「君! そう、そこで道を歩いている君だよ、君! 君のような人材を求めていたんだ!」
「……は?」
ある日の昼下がり、ぼんやり街頭テレビを眺めていたらいきなりこんな声をかけられることになった。
……何を言っているのか自分でも分からない。
「ん? おーい、聞いているのかね?」
「……」
あまりに不意すぎて頭がフリーズし、言葉も出なくなる。
……何かのドッキリか、これは?
それとも……。
「……新手の詐欺か宗教団体の勧誘ですか? 生憎私は神など信じておりませんが……」
「いやいや! そうではない! まあ、とりあえず話を聞いてくれたまえ!」
……変な人に絡まれたと警察でも呼ぶべきか?
まあ、話だけ聞いてやって、満足したところで逃げればいいだろうか?
「はあ……まあ、聞くだけなら構いませんよ」
ここで変に刺激して何かされたら困るし……。
「そうか! では、早速移動しよう! ついてきてくれたまえ!」
「はあ……」
半ば強引に連れて行かれる羽目になってしまった。
しかし、この黒い人はなんなんだ一体……。
「うむ、到着だ。では早速中に入ろうか」
「……765プロ?」
聞いたことが無い。
何やってるところなんだここ……?
「ただいま、音無君!」
「ああ、おかえりなさい社長……って、その人誰ですか!?」
事務員の人が黒い人の後ろに居る俺を見て驚きの声を上げる。
まあそれが当然の反応ですよね。
自分もこの黒い人に強引に連れてこられたわけなんですが……。
「プロデューサーになれそうな人材を街で見つけてね。スカウトしてきたのだよ!」
「スカウト……?」
どうみても怪しい宗教の勧誘と大差なかったような……。
半ば強引に拉致されたようなものだし。
それはそうと、プロデューサー、ねえ。
「もしかしなくても『また』ですか!? 社長!」
「り、律子君……」
奥から飛び出してきたのは眼鏡をかけたスーツ姿の女性だった。
……それはそうと「また」ってどういう事なんだ?
「そうやって手当たり次第に声をかけて強引に連れてきて、勧誘して、結局逃げられて! そんな事ばかりやってるから、誰もここに来なくなるんですよ!」
「し、しかしだね……!」
「しかしじゃありません!」
……日常的にこんなことやってるのかこの黒い人?
なぜ通報されないんだ……。
「……申し訳ありません。社長が本当にご迷惑を……」
「あ、いえ……」
律子さん、か。
この黒い社長よりよほどしっかりしてませんかね?
まあそれはそうと、話だけは聞きますか。
「それより、プロデューサーってなんですか? そもそもここは、何をしているところなんですか?」
話だけは聞いておかないと、本当にここに連れてこられただけになってしまうしな。
それこそ時間の無駄だ。
「うむ、よくぞ聞いてくれた! ここは、765プロダクション。アイドルの原石達を育て、トップアイドルとして売り出すことを目的とした会社だよ!」
「……なるほど」
要するに「アイドル事務所」って事か。
どうりで知らないわけだ。
「そして、君にピンと来たのはそのアイドル達の『プロデューサー』になってもらおうと思ったからだ!」
「『プロデューサー』ですか?」
……ふむ。
プロデュースする人……ってことは、アイドルを売り込む人って事かな?
「大体その認識で間違っていないよ。君には我が社のアイドル候補生をプロデュースしてもらい、いずれはトップアイドルに育て上げてもらおうと考えているのだ」
「……仰ることは理解できましたが、具体的にどうすればいいのかはさっぱりですよ?」
少なくともその辺しっかり教えてもらわないと仕事にならない。
……分かってるのかなこの人は?
「む? 君は経験0からでもあらゆる業務を完璧にこなせる新人の敏腕プロデューサーではなかったかね?」
「「社長、それは本当に新人ですか?」」
俺と律子さんの声が重なる。
この社長もしかしなくても頭が残念な人なのか……?
「……あ、ああ! もちろん冗談だとも! 雇ったその日にアイドルを任せてプロデューサーとして働いてもらうなど、そんなわけないじゃないか! しっかり教えるから安心してくれたまえ!」
(もしかしなくても本気だったんじゃ……)
「社長……」
事務員……音無さんまで頭抱えてるじゃないか。
本当に大丈夫なのかここ……。
とはいえ……退屈はしなさそうかな?
何の変化もない毎日を淡々と過ごすだけの今と比べたら……。
「……いいですよ」
「ん?」
「しっかり事前研修を受けさせていただけるなら、やってみても構いません」
まあ、上手く行くかは分からないけどさ。
やるだけやってみてもいいだろう。
「おお! 聞いたかね音無君、律子君! やはり私の目は節穴では無かったよ! では早速担当アイドルを3人付けてIA完全制覇やIU優勝に向けて特訓……じゃなくて、君には研修から入ってもらわなければならなかったね」
「えっと、律子さん、でしたっけ? 本当に大丈夫なんですか、この社長」
「……ま、まあ、可能な限り私もフォローしますから」
「……お願いします」
正直不安しかないんだけど、まあやってみないことには分からないだろう。
それはそうと……。
「IAとかIUとか、聞き覚えのない単語が出てきたんですが……教えて頂いてもよろしいですか、社長?」
「ん? ああ、これも説明しなければならなかったね。まずIAだが、これは『アイドルアカデミー』の略称だよ」
「アイドルアカデミー?」
学会みたいなものなのか?
それはないか。
「うむ。この年で最も活躍したアイドルに送られる栄誉ある賞だよ。全国で活躍したアイドルに送られる『IA大賞』と各地域ごとの『IA部門賞』に分かれていて、いずれも非常に名誉ある賞なのだ」
「なるほど……」
トップアイドル目指すなら獲得してくれ! とか言われそうだな……。
ただ、これを獲得することがその年の最も活躍したアイドルの証明なら当然なのか?
「栄誉ある賞だからね。これを獲得したアイドル事務所は当然世間からの評価も上がるわけだ」
「……」
アイドル界において相当重要な賞なのだという事だけは分かった。
……それで、IUとは一体?
「IU……。これは『アイドルアルティメイト』の事で、大多数のグループがオーディションやフェスによって戦い、優勝者を決める熾烈な戦いだよ。IAと同時期に開催されるのだが、こちらは負けた時のリスクが凄まじかったから、去年はあまり参加者は出なかったようだがね」
「……具体的にはどうなるんです?」
敗北にリスクって……。
リスクに見合う価値があるから参加するんだろうけど……。
「うむ。敗者からはファンが離れ、ファン数の減ったアイドルはランクが下がり、敗北したというマイナスイメージの影響で立て直しが困難になり、敗者の大半が引退に追い込まれるのだよ」
「……は?」
……いやいや、一回フェスやオーディションで負けただけで引退って……。
「それが事実なんですよね……。去年も有名、無名問わず、ものすごい数のユニットがIU敗北によって引退していきました」
「……アイドル育てるのって
「いいえ。レッスンに、衣装に、とお金はかかりますよ」
「……」
いやいや! どう考えてもそれ割に合わないだろ!
手塩にかけて育てたアイドルが一回戦で負けて引退、大赤字です!
こんなことになったら普通事務所潰れるだろ……。
「うむ。だから毎年数えきれないほどの小さな事務所が潰れていき、参加者も減っているのだよ、IUは。アイドルランク制度も入れ替えるために別の組織が出来るらしいが、まだ詳細は不明のままだ」
「別の組織ですか?」
IU制度の代わりになりえる組織……ねえ。
どんなのなんだか。
「確か『A・I・R・A』とか言う組織だったような……。まあ、構想段階でまだ何も決まっていないようだがね」
「なるほど……」
まあ、出来てないんだったら気にしなくてもいいだろう。
……ところで、書類等は書かなくていいのですか?
「ん? ああ! すまない! 入社してくれるという事でつい説明に熱が入って忘れてしまっていたよ! 音無君!」
「はい。こちらの書類に必要事項を記入していただきますか」
「分かりました」
雇用契約の書類に目を通し、必要事項を記入する。
……そう言えば俺、名乗ったっけ?
「何か質問はありますか? ……って、そう言えば名前、聞きましたっけ?」
「ん? ああ、それも忘れていたよ! うっかりしていたねえ……」
「社長……名前も聞かずに連れて来たんですか?」
律子さんは社長の行動に呆れている。
……やっぱりか。
そんな気はしてた。俺も名乗った覚えがない。
「……記入終わりました、音無さん」
「へ? あ、はい、ありがとうございます。……
「はい。後はそこの記載通りです。皆さんのお名前、教えて頂いてよろしいでしょうか?」
名前、教えてもらわないとな。
「うむ、私がこの765プロダクションの社長、高木順二郎だ」
「よろしくお願いします、高木社長」
「私は音無小鳥と申します。……呼び方は「小鳥さん」でも「小鳥」でも「小鳥ちゃん」でも構いませんよ?」
「……よろしくお願いします。音無さん」
もしかしなくても中身が残念なh……急に寒気が……っ!?
何も考えないのが吉か……!
「私は秋月律子。この765プロのプロデューサーとして働かせてもらっています」
なるほど。社員としてだけじゃなく、プロデューサーとしても大先輩だな。
「よろしくお願いします、律子先輩。若輩者故至らぬ点も多々ございますが、これよりご指導よろしくお願いします!」
言い終わると同時に頭を下げ、一礼する。
これから色々教えてもらうんだから、失礼が無いようにしないと!
「え? いや、あの、そこまで硬くされるとちょっと……」
「……え?」
……あれ?
「雇用契約の書類も見ましたけど、貴方の方が私より年上ですし……。 年上の人に、それも同僚に丁寧な敬語で話されるのってちょっと慣れてなくて……」
「……は、はあ……」
それは想定外だ。
じゃあどう呼べばいいんだ?
「律子、って呼び捨てにしてもらえます? それと、敬語も無しでお願いします」
「……わ、分かりまし、じゃなくて、分かった。これでいいか、律子s……律子?」
……慣れない、というより、敬語抜きで先輩と喋るって相当珍しいよな。
まあ、当人の希望ならそれでやるしかないか。
「はい。よろしくお願いしますね、プロデューサー殿」
何というか、流されてそのまま来てしまった感じだが……。
ここまで斬新な環境も悪くないんじゃないかと思った。
先輩に敬語抜きはさすがにフランクすぎると思うが、まあ、ここの事務所の個性なのかな?
とにかく、研修頑張らないとな!
強引さに定評のある黒いの。こうでもしないと話が始まりません。
当然この話の主人公はアイマス2に出てくる「新人の敏腕P」ではありません。
というか新人で敏腕、OFAと異なり社内研修もやってなさそうなアイマス2のプロデューサー。
プロデューサー養成学校でも出たのか。