フェンリルの手元に一筋の光が浮かび上がり、
(なに、これ?)
と、フェンリルが思った直後、それは1枚のカードとなってフェンリルの下に宿った。何もない所から天然のフィール・カードが生まれる。フィールに携わってる者なら、たまに聞く話であった。
一方。
「お、おい待てよ」
マイケルは咄嗟に満智子を追いかけ、
「悪い高村さん、行ってくるわ。依頼人の大事な保護対象らしいからね」
と、パインが続けてマイケルの後を追う。
「事情を教えて頂けますか?」
一度玄関の扉を閉め、鈴音はいった。
ヴェーラは傍のソファに腰かけ、携帯ボトルのウォッカを一口飲む。
「彼女の名前は
「10年前? ですが、ヴェーラさんは彼女を10歳と申されましたけど、こちらの情報では被害者に妊婦もしくは1歳未満のお子様はいなかったはずですわ」
「ここ最近までコールドスリープで寝かされてたんだ」
「コールドスリープ?」
「当時は現在でいうロストも未完成で闇のフィールもなかったからね。意識を奪い仮死状態にして実験を行うという意味も込めて、不幸にも適応性の高かかった被検体は冷凍保存されたんだ。ウジャースナ、酷い話だよ。適応力が低かった人ほど幸せに逝けたんだ」
「彼女は、フェンリルを時子と呼んでましたが」
との鈴音の問いにヴェーラは、
「ヴェールナ。その通りだよ。フェンリルの正体は鱒川 時子。ガルムの素体となった妙子とは遠い親戚で、水菜が長年捜索していた行方不明者その人なんだ」
「えっ」
フェンリルが食いつく。ヴェーラは続けて、
「イズヴィニーチェ。水菜にも君たちにも隠して悪かったと思ってる。MISSION29までにこの事実が伝わってしまうと満智子も助からないルートが確定してしまうんだ」
「って事は、いまがMISSION29とかいうやつなの?」
フェンリルが訊ねた。ヴェーラの言葉でいうなら、彼女は「USUALLY2-からかい上手の藤稔さん」ですでにMISSION29というワードを聞いていたからである。
「ハラショー。その通りだよ」
ヴェーラは肯定した。
「続きは満智子の言葉に併せて解説しよう。さっきの白黒コンビと通信を繋いでくれるかい?」
「もう繋いで、いまの内容も聞いてるわ」
高村司令はいった。
パインとマイケルは、人気のない児童公園で満智子を確保していた。
「買ってきたぜパイン。ホットドリンクひとつと、ビールは高いからドライ味のチューハイだ」
レジ袋をふたつ持って、コンビニから戻ってきたマイケルは、ホットドリンクの入った袋を満智子に渡し、もう片方から缶チューハイを1本出して残りを袋ごとパインに渡す。
「サンキュ、マイケル」
パインは袋を受け取ってから、
「お前の分だ。もう買ってしまったから突き返されても困るぞ」
と、すでに満智子の手に渡った袋を指していう。
「ふんっ」
満智子はそっぽを向くも、中身がジュースだと分かると警戒しながらも次第に飲みだす。
マイケルはベンチに座った。すでにふたりも同じベンチに座っていたので、満智子の両隣を挟むように。
本当はもっと早く捕まえられる手筈だった。
しかし、満智子はフィールによって身体能力が向上しており、子供の小さな体躯もあって難航した。結局、公園に逃げたのが幸いし挟み撃ちや誘い込みを駆使し、何とかパインが彼女の腕を掴むことに成功したのだった。
「どうして放っておいてくれないのよ。依頼だから?」
「そうだ」
身も蓋も無い台詞で返すマイケルに、パインは一回苦笑いしてから、
「いまの時世は、知らない子に声をかけたら誘拐と間違われて逮捕されちまうんだ」
「なら、私も放っておけばいいじゃない」
「ところが、依頼という後ろ盾があれば保護していい理由になるだろ」
「なら勝手にすれば」
突っぱねたように言う満智子。
「ああ、勝手にさせてもらう」
パインより先に、マイケルがいった。
静かな時間が流れた。
誰かが喋ることもなく、3人の他に誰かがやってくる気配もない。音といえばたまに夜風で樹木の葉がなびく程度。
3人が、それぞれドリンクを飲み終えた頃、パインがそっと口を開いた。
「静かな夜だな。このまま何もなければいいが」
「ああ。小鳥の囀りもない、不気味な夜だ。こういう日は安全な場所で早めに布団に潜るに限る」
マイケルはいってから、
「ミチコだったな。お前は今晩を過ごすベッドはあるのか?」
「あなたには関係ないでしょ」
満智子はいうも、
「いいや、関係あるね。朝、てめえの遺体でも発見されたら目覚めが悪い」
「それは無いわ」
「そうか?」
「ただ、フィール・ハンターズに回収されて次に遭うときはただの殺人マシーンになってるだけよ」
「それはもっとお断りだ」
マイケルは懐から煙草を一本だし、口に咥える。
「そもそも、なんで私の名前を知ってるのよ」
満智子の問いに、
「事務所で名乗ってただろう? フェンリルに向かって」
パインはいった。実際はその時点では頭に入っておらず、追跡する途中ハングドからの通信で情報を貰ったのだけど、言う必要がなかったのでパインは言わない。
「知らないわ。フェンリルなんて」
「なら、どうして彼女に声をかけたんだ?」
「人違いよ。ただの」
「それならそれでいい。でもな、そこに至るまでに何があったのか、俺たちに教えてくれないか?」
と、話を誘導するパイン。続けてマイケルも、
「内容次第で解放して貰えるかもしれないぜ」
「約束できる?」
「ああ、約束する」
マイケルがうなずいた所、
「時子と私は、同じ実験の被検体だったのよ」
満智子は語りだした。
「家族でバスに乗ってた所、突然フィール・ハンターズって集団が現れて、乗ってた人はみんな変な建物に監禁されたわ。私の両親も、時子の両親も」
「10年前、フィール・ハンターズが観光バスを丸々ハイジャックした事件があったな」
パインがいうと、
「そう。もう10年も経ってたの」
満智子は、自分がコールドスリープの結果幾らか時間を飛び越えてるだろうとは思っていたが、まだ正確な時系列を知らなかったのだ。
「建物の中では、何人かの女の人だけを牡蠣根って人が連れて行った後、毎日いろんな実験に付き合わされたわ。まず全員頭の中に小豆より小さな機械を埋め込まれた後、椅子に座って電流を流されたり、頭に機械をかぶってデュエルさせられたり、お薬を飲まされたり注射されたり。自分が何をされてるのか分からなかったけど、みんな日に日に気が変になっていって、早い人は2日目か3日目には意思疎通もできなくなって、目の前で廃棄処分だって殺されたわ。その中には私のパパもママもいたわ。それで、建物の人はいうの。こうなりたくなかったら、気が狂わないように実験に耐えろって」
まだ本来ランドセルを背負ってるはずの子供が語る内容に、ふたりは「うっ」と顔をしかめる。
「拉致されてすぐ両親を失ったのか」
マイケルが、満智子の頭を不器用になでる。
「最後、パパは呻き声を漏らすだけになって、ママは私のことも分からなくなってずっと喚き散らしてたわ」
「そいつは酷ぇ。君に同情するほど何もいえなくなる」
パインは表情を失った。
「そんな私に手を差し伸べてくれたのが、鱒川さん。時子の家族だったのよ」
満智子は言いながら夜空を見上げる。
「時子がお姉ちゃんになってくれて、その両親の
「何があったんだ?」
マイケルが訊ねると、
「ある時、一日の実験が終わって部屋に戻ったら、私だけになってたの。聞いたら、羽玄さんも、真理奈さんも、時子も、みんな今日の実験に耐えられなかったんだって」
「まさか廃棄処分か? いや、しかし時子はまだ生きてるわけだが」
「ええ。でも、そのとき私は時子たちが生きてるって知らなかったから。みんな死んで、私だけが生き残っちゃったんだって思ったら、一気に薬とか実験の副作用に襲われて、発狂する寸前の所でスタッフに連れられて、機械でできた棺の中に入れられたわ」
「満智子だけって事は、お前たち以外はどうなったんだ?」
マイケルの疑問に満智子は、
「私たちが最後の4人よ。他の人は遅かれ早かれ廃棄処分されたわ」
と、言うも、
「って、人間としての私が終わる最期の数分前まで思ってた」
満智子はいった。
「あの人たちが考えてた以上に、被検体がどんどん壊れていくから、ある程度の結果を出した被検体は適応者として、壊れる前にコールドスリープで冷凍保存されてたのよ。時子たちもその要領で眠っているから安心しろって、私もコールドスリープで寝かされる前に言われたわ。まあ、私は適応者というほど結果は出してなくて、時子たちのおかげで狂わずにいれたケースだから、後半からはみんなよりずっと実験の内容も易しかったみたいだけど」
「何人コールドスリープまで耐えれたんだ?」
「10人と少し。実際は、コールドスリープ中のまま実験に使われて死んだ人もいるから。いまも生きてるのは私や時子を含めて1桁。もしかしたら私たちだけかも」
「そうか」
マイケルは悔しげにうなずく。
「そろそろ核心に踏み込んだことを聞こう」
今度はパインがいった。
「君は次にフィール・ハンターズに捕まったら自分が殺人マシーンになるって言った。なら、どうして時子が何も覚えてないからといって、保護を拒んだ? 洗脳されるんだろう?」
「そんなの、決まってるわ」
悔しさを滲ませ、絞り出した声で満智子はいった。
「時子が私を覚えてないなら、もう私のお姉ちゃんじゃないなら、もう私が満智子でいる意味なんてない。だから、本来あるべき羽玄さんと真理奈さんの側につくのよ」
その言葉に、マイケルが驚く。
「フェンリルの両親も目覚めてるのか!?」
「それどころか、私たちデュエル兵士の隊長格よ」
「そういえば事務所で君はフェンリルをデュエル兵士って言ってたな」
パインは反応し、
「フィール・ハンターズのデュエル兵士といえば、奴らが
「そうよ」
満智子はうなずく。
「私たち被検体は、あなたたちの言葉を信じるなら10年の刻を経て、デュエル兵士として目覚めたわ。ただひとり時子を除いてね」
そこで、常時開いた通信先でヴェーラがいうには、
「例えるなら
事務所サイドでその場全員が「なぜそこまで知ってる」と目を向ける中、公園サイドでは続けて満智子が、
「私も自分をデュエル兵士って思ってるから例外じゃないわ。与えられた私の役目も認識してるし、それ自体に歯向かうつもりはないの。だけど、私は適正が低かったから人間の心を消される前に装置が誤作動を起こして、自我そのものが消える所だった。そこを、誰かに救出されたの」
「その誰かというのは?」
「分からないから“誰か”って言ったに決まってるじゃない。男か女かさえも認識できてないわ。ただ、目覚める寸前、フェンリルを護れって言われたのは覚えてる。だから私は、”私の役目”に従って、時子の下にきたのよ。デュエル兵士として私に与えられた役目は、”出来損ないは出来損ないらしく他の兵士の道具に徹しろ”だもの」
最後だけ自らを嘲るように満智子はいった。どこか乾いた笑いの混じった喋りに、パインとマイケルのみならず事務所サイドさえ痛々しさに眉間が歪む。特に、
「しかも、いざ再会したら時子は私のことを覚えてないっていうじゃない。私にはもう時子しかいないのに、その時子もお姉ちゃんでいてくれない。それならもう、満智子でいるのも諦めて羽玄さんと真理奈さんの道具になりたいって思うのは、おかしい?」
なんて言葉を聞かされてしまっては、事務所サイドでフェンリルがショックで膝から崩れ落ちるのは無理なかった。
そんな満智子の下に突如、
「馬鹿かお前は!」
と、叱咤の声が響いた。
パインでもマイケルでもない。夜の公園の暗闇から、後ろに数人のフィール・ハンターズを連れ、ひとりの男がやってきた。背は180を超え、美形とはいかないが人並に端正な顔立ちに茶色に染めたセミショートの髪、三百眼の鋭い眼差しが印象的に映る。
直後、
「うっ」
と、マイケルが頭を抱えだした。
「おい。どうしたマイケル?」
パインが心配して訊ねた。マイケルはそのまま数秒震えた後、
「ああ。大丈夫だ、何でもない」
と、ぜえぜえと肩で息しながら返す。
男はいった。
「分かりきった事実にショックを受けるな。迎えにきたぞ、ドエル。早く帰るぞ」
「ドエル?」
パインが訊ねると、
「デュエル兵士としての私の名よ。クトゥルフ神話に出てくる、ティンダロスの猟犬の協力者ドールの別読みらしいわ」
満智子はいい、続けて男に向かって、
「なにしに来たのよ、羽玄!」
「いまの名は“デュエル兵士”ハーゲン。理由はたったいま言ったはずだ。ハングドにお前の居場所はない。早く帰るぞ、飯の準備はできている」
事務所サイドで誰かがいった。「ご飯、用意してるの?」と。
さらにフェンリルも、待遇がプライドの下より良さそうで内心軽い嫉妬を覚える。何せ黒山羊の実時代は人形扱いが過ぎて食事も排泄も許されなかったのだ。
「おい、待てよ」
パインがベンチから腰をあげた。続いてマイケルも立ち上がる。
パインは満智子を護るように立つと、
「悪いが、まだ満智子を解放するとは言ってないぜ。何より、フェンリルがこいつのお姉ちゃんをしないって誰が決めたんだ?」
「ドエルが求めた姉は時子の記憶と人格をもったフェンリルだ。いまのあいつにドエルを預けられるか」
「だが、満智子がそっちに行ったら、今度こそ自我が消えてしまうんだろ?」
「それを決めるのは上だ。俺ではない。それに、俺はドエルがどうなろうと父親として義娘を愛し続ける」
彼が本気でいってるのはパインの目にも明らかだった。血の繋がりはないとの事だが、羽玄、いやハーゲンは、家出娘を迎えに来た父親そのものの眼差しで満智子を見ていたのだ。
しかし、娘が心を失うのを許容する父親がいていいはずがない。パインはハーゲンを睨みつけ、
「なら俺とマイケルが満智子の三人目の父親になってやる。法では救われない人たちを、人並の幸せに導いてやるのが俺たちハングドの仕事だ」
怒りを露にデュエルディスクを構える。
パインはかつてアメリカ海軍のパイロットだった。父親も海軍で家にいることは少なく、パインは父親の愛を知らずに育った。父親との時間を求めたパインは努力の末父親の部隊に入隊したが、その日から父親はパインを兵として扱い息子と呼ぶことはなくなった。
パインはいまも、ありふれた父親の愛に憧れを抱いており、だからこそ娘を愛してるようで逸脱しているハーゲンが許せなかったのだ。
そして。
満智子もまた、真摯に自分に向き合ってくれるパインとマイケルに心を開きつつあった。
「パイン」
弱弱しくすがるように、満智子が助けを求める中、
「いくぜマイケル。仕事開始だ」
威勢のいいパインの言葉を前に、マイケルは彼の横に立ち、
「ああ、仕事開始だ」
懐から拳銃を一本取り出す。
そして、パインの頭を撃ち抜いた。
後編は日曜日頃の更新を目指そうと思っています。