藤の花の盛りを迎える   作:ruuca

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相談

 弟子、とは言っても二人の関係は師匠と門下生というよりも、ご近所付き合いとでも言った方が良いような気軽さがあった。

 実際、彩人の家は進藤邸の近くに有る公園を中継地として歩いていける距離にあり、頻繁に進藤邸を訪問するのにちょうど良い距離感だった。

 

「彩人、この盤面ではこう打った方が・・・・」

「あっ、なるほど〜そういうことですか!」

 

 心地よい風が庭から流れ込んでくる縁側で、ゆったりとした雰囲気で行われる指導。しかし、その指導の内容は本格的で、あたりの空気の和やかさから想像できないだろう。

 弟子になったばかりの彩人は、進藤のアドバイスにふんふん頷きながらも、時折思いがけない発想を遠慮なく進藤にぶつけ、逆に彼を唸らせることもあった。

 盤面に向かい合う彩人は、キラキラした目で囲碁を打っている。とにかく、今は碁が楽しくて仕方がないのだろう。そしてもっと碁が打ちたい、強くなりたいと願う彼は、どんどん知識を吸収し、実力を飛躍的に向上させていった。

 その成長スピードは進藤も舌を巻くほどだ。

 

(こいつ、本当に覚えがいいな。発想も自由で、俺も時々はっとさせられる。このペースで棋力が上がれば、プロ試験もいけるようになるはずだ)

 

 プロになりたいと進藤に言った彩人の顔が思い浮かぶ。未知の世界へ挑戦しようと決めたあの表情は、誰かを彷彿とさせた。

 現在、彩人は祖父の知り合いを通じて、そこそこの相手と戦っているようである。進藤が指導し始めてから、彼らも彩人には敵わなくなったようで、ますます彩人は進藤の元を頻繁に訪れるようになっていた。

 戦うなら、できるだけ強い人の方がいい。彩人のその願いに、進藤も最大限応えたいと思った。

 しかし、比較的時間の自由がきく彩人とは違い、進藤にはプロ棋士としての仕事がある。進藤は仕事の間、彩人の指導ができなくなるのを残念に思うようになっていた。

 口にこそ出さないが、彩人の方も同じ気持ちであることがうかがえる。

 背後霊のように片時も離れないでいたら、何処へ行こうとも共に学ぶことができるというのに。

 

「って、それはさすがにめんどくせえや」

「何がです?」

「なんでもねえよ。こっちの話」

 

 思わず口に出してしまった言葉を、慌てて誤魔化す。周囲の人間を困惑させる進藤の独り言は、すっかり癖となってしまっていた。

 そのせいで、一部では失言王と呼ばれているということを、彼は知らない。

 

「彩人、悪いな。弟子にならないか提案したのは俺なのに、まともに時間とれなくてさ」

「え、そんな・・・・!」

 

 彩人が進藤の発言を聞いて、慌てたように声をうわずらせる。

 

「プロの人にたまに打ってもらえるだけで、私にはすごく勉強になるんです!これ以上を望むのは、贅沢ですよ・・・!」

 

 とは言っているが、進藤には彼が本心を言っているように見えなかった。

 彩人はとにかく分かりやすい。嬉しい時は満面の笑みを、悲しい時はしょげた様子を明からさまにし、その感情の動きを体全体で表現しているようだ。

 まだ短い師弟関係ながらも、進藤は彼がどのように考えているか、手に取るようにわかるようになっていた。

 

(なんとかならねえかな・・・)

 

 

「なら、ネット碁で指導すればいいじゃん」

 

 囲碁の解説イベントで一緒になった和谷と食事に来た時に、この前のことを相談してみると実にあっさりとした答えが返ってきた。

 

「でも、どこでもあのでかいパソコン持ち歩くわけにはいかねえだろ?」

 

 そう言うと、和谷が呆れたようにため息をついた。

 

「お前、相変わらず機械には疎いんだな。これ、見てみろよ」

「・・・なにこれ?」

 

 おもむろに和谷が鞄から取り出したのは、ノートくらいの大きさのタブレット端末だった。あまり見慣れない物を、しげしげと珍しそうに眺める。

 

「今時タブレットも知らないってんじゃ、この先苦労するぞ。これは、言わばパソコンみたいなもので、これ一つでメールしたり、インターネットに繋いだりできるんだ。もちろん、ネット碁だって打てる」

「なんだそりゃ。俺の知ってるパソコンじゃないぞ?」

「お前のパソコンの知識はどこで止まってるんだよ。とにかく、これなら持ち運びも簡単だし、ネットにさえ繋がれば離れたところでも指導碁が打てる。メールで検討することも可能だ」

「これ、キーボードはどこにあるんだ?」

「タッチインターフェースだから、キーボードはついてない。タッチパネルにタップすることで直接入力するんだ。ローマ字入力が苦手なお前でも安心の、携帯入力も選択できるぜ」

 

 和谷の横文字説明を聞き流し、試しに使ってみるかという彼の言葉に甘えて恐る恐るタブレットを操作する。

 開かれたのは実に10年ぶりくらいになるネット碁。デザインもかなり洗練されたものに変わっており、指先で打つとパチッという音が鳴った。

 そのまま打ち続けていくと、相手が投了する。するとすかさずチャットが飛んでくる。

 内容は、『どうした和谷。いつもと打ち方違わないか?』という本来の持ち主に向けてのメッセージだった。

 

「うわ、チャットきた」

「相手は伊角さんだ。試しにチャットで、『進藤だ。和谷のタブレットを使ってる』みたいなこと書いて送ってみろ」

 

 右下に浮き出たように見える、返信ボタンを押すと画面の下半分に携帯入力のキーが現れた。進藤はパパッと『俺だよ。進藤だ。今、和谷のタブレットを使ってるんだ』と入力して送信する。

 すると、数秒してすぐに返事が返ってきた。

 

『進藤か!そういえば、今日和谷と仕事一緒だったな』

「和谷!これすげえな!!」

 

 初めて使ったタブレット端末の使い勝手の良さに、思わず感動する。

 和谷は得意げにそうだろうそうだろうと笑っていた。

 

(これなら、ネット碁で彩人に指導碁した後、検討もできる)

 

 そう思い立ったら、進藤は早かった。

  

「和谷!飯食ったら電気屋に付き合ってくれ!」

「はえーなおい!まあいいけどよ!」

 

 頼られて嬉しいのか、上機嫌な様子で進藤の申し出を受け入れる。

 そうしているうちに注文した料理が届き、和谷からちょっとしたレクチャーを受けながら進藤は腹拵えした。


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