Treasures hunting-パンドラズ・アクターとシズ・デルタの冒険- 作:鶏キャベ水煮
いまシズは衛星都市カルネの検問所の中にいる。目的はもちろん、ビーストマンのライオと遊ぶため。ヘロルに案内されて、さっきライオが仕事をしていた場所に近づく。
--トクン、トクン。
ないはずの心臓が高鳴る音が聞こえる。手をぎゅっと握って気持ちを落ち着けようとしていたら、通路の先から女の人の叫び声が聞こえてきた。
「私は商人ではない! 正義を行う善なるパラディンだ! 聖王国からエ・ランテルを目指して旅をしてきた。名前はオフィーリア・マルク・リベイル。こっちは友のシュレリュースだ」
どこかで聞いた気がする声。どこだろう。それにシュレリュースっていう単語も。
記憶を探っているとヘロルが話しかけてきた。
「申し訳ございません。クレア様、いえシズ・デルタ様」
「……クレアで……いいよ」
「そうでございましたね、クレア様。様子を見てきてもよろしいでしょうか」
「……シズも、気になる」
「かしこまりました。ですが、可能性は低いと存じますがクレア様に危害が及ぶとアインズ様に申し訳が立ちません。できれば私の後ろにいて下さると助かります」
「……わかった」
ヘロルの事を見上げながら頷いた。そのままヘロルの影に隠れるようにして先を進む。それにしてもシュレリュースってどこで聞いたんだっけ。ナザリックじゃないし、ということはナザリックの外で聞いた名前……。あ! そういえばカルネに来る途中にそんな名前のナーガがいた気がする。
ヘロルの背中を見つめながらそんなことを考えていたら、大きな身体を窮屈そうに小さくしているナーガとうるさそうな女の人が見えた。ライオが二人の相手をしている。
「わかったわかった。そっちのナーガはトブの大森林からだったな。なら通行料はナシだ。だが、そっちの人間の女! お前は銀貨一枚。単なる旅人なら銅貨五枚なんだがな」
「だから! 私は商人ではないと言っているだろう!」
「うふふふ。どちらにしろあなたの所持金じゃカルネに入れないわね」
オフィーリアがシュレリュースを凝視してる。
「私をそんな目で見つめるな!」
シュレリュース、すっかり元気になった様子。よかった。人間の女の人は相変わらずうるさそう。
ヘロルの影に隠れて様子を見ていたら、シュレリュースがシズに気付いた。
「うふふふ。あら? あなたはさっきの……」
シュレリュースの言葉に、その場の全員の視線がシズに集まった。ライオはなぜかシズを見た途端に、耳を垂らして尻尾を丸めた。
「……」
なんだかエクレアみたいでかわいい。思わずストーカークラスのスキルを使用しちゃった。後で遊ぼうね。
ライオの事をうきうきしながら見ていたら人間の女の人が大きな声を出した。
「間違いない! さっきの女の子! えと、名前は……」
ヘロルと目が合う。
シズは頭を振ってからヘロルの前に出た。
「……クレア」
「クレアという名前なのか。いい名前だな」
人間の女の人がエクレアと一緒に考えた名前を褒めてくれた。嬉しい。
「……ありがとう」
「うむ! さっきは急すぎてお礼を忘れてしまったからな。正義のパラディンとしてあるまじき行為だった。私はオフィーリア・マルク・リベイル。こっちのナーガはシュレリュース。危ない所を助けてくれてありがとう! ヴァルキュリア様のご加護がクレアにもあらんことを」
人間の女--オフィーリアという名前--の人が、胸に両手を掲げて祈るポーズを取ってる。
ヴァルキュリア。アップデートで失墜したという女神の事かな。たしか昔、やまいこ様たちがそんな話をしていたとユリから聞いたことがある。
そんなことを考えていたら、突然頭の中に声が響いた。たしかこれは……パンドラズ・アクターからの≪メッセージ/伝言≫。
『CZ2128Δ、よろしいですか』
「……待って」
パンドラズ・アクターから≪メッセージ/伝言≫の魔法がかけられた。しかもシズを正式名称で呼んできたのだから、きっと緊急連絡。
一言断ってからヘロルに視線を戻す。
「……ヘロル……連絡、来た」
それだけ言うとヘロルはすぐに納得してくれた。
「かしこまりました。ライオ、クレア様を別室に案内してきますので仕事を続けていてください」
ヘロルがそう言うと、すぐにシズを案内してくれた。
ライオ、もう少し我慢してね。心の中でそう呟いてからヘロルの後を追った。
「パンドラズ・アクター様からでしょうか」
「……うん」
別室に向かう途中でヘロルが話しかけてきた。
「では、あの部屋がいいですね」
ヘロルはそう言って進んでいく。少ししたら扉の前でヘロルが立ち止まった。
「この部屋は防音が施されており、窓もありません。ここなら多少の事なら防げるはずです」
「……うん」
「それでは私はライオたちの元に戻ります」
「……ありがとう」
ヘロルはそう言い残して部屋から出ていった。念のためにインフィニティ・ハヴァサックから情報対策用に作成されたいくつかの本を取り出す。情報対策の魔法が使えないシズのためにとアインズが用意してくれたもの。それらに封じ込まれた魔力を順々に解き放つ。
「……パンドラズ・アクター様……いいよ」
用意した本を全て使用してからパンドラズ・アクターに答えた。
『了解です。CZ2128Δ、私とあなたにお父上から勅命をいただきました』
抑えているけど興奮を隠しきれていない、そんな声。
パンドラズ・アクターが興奮するのも分かる。アインズからの命令はナザリックに属する者なら誰でも喜ぶ。
シズもじんわりと嬉しさと緊張が沸いてきたような感覚になった。
「……勅命?」
『その通りです。内容は先ほどカルネに来る途中で助けた人間の女、名をオフィーリア・マルク・リベイル。この女に近づき、この女の情報を調べることです。この女はプレイヤーの可能性があるそうです』
「……プレイヤー」
プレイヤーと聞いて悪い思い出が蘇る。昔、ナザリックにたくさんのプレイヤーが土足で侵入したこと。
至高の御方々がそれらを返り討ちにしたという話だけれども、心の奥にはナザリックを侵した者たちに対する苛立ちを感じる。でも、オフィーリアからは話に聞くプレイヤーのような強者の雰囲気は感じない。むしろ、ヘロルに少し勝るくらいの実力だと思う。
疑問を感じながらも、パンドラズ・アクターにオフィーリアが検問所にいることを伝える。
「……その人……いま近くに、いる」
『近く、というと検問所ですか』
「……うん」
『ふむ、ではCZ2128Δ。足止めをお願いできますか。私もすぐにそちらへ行きます』
「……うん」
パンドラズ・アクターからの魔法が途絶えた。
プレイヤー、そんな雰囲気は感じないけど意識するとそう思えてきた。
いつでも戦えるように近接戦闘用のガンナーの装備をアイテムボックスから取り出して装備する。
うん。これならすぐに戦える。念のためにアインズからもらった支援魔法が込められた本を取り出す。
「……《グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化》」
これでレベルの低いシズでも少しは役に立つ、かも。
装備を元に戻して気持ちを落ち着けてからヘロルの元に向かった。でも、足止め? 足止めといっても何をすればいいのか分からない。
考え事をしていたら女の人の叫び声が聞こえてきた。
「だーかーら! 私は商人ではないと何度言えばいいんだ!」
「もうわかったから。早く銀貨一枚置いて出ていってくれ。仕事が進まん!」
「私は 商 人 で は な い !」
「うふふふ」
まだやってた。オフィーリアも早くお金を出せばいいのに。でも、この調子なら足止めをしなくてもよさそう。
「あら? クレア様、もうよろしいのですか」
「……うん」
ライオはさっきと違って、耳をぴんと立てて尻尾も力強い感じ。すっかり元気になってオフィーリアと言い争っている。あんな雰囲気も出せるんだ。頑固な検問官と頑固な旅人ごっこもいいなあ。
「クレア嬢、こちらにいらっしゃいましたか」
幸せな気持ちになっていたら、後ろからパンドラズ・アクターの声が聞こえた。せっかくいい気持ちだったのに。
抗議をするような視線をパンドラズ・アクターに向けるために振り向いたら、目の前が真っ暗になった。
「おやおや、抱き着くとは。クレア嬢は情熱的なお方だ」
「……」
抱き着いたわけじゃない。振り返ったらそこにパンドラズ・アクターの身体があっただけ。それにルプスレギナみたいに頭をぽんぽんされると腹が立ってくる。
「お前は!」
シズを抱く腕に少し力が籠った。
「これはこれは。綺麗な薔薇には棘があると言いますが、あなたのような美しい女性にそのような言葉は似合いませんよ」
「う……美しくなんか」
背中からオフィーリアの声がしぼんでいくのが分かった。パンドラズ・アクターの軽口を真に受ける必要はないのに。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はパンドラズ・アクター。以後、お見知り置きを」
この卵頭、自然に名前を言い放った。相手はプレイヤーかもしれないって言ったのはパンドラズ・アクターなのに。それに、頭を押さえつけられていてパンドラズ・アクターの体から離れられない。この卵頭は何を考えていいるの?
しばらく抵抗してみたけど、全然だめ。《グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化》の効果が出てるはずなのに。悔しい。
「パンドラズ・アクター。普通の名前ではないな。誰かに付けられた名前か? 例えば領主とか」
「いかにも! この名前は偉大なる私のち……いえ、私の支配者に直接名付けていただいた尊き名前なのです」
父上って言おうとしたみたい。でも、すぐに落ち着きを取り戻した声になった。
パンドラズ・アクターの足が震えている。嬉しそう。
「そうか! 支配者というくらいなのだからどこかの国の王なのだろう。王から名を頂いたというのならその興奮も納得できる。私の名はオフィーリア・マルク・リベイル。このナーガは友達のシュレリュースだ。さっきはシュレリュースの危機を救ってくれてありがとう」
「私はクレア嬢が飛び出したのを追ってきたに過ぎません。お礼ならクレア嬢に」
話が違う。別にいいけど。
「いや、パンドラズ・アクター様も同様だ」
「オフィーリア嬢、様は要りませんよ」
「そうか」
「パンドラズ・アクター様、いいですか」
ライオの声! どうしたのかな?
「君は……」
「ライオですわ。パンドラズ・アクター様」
ヘロルがパンドラズ・アクターにビーストマンのライオを教えた。
「何でしょう、ライオ君」
「何やら縁があるご様子ですが、今この女をどうしようかヘロリエル様と相談していたところなんですよ」
ライオが不満げな声をパンドラズ・アクターに向けた。
「オフィーリア嬢の処遇がどうかしたのですか」
パンドラズ・アクターの声がライオとは違う方向に向かった。相手はヘロルかな。
「それが、こちらの女性はどうやら通行料が払えない様子でして……。かといって、装備や言動から門前払いするには後々問題になる可能性があります。いま、部下であるエルフのリザに確認を取ってもらっているのですが、時間がかかっている様子なのです」
少し歯切れが悪い様子のヘロル。
「なるほど」
「そうなんですわ。商人なら通行料くらい用意してくるもんですがそういうわけじゃねえ。冒険者かと言えばプレートを持っていない。犯罪者か調べてみればそれも違う。浮浪者かと思えば身に着けている装備もなかなかいい。こんな文無しは初めてでして困っているんですよ」
「私を馬鹿にするな! 聖王国にあるヴァルキュリア神殿からの試練を成し遂げるためにエ・ランテルに向かう途中なのだ! それに文無しではないぞ。ちゃんと銅貨四枚持っている」
背後から鈴を鳴らしたような音、控えめな音がした。
「うふふふ。試練の内容は言わないのね」
「そそ、それは関係ないだろ!」
シュレリュースとオフィーリアが言い争っている声が聞こえる。仲が良さそう。
「人間の女ぁ、銅貨四枚じゃどっちみちカルネには入れねえじゃねえか」
「むぅ。ならこの薬草を少し置いていくからそれで通してはもらえないだろうか」
「はぁー。所長、どうしやすか」
「困りましたねぇ」
ヘロルの声は本当に困っている様子だった。そんな時、パンドラズ・アクターがオフィーリアたちに助言をした。
「そういうことでしたら私がオフィーリア嬢の身分と通行料を保証しましょう。あそこで出会ったのも何かの縁です。代金は薬草を売ったお金で返していただくという事で結構ですよ」
「パンドラズ・アクター、本当か!?」
オフィーリアがはしゃいだような声を出した。
「パンドラズ・アクター様、よろしいのですか」
「構いません」
「パンドラズ・アクター様がそうおっしゃるのであれば」
ヘロルは少し戸惑った様子だったけど、パンドラズ・アクターの言葉を聞いて納得したみたい。
少ししてライオがオフィーリアに告げた。
「よし! おふぃーり・まーく? 畜生! 人間の名前は長すぎるんだよ! カルネに入っていいぞ! パンドラズ・アクター様にしっかり礼を言っておくんだな」
「もちろんだ!」
ライオの舌足らずなところもかわいい。
オフィーリアたちが近づいてくる足音が聞こえる。
「パンドラズ・アクター、ありがとう!」
「礼には及びませんよ。それと、薬草を高く買い取ってくれそうな場所を知っています。もしよろしければご案内しますがどうしますか」
「本当か!? お前、いい奴だな」
パンドラズ・アクター、張り切ってる。アインズからの勅命だからかな。
「うふふふ。あなたの心が読めませんわ」
「心を読むまでもありません。あなたたちのことをよく知りたい。それだけのことです」
「うふふふ。悪そうなお顔ね」
「シュレリュース! パンドラズ・アクターは悪い奴ではないぞ。パンドラズ・アクター、頼む」
シュレリュースの言葉を聞いてはっとした。そういえばシュレリュースは相手の心を読む能力があった。シズを抱きかかえた理由はこれ? そう思ったら、パンドラズ・アクターがシズを押さえていた力を緩めた。
「クレア嬢、私はこちらのお嬢様方をエスコートしてきます。あなたはどうしますか」
シュレリュースの能力をいなすことができるなら付いてきてもいい、ということかな。だとしたら、シズにそれをする自信も実力もない。さっきも、パンドラズ・アクターに抱き着かれなければオフィーリアに疑いの目を向けていた。絶対に。それをシュレリュースに見抜かれた可能性は高かった。
「……」
だから、首を振って付いて行かないことを示した。
「そうですか。ではヘロル、クレア嬢をお願いします」
「かしこまりました。パンドラズ・アクター様」
シズはパンドラズ・アクターから離れてヘロルの元に行く。
「それでは行きましょうか。オフィーリア嬢、シュレリュース嬢、こちらです」
「おう!」
「うふふふ」
そのまま、三人は検問所を出てカルネに入っていった。
パンドラズ・アクターだけに任せるのは違う気もするけど、シュレリュースがいるとシズのせいでナザリックの思惑が筒抜けになってしまう。今回は残ることが正解。わざわざ足手まといになりに行くことはない。そうやって言い訳を考えていたら、ヘロルが声をかけてきた。
「クレア様、色々ございましたが今ならライオを紹介できます。いかがいたしますか」
ヘロルの言葉に胸が高鳴る。そう! ここに来たのはライオと遊ぶため。
三人が去って行った方からヘロルに向き直る。
「……紹介……して」
たったそれだけ言うのに、かなり恥ずかしい気がした。
ヘロルからは優しい雰囲気が伝わってきた。
「かしこまりました。ライオ、こちらへ来なさい。あら?」
「……」
ヘロルの声の様子がおかしい。不思議に思って検問室を見渡すと、ライオがいない。
「クレア様、申し訳ございません。ライオが席を外しているとは……。すぐに見つけて連れてきます」
「……大丈夫。……場所、わかる。……探して……連れて、くる」
ライオに初めて会ったとき、思わずストーカークラスのスキルでマーキングした。だから、スキルを発動すれば今どこにいるか分かる。エクレアと同じような行動をする所に胸がきゅんとする。でも、仕事を放り出して姿を消すのはちょっとおかしい。何かあったのかな?
「クレア様にご迷惑をかけるわけには」
「……迷惑じゃ……ない。……大丈夫。……ヘロルは……仕事、してて」
ストーカークラスのスキル、≪ターゲット・トラッキング/標的追跡≫を発動する。ライオを見つけた。
「ですが、クレア様」
「……問題、ない」
そう言って、ヘロルを執務机まで押し出す。
ここはヘロルの守護領域。シズは自由に行動できる。それなら、シズが探しに行くべき。
「……任せて」
「クレア様」
シズはヘロルの事をじっと見つめた。
「かしこまりました。クレア様がそこまでおっしゃるのであれば。誠に申し訳ないですが、よろしくお願いします」
「……」
ヘロルはシズの事を信じてくれたみたい。今度はシズが応える番。
「……行って、きます」
シズはヘロルにそう告げて検問所を出た。目指すはシズから離れていくライオの気配。ビーストマンの種族スキルか知らないけど、それなりに早い。シズが少し本気を出せばすぐに追いつける速度だけど。それに、いまは≪グレーターフルポテンシャル/上位全能力強化≫の効果で全ての能力が向上している。だから大丈夫。
シズはライオの反応を追って駆け出した。
△
ライオは疾走していた。
煌くストロベリー・ブロンドの髪をした美少女から、あの冷たく輝く翠玉の瞳から逃れるために。
「はっ、はっ、はっ」
パンドラズ・アクターと共に現れたロリータドレスに身を包んだ美少女。ライオが彼女を初めて見た時は特に印象には残らなかった。ヘロリエルの上司に当たるパンドラズ・アクターが連れてきたのだから、お偉いさんなのだろう。その程度の印象しか持っていなかった。しかし、美少女から自分の机に視線を移して間もなく、心臓が止まりそうになるくらいの恐怖を感じた。
「はっ、はっ、はっ。あの視線、背後からドラゴンに喰らいつかれるかと思うほどヤバかった。あの時はすぐにどこかへ行ったが人間の女の相手をしている時に戻って来やがった。しかも所長と親し気じゃねえか。狙いは絶対に俺だろ! 畜生!」
ライオはカルネの街を屋根伝いに疾走しながら独り言つ。
ライオの勘は正しい。ヘロリエルと連れだって戻ってきた美少女、シズ・デルタの狙いはライオだった。それをビーストマンの一般的な種族スキルが働いて見抜いたのだ。それからの行動は早かった。
本来なら狩りをする時に使うスキルを使用して、ヘロルとシズがパンドラズ・アクターたちを見送っている隙に息を殺して立ち去ったのだ。
「はっ、はっ、はっ」
ライオの逃走は続く。
衛星都市カルネを上空から俯瞰すると面白い街並みだ。エ・ランテル側からナザリック側を順々に俯瞰すると、広大な畑が広がり、検問所と両脇に広がる農業従事者の家が続く。そこからは都市の内部へと続く馬車用道路を挟むように多彩な商店が都市の中心部に広がる。
商店の外周には薬師、鍛冶、魔法、食料、生活用品、娯楽、旅客者用の工房兼民家や研究施設、宿泊施設がぐるりと円を描いている。
最外周部はカルネを根城にしている住民の民家が立ち並ぶといった具合だ。もちろん、ここはあらゆる種族が共存する魔導国の都市。各種族の趣向が反映された民家の外観は千差万別で観光名所ともなっている。そして、ナザリック側に検問所、カルネの外れにはドラゴンの離発着場が設置されている。
「オオオアアアアアアアア!」
「うおおおおああああおお?」
唐突に、不気味な雄叫びがライオを襲う。きょろきょろと、辺りを見回したライオはほっと胸を撫でおろした。
「んだよ! デス・ナイトじゃねえか! 驚かしやがって」
眼下に広がる石畳。その一角にいたデス・ナイトが雄叫びを上げていた。
ライオからはデス・ナイト--建物に隠れて兜だけしか見えない--の全貌を窺うことができないが、何か小競り合いがあって仲裁にでも入ったのだろう。
ライオはそう判断して先を急いだ。
「はっ、はっ、はっ。これだけ走っても震えが収まらねえ。すぐ後ろにあのガキがいる気がしてならねえ」
ライオは商店の屋根を飛ぶように駆け抜けながら、しきりに後ろを振り返っていた。
「へっ、へっ、気にしすぎだな。ただの人間のガキが俺様のスピードについてこられるわけがねえってのによ。第一、あのガキが俺様を追っているかどうかなんてわかりゃしねえのに」
カルネの最外周部、民家が立並ぶ区域まで辿り着いたライオはもう一度、慎重に後ろを振り向いてから深くため息をついた。
「……」
「っ!?っと。後ろには誰もいない、か。そりゃそうだよな」
ライオの背後を見渡せる範囲には誰もいなかった。
「だが、俺の勘が言っている。奴が俺を追ってきていると。俺は俺の勘を信じるぜ」
ライオは屋根の上から地面に視線を移すと一息に飛び降りた。レベルが低い人間ならば、着地した時に怪我をしてしまいそうな高さだが、ビーストマンであるライオには問題がなかった。
レガートを利かせるようにして着地から移動を滑らかに済ませると、カルネの最外周部にある行きつけの酒場を目指す。酒場なら、あの人間のガキが入ってくる心配はない。それにこの震えを止めるには酒で忘れるしかないというのがライオの考えだった。
「とりあえず、あそこなら問題ないはずだ。ガキは入れないし、そもそもガキが酒場になんか来ないだろうしな」
目的地の酒場は世界中から集めた酒が置いてあって、住民に人気の店だ。もちろん、ライオが好きな酒も置いてある。本来はもっと都市の内周部に店を構えるのがベターだが、店主であるドワーフは気心の知れた仲間と酒を飲みたいということで住居区画に店を構えたのだ。今では知る者ぞ知る穴場スポットとなっている。
「所長には後で体調不良で早退すると連絡しておこう。パンドラズ・アクター様は明日にはエ・ランテルに行くはずだから、それまであのガキに近寄らなければいいはずだ」
一歩、また一歩と安全地帯に近づくことで、ライオは落ち着きを取り戻しつつあった。子どもたちが奏でる喧噪がライオの心に心地よく響く。何も心配する必要はない。日常的な光景だ。路地を抜けて少し進めば行きつけの酒場はすぐそこだ。
「っ!?」
ライオは全身の毛を逆立てて後ろを振り返った。しかし、そこには誰もいない。ライオの心臓が早鐘を打つ。
「はは。ビビりすぎだろおい」
ライオは震え声を上げながら自分に言い聞かせる。
「いくらなんでもすぐ近くにいるはずないだろ。あのガキに俺の行き先が分かるはずもねえし、大体人間のガキが俺より早く走れるとも思えねえ。しっかりしろよライオ!」
自分に檄を飛ばすしつつも、ライオの全身の毛は逆立ったままだ。
「落ち着け、落ち着けよライオ」
ライオはビーストマンの種族スキルを使用して心を落ち着けた。そして周囲を注意深く窺う。探しているのはもちろん、ライオをここまで追い詰めている張本人のシズ・デルタだ。
「街中にいても目立つ格好をしていたからな。探せばすぐに見つかるはずだ」
道を行く者はさほど多くない。それに、シズが着用している黒を基調としたロングスリーブのロリィタドレスに、純白のフリルフレアとスカート部分は純白。前面部がざっくり開いた迷彩柄のハイウエストなどといった格好をしている者がいればすぐに分かる。
「はっ! はっはっはっは! 俺の勘も鈍ったか? 人間のガキが俺様と競争して追いつけるわけねえってのによ。はっはっは」
周囲を窺い終えたライオから笑い声が溢れた。
自分の心配が杞憂に終わったからか、それとも危機からの解放感からなのか、道行く者たちの視線を顧みずに高笑いをするライオ。ライオの視界からは目的の存在が見つからなかったのだ。やがてライオは意気揚々と酒場に向けて歩き出した。その背中からはもう弱気な雰囲気は見られなかった。
「さあ、今日は朝まで飲むぞ!」
酒場の扉に手をかけたライオの独り言は、誰にも聞かれることなく通りの喧騒に溶けていった。
「……」
ただ一人を除いて。
△
シズはライオの事を追いながら何で仕事を放りだしたのか考えていた。
検問所はライオの守護領域。その守護を放棄するなんてどう考えたっておかしい。きっと守護領域から離れないといけない、大事な用事があるはず。
「……」
視界を横切る街並みは新鮮。だけど、いま優先するのはライオを追跡すること。熱を帯びた石畳のおかげで運動性が高まるのを感じる。たくさんの住民たちが奏でる喧噪も、体内の駆動音に比べたら小さい。カルネの景色を置き去りにして、シズはライオのマーカーを追う。
見つけた。
「……」
視界の上方、建物の屋根伝いにライオが走っている姿が見える。
シズは足場になりそうな手ごろな建物がないか探した。
「……」
高さ十二メートル、却下。高さニメートル、推定布製、却下。高さニメートル、推定木材、耐久値目測、却下。
「……」
手ごろな建物がない。どうしよう。ライオが離れていく。
「オオオアアアアアアアア!」
何?
変な声がした方を見る。
「……」
少し先にその声の正体を見つけた。アインズ様が召喚したデス・ナイト。
そうだ!
シズはデス・ナイトの肩に飛び乗った。
「……」
「オオオアアアアアアア!?」
デス・ナイトがびっくりしてる。でも、事情を説明している暇はない。
「……投げて」
「オオオアア……」
「……早く」
「オ、オオオアアアアアアアアア!」
よかった。
デス・ナイトは大きな声を出してシズを屋根の上に投げてくれた。これでライオを追跡できる。
「……」
ちょっとだけ時間をロスしたせいでライオを見失った。けど、ストーカークラスのスキルはまだ有効。落ち着いてライオの居場所を確認。
「……」
見つけた。あの建物の向こう側を移動している。すぐにライオの追跡を再開した。
でも……、ライオが領域の守護を放棄しなきゃいけない理由って何かな。領域の守護を放棄する理由……、わからない。ナザリックの中で仕事を放棄した守護者はいたかな? シャルティア……。
「……」
たしか、シャルティアは自分の欲を抑えきれずに失敗をしたってルプスレギナが言ってた。そのせいでアインズ様を危機に晒したって。でも……。その後は反省して失敗を挽回したともユリが言ってた。
ライオも同じなの? 領域の守護よりも自分の欲を優先するのかな。ううん、ライオはそんなことしない。しないよね?
きっと理由は他にある。
「……」
ライオが見えた。何だか、何度も後ろを振り返ってる。すごく怯えた様子。そんなに大変な状況なのかな? だけど、どこかエクレアに似ててちょっとかわいいかも。そうだ! アサシンクラスのスキル≪クローキング≫発動。すぐ近くまで行ってみよ。
「……」
間近で見ると、顔がすごくもこもこしててかわいい! それに毛を逆立てて本当にエクレアみたい。
「っ!?」
あ! びくって震えた! かわいい! そんなに怯えなくても大丈夫だよ? シズはライオの味方だから!
ライオの姿に見惚れていたら、少し距離が離れた。気を取り直してライオを追う。
また少し進んだらライオが地上に降りた。シズもライオを追って地上に降りた。ライオの後ろ姿もかわいいな。
「……」
ライオはどこに行くつもりなのかな。そう考えながらライオの背中をじいぃっと眺めていたら、またシズの方を見た! かわいいなぁ。一緒に遊びたい。
そのままライオの事を追跡していると、視線の先にバーが現れた。たぶん、バーだと思う。ナザリックのバーでよく見るグラスが彫られた木彫りの看板があったから。
「……」
ライオは大きな声を出すと、バーに入った。ここで領域の守護から離れなければいけない、大事な用事を済ませるのかな。
どうしよう。ライオを連れ戻すことをヘロルとの約束した。でも、とても重要な用事で検問所から離れたのだとしたら、邪魔はできない。
「……」
それなら、それならシズは待ってる。
ライオが領域の守護をするために、どうしてもしなければいけない用事を終えるまで。