「もっと急げない⁉︎」
「無茶を言うニャ旦那! ここまで墜落していないだけで奇跡の舵捌きニャ!」
ユクモ村に向かって航路を進むと天気が徐々に荒れてきた。
風は、木々を折り、岩肌を塵に変えて削りながら吹き抜けていき、濁流が低地にあった生態系を押し流していく。
生息域が物理的に狭められたせいか、高原で縄張り争いをしているモンスターが頻繁に見られる。
ユクモ村に接近するにつれ、雨は更に勢いを増し、地上が一切見えなくなった。
「まずいニャ! 不規則に風向きが変わる上に、地上が見えない――判断を間違えたら空で遭難することになるニャ!」
「間違えなければいい」
「旦那、人は誰しも間違えるものニャ⁉︎」
「じゃあアイルーなら大丈夫。それに墜落してもこの辺りは土地勘があるから」
「ハンターは頭がおかしいのニャ」
そうは言いつつも、彼は僕たちをユクモ村に送り届けようとしてくれている。同胞と呼んでも過言ではないだろう。
「――経験上、そろそろ着くニャ」
「地面までの距離感は分かるの?」
「分かるニャ」
「根拠は」
「勘ニャ!」
飛行船を、一層強く風が揺らす。正直、どの方向に向かっているのかさえ分からない。だが、彼は勘を頼りに、真剣な顔で舵を取り、火を調整しこの風の中で飛行船を操り切っている。
「旦那」
「どうしたの」
「これで、もはや帰ることは叶わないニャ。ここからはハンターの見せ場ニャ」
そう言い終わった瞬間、大木が視界に飛び込んできた。
「――ビンゴニャ」
「ちょっと⁉︎」
そんなことをいいながら、木に激突した衝撃でアイルーが飛行船から落ちていく。反射的に腕を掴み、下を見ると濁流が流れていた。
「ここはユクモ村の農場ニャ。まさか沈んでいるとは思わなかったニャ」
「この深さなら沈んだとは言わない。行くよ」
荷物とアイルーを抱えて、飛行船から降りる。濁流が歩行を邪魔してくるが……この程度ならまだ問題ない。
農場の出入り口を塞いでいた瓦礫の山を登ると、ユクモ村の状況が見えた。
より低い場所は泥と濁流の被害をもろに受けており、見上げると、大抵の建物が土砂で一階部分が飲まれ、2階が瓦礫に乗って流されている。この雨の中だというのに、火の手が上がっている場所もある。
ハンターズギルド……集会浴場は一部崩れているが、比較的大丈夫そうだ。……人の声も、雨音に紛れているが、僅かに聞こえる。
それと共に、耳を澄ませたからか足音が耳に入る。
「モンスターがいるッ!」
二人に注意を促したのと同時、元々鍛冶屋があったあたりから、真っ黒な体毛のモンスターが煙雨を裂いて現れた。
「アオアシラ……?」
「でも見ただけで分かる、相当強いよ」
メリルが僕たちの前に出ながら、言った。
「手負いのようですが、油断しないように!」
「言われなくても!」
「分かってる!」
僕たちに敵意があるのが分かると、山のヌシは上体を起こし、咆哮した。
動きこそアオアシラだが、扱う力が違う。あの重く、早い一撃をくらえば耐えられたとしても気は失うだろう。
足場が土砂と瓦礫に石畳――滑りやすく、足を引っ掛けやすい、最悪の条件だ。だがアオアシラはやはり、悪路に慣れているのか俊敏に動いてくる。
通常より巨大だが、それでも体躯の小さいモンスターだ。3人で攻撃するのは神経を使う。2人を射線に入れないように、瓦礫の山を登り、或いは滑り降りて立体的に射線を通す。
「ミドリ! 右の土砂は踏まないで、緩くなりすぎてる!」
2人の足場に気を配りつつ、攻撃を続ける。どうやら前脚が柔らかいらしい。縄張りを追われる過程で、傷つけられたのだろう。
一方で、瓦礫ごと土砂を飛ばしてきたり、滑りやすい足場の上にいるタイミングでボディプレスを仕掛けてきたり、闘い慣れていることが窺い知れる。
「メリル! 何か狙っている気がする、気をつけて!」
そう言った次の瞬間だった。
メリルの剣がアオアシラの前脚の半ばで止まった。剣の勢いを急に殺され、耐えようと踏ん張った足が滑る。
即座にアオアシラがもう片方の腕で潰しに行ったが、メリルは倒れた体勢のまま横に転がり、泥だらけになりながらそれを避けた。
「肉を切らされましたか。アオイのおかげで助かりました」
「それより。ミドリ、一本メリルに貸せない?」
「乗り気ではないけどね!」
ミドリがメリルに剣を一振り投げ渡した。それを見て、アオアシラがミドリに狙いを変えた。
「遅い!」
ミドリは歩幅をいつもより狭めて動き、アオアシラの横をすり抜けた。山で育ったのはアオアシラだけではない。彼女もまた、悪路で俊敏に走れるよう鍛えられている。
「メリルの剣借りるよ!」
すれ違いざまに、前脚に刺さったままの剣を引き抜いた。
その傷が塞がる前に、剣を止めたであろう骨を狙い、切り傷の隙間に徹甲榴弾を撃ち込む。
爆発した瞬間、すかさずメリルが薄刃をさっきと同じ軌道で、全く同じ部位に滑り込ませ――ヌシの片腕を切り落とした。
「これが肉を切らせて骨を断つですか」
その言葉は連携攻撃を指してるわけじゃないだろう。
それはそれとして、メリルの攻撃が決め手となり、なんとかアオアシラを討伐できた。強大な個体であったが、手負い――なんなら瀕死だったようで、短時間で終わった。
泥で汚れた階段を登り、濡れて重くなった暖簾をくぐり、集会浴場を覗く。そうすると、たくさんの人が床に座りこんでいるのが目に入る。子供の泣き声は聞こえるが、大人はほとんど口を開いていない。
その中、受付カウンターにいた白髪の少女がこちらに気づき、顔を上げる。
「アオイ! ミドリ!」
僕はその姿を見て、緊張が解けて、思わず座り込んだ――その横で、ミドリが鬼人化に匹敵する速度でルナの元へ駆け寄り、抱きついた。
メリルが小声で「いいなぁ」と呟くのを聞きつつ、立ち上がり、ルナの元へ歩く。
「心配かけたね」
「無事でよかった」
ミドリから未だ開放されないルナに問う。
「どういう経緯があったの?」
「話したいところだけど、火急の要件がある」
ルナは受付カウンターから2枚の依頼書を取り出した。
「この2体が村のかなり近くにいることが分かっているの。2体同時にこっちに来たら今待機しているハンターさんだけじゃ対処できない。どっちかを狩猟してきて」
そう言って見せてきたのはナルガクルガとタマミツネの依頼書だった。ナルガクルガなら狩ったことがあるな。この状況で、一度も見かけたことのないタマミツネを狩りには行きたくない
ルナの口ぶりから察するに、アオアシラがすぐそこまで来たことに気付いていない。この2体以外にも付近にモンスターがいてもおかしくはないだろう。
「ナルガクルガを狩りに行こう。2人はそれでいい?」
「それが良さそうです」
「オッケー」
本来、温泉に浸かり、血の巡りを上げて体力を引き出してから狩りに臨むのがユクモ村特有の流れだ。しかし、避難所となっている集会浴場が浸水しないよう、今は温泉は止められている。
供給が絶えたせいで、在庫が目減りしていく様を見ながらドリンクを飲み、集会浴場を出る。
ナルガクルガを目撃した場所まで徒歩になった。ガーグァに荷車を引かせようにも道が悪く、なんなら肝心のガーグァが嵐に怯えて動かないせいだ。
ナルガクルガは闇に溶け込むモンスターだという。この天気ではそこら中に暗闇が広がっており、雨風は音と臭いを消してくれる――まさに暗殺日和だ。気をつけなければ。
ナルガクルガが目撃された場所が近づいてきた。
「きゃっ」
前の方を歩いていたミドリが派手に転ぶ――前にメリルが受け止めた。
「泥で滑りやすいので、気をつけて下さい」
「泥くらいじゃ滑らないように足装備調整してもらってたんだけどな……って」
ミドリがその場でしゃがみ、足元を指でなぞった。
「これ泡じゃない?」
指を見ると、不自然なほどに泡立った液体が付着していた。
「これはタマミツネの痕跡ですね。……足跡もあります。おそらくこちらの方向に行ったようです」
「……追ってみよう」
作戦変更だ。ナルガクルガとタマミツネの内、先に発見した方を狩猟し、帰還する。この状況で初見の狩りは気が進まないが、今はできることをやるべきだろう。
追うほどに地面に残っている泡は大きくなり、やがて木の枝や葉に大きめの泡がくっついていることが増えてきた。それと同時に、明らかに風以外の何かが原因で木が倒されているのも見られるようになった。
縄張り争いが起きたと結論づけた直後、進行方向から、初めて聞くモンスターの咆哮が聞こえた。
様子を見に行くと、ナルガクルガとタマミツネが争っているようだった。
普通なら縄張り争いと言っても、どちらかが絶命することは少ない。意地を張って死ぬことも、大きな傷を負ってまで縄張りを守り抜くことも意味がないと本能でわかっているからだ。
しかし、今回は違う。ナルガクルガが一方的にタマミツネを攻撃していた。
見たところ、タマミツネは顔に傷を負っており――恐らく視力を失っている。反撃されないのをいいことに、ナルガクルガは四方八方から一撃離脱を繰り返している。
タマミツネもやられてばかりではなく、周囲に泡を撒きながら応戦するが、目に頼らず戦える相手ではない。
菊のような色をした背ヒレを裁断し、尾は骨が見えるほど深い傷を入れ――そしてナルガクルガがタマミツネの首を狙い、大太刀のような破壊力を持つ尻尾を振り下ろした――。
それと同時に、ナルガクルガの着地を、狙い澄ましたかのようにタマミツネが狩った。全身の捻りから繰り出された、高速で横に薙ぐ尻尾がナルガクルガを転倒させる。
盲目のはずのタマミツネが的確なカウンターを行ったことで、動揺したのか、ナルガクルガが一瞬、転倒から復帰するのが遅れた。
その一瞬でタマミツネは跳躍し、水の流れのように無駄のない動きでナルガクルガの頭部に渾身の一撃をを叩き込んだ。
タマミツネの尻尾がどけられると、熟れて落ちた柿みたいに潰れた頭が見えた。
とても偶然の出来事には見えない。猛攻を受ける中で、タマミツネが何かを掴んだのだろう。
気をつけなければならない。油断すれば今度は我が身だ。
ミドリが剣に手をかけて言った。
「……どうする、狩るの?」
「挑むには危険すぎるかと」
メリルの言うことは正しい。ナルガクルガの速攻を盲目にも関わらず捻り潰した――特殊な個体と言わざるを得ない。
「野放しにもできない」
狩るなら体力を消耗しているであろう今しかない。
意図を汲み取ってくれたらしく、2人が抜剣し、前に出た。
2人がタマミツネを挟むようにしてジリジリと近づいていく。そして、剣が届く間合いに入った瞬間、タマミツネが激しく舞った。
ミドリは大きく後方に距離を取って躱し、メリルはその場で受け流した。
タマミツネは人がすっぽり入るほどのシャボン玉をばら撒きながら、メリルに猛攻を仕掛ける。見えないはずなのに、まるで居場所が分かっているかのようだ。
本来なら死角になるような場所からの攻撃でさえ、即座に察知しているようだ。
ミドリが援護しようと接近すると機敏に反応するが、僕の攻撃は全て命中している。これを維持できれば勝てるが――この足元ではメリルが致命的な隙を晒してしまう。
「メリル! 一旦泡のない場所まで離れらならない⁉︎」
「できません。移動しようとするたびに妨害されてしまいます!」
なら僕が泡を消すしかない。弾丸用に持ってきた、火薬草とはじけイワシの粉末を混ぜ合わせて袋に詰める。簡易的な消散剤だ。この粉末は付着するとパチパチとはじけ、体にまとわりついた泥や雪なんかを落としてくれる。
「メリル、斬って!」
タマミツネの攻撃の合間に、袋詰めの消散剤をメリルに向かって投げつける。メリルは即座に剣筋に炎を走らせながら、それを真っ二つにした。
消散剤に含まれている火薬草に、炎が引火し、袋の中の粉が一瞬にして周囲に撒き散らかされた。
「はっ……くしょん! こんな時に何やってるんですか!」
「泡は消えたでしょ!」
泡が消え、いつも通り動けるようになったメリルが、涙目になりながらタマミツネの間合いから離れた。
メリルの離脱がうまく行ったかと思えば、タマミツネが攻撃してこなくなった。周囲に泡を撒くばかりで、こちらの場所が分かっていない様子だ。
距離を離しさえすれば攻撃してこないのか?
いや、タマミツネはメリルに攻撃する際、何度かこれくらいの距離を取る瞬間があった。
予想外の行動をされたからか?
泡を消すのは確かに裏をかいたと思う。だが見失うほどではない――いや、泡が消えたことによって見失ったとすれば?
「絶対に泡を踏まないで!」
2人に呼びかけつつ、通常弾で適当な泡を狙い撃つ。
そうすると、その泡に向けて、タマミツネがボディプレスを繰り出した。間違いない。泡を撒き、その泡が弾けたのを感知し、攻撃している。そう確信した直後、盲目のはずのタマミツネと目があった――次の瞬間、音速で伸びる槍のような、高圧の水がタマミツネから放たれた。
「うっ!」
ギリギリ回避行動を取ることができ、直撃は免れたが肩に掠った。それだけなのに吹っ飛ばされた。
耳も悪くないらしい。銃声が聞こえた方に向けて放ったのだろう。
読まれないように不規則に移動しながら弾丸を撃ち込んでいく。ブレスに気をつけて、泡を踏まない距離を維持すれば一方的に攻撃できる。
しかし、今度は弧を描いて落ちるシャボン玉を撒きながらブレスで周囲を薙ぎ払いはじめた。接近されていれば隙を晒すだけのこの行動を、今はリスクなしでできるという判断か。
ブレスを横に薙ぎつつも、不規則に上下に揺れるせいで避けにくい。このまま痛み分けに持ち込もうとしているのか?
ブレスを全方向に、しつこく放ち続けてくる。これではろくに攻撃ができない。
やがて、痺れを切らしたのか、ミドリがタマミツネに向かって突撃した。
「待った! それじゃ思う壺――」
ミドリはタマミツネに接近し、泡を踏む直前で跳躍した。
そして、タマミツネの前脚に着地――というか、足をかけたかと思えばそのまま踏み台にして駆け上り、背ヒレに全体重を乗せた一撃を叩き込んだ。
双剣をそのまま振り抜くと、両腕を狭め、攻撃に使った回転力を増幅させた。刃のついた車輪の如く、無数の切り傷をつけながら尻尾まで転がり、最後に腕を開き、転がった勢いはそのままに、大きく跳ねてそのまま着地した。
「泡さえ踏まなければいいんでしょ」
暴論だ。大道芸人もびっくりな軽業をアドリブで成功させ続けると言うのだから。だが、こういう選択肢を持つという情報があれば、タマミツネは引き分けを狙いにくくなる。
タマミツネが空中にシャボン玉を飛ばし、牽制を始めた。だがそれは全て撃って破壊する。
僕がひたすら攻撃を重ねてヘイトを買い、ミドリは隙を見つけては感知されずに刃を振るう。
しかし、タマミツネが動くほど、地面に付着する泡は増え、こちらの行動範囲が削られていく。こちらが距離を離し過ぎれば逃げられるだろう。
こちらの戦術を知られ、万全の体力で再度来られれば厳しい戦いになる。だからここで討伐しなければならない。
しかし、消散剤には限りがある。使い切ればタマミツネの土俵で戦うことになるだろう。
苦虫を噛みつぶすような気持ちで、消散剤を使おうとした時だった。
「泡対策はもう大丈夫です、私が行きます」
メリルがそう言って、地面の泡を踏み潰しながらタマミツネの元へと歩き出した。
その瞬間、タマミツネの白い花のようだったヒレが一気に朱に染まる。
メリルの元へ滑り込みながら尻尾を持ち上げ、叩きつけた。メリルはそれを片足を軸にして半身を後ろに回しただけで紙一重で躱した。そして、タマミツネの爪を狙って、剣を振り下ろした。
滑り込んだ勢を殺すため、地面に押し付けていたためか、爪は剣の威力を余さず受け折れた。その爪をメリルが拾う。
「拝借させていただきますね」
爪が折れたせいか、泡の滑りやすさを利用した緩急に、キレがなくなった。そのおかけで隙が増え、安定して体力を奪っていけるようになった。
また、メリルは滑り止めを手に入れたからか、滑る泡を利用して攻撃をするようになり、最初と比べて攻撃頻度が、大きく増えた。その分だけメリルにヘイトが集まり、僕たちは動きやすくなっていく。
ここぞとばかりに攻撃を叩き込む。
血を流しすぎたからか、傷は治らなくなり、筋繊維が切れたまま繋がらなくなっていき、タマミツネの動きはどんどん鈍くなっていく。
そして、疲労の蓄積か、水ブレスが不発になったところをミドリとメリルが同時に首を攻撃し――切り落とした。