――むかしむかし、ルルド村が造られる前のことです。
優しい語り口が暗闇の中で響いた。
目を開くと視界には曇り空と群衆が映る。不安そうな喧騒が徐々に耳に入ってきた。
誰かに抱かれているのか鼓動が聞こえ、いいようのない暖かさを感じた。包んでいるふわふわのタオルのおかげかもしれない。僕はただ委ねるように目を閉じた。
霊峰に真っ黒な雲がかかり、不安に思ったハンター二人は調査しに行きました。
次に目を開いた時には空は真っ暗になっていた。
群衆のざわめきは不安と怒号が混じり、より大きくなっていた。
けれどもハンターは帰ってくることはませんでした。その代わりに来たものは……
甲高い咆哮が空から響く。皆の視線は自然と上に向いた。
空を龍が泳いでいた。それを認めると同時に雨が降り、三つ数えるくらいの時間で豪雨になり、突風が巻き起こった。
視界がぐらついた。僕を抱いていた人がよろめいたのかもしれない。
一瞬落下感覚に晒されたが、すぐに引き戻され落ちなかった。だが、視界には底が見えないほど続く、急な坂が映る。
その直後、どういうわけか僕は投げられた。空中でゆっくりと回転し、振り向けたと思えば、目の前を滝みたいな水が通り抜けていった。地面に落ちたときには僕の視界に僕を抱いていた人は居なかった。
龍はその集落に住んでいた人を凪ぎ払い、竜巻で切り刻み、蹂躙しました。
僕は突風に転がされた。だが地面は泥のようになっていたため、痛みはなく、何らかのモノに引っ掛かり止まった。感触的に石系統だろう。
この後どうなるのかと思った直後、視界外から声が聞こえた。
「ルナちゃん早くッ!」
「うん。じゃあミドリをお願い。私はこの青い子を」
茶髪の女の子がそのミドリと言われた赤ん坊を受け取り、僕はルナに抱きかかえられた――
○ ○ ○
「……えっ?」
目を開けると笹の葉みたいなのがたくさんあった。
体を起こそうとするとまず、両腕が物理的に動かず、他は痛みで動かなかった。
顔はなんとか動かせるようだ。左には薬草や包帯が。医療品……そうだ僕、力尽きたんだ。ジンオウガに無謀に挑んでよく生きていたな。……いや、本当に生きているのだろうか。もしかしたらここは死後の世界……なわけないか。
ここはアイルーの集落のようだ。よく見ると医療品に肉球マークがいくつかあった。右を見てみると……ミドリが寝てた。空気がひんやりしているが、毛布がかけられているので風邪なんかはひかないだろう。
「起きたかニャ」
「はい。起きれませんけど」
足元の方から声がかかる。僕にかかっている布が邪魔で見えないが、間違いなくアイルーだろう。
突然、かかっていた布を剥ぎ取られる。あれ、僕のは毛布じゃないの?
アイルーは僕の心境などまるで気にせず、それどころか品定めでもするように念入りに眺めてきた。
「目が覚めるのも怪我の治りも妙に早いニャ……」
なんか訓練所時代にも似たことを言われた気がする。メリルにも言われたことがあるような。
「怪我の治りは早いけどまだ動かすのは危ないニャ。どちらにせよしばらくここで過ごしてもらうニャ」
アイルーは歩いて去っていった。……どのアイルーも僕には見分けつかないな。
暇になりそうだな。
そう思ったところで隣で急に息遣いが荒らいだ。
「……ふぁっ?」
「ミドリ、起きたの」
ミドリはふわっとした表情で起きた。眠そうに、あるいは起きるのを拒んでいるかのように固まり、三拍程経ってからミドリは肩を揺らし目を見開いてちゃんと覚醒した。
「い、いつも以上に真っ青に青いアオがいるっ?」
「なにその分かりにくい台詞」
そんなに貧血なのかな僕。確かに言われてみればなんとなく頭がぼおっとしないでもない。
「アオがあの……えっとたぶんジンオウガだっけ?」
「ジンオウガであってるよ」
……あってるよね? ミドリがあまりに自信がないのでつられて僕も自信がなくなる。
「暫定ジンオウガにアオが向かって行ったときは不安で押し潰されそうだったよ」
「えっと……ごめんなさい」
「あんまり心配させないでよ。でも、あの時はありがとうね」
ミドリの曖昧な笑顔に僕は苦笑いでかえした。
「リオレイアを討伐してからどれくらい経った?」
「一日くらい。それがどうかした?」
僕は一日寝てたのか。気を失っていたとも言う。ルルド村を出てから二日過ぎて三日目か。
「……メリルはどこ?」
「今戻りました」
メリルの声が聞こえた。体を起こせないため、全身は見えない。
ギリギリ見える太ももには白色の包帯が巻かれていた。滲んだ赤がないから怪我は塞がっているようだ。
「おかえりー」
「ただいま……? どうかしました?」
「村にリオレイアが討伐されたことって伝わっているのかなーって」
「あ」
基本的に依頼の制限時間は大体二日と二時間くらい。ルナさん達も知っているだろう。メリルがいる以上、何事もなければそろそろ村に帰り始めていると考えるはず。帰りが遅いと余計に心配をかけることになる。
「ミドリ、すぐに村に伝えに行ってもらってもいいですか?」
「メリルは行かないの?」
「私はちょっと野暮用がありまして」
「僕らの生活がかかっている用事を野暮用とはいい度胸ニャ?」
新しい声だ。アイルーのものだろう。見える範囲で探すと耳だけ飛び出ているのが確認できた。
「アイルーさん、その話はあっちで……」
「みかん、ちょっとその話聞かせてくれる?」
……みかん? あぁ、この耳だけ見えてるアイルーの名前か。なんでミドリがこのアイルーの名前知ってるんだ?
「そこの赤いのに僕らに運送料と医療費の分働いてもらうのニャ」
「僕がやったことだから僕が払うよ」
「アオイ、武器はどうしましたか?」
メリルは宥めるように言った。その言葉の意味を解すると、ゆっくりと思い出された。
無茶な使い方をして融けて、ジンオウガに噛み砕かれ、拡散弾が内部で爆発した。
……壊れただろうな。クロウさんごめんなさい。
「楽観的に考えれば全壊で済んでいるよ」
「修理にしろ買い替えるにしろそれなりに必要でしょう。それに私ならこれくらいすぐに終わります」
確かに武器をどうにかしないといけない。回収できれば修理……できないな。というか武器を失った時の届け出の手数料が笑えない。
「いつか埋め合わせをするのでどうぞ、よろしくお願いします」
心の中では深いお辞儀をしている。実際はただ寝てるだけなのが悔やまれる。
「あれ、メリルも払えないの?」
ミドリが疑問を口にする。……僕は勘違いしていた。メリルは働く、と言ったのだ。払う、ではない。
「えっとその……みかんさん、何を集めてこればいいんですか」
「狩場に案内している途中に話すニャ。出口に道具があるニャ」
「ありがとうございます。では案内お願いします」
メリルはそそくさと歩いていった。
「逃げちゃったね」
「うん」
多分ナイトさんの食事所に通ってたからだろうな。一月毎に支払いがあるせいでいくら食べたか分かりにくい。
「じゃあ私は村にこのこと伝えに行ってくるね」
「道間違えないでね」
「はいはーい。また後でー」
ミドリは小走りで村に向かった。朝ごはん食べてなさそうだけど大丈夫だよね。
二人が行ってしまうととても暇である。動いてはいけないと言われてる。そもそも動けない。
「暇そうだニャ」
「うん。すごく暇です」
近くを歩いてたアイルーが話しかけてきた。答えるとアイルーは僕の顔の隣に座った。
「僕の名前はりんごと言うニャ。ハンターさんの名前は何ニャ?」
「アオイ。アオイ・アルミス。適当に呼んでくれればいいよ」
「そうかニャ。じゃあ――青いの、何か面白い話はないかニャ?」
適当に呼んでと言ったのは僕だが、青いのって。調合の先生かな。というか、りんごさんも暇なのかな。
「んー?」
面白い話というのは結構難題な気がする。僕が苦戦しているのを察したのかりんごは助け船を出した。
「狩りの話が良いニャ。どうせならこことは違う気候のところで」
気候の違うところ……フルフルだな。あんまり良い思い出じゃない。
「わかった。じゃあフルフルってモンスターを狩りに行った話なんだけど――」
「……へぇ。モンスターのキモってそんなに美味しかったのかニャ」
「うん。絶品だったよ。一つ300ゼニーするのも頷けるくらい」
きっと他にも珍味はあるんだろうな。食わず嫌いは駄目だと知った瞬間でもある。
「途中でミドリが食べられかけた時だけどニャ、何でフルフルにテツカブラが突っ込んできたのニャ?」
「……そういえば何でだろ。えっと……」
一度フルフルが僅かに揺れて……テツカブラがフルフル突っ込んで……ミドリが吐き出されたと思ったらメリルが居て……。
「メリルが何かした……テツカブラとメリルは交戦してた……」
「きっとその赤いのがフルフルに飛び付いたのニャ!」
「……あぁ、それなら合点がいくかな?」
テツカブラを転倒でもさせてから壁を伝ってフルフルに飛び付いたのかな。無茶苦茶な人だな。
そういえばミドリはあの直前に何か言ってたっけ。確か、きっと昔からって言ってたっけ。……続く言葉がなんとなく解るぞ。いやもしかしたら別の言葉に続いてたかもしれないからとりあえず忘れよう。
「どうかしたニャ?」
「何でもないよ」
「気になるニャ。本当かニャ?」
「うん。何でもないよ」
自分でも驚く程冷静に言えた。厳密には動揺しなかった、だが。
「りんごさんは何かないの?」
「僕にはあんまりないかニャ~。人間と生活してるやつならこういう時色々とあるんだろうけどニャ」
「そうなんだ。……じゃあ、どんな食べ物食べてるか教えてよ」
「構わないニャ。まずサシミウオニャ……」
他愛もない話をしてるうちに笹の隙間から見える空が紫色に近い色になった。りんごはずっと話し相手になってくれた。
りんごは用事までの時間潰しも兼ねて話し相手のなってくれたようだ。
「今日はありがとうね」
「お互い様ニャ。僕も今日は楽しかったニャ」
「またね」
「またニャ」
りんごは歩いて去った。それと入れ替わりで起きた時に僕にかかってた布を剥ぎ取ったアイルーが来た。
「アオイさん。とりあえず、安全に運べる程度には回復してるはずニャ」
「……あ、本当だ。痛みが少しひいてる」
痛みがひいたお陰である程度は動け……痛い痛い。
「今日はこれを飲んでさっさと寝るニャ。明日の朝には帰れるニャ」
アイルーは濃い緑色の液体が入った瓶を僕に近づけてきた。
「それ苦い奴だよね? ちょっと待ってせめて口をゆすぐための水も用意し」
口のなかに強烈に苦く、青臭く、申し訳程度にハチミツの苦味がある液体が流し込まれた。ハチミツのせいで追加されたとろみが
作業的に飲んでるうちに強烈な睡魔に襲われた。ネムリ草も入ってるのかもしれない。
暗く閉じていく思考の中一つ思ったこと。あまりに唐突で、すぐに忘れると確信しながら文字を浮かべる。
――次、目を開いた時は何事もありませんように。