「……うーん」
私、ミドリ・フロウは未だに真っ白な紙を睨み、ペンを持ったまま固まっている。
何を書けばいいのか、一文字も浮かんでこない。
あぁもう何であのタイミングでここに来ちゃったの私のバカぁ! と、心が叫ぶがもう遅い。
アオイが怪我の治療のため一年間、ハンター稼業を休むことになった。私は薄情にも気遣いもなくドンドルマに来てしまった。
その上悪いことに結構な時間が経ってからこの愚行に気付いてしまった。
どうしよう、気まずい。とりあえず手紙で謝るくらいはしないと。とりあえず、書き出しだけでも書かないと……。
『アオイへ
今日もドンドルマは良いお日柄ですが、いかがお過ごしでしょうか。』
そこまで書いて、紙をクシャっと丸め、ゴミ箱に放り込む。
これじゃあ皮肉だよ!
『最近は家の外はぽかぽかしていて、とても気持ちの良い天気だけど室内でじめじめと過ごしているもやしくん、ねぇねぇ今、どんな気持ち?』
って受け取られちゃうよ……。
「ミドリ、何を書いている? 恋文?ラブレター? それとも婚姻届けか?」
「ち、違うもん。ちょっと、ぉ……故郷の友達に手紙を送ろうとしただけっ」
アルブス・ペーパスは楽しそうな赤桃色の瞳をこちらに向けてきた。
「手紙……私も書いてみようかな」
「書くの? じゃあ一枚あげるよ、アルフ」
「ありがとう。私は昔、一緒の部屋で寝ていた男の子に書こうと思っているのだけど、書き出しはどういうのが良いと思う?」
「特に思い浮かばないや」
友達の友達の手紙の書き出しなんて普通書かないような。いや、ルナちゃんは結構楽しそうに書いてたかな。
「メリルさんは? メリルさんならこういうお手紙書いたことがあるのでは?」
「私は半生くらい山に籠って過ごしたので、一般常識には疎めで。申し訳ないです」
メリルは申し訳なさそうに答えた。メリルの言う半生の半分くらいは私の修行を付き合ってた期間だよね。
こっちまで申し訳なくなってきちゃうよ。
「……私って汚れているのだろうか」
アルフが自嘲的に呟いた。……別に臭くないし、肌は汚れてるどころか真っ白だと思うんだけど。
「アルフは汚れてないよ! 真っ白だよ! 綺麗だよ!」
「……ありがとう。でも、ますます痛感させられるよ」
……何でアルフは傷ついちゃったんだろ。
アルフと私とメリルは噛み合わないことがたまにある。
「そうだ、昼ごはんを食べたらすぐに狩りに行くテツカブラ、ちゃんと準備はしてますよね?」
「うん」
「問題ないよ」
「では、ささっと行きましょうか」
メリルはそう言って片手剣を装備し、ポーチをつけ、レウスヘルムを被った。
私達もそれより少し遅れるくらいのタイミングで武器を装備する。私はオーダーレイピアを、アルフはパンプキングという先端に堅くて大きなカボチャをつけたハンマーを持つ。
アルフの防具はカボチャが沢山あしらわれていて、どこか魔法少女っぽい見た目だ。これでいて、それなりの防御力がある。
メリルは手早く依頼を受け、飛行船を手配した。こういうところを見ると……こういうところを見ないとメリルって凄いんだなーって思えない。
「地底洞窟には綺麗な水晶があると聞きました」
アルフはピッケルを飛行船に乗せる。
「えっ、テツカブラって氷海に出るんじゃないの?」
私は飛行船にホットドリンクを積む。
「今回は古代林での狩りですよ?」
メリルは虫取り網を飛行船に乗せた。
私とアルフは顔を見合わせる。テツカブラってどこでもいるんだなー。
「氷海にテツカブラはあんまり出ないんですよ。それと、地底洞窟は……」
メリルは苦笑いしながら飛行船に乗り込んだ。
「聞いた話だと、近い内に火の海に変わるらしいんですよ。定期的に起こる噴火がそろそろなんだとか」
「でも地底洞窟の依頼、まだ回収されてなかった」
「噴火したらいま地底洞窟にいるハンター達って……」
……死ぬよね? 私はギルドの闇を感じつつもう一度アルフと顔を見合わせた。アルフの冷静な顔に驚きと恐怖と焦りが張り付いていた。
○ ○ ○
激痛に悶え、声をあげ、背中を地面に叩かれた衝撃に空気が押し出される。音に鳴らない息が漏れ、身体を起こしながら咳き込む。咳き込む度に痛みは増す……最悪の気分だ。
「ルーフス、アオイ、大丈夫⁉」
フラムは盾を構えて、無傷のようだった。反応速度に次元の違いを感じた。
「ごめん、ちょっと厳しい。しばらく攻撃は無理そう」
ルーフスは左腕を押さえていた。押さえている右手の指を僅かな量だが血が伝う。
運悪くゲリョスの足の爪が刺さったのかもしれない。
フラムが盾を構えて、ゲリョスの脚にタックルをする。注意を引いている。僕は応急薬を容器を握り潰しながら口に流し込み、メテオキャノンを構えた。
盾を正面に構えるフラムの上でゲリョスが頭を振りかぶった。
ゲリョスの頭は他のゴム質の皮膚と違い、とても硬いらしい。それを上から叩きつけるのはかなりの破壊力を持つはず。
僕はゲリョスに僅かに狙いを変えた二発の通常弾を撃った。反動を受け止める前に撃ったために、体が少し後退るくらいの反動に変わる。
振り下ろされる頭に一発だけ弾が直撃し、ゲリョスの頭からトカサの一部が欠け、怯んだ。
「ナイス、アオイ!」
フラムはそう言いながら怯んだゲリョスの首に突きを放った。
ゲリョスはそれを上に頭を振ることでかわし、頭突きに派生した。
フラムは反応こそしたが、攻撃直後の隙のせいで盾で防ぐことはできず、ゲリョスに蹴り飛ばされた。
「きゃっ」
フラムは段差一段分浮かされ、転がり、三段目にぶつかった。そのすぐ横をゲリョスが走り抜けた。
僕はその背中を撃つが、距離のせいもありあまりダメージを与えられたようには見えなかった。
「いったた……」
フラムは背中を押さえながら起き上がろうとした。そこに、振り返ったゲリョスが紫色の液塊を吐いた。
「フラムっ」
ルーフスがフラムとゲリョスの間に走り込んだ。そしてスラッシュアックスの刀身の側部で毒液を払った。
その勢いを体を使って一回転させ、ゲリョスの頭に斧刃を叩きつけた。
しかし、ゲリョスの頭部は硬くルーフスの一撃は受け止められ、弾き返される。
ゲリョスがそのままルーフスに反撃をしようしたところで僕が攻撃を挟む。
気を引くために撃った弾は頭に着弾、破片が飛び散った。頭に関しては剣より弾丸の方が通りが良いようように感じる。
「ルーフス、フラム、柔らかい部位を重点的に狙って! 頭への攻撃は最小限に!」
「了解」
「脚もちょっと硬いみたい、脚も攻撃する必要は少なそうだよ!」
僕の声かけにルーフスが返事をし、復帰をしたフラムが情報を追加する。
フラムもゲリョスに近付いたところで、周囲にいる二人のことを煩わしく思ったのか、ゲリョスは体を半回転させ、尻尾で周りを凪ぎ払った。その間に通常弾を更に装填する。
「痛っ」
フラムは盾で防いだが、ルーフスは避けきれずに尻尾に叩かれ、離された。
いや、ルーフスは十分に距離を取っていたように見えた。少なくとも直撃をもらうような距離ではなかったはずだ。
僕は着弾までの時間と今の狙いを計りながらそんなことを思った。
「伸びるのか……」
ルーフスはそう呟いた。本当にゴムみたいな性質のようだ。
ゲリョスは尻尾を振り終わると、上半身を起こした。
カチ、カチ、カチ
頭のトカサが嘴にぶつかり、火花が散っている。
この動きは確か……
「閃光、来るッ」
視界を腕で覆い、地面に飛び込む。
直後に白い光が放たれ、腕と地面を貫いて、目に光が飛び込む。高い音が頭の中で響き、一瞬だが、全ての五感を奪われた。
体を起こし、後ろを見るとゲリョスが直ぐ目の前で顔を振り上げていた。
横に転がって振り下ろされた嘴から逃れる。
続けざまにもう一度、嘴が来た。
今度は後ろに転がり、更に避ける。
距離が開き、ゲリョスが毒を吐く予備動作をした。顔を上げながら息を吸う動きだ。
僅かな余裕が生まれ、二人の状態を確認する。
フラムは閃光の影響を受けてなさげで、ルーフスは足取りがおぼつかない様子だった。
ゲリョスが毒を吐く直前に横に転がって軸をずらし、そのまましゃがんで斬裂弾の弾帯をねじ込む。
しゃがみ撃ちとよばれるこの動きは普段の数倍以上の弾を装填し、反動を軽減し、連射速度を高めることができる。代償は移動の制限。
毒を吐き終えたゲリョスがこちらを向き、もう一度毒を吐くモーションを始めた。
僕はただ、翼を、首を、背中を撃った。
ゲリョスの口から毒が漏れ、吐き出される直前、尻尾付近で爆発が続けざまに起き、ゲリョスが怯んだ。
そして、ゲリョスの股の辺りを蒼い炎が灼き始める。
僕は五発撃ち込んだところで立ち上がり、距離を取った。
斬裂弾を撃ち込んだ箇所から血がこぼれ落ちているのが見えた。斬属性はやはりよく効くようだ。
この弾は着弾後、大量の刃物が飛び出す。調合の時も失敗すると手がズタズタになるので怖い思いをして作った弾だから効いているのは嬉しい。
注意が散漫になっていた。竜撃砲の範囲から慌てて逃れる。
離れた直後、フラムの悦に浸るような声と砲声が響く。
ゲリョスの内股部分を竜撃砲が抉り、肉片と血液が飛び散る。
頬に飛んできた何かを無視し、地面に伏したゲリョスから前転ニ回分の距離を取り、再びしゃがむ。
今度装填するのは貫通弾。
頭から背中へのルートを考え、照準をつける。
フラムはゲリョスの脚に砲撃を何度も撃ち続け、復帰したルーフスがフラムの反対側で鬱憤を晴らすように斧で翼を切り刻む。
引き金を引く。
中で火薬が炸裂する。
カラ骨の中に入っている点火用の火薬に火がつけられ、弾そのものに速さが生まれる。
それと同時にボウガンに取り付けられている弓が弾を更に加速させる。
そして弦から弾が離れると勢いそのままにライフリングで回転を加えられ、貫通力と安定性が生まれる。
銃口から点火薬の煙と共に弾が放たれ、次の瞬間に弾の内部で発射薬に火が移り、空中で爆ぜる。
カラ骨が割れ、爆発の勢いで更に加速した弾心が飛び出す。
鳥竜種の牙を加工した弾はゲリョスの嘴にあたり、貫けはしなかったが、推進力を殆ど衰えさずに僅かに逸れて首表面を抉り、背中まで一直線に傷痕を作る。
それを続けざまに十発程。
最後に撃った弾はボロボロになった嘴を砕き、トカサを吹き飛ばした。
「閃光潰した、そろそろ起き上がるはずだから距離とるよ!」
そう言うとフラムは砲撃をしてすぐにステップで距離を取り、ルーフスは名残惜しそうにもう一度だけ斬りつけた。
そうするとゲリョスは絞り出したような声をあげ、少し立ち上がるが、項垂れるように倒れ、動かなくなった。
「倒せた、みたいだ」
「長かったような、短かったような……」
ルーフスが疲れたように武器をしまった。そして剥ぎ取りナイフを出す。
「ちょっと待った!」
フラムが声を張り上げる。
「また死んだフリかもしれないよ?」
「いや、姉さん、それはないって」
「二度も死んだフリなんてする?」
僕とルーフスで反論する。狩りの最中に一度死んだフリしないこともあるらしいのに、二度もするのは考えにくい。
「アイルーさん!」
フラムがアイルーを呼ぶ。狩場によっては一部アイテムの運搬が大変なので、アイルーが代わりに運んでくれるサービスがある。運んでもらうのは主に大タル爆弾等の爆弾類だが。
アイルーがひょこっと現れる。持ってきたのはロープで数珠繋ぎにされた六つの小タル爆弾だ。
「ありがとう。――これで頭を吹き飛ばせば生死が分かるでしょ!」
フラムはロープに火をつけ、とても楽しそうに鼻歌まじりで爆弾をゲリョスの頭の方にポイっと投げた。
ゲリョスの首元にのっかる。……今回、背中はあんまり攻撃できなかったから、傷の少ないちゃんとした皮を取れるんじゃないのか?
「フラム、やっぱり待っ――」
当たり前だが時、既に遅し。爆発が起き、ゲリョスの無事だった部分はズタズタに焼き尽くされた。
首が爆発で抉られたゲリョスの生死は言うまでもないいだろう。
死体を欲求不満の解消の為に傷つけるのって畏敬の念としてどうなんだろうか。まぁゲリョスなら仕方ないか。死んだフリをするのが悪い。
三人で狂走エキスをひたすら集めた。それは良いとして。
「飛び降りるの?」
ルーフスが聞いてくる。飛び降りたくないようだ。分かる、分かるけど……
「回り道するとネルスキュラと会うかもしれないんだよなぁ……」
ネルスキュラに遭遇したくはない。気が立っているだろうし、この先は多分ネルスキュラの巣だ。さっきの攻防が比にならないくらい苛烈に攻撃してくるだろう。
「いいから、早く飛び降りるよっ!」
フラムが僕達の手を取り、走り出そうとした。その時だった。
地の底から爆音が響いてきた。
地面が揺れ、爆音は連鎖的に発生し、気温が上がったのを感じた。
崖から下を見ると赤い液状のものが流れ始め、白から赤へのグラデーションがかかった光が噴き出した。
白っぽい煙がよく晴れた空に吸い込まれていく。
「マズい気がする。さっさと逃げよう」
「大賛成。最短ルートで行こうっ」
僕達はここら一帯が溶岩や有毒ガスで埋め尽くされるんじゃないかと不安に思いながら飛行船まで駆け抜けた。
○ ○ ○
「地底洞窟での噴火って二人が思ってるほどのものじゃないんですよ?」
メリルは赤い瞳を私たちに優しく向けて言った。
「噴火した後、窪みにゆっくりと溶岩が流れる……それだけなんですよ。ガスもなければ噴石も殆どない。強いて言うなら暑さにやられることですけど、最速で逃げれば大体大丈夫です」
「へぇ、なら大丈夫そうだね」
メリルはやっぱり物知りでベテランなんだなぁって確認するように考える。
「私の知識を教えてあげたので、ちょっと抱きついてくれませんか?」
「メリルが勝手に言ったことだから教えたとはちがうんじゃないかな?」
「……」
「そう言わないでください。ミドリが冷たいせいで最近、ミドリが足りないんです」
「意味が分からないよ……」
アルフと私達がパーティを組んでもメリルはいつも通りだ。ただ、アルフは気まずそうにしている。
「私の《緋剣》が崩れていく……」
いや、嘆いていた。確かに狩場の動きからは想像できない……したくない姿かも。
「テツカブラ戦は連携の再確認、練度を高めることを目的にしているので、肩の力を抜いていきましょう。商隊の護衛では重要なことですからね」
私達はパーティを組んでからそれなりに経験を積んでいる。
ウルクススを狩る時にアルフとパーティを組み、それ以降続いている。
七、八体程大型モンスターを倒し、ギルドの人にはそろそろ受けられる依頼の範囲を増やせそう、と言われた。
今回のテツカブラはおそらく出されるであろう昇格用の依頼に向けての前哨戦と言ったところかな。
「さ、二人とも――狩りを始めましょうか」
私達は振りかえって怪しく笑ったメリルの横を素通りして飛行船に乗り込んだ。
「アルフ、頑張ろうね」
「あぁ、そうだね。自由に暴れよう、後始末はメリルがしてくれる」
私達はメリルの悲鳴を聞きながらアルフと拳同士をぶつけた。
真上にある太陽はドンドルマを僅かに白むほどに照らし、雲一つない空は青く澄みわたっていた。
……アオイ、まだ怪我治ってないんだろうな。