Treasures hunting-パンドラズ・アクターとシズ・デルタの冒険- 作:鶏キャベ水煮
善なる力が満ちている神殿。聖なる水溜まりに薄布を纏った女が水浴びをしている。
夜明けの海を彷彿とさせる鮮やかなアズライト色の髪を結い上げ、桶に満たされた聖水を美しい肢体に打ち付けている。薄布はその役目を果たせず、女の曲線を露わにする。
水面に映った後ろ姿は引き締まっているが華奢だという印象はない。鍛錬の跡がはっきりと表れ、桶を持ち上げる様子からも背後を襲えるような隙が見えない。しかし、腕が上げられる度に脇からこぼれ落ちるおっぱいを見れば本能のままに襲う者が出るかもしれない。だが、ここは男子禁制の神殿。同性でじゃれあうことはあるかもしれないがそれ以上はない、はずだ。
ひとしきり水浴びを終えた女は、胸に挟んでいたネックレスを取り出しチェーンに装着されたクリスタルを握って祈りを捧げた。
--ヴァルキュリア様、どうか試練を受ける私を見守っていてください。
静寂が女を包み込む。
どれくらい時が経過したのだろうか。ちゃぽんという水が滴る音が静謐なこの場に木魂した。同時に女は立ち上がり天井を見据えて光を放った。
「≪ホーリィ・スプレー≫」
光の水しぶきが天井に到達する前に何かに接触した。天井で息を潜めていたのは不可視化していた悪魔だった。断末魔の叫びを上げて悪魔は女の魔法によって浄化される。
「悪魔め! 神聖な儀式の最中に邪魔をするなど不届きだな。不愉快だ。だが、ここは女神ヴァルキュリア様を信仰する神殿。お前も自らの存在と邪悪なる心を悔い改めるならばヴァルキュリア様も赦して下さるはずだ。地獄に落ちる前にお前の行いを反省しておけ」
消えゆく悪魔を見下ろして女はそう吐き捨てた。清めの儀式を邪魔されたことで女は憤怒していた。この怒りを鎮める手段はいくつかあるが。目を閉じて怒りに燃えた頭で冷静に考えを巡らる。そして一つの結論を導き出した。
女はうっすらと目を開けると半歩、体を翻して隅に控えていた少女に声をかけた。女性としては低い声がその場に響く。
「邪魔は入ったが、身体の清めは終わった。神殿長の元へ向かうぞ」
「かしこまりました。オフィーリアお姉様」
身体に張り付いた布を脱ぎ、控えていた少女から乾いた布を受け取る。瑞々しい肌に弾かれた水滴を布に吸わせていく。結われた髪から溢れるオフィーリアの香りが少女を襲い、顔を赤らめる。
オフィーリアは肩を拭っていた手を止めて少女の顎を掴んで瞳の奥を覗き込んだ。
「おい、何を赤くなっている? 真面目にやらないか」
「申し訳ございません、お姉様」
「まったく」
水滴を拭き終えて水分を十二分に吸い込み重くなった布を少女に突きつける。鋭い視線と弱弱しい視線が一瞬交錯する。少女は布を受け取るため恐る恐る腕を伸ばした。瞬間、オフィーリアの顔が妖しく歪む。
「ひっ。んむぐ」
オフィーリアは伸ばされた腕を掴んで強引に引き寄せる。態勢を崩した少女を抱き寄せてその耳元で囁く。
「おっと、こんな所で体勢を崩すなんて聖騎士見習いとして良くないな。ちゃんと鍛錬はしているのか? お仕置きが必要かな」
「も、申し訳ありません。オフィーリア様。あの、お仕置きだけはお許しください。」
オフィーリアの胸元から潰された声が漏れる。少女は胸をかき分け、上気した顔で抗議の視線を放つ。その様子を見て嗜虐心を刺激されたオフィーリアは目を細めて少女を射抜いた。
「だめだ。私が試練を果たし帰った時は一晩かけてお仕置きだ。覚悟しておけ」
オフィーリアは言い終わると、満足そうに相好を崩して少女を解放した。
オフィーリアの手から逃れた少女は顔を赤くしながら肩を上下させ、二歩、三歩と後ずさりした。少女の瞳にはオフィーリアの横顔が映る。結い上げられた髪の一部がほつれて、横顔に髪が垂れている。普段は凛とした雰囲気だが、その時だけは何か妖しいものを孕んでいた。
水の流れる清らならかな音がその場を支配する。
オフィーリアは少女が落ち着くまで待って口を開いた。
「装備の準備はできているな」
「はい。できております」
「そうか、ご苦労」
数秒、重い瞬きをしてからオフィーリアは装備--パラディンの鎧--が置いてある場所へ向かった。彼女の表情は真剣そのものだ。
少女はその場にへたりこみ、オフィーリアが去っていく様子を見つめていた。
オフィーリア・マルク・リベイル。鮮やかなアズライト色の髪を持ち、豊かな身体に恵まれた美女の名前だ。年齢は二十二歳。彼女は正義のパラディンである。実力は聖王国南の山懐にあるこの神殿内で一、二を争う。
この神殿は六大神の一柱が伝えたヴァルキュリアという女神を信仰している。『あっぷでーと』と呼ばれる神の裁きにより、その栄光は失墜したと伝えられた。しかし女性の力の象徴として、この地で人気が根付いたのだ。
神殿は世代ごとに有力なパラディンをヴァルキュリアとして選出する。さらに、その補佐としてヴァルキュア・ナイトを決める。オフィーリアはこの補佐候補者に選ばれ、試練を受けるために神殿長の元へ赴くのであった。
部屋の窓からは柔らかい日差しが差し込み海風が流れ込む。
オフィーリアが身に纏うのはアダマンタイトが編み込まれた生地のタイツ。魔導国が特殊な技術を用いて開発した装備だ。足のつけ根を守るのは裾を一周する細かなルーン文字があてがわれたフレアスカート。足元はミスリル製のグリーヴで固めて、聖王国のシンボルマークが描かれた甲冑を装備する。腕の関節まで覆う小手を腰ベルトに引っ掛けたところで、オフィーリアはふと窓の外の景色を見る。
「長かった。だがもう少しだ。あと少しで今代のヴァルキュリアであるイクシア様に受けた恩をお返しすることできる。そのために必ずこの試験を乗り越えて見せる。」
装備を身に纏ったオフィーリアはそう呟いた。この部屋を出ればすぐに試練が始まる。外を眺める彼女が思い浮かべるのは幼い頃からの今までの記憶だろうか。
--行くか。
決意を固めたオフィーリアは踵を返して颯爽と神殿長の個室へ向かった。
カチッ、カチッ、カチッ、カチッ。オフィーリアが歩く音が神殿内に響き渡る。
数分歩いたところでついに神殿長の個室に到着した。
「オフィーリア・マルク・リベイル、試練を受けるために参上いたしました。」
「よく来ましたねオフィーリア。こちらへ。」
「失礼します。」
オフィーリアが個室の中へと入る。個室は積極的に光を取り入れる構造になっていて明るい。さらに善なるエネルギーで満たされていて気分が晴れやかになる。個室には二メートル程の本棚が設置されてあり、中はぎっしりとしている。床には聖なる銀白の絨毯が敷かれており、奥には香木を加工した執務机が置かれていた。
オフィーリアは促されるままに神殿長が座している執務机へと歩み寄る。
「オフィ、立派になりましたね。イクシアがあなたを連れてきた時はどうなることかと思いました。しかし、あなたは周囲の予想を裏切り立派になりました。これも女神ヴァルキュリア様のご加護あってこそでしょう」
「いいえ、神殿長。私如きにそのようなことは身に余るというものです。私はイクシア様に恩を返す。そのためだけに努めてきたに過ぎません。イクシア様、そしてイクシア様が信じるヴァルキュリア様のために」
「うふふ。そうでしたね。あなたはそういう方でしたね。それでは……」
しばし和やかな雰囲気であったが神殿長の言葉に重みが入った。
「……これよりあなたに試練を与えます。心の準備はよろしいですね。」
「はい!」
気合の籠った声がオフィーリアから放たれる。神殿長はその様子を優しい眼差しで見つめていた。
「頼もしいですね。それではあなたに試練を与えます。」
オフィーリアの心臓が高鳴る。
「神殿の外に出て男を知りなさい。そして、愛を育むのです。試練が成功したのならば、あなたの持つネックレスがあなたと愛する者に力を与えるでしょう。」
--は? オトコ……?
オフィーリアには男を知るという意味がわからなかった。彼女が知っている男と言えば幼い頃に悪魔の土地へ行きそのまま帰らぬ父親。それと、聖王国でも有名な魔導国の英雄譚に出てくる英雄だけだ。
オフィーリアはティマイオスという作家が執筆したこの英雄譚が好きだった。それにしても愛を育むというのはどういったことだろう、といった疑問が彼女を支配する。
黙ってお互いを見つめ合う時間がしばらく続き、オフィーリアが答える。
「神殿長、男なら知っていますよ」
真顔で返すオフィーリアを見て神殿長はため息をついた。そして、神殿長は説明をする。
「いいですか? 男と愛を育むということは……」
初めて知る事実に乙女は顔を赤くしていくのであった。
△
セバスの意見で冒険に出る前に、言語の勉強、戦闘訓練をしておくことになった。今日は初めての言語の勉強。セバスとユリがシズを指導するみたい。勉強が始まってからしばらく経った。ナーベラルがうーうー唸りながら頭を抱えて横に座ってる。
「基本的な文字の意味は大体理解できたようですね。いいでしょう。次は文字の組み合わせで変わる意味を覚えましょう」
「……わかった」
「え? え? シズはもう覚えたの? どうしてそんなにすぐに覚えられるの?」
セバス様の教育はわかりやすくて、すぐに基本的な意味は理解できた。ナーベラルもマジックキャスターとして知力は高いはずなんだけど。いまいち分かってないみたい。
「ナーベラル? なぜ あ な た がシズと一緒に勉強をしているの?」
「ユ、ユリ姉様。これは、その、えと、アインズ様のお共をさせていただいた時にもっと言語を理解しておけばよかったと思うことがあって……。だから、もし次の機会があれば……その時に備えておこうと考えたからです」
「ふーん」
ユリが腰を折ってナーベラルの顔を覗き込んでる。ナーベラルはもっとシャキッと答えないとダメだよ。目が泳いでたら信じてもらえるものも信じてもらえなくなる。
「まあいいわ。次の機会が訪れる可能性も無くはないでしょう。アインズ様に仕える者としてその心構えは正しいわ。この際しっかりと覚えておきなさい」
「はい。がんばります」
「……」
よかった。上手くごまかせたみたい。ユリに注意されているナーベラルを見ていたら顔がこっちに向いた。
「シズー? いま笑ったわね? いい度胸じゃない。悪い子にはこうしてあげるわ」
ひどい言いがかり。表情は動かないはずなんだけど。
「……ほへんふぁふぁい」
「……ナーベラル・ガンマ」
セバスの鋭い目つきと厳かな声がナーベラルに突き刺さった。セバスの表情はいつも通り。だけどアインズに会っている時のような重い空気がこの部屋を覆った。
ナーベラルはシズのほっぺをつまんでいた手を引っ込めて冷や汗を流している。そんなになるなら最初から真面目にしていればいいのに。ユリの方を見るとセバスと同じような雰囲気。笑ってるけど目が据わってる。
「ごめんなさい」
重苦しい空気が漂ってる。しょうがないな。
「……セバス様。……続き、早く」
ナーベラルに向けられていた空気がシズの方に来た。けれど、だんだん重さが抜けていくのを感じる。少ししてからセバスがナーベラルに向かって口を開いた。
「ナーベラル、あなたがアインズ様に捧げる思いは大切なものだと思います。……次からは気を付けるように」
「はい」
「それでは文字の組み合わせを用いた学習に入ります」
ナーベラルはすっかりおとなしくなった。ユリからの視線もかなり柔らかくなった気がする。
そんな感じで初日の言語学習が終わった。セバスは公務に出て行った。次は盗賊職の戦闘訓練だけれどソリュシャンの準備ができるまで自習時間になった。横にいるナーベラルは机の上でのびてる。お疲れさま。
「はぁ~。全然覚えられなかったわ。ノシメマダラメイガのくせで私を苦しめるなんて生意気ね。何なの? もっとわかりやすい言語を使いなさいよ」
「……簡単だった、よ?」
「……」
ぐちぐち言葉を垂れ流していたナーベラルが急に何も言わなくなった。そのままナーベラルの頭を見てたら、くいっと顔が回ってシズを捉えた。鳥肌が立ちそうなくらいすごく湿った視線。
「……」
「おしおき」
ナーベ姉にこねくり回されたほっぺをさすりながら転移装置を渡り歩く。さんざんいじられたところでソリュ姉から≪メッセージ/伝言≫の魔法が入った。もう少し早く連絡してくれればいいのに。
目的地の第六階層の円形闘技場に着いた。これから戦闘訓練だ。気持ちを切り替えて中に入ると、そこにはソリュシャンとルプスレギナがいた。ルプスレギナは回復役。
ソリュシャンがシズに気付くとすぐに口を開いた。
「シズ、ようやく来ましたね。すぐに戦闘訓練を始めますよ」
「……うん。……お願い、します」
「本来あなたは後衛職なのだから無理はしないように。いいですね」
「……わかってる」
「回復はまかせるっすよ」
ソリュシャンがシズに近づいてきてマジックアイテムの短剣を懐から取り出した。この短剣には攻撃対象のHPを必ず一だけ残すデータクリスタルが入れられているらしい。アインズが訓練用にと貸し与えてくれたもの。それを受け取って位置につく。
「まずは魔法とスキルを使用せずに一対一から始めましょう。慣れてきたらルプスレギナも戦闘訓練に参加させます。準備はいいですね」
「……。」
「ドキドキするっすね」
ソリュシャンの言葉にこくりと頷いてみせる。ソリュシャンも頷くと戦闘訓練が始まった。
短剣を構えてソリュシャンを見据える。お互いの実力差は明らかでレベルは十一離れている。さらにシズは後衛職でソリュシャンは前衛職だ。前衛職としてのステータスは全て劣っている。だから、勝つことは最初から諦めて格上と相手をする時の技術を身に着ける。それがシズの目標。
地を蹴ってソリュシャン目がけて一直線に突進する。
「単調な動きね」
金属が千切れる音が頭に響いた。視界が回転する。何が起こったんだろう。視線を上げると片手を腰に当て、もう片方の手で短剣をくるくる回しているソリュシャンが見えた。その足元にはシズの胴体が横たわっている。
「……?」
あれ? 何かおかしいな。何がおかしいんだろう。
ソリュシャンがシズの胴体を持ってきて……? あれ?
「ルプスレギナ、シズを回復させて」
「了解っす~。≪ヒール/大治癒≫」
胴体がシズの首に引き寄せられてくる。そっか、体が繋がって初めて状況がわかった。
「ほぇ~。機械人形の傷が癒える時はこんな感じで回復するんすね~。びっくりっす」
「傷が癒えたなら訓練を再開しますよ。シズ・デルタ、準備ができたら言いなさい」
「……」
恐る恐る頷いてみる。動……く? あ、動いた。よかった。そのまま腕、手、足、指と身体を動かしてみる。最後に首を回して問題がないことを確認した。それにしても一瞬の事でよくわからなかった。次はもう少し考えた攻撃をしないと。
短剣をくるくる回しているソリュシャンの方に視線を移した。視線が交錯する。
「……問題、ない。……お願い、します」
「かかってきなさい」
ソリュシャンが短剣を構えた。次はどうやって攻めようかな。
戦闘訓練はしばらく続いた。
見渡す限り赤茶けた荒野。一陣の黒い風が通り過ぎ、幻想的な生命の輝きの奔流が、ある一点に収斂される。後に残るのは青々とした神秘の景色だった。
11巻wktk