「いませんね」「いるわけがない」「いると思うか」「ナザリックにはいないなぁ」
……というわけで、オリキャラを出すしかないのです。すいません。
はじめは、わけがわからんかも知れませんが、ご了承ください。
時系列としては、10巻以降の将来だと思ってください。
ビーストマンの事情とか、この世界の「人狼」とか、沈黙都市の状況とかは、完全に作者の想像です。
11巻からの展開次第では、まったくありえない設定になっているかもです。
あ……あと恒例の一言。
ルプスレギナ、こわいい。
森の中を疾駆する影がある。
それは狼の姿をした獣だったが、一般的なモンスターの狼とは程遠い、赤い毛並みが目を引いた。
実に洗練された狼の疾走は、動物の運動というよりも、風や雷のような自然的な動作だった。一流の狩人でもこれほど見事な獣と出会ったら、弓を引くことも忘れ魅了されるだろう。まるで女神が狼の姿に転じたような印象さえ抱くかも知れない。
狼は休むことなく、止まることさえ知らぬ様子で、森を一直線に横断する。
その様は放たれた矢のようにまっすぐで、何かしらの使命感を感じさせる。
やがて、狼は視界の開けた丘の上に立つ。
すると狼は、絶世の美貌を備えた少女の姿に変じていた。
赤く長い髪を三つ編みにして、聖印を象った荷物――何かの武器――を背中に携えている。健康的に焼けた褐色の肌に、爛々と輝く宝石のような瞳。身に着けている魔法のメイド服で、女として豊かに実った肉体を覆い尽くしている。
「やっと、目的地に到着っす♪」
彼女は自分の影に視線を落とした。
「――周囲の探査状況は?」
『滞りなく』
影が、少女から投げかけられる声に応答している。
「そっすか。くれぐれも用心してくださいっす。この調査の責任者は私なんで、皆さんのミスは全部、私のミスになっちゃいまいますから」
『了解しました。
「うん。よろしくっす♪」
ルプスレギナ・ベータは、残忍で狡猾なメイドだ。
無論、ナザリック地下大墳墓に属するNPCの中で、彼女のそういった趣味嗜好は、特段珍しい類には数えられない。むしろ、大方のNPCの中に埋没してしまうかもしれないほどだ。人間を拷問することも、人間を玩具にすることも、人間を実験動物として扱うことも辞さない魔窟の住人たちの中では、むしろユリのような善寄りの価値観こそが稀少ですらあった。
カルネ村という、ナザリックと友好関係を結んだ人間たちの集落が存在する。
彼女は長い間、その村に足繁く通い、村人たちと友好を深めると同時に、彼らの生活をある程度まで充実させるように便宜を図り続けた。城砦にも匹敵する壁の建設や魔法武器などの供給、あの大虐殺の折にゴブリン軍団の大量発生により爆発的に人口が増えたことで生じた食糧などの問題についても、一時的に支援を行ったこともある。
そんな村人たちは一様に、それだけの援助を惜しげもなく与えてくれるアインズ・ウール・ゴウンという
それ自体は、別にルプスレギナにとっては不満などない。むしろ、自分が忠義を尽くす御方を尊崇する人間たちの姿を殊勝だとすら思っている。
だが、彼女の性質からすると、彼らの存在はやがて不愉快なものに思えるようになっていた。
ルプスレギナは、彼らのような脆弱で凡庸で
しかし、ルプスレギナにしてみればそれは、目の前に特上のオモチャをぶら下げられた状態で「待て」と命じられているようなもの。
彼らが恐れ戦く瞬間に立ち会えたら、どれだけおもしろいだろう。
彼らが混沌に突き落とされた瞬間にあげる悲鳴は、どれだけ耳に心地よいだろう。
彼らが絶望の中に放り込まれ、信じていたすべてから裏切られた瞬間に流す涙は、どれだけ自分の舌と喉を潤してくれるだろう。
いっそ、自分が手ずから彼らを蹂躙し屠殺し残虐の限りを尽くしてしまえたら……
そんなことを夢想してしまうほど、ルプスレギナは
その鬱憤を晴らす一助として、不可視化の魔法を使って、彼らが驚き慌てる様を見ることをせめてもの慰めとしていたことも懐かしい。
無論、至高の御身より与えられた任務を反故にするような愚を、戦闘メイドのルプスレギナが犯す筈がない。認識不足で大変な失態を演じたこともあるにはあったが、御方は深い慈しみの心をもって、失態を演じたメイドをお許しになった。それ以降、ルプスレギナは大した問題も起こさずに、御方の期待に全力で応えることができたと自負している。
それでも、自分だったらこの村でどのような殺戮の宴を催そうか考えるたび、それが決して叶わぬ夢なのだと知らしめられるのは、とても気分がよくないことである。有体にいってしまえば、彼女は飽き飽きしていたのだ。
人間や低級モンスターの馴れ合いに。
平和そのものという村のありかたに。
どうしようもない箱庭の穏やかさに。
人間の王族に攻撃され、村人たちが逃散しようとした時は胸がときめいた。
多勢に無勢の絶対的危地において、涙ぐましい努力と抵抗を果たそうとする様も笑えた。
欲を言えば、あまりに絶望的な状況で仲間割れに発展してくれたら絶頂ものだったのだが、さすがにそこまでには至らなかったのは少しだけ不満だった。
しかも、あのエンリという少女が奏でた重低音の角笛から召喚された軍勢が現れたのは、反則的な逆転劇だった。至高の御方から下賜されたアイテムを使っているのだから、それぐらいできても不思議でも何でもないのだが、やはりルプスレギナとしては、人間の軍勢に攻め落とされる村の様子が実現しなかったのは、残念でならなかった。その後、アインズ様の勅命で人間の王子や敗残兵を嬲ってオモチャにできたことが、唯一の救いといえば救いである。
こうして不満ばかりが醸成されていく任務であったのだが、アインズ様が戦争に完全勝利し、人間の都市と領土を獲得したことで、ルプスレギナはカルネ村での任務から放免された。
最初は自分がまた何か馬鹿な失敗を犯してしまったのか不安に思ったが、至高の御身はルプスレギナを慰労し、新たな任務を与えたい旨を表明したのだ。
曰く、カルネ村との友好関係は十分に確立され、魔導王の支配下に下った今、貴重な戦闘メイドを村の駐在人程度の使い走りにしておくのは愚か。それよりも、周辺諸国で風聞されている勢力の調査や、さらなる強者の情報を極秘裏に収集する任務に使ってこそ、戦闘メイドの真価が発揮されると判断した、とのこと。
難しいことはよくわからなかったルプスレギナだが、彼女の頭でも「アインズ様はもっと私に働きやすい場所を与えて下さる」ことだけは理解できた。これを拒否する理由などあるものか。
そうして、ルプスレギナ・ベータはアインズの勅命を受け、与えられた隠密性に優れるモンスターを部隊単位で引き連れ、とある都市を臨む丘の上に佇んだ。
砕けた城邑に、霧の奥に霞む尖塔が見える。
その都市は現在、このように呼ばれていた。
「沈黙都市……っすか」
×
歴史書には、こう記されている。
それはビーストマンの国の歴史において、最悪の中の最悪、災厄の中の大災厄であった。
ビーストマンとは、獅子や虎といった肉食の四足獣が、人間のように二つの脚で歩行している亜人種で、その強さは難度で測るなら三十――人間の成人の十倍――になるという。平均的に強いものが多いためか、人間のように突出した英雄級の強さを持つものがいないのが難点だが、最弱種の人間を相手取るにはまったく事欠かない力を持っている。単純な戦力比で表せば、ビーストマンと人間で一対十。ビーストマン千人と伍するのに、人間は万単位の兵力が必要になる計算である。
当然ながら、そんな亜人種たちの国家というのは強大な武力を保有しており、時たま隣接する竜王国などへ“狩り”と称して侵略行為を繰り返していた。彼らにしてみれば人間の国というものは、人間たちにとっての生け簀や放牧場と言った程度の認識なのだ。
彼らは人間を喰う。これは別に珍しい文化ではない。大陸中央部で競い合う六大国の内三つは、人間は食糧として流通しているとか。生きているものも死んでいるものも、男も女も、老いも若きも、分け隔てなく。
そんな彼らのような種族にしてみれば、人間の国を襲い、その血肉を喰い散らかすことには疑問も何もない。腹が減ったから狩りに来た。人間が野山で小動物を狩るのと、原理上は違いなどない。狩りに成功した部族たちが催す収穫祭の宴は、まともな人間種ならば吐き気を催すほどの狂態ぶりだという。
しかしながら、彼らにも弱点というべきか、まともに相手にしたくない、相手にするのを避けたい種族というものが存在する。
死者のさまよう霊魂が実体と化した魔の存在。
その力は強大というわけではないが、彼らは生者のような疲労や恐怖とは無縁な兵卒だ。
疲労せず、空腹とも睡眠とも無縁で、恐怖も毒物も麻痺も痛覚もない、永久に戦い続けることが可能な最良の兵士。
首を刎ねるなどの即死条件を満たさない限り、彼らは偽りの生命力が尽きるまで戦い続けることができる。脆く弱い人間と比べて、これほど打倒することが難しいものはそう多くない。しかも、彼らはビーストマンにとっては、食料になり得ないことが肝だ。戦争であれば兵の食糧という問題が浮上するものなのだが、人間との戦争でビーストマンたちは戦時糧秣を現地で、というか戦場そのもので獲得してしまえるのに対し、アンデッドたちは殺しても殺しても満足のいく食糧にはなり得ないのだ。骨を食んでも、滴る血で喉を潤すことは出来ず、肉を食して力に変えられない以上、アンデッドと戦うのはまるで意味がないのだ。無駄に戦い、飢餓に苦しむなど、まともな生者であれば絶対に忌避したい事態である。
さらに恐ろしいのは、アンデッドはアンデッドを招き寄せる特性を持っているとされていること。
アンデッドの大群などに遭遇することになれば、その大群の中から更にアンデッドが発生し、さらにはより上位のアンデッドに殺された生者は、その者がどれほどの信徒であれ教祖であれ聖者であるとされていても、一人の例外もなくアンデッドになり果ててしまうという事実。
彼らは無限無尽に増え続けることができる尖兵、生への憎悪によって駆動する怨念の
そしてさらに、ビーストマンたちが最もアンデッドを恐れる理由が、冒険者たちの間で風聞されているひとつの伝説にある。
生きる者の魂を貪り食い散らかす伝説のアンデッド。
骨の獣と呼ぶべき
その身体から迸る輝きは、化け物に喰われた魂の悲鳴とも、冥府の底から生者を手招きする怨念の発露とも、
かつて、この伝説のアンデッドが、ビーストマンのとある都市に出現したことがある。
現れた魂喰らい、三体。
被害の規模は、十万人。
たった三体のアンデッドに、その都市に住んでいた人口の九割五分が喰い尽くされた勘定になる。
あまりにも過剰で過大に過ぎる被害規模で、風説や流聞の域を出ない話であるはずだが、実際に沈黙都市と呼ばれる場所を訪れてしまえば、それが嫌でも真実であったことが分かるという。
十万人もの死者がそのまま遺棄され、放棄された都市は、アンデッドの発生を報せる瘴気じみた白い霧に覆われるようになり、その全貌を掴み取ることは出来ない。
だが、かつては十万人以上にも及ぶビーストマンが暮らしていた大都市の様子は、人間たちの築いた城砦や要害などとは比べるまでもないほど壮健であり堅固であることが、崩れた端々から見て取れる。特に、霧で覆い尽くせないほどに伸びた――半ば朽ちて倒れ掛かっている――尖塔を見るだけでも、人の手では成しえない偉容を、見る者に想起させるのに十分な威力を誇っていた。
それが、沈黙都市なのである。
×
アインズはフールーダから聞いた周辺諸国の状況について、特にアンデッドが関わっている案件を中心に関心を寄せた。
帝国魔法省に封印されている現地産の
アンデッドが大量発生する、霧に覆われたカッツェ平野。
そして、新たにもたらされた、ビーストマンの国の「沈黙都市」について。
アインズは自分がアンデッドを使役できる死霊系魔法詠唱者である関係から、現地で生じるアンデッドモンスターに、ある種の利用価値があるのではと考えていた。
自分の
アンデッドが大量発生するというカッツェ平野の奥地には、より強いアンデッドが生まれているのか。
そして、突如現れた三体の
それらを総合して、ナザリックの強化や利益に結びつけられるのか、
世界を征服し、より強大な敵に対して盤石の備えを揃えておきたいアインズにとって、それらの話は十分以上に調査すべき事柄であると認識したのは、至極当然とも言える流れだったのである。
アインズが特に興味をそそられ、疑問を覚えたのは、沈黙都市のことだ。
その都市は
そう。
十万人分の死が、その都市には遺棄されたままなのだ。
そして、この世界において、大量の死体を遺棄するということは、即ち大量のアンデッドが発生するということ。
事実、その沈黙都市はアンデッドの大群が徘徊しており、カッツェ平野と同じ重苦しい霧が常時立ち込めていることは、今ルプスレギナが確認しているわけだ。
……アインズは疑問だった。
――何故、アンデッドは都市の外に溢れないのか――
「中々おもしろそうなところっす! いやぁ、何だかワクワクしてきちゃうっすね!」
そんな至高の御身が抱く関心も何処へやら。
ルプスレギナは実に気安い口調で、崩れ朽ちかけた城壁の様子を見つめていた。
この世界で見聞きした限りでは中々に巨大で強固なものだが、ナザリック地下大墳墓と比べれば雲泥の差だ。無論、大きさを競っているのではない。魂喰らいが三体侵入した程度で朽ちる城邑に比べれば、ナザリック表層の墳墓の石壁は堅牢堅固。それなりの築城技術を加えられたと分かる石組みの城壁は、巨大な一枚岩で構築された墳墓のそれとは比較するだけ馬鹿らしい。
ナザリック地下大墳墓こそまさに至高の御方々の力が築き上げた神の、否、神をも超える御方々の居城なのである。
しかしながら、ルプスレギナは人間の国の王都よりも洗練されていただろう城砦の朽ち方に、ある種の趣があるように思えた。
この都市が滅んだ時のことを想像するだけで唇の端が吊り上がる。
一体どれほどの悲鳴と絶叫が大気に満ち満ちていたのか、考えるだけで気分が高揚していく。
「んふ~、最高っす!」
この地に自分を派遣してくれたアインズ様には、感謝してもし足りない。
そんな至高の御方より与えられた任務を果たすべく、ルプスレギナは城邑に足を踏み入れようとして、
「……あ?」
何者かが近づいてくる気配を感じ取った。
城邑の中で
それは自分の後ろから、かつては舗装されていたらしい街道の残り滓の上を歩いて現れた。
とっさに戦闘メイドは崩れた城壁の残骸に身を隠す。一応、〈完全不可視化〉の魔法を使っているから、そのまま突っ立っていても問題ないのだが、アインズから油断と侮りは厳禁だと命じられている。万全を期するのは当たり前な選択だった。
生きた足音は、二足歩行のものが一つに、四足歩行が五つ。
一つは人間の輪郭をしていたが、その周りをじゃれるように追随しているのは、首輪と荷物をつけた狼たちだ。
そして、ルプスレギナはじっと目を凝らす。
「……あれは?」
残骸の影から見定めた人とは、ビーストマンの少女だ。
といっても、顔は普通の人間に猫耳と尻尾が突き出した程度のもので、亜人というよりも人間に近い容姿である。肌の色は病的なまでに白く、髪や瞳も貴金属を思わせる銀色の輝きに硬質化していた。その腕には、狼たちがしている首輪と同じ意匠が見て取れる。武装は腰の短剣と肩にかけたコンポジット・ボウ。両手に引きずり背中にくくりつけているのはモンスターの死骸だ。彼女たちの食料なのかもしれない。
一般的なビーストマンの容姿については、ルプスレギナも情報を得ている。自分のような人と狼の二つの形状を持つのではなく、もともと別個だった生き物が合一した姿に固定されているのが、ビーストマンの通常本来の姿だ。
しかしながら極稀に、極めて人間の容姿に近いビーストマンが現れることもあるという。これは親が亜人と人間の混血だからという理由ではなく(そもそも今現在、これらの種族は交わっても子が出来ることを確認されていない)、単純に遺伝的な劣等品が生まれたことを意味するらしい。ビーストマンの社会においては、より獣らしいもの、より先祖の形に近づけたもの――覚醒古種――が、部族の尊崇の念を一身に集めるという。獅子の部族なら獅子らしいもの、虎の部族なら虎らしいもの、豹の部族なら豹らしいもの、といった具合である。逆に、先祖の形状からあまりにも逸脱した存在――特にこの場合、人間に近い形をしたものは“劣等種”の烙印を押され、部族から迫害を受け、場合によっては食物連鎖の一環として赤子や幼子の時分に山や野に放たれるとか。人間を食糧とするビーストマンなら、人間に近い容姿をしたものを喰うこともありそうに思えるが、彼らに言わせると、そういった劣等品を食べては血が
そんな社会通念が確立しているビーストマンの世界において、あの人間のような容貌をしたビーストマンの成人女性(十代半ば過ぎぐらいだろうが、これで成人と
「うん。これはアインズ様が気に入りそうっすね。来た甲斐があったっす!」
銀という人狼の弱点となり得る金属を思わせる少女の色彩は少し嫌だったが、至高の御身が気に入るかどうかとは関係がない。
ルプスレギナは、アインズがある種のコレクション感覚で、ナザリックに外の世界のものを招き入れていることを知っていた。
確か……理想郷計画……と言ったか。
神聖不可侵のナザリック内を、外の世界の有象無象が闊歩するのは気に入らないが、きっと智謀の王には自分のような馬鹿には考え付きもしない深い考えがあるのだろう。
であれば、自分もまた外の世界で、ナザリックに招くだけの価値がある存在を見定めることも、使命の一環に含まれていると考えるべきだ。
確か、
「それにしても奇妙っすよねー。どうしてあの
少女は怖じる気配もなく迷う調子も見せず、狼たちの先頭に立ちながら都市の崩れ果てた城門をくぐりぬけていく。
まるで自宅に戻るような調子で、アンデッドの跋扈する都市の中へ。
これは気になる情報だ。生きる者などいないとされている沈黙都市を
ルプスレギナは慎重に、少女たちの後をつけていく。隠密部隊もそれに
分厚い霧の立ち込めるそこでは、数メートル先の視界さえ霞んでしまう。追跡を行うのは困難だと思われるが、ルプスレギナの種族・
おまけに、周囲には隠密性に優れたモンスターがルプスレギナの後詰に執心している。万が一にも、追跡を失敗するはずがないのだ。
「うぇ~? どうなってるんすかね、これは?」
追跡から数分もせずに、ルプスレギナは自分の影に控える悪魔たちに呟いていた。
ここはアンデッドの跋扈する沈黙都市。その噂通り、都市の目抜き通りには
そんな最中を、少女と狼たちは気にすることなく突き進む。
彼女たちが〈透明化〉や〈不可視化〉などの魔法がかかっていないことは、ルプスレギナたちが知覚する限りでは確実だ。にも関わらず、アンデッドたちは彼女たち生きる存在を悉く無視していく。
彼女たちがアンデッドでない限り、これはまったくありえない現象だ。通常のアンデッドは、生者に対して底知れぬ憎悪と嫉妬に駆られ駆動する習性を備えており、生命を見つけた時点で自分たちの仲間に引きずり込むように襲い掛かるモンスターとして有名だ。それなのに、目の前で食料を運び、意気揚々と大通りを突き進む少女たちの鼓動と呼吸に一瞥もくれないなんてどういうことか。
可能性としては、何か特別なマジックアイテムでも装備しているのだろうか。
「あの首輪とか腕輪が怪しいっすね……」
ルプスレギナは狼の眼光を閃かせた。
彼女たち全員に共通している唯一の装備品。
今すぐ手に取って検分したい衝動に駆られるが、ここは我慢のしどころである。
自分の任務は、この沈黙都市の実態を極秘裏に解明し、ナザリックの利に繋がる情報や何かを手に入れること。
あの少女がこの都市に常在している住人であるならば、これ以上の情報源は他にないだろう。
「お? 建物に入ったすね?」
都市の中でも割と大きな建物だ。中央に聳える尖塔ほどではないが、かつては豪族か為政者かが使っていた屋敷や公共施設なのだろう巨大さだ。当時は豪奢に飾られていたのだろう灯篭や旗差棒の残骸を横目に、少女たちが入り込んだ玄関の向こう側へ滑り込む。衝立の影から中を窺うと、ロビーと呼ぶべき広い間取りが見て取れた。
少女の声が、静謐な空間を震わせ響き渡る。
「ただいま戻りました」
荷物であるモンスターの死骸を適当な場所に放擲し、少女は狼たちと共に帰参の声をあげる。
その声と遠吠えに、家主と思しき人物の声が応えた。
「――やぁ、久しぶり。リンク」
上階から手すりを掴みつつロビーに降りて来た青年を、狼たちが我先にと近寄り体をこすりつけていく。
ルプスレギナは注意深く観察する。
青年は杖を突いていた。だが、
その杖の先を、彼は大地に這わせるかのように振っている。何故そんなことをしているのかは、彼の眼を見れば見当がついた。まるで一切の光を宿さない闇色の瞳には、外の様子がよく映っていない。視力が極端に悪いか、あるいは全盲か。
青年の見た目は完全に人間のそれである。一対ずつの手足。骨格も、筋肉も、顔の造りも、すべてが人間然とした形で整えられている。強いておかしなところを言えば、身長が細く高すぎることと、男の割には髪が肩にかかるほど長いくらいか。身に着けている服も、特別な効果が付随しているような装備品は――あった。何の変哲もない黒ずくめの衣服の中に埋没しているが、その左腕には、少女や狼たちと同じ意匠のブレスレットが飾られていた。あれは、彼女たちとの絆を示す以上の効能を、この都市で発揮しているに違いないと確信できる。
ルプスレギナは“獣の勘”として、彼がただの人間でないという直感を抱いた。
「ただいま、
猫耳の少女は青年に対し、優しさあふれる口調で言葉を交わす。
「今回は大量でしたよ。
猪の一頭は、帰りの道中で平らげたと、少女は平然と付け加えた。
「それはすごい。皆、よく頑張ったね」
えらいぞと狼たちの頭を撫でまわしていく。獰猛な獣でありモンスターでもある
最後に猫耳をピンと張り詰めさせた少女の頭も、青年は手を伸ばす。全盲と思しき存在なのに、その動作には迷いや恐れは感じられない。まるで目以外の何かで見ているかのような印象を受ける。
手が頭を撫でた瞬間、少女は実に気持ちよさげに耳を動かし身を震わせている。正面から見た表情はさぞや見物に違いない。
ルプスレギナは思わず相好を崩して、微笑の……というより嘲笑の吐息を吐き出していた。
「そこにいるのは、お客様、かな?」
ルプスレギナは呆気にとられる。
光の灯らない瞳に、衝立から顔を出している自分の瞳がはっきりと映り込んでいた。
青年は少女から手を離し、鼻先を指でこすりながら首をかしげる。
「この匂い……誰かな。ビーストマンとは違うし、かと言って、人間でもなさそうだけど」
ルプスレギナは咄嗟にどう行動すべきか、迷う。
このまま
最善を考慮するなら、正解は前者一択だろう。未知数の相手。戦闘メイドの魔法を無力化する存在。何より、ルプスレギナに与えられた任務は“極秘裏に”情報を収集すること。相手に自分の姿を曝け出す行為というのは、完全に命令内容から乖離しているはず。
殺害に至るのは言語道断だ。相手が何者であり、何故ルプスレギナの魔法を透過することができたのか分からないのに殺してしまっては、今後の活動に支障が出るだろう。力で捻じ伏せる遣り方というのは、アインズの望む方法でないことはさすがに了解できている。
しかし、
「僕の名前はクスト・スゥ。あなたのお名前をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
青年に挨拶を促されてしまった。
確実に先手を打たれているとしか戦闘メイドは思考していない。
彼が、まったくの善意から言葉を紡いでいる可能性など、考慮の端にもあがっていない。
「
少女は、間違いなく〈不可視化〉したルプスレギナを認識していない。ただ青年が見据える衝立の先に何者かがいると言われて見つめて警戒しているに過ぎない。狼たちも視線を彷徨わせ、鼻先を空に床に差し向けて何者かを探すが、見つけられるはずもない。
ルプスレギナ・ベータは、ナザリック地下大墳墓が誇る
そんな彼女が、下等な連中に魔法を看破されるはずがない……なのに。
「うん。どうにも恥ずかしがり屋さんみたいだね」
青年は完全にルプスレギナの存在を確信している。
というよりも、確実に見えている。ただの盲人としか見えない、光を捉えられない青年の瞳が、戦闘メイドを確実に補足できている。
屈辱を覚えるよりも先に、ルプスレギナは状況を一瞬の内に精査する。
自分の隠蔽魔法は確実に効いている。それは少女や狼、そして大量のアンデッドたちとのすれ違いから確実だ。にも関わらず、戦闘メイドの魔法を容易く突破してしまう存在が目の前にいる。
自分と同レベルか、またはより上位の存在と認定。
逃亡は却下。戦闘も却下。自分よりも弱い隠密部隊たちの投入など論外。
ここで、自分がしなくてはならない最優先事項を選択すべき。
一瞬の思考で、ルプスレギナは決断する。――任務続行は不可能だ。
「ああ、心配には及びません。この建物に入っている以上、外のアンデッドくんたちは襲ってはきませんから」
何やら好意的に解釈している青年の言葉に若干警戒を深めながらも、ルプスレギナは新たな可能性の芽に、賭けてみようという気概が湧いた。それに、ここまで見事に見透かされておきながら、おめおめと
魔法を解いて、警戒心を剥き出しにすることなく、明るく朗らかな調子で、言い放つ。
「ちわーす! 自分はルプスレギナ・ベータっていうっす! ご覧の通り、通りすがりのメイドっす!」
明け透けなまでに軽妙な声で「よろしくっす」と言い終える。
遅きに失した感はあるが、ここはとにかく敵対心を煽らないようにするしかない。
最大の懸念事項であった外のアンデッドたちへの対処の不安を、相手側が払拭してくれるとなれば渡りに船だ。ルプスレギナは遠慮も躊躇も忘れたかのように、大声を上げてこの家の住人たちに近寄っていく。
突如として姿を現し挨拶を述べて来た奇怪な存在を前にして、少女と狼たちは一様に一歩を下がった。
「ルプスレギナ・ベータさん、ですか。ようこそ、沈黙都市へ」
青年は穏やかな笑みさえ浮かべて、現れた少女を歓迎するように前へ。
「改めて。僕はクスト・スゥ。この都市の封印と管理を任されているものです。そしてこの
「……リンク・スゥ、です」
青年に促されてしまった少女は、警戒と疑念の瞳を一切隠すことなく、だが青年の手前であることから粛然と挨拶の自己紹介を交わした。
「リンクちゃんすか! はじめましてっす! 自分のことは、気安くルプーとでも呼んでくださいっす♪」
軽く握手でも交わすような友好的挨拶であるが、警戒と疑念はまったく晴れない。いかんせん場所が場所だ。これが普通の人間の街などであれば問題ないだろうが、ここはアンデッドの徘徊する沈黙都市。長らく旅の者が訪れることすらなかった死の都に、突如として現れたルプスレギナは大いに怪しすぎる来訪者であることは、想像するに難くない。
「リンク。皆を小屋に戻してあげて。それから餌と水も。そうしたらルプスレギナさんに、お茶の用意も」
「……わかりました」
若干以上に憮然としながら、少女は狼たちを引き連れ、上の階へ姿を消した。未知の相手を前に、全盲の兄を一人残していくのは如何なる理由が込められているのか。
おそらくは信頼だろう。兄であれば、この程度の相手にどうかされないという、絶対的な確信がそうさせているのだ。
リンクたちが完全に離れたことを確認するように、青年はしばしの時を待つ。ルプスレギナも、そんな彼の様子に合わせるようにしつつ、決して笑顔は絶やさない。決して隙を見せるまいと強く決意しながら、彼の次の行動を待った。
そして、彼は口を開いた。
「他にも何人かいらっしゃるようですが、貴女の護衛でしょうか?」
ルプスレギナから貼り付けていた笑顔が消えた。
彼は影に潜むもの四人と、天井や壁にはりついている足の多いもの六人を正確に言い当てる。
さすがに戦闘メイドをして、これには驚愕するしかない。
この世界に来てから、初めて相手の底を見誤ったと自覚した。自覚できた。
ンフィーレアやエンリの重要性をアインズに説かれるまで知りえなかったはずの人狼が、よもやこんな青年に対してこのような感慨を抱くとは。
「ああ。お気になさらないでください。姿を見せないのは、あなたを護るために必要なことだからだと分かっているつもりです。それにしては随分と多い気がしますが、それだけ、あなたは大切な存在なのでしょう」
ルプスレギナは青年の前で大いに鼻白む。
こいつは一体、どういうつもりなのだろうか。
隠れていた存在を看破したくせに、どうしてこんなにもはっきりと笑っていられるのか。
普通であれば警戒心を抱くか、あるいは気づかないふりをしてルプスレギナたちの真意や動向を推し量るくらいしてもおかしくはない。というか、そうしない理由がないだろう。少なくともルプスレギナはそうする。
メイドと自称する来訪者に対して、彼は何の臆面もなく呟いていた。
「あなたの主は、とても優しい方なのですね」
「当然です」
冷厳な、普段の彼女の様子からは想像もできない口調が、短く返答していた。
いと尊き御方、アインズ・ウール・ゴウンの慈悲深さは、ルプスレギナ程度では決して推し量れないもの。思わずマジな口調で答えてしまったのも無理はなかった。
彼の言葉は、人狼のメイドの琴線に触れるものであったが、それでも、警戒の用は依然として存在する。
ルプスレギナは改めて笑みを表情に貼り付けた。
そして、彼の方へと歩み寄る。
「この際なので、ちょっとお聞きしておきたいんすけど、いいっすか?」
「はい。僕で答えられることでしたら?」
彼は全く怖じる気配もなく、軽い気持ちで請け負っている感じで返した。
「あなたは一体、何者なんすかね?」
ルプスレギナが至近で感じる限り、彼はビーストマンでもアンデッドでも、ましてや当然人間でもない。
単刀直入なメイドの問いかけに、青年は納得と共に首を縦に振った。
「僕は、今は絶滅し失われた種族――」
呟く声に重みはなく、よく透る声に暗い影はない。
「“
【続】
ここまで読んでくれたあなたに、感謝の極み。
そして、言い訳タイム。
ここからは読み飛ばしていただいても構いません。
第二話でまたお会いしましょう。
プレアデスの逢瀬シリーズにおいては、あくまでもナザリックの戦闘メイドである彼女たちのカップリング……恋愛事情が見てみたいという作者の空想から始まったのですが、割と早い段階でカップリングが成立しそうにない娘が判明しました。
それが、次女のルプスレギナ。
カルネ村に派遣され、ナザリックの同胞との絡みは必然的に少なくなり、またナザリック内で彼女と近しい種族も現在いないことから、他の姉妹たちとは違い「宙ぶらりん」な感じになってしまったわけです。一作目~四作目までは順当に成立し、残るユリ姉についてもアンデッドということで御相手には事欠かなかったのですが、さすがに人狼と絡めそうなのは発見できませんでした。
そこで、オリキャラです。
といっても、彼はあくまで現地人です。ユグドラシル関係者ではありません。
ルプスレギナはナザリックの外で活動している割に、ナザリック外の存在を完全に見下している節がある(他にも何人かいるけど)ので、そんな彼女の意識を良い方向に転換するにはどうしたらいいか、駄犬という汚名返上の為にはどんな人との出逢いがあればいいのかと思い至った結果が、拙作に登場する「沈黙都市の孤狼」――現地にいてもおかしくない、ビーストマンがいて人狼がいないのは不自然、あるいは何か理由があって今では絶滅している種族設定etc――ということなのです。かなり苦しい言い訳だぁ。
しかしながら、オリキャラの投入についてはかなり悩みました。
こうする他に道はないのか。こんな設定で読者は満足するのか。オリキャラというだけで拒絶されないか(いや、される)。他の姉妹たちのように、幸せ甘々なストーリーになりえるのだろうか。
彼は、現在作者の空想病がせっせと書き溜めているオーバーロード二次創作の長編連載にも顔を出すキャラですので、どうせ出すなら遅いか早いかだけだよなと開き直りの境地で、今回の投稿に相成りました。
本当にごめんなさい。
それでは、また次回。 By空想病