針で少しだけ指を刺す。僅かな痛みと共に僅かに血が出てきた。
すかさず緑色の珠を見てみた。
珠は窓から射し込む光に照らされ、仄かに光っている。
……変化なし、か。
フロギィと戦おうとミドリと背中合わせになった時のことだ。ポーチに突っ込んだままだったらしいこの珠が急に光りだした。
体を包んだ熱はミドリも感じたらしい。熱に包まれるとたちまち傷が癒えて塞がったのだという。
「これが原因だと思うんだけどな……」
どういう条件で光るんだろ。使い方が分かればいざという時に使える。
傷が浅いと使えないのかな。……試したくないなぁ。あんまり気にしない方向で。ポーチにお守り代わりに入れておこうか。
「アオっ!」
手から珠がこぼれ落ちそうになり、慌ててキャッチする。びっくりした……。
「ミドリ。ノックもせずに入って、アオイがもし人には言えないようなことをしていたら、どうするつもりだったんだい?」
「ん? アオ、何か変なことでもしてたの?」
「……なにもしてないよ」
冷静になれば自分の指に針刺してたし、変なことをしていることになるな。
アルフの言っていることはある意味当たっている。
このやり取り、どこかでやったことあるような?
「本当に何もしていないのかい?」
「うん、なにもしていない……近くない?」
鼻先が触れそうなくらい、アルフは顔を近づけてきた。目が合う。仄かに赤い瞳が僕を見据えていた。
「本当か?」
「ちょっとこの珠に回復の効果があるのかを試してました嘘ついてごめんなさい」
「最初からそう言えば良いものを」
声色が妙に怖かった。背筋が凍りつくかと。
アルフはころっと表情を変え、少し下がり、ミドリの方を向いた。
「ジンオウガが目撃されたんだって。メリルが早く来てって言ってる」
「ジンオウガが……?」
○ ○ ○
「状況ですが、今日からジンオウガに警戒しなさいとルナさんから警告がありました。最後に目撃された場所とは随分離れていますけどね」
「離れた場所なのに大げさだね」
てっきり付近で見つかったから撃退しにいこう、って話かと思ってた。
僕たちはナイトさんの食事処の近くにあるベンチに座り、話を始めた。
「いえ、それがジンオウガがゆっくりとですがこの村の方向に近づいてきているんです」
「偶然近づいているように見えるだけじゃないの?」
「私もそう思うんですけどね。万が一に備えてということでしょう」
ルナが警告、ね。豊作祭までの気象を読みきったなんて言う人の言葉は重みが違う。
「そこでです。この四人の内、常に二人は村に残ってジンオウガの襲撃からいつでも防衛できるようにして、もう二人はジンオウガの討伐に向けて武具の準備をしようと思うのです」
「二人残るの?」
「今までは村を空ける時はマリンに頼んでましたが、あんまり長い間ここに拘束するのも悪いですから」
「そっか、マリンさんは半年くらいずっとこの村にいるみたいだしね。腕利きのハンターさんだから求める人も多いはず」
そういえばメリルってジンオウガからルルド村を守るためにギルドから呼ばれてきたんだっけ。……その依頼をマリンさんに代行するのってどうなの? おかげで色々な経験できたから良かったけど。
「私、アオイにマリンの話しましたっけ?」
「してないよ。たぶん」
「……。まさかマリンと狩りに行ったりしました?」
「行ったよ。リオレウスを討伐しているのを眺めてた」
「報酬は受け取りましたか……?」
「貰ってないよ。まぁ僕は何もしてないし。何か問題でもあったの?」
「あります。大有りですね」
メリルがベンチから立ち上がり、周囲を見渡す。
「マリンがアオイを連れていった理由を言いましょう。二人で行けば報酬は二人分になりますよね?」
「うん。二人分の素材を山分けに……あっ」
「そうです。マリンはアオイの分の報酬もちょろまかしているんです」
「でも僕は何もしてないから受けとる権利がない気がする」
「マリンも一頭しか狩っていないので二人分の報酬を受けとる権利を有していません」
じゃあどうするんだろ。報告するのかな。
「とりあえずアオイはマリンから素材を取り返してしまいましょう。武具に使うもよし、素材に見合う実力になるまでとっておくのもよし、換金するのも良いですね」
メリルはそう言い、マリンさんを発見したのか全速力で駆けていった。
ミドリとアルフはいつの間にか早指しチェスを始めていた。
見始めてから三分ほど、勝負が終わった。ミドリの勝ち。盤外戦術を使うのは酷いと思います。
僕たちがチェスで本格的に遊び始めたころにメリルが戻ってきた。マリンを引きずって。
メリルは毅然とした態度でマリンに命じる。
「さぁ、マリン、何をどうしたか洗いざらい話しなさい」
「アオイが貰うはずの素材を全部換金してお酒に注ぎ込みましたっ!」
マリンさんは吹っ切れたように大声ではっきりといってみせた。
元々手に入れられないはずの素材だからかメリルには悪いが大したことは思わない。
「マリンのセリフのアオイの部分を知り合いの名前に置き換えて考えてください」
「マリンさんにはお仕置きが必要だね」
「っ!」
置き換えてみると『ミドリが貰うはずの素材を全部換金してお酒に注ぎ込みました』になった。これだとなんとなく腹が立つ。
マリンさんは僕の言葉に肩を震わせた。そして、ブラウスのボタンを上から二つ開け、頬を赤らめて言った。
「悪いのは私だもんね……仕方ない、体で払うよ」
「体で払う、ね。言質は取ったよ」
「へ?」
「じゃあちょっと着いてきてよ」
話している途中に良い案が思い浮かんだ。目を丸くしているマリンさんの手を掴む。
「ちょっと待って、冗談、冗談だから!」
「マリンさんが言い出したことでしょ。大丈夫、辛いのは最初だけだから」
「からからったのは謝るから、お金は追々返すから、どうか、どうか~」
マリンさんは目に涙を浮かべながら暴れている。そんなに嫌かね。
毎日ずっと働きづめのティラさんの手伝いをすることが。
○ ○ ○
「マリンと何をしてきたんですか?」
「マリンさんならティラさんの仕事のお手伝いをするみたいだよ」
「体で払うってそういう……。まぁ何でもいいです。続きを話します。アルフとミドリの防具を雷耐性の高いものに変えた方が良いのです」
「そっか、ジンオウガって雷属性だから」
肩に手が置かれる。振り向くとアルフと目があった。
「アオイ、私と一緒にボルボロスを狩りに行かないかい?」
「もちろん。アルフが良いなら僕は構わないよ」
「じゃあ決まりだな。組むのは久々だがすぐに馴染むだろう」
アルフはそう言って立ち上がり、ミドリとメリルに留守番を頼んで颯爽と僕の家に向かった。
アルフも僕の家……よく考えてたら建てたのはルナだし、訓練所に行く前はルナのとこで寝泊まりしてたからちょっと違うな。アパートとか?
そういえばアルフってどの部屋を使っているんだ?
「ねぇアルフ」
「なんだい?」
「アルフってどの部屋を使っているの?」
追いついてすぐに聞いてみるとアルフは即答した。
「勿論アオイの部屋を使わせてもらっているよ」
「そう。……ん?」
「まさか空き部屋がないとはね。仕方なく使わせてもらっているよ」
「いや、二つほど今は使われていない部屋があるはず」
「鍵がかかっている」
二人とも鍵をかけたまま行っちゃったのか。
「他の家は?」
「ルナ村長にパーティのハンターと同じ家に住むべきと諭された」
ルナならきっと悪い笑顔で言ってる。何かルナにとって面白いことが起きることを期待している。
「ミドリの部屋」
「ミドリは寝相が悪いから同じベッドを使えない」
分かる。小さい頃よくミドリの足が僕のお腹にのっていた。文句を言おうにも気持ち良さそうに寝ているものだから何も言えない。
「メリルの部屋」
「身の危険を感じた」
知ってた。
「じゃあなぜ僕の部屋」
「アオイは人畜無害だからな。まさかその気があるのか?」
「ない」
「即答できるあたり信頼できるな」
アルフはそう頷いた時にはもう玄関の前で、僕は苦笑いをしながら扉を開け、家に入った。
「アオイの部屋には収納が多くて便利だな」
「そうかな。……ん?」
部屋に入り、クローゼットを開ける。中にはアルフの防具が置いてあった。
アイテムを入れてある箱を開ける。中にはアルフの使う道具が整理されて並んでいた。
タンスを開けようとするとアルフに止められた。
「着替えが入ってる」
「ごめん」
アルフは僕の部屋を使いこなしすぎじゃないかな。というか僕はこの部屋を使えてなさすぎだな。
ベッドに腰掛けた。……本棚に知らない本が何冊か入ってるね。
「アオイはベッドの下に何も隠していないんだね」
「僕は、ね」
誰が何を隠していたんだろうね。
そんなことを思いながらベッドの下を見るとアルフの武器が置いてあった。
「ちなみにアオイがミドリとテツカブラを狩りに行った時に整理した」
「一昨日からあったのか……」
アルフの荷物が既に部屋に馴染んでいる気がする。いつの間にか椅子にアルフの雨具がかかっているし……。
「それじゃあボルボロスを狩るための準備を始めよう」
「うん、そうしよう」
そう答え、僕は道具を机の上に並べ、準備を始めた。
訓練所に居たときは二人一部屋で、アルフと同室だったっけ。異性を同じ部屋で寝泊まりさせるあたり訓練所の風紀が少しおかしいんじゃないかと。
そんなことを考えてながら道具をきっちりと確認し、僕は必死に、後ろでアルフが着替えを始めたことを気にしないようにしていた。