ルプスレギナ・ベータ、沈黙都市の孤狼との逢瀬   作:空想病

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プロットでは、三話程度で終わる話だったはず。
短編なのに、なんでこんなに長くなってるんだ?

「構成力不足」



第三話 封印の楔

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙都市には、多くの謎がある。

 アンデッドに襲われ遺棄された都市には、アンデッドの発生を報せる霧が立ち込めているが、都市の内部に潜入しない限り、アンデッドと出会うことがないのは、何故か。

 かつてはビーストマンの国の中でも抜きん出た都市でありながら、何故、魂喰らい(ソウルイーター)の、それも三体同時襲撃という不幸の中の不幸に見舞われたのかすら解明されていない。魂喰らい(ソウルイーター)はこの世界では伝説上にしか存在しないアンデッドだ。それこそ、その出現度で言えば死の騎士(デス・ナイト)と同じくらい稀少な部類に入るはず。

 にも関わらず、何故その都市は伝説のアンデッド三体に襲われ、壊滅の憂き目を見たのか。

 単純に多くの生命が集積していたからなのか、それとも――

 

 

 

 

 

 十万人以上が暮らしていた都市というのは、想像以上に巨大なものだ。

 侵入者を防ぐ意図が透けて見える、最大高50メートルに達する城壁が周囲10km以上にわたって街を取り囲み、かつては何らかの軍事的な拠点だったことが窺い知れる。都市内部に残された魔法技術は、この世界の水準に照らして見れば破格の一言。然るべき魔力提供者が魔力を込めるだけで、この都市の機能は十全に、かつての能力を発揮することができるだろう耐久性を備えている事実。

 沈黙都市と呼ばれる以前の、かつての都市のありようについては、歴史書にはあまり多く語られていない――

 

 

 

 

 

「うへぇ……報告書ってめんどくさいっす」

 

 調査任務なのだから、調査できた内容を報告するのは当然の義務である。

 しかし、ルプスレギナはここ数日で入手した情報の編纂に頭をフル回転させ、結果オーバーヒートにも似た熱っぽさを、自分のこめかみに感じざるを得なかった。

 沈黙都市の調査部隊の責任者である以上、調査できた内容の精査と情報の再編は、当然ながらルプスレギナが請け負わなければならない務めなのは理解できる。しかし、ルプスレギナは基本的に馬鹿だ。至高の御身や守護者統括、防衛戦における指揮を任された階層守護者たちと比べるのもおこがましい程である。こういった知恵を振り絞る役儀よりも、力任せに何もかも蹂躙する役目の方が好きだ。勿論、至高の御身より賜った任務を反故にするような愚を犯すほど、戦闘メイドは馬鹿ではない。TPOくらいはしっかりと把握できているし、あのカルネ村の件では御身から失望されかけたことで、より一層、務めに邁進せねばならないという焦燥にも似た感情に支配されているのも、ルプスレギナの作業への没入に一役買っていた。

 自分で自分の尻を叩いてでも、ルプスレギナは与えられた命令の順守に務める。

 

『ベータ様。クストが』

 

 来たという言葉を待つまでもなく、ルプスレギナは了承の声をあげる。

 彼のことだから影の悪魔(シャドウデーモン)が部屋の前に常駐していることも把握できている。それでもルプスレギナは、慌てて御身に提出する予定の報告書を乱雑に扱うような真似をしないために、影の一体をドアマンのごとく使役させることを躊躇していない。

 彼女が書類をアイテムボックスに格納してからほどなくして、絶滅した人狼の生き残りであるという青年が、非実体の悪魔に快活な挨拶を交わすのが聞こえ、次いでドアをノックする音が客室の中に響く。

 

「ルプー。朝ごはんの時間です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沈黙都市の調査に訪れ、クストたちとの奇妙な共同生活を始めてから、一週間以上が経過していた。

 ルプスレギナにとってここでの生活は、退屈というほどのものではなかった。この世界では破格ともいえる生活水準が確立された施設での生活は快適だったし、出てくる食事というのも不味い麦粥や干し肉の破片ではなく、都市の最高級宿屋で振る舞われるような上質なメニューが揃っていた。休憩時は食事を嗜むことが多いルプスレギナにとっては、毎日が休憩時間のようなものにも思えたほどである。コックとしての少女の腕も悪くはなかった。

 最初こそカルネ村に感じていたような失望感を抱いていたが、意外なことにとてもおもしろいオモチャを観察することができるようになってからは、彼らとの共同生活も充実した感じになってくれた。

 カルネ村の少女と少年の恋愛や、人間たちの情事を観察していた時には味わえなかったもの。

 ――種族を超えた愛。

 ――親と娘、教師と弟子、兄と妹という、退廃的に過ぎる恋。

 けっして報われるはずのない関係が粉々に打ち砕かれ、二人の絆に終止符が打たれた時、彼らはどんな表情をするのか――それを想うだけで胸の奥がときめきで溢れそうになった。

 だからこそ、彼らと友好関係を築くという任務にも積極的に取り組めた。

 ルプスレギナ・ベータは、残忍で狡猾で、そしてとんでもないサディズムの塊であるメイドだ。

 その嗜虐趣味には、自分自身も対象に含まれている。彼女は自分と親しい者、自分を慕う者、自分に好意を寄せる者たちが傷つき裏切られ慟哭する様に、性的絶頂にも通じる興奮を覚える性質を持っている。

 自分と友好的な者を貶めようというのではなく、本気で自分が友誼を感じる者が貶められてしまう様を観察するのが、最高に大好きなだけなのだ。無論、自分でそういった者らを打擲するのも大好きなのだが。

 それはまるで、馬鹿な犬がお気に入りのオモチャを振り回し壊し尽す事象に似ているかもしれない。

 壊れ砕けたオモチャのありさますら愛おしむように堪能する――ルプスレギナはそういう(へき)の持ち主なのである。

 

 

 

 

 

 朝食を終え、腹ごなしの運動と称して、クストとリンクの兄妹は鍛錬を始めた。

 今日の科目は、昨日の復習を兼ての体術指南。地下の武器庫に設けられた訓練場が、鍛錬の場である。

 高位の神官であるルプスレギナの眼、そしておそらくクストの知覚能力にも、リンクの肉体機能というのは驚嘆するほどのものは一切ない。人間のミスリル級冒険者でようやく目で追えるようなレベルでこそあるが、戦闘メイドの眼には薄鈍な印象しか受け取れない。旋風を残す疾走で、地下の鍛錬場を床のみならず障害物の壁や天井まで縦横無尽に跳躍するという持久走は、人間の身体能力では到底実現し難い運動ではある。それでも、ルプスレギナは思わずあくびしそうになる内容なのだが。

 この性能の劣悪さは、リンクが劣等種だからではない。むしろ同じビーストマンの中でも、彼女の能力値は総合的に判断すれば十分強者の位階に位置する。そもそも劣等種というのは、人間に近い見た目からそのように定義されているだけの呼称に過ぎず、はっきり言えば、彼女は他のビーストマンよりもはるかに優れた力量を備えていると言わざるを得ない。一対多では勝率は悪いが、一対一に持ち込めば確実に彼女はビーストマンの戦士を打倒し果せるだろう。それほどに彼女の性能は抜きんでていた。

 これはクストの教官としての手腕もそれとなく影響しているが、リンク本人の性能が優れているという事実が、影響度としての比重は重い。彼女本人は、兄の教え方が上手いせいだと完全に誤認しているが。

 

「前から思っていたんだけど。これ、何の意味があるの?」

 

 ルプスレギナはあくびを噛み殺すのにも飽いて、たまらず傍らに立ち続ける青年に聞いていた。彼には割と本気の口調で喋れるのは、実のところ彼女本人にも謎である。

 

「森の中を走破することを想定した訓練ですよ、ルプー」

「いや、それくらいわかるから」

 

 いくら馬鹿な戦闘メイドでもそれくらいの判断はついていた。

 

「私が聞きたいのは、森を走破する訓練なら、都市の外の原生林でやればいいんじゃないかということなんだけど?」

「彼女ほどの強者が森を忙しなく動き回っていると、他の動物やモンスターを(いたずら)に刺激してしまうんです。それに、ルプーたちはこの間、ビーストマンの狩人たちと不幸な遭遇を果たしたと言ってましたよね? そういう事態を極力招き寄せないためにも、この鍛錬はこの地下で行うしかないんです」

 

 なるほど。銀色の少女は野伏(レンジャー)の基礎としての隠密性は身に着けているが、あれだけやかましく動き回っていては隠密もクソもない。ルプスレギナのように魔法で気配をある程度まで隠蔽する術がない以上、この処置は妥当な判断だというべきなのだろう。

 それ以降、クストはリンクの様々な鍛錬に――持久走直後の移動弓射訓練では精密さを欠くリンクに集中の技法を教え、さらに持久走を再開し疲労困憊の状況で瞬時に隠密状態へ移行する際の精神安定など――的確なアドバイスを送りつつ、教師として生徒の監督を務めあげる。

 

「クストは、鍛錬とかしないの?」

「鍛錬かぁ……鍛錬になる相手がいないからなぁ」

「なるほど。そういうことね」

 

 自分が鍛錬の相手になろうか、なんてことを口走るほど戦闘メイドは戦いに飢えてはいない。

 ルプスレギナの納得を合図としたかのように、クストは銀色の疾風に声をかけた。

 

「今日はここまでにしよう、リンク」

「ありがとうございます!」

 

 兄の静かな声に急ブレーキをかけたリンクは、力強い頷きをもって返す。

 

「お疲れっす、リンクちゃん」

「……どうも」

 

 ルプスレギナの声を聴いた途端、態度は憮然としてしまったが。

 お昼の準備を整え、正午の鐘の音を合図に三人は食卓を囲んだ。最近では狼たちも卓を共にしようと食堂に集まるようになっている。一匹だけ、他の狼たちよりも小さいが、失った片足を取り戻した狼もいた。彼らは仲よく梟の鶏むね肉をがっついている。ルプスレギナは狼らと同じ良く焼けたステーキを頬張りつつ、ある疑問を抱いた。

 

「そういえば、こういった食材ってリンクちゃんたちが狩って来るんすよね?」

「……それがどうしたんです、ルプス?」

 

 リンクはぶっきらぼうながら、ルプスレギナの問いを無視することはしない。

 

「在庫管理とかどうしてるのかなーって、ちょっと気になったんすよね」

「ご心配なく。この間は大量だったから、あと一週間は平気よ。〈保存(プリザベイション)〉の魔法もあるし」

「そっすかー、すごいすねー」

「……全然すごいって思ってないでしょ?」

「え! なんでわかっちゃたんすか!?」

「いや、わかるでしょ、それぐらい!」

 

 少女は実にからかい甲斐のある調子でルプスレギナに抗弁する。もしかすると、姉をからかうくらいにやりがいを感じてしまう。少女たちの談笑(ボケとツッコミ)に、クストは安らかな笑みを浮かべ眺めている。こういうやりとりも、たった一週間程度で随分と馴染みつつあった。

 お昼を終えると休息を挟み、書庫で座学を始めるリンクたち。

 つまりは、勉強の時間だ。

 古い魔法論文の理解や、神学論文――四大神や六大神とは全く異なる内容――の熟読を行い、そこに新たな見識や要点、自分なりの注釈や考察などを白紙のノートに書き込んでいく作業に没頭している少女の姿は、机にかじりつく受験生のような様相を呈していた。今日はそこまで手が伸びないが、軍事的な作戦要綱や、軍略の歴史についてもクストから授業を受けるようになっている。リンクは最近になって勉強が自分の力になりつつあるという実感が胸中に溢れつつあるのだが、本人は勉強を苦手と思っている節がある為、半ば否定しているのが実情だ。

 

「今日は珍しく霧が晴れてるっすね」

 

 この滞在期間中でははじめて、ルプスレギナは窓外から都市の光景を覗き見ることができた。

 二人に聞くと、一ヶ月に一度あるかないか程度で霧が晴れることがあるという。

 ルプスレギナは読めもしない(翻訳魔法の眼鏡は影の悪魔に貸し出していて持ち合わせがない。〈言語理解(タンズ)〉の魔法も未修得な状況である)上に興味も薄い論文集に視線を落とすような作業はせず、(もっぱ)ら二人の監視――という名の観察――を続け、彼らの絆の深さを改めて確認していく。

 同時に、どうすれば二人を淫靡な恋路に誘導できるのか、どうすれば二人の絆を吐息が濡れるほどの愁嘆場に変えられるのか、それだけを考えていく。

 そこに自分が加わるという想像は、とても愉快な気分を抱くのに十分な光景だ。

 あの二つのオモチャを、自分の手の中で転がし、玩び、壊すことが出来たら。

 それだけで唇の端から唾がこぼれそうになるほどの昂ぶりを覚えてしまう。

 では、それを現実のものにしようとするなら、自分はどうすべきか?

 やはり、この都市を封じる作業から、クストたちを解放するところから始めるべきだろう。

 ここはアンデッドが跋扈する土地。であるならば、アンデッドの最高位者である至高の御身、アインズ・ウール・ゴウンが支配し統治するのは、半ば当然のような光景にもルプスレギナは思考してしまう。なおかつ、御身は初日の段階で、この都市を手中に収めることに前向きな姿勢を示していた。そうなれば、クストとリンクの二人は用済みだ。褒美を戴くなんて不遜かつ不敬な試みだと重々承知してはいるが、御身はナザリックのシモベに対して寛大な御心の持ち主。ひょっとするとだが、ルプスレギナが任務を完遂した暁には――なんて下らない皮算用を始めてしまう自分を、ルプスレギナは誰からともなく自分自身で(たしな)めた。

 立場を(わきま)えなければ。

 あのカルネ村の時の二の舞を演じてしまうのは御免被る。

 

「そういえば、ルプー。あなたの主というのはどういう方なのでしょうか?」

 

 授業も終盤に差し掛かり、クストはこの一週間で何度目かの質問をぶつけてみる。

 彼はリンクからは離れた位置に座り、自学習に務める少女を目によらぬ監視下においている。ルプスレギナはその脇の書棚にもたれかかっている位置取りだ。

 

「智謀の王。至高の御身。偉大なる御方――」

「……ルプス、それだけじゃわからないって」

 

 リンクは断片的な称号しか聞かせようとしない赤毛の少女に嘆息を吐いていた。

 だが、これ以上のことをメイドが話さないことは知っている。ルプスという呼び方が定着するくらいに、少女らは割と気兼ねなく会話を楽しめる間柄になっていた。少なくともリンクの方は、そういう認識を抱いている。

 真面目な顔をして話してくれたと思ったら、次の瞬間にはふざけた調子でころっと笑う。

 それがルプスレギナ・ベータの特徴であり、彼女の愛嬌のようにさえ、最近は感じ始めている。

 

「それじゃあ、大サービスっす! 御方というのは、絶対最強無」

「はいはい。もういいから」

 

 ぶー、と頬を膨らませるルプスレギナを、リンクは呆れ半分親しみ半分な表情で眺め、最後のページを仕上げにかかった。

 

「……本当のところは、どんな方なんです?」

 

 何も映さぬ瞳が、戦闘メイドの方へ向けられ、問いを投げる。

 クストの潜めた声に、ルプスレギナもようやく観念したかのように応じることにした。

 昨日の定時連絡で、アインズから都市管理者のクストにだけは、ある程度の情報開示を許されてもいたから、教えること自体は(やぶさ)かではない。リンクは二人の様子に気付かず、難解な信仰系魔法の記述に専心していた。

 ルプスレギナ・ベータは、淑やかな声で、そしてはっきりと、告げる。

 

「死の顕現、絶対的強者、遍く存在が崇拝すべき慈愛の君、至高の四十一人のまとめ役にして、私たち戦闘メイド(プレアデス)が仕えるナザリック地下大墳墓の最高支配者――アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下」

「魔導王……死の顕現?」

 

 クストはこの都市に(こも)ってから、実に一世紀になると聞く。

 必然的に現在の世情には疎く、最近建国されたばかりの魔導王の治める国のことも知る(よし)がない。

 

「何だか、すごそうな人ですね。お会いできる時が楽しみだ」

「今更だけど、私も聞いていいかしら?」

「ええ、どうぞ」

 

 気安く応じる青年に、赤毛の少女はこれまで聞いてこなかった事柄を問い質す。

 

「どうして、クストはこの都市を封じているのかしら?」

 

 彼の表情は微笑んだままだ。そこには動揺や緊張は垣間見えず、むしろ機嫌よい様相が、変わらずその面に張り付けている。実に気に喰わない表情だった。

 

「どうして……と言われると困るなぁ」

 

 この地に残された最後の人狼。

 何を報酬としているわけでもなく、何を目標としているわけでもない。

 守っているはずのビーストマンにも忘れられ、ただ日々を漫然と過ごす様子は、厭世の隠者とでも言うべき貫禄がある。

 それが解せない。

 こいつは戦闘メイドと、ルプスレギナと互角に渡り合えるだけの強者であることは疑う余地がないほどに明らかだ。これほどの規模の封印を、たった一人で、しかも100年間に渡って営々と施し続けるなど、常人にできてよい所業であるものか。

 にも関わらず、彼は己の力を誇示しようとはせず、都市管理者としての義務を果たすべく働き続けている現状。

 まるで訳が分からない。

 何故、こんな場所に留まり続ける?

 何故、こんな都市を封じ続けねばならない?

 

「アンデッドに、親でも殺されたのかしら?」

 

 クストは首を横に振った。

 

「じゃあ、友達や恋人を?」

 

 これもまた首を横に振る。

 

「僕は、別に、アンデッドが憎いというわけではないのです」

 

 むしろ、彼らには申し訳ない気持ちでいっぱいだと、人狼の青年は語り出す。

 

「僕が彼らを封じているのは、本当にただの成り行きで。当時、僕以外の誰にも、この都市の封印ができる人材がいなかったから、というのが主な理由です。彼らが都市外に漏れると、この大陸の人全員が困ることになる。有体に言えば、世界が滅びるかもしれない。彼らがもっと理知的に、友好的に、対話に応じてくれたなら、この都市の管理も随分と楽になるはずなんですけど」

「……理知的なアンデッドに会ったことがないというの?」

「すごく昔、この都市を封じる前に何度か会いましたね。でも、この都市に封じられているアンデッドたちは、少し、いや、かなり話が通じなくて」

 

 随分と融通の利かないアンデッドがいたものだ。

 ナザリックのエルダーリッチを見習わせたい気がする。

 それにしても、ルプスレギナは呆れ果てて言葉が出ない。

 こいつは自分の敵に対して、どうしてこんな思考を抱くのか、まったく完全に理解不能だ。彼らを封じている以上、クストはアンデッドを封じるべき“敵”と認識しているはずだ。だというのに、彼の口からはアンデッドに対する憎悪や軽蔑や、その他のどのような負の感情も感じられない。

 極端な善人。

 それが、クスト・スゥの正体なのだろうと、赤い人狼は思考するまでに至っている。

 

「そのアンデッドの種類というのは……、クスト?」

 

 青年は突然、ルプスレギナのいる方向とは逆の方へ顔を向ける。

 

「クスト?」

 

 

 

 

 

 怪訝に思う戦闘メイドを置き去りに、クストは鼻先をこすった。

 

「この匂い……ビーストマン? 何故、こんな時に、こんなところに?」

 

 彼は都市内の、そして都市のごく周辺に近づくほぼすべての存在を、遠く離れた場所から感知することが可能だ。

 そんな彼だからこそ、その者たちの気配を読み取ることは実に容易い。

 こんな時に、こんなところに、と彼がいうのは、その気配が明確な目的意識があるかのように行動していることが読み取れたからだ。

 ビーストマンの度胸試しなど、ここ数十年ほど行われていない。無論、ただ近づく程度の物見遊山な連中もなくはなかったが、都市の東門にここまで近づいて、しかも内部の様子を窺うように数分以上留まり続けている様子なのはどういうことか。

 この都市に無策で入り込もうという輩は、すべて死者として、都市の住人に仲間入りしてきた。それを知らぬ者はビーストマンには存在しないはず。恐いもの見たさという奴だろうか。それとも勇猛果敢にもアンデッドを討伐して名を挙げようとする考えなしか。いずれにせよ、少し迷惑な話である。

 クストは迷った。

 門の前に(たむろ)している生命反応を感知したのか、アンデッドたちが東門に集まりつつある。

 たいていの場合、並み居るアンデッドの視線が向いた時点で、侵入者は都市外へ逃げ出してくれる。アンデッドたちはクストの封印によって、都市の外へ脱出することは不可能なのだ。腕に覚えのある戦士や冒険者でも、あれだけの数のアンデッドを前にして無事に済むような心算にはならないはず。

 少しだけ様子を見よう。危険な時は助けにいけばいいし、逃げ帰ってくれれば尚良し。

 どちらにせよ、今の自分は都市の外には出られないのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 その判断は彼にとっては、いつも通りな選択のひとつに過ぎなかった。

 

 崩壊は、ここから始まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クストが存在を把握していたビーストマンは、六名。

 その六名とは、つい最近この周囲の森を狩場としているものたちで、一週間以上前、ルプスレギナを前にして逃げ帰った連中であることは、砕け割れた斧の一振りから相違なかった。

 この森は沈黙都市にほど近いということで、大抵のビーストマンたちからは敬遠される狩場であるのだが、それ故に、森の恵みに愛された動植物の楽園になってもいた。近頃のビーストマンたちは狩りが思うように捗らず、仕方なしに人間の国に侵攻して食料を得なければならない事態に陥っていた。そんな状況だからこそ、彼らのような新参と判る若い雄たちがこの領域を絶好の狩場と定めたのは、無理からぬ判断であったとも言えた。他の狩場は別のビーストマンたちの縄張りとされ、あぶれるように残っていた場所というのが、この原生林だけだったのである。

 

「頭領、もう帰りましょう」

「よりにもよって、沈黙都市に関わることはないでしょうよ」

 

 しかし、今日の彼らは、明らかに通常の判断からは逸脱していた。都市周辺を狩場に定めていたが、こうして都市に近づいたことは、実は初めてのことだった。

 いきなり森が切り開かれたような広大な領域が目に飛び込んでくる。ここは、ビーストマンの国において最大最悪の歴史として語り継がれる死の都、かつては高度な魔法技術に溢れていたとされる“沈黙都市”へと続く原野だ。

 砕かれた城壁の残骸や小集落の遺物が、(こけ)()し草木に覆われている様が実に寒々しい。

 人々の歴史に語られながら、そこは人々の記憶から隔離された、ただの廃墟でしかないのである。

 

「頭領、あんな雌どものことなんて忘れましょう。ね?」

「斧だって、他のモンスターに砕かれたことにしちまえばいいわけですし」

「だいたい、あの劣等種が本当に沈黙都市の雌かどうかなんて、ただの噂話程度だぞ? やりかえしにいくにしても、もう少し冷静に、情報を集めてからでも」

 

 口々に泣き言を喚き散らす同輩たちに我慢ならなくなり、彼は声の限り罵声を飛ばす。

 

「うるせぇ! いいから黙ってついてこい、ボンクラ共!」

 

 頭領の吠える様に、彼らは一様に委縮する。伏せた視線には上位者に対する敬意が、僅かながらに残されていた。ほんの僅か。

 部下たちの自分に対する尊敬の意は、あの人間の雌を前に無様にも逃亡した日から激減していた。彼らがそれを表立って口にしないのは、自分たちもまた、あの人間の雌に対して並々ならぬ感情を抱いてしまったことが影響している。

 ビーストマンの屈強な狩人であり戦士でもある自分たちが、あの時、あの雌に対して抱いた感情。

 恐怖だ。

 それもただの恐怖ではない。

 頭のてっぺんを剣で貫かれるような、純粋無垢な死への恐怖。

 それを、あんな劣等種とつるんだ、最劣等であるはずの人間の、しかも雌ごときに抱くなど、これ以上の恥辱など聞いたことがない。

 だからこそ、この恐怖は払わなければならない。

 報復をもって、あの雌を殺し尽さなければ、先祖や仲間に顔向けできない。

 それが頭領の言い分であり、戦士として当然な思考回路の帰結であることは全員が納得している。斧を、武器を壊され、おめおめと帰参すれば、集落のものはきっと自分たちを恥さらしだと言って嘲虐するだろう。それだけは何としても避けたい。自分たちは狩人であり戦士なのだ。命の遣り取りは日常茶飯事。ビーストマンは戦いの中で生き、戦いの中で死ぬ。その宿命に殉じられなければ、雄ではない。敵に背を向け逃げるなど言語道断だ。

 覚悟を決めて、彼と部下たちは門に立ち向かう。

 あの人間とつるんでいた、ユキヒョウの劣等種。あれは確か沈黙都市を(ねぐら)にしていると、集落で噂の端に耳にした。100年も昔の伝説にしか語り継がれない都市の情報は、あまりビーストマンたちの間では正確に伝聞されていない。国の中央にでも赴けばそれなりに頭のいい同族たちが何か知っているのだろうが、そんなことはどうでもいい。

 あいつらに侮辱された。

 その雪辱のためだけに、頭領である自分は戦わねばならない。

 同輩たちは一様に沈黙都市への侵入を恐れているが、あの劣等種が(ねぐら)にできるのなら自分たちが飛び込んでも大したことにはならないはずだ。

 もし本当に、大量のアンデッドが徘徊していたとしても、自分たちのチーム構成であればそれなりの戦闘は行えるし、ヤバくなれば逃げればいい。ビーストマンの脚力は獣の疾走に比肩する。アンデッドのような鈍間(のろま)なモンスターに追いつかれるはずがない。

 

「いくぞ!」

 

 雄叫びのような号令と共に、彼は五人を連れて、禁断の都市へと足を踏み入れた。

 門は大きく、ところどころ朽ちたように石組みが崩れてはいるが、それでも進む。

 薄暗い通路を数秒で駆け抜け、夕暮(せきぼ)の朱色に染まる廃都市の光景が目に飛び込んでくる。

 その瞬間、

 

「……え?」

 

 門の内部、天井の影に張り付くように潜んでいた骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)の群れが、音も無く、雨霰の如く降って来た。

 それはまるで土砂が崩れるように、獣顔の生者たちを飲み込んでいく。

 

「なん、うわぁ!」「があああ!」「ひぎゃっ!」「頭りょ、ぐぁっ!」「たすげぇえええぇ!」

 

 彼が無事だったのは先頭を走っていたからだ。後ろをついてきた五人は、骸骨共の握る朽ち果てた赤錆の刃に、頭を顔を胸を腹を腕を突かれ殴られ引き裂かれ千切られて、その命を瞬く内に散らしていく。

 頭領が助けにいく間もない蹂躙劇は、五つの悲鳴が途絶えたことで一端の幕切れとなった。

 第二幕の開演はすぐに訪れる。

 

「あ、ああああ……」

 

 彼は周囲を振り返り見る。

 ここは死の都――沈黙都市。普段は霧に包まれていて数メートル先も見通せないはずの都市は、ひと月に一度あるかどうかというタイミングで、その朽ち果てた外観をつまびらかにしている。この状況はアンデッドたちにしてみても都合がよかった。目抜き通りからは新鮮な血の匂いを嗅ぎつけた亡者が大挙して現れ、建物の影からは恐怖に引き攣った断末魔を聞いた動く死体が大波のように押し寄せる。

 見晴らしの良くなった夕刻の通りの真ん中に、ひとりぽつんと佇む命の灯。

 生きるものなど誰もいない。

 生きるものを貪り喰らう死者だけが、彼を取り囲んで歓迎していた。

 

「うおわぁぁぁあああああああああっ!」

 

 恐慌のまま頭領が振り上げる壊れた斧は、さしたる功を勝ち取ることなく、死者の大群に払い落とされ踏み砕かれる。

 自分を貪る死者の(あぎと)の感覚が、彼の感じた最後の(いのち)だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クストには誤算があった。大きな誤算が。

 

 アンデッドたちは、その構造上想像もつかないだろうが、並みの人間よりも優れた感覚知覚が可能だ。眼球もないのに視覚があり、鼻もないのに嗅覚があり、耳もないのに聴覚があり、肌や肉もないのに触覚がある。唯一欠落している感覚と言えば、食事における味覚だけだ。彼らは飲食が不要なモンスターなのだから、これは当然の欠落とも言える。生命を貪り喰らうのは、そういった演出をした方が、より上質な――恐怖に歪んだ魂こそ、死者として転生した彼らにとっては得難いエネルギー――魔力に変換されるからと、彼らは無意識のうちに認識しているからなのだ。生者を玩び殺すことは無意識下での快感であり、そうすることでより良い仲間を彼らは生み出せるようになっている。

 そういう感覚器官を明敏に活用したアンデッドというのは、生者の放つ鼓動や呼吸、匂い、足音の違いや熱感知などのすべてを明確に感じ取ることによって、自分たちの近くに存在している生命体を殺すべく、迅速に行動することが可能だ。逆に鋭すぎる感覚というのは、視界におさまらないものや、匂いがまったくしないものを習性上殊更に意識することが出来ず、さらにはどう見ても生者のように動き回る全身鎧が現れても、自分たちと同じ気配を漂わせるものに襲い掛かることはできない。

 ただし、それは野良の、野生下で発生した(あるいは大量に粗製乱造的に召喚された)アンデッドであり、沈黙都市内部に発生しているものたちとは、その総合性能には雲泥の差がある。

 都市の彼らには、明確な支配者と呼ぶべき存在があり、司令塔とも言うべき王がいる。

 それこそが、都市中央の地下空間に封じられた地下聖堂の王(クリプトロード)なのである。

 彼という支配者の影響下に収まるアンデッドたちは、彼の保有するスキルによって強化されているのみならず、彼の指揮能力によって、通常のアンデッドとは比べようもない知略行為と軍勢行動が可能になっている。無論、完全に封じられている王には不可能なことであるはずなのだが、今は王を封じる都市の楔は外れかかっている。100年もの間、彼ほどのアンデッドを封じることが出来たクストの手腕には間違いなどひとつもなかった。しかし、アンデッドたちの抵抗力は思ったよりも彼の封印を消耗し尽くし、おまけにここ数日は思わぬ賓客(ひんきゃく)の登場により、彼の封印作業には明確なほころびが生じるようになった。

 賓客というのは勿論、ルプスレギナのことであり、彼女の護衛と都市の調査に赴いた隠密モンスターたちの集団のことに他ならない。

 彼女らという異分子がこのタイミングで都市を闊歩するようになってしまったのは思わぬ誤算であった。隠密モンスター四十体の動向を完璧に把握してしまう都市管理者としてのスキルが、逆に彼の封印スキルを圧迫する形になってしまったのだ。それも無意識下で。

 そのような状況下だからこそ、アンデッドたちはある程度、王の軍略に沿った行動を取ることが出来た。出来てしまったのだ。

 そして、今日。数十年ぶりに味わう生者の悲鳴と流血に、都市内のアンデッドたちが次々と呼応し、まるで共振するかの如く、生者への憎悪と食事への渇望に焦がれ暴走し始めた。

 こうして、まるで一点の蟻穴から崩壊する堰のように、沈黙都市の崩壊が始まった。

 

 地下聖堂の王(クリプトロード)の封印が、解き放たれる時が来たのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なに? この……音?」

 

 書庫にいるリンクたちの耳を、自然界には存在しないような音色が劈き走る。

 音ではなく、声だ。

 それは耳ある者を死の恐怖へと引きずり込み戦慄させる、アンデッドたちが挙げた絶叫であり、咆哮であり、勝鬨(かちどき)であった。

 

「馬鹿な!」

 

 珍しく大声を張り上げるクストは、東門内部で行われた僅か数秒間の蹂躙劇を過たず理解していた。

 都市の中を充満する血の匂い。久方ぶりの生者の血肉に歓喜する亡者の大群。

 兄の尋常ならざる様子に困惑する妹と、そんな二人を興味深げに観察し続けるメイドに対し、クストは何を言うべきなのか数瞬、迷う。

 クストは封印の状況を再び確かめ、愕然となる。

 封印処理はここ数日の間に渡り調査を行い、優先的に再封印すべき箇所は封じてきたし、そうすることで100年もの間に渡り機能してきた封印は、十全以上に機能を回復するまで回復できていたはず。無論、この広大な都市全域の綻びをすべて回収し尽せるわけもないため、封印において重要な基点を担う場所を優先して修繕を施してきた。

 だが、今回のように都市中のアンデッドが暴走するなんていうのは、クストの長い封印生活の中でも初めての出来事。それに連動するように、アンデッドたちは都市の外へ通じる四門へと殺到し、さらにクストの封印へと重圧を加えていた。一体一体が弱い個体でも、それが千となり万となれば、とても馬鹿にできる抵抗ではなくなるのだ。それに加え、都市中央の軍勢が本格的に動き出せば、封印の均衡は完全に潰え去るだろう。

 生贄の皿は満たされた――というところだろうか。

 

「リンク。ルプーたちと一緒に、今すぐ脱出を」

 

 覚悟を込めて二人に告げる。

 クストが指笛を吹いたと同時に、上階にいた狼たち六匹が二階へと集合する。

 彼は書庫の入り口付近に空いたスペース、初日にルプスレギナが怪しんでいた箇所の壁板を杖で叩き、一拍の溜めをもって蹴り砕いた。魔法で何か細工したと思われる。

 そこには通風孔のような、人ひとりが通れるほどの管が通っていた。一筋の長い滑り台のような構造になっており、その先に待つ空間は覗き見た限りでは杳として知れない。見上げると上の階からも滑り降りることが可能な構造になっていた。

 兄の問答無用な行動に、妹は教科書も開きっぱなしにして立ち上がった。

 

「あ、兄様、何があったんです?」

「さっき、封印が解けた」

「な! そんな馬鹿な!?」

 

 リンクは授業の一環として、将来の布石として、クストの封印作業の手伝いをしてきた。その経験から、兄の言葉を信じることは出来なかった。アダマンタイトという稀少鉱石を神聖なる印を刻み加工し、死者の行動を抑止抑圧する、クスト独自の封印技法は、一世紀もの間に渡ってアンデッドたちへの実効力を発揮してきたことを知っているから。

 驚嘆に硬直する彼女を見かねて、正確には解けかかっていると、彼は修正する。

 

「だから、これ以上この都市にいるのは危険だ。皆はすぐに避難を」

「兄様! 私、戦います!」

 

 信仰系魔法を習得している勇敢な妹の申し出を、しかし兄は断固とした口調で拒否する。

 

「駄目だ。今の君の強さでは、あの大群を相手にすることは不可能だ」

 

 クストは事実だけを冷厳に突きつける。

 無駄に命を散らしたところで、アンデッドが一体増えるだけなのだ。

 今はまだ下位アンデッドしか姿を見せていないが、魂喰らい(ソウルイーター)死の騎士(デス・ナイト)まで登場し始めれば、いよいよ進退窮まるだろう。そうなる前に。

 

「早く脱出を。この都市から出来る限り離れるんだ。出来れば集落、街や中央の都市に連絡をとって、アンデッドへの対抗策を講じてほしい」

「兄様は……兄様はどうするんですか!?」

 

 彼の事情など知悉しているだろうリンクは、それでも問い質さずにはいられなかった。

 

「僕は残るよ。残るしかない」

 

 クスト・スゥは、言うなれば封印の最後の(くさび)だ。彼が抜け落ちれば、沈黙都市の全封印は機能を失い、死者の群れは都市の外へと勇躍邁進するのは確実だろう。

 決然とした表情に重苦しさはなく、むしろ清々としたさわやかな雰囲気さえ漂うのは何故だろう。

 

「申し訳ない、ルプー。こんな事態に陥るなんて、君たちにどう謝ればいいのか」

「まぁ、そうっすね……」

 

 ルプスレギナは相変わらず思考の読みにくい笑みを浮かべ、青年の言葉に答えた。

 

「気にしなくっていいっすよ。この程度のことで、御方の不興を買うとは思えませんし」

 

 それに自分がアンデッドに殺されるはずもないと、ルプスレギナは気安い感じで頬を緩めた。

 

「本当に感謝します。あなたたち全員を、何とか都市の外までお送りします」

「大丈夫っすよ。私らは強いっすから」

 

 今も自分の影に控えるものたちをちらりと窺う。戦闘メイドの意を汲み取った悪魔の一人が、都市内の同胞たちへ向け急を報せに奔った。

 

「ルプー……ひとつ頼まれてくれませんか?」

「内容によります」

「リンクを、この子たちをお願いしたいのです」

「……あなたは、どうするのです?」

 

 自分のことは気にしないでいいと、彼は決然とした笑みを浮かべて首を振った。

 その覚悟はあっぱれだ。純粋な賞賛に値する。

 

「――いいっすよ! とりあえず、リンクちゃんたちは私が責任をもってお願いされるっす!」

「ありがとう、ルプー。この子たちをお願いします」

 

 クストは後顧の憂いなしと、屈託なく笑う。

 ルプスレギナは約束を違えるつもりはない。

 だが、お願いされるというのがどういう頼み事なのかは明言されていなかった。

 戦闘メイドの邪な感情を知ってか知らずか、狼たちは主の脚に縋りつき、兄妹は別れの儀を交わし始める。

 

「リンク、都市を出た後は、君の自由だ。後の身の振り方は自分で決めなさい」

「……はい、兄様」

「大丈夫。君はどんなことがあろうとも、僕の立派な家族だ。きっと、大丈夫」

 

 こくりと頷く妹の頭を、兄はいつもするように撫でてやる。

 彼の掌の感触を、リンクは涙をこぼすまいと顔をあげながら受け入れた。

 頬を差す朱の色は、夕暮れの日の光のせいというわけではないのだろう。

 己の胸に秘めた想いを、ほんのひとかけらも見せることなく、少女は愛しい掌から離れていく。

 先導の為、リンクは狼たちと共に脱出口を降りていく。

 実にいじらしい別れ方だ。しかし、

 

「では、ルプー。あとのことは」

「……ええ」

 

 ルプスレギナは、正直なところを言うと惜しむ気持ちが強かった。

 無論、これはこれで少女の恋路が砕け散ることにはなるのだろう。

 だが、こういった別れ方というのは、人狼のメイドの希望するところとは微妙に符合していない。

 もっとどろどろとして、もっとぐずぐずとした、そんな風に二人の絆が腐り落ちる瞬間を見たかったのに。

 まぁ、しようがないか。

 夕刻の輝きが、書架を赤く染める様が、とても面映ゆい。その色はルプスレギナの髪の色。世界がまるで自分の色に染まる様が、戦闘メイドの高揚感を刺激してくれる。血に(まみ)れたようなコントラストが素晴らしいのだ。

 これから彼を襲うであろう血の惨劇を夢想することで己を慰めながら、ルプスレギナは脱出口を滑り降りた。

 

 

 

 

 

 魔法の防御によって、彼女らの降りた脱出口を封鎖する。これで唯一の脱出路をクストが使うことは出来なくなったが、もとより自分は都市を封じる役目を担った神官であり(くさび)だ。この状態の都市を放置して自分が脱出したら、間違いなく封印は解除され、都市中央の大聖堂地下の死の軍勢は、確実に世界全土への行軍を開始するだろう。

 それは即ち、世界の破滅だ。

 彼らは(あまね)く命を殺し尽くすためだけに駆動する死の暴風雨と化し、世界からは命という存在は潰え去る。

 そうならないために、クストは最後の抵抗を続けなければならない。

 

「さて」

 

 クストは手の中に握る杖を振るう。普段は大地を確かめるように振るわれている細い杖を、魔法詠唱者がするように握り直した。

 耳と鼻と肌、そして魔法で知覚できる限り、下位アンデッドたちは都市の門外へは漏れていない。門と城壁には厳重な封印措置が施されており、万一、クストが死んでもそれだけで数日間は機能し続ける。だが、それはあくまで下位アンデッドたちだけの力を抑止するために展開しているものだ。より上位のアンデッドが封印の金属板を破壊する作業に専念し始めたら、一日と持たずに全封印は機能不全に陥る。アンデッドたちが都市の外へと漏れ出す。

 

「ここには、もう帰って来れないだろうな」

 

 100年もの間、自分が拠点としてきた建物に惜別と感謝の言葉を送る。

 クストは瞬時に狼の異形に転身して、階段を下にではなく上階へと向けひた走る。

 五階から更に上層へと至る。狼から人の形に戻り、扉を開け放った。

 屋上の白い温室をちらりと伺う。魔法で管理され、収穫間近だった野菜や果物のことを思い出してしまうが、今は思考の隅っこにまで()けておく。

 疾走の勢いのまま跳躍し、〈飛行〉の魔法を発動して中空に留まった。

 都市外縁部にわだかまる死者の大群を正確に感知。その数の尋常でない様子には肝が冷える。

 

「あんな数のアンデッドくんがいたなんて、改めて驚くなぁ……おっと」

 

 忘れないように、クストは左手首の腕輪を引きちぎった。途端、彼の生命が死者たちの明敏な感覚にとらえられる。だが、上空を飛行するアンデッドでなければ、クストに直接危害を加えることは出来ない。故に、アンデッドたちは互いに集積し、濁流や津波のように互いの身を踏み合い砕き合い、一個の組織へと変貌を遂げていく。大量の白骨で構築された死の巨人に。

 無論、生命反応遮断のアイテムを装備したまま戦えば安全に事を進められたかもしれないが、脱出中の彼女たちに万が一のことがあってはならない。なるべく多くのアンデッドたちに、自分という餌に喰いついてもらわねば。

 

「さぁ、鬼ごっこの始まりだ」

 

 景気づけの一発に、彼は〈力場爆発(フォース・エクスプロージョン)〉の魔法を発動する。押し寄せる死者の大群で構築された集合する死体の巨人(ネクロスォーム・ジャイアント)が、頭を枯れ木のように砕かれ、体になっていた死体が落ち葉のように空を舞う。

 その轟音を誘蛾灯とし、都市中のアンデッドたちが集合し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いわよ、ルプス」

「お待たせっす、リンクちゃん!」

 

 ルプスレギナたちは、地下二階よりもより深い、建物で言えば五階分くらいの高低差を滑り降りた。

 脱出した二人と六匹は、そこに備えてある必要最低限の荷物――備蓄していた非常食や水を積んだ背嚢(はいのう)と、弓矢などの武器をもって、地下に設けられた通路を行く。この都市が魂喰らい(ソウルイーター)に襲われた際にも使われたらしい土壁の迷路は、少女がスイッチを押して永続光の誘導灯が灯り出す。しかし、これは都市の緊急脱出用に造られたものであるため、都市内部の様々な重要施設だったものなどと繋がっており、詳細を把握していない者にとっては迷路のような装いと化していた(ちなみに、都市中央の大聖堂地下とも通じているのだが、あの場所だけはクストの手により五重六重の封印と封鎖処理が施されており、完全に隔絶している)。

 

「はぐれないで。誘導に従っても、出口に出られるというわけではないから」

 

 かつての魂喰らい(ソウルイーター)侵攻の際に、この都市の九割五分の命が喰われた。その際に、地下通路の一部は崩落したり封鎖されたりして、完全に機能を果たせるような代物ではなくなっていた。クストたちは都市表層の封印作業にかかりきりになっていた為、どうしても地下の脱出路については後手後手に回すしかなかったのである。

 リンクは背嚢から取り出した地図を確認して先頭を行く。

 狼たちはルプスレギナの周囲を守るように並走したり背後に回ったりしていた。

 

「そういや聞きそびれちゃったんすけど、この都市に封じられている主だったアンデッドの種類って、リンクちゃん知らないっすか?」

「私も、正確には知らない。骸骨(スケルトン)だけで万単位。魂喰らい(ソウルイーター)死の騎士(デス・ナイト)が複数体いるらしいのは知っているけれど」

 

 クストは、都市のアンデッドたちについて、リンクには必要最低限な情報しか与えていない。むやみやたらと知識を詰め込んでも無駄であるし、中位アンデッドたちはリンク程度の神官ではまったく歯が立たない存在だ。知識を得て、そして増長し、伝説のアンデッドに立ち向かうなどという愚を犯させないための予防措置として、クストは詳細な説明を避けてきたのだ。出会ったら逃げようと思う間もなく死ぬ。ただそれだけを教え込んできたし、少女もそれで良いと、過去の反省から学んでいたから。

 

「ただ、ものすごく厄介というか、正直なところ、兄様でもまともに戦おうとしたら確実に死ぬって聞いてる親玉がいるらしいのよね」

 

 まったく想像もつかないという少女の言葉に、ルプスレギナは興味深げに喉を唸らす。

 あの人狼が死ぬと公言するレベルのアンデッド。

 まさか至高の御方と同じ死の支配者(オーバーロード)ではあるまいか。

 好奇心によって、ないはずの尻尾をうずうずさせる戦闘メイドであったが、通路の奥でわだかまる気配を誰よりも先に感じ取る。

 

「止まって」

「どうかしたの、ルプ……ス?」

 

 メイドの制止した意図を理解したリンクは、銀色の瞳を縮小させた。

 カシャカシャと関節が鳴り響く駆動音。針の先ほどに輝く灯火のような瞳が、いくつも通路の奥に灯っていた。

 地下通路に溢れ返る、地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)が行く手を阻む。

 大地を掘り進んで現れた彼らは、普段は地下で眠りにつき、地表に生命反応を感知した瞬間に地上へと顔を出す習性を持った、領域潜伏型のアンデッドだ。普段、この都市を徘徊しているアンデッドたちよりも若干強力なレベル設定で、生者を地中に引きずり込んで喰らうとされている。

 彼らは別にルプスレギナやリンクたちを追って現れたわけではなかった。彼らは地表にて同胞らの催す血の饗宴に自らも参じようと地表へ向かっていた途上で、奇妙な空間に顔を出してしまっただけなのである。この空間は一定の封印処理が成されていたが、都市全域の封印が綻んだことによって、著しい機能停滞に陥っていた。故に、彼らはこの脱出路への侵入を果たせたわけである。

 しかし、そんな彼らの事情など、脱出途中の少女たちには関係がない。生命反応遮断の装備を持ったリンクたちには気付かないはずだが、あんな大群が進路上にいては前に進めない。

 さらに、アンデッドたちは一行の中に、一人の確かな生命反応を捉えていた。

 死者たちが、赤毛のメイドに向かって殺到し始める。

 

「あ、やべぇす。〈完全不可視化〉するの忘れてたっす」

「ああ、もう!」

 

 リンクは非常時用の携帯式杖――教師が持つ教鞭程度のサイズの棒――を取り出し、魔力を注ぐ。

 対して、ルプスレギナはこの閉鎖空間に適した魔法は扱えない。炎の魔法はアンデッドには極めて有効だが、同道している少女たちの身まで危険にさらす。聖杖でごり押しするにしても、この狭い土の通路では取り回しが効かないだろう。下手すると土壁を砕いて生き埋めになる可能性すらあった。

 銀色の少女は〈神の祝福(ゴッド・ブレス)〉の魔法を発動させる。

 これは信仰系魔法では基礎的な魔法で、それなりの神聖属性を込められた攻撃魔法だ。冒険者の神官であれば大抵が扱える魔法で、人間たちが信仰している神と原理上はほぼ共通しているはずなのだが、リンクが信仰している神というのは四大神でも六大神でもない、人狼たちの太祖とされる“天狼”であった。

 祝福の浄化作用によって、アンデッドたちは粉微塵に砕かれ消滅する。これは、彼女がアンデッドたちよりも高位・高レベルの神官であるという事実を示していた。実力が拮抗しているアンデッドに信仰系の魔法は退散させるのがやっとなのだが、力の差が歴然としていると、彼女がして見せたように完全に消滅させることも可能なのだ。

 祝福の魔法を四連発することで、とりあえず地を掘る骸骨(アンダーテイカー・スケルトン)は全滅する。数で言えば二十体前後を、リンク一人で打ち破ったことになる。

 

「いや~、お見事お見事」

 

 軽妙な声に渇いた拍手を交えて、ルプスレギナは少女を褒め称える。

 そんな様子がひどく演技じみている気がしたが、リンクはとりあえず無視を決め込む。

 

「でも、まだ終わりじゃないみたいっすね」

「そりゃあ、そうでしょうよ」

 

 前方だけでなく、リンクたちの後方にまで骸骨たちが大地から這い出てこようとしている。冗談を冗談で返す余裕など、すでに銀髪の少女には残されていない。狼たちが労うようにリンクの足元に鼻先をこすりつける。

 

「あとどのくらいで脱出できそうっすか?」

「ざっと三、四百メートルくらい?」

「そっすか、なら……」

 

 ルプスレギナは明らかに足運びに不安が残っている小さな狼を小脇に抱える。

 

「走るっすよ!」

「そうでしょうね!」

 

 リンクと狼たちも、示し合わせていたかのように疾走を始めた。

 それを骸骨たちが追いすがり始める。

 

「ルプス! あいつら確実にあなたを狙ってるわよ! 何とかできないの!?」

「でも〈完全不可視化〉を使うと、リンクちゃんたちにも私の姿は見えなくなるっすよ?」

 

 ルプスレギナの魔法は〈透明化〉などよりもずっと高度な魔法で、リンクたち全員の視界から消え失せることも容易い。だが、そうなるとリンクがルプスレギナの存在を知覚することはほぼ不可能になり、この広大な迷路のようになっている脱出路ではぐれてしまっても、それに気付けなくなる可能性が十分にある。そうなるとルプスレギナは、一行にとっては完全なお荷物という状況に置かれるわけで。

 

「とにかく走って!」

 

 狼たちが先導し、リンクは追いすがる亡者たちへ振り返り走りながら、あらん限りの魔力を放射していく。

 地上へ脱出するまで、少女たちはそうやって、アンデッドとの戦いをやり過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まるでアンデッドの見本市だ。

 地表での戦いを続けるクストは、眼下に広がるあまりな光景に目を奪われそうになる。目なんてまったく見えもしないのだが、表現としてはそういった方が適切なのだろう。実際、この耳と鼻と肌で感じ取れるアンデッドたちの暴力的な猛々しさは、目が見えるものであればそのような感慨を抱くだろう威圧感が込められていた。

 爛々と輝く生者を引き裂こうと欲する怨嗟の瞳。積年の妄執に凍え朽ちた白骨の肉体は、地獄の底への道連れを求め伸ばされる亡者の手の川というべき異様さだ。そう、ここはまさにひとつの地獄。沈黙都市という(かめ)の底に満たされた、忘れられた者たちの堆積場に他ならないのだ。

 舌打ちをひとつ発することで、己の正確な位置と、死の巨人を複数ほど確認。

 都市外縁部のアンデッドたちは、相手をするだけ無駄だと理解し、こうして襲い掛かる死体の集合を砕く作業に腐心する。

 魔力の貯蔵はいまだ十分あるが、〈力の爆裂(フォース・エクスプロージョン)〉などの乱発は止めている。最初に数発ほどをアンデッドの誘引のために使ってから以降は、都市の街灯を引っこ抜いて即席の槌矛(メイス)で殴り飛ばすという作業が続いていた。殴打武器として専用に造られたわけではない都市の街灯は、数度巨人を打ちのめしただけで使い物にならなくなる。その都度、新しい街灯を引っこ抜いて調達というサイクルが確立していた。下からは弓兵の骸骨(スケルトン・アーチャー)をはじめ、投石器の骸骨(スケルトン・カタパルト)投槍手の骸骨(スケルトン・スピアスローワー)などが各々の武装を振るって、空を飛翔する生命反応を打ち落とそうと射かけてくる。それを避ける作業にも、クストには焦りなど一切浮かべはしない。

 こうしていると、100年前を思い出してしまって仕方がない。

 かつてはこうして都市の中枢部を目指し、そこで指揮を執っていたアンデッドの王へ急襲を果たし、彼らの封印に辛くも成功したのだった。

 だが、あの時とは決定的に違うことがある。

 今回、自分は攻め手ではなく守り手であること。

 そして、この戦いには終わりはないということ。

 終わりが来るとしたら、それは自分が死ぬ時だ。

 

「これは厳しいかな」

 

 巨人たちは、砕けては積み重なり、敗れては膨れ上がりを繰り返していて、まるで手ごたえを感じない。

 実際には、粉微塵に砕けたアンデッドは偽りの生命力を奪われ活動を停止するはずなので、この作業も無駄ではないはずなのだが、何しろ量が量だ。万を数える大群は四門へと殺到し、そこで新たな巨人が生まれて封印の障壁を砕こうと暴走と暴発を繰り返す。

 ここに遺棄された死の数は十万を超える。

 そしてさらに厄介なのは、あの王が備えた特殊能力だ。おそらく魔法か何かで生み出しているのだろうが、あの地下聖堂の王(クリプトロード)は一日に数体規模のアンデッドを創造し、己の麾下に加えることが可能な力の持ち主だ。

 概算して、敵の兵力は十万以上。こちらの戦力は、自分(クスト)ひとり。

 

「手頃な街灯も少なくなってきたかな」

 

 戦闘の合間を縫うようにして、休息と武装の補充は進めている(都市各地には万が一に備え、クストの兵器庫や備蓄庫がふんだんに設けられていた)が、あれだけ巨大な相手をどうにかする武装というのは準備できていない。鍛冶技術の持ち合わせもないのだから、これは当然ともいえた。

 いざとなったら素手で殴るか。

 そんな益体もないことを思考しながら、彼らの変化をつぶさに感じ取っていく。

 

「……動きが?」

 

 変わっている。

 これまでは暴徒のように雪崩れるような行動しかできていなかった骸骨(スケルトン)たちが、統制された軍隊のように集合し、隊伍を組んで、空を駆るクストへ矢を向け、礫を握り、槍を構える。マスゲームのように整頓された一斉射撃は、黒い雨のように人狼の頭上に降り注ぎ、彼の行路と退路、双方を塞いでみせた。魔法を発動する以外に対処なしと判断し、迷うことなく防御の魔法を展開する。

 発動させた〈聖域(サンクチュアリ)〉の魔法は自分の攻撃行動を一切封じる代わりに、相手の攻撃行動の一切を通すことのない信仰系魔法のひとつである。箱のように展開する魔法の(ヴェール)を自分の周囲を囲うように張り巡らせると、矢や礫は光の幕に触れた瞬間に攻撃の意図を否定され地に落ちる。

 効力時間は最大数分にもなるが、そうすると指数関数的に魔力を馬鹿喰いしてしまうので、発動させたのは攻撃の雨が止む数秒間に限定させた。

 クストは、軍勢に様変わりを果たした死者たちの中に、古びていても豪華と判る襤褸布で骨と皮のみの全身を覆ったアンデッドの姿を見つける。片手には賢知を思わせる捻じれた杖。あふれ出る負のエネルギーが靄のように全身から迸り、周囲の空間を汚染している。人の死を邪悪と叡智で歪め果てたような相貌が、この都市を封じるただ一人の生者に対し冷たい嘲りの微笑みを差し向けている。

 アンデッドの魔法詠唱者として有名な死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 それが合計七体。

 人間の冒険者チーム程度では、逃げる以外の処方がないほどの数は、それだけで暴力的だ。

 逡巡も躊躇も捨てて、クストは魔法詠唱者との魔法戦に挑む。

 奴らの強さはそこまでではない。力押しでいけば確実にクストの方へ軍配は上がる程度の戦力だ。

 だが、奴らの指揮統率する死者の軍勢は厄介の極みだ。さきほどのような空間制圧を幾度も加えられては体力と魔力が持たない。

 故に、殲滅を敢行する。

 七体の魔法詠唱者は、自分たちの役割を心得ているかのように、飛行して散開を始めた。その途上で、人狼の発した〈力の爆裂〉が弓兵の四列横隊と魔法使い一体を諸共に壊滅させる。残り六体。

 頭上を取った三体と、地上を舞う三体から、一斉に〈火球〉〈雷撃〉〈魔法の矢〉が放たれた。六体それぞれが絶妙なコンビネーションで解放した魔法攻撃の六重奏は、しかし人狼の青年の脇をかすめて直撃しない。唯一、誘導性を付与されていた〈魔法の矢〉が青年の腕と足をとらえたが、魔法の防御を張り巡らせた神官の聖衣は、この一着だけでもずば抜けた防御性能を発揮する。

 クストは着実に、そして確実に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)部隊を討滅していく。

 己の防御に頼った特攻戦術とも言うべき捨て身の作戦だが、奴らが出てきた以上、より上位に位置するアンデッドたちとの邂逅も秒読みとなる。力の温存にこだわり、さらなる危地を迎え入れようという気概など、クストには全く存在しなかった。

 信仰形の攻撃魔法を駆使し、時に死の巨人と同士討ちさせ、時に都市内に巡らせた罠を使って、魔法使いたちを完全に封殺していく作業も三回を数えた。残り三体。

魔法最強化(マキシマイズマジック)魔法の矢(マジックアロー)〉の着弾に狼形態の肉体能力で耐え、骨と皮のみの喉笛を狼の顎で嚙み砕いた。穢れの詰まった骸を吐き捨て、地表へと向け死者が落下を始めるのを見送りつつ、人の形状へ立ち戻る。残り二体。

 いいペースで刈れていることに、内心のみでほくそ笑んでしまった、その時。

 

 ズン

 

 と、都市の中央で鼓動のような激震が奔る。

 クストは思わず戦闘中にもかかわらずアンデッドたちから意識をそらし、その激震の正体を感知する。

 自分の見込みよりも早く封印の多重構造が破られた震動であることは疑う余地などない。

 しかし、ここ最近の自分の不手際には何か違和感のような齟齬を覚える。

 自分の信じていた性能が落ちているのではなく、自分がかつて教えられてきた能力に根本的な間違いがあったかのような、そんな欠落とも言える何かを。

 否、そんなことを悠長に思考している場合ではない。

 何はともかく、生き残らねば話にならない。

 魔法詠唱者たちを睨み返し、速やかな殲滅にかかろうとした瞬間、

 

『久しいな――人狼』

 

 聞き覚えのある、100年前に聞いたきりの声が、クストの耳の奥に響き渡る。

 聞く者の肌を氷のごとく逆撫で、焔のように炙る音色が紡ぐのは、死の先触れ。その叡智と悪徳を結晶させた顔に浮かぶのは、憎悪に凍えた火の眼差し。傍らに浮かぶ死者の大魔法使い(エルダーリッチ)二体が敬服と従属の姿勢をもって迎えた様から分かるように、この都市のアンデッドはすべて、彼という存在に臣従を誓う(ともがら)なのである。

 中央大聖堂の地下の五重六重に張り巡らした封印を破り果たし、転移にて一挙にここまでやってきたアンデッドの王。

 地下聖堂の王(クリプトロード)

 クストやルプスレギナを遥かに凌ぐ王のレベルは、七十台にも届くという。

 その絶望的な距離を前にして、人狼の神官は、決して臆することなく、王者への戦いに挑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ルプスレギナとリンクたちは、都市から離れた原生林の泉にほど近い洞窟へとたどり着いていた。地下にあった転移の魔法陣を通って脱出を果たした一行は、戦闘メイドとビーストマンの少女以外は完全に息を切らしていた。ルプスレギナというたった一個の生命反応を、まるで一滴の血に群がるピラニアのようにしつこく食いつこうとするアンデッドとの戦闘は、都市中枢から離れるほどに激減してくれたが、連戦に連戦を重ねたことで、だいぶ消耗が激しくなっている。途中で小休憩をはさんでいたが、入り組んだ迷路の中、アンデッドの急襲の都度に逃走していたので、あまり休めてはいなかったのも大きい。

 

「とりあえず、カロルたちはここで休んでいて……集落や都市への連絡は、私が行く」

 

 リンクは背負っていた背嚢(はいのう)から、非常時用にしのばせていたアイテムを取り出し、起動する。

永続聖域(コンティニュアル・サンクチュアリ)〉を込めた天狼を模した聖像が、洞窟内部を外界のいかなる攻撃から身を守る(ヴェール)を張る。これで、沈黙都市からアンデッドたちが流出しても、狼たちの安全はほぼ保障されたことになる。兄が製造したアイテムの中では最高の性能を誇るそれは、完全な一点ものだ。自分たちが攻撃できなくなるというデメリットによって戦闘にはあまり役に立たないが、こうして狼たちの安息を得る上では、これ以上ないほどに最高なアイテムであると言わざるを得ない。

 周囲の状況を確認すると言って、リンクはルプスレギナたちを残し洞窟の外へ。

 ルプスレギナは狼たちと距離を取り、潜めた声で都市から脱出してきた同胞たちの無事を確認する。

 

「ごくろうさまっす」

『ベータ様。我々は?』

「二種均等混合の八人チームを四つ、組んでくださいっす。四チームは都市の四門に向かい、都市を出ようとするアンデッドたちを適量適分ほど狩るように。残った影の悪魔(シャドウデーモン)四人と八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)四人は、私の護衛をお願いするっす」

 

 承知の声をあげる影と蜘蛛たち。

 

『アインズ様へは?』

「すでに連絡済みっす」

 

 地下の脱出口に入った直後、滑り台を滑る途中で停止し、〈伝言(メッセージ)〉を使って都市からの脱出を伝えていた。影と蜘蛛たちの配置転換についても、アインズからの勅命によるものに過ぎない。他にもいくつか、御方からの命を戦闘メイドは受けていたが、今は考えなくていい。

 都市中枢に封じられているだろうアンデッドについては、隠密部隊三十名の調査で判明してはいたが、その種類や正確な規模については不明なままだ。クストの封印処理をいじることは不可能だったし、彼が出入りする瞬間をつけ狙うなんてことはもっと不可能だった。影も蜘蛛も、中枢に赴く彼を追って、直後、彼に背後を取られるなんて話もざらだった。

 そういう事情により、ルプスレギナたちは沈黙都市の実情を、なんとも中途半端な感じで至高の御身に献上する羽目に陥ったわけだ。御方はシモベたちの作業が遅々として進まぬことに目くじらを立てることなく、むしろその慎重な姿勢を誉めそやしさえしてくれた。あれだけの慈悲を賜った以上、任務は確実に遂行しておきたかったのだが、どうにもそれは無理な様相を呈しつつある。

 ルプスレギナは直感で、あの人狼は確実に失われるだろうと理解していた。

 彼という戦闘メイドに伍するレベルを持つはずの存在が敵わないと評するアンデッド。

 この都市で暮らすうちに、彼の人格者としての顔が虚飾によるものでないことは把握できていた。生粋無類の善人。吐き気を催すほどの聖者。そんな人物が確実に死ぬと公言する相手の封印が、今日つい先ほど解けてしまったというのだ。

 もはや彼単体で、どうにかできるはずもあるまい。

 彼とはもう、二度と会うことはできないのかもしれない。

 そんな思考が、ひどく切ないような気がするのは何故なのだろう。

 惜しいだなんて、そんな思いを抱いてしまう自分が、ひどく奇妙に感じられた。

 信仰系魔法詠唱者は、ナザリックにおいては少ないが、皆無というわけではない。彼はルプスレギナにとっては、オモチャの片割れに過ぎない。もう一方の片割れについては、当面は無事に過ごせるだろう。なんだったら、初日に考えていた通りにアインズへの土産として供することも視野に入れていいだろう。

 でも、どうせだったら。

 青年と少女と、三人で。

 ほんの少しだけ――あともう少しだけ――愉しみたいというのが、本音といえば本音であった。

 ルプスレギナは近づく気配を察して振り返る。

 絶望感に顔面を蒼白にさせながら、それでも毅然とした言葉を維持する銀髪の少女が近づいてくる。

 

「ルプス、私はこれから近場の集落に行ってきます。あなたには他の」

「いやっす」

 

 赤毛の少女がそっぽを向くのを、リンクは非難がましい視線で睨んでしまう。

 

「状況が判って言ってるの? このままだと、都市の封印は数日中に破綻する。アンデッドが野に放たれ、ありとあらゆる生命を貪る軍団が地上に溢れることになる。兄様の話を聞いてなかったの?」

「聞いてたっすよ?」

「だったらふざけてないで、協力しなさい! 兄様は今あそこで!」

「“戦っている”って言いたいんでしょう?」

 

 少女は機先を封じられ黙りこくる。

 普段の陽気な瞳は(なり)を潜め、妖しく艶っぽい美女の怜悧さが表に出る。

 ルプスレギナが苦手なリンクは、彼女のこの変わり身が一番苦手だった。

 女の自分でさえ魅了するような色気を醸し出しながら、女は真剣な眼差しを向けて訊ねてみる。

 

「クスト・スゥは確かに戦っている。孤軍奮闘に来援は期待できず、時間が経つほどに己の命が失われる瞬間へと着実に進み続ける。じゃあ、あなたは?」

「……え?」

「あなたはここで何をしているの?」

「わ……私はこれから、周辺にある集落や街を回って」

「避難勧告でも出すの? 劣等種のあなたが? ビーストマンでもない私が?」

 

 冷静に考えてみれば、当たり前な事実だった。

 リンクもルプスレギナも、沈黙都市の事情に通暁しているが、他のビーストマンたちは沈黙都市という爆弾を隔離し排斥し忘却することで、その脅威を綺麗さっぱり忘失している。そんな状況下で、いきなり沈黙都市からアンデッドが湧き出てくるなんて説いて回っても、本気で受け取ってくれるものがどれだけの数に達するだろうか。これが公的な国家機関からの通知であれば、ビーストマンたちでも従ったかもしれない。基本的に実力至上主義的な上に差別思想も根強い獣顔の亜人たちでも、一応は国家という体裁の枠に囲われた存在なのだ。国家に盾突いても、百害あって一利なしと思考するのは当然である。

 だが、リンクたちは国家機関に属するどころか、公的には存在しない人物ともいえた。

 ナザリックから派遣されたルプスレギナは無論だが、リンク・スゥという劣等種については出生の段階で母に存在を隠匿され、父や集落の者たちから追放の憂き目を見ている。リンクは街で必要物資を調達する際などに噂されるだけの容貌をしているため、存在自体は認知されているだろうが、結局はその程度だ。話を聞いてもらうだけでも一苦労。その内容――世界滅亡の危機――を信じ込ませることなど、限りなく不可能に近い。

 

「でも! 兄様から頼まれたことはしないと!」

「それが彼の助けになると、本気で思っているの?」

 

 クストという、英雄や逸脱者を遥かに凌ぐ“傑物”ですら殺されてしまうだろう死の軍勢を前に、そこいらの集落が、ただの一国家ごときが、抵抗し果せる確率はどれほどのものだろう。

 実際のところ、リンクにだって望みが薄いことぐらいは解っていた。

 解っていて、彼の言うままに、ここまで辿り着いた。

 本当は逃げ出したのだという事実からは目を背けて。

 

「……どうすればいいっていうのよ。……私は、兄様やあなたほど、強くない。……なのに」

 

 どうしようもないほどの劣等感が、少女の胸を塞いでしまうようだった。

 きつく握りしめた胸元から、不安や恐怖がこぼれて溢れて実体を得るかのようにすら錯覚する。

 逃げ出した事実が、あまりにも重くのしかかる。

 彼に背を向けた事実が、あまりにも罪深く思える。

 

「私には……何もできない」

 

 そんな言葉を逃げ口上にして、あのアンデッドが跋扈する都市から脱出を果たした。

 それ自体に罪などあろうはずもない。事実、リンク一人があの場に留まっところで、大勢に影響など与えようがなかっただろう。

 何より、妹たちが逃げてくれることを、兄たる男は切望していた。

 避難の要請や対策を講じる必要などと理屈を述べ立ててはいたが、クストは彼女たちが逃げ果せてくれさえすれば、それで十分だった。賓客に過ぎなかったルプスレギナたちは言わずもがな。そして十数年に渡って共に苦楽を味わってきた家族たちの安全を、あの善人に過ぎる人狼が祈らないはずがなかったのだ。

 

「それでいいのかしら?」

 

 しかし、ルプスレギナはそんな家族の決断に異議を唱える。

 

「本当に、それでいいのかしら?」

 

 ルプスレギナの瞳に浮かぶものを、リンクは正確に読み取れた例がない。

 あまりにも透き通った宝石の美しさは、自分自身を映し出す鏡のようにも見えた。

 自分で自分に問いかける。そして、答える。

 

「兄様が、そう望んだことだもの……だから」

「――あなた、自分が彼とどうなりたいか私が聞いた時、どう答えたか覚えてる?」

 

 泉の畔で、思わず語ってしまっていた、少女の切なすぎる願望。

 一緒になりたい。

 一緒に生きたい。

 一緒に幸せになりたい。

 今では本当に、なんて遠い夢なのだろうか。

 

「あれって、嘘だったの?」

「――違う」

「あなたは出鱈目を言っていたの?」

「――違う!」

「彼が、クストが、ここで死んでもいいの?」

「そんなこと!!」

 

 絶対に嫌だ。

 絶対絶対に嫌だ。

 絶対絶対絶対に嫌だ。

 そんなことだけは絶対に嫌だ。

 この思いが届かないことくらいわかっている。

 こんな繋がりが酷く(イビツ)だということくらい自覚している。

 でも、それでも――――兄を死なせたくない。

 あの(ヒト)を失いたくない。

 

「助けて……助けてよ、誰かぁ……」

 

 それが、リンクの抱いた紛うことなき願いであり、祈りであり、思いだった。

 そんな少女の発露に微笑みさえ浮かべた赤毛の少女が、満足を表情に浮かべながら言葉を紡ぐ。

 

「じゃあ、提案なんだけどね?」

 

 ルプスレギナは、とてもおもしろいことを閃いたような気さくな感じで、泣く寸前の少女に提案してみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                      【続】

 

 

 

 

 

 




第四話に続きます。次で(とりあえず)ラストの予定。

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