短編置き場   作:オシドリ

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ネタ・皇国の守護者・英康に憑依3

『発、司令部偵察騎。宛、鎮台司令部。伝達、敵砲群発見。ロー五』

「司令部より第一砲群へ伝令を出せ。ロー五へ効力射を開始せよ」

 

 開戦から二刻経った第十一刻。<皇国>北領鎮台の司令部である大天幕内には、奇妙な静けさがあった。

 中央にある折畳式の机には天狼原野の地図が置かれ、その前には司令官である守原英康と司令部付きの参謀達が立ち並んでいた。

 導術士が通信を読み上げる声と、グリッド座標の書かれた地図の上に駒を置く音だけが響いていた。

 

 グリッド座標とは現代の地図なら普通に見られる縦横に線が引かれ区画割りしたもので、鎮台は陣地構築の際に綿密な測量と試射を行って製作したものだった。

 従来の砲は短射程と実体弾を使う事から直接標準が主流(近くの見える敵に撃つ)であり、間接射撃(遠くの見えない敵へ撃つ)の場合は「あのあたりに砲撃」という曖昧な命令によって行われていた。そのため広範囲に攻撃できる霰弾を使用していたが、それでも距離、方角、仰角など全てが砲兵のカンと経験で行われていたため間違いやズレも多く発生していた。

 

 だが、グリッド座標ではたった一言で済むようになる。

 この場合であると地図で「ロー五」を探し、自分の位置からの距離と方角、必要な仰角を確認して砲を調修正、砲撃すれば良い。従来よりも遥かに早く攻撃する事が可能になっていた。

 勿論、これでも完全にズレを直す事は出来ないが、通常編成より遥かに多い野戦砲の数と榴弾か榴散弾による範囲の広さでカバーしている。

 

 要するにだ。敵がいる場所を根こそぎ吹き飛ばしてしまえばいい。火力によるゴリ押し万歳である。

 幸いなことに、<皇国>は歴史な要因(五将家が味方を増やすため地方共同体に大きな自治権を与えたため下手に徴発が出来ない)で兵站を重視している。また兵站部の梃入れもしており、北府からの距離が近いこともあって膨大な弾薬を支えることが出来ていた。

 

「……敵に同情しますな。これは」

 

 ようやく参謀の一人が呟くと張り詰めていた空気も緩み、周りの人間も息を吐いて口々に言い合う。

 

「まったくだ。帝国軍が前進できていない」

「演習で分かっていたつもりだったが……」

「うむ。あの演習結果も酷かったが、それ以上とは……」

 

 <帝国>侵攻前、可能な限り実戦に近い演習ということでこの造り上げた塹壕線に多くの将兵が挑み、そして返り討ちにあっていた。

 当時はまだ造ったばかりで貧弱な部分もあり、更に「あまりにも死傷者が多すぎる」ことから一度審判をやり直し、被害を低めに見積もった内容にして再開。

 

 それでも塹壕線の見た目と不理解から真正面から突撃し、そして見事な全滅を見せる部隊が続出。

 攻略できたのはこれを恐ろしいほど頑強な要塞と見抜き、「雷壕(ジクザクに掘削した塹壕)を掘り進め、短時間からの砲撃後に突撃」という正解に辿り着いた新城の剣虎兵大隊と、それを真似た一部の部隊のみ。

 

 新城の場合、まず嫌がらせ程度(四斤砲では壊せないため)の砲撃支援の下で円匙(シャベル)を持った銃兵を先行させ、幾つものの塹壕を掘り進める。鉄条網は爆破。近づいたのち、分解して運んだ四斤山砲による短時間の集中砲火を開始。その際、煙幕弾も撃ち込んでおく。爆発と煙で守備側を混乱状態に陥らせ、その隙に剣牙虎と共に塹壕内へ突撃。小隊ごとの独自判断で動きつつ肉弾戦を行う。また強固な火点は無視し、とにかく前進して目標である守備側の司令部を攻略、というものだった。

 

 前世の、第一次世界大戦時にフランスで考案された戦闘群戦法と同じような動きだった。だがそれでも攻略できただけで、部隊の半数以上が死傷判定を受ける全滅状態だった。

 

 なお、塹壕線を突破されたという事実は造成した工兵部隊の矜持を大いに傷つけられたらしく、司令長官に願い出て昼夜問わない工事で更に増設し、凶悪になった塹壕線が出来上がることになった。

 「これならどうだ!」と言わんばかりに満面の笑みを浮かべた工兵部隊に対し、新城は引き攣った笑みで答えたという。

 

 この出来上がった塹壕線を試験する前に<帝国>軍が襲来したため、また演習ではない実戦でどの程度に使えるか殆どの者は分かっていなかった。

 そして、その凶悪さを誰もが目にすることになる。

 

 会戦が始まって二刻。既に三度の突撃を受けている。だが演習で全滅した鎮台の部隊の様に、<帝国>軍は塹壕線どころか鉄条網を突破できずにいた。

 

 この時代の攻城戦は大別して二つ。まずは新城の様に塹壕を掘り進めること。もう一つは力攻めである。まず味方の砲撃で援護を受けながら突撃発起線(つまり、陣地から五十間の位置)まで近づき、準備が整ったところで号令と共に横隊で突撃する。この時期の銃の有効射程が五十間、施条(ライフル)銃で百間であるからこれが常識となっている。

 

 しかし、防御側である鎮台の在阪六四式施条銃(ミニエー銃)新型実包(ミニエー弾)を使えば有効射程は三百間である。

 つまり<帝国>軍は、突撃発起線に近づく前から射撃を受けることになる。しかも鎮台は「塹壕と土塁で身を守っている」という心理効果で射撃命中率も高い。

 更に言えば開戦時から景気良く撃っている野戦砲は射程が最低でも二里。最も長射程の十六斤野戦砲なら三里はある。そして威力も高い。

 結果として、北領鎮台は緒戦としては申し分ない、いや異常な戦果をあげていた。

 だが、新たな不安材料も出ていた。

 

「導術兵の消耗が早い。このままでは早晩に射弾観測も部隊間の通信も全て途絶えてしまうぞ」

「それだけではない、観測によれば後方の<帝国>軍が既に立て直し、こちらの射程外に逃れている」

 

 この二つである。

 まず導術だが、これは導術兵はまだ新しい兵科の上にここまで大規模に使ったことが無いのが理由だった。導術は同時に使うと混線しやすく、また連続行使によって疲労が溜まりやすい。

 それは今までの経験から分かっていたため、多くの導術兵をかき集めたが二刻の内に二人が術力行使による消耗で失神している。戦場でのストレスと、行使に慣れていない若い兵が多いことも要因の一つだった。

 こちらは上空からの射弾観測と緊急連絡以外はとにかく休ませるしかなかった。導術士は額に銀盤を埋め込んでおり、これが曇り、黒くなればなるほど疲弊していると分かる。この状態で無理させれば最悪死ぬ。戦線が安定している今は無理させるような状況では無かった。

 

 そして、拙いのは<帝国>軍の判断の速さだった。開戦から三度の突撃を行い、無理と分かるや全軍を砲の射程外へと後退させている。お陰で景気良く撃っていた砲群は今は落ち着き、後退支援だろう<帝国>軍の砲陣地潰しと嫌がらせ程度しか出来ていない。

 

 ただ砲撃に恐れをなして潰走しただけかも知れないが、こちらの砲撃の中でも生き残り、壊乱した軍勢を立て直したのは事実だ。これは<皇国>の様な導術による通信体系が無くとも<帝国>の将校たちの自らの頭脳と献身だけで行ったということであり、部隊運用能力が非常に高いと示していた。

 

 「敵ながら天晴れ。お陰で一個旅団程度しか潰せなかった」と一人が悔しながら<帝国>を讃え、周りも同意する。一個旅団と言えば四千、侵攻してきた兵の二割になる。誰も彼もが戦争で感覚が麻痺していた。

 

「失礼します。閣下、報告があります」

 

 天幕へ戻ってきた怜悧な男が言った。今回の戦争に英康が参謀長として参加させた草浪道鉦大佐だった。後ろには兵站参謀の有坂大尉もいる。実直な軍務が評判の男の顔が険しいものになっているのを見て、英康は嫌な予感がした。

 

「どうした?」

 

 努めて平静な声の英康の問いに有坂は一礼し、報告した。

 

「第一、第二砲群の弾薬が足ません。特に十六斤砲はこのままだとあと二刻で完全に射耗するとのことです」

 

 これに司令部は騒然となった。

 

「馬鹿な、砲群には各砲に五基は配備した筈だぞ!」

「まだ二刻だぞ、それで半分は撃ち切ったというのか」 

「直ぐに北府へ伝達せねば。砲弾が無ければ負けるぞ!」

 

 やはり、か。騒がしくなる中、英康は一人嘆息した。予想出来ていたからだ。

 <皇国>陸軍では過去の会戦の結果から銃兵一人に百五十発分、大砲一門に百二十発分を配備していた。この数で一基としている。しかし、これでは足らないと英康が口を出し、一人に五基、一門に十基は揃えろと命じた。原作では一会戦で千発、前世の世界大戦では万単位で消費すると覚えていたからだ。

 これに司令部要員は唖然とし、兵站部が悲鳴を上げたが今の状況を見ると全く正しかったのだ。

 

 しかし、これを完全に叶えることは出来なかった。予算が無い。それだけでなく、他の五将家や執政府からも横槍が入ったのだ。

 これ以上守原に好き勝手されたくないという理由もあったが、彼らは二十四年前の東洲の内乱を思い出したのだ。

 

 東洲は裕福な土地だった。良質の鉱山を幾つも持ち、長年の林業の成果で商業が盛んな地域だった。しかし、食糧自給率の低い地域であったため「物を売って食糧を買う」という構造が長らく続いていた。

 それを一変させてしまったのが、五将家による<皇国>の再統一だった。

 戦争が無くなり、経済発展が進んだことで商業が盛んな東洲に大量の資本が雪崩れ込んだ。実用化された熱水機関が活躍できる場所が多く、また造船業も盛んで運送業も発達していた。また人口も多いことから商会を置くのに相応しい土地柄だった。

 当時の東洲公はこの資本を使い、長年の悲願だった食料自給率の向上を目指した。食糧があれば買い叩かれる事も、飢える事も無くなる。この点、彼は立派な施政者だった。

 

 だが、経済発展で五将家が弱体化していき、食糧が自給できるようになってますます発展していく東洲を見て、彼は一つの幻想を思い浮かべてしまった。

 <皇国>からの独立。これが、東洲の内乱が起きた理由だった。

 東洲は反五将家最大の勢力でもある。何より、彼らにとって苦しい時には生産された物を安く買い叩き、食糧の価格を釣り上げるような事が何度もあった。この恨みを忘れていなかったのだ。

 

 しかし、独立を認めるわけにはいかない。五将家はすぐさま恩賞――豊かな東洲を手に入れようと軍を派遣し、戦争が起きた。その結果は酷いものだった。

 五将家は戦に勝ち、反乱を企てた東洲公は戦死した。だが残った東洲の軍勢が各地に離散し、野盗となったのだ。彼らは各地を荒らしまわり、戦と略奪で東洲にあったもの全てが破壊されてしまった。残ったのは死骸と瓦礫の山だけがある土地のみ。

 

 五将家は恩賞を返上。かかった戦費は持ち出しになったが、恩賞で与えられた土地の郵便や運河、鉱山などの全てを再整備をしなければならなくなる。そんな体力は何処にもなかった。(唯一、元気と言われる守原だけは恩賞を手に入れようとしていたが、長康と英康が懸命に一族を説得して難を逃れている)

 

 

 北領は寒冷な地だ。食糧自給率が低く、目立った産業もない。人口も少ない。

 だが、守原英康がいるという事で警戒されてしまったのだ。

 

 北領の公共事業は守原が権益として握っていた。そこに英康が北領鎮台司令長官として着任し、北領での戦争に勝つための準備を進めた。また彼は優しく真面目な人間であり、商売人でもあった。

 碌な産業が無く、米を育てようにも冷害に弱い。食っていけない。

 <帝国>西方諸侯領から輸入した馬鈴薯(ジャガイモ)の種芋や家畜の飼料や砂糖の原料にもなる甜菜の苗を栽培法付きで格安で販売した。また夏の農閑期には公共事業として遅れていたインフラ整備を行い、銭を手に入れた労働者達向けの商売も始めた。

 そして「内地でやるよりも近い方が良い」「賃金も安く大口の契約先もある」という理由から自身の商会で軍需工場まで建てた。前世なら官民の癒着とか叫ばれるものだったが、将家なら大なり小なりやっている事だった。

 そして北領の衆民からすれば働き先が出来て銭が手に入る。また軍需工場の周りに作業員相手の歓楽街ができ、また目敏い商会が出店して多種多様な商売を始めるなど北領の経済が活性化し始めたのだ。

 

 しかし、これを傍から見てみる。急激な経済成長に軍事力の強化、それは東洲の再現、つまり独立準備をしているように見えるのだ。

 英康自身は全くそんな気は無かった。商売と将来の戦争に備えるために行ったことだが、今までの動きから「何をしでかすか分からない」という一種の信頼があった。

 

 結局、執政府の危惧と陸軍の跳ね上がる軍事費を抑制したいという思惑が重なり、北領での弾薬の生産は抑えられてしまう。弾薬さえなければ銃火器はただの置物になってしまうからだ。対人、特に騎兵に絶大な効果を発揮する榴散弾の数が少ないのも、これが原因の一つだった。

 

 もっとも、命が掛かってる英康がそれで諦める筈がなく。<帝国>が侵攻してくるという話を流布し、「衆民の不安を取り除くため」とかこつけて演習や射撃訓練、野盗の討伐などを行わせていた。

 その際、消費量を本来よりも少し多めに書き、差分を備蓄するようにしたのだ。やり方はせこいうえに使い古された手法だが、有用であった。

 そういった努力の元、備蓄できたのは想定の半分。これを割り振るしかなかった。

 

「有坂大尉、現状で不足しているのは十六斤砲だけか?」英康が言った。

「はい、閣下。銃兵の実包と四斤弾は殆ど使用していないため、余裕があります」

「うむ、十六斤砲は現在の砲撃が終了次第止めよ。以降は命令あるまで待機」

「よろしいので?」 

 

 有坂の言葉に英康は頷いてみせた。

 どのみち十六斤砲は使い過ぎだ。砲兵も大砲も、少し休憩させなければならない。そろそろ砲身が焼け付きを起こす頃だった。連続して撃つと砲身が赤熱して自重で変形、また玉薬の煤だけでなく、旋条(ライフリング)に噛ませるための砲弾の筍翼(スタッド)と呼ばれる鉛の突起が溶けて砲腔内にこびりつく。最悪の場合、これが原因で暴発を引き起こしてしまう。

 

「<帝国>軍は後退した。前進してきたら近づけさせろ。銃と山砲で返り討ちにしてやれ」

 

 ここで英康はちょっとした思い付きが浮かんだ。横目で草浪を見やり、小さな合図が返された。英康は口を開いた。いつもと変わらぬしかめっ面で、しかし口調はおどけていた。

 

「このままだと、売春宿に繰り出してもモテるのは砲兵だけだ。司令長官として、全将兵にその機会を与えないといかん」

「それは、大問題ですなぁ」

 

 阿吽の呼吸で合わせ、大袈裟にこめかみを抑える司令長官と参謀長に周りの面々は声に出して笑った。要するに砲弾が無くても戦う方法はあると言い切った訳だが、面々には効果はあったようだ。特に気分は変わっている。

 一頻り笑ったところで、英康は有坂に顔を向けた。

 

「内地からの輜重品は?」英康が言った。

「はい、閣下。既に徴発した船団が美奈津へ輜重品を揚陸させています。既に輜重段列も出発したとの連絡がありました」

「よろしい。兵站部は直ぐに臨時の輜重段列を編成せよ。それと兵站計画の修正を行え。北府の備蓄を根こそぎ使って構わん」

「ハッ」

 

 敬礼後、有坂は直ぐに駆け出した。会話が途切れたところで若い参謀が声を上げた。守原に連なる将家出身で北領に送られてきた新品の中尉だった。

 

「閣下、今なら攻勢を仕掛けても良いのでは?」中尉が続けて言う。 

「現状では鎮台はほぼ無傷。対して<帝国>軍はその二割を死傷しております。立て直したといえど完全では無いでしょう。ここで一気呵成に畳みかけるべきではないでしょうか」

 

 ふむ、と英康は呟いた。そのまま作戦参謀の熱田大尉を見やる。衆民出身だが使える(・・・)という事で有坂大尉と一緒に引っ張ってきた人物だった。

 

「無理でしょうな」素っ気ない言葉で熱田大尉は言った。「立て直しがあまりにも早過ぎます。胸甲騎兵がほぼ無傷で残っている以上、このまま陣地を出れば騎兵突撃を受けます」

 

 正論だが、その言葉には小馬鹿にするような響きが混じっていた。

 <皇国>軍において出世は将家――それも五将家に連なる家の者が優先され、次に弱小将家、最後に衆民となっている。彼も出世できず、将家に振り回され続け苦労を重ねた人物だった。

 それを感じ取ったのか、若い中尉がムッとした表情を浮かべた。

 

「まだ会戦から二刻だ。攻勢をかけるのはもう少し後でよい」英康は朗らかに言った。

「もし、攻勢をかけるその時には先輩達と共に君の力も借りるとしよう。それまではどっしりと構えるのも、君の役目である」

「はい!」

 

 若い参謀は嬉しそうに返事をした。期待していると英康は肩を軽く叩いてやる。熱田を見やると、彼は苦笑していた。小声でほどほどになと声をかけてから英康は外へ出ると一言告げた。侍従長がついて来ようとしたが、一人で考えたいと告げてそのまま外に出た。

 

 外へ出てまず感じるのは、寒風と強い煙硝の臭いだった。そして轟音。司令部のある丘からは煙が上がる陣地が見える。その遠くには雪と土砂が舞い、今もなお変わらぬ威力を発揮していた。

 

 どうにも落ち着かなかった。十代より守原家の一員として戦に参加し、三十年余り前に<皇国>が再統一されてからも小さな叛乱の鎮圧にも出向いていた。東洲の内乱にも出兵した。その時は馬に跨り、または猫と一緒に我武者羅に狂乱の中を駆けずり回ったが、今は戦争しているという感じにはなれなかった。

 ただ遠くから響く音を聞きながら天幕内に籠り、情報と紙と数字を前に睨めっこしている。前世のテレビで異国で戦争をやっていると聞いている様な感じだった。しかし、すぐ目の前では戦争が起きている。

 

 後ろから足音。足元に真改がのっそりとした動きですり寄ってきた。どうやら退屈らしい。額を揉んでやると落ち着いた声で鳴く。後ろから雪を踏む音がした。もう一人いる。ふむ。

  

「道鉦か」英康が言った。人が居ないところでは名前で呼ぶ。

「はい、閣下」道鉦は金茶碗に入れた黒茶を持ってきていた。「彼らには黒茶と菓子、細巻を振舞いました。閣下も一息入れましょう」

「うむ」

 

 英康は黒茶を受け取り、一口飲んだ。温めで飲みやすい。口に付けたまま金茶碗を傾ける。半分近く飲み干した時にはカラカラに乾いていた口と喉が潤っていった。

 

「もう一杯、持ってきましょうか?」

「いや、大丈夫だ。いつもすまんな」

 

 いえ、出過ぎた真似でしたと草浪は言った。互いの顔には朗らかな笑みが浮かんでいる。

 草浪にとって目の前の司令官は実直な気質で好ましく思っていた。まあ無茶ぶりも多いが、忠義を捧げるに値する人物だと考えていた。

 草浪は元々は英康の兄であり、守原家前当主の守原長康に仕えており、伝手を使って英康に人材の紹介や情報収集などをする程度の繋がりだった。彼にはいつもと変わらぬ業務だった。

 しかし、ある時に草浪が売春宿で知り合った娘を身受けしようとした際、様々な手続きと更にはその娘を自身の養子にまでしたのが英康だった。また結納の際には守原の格式にあった嫁入り道具まで持たせている。

 

 今まで英康に振り回された面々もこれには驚いた。

 草浪は確かに長康に重用され、可愛がられていたが所詮は弱小将家の長。まさか英康が草浪の為に売春宿の娘を自らの養子にしてまでする必要があったのかと言われるほどだった。

「今まで苦労をかけている道鉦が困っているなら、私もこれぐらいはしよう」といつもと変わらぬしかめっ面で答えたが、草浪は大いに感激した。また長康も自身の弟分が縁戚になったものだからはしゃぎ回り、婚礼の際にはずっと嬉し涙を流すなど主役以上に目立っていた。

 

 まあ、英康からしてみれば「色々と手伝ってもらったし、縁戚になれば殺されないよな…?」という程度の考えであったが(原作では草浪に射殺されている)。

 

 これ以降、草浪はその恩義に報いようと精力的に動き回った。今までの伝手と能力を使って手助けし、英康が北領鎮台司令長官になった際にも一緒についてきた。

 英康が語った近い将来に侵攻してくる<帝国>への準備や、野戦陣地の構築に必要な書類の製作などを纏めたのも草浪だった。聞かされた当時は半信半疑だったが、<帝国>、特に東方辺境領の急速な経済の悪化と軍勢の準備が知らされると英康の数年前の予想がほぼ当たっており、ますます尊敬の念を抱いた。

 

 

「<帝国>は完全に後退したか」

 

 雪原を眺めながら英康が言った。既に砲撃は止まっており、小さな黒粒で出来た群れがゆっくりと遠ざかっている。

 

「はい。しかし侮れません。またこちらの思惑に乗らないようです」

 

 厄介だな、と英康はごちた。そのまま真正面から突撃を繰り返してくれれば楽だったが、そうもいかないようだ。

 <帝国>の総司令官であるユーリアは天才である。原作では一年足らずで北領だけでなく、内地の三分の一を占領してみせた。原作主人公の新城ですら「敵わないし、一度も勝ったことが無い」と言うほどの人物だ。ちょっと記憶力のある凡人がまともに戦って敵う相手ではない。

 

 英康は自分に軍才が無く、臆病だと分かっていた。戦争で死にたくない、だがどうすればいいのかと苦悩し、必死に藻掻き続けた結果が今だった。例え変人だ、狐憑きだと言われても止めなかった理由がここにあった。

 だから徹底的に準備した。剣虎兵、導術兵、翼竜。野戦砲にライフル銃、ミニエー弾。これらを十分に扱えるようにする訓練と人種の選別。塹壕と鉄条網による野戦陣地。

 翼龍と導術兵で射弾観測を行い、塹壕線に籠って射程外から敵を火力で潰す。

 

 仮に塹壕線を占領しても、<帝国>兵は疲弊して弾薬と糧秣が不足する。<帝国>と<皇国>では弾薬の規格が違うため流用することも出来ない。進撃が停止すれば塹壕線の後方にいる予備隊が逆襲を行い、陣地を回復することになる。第一次世界大戦で塹壕戦が長期化したのも、塹壕を占領した後の予備隊の逆襲に耐えられなかったからだ。

 

 だが、今でも不安はつきなかった。

 英康からすれば、この塹壕線は完全でない。絶大な効果を発揮する機関銃は無いし、銃火器は前装式で射撃間隔が空いてしまうため、一線に人員を多く配置しなければならない(横一列に兵を並べて撃たないと火力の密度が低くなってしまう)。このため人数の問題から塹壕線を広く浅くするしかなかった。

 

 また新城と彼の率いる剣虎兵部隊がやって見せたような事を<帝国>がやらないとは限らない。そうなれば真っ先に狙われるのは司令部、つまり自分だ。

 それを防ぐため、左翼の後ろに司令部を配置し、側面に予備隊がいる。その最前線には殴り合いに強い新城ら剣虎兵が配置されている。まあ、<帝国>にも剣虎兵のような存在が万単位でいれば話は別だが――、

 

(……嫌な想像した。新城と剣虎兵が万単位か。恐ろしい)

 

 脳裏に浮かんだ光景――地中から顔を出した笑顔の魔王様と剣牙虎(サーベルタイガー)が群れなして突撃してくるのを想像して背筋が震えた。

 

 それはともかく。

 

 そしてこれ以外にも、英康には不安の種があった。

 

「味方の様子は?」

「はっきり言いまして、浮かれています。あの<帝国>軍が為すすべもなく後退した訳ですから、仕方ないと言えばそうなのですがね。殿下とあの部隊以外は特にそうです」

 

 しかめっ面のまま英康は目を瞑り、眉根を揉んだ。やっぱりか、という思いが強い。

 つまりは実仁親王殿下率いる近衛衆兵第五旅団や新城少佐の第十一大隊など以外は「陣地から飛び出して追撃したい」という訳だ。

 

 実仁親王殿下は情勢が読める人物であるし、第五旅団は衆民の集まりで士気が低い。また塹壕線に配備されたのも殿下の要請に英康が根負けして折れた結果だった。そこでそこそこ活躍しているから、これ以上の戦果を求めようとしない。

 新城は活躍できなかった事を悔しがる人物でもない。むしろ面倒が無くていいと喜ぶだろう。そもそも、今の優位性を捨てる理由がないのだ。

 

 英康が不安な理由のひとつは味方にあった。特に将家の面々だ。先の会話で砲兵以外にも活躍云々というのは実のところ結構な問題なのだ。

 

 <皇国>において将校とは殆どが将家、つまり貴族で矜持(プライド)が高い。御国のため、家のため、栄達のため、華々しい戦果をあげて皇都へ凱旋したい。

 理由は分かる。昨今の天領での繁栄に押され、衆民は栄え、将家はますます困窮しているのだ。生臭い話だがここで活躍したかどうかで昇進や貰える年金の額が変わるし、若い将兵であれば良縁に恵まれる。たとえ戦死したとしても感状と勲章で家名は上がる。

 英康からしてみればいまいち理解できないが、彼ら将家にとっては何よりも名誉が大事なのだ。その名誉と代々の家を守るため、戦功をあげたい。

 それに、<帝国>はボロボロと言って良い状況。一個旅団は失い、戦意も落ちている筈。対して御味方は損害皆無。今こそ全軍で突撃し、戦の潮勢を決定づけるべき。

 

 こんなところだろう。理屈は分かる。相手がまだ規律を保っている軍隊で指揮官がユーリアでなければ、だが。

 ここで全軍突撃したら、<帝国>は残った軍勢で持久戦を始めるだろう。

 <皇国>が攻めるにはまず鉄条網を排除する必要がある。そうなれば騎兵は自由になり、ノコノコと出てきた将兵に対して突撃を仕掛けられる。榴散弾が豊富(榴弾では現行の炸薬の問題で騎兵を殲滅するには威力が足りない)なら手持ちの四斤山砲を全て前進し砲撃させ、騎兵を排除後に突撃も有り得たが、今の装備では逆にこちらが塹壕線を金床にされて叩き潰されかねない。

 

 浮かれて突っ込んで、返り討ちに遭ったなんてもう最悪である。緒戦で稼いだ戦果が吹っ飛んでしまい、立て直せたとしても時間が掛かってしまう。

 <帝国>も損害は大きいだろうが、時間は稼げた。原作では二万の増援が来たのが天狼会戦後で、一週間以内にくると予想される。そのぐらいの時間は稼げる。増援を得たら一転攻勢をかけ、死屍累々の鎮台を兵数で押しつぶす。ユーリアという指揮官ならば、それを成し遂げられると英康は信じていた。

 

 そもそも現在、北領にいる<帝国>軍は半個師団編成である。約二万で半個師団。一個師団で四万であり、<皇国>では三、四個軍(鎮台)と呼ぶべき編成だった。

 

 なお、<帝国>軍の総数は陸軍が四百万、海軍が五百隻である。

 そのうち東方辺境領が経済の悪化と北部や東部への備えのため、<皇国>へ問題無く動かせられるのは陸軍は約二十万、辺境艦隊は約百二十隻である。またこれ以上の規模を誇る<帝国>本領軍と本領艦隊が存在する。

 対して、<皇国>の総兵力は陸軍約二十万、水軍が約四十隻。英康が長年必死になって集めて整備した北領鎮台は約三万である。

 流石はモンゴル帝国以上の版図を持つ超帝国と言うべきか、あまりにも軍事力で差があり過ぎた。

 

 このまま一気呵成に突撃するのは論外だが、かといってこのまま持久するのも嫌だった。

 確かにこのまま籠っていれば<皇国>は有利なまま進む。

 <帝国>軍は進むことも敵わず、また今頃は出撃しただろう東海洋艦隊と徴発した廻船に海賊、つまり港を封鎖し、<帝国>の兵站を担う輸送船を拿捕すれば干上がる。その効果が出るのがおよそ一月。

 そうなれば勝手に干上がる。そう、天狼原野より北に住む衆民達ごと。

 

 英康は戦争が近くなった時に避難を呼びかけていたが、完全では無かった。彼らからしてみればこんな東のちっぽけな島を狙う必要が無いと考えていたからだ。大半はそのまま残り、そして<帝国>に略奪を受けた。

 また飢えるとなれば軍は崩壊し、兵は匪賊へ変わる。そして東洲の再現――野盗化した帝国兵によって北領の経済基盤が破壊される事態になりかねない。

 その討伐で手間を取られている間に、<帝国>が本腰入れて大艦隊に本領軍を派遣してきたらどうしようもない。いくら通商破壊を行ったところでも限界がある。

 

 英康は今でも現代人らしい感性を失っておらず、彼らを見捨てられないのだ。それに商売人としても折角の整備をしたものを破壊されるのは我慢ならない。

 なら、出来るだけ早期に撃滅する必要がある。 

 それに言い訳染みた理屈もあるが、ここで明確に勝利すれば後は<帝国>内で勝手に揉める。まず、間違いなく。

 東方辺境領姫と呼ばれるユーリアは敵も多い。実際、原作においても<帝国>の四人の元帥のうち、マランツォフ、ユーリネン、オステルマイヤーといった門閥貴族と反目し合っている。そこに「弱小国の蛮族に負けた」なんて事があれば嬉々として責任追及という政争を始めるだろう。

 

 仮にユーリアが戦死、またそういうのが無かったとしても、こちらの兵器群は<帝国>にも伝わる。東方辺境領軍がなすすべもなく負けたという事実は無視できない。新兵器の開発を進めてから報復に動くはずだ。

 どちらにせよ、北領だけではない、<皇国>全体で戦争準備が可能になる。そこからは根競べだ。

 <皇国>と<帝国>、どちらが先に経済の悪化と軍事費の増大に耐えられるかである。こっちは反<帝国>の国家、例えばアスローンに要らなくなった中古武器を売り払うなり、廻船問屋に私掠免状を出して海賊をしてもらう。税を二割で後は取り分にしてやれば嬉々として参加するだろう。ああ、<帝国>が東方蛮族と呼んでいる地域へ支援しても良い。近隣への備えと経済が更にズタズタになって兵器を用意するにも苦労する事になる。

 もしかしたらフランス革命やロシア革命の様に、衆民による反乱が起きて<帝国>が崩壊する可能性もあった。

 

 そうする為にも、ここで勝利しなければならない。徹底的に<帝国>軍の戦意をへし折ってやらなければならない。

 でないと、このまま戦っていたらユーリアらが何か凄い手段を思いつき、逆転されるのではという思いが強まっていた。不安で仕方なかった。

 

「道鉦、狼煙の準備は出来ているか?」

「はい、閣下。伝達の準備は出来ております」

「よろしい。始めよ」

「はッ」

 

 敬礼後、草浪は直ぐに伝令を出した。

 伝令は直ぐに伝わり、実行に移された。

 

 鎮台の籠る野戦陣地の後ろから、行動開始を知らせる赤い狼煙が立ち上った。




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あと二話と言ったが、あれは嘘だ。北領戦がもうちょっと続く。
次話は10/19日の12時に更新予定。ちょっと短め。

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