ヘタレ系悪役一家の令嬢に転生したようです。 作:eiho.k
右手に車窓、左手にコンパートメントのドア。つまりは進行方向と逆に歩いている私。通路にはそれなりにたくさんの子がいます。私より幾つか年上らしい子や、同じくらいの子。男の子も女の子も、白人も黒人もたくさんいます。
人種のるつぼ、とまでは言えませんがこれまで見たことのない顔がたくさんでついつい周囲を見回してしまいます。
背が高くて真面目そうな子。ちょっとぽっちゃりした男の子に女の子。キラキラした目で隣に立つ男の子を見上げる女の子。なんだか青春って感じがしてとっても素敵ですね。平和な感じがとてもいいと思います。なんて考えながら歩いていた所為でしょうか。ネロを見失ってしまいました。
右を見ても、左を見ても、前にも後ろにもネロがいません。……これはネロが迷子なのか、私が迷子なのか。どちらなのでしょうか。
「ネロー? どこにいるのですか? 怒らないから早く出てきてください」
何度も辺りを見回しますが、ネロは影も形も見当たりません。このまま見つからないのじゃないかとちょっと不安になって、目が熱くなってしまいます。私、というよりも『カサンドラ』は涙腺がちょこっと弱いのです。
けれど今ここで泣くわけにはまいりません。私はしばらくネロを呼びながら歩き回りました。
5分、10分と歩き回っても、ネロは見つかりません。途方に暮れかけて、立ち止まってしまう私です。このまま見つからない、なんてことはない、と思いたいです。ですがウチのネロはとっても、とっても可愛いのです。それにとっても賢いのです。もしかして一目見て気に入った人が連れて行ってしまったのではないか──なんて考えて、本気で泣きそうになっていました。あ、涙自体はまだ流れていませんから、泣いてはいないのですよ?
「どうかした? そんなとこで立ち止まってると危ないぞ?」
「え? あ、ごめんなさい。すぐに退きますね」
唐突にかかった声に慌てながら一歩下がります──が、背中に衝撃が走ります。はい、声は前からでなく、後ろからかけられていたようです。
「ああ! ご、ごめんなさい! お怪我はないですか?」
「や、別に平気だけど……そっちこそ泣きそう。どっか痛めた?」
「いえ、平気です。どこも痛くないです。そちらこそ本当にお怪我はないのですか?」
慌てて振り返って目に入ったのは、手編みらしいセーター。暖かそうなその首元からゆっくり視線を上げればこちらを見るその顔が見えます。艶々の赤毛に白い肌。パラパラ散ったソバカスがとても可愛いアクセントになっています。髪が長ければ三つ編みをしてもらって、赤毛のアンごっこができそうなくらいです。なんて余所事を考えてしまいます。逃避です。
「で、なんか探してたの? さっきからずっとここにいたみたいだけど」
「その、ペットの子猫がどこかに行ってしまって……一緒にお散歩していたんです。でも気づいたらいなくなっていて……」
泣きそうだったことを忘れていたわけじゃないですが、知らない人に変なところは見せられませんからね。我慢していたのに、彼が問うから目がまた、さっきよりも熱くなってしまいます。うう、でも絶対泣きませんよ。
「え、ちょ、泣かないでよ!」
「泣いてません。泣いてませんけど泣きそうです……ネロがいないのです……」
「あーもう! 俺も探すの手伝うから、だから泣くな! で、子猫の色は? 何か特徴はあるんじゃないか?」
「えと、色は黒です。私の手のひら2つ分くらいの大きさで、首には目の色と同じ色の青いリボンを巻いてます」
「ふんふん。で、名前はネロ、と」
言いながら彼は辺りを見回しています。天井を見たり、窓の外を見たり。や、流石に天井に猫は貼り付けないと思うのですが。魔法界の猫ならできるのでしょうか。
私が疑問に思っていたら、すぐ近くのコンパートメントからくぐもった声が聞こえました。
「なんでしょうか、今の」
「俺のツレがいるコンパートメントだ。なんかあったのかな?」
「まあ、ではネロのことは大丈夫ですから戻って差し上げてください」
「えー? そうすると君また泣くんじゃないの? 別に平気だと思うけど、一旦見て、それでまた探すのに付き合うよ」
にこりと笑って、そうして私の手を握って彼は歩き出します。なんでしょう。この慣れた仕草。彼はナンパな人なのでしょうか? でも一緒に探してくれるという優しいところもありますし、きっととてもいい人ですよね。
「リー、どうかしたのか──……って、アレ君の猫?」
「え? あ! ネ、ネロ! あなたって子は何をしているのですか!」
覗き込んだコンパートメント内。お腹を抱えて笑っている赤毛の──私のネロを探す手伝いをしてくれるという彼のそっくりさんの──少年がいて、その目の前に座る黒人の少年。その彼の頭にリボンのないネロが
慌てて駆け寄って、窓際に座る彼の頭からネロを離そうとします。が、ネロは真剣に噛み付いているようで、離れようとしてくれません。どうしよう。彼の額には血が滲んでいます。
「ネロ! ダメです、離れてください。ネロ!」
「う! ちょ、近えって!」
「ッニャ! ニャ!」
「ダメですったら! いい子だからこっちに来て!」
「ッダ! 痛えって! 引っ張るなよー!」
なんだが鳴き声が聞こえましたがそれを無視して半ば無理やりネロを引き離します。無事に私の腕の中に戻ったネロに私はビシリと言い放ちます。躾は毅然とした態度でしなければいけないのです。
「ネロ! 人様に迷惑はかけちゃいけないのです! そんなことばっかりしていると嫌いになりますよ!」
「二、ニャア……」
「そんな風にしょぼんとしてもダメです! 悪いことをしたらどうするのですか?」
「ニャニャニャニュ」
「そうです、謝るのです。きちんとできますね、ネロ」
「ニャウ!」
ピンと尻尾を立ててネロが鳴きます。至極真面目に説教をしておいてなんですが、なんなのでしょう。ネロは本当に普通の猫なのでしょうか。
まあ、そんなことはいいとして、私は手の中のネロを、額から血を滲ませた彼に向き直らせます。というか彼が近いです。なんですかね……彼の頭が私の胸元にあります。……ああ、そうです。ちょうど窓側にネロがいたので、彼を挟んで格闘したのでしたね。はい。すみません。いろいろと当ててしまっていたようです。……言及しなくても大丈夫ですよね?
「ニャニャニャニャー?」
「あ、謝った。猫が謝ったぞ……」
「本当にウチのネロがすみませんでした。私にできることならなんでもしますから……ネロのことを許してもらえませんか?」
「あ、や、別にいいって。その、実は俺が先に手を出したというかなんというか……」
しどろもどろで頭を掻く彼。私がこてりと首を傾げると、大笑いしていたそっくりさんが苦しそうにしながらも言います。
「その子猫、ネロだっけ? がフレッドが出て行ってすぐに入ってきたんだ。リボンをして、きれいにしている猫だから誰かのペットだってすぐにわかったけど、可愛かったしで、リーが撫でようとしてリボンを取っちゃったんだよ。そしたらあのザマ」
「そう、だから俺が悪いんだから気にすんなよ」
「でも怪我をさせてしまっています!」
「あーこんなん男の勲章だろ?」
「でも猫の爪痕はなかなか消えないのです。というかそのままにしておくと、多分痕が残ると思うのです。その、爪だけじゃなく齧ってもいましたし……」
居住まいを正して、考えてしまいます。どうしよう。理由がどうあれウチのネロが怪我をさせてしまっていることには変わりありません。なんとか彼の怪我を癒したいのですが──と考えたところで思い出しました。私、それはもうよく効く薬を持っているじゃないですか、と。
「あ、あの! お嫌でなければ薬があるのです。とってもよく効くお薬なので塗ってもよいですか? 塗って5分もすれば傷はすっかり消えてしまうってくらいによく効くのですが」
「──すげえ効果だな、その薬。いいのか? 貴重な薬なんじゃないのか?」
「いえ。私がよく転んでしまうので、魔法薬学の得意な知り合いが調合してくれたのです。ですから貴重といえば貴重ですけれどたくさん持っているので大丈夫ですよ」
「たくさん必要なくらいケガするの? 君」
ドアのすぐ側から声が聞こえます。そうです。お恥ずかしいことによく怪我します。が、そんなこと、よく知らない人には恥ずかしくて言えません。
「そういうわけではないのですが、その方が心配性で、1年分くらい調合してくださったのです」
しかも経年劣化しないようにって特別な入れ物に入れてです。
本当にどうしてあの人はこんなにたくさん私に薬をくれたのですかね。確かに3日に一度は転んでいましたし、擦り傷、切り傷、痣なんて日常茶飯事でしたけれど。彼の心配は別のところに向かうべきなのじゃないですかねえ? ともあれそのお陰でネロがさせてしまった怪我を癒すことができますから、結果オーライですよね。
「それでは塗りますね」
平べったいクリーム用の缶の中。内容量とは見合わないくらいに実はたっぷり入った薬を一掬いします。実はこれ、『検知不可能拡大呪文』がかけられているのです。私の薬入れのためにこんな高等魔法を使ってしまうあの方はとっても不思議な方ですよね。とってもピュアで可愛らしいですし、結構好きな方なのですけれどね。
うっすら血の滲む額、頬と順番に薬を塗ります。ちなみに血が滲んだまま塗っても、その血も消してくれるという優れものです。まあ、本当は先にしっかり洗った方が清潔でよいのですけれどね。
「っあ! っくう……これメチャクチャ沁みるんだけど?」
「すみません。効果を高めるためにそれは犠牲にしているんだそうです……で、でもですね、こうすると少しはマシになるのですよ!」
「は? ちょ、なにを!」
私は薬を塗った箇所にふうっと息を吹きかけます。
そうです。まるで熱いものを冷ますように息を吹きかけると、薬の痛みが和らぐのです。なんだかとっても恥ずかしい仕様のお薬なのです。ちなみに塗ってくださったその時に実践されて赤面したのは良い思い出──とは言えません。だって膝小僧を擦りむいて、跪かれてふうふうされたのですもの。どう考えても恥ずかしい思い出ですよね。