彩人の両親に挨拶をしてから、進藤は彼を連れ出し日本棋院のある市ヶ谷へと向かっていた。彩人は、これから囲碁の総本山に行くということでそれなりに緊張している様子だった。
それを進藤が時折茶々を入れて、彼の自尊心を奮い立たせることで気を紛らわせていた。
「男だろ。行く前からビクビクしてんじゃねえよ」
「びっビクビクなんてしていませんよ!こ、これは武者震いという奴です!」
「ははは!なんだそれ!」
傍目から見たら、二人は兄弟か、年若い父とその子どもに見えるだろう。壁のない二人の様子は、まるで何年もの付き合いがあるように感じさせた。
電車が市ヶ谷駅に到着すると、二人は他の乗客に混じって降りた。進藤にとっては見慣れた景色だが、彩人は道中ずっと目を輝かせながら辺りの景色を見ていた。
見ててそんなに面白いだろうかと疑問に思いながら進藤は進む。
どうも彩人は世間知らずなところがちょくちょく見受けられる。妙に浮世離れした雰囲気から、きっと家で大切に育てられてきたのだろうと思われた。
東京のビルが立ち並ぶ街中に、石垣の塀が現れる。上を見上げると白いビルの壁に「日本棋院会館」と書かれていた。
「ここが・・・日本棋院ですか」
彩人はキラキラした目で目の前の建物を見つめている。好きなものに大いに関連する施設だ。囲碁になんの関わりのない人なら、ただの古ぼけた建物に見えるかもしれない。しかし、すでに囲碁の魅力に浸かっている彼にとっては、まるで聖地のように映るのだろうと進藤は思った。
「さっ、行くぞ。お前に会いたがっている奴が待ってる」
「は、はい・・・!」
緊張した面持ちの彩人の背を軽く叩いて、棋院の中へと入る様促した。
一階のエントランスには、すでに和谷とさらに伊角が待ち構えていた。
「よお、進藤」
進藤の姿を見た和谷が、声をかけながら近づいてくる。彩人は驚いてさっと進藤の後ろに隠れてしまう。
続いて伊角が相変わらずの穏やかな笑みを浮かべながら進藤に話しかける。
「おはよう進藤。こうやって顔を合わせるのも久しぶりだな」
「ネットで会話してるから、あんまり会ってないような気はしてないけどね」
「そういえば、今日は進藤の愛弟子を見せてくれるはずだろ。どこにいるんだ?」
「もういるぜ。ほら、恥ずかしがってないで出てこいよ」
進藤が後ろに隠れてる彩人に声をかけると、おずおずと彼の背中から姿を現した。
((女の子?))
和谷と伊角は彩人の姿を見て同時にそう思った。
進藤の話す様子から、二人ともなんとなく男子だと思っていたので、あてが外れたような気がした。もっとも、彩人は女の子ではないのだが。
「こいつが俺の弟子!女みたいだけど、こう見えて男なんだぜ?」
「む!ヒカルさん!女みたいってどういうことですか!」
(あれ、やっぱり男なのか)
(男の子か、あんまり見えないな)
進藤の言葉で、二人の中の誤解が解ける。言われた彩人は、進藤の言葉に憤慨しながら文句を言った。
そしてなんとか進藤が宥めて、彩人は改めて二人の方へ向かうと、礼儀正しくお辞儀をした。
「初めまして。進藤先生からご指導させて頂いています。藤原彩人と申します」
「すげえ、進藤の弟子とは思えねえくらいちゃんとしてる・・・!」
「おいおいどういう意味だよそれは」
進藤は心外だとでも言うように呟くが、彼の少年時代を良く知る彼らからしたら、その意味がよくわかった。彼は今でこそ最低限の礼儀作法は弁えているが、院生時代は年上にも物怖じしない上に生意気なところがあった。海外の棋士にも啖呵を切ることだってあった。
そんな進藤の弟子は、むしろそんなかつての彼とは正反対の、礼儀正しくしっかりとした立ち振る舞いの優等生だったため、彼らには意外に思えたのだ。
「まあ、元々しっかりしてるからなあ。俺が教えたことなんて、碁とネット碁のやり方くらいだよ」
「進藤にネット碁のレクチャーしたのは俺だから、実質碁しか教えてないな!」
「二人とも、彩人くん話についていけてないよ」
伊角がそう嗜めると、和谷は申し訳なさそうにしながら彩人の方を見た。しかし彩人は大して気にしていない様子で、むしろニコニコと微笑みながらやりとりを見ていた。
「ふふ、先生がなんだか子供みたいで面白くて」
「なんだと、小学生のくせに何言ってんだよ」
十以上も年の離れた相手に微笑ましげな目線を向けられて、進藤は気まずくなる。それは和谷も同様だったようだ。
(なんつーか、さすが進藤の弟子というか、こいつも相当浮世離れしているな)
彼の持つ独特の雰囲気は、和谷の胸中をざわつかせた。しっかりした態度であっても全体から無邪気な子供らしさが滲み出ているが、何処か異様で最近の子供にしては清らかすぎるような気もした。
(進藤がこいつに才能を見出したのも、こういうところがあったからなのか・・・?)
単純な囲碁への熱意、才能だけではない、直感で彼の光るものを見出した。そんなところが、一瞬誰かに似ているような気がした。