ローズヒップ、頑張りなさい。   作:テイカー

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一日目
オレンジペコ、落ち着きなさい


 オレンジペコは普段通りの慣れた所作で熱湯をカップに注ぎ、温度を確かめて一人頷いていた。

 十分に温まったカップから湯を戻し、ポットの中に茶葉を匙で放り込む。

 

 広間の中央を振り返れば、茶菓子を三段ごしらえのケーキスタンドにセットし終えた二人の少女が紅茶を待つ間のんびりと談笑を楽しんでいた。

 

 ダイニングキッチンのように給湯室が併設された、広間とも呼べる一室。

 壁一面の窓から降り注ぐ朝日はガーデンの草花がほどよく遮って木漏れ日を演出し、燦々と心地いい陽光の下。

 

 彼女が紅茶を持っていけば、お茶会の準備は完了だ。

 

 

 いつも通りの、聖グロリアーナ女学院の朝。

 

 

 今日のモーニングはイングリッシュアールグレイ。ほのかに香る中国茶とダージリンティーを合わせた、新鮮なフレーバーだ。

 今日のような清々しい朝にはちょうどいいだろうとオレンジペコが学園艦の紅茶専門店(いきつけ)で購入したもので、試飲以外では初めての開封を彼女自身も楽しみにしていた。

 

 給湯器に突っ込んだ温度計を確かめて火を止めると、丸いポットにゆっくりとお湯を注ぐ。フレーバーティーならではのほんのりとした香りに頬を緩ませながら、その秋波眉の尻を下げてほっと一息。

 

 トレイにカップを三つとポットを載せて、二人が待つ白の円卓へと歩いていく。

 

 さて、今日はどんな会話をしているのだろう。

 滑らかに加われるように、ゆっくりとした足取りで彼女らのもとへ。

 

 テーブルに置かれたカップに三分弱ほど蒸らした紅茶を注いでいると、ちょうどアッサムが口を開いたところだった。

 

「はぁ……意中の殿方ですか」

「What!?」

「オレンジペコ!?」

「あ、申し訳ありませんつい」

「ついで滑らかなEnglishが出るようなことが今まであって!?」

 

 遅れて、淹れられた紅茶に礼を言ったダージリンはまず一口。

 

 あらおいし、と口元に指を添えて呟かれた言葉にそっと口角を上げながら、オレンジペコも用意されていた席に腰かけた。

 

「データの上では、オレンジペコがwhatと口にしたのは今回が初めてです」

「そんな統計取らないでください……ってそれよりも」

 

 相変わらず感情を見せないゆったりとした所作のアッサムに、オレンジペコは食いつく。

 

「だ、ダージリン様に意中の殿方が?」

「いいえ。私ではなく、ローズヒップのことよ」

「…………あのひと恋愛とかする機能あったんですか」

「人をブレーキの無い蒸気機関車のように言うのはおやめなさい」

「そこまでは言ってないんですが……」

 

 苦笑い交じりに否定を一つ入れて、オレンジペコはシミ一つない天井を見上げた。

 

 あの暴走巡航戦車(ローズヒップ)に好きな人。

 

 言い方から察するに結ばれた訳ではなさそうだが、それにしても。

 

「……この女学院で色恋沙汰の話を聞くことになるとは思いませんでした」

「こんな格言を知っている? 恋愛論を得意げに語る奴には、恋人がいない。人知れずどこかで、恋というのは始まるものよ」

「マーフィーの法則ですね。……ということはダージリン様には」

「私は今、恋愛論なんて語っていないわ」

 

 ぷい、とティーカップと一緒に横を向いてしまったダージリン。

 アッサムとオレンジペコは、やってしまったと顔を見合わせて口元を緩める。

 とりあえず、会話をずらそう。どちらからともなく出たそのアイディアを、アイコンタクトで確認して。

 

「それにしても、どこの何方なんですか?」

「データによりますと、男性教師陣の既婚率は100%です。また、用務員、校務員の方は女性スタッフで占められています。……学園艦外部の方ということでしょうか」

「ダージリン様はご存じですか?」

 

 おそらくは知っているのだろうと踏んで。

 アッサムが聞き手に回っていたということは、ダージリンがこの話題の発端だろうと分かったうえで、オレンジペコはそう問いかけた。

 

 すると彼女はくるりと佇まいを正して、必要以上に胸を張って頷いた。やたら重々しく。

 

「ええ、もちろんよ」

「わー、流石ですねー」

 

 ふふん、と機嫌良さそうに鼻を鳴らすダージリン。

 オレンジペコはお代わりの紅茶をポットから注ぎつつ、彼女の次の言葉を待つ。

 

「とはいえ……あまり本人の居ないところで、というのも気が引けるものね。まだ結ばれたわけでもないのだし、今日の戦車道の時間に改めて話すことにしましょうか」

「ここまで話してしまったらあまり意味ないと思いますけど……」

「それは、そうね……」

 

 言葉を濁したダージリンに首を傾げていると、アッサムが助け船を出した。

 話題の発端は、と前置きしたうえで、彼女は。

 

「ローズヒップに浮いた話が出て、何故私たちには春が来ないのでしょうか。という話がしたかったのですよね。データの上では、ダージリンのような淑やかな方は恋愛色豊かだという結果が――」

「あの、そのくらいにしておいてあげてくださいマイノリティの渦に叩き込まれたダージリン様のメンタルが撃破寸前です」

「あっ」

 

 気付けば胸を押さえて怖い漏れ方の笑い声をこぼすダージリンの姿。

 

「ふ、ふふふ。ふふふふふ」

「あー、これはまずいですねー」

「データによりますと、この後ダージリンが開き直る確率は」

「やめてあげてくださいって!!」

 

 幽鬼のようにゆらりと上体を起こしたダージリンは、アッサムとオレンジペコを順々に見据えると歪な笑みを湛えてテーブルに手をつくと。

 

「ねえオレンジペコ」

「なんでしょう……?」

「こんな格言を知っている? 急いで結婚する必要はない。結婚は果物と違って、いくら遅くても季節はずれになることはない」

「トルストイですね。要は来てないんですね、春」

「そんなことないのよ!」

「データの上ではダージリンが――」

「アッサム!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、いうようなことがあったんですよね」

「……きみはいつも苦労しているな」

「あはは」

 

 両腕で包めるほどの大きさのテーブルに、静かに置かれた一枚の皿。

 そのうえにはオレンジペコの好物であるホットクロスパンと、添えられたささやかなお菓子の盛り合わせ。

 

 小腹を満たすにはちょうどいいおやつ。

 ゲーテの詩集を片手に、オレンジペコは給仕にやってきた青年とのんびりと会話をしていた。

 

 ローズヒップの人権や恋愛事情に関わる部分は除いた、ダージリンを統計という凶器で殴るアッサムの話を。

 

 ここは彼女の行きつけであるティーサロン。

 放課後に時間があると、ついふらりと寄ってしまう場所だった。

 

 一階にある紅茶専門店と提携していて、目の前に立つ青年が切り盛りしている店だ。

 

「戦車道にはあまり詳しくないけれど、キミやキミの周りのメンバーは流石に有名だからね。まるで有名人同士の日常を聴けているようで、俺も楽しいよ」

「そんなんじゃないんですけどね……。でも、私もここに来るのはとっても楽しいです」

「そりゃあ、好物を並べていた甲斐があるよ」

「えへへ」

 

 カウンター奥に引っ込んでいく彼を見送って、ホットクロスパンを一口。

 いつも通りに美味しくて、いつも通りに優しい味。

 

 紅茶とパンと、それからケーキ。何を取っても美味しいこのお店は、実はオレンジペコだけが知る穴場だった。

 

 聖グロリアーナの学園艦には、その校風からか沢山の有名な紅茶店や喫茶店が出店している。イギリスにフランス、中国にインド。そのどれもがブランドとして名高いなか、この店は路地の先にひっそりと建っている。

 

 繁盛しすぎるのも考え物だ、という謎の理論を掲げる彼が、十八にして出資者から予算を獲得してこの場所に建てたというから驚きである。自分と幾つも変わらないはずなのに、一城の主だ。

 

 それに、紅茶ソムリエとして幾つか賞も取っているようで、初めてオレンジペコが訪れた時はそのくりくりと大きい瞳を点にしていたくらいだ。

 

「紅茶は、セイロンのフルリーフでいいかな? ちょうど新茶の、はっきりした味わいのが入ってるんだ」

「ありがとうございます」

「少々お待ちをー」

 

 フルリーフ。ということは、オレンジペコだろうか。

 多分、きっとそうだ。

 

 分かっていても、オレンジペコは自分からそのことを言ったりしない。

 間違っていたら恥ずかしいし、わざわざ彼がそんな言い方をしたのだとしたら、サーブする時に改めて言ってくれるだろうから。

 

 あっという間にホットクロスパンとお菓子を平らげて、ゆっくり詩集を読んで待つこと数分。

 

 ポットとカップをトレイに載せて持ってきた彼は、そっと彼女の手元にカップを置いて。

 

「はいよ。セイロンと中国茶のブレンド、当店のオレンジペコでございます」

 

 気取ったように詠う彼に、オレンジペコはくすりと笑って。

 

「わざわざ今それを言うために、さっきはフルリーフなんて言ったんですか?」

「博識なキミには小賢しいごまかしに見えてしまったかっ……!」

「そんなことはないですけど」

「やはり女の子と接するにはまだ経験値が足りないな……修行しなくては」

 

 その黒い短髪を押さえるように後頭部に手をやりながら、彼はおどけた。

 

『キミが博識であることを分かっていても、男というのは格好つけたいものなのだ』

 

 以前そう言っていたことを思い出す。

 

「変に修行なんてしても仕方ないと思いますよ」

「なんだと」

 

 だから、オレンジペコは詩集で口元を隠しながら、彼に伝える。

 

「私以外の人にそんなことしたら、引かれちゃいますから」

「おおう、なんともどぎついご忠告だ」

 

 女子高生にキモいとか言われたら立ち直れねえ、とかなんとか言いながらキッチンに戻っていく彼の背中を見つめて、オレンジペコは緩んでいた口元を詩集から離す。

 

 紅茶とパンと、それからケーキ。そしてもう一つ、彼という存在。

 

 四つ合わさって、オレンジペコはこの店を秘密にしている。

 最初の三つだけだったら喜んで仲間に紹介したであろう店を、つい、あまり多くない欲で。

 

 最初は自分でも驚いた。彼、ひいてはこの店の為なら多くの人に広めた方がいいだろうに。

 けれど、"あまり繁盛しすぎないようにしている"という彼の言葉が、免罪符となってしまって。未だに誰にも打ち明けられていない彼女だけの場所。

 

「……ダージリン様。こんな格言を知っていますか?」

 

 オレンジペコは、ついここには居ない己の先輩に向けて呟く。

 

「人生で一番楽しい瞬間は、だれにも分からない二人だけの言葉で、だれにも分からない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である」

 

 手元にある、ゲーテの詩集に書かれていたその言葉。

 

 オレンジペコは今朝、自分の恋愛については一切語らなかった。

 

 嘘は言っていないけれど、打ち明ける理由もなくて。

 

 このゆったりとしたひと時を、店員の彼と客の自分で楽しむのが、オレンジペコにとってのささやかな恋であるなんて、わざわざ口にする意味がない。

 

 彼女にまで先を越されていると知ったら、ダージリンもどうなるか分からないのだし。

 

 今日も閉店の間近までゆっくり詩と紅茶を楽しむ。

 

 最近はやたらとはまってしまった、恋の詩を。

 

 

 と、その時だった。

 

 階下から誰かが上ってくる足音がしたのは。

 

 珍しいこともある。この夕暮れの時間帯に客など、オレンジペコは会ったことがない。

 そしてそれは彼も同様のようで、今から来るであろう客に向けてカウンターからひょっこりと顔を伸ばしていた。

 

 そして。

 

「ろ、ローズヒップ参上でございますわ!!」

「ローズヒップ。止まりなさい。あまり声を上げるものではありません」

「わ、分かっていますわ! で、でもこう、緊張というかなんというか」

 

 オレンジペコは、文字通りフリーズした。

 

 何故、ここにチームメイトが。

 そして、彼女は誰よりも早く察することが出来た。

 胸が早鐘を打つ。何故、という二文字が脳内を踊る。

 

「ま、また来ましたのよ!」

「ああ、この前の。いらっしゃいませ。本日"は"営業してますよ」

「分かっていますわ! OPENの文字が見えたからこそ、私はやってまいりましたのよ!」

「どうぞ、お好きな席に」

 

 嗚呼、なんで。

 

 こんな酷なことがあるだろうか。

 顔を真っ赤にしたローズヒップが、それでも楽しそうに、嬉しそうに彼と話している。

 

 その様子は、雰囲気こそ全く違えど自分と彼が話す時のそれと酷似していて。

 

 すぐに、察した。

 

 ローズヒップに、意中の殿方が居る。

 

 それがまさか。

 

「あら、オレンジペコ」

「……ダージリン様」

 

 嬉々として彼と話すローズヒップの後ろで、店内を見渡していたダージリンと目が合って。落ち込み具合がバレていないかと目を逸らしながら、それでも頭を下げる。

 

「じゃあせっかくですし、当店自慢の美味しいケーキを振るまうとしましょうか。そのつもりで来てくれたのでしょう?」

「もちろんでございますわ!!」

 

 謎のサムズアップをするローズヒップは、終ぞオレンジペコには気づかなかったようで。

 ダージリンと纏めて席に案内されたさいにも、なんでオレンジペコがここに? と何も察しない様子だった。

 

 

 これは、そう。

 自分は、きっと。

 

 ダージリンたちと同じように、ローズヒップの恋を応援するわけにはいかないようだ。

 

 




ローズヒップが可愛い話を書こうとしたらオレンジペコの魅力にやられていた。

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