目覚めたのは、朝と呼ぶにはいささか遅い頃だった。
アルフはすでに起きていて、部屋でストレッチをしていた。
「アオイ、おはよう」
「おはよう、アルフ」
「自分で起きてくれて良かったよ。起こすにはあまりにも気持ちよさそうに寝てたものだから」
にんまりと笑うアルフに苦笑いを返す。豊作祭、今日やるんだよな。……あー、何か忘れてる気がする。そうだ、ミドリをマリンさんのところに連れて行かないといけないんだ。
「どこか行くのか?」
「ミドリをマリンさんのとこに連れて行く」
「ミドリなら……」
寝坊気味だし、急がないと。そう思って内開きのドアに手をかけると。
「おはよー!」
元気な挨拶と共に、ミドリがドアを開けた。ドアが、顔にぶつかった。
「痛っ」
「ん? あー? えーと、ごめんね?」
「気にしないで……」
少し効いた。少しよろめき下がると、ミドリの全身が視界に映った。……。どうやら、ドレスの選択は間違いじゃなかったみたいだ。
「似合ってるね」
「えへへ、ありがと」
ミドリは頰をちょっと赤くして笑った。
「素材をよく引き立ててる、良いドレスじゃないか。アオイは何か着ないのか?」
「僕は別に……」
「なんなら私の持ってるものを着るか? これとか似合うかもしれないぞ」
そう言ってアルフがクローゼットから取り出したのは黒色のドレス。大人っぽいけど、可愛さも忘れない、そんなデザイン。
「なんでみんな僕を女装させようとするの?」
「アオは、服と髪以外だいたい女の子だから」
〇 〇 〇
ナイトさんにタキシードを借りた。二人曰く、悪くはないけど、コスプレみたいとのこと。
アルフも着替えていた。白と黒のドレスを着ていて、黒色の日傘を差している。よく似合う……似合いすぎている?
アルフの見た目と相まって非現実的な雰囲気が出ている。吸血的な感じ。
昼ごはんをナイトさんが用意し終えたところで、豊作祭は始まる。
「野外炊飯なんて、訓練所を思い出すな」
「教官の作るカレー、妙に美味しかったね」
たぶん味云々じゃなくて空腹だったからだと思うけどね。朝昼ごはんなしで走り回らされてからのカレー。そりゃ美味しい。
食事処の入り口からナイトさんが出てきた。
「昼ごはんは何が出るの?」
「鍋。晩御飯は片手間に食べられるものにするから、昼は集まって食べるものの方が良いだろう……ふぅ」
ナイトさんは目を閉じて、息を少し吐いた。数えきれないくらいの人数の食事を一人で用意するから覚悟を決めたのかな。ここからナイトさんはずっと料理し続ける。
「ミドリは昼ごはんの完成をルナに伝えてきてくれ。アオイとアルフには鍋を運んでもらおうか」
「任せて。最速で伝えるよ」
ミドリは鬼人化を思わせるような速度で駆け出した。みかん色のドレスにしてよかった。こっちの方が走りやすそうだからね。
「私たちも運ぼうか」
「うん」
……二百人分は伊達じゃなかった。十の鍋に分けてあるとは思わなかった。どうやって調理したのか気になるところ。
僕たちが運んでいる間にルナが食事処まで来た。それと共に、ぞろぞろと村人や村に滞在しているハンターが出てきた。
それと一緒くらいに、どこからか現れたアイルーたちが鍋をよそい始めた。
「アオイ、朝にミドリ呼んできてって言っていたのに……。ねぼすけめ」
「ごめんね、疲れてたんだよ」
マリンさんが器用四人分の鍋を運んできた。それをありがとうといいながら受け取る。
アイルーたちによってもうスピードでよそわれた鍋はあっという間に全員に行き渡った。それを見て、ルナが始まりの音頭をとろうとした――のを遮ってナイトさんが出た。
大きく息を吸って叫ぶ。
「皆さん、お腹は空いてるかいッ⁉︎」
「「おおッーー!」」
モンスターの咆哮くらいの叫び声。
「僕に財布を空にされた者はいるかいッ⁉︎」
「「「うおおおッーーー!」」」
「おーーーッ!」
さっきよりも叫び声が多いんだけど。マリンさんもすごく叫ぶし……。
「朗報だ、今日は全部ルナ持ちだ! お腹の空きは十分か、村民達!」
「ふぇっ⁉︎ ……まぁいいけどさ。豊作祭の開始を宣言するね。それじゃあ、いただきますっ!」
「「「いただきますっ」」」
勢いよく始まった後、緩急をつけつつ豊作祭はどんどん進んでいった。村の人のいつのまにか練習していた演劇や、子供の合唱。アイルーのミスコンという訳のわからない物もあれば、ネコ嬢がライブを始めたり。ネコ嬢のライブで踊っていた何人かのハンター、月刊「狩りに行きる」に出ていた気がする。
絶え間なく出てくる絶品料理に舌鼓を打ちつつ、様々な見世物を見ていた。
「あはは、まさか、ルナが、あんな隠し、芸持ってたなんてっ」
ミドリが涙を浮かべるくらい笑ってる。あれはすごかった。今思い出しても、笑いが、ふふっ。
「だめだ、こらえられない、あははは!」
笑いながら空を仰った。そこには飛行船が飛んでいた。
村にだれか来たの? 豊作祭の最中に誰……あ!
「急にどうしたの、アオ? 糸が切れたカラクリみたいな顔してるけど」
「フラムと、ルーフスが来た」
僕がそう呟くと、アルフは食い気味で言った。
「アオイ、それは本当かい?」
「本当、だと思う……」
〇 〇 〇
急いで家に戻った。取りにこないといけないものがあったから。
あの時渡せなかったお守り。……もしかしたら今日で会うのは最後になるかもしれない。
扉を急いで開けると、中にはメリルがいた。
「どうしました、こんなに急いで?」
「ちょっと物を取りに来た。メリルこそ何してるの?」
「やることが残ってるので。ささ、私のことはいいですか。アオイ、急いでいるんでしょう?」
「うん。じゃあね」
そう言い、部屋からお守りの入った箱を取り、僕は家を出た。
飛行場に飛行船が着陸するのと、僕が到着するのは大体同時だった。アルフとミドリはすでに飛行場に着いていた。
飛行船が着陸した途端、フラムは降り、駆け出した。
「アルフだ! 久しぶりだねアルフ〜!」
フラムがアルフに飛び込んで抱きついた。アルフは慣れた様子で衝撃をいなしつつ、クルクル回って、フラムを着地させた。
「本当に久しぶりだな。ルーフスも、背がちょっと伸びたみたいだな」
「うん、少し伸びたんだよ。よく分かったね」
「言ってみただけだ」
アルフはコロコロと笑った。
「アルフがここにいるなんて思わなかった。アオイが呼んだの?」
「いや。ミドリが連れてきた」
「ミドリって誰?」
「私だよ」
ミドリを見たフラムは何故かかすかに震えた。
そして叫ぶ。
「かわいいーっ!」
奇声をあげながらフラムはミドリに抱きつこうとする。しかし、ミドリは普段から似たことをメリルにやられている。だから反応は僅かに遅れたが、フラムの突進を完璧に躱す。
「メリルと同じにおいがするんだけどこの人」
「ミドリちゃんがこんなに可愛いなんて知らなかった♪」
……そういえば訓練所で話したことがあったような、なかったような。まぁいいや。仲良くなりそうでなにより。
「私、これでもハンターだから、いざとなったらミドリちゃんのことを守ってあげるね!」
「えっ、あなたもハンターなの?」
「ミドリちゃんもそうなの? ……本当に?
「論より証拠。示してあげる」
ミドリはフラムのことを肩車し、回れ右をした。そして、全力で駆け出した。
ずっと下り坂だから速度はグングン上がるし、段差は躊躇なく飛び降りるし、水路は飛び越える。揺れるし、異様に早い。だからたぶんめっちゃ怖い。
「姉さん、どっか行っちゃった」
「もしかして羨ましいのかい? なんなら私がやってやろうか、ルーフス」
「遠慮しとくよ」
呆れた風だけど、ルーフスはどことなく楽しそうだ。
「とりあえず追いかけよう。それから何か食べようよ」
話はそれからだ。
二人を見つけるのに時間はかからなかった。つやつやとした顔で笑ってるフラムと頬を赤くしながら笑っているミドリはわりと目立つ。
「へぇー、訓練所でアオイとパーティ組んでたんだ」
「うん。私と、弟のルーフス。アオイにアルフでパーティを組んでたの」
「そうなんだ。ねぇねぇ、アオイはどんな感じだったの?」
「周りの人からはね、確か……」
「ミドリ! フラム! ここにいたんだね!」
大声で遮った。訓練所で周りの人からは何故かトリガーハッピーって呼ばれてたなんてミドリに聞かれたくない。
訓練所ではフラムとルーフスの暴れっぷりのせいで僕まで変なあだ名がつけられていた。
アルフとミドリを二人にするのは良くなさそうだ。……ルーフスもまずいな。そうなるとアルフも危険……。あ、無理だわ。打つ手なし、鮮やかに頓死したみたいだ。
「ミドリちゃんってすごく足が早いんだね。人に担がれることがこんなに楽しいなんて知らなかったよ」
「そうなんだ」
フラムはたぶんガララアジャラに追いかけられたときのこと根に持ってるんだな。
フラムと自然な作り笑いを浮かべていると、ルーフスが言った。
「そういえば、ミドリさんも、アルフもドレスを着ているんだね。こんなことなら姉さんのも持ってこれば良かった」
「いらないよ。だってあれ動きにくいじゃん」
この子も動きやすさ重視なのか……。お洒落って何だろう。
「あれを着れば誰でもイチコロだと思うけど……。まぁ仕方ないか」
「フラムちゃんがドレス着ているところ見たかったな。私のやつ、着る?」
ミドリが何気なく言った『私のやつ、着る?』という言葉。それを聞いた瞬間、僕は全てを察した。三人に視線を送るとアルフとルーフスが返してくれた。フラムは残念ながら気づいてない。
いっそ憐憫を通り越して、慈母のような笑みを浮かべてしまいそうなくらいの胸囲格差がそこにある。フラムがあるのではなく、ミドリに無い。
この後の未来が想像できる。フラムが言うのだ。『胸元がちょっとキツい』と。
「ね、姉さんの髪色とドレスの色、あと肌が似た色だから、メリハリのない感じになるからやめた方がいいよ」
苦し紛れかと思えば中々上等な言い訳だった。確かに三色とも近い色だからあまり合わなさそうだ。フラムならもっと強い色とかがいいと思う。赤とか。
「言われてみれば私、その色のドレス着たことないかも。それより私、お祭り見回りたい!」
カクサンデメキン掬いは意外にも、荒っぽそうなフラムとルーフスが得意だったり、射的はマリンさんが特賞をすでに掻っさらい店主が半泣きだったり。アルフがくじ引きの沼にハマったかと思えばミドリが一回で当ててしまったり。食事以外の出し物にも没頭した。
「アオ、お願いね」
「任せてよミドリ」
輪投げ。ミドリが欲しいものがあると言った。取ってあげる、任せてよ、なんて言ったけど輪投げは人生で初体験。どうしよう、手がちょっと震える。
「アオイならきっと最低限のお金で決めてくれるだろう」
所持金の大半をスッたアルフがプレッシャーをかけてくる。地獄へ手招きしているように見える。くじ引きは悪い文化……。
店員さんが目で早く投げてくれと催促しはじめたので集中する。
落ち着いて、落ち着いて……。よしっ。
投げた輪は放物線を描き、狙った棒の……手前にある棒に引っかかった。
「六番は……。おめでとう! 香辛料の詰め合わせだな」
「なんでそんな珍妙なものを」
「知らねえのか? 意外と人気な景品だぞ」
おっちゃんに渡されたのはトウガラシや胡椒、山葵に山椒に……たくさんあるな。ナイトさんにあげたら喜びそう。
一抱えほどのバスケットに入った詰め合わせは意外と重い。
「すごいよアオ! ありがとう!」
「えっ? これ香辛料だよ?」
僕はてっきりリオレイアのデフォルメぬいぐるみを取ってと言ってると思ってたんだけど。
「私が欲しかったのはこれだよ? フルフルとかギギネブラみたいなのならともかく、私はモンスターそこまで好きじゃないし」
ミドリはクリスマスプレゼントを貰った子供みたいな表情で香辛料詰め合わせを抱いた。変な子だな……。
「あー、でもちょっと大きいね。ちょっと家に戻って置いてくるよ」
「分かったよー」
ミドリは満足そうに歩いていく。
気がつけばとっくに日は沈んでいて、空は夜に変わっていた。お祭りもそろそろ終わりか。
一度冷静になると、ずいぶん空気が冷えていることに気づく。
「アオイ、この前はごめんね。微妙な感じにしちゃって」
「いや、いいよ。お互い様」
「そう? 私さ、考えたんだ。この二ヶ月」
フラムはほんのりと笑っていた。楽しいとか面白いとかではなく、問題が解ったみたいな、そんな笑み。
「私とアオイのハンターとしての考え方は噛み合わない。アオイは自分の考えを曲げるつもりはないでしょ? 私だって曲げるつもりはさらさらない。アオイには悪いけど、私は早々に命を落とすかもしれない。でも私は、たくさん楽しめるなら、人生なんて短くても良いと思ってる。太く短くってね」
フラムはそう言い切った。フラムがたった二ヶ月で変わった気がした。僕もこの二ヶ月で大きく成長した。でもそれは技術とか武具の話で、フラムの方がずっと強くなっているように思えた。
僕が何も言えないでいると、アルフが口を出した。
「まるでフラムの人生は、打ち上げ花火のようだな」
その瞬間だった。
高い音が鳴ったかと思うと、ルルド村の空に、花火が咲いた。
「花火は違うよ。私はずっと花を咲かせ続けるから」
村を囲うように、何発も何発も打ち上げられる。
フラムはずっと輝き続ける。だから最後だけ花開く打ち上げ花火とは違う。
「フラムの言う通り、僕たちはハンターとしては一緒にやっていけないのかもしれない。でもさ」
隠し持っていた箱を取り出す。
「僕はそれを差し引いてもフラムと一緒にいる時間は楽しいと思ってる。だから――」
フラムのことをまっすぐ見る。視線が交わる。
「ずっと友達でいてほしいな」
「……。うん、うん! もちろんだよ、アオイ!」
「あと、遅くなったけど誕生日プレゼントね」
「ありがとう。開けていい?」
「いいよ」
フラムにあげたのはお守り。青い光を微かに放っている。
ちなみにこれ一つで砲撃術というスキルが発動する。
「アオイらしい贈り物だね。とっても嬉しいよ」
「喜んでもらえて良かった」
そこに、ルーフスが唐突に、わざとらしく言った。
「アオイ義兄さんが……いや、アオイがあんな言い方するから僕、期待したのに」
「私も驚いたよ。アオイにしては大胆だって」
「……えっ?」
意味が分からず、フラムに助けを求めると、フラムは困ったように笑った。
「私が自意識過剰なわけじゃなくて良かった。なんていうかね、てっきり私は告白されるのかと……」
……。あ、あー! 箱の大きさといい、声のトーンといい、視線といい、確かにそんな感じするかも。花火も上がってるしね。
「花火見よ、花火!」
空に、色とりどりの花が咲く。
鉱石を集めさせられた理由が分かったかも。たぶんこの花火に混ぜ込まれている。
その証拠に、青色はマカライトの色だし、緑色はドラグライト。赤色は紅蓮石。黄色は……もしかして鉄鉱石?
村の灯りは全て消されていて、花火だけが地上を照らす。それはひたすら、幻想的だった。
すっかり心を奪われていると、急に肩をつつかれた。
振り向くとミドリだった。すごく慌てた様子。
「どうしたの?」
ミドリは僕の前に一枚の紙を出して言った。
「メリルが、いなくなった」