メダロット2 ~クワガタVersion~ 作:鞍馬山のカブトムシ
ぶるぶる。全身と股間に寒気が。尿意をもよおしたイッキは、ママたちに待たなくていいから先に帰るよう言った。
「寄り道せずに帰ってくるのよ」
「分かってるよ、ママ!」
イッキは一目散にトイレへと向かった。
思ったとおり、トイレはどこの階も混雑していた。股で股間にある物を抑えつけて、イッキは数分間トイレを我慢した。
カシャ、カシャと、機械的な歩調。尻尾と手足が電気コードの接続部のような形をしており、真っ赤なぶかぶかなスカートと服を着たような体、頭に猫耳を付けたネコ型メダロットのペッパーキャットが男子トイレにやってきた。主人である女の子でも探しているのだろうと、気にかける者はいなかった。
「ブルースドッグと鋼太夫倒したぐらいでいい気になるにゃ。私はあいつらとは比べ物にならない。あんたはあのクワガタムシの命日でも待っておくことだにゃ」
イッキにさり気無く近寄ったペッパーキャットは、イッキを小声で脅した。そのペッパーキャットの脅しを聞いて、イッキは青ざめ辛そうな表情をした。だが、それは限界まで近づいている辛さであり、そのメダロットの脅しの台詞はとんと聞こえてなかった。
そのメダロットはそのことに気が付かず、自分の台詞で相手がびびっていると勘違いして、満足した様子で去って行った。
正門を出てすぐのところに、スクリューズの三人が立っていた。キクヒメが例のペッパーキャットに話しかけた。
「セリーニャ、イッキとあの虫の様子はどうだった?」
「クワガタの奴はいなかったけど、イッキにはバッチリ。青ざめた顔で身を震わせていただにゃ」
このペッパーキャットはキクヒメの愛機で、名前はセリーニャ。
「へっ! イッキの奴、明日、自分がどういう目に遭うか分かっているらしいな」とイワノイ。
「ああ。泥塗れにしてやろう」とカガミヤマ。
「あたいらを舐めたらどういう目に遭うか。あいつの虫の体にしっかりと刻んでやりな、セリーニャ」
そして、スクリューズは既に勝利したかのように高笑いした。
その頃、用を済ましたイッキは児童玄関で待つロクショウと会った。
「気分は?」
「死ぬかと思ったけど、何とか間に合ったよ。でも、辛かったな。人を押し倒してでも行こうとしたら、僕の心を読んだのかな? 赤いボディのメダロットが『待っておくことだにゃ』と注意したんだおかげで、間違いを犯さずに済んだよ」
「赤いボディのメダロットといえば、先ほどここを通りましたな。猫のような姿をした」
「猫……ペッパーキャットか。まあ、あのメダロットを持っているのは他にもいるし。僕の間違いを押し止めてくれるような心優しいメダロットが、まかり間違ってもあいつらのメダロットということは無いな」
イッキとロクショウは人混みに揉まれながら、ゆっくりと歩いてくれていた四人を見つけて合流した。スクリューズはほくそ笑み、イッキの気持ち爽やか。双方、互いの思惑に全く気付かず。知らぬが仏とはこのこと。
帰宅すると、ちょうどパパも帰ってきた。
夕食の時間帯、イッキとチドリママはパパに試合模様をこと細かく話した。特に、イワノイと対戦したときの心境と戦い方を伝えると、ジョウゾウはいたく感心した。
「男のガチンコアタックってか。まさか、イッキからそんな言葉を聞く日がくるとは夢には思わなかったな」
父親にも褒められて鼻が高くなったイッキを、チドリは諌めた。
「勝手に何万円も使って購入した物なんだし、一回戦で負けていちゃしゃれにならないわ。それに、明日の対戦相手の子はあなたより経験が豊富らしいじゃない。褒めといて何だけど、そうやってすぐ鼻を伸ばしちゃうのがイッキのわるいところよ」
ママに諌められて、イッキは明日の対戦相手が誰か思い直した。第四回戦第二試合の相手は、スクリューズのリーダーキクヒメ。僕より一年半も早くロボトルを初めて、通算ロボトル数はイッキとは比べ物にならない。
ママに諌められてイッキは身を引き締めたが、本音は違っていた。未熟者の僕がカガミヤマ、イワノイも倒せた。キクヒメが強いことには間違いないだろうが、何、僕とロクショウならまず勝てる。
この思考を無理に抑えていたが、ともすると、つい本音が頭をよぎってしまう。
居間のフローリングの床で正座するロクショウも、ついそう考えてしまいそうになる自らを、精神統一することによりその思考を律した。
日曜日、校内ロボトル大会後半戦。三回戦で人数が絞られて、応援席には保護者や参加生徒の友人の代わりに一般の客が詰めかけていた。それでも、昨日より幾分か空いていた。
第一試合が終わり、イッキとキクヒメの第二試合が行われようとしていた。
だが、昨日までの調子はどこへいったのやら、イッキはすっかり固くなっていた。キクヒメと相方のペッパーキャットのセリーニャは、もう慣れているという感じ。
企業参加の一大ロボトルイベントと比べれば、小規模な大会。とはいえ、メダロットを持って一か月も経たない自分が、小規模ながらよく勝ち抜いたな。
やるだけやってみるか。そう思って足を踏み出そうとしたら、思うように進まない。アリカときのほどではないが、また緊張しているようだ。見かねたロクショウが一声かけようしたら、イッキはそれを制止した。
「大丈夫。何時間とはかけられないけど、ちゃんと前進だけはするから」
イッキは綱を渡るようにそっとメダロッター立ち位置についた。
「じゃ、ロクショウ。頑張るか!」
どこかまだ引きずっているが、イッキは多くの人がいる前で溌剌とした調子で喋った。
ロクショウは「うむ」とだけ言って、試合台に
ロクショウが跳躍したセリーニャに切りかかる。空中で動きが取れない状態、勝った。
と、思いきや、セリーニャは猫のように大きく背を反らしてロクショウの一刀を避わし、右腕の電流を帯びたジャブをロクショウに浴びせた。
セリーニャは着地するとバック宙反転、今度も右腕の電流ジャブをロクショウに浴びせた。ロクショウもやられっぱなしではなかった。セリーニャの右腕を掴むと、針状の形をしたマックスネイクの左腕で殴り掛かった。致命傷には至らなかったが、ペッパーキャットのをバランスを支える尻尾と、右腕の接続コードの形をした指二本を貫いた。
セリーニャはロクショウを蹴飛ばし、離れて態勢を整えた。
思っていた以上に、キクヒメとその愛機セリーニャは手強い。イッキはロクショウに索敵の支持を出した。さあ、これで攻撃が当たるようになる。
しかし、相手は当然それを読んでいた。セリーニャは逃げの一手に集中したので、索敵でセリーニャの行動を読んでいるはずのロクショウの攻撃は悉く空振りした。
ロクショウの攻撃は当たらず、セリーニャが逃げるだけの光景が二分間続いた。このままでは埒があかない。少々危険だけど、相手から攻撃してくるのを待って、カウンターでソードの一撃を食らわせる。
「ロクショウ、後二回ぐらい切りかかったら、相手の出方を待ってカウンターだ」
「了解」
試合台の隅に逃げたセリーニャに一刀、セリーニャは転がって回避。最後の一刀を振ろうとしたら、立ち上がったセリーニャが事を急いてバランスを崩した。チャンスだ。
「ロクショウ! そのまま攻撃」
イッキは勝利を確信した。だが、バランスを崩したのはセリーニャの巧妙なフェイントだった。
セリーニャはブリッジで難なくソードの一撃を避わし、ロクショウの無防備な体に左腕からの電流を浴びせた。
「ぐわあああああ!」
ロクショウが悲鳴を上げる。
バランスを崩したのはセリーニャのフェイントだったと、イッキは気が付いたがもう遅かった。ロクショウはセリーニャの左腕と尻尾でがっちりと挟まれていた。
「セリーニャ、頭部ライトサーキットで止めだよ」
キクヒメは余裕を浮かべた酷な笑みで指示を伝える。
「はいにゃ!」
セリーニャの頭部の両耳から、一本の針が生えた。ぼしゅしゅ! ワイヤー付きの両耳が音を立てて飛び出し、右耳がロクショウの左腕肩部、左耳が太腿上部に刺さる。
ばちばちばち! 誰の目から見ても、ロクショウの体に電流が流れ込んでいるのが分かる。
イワノイ、カガミヤマが密かに野次を飛ばす。
このままでは不味い。どうすれば打開できる。焦るイッキを尻目に、キクヒメはどうだ言わんばかりに顔を突き出し腕を組む。
やっぱり、僕らではまだ力量不足だったんだ。既に諦めかけたイッキに、悶えるロクショウがメダロッチから発声する。
「諦めるな、イッキ!」
「ロクショウ! でも、もう」
「確かに今のままでは勝てんだろうが。まだ、私は全ての武器。それと、戦う意欲も……失っていない。勝利には至らずとも、何か方法があるはず」
そうして、メダロッチからのロクショウの通信が途絶えた。
全く考えが無いわけでも無い。でも、あれは元々武器用として設計されたわけではない。威力は知れており、攻撃したこっちのほうがダメージは大きいかもしれない。これで倒せなければ、こっちの負けは確実。それでも、これしか方法が無い。
「ロクショウ! アンテナ!」
これを聞いたキクヒメ、イワノイ、カガミヤマは、何を今更と鼻で笑った。
だが、次の瞬間三人組は目を丸くした。何と、相手のヘッドシザースがあくまで索敵レーダーの補助の役割をする両角で、セリーニャに頭突きをかましたからだ。
セリーニャの顔面と胸部がへこみ、ロクショウの両角が根元から折れる。薄れゆく意識の中、セリーニャはロクショウの顔面を蹴っ飛ばした。
ピン! ロクショウの背面からメダルが外れるのが見えた。初めて見る、自分のメダロットが機能停止する様。ショックのあまり、イッキの思考は停滞した。続け様、またピンと、セリーニャのメダルが外れる音が聞こえた。
引き分け? 見ている誰もがそう思ったが、審判の下した判断は違っていた。
「勝者、キクヒメ&セリーニャ」
ショックで呆然としているイッキの代わりに、アリカがミスター・うるちの審判に抗議した。
「ちょっと! どう見ても引き分けじゃない!」
「いーえ、セリーニャ選手はロクショウ選手より遅くメダルが外れました。あなたも見ましたよね?」
そう言われればそうだった。確かに、セリーニャのメダルが外れるのはロクショウより僅かに遅かった。
審判にそのことを指摘されて、アリカは悔しげに口をつぐんだ。今だ呆然とするイッキに、キクヒメが手を差し出す。
「おー! 何とスポーツマンシップ精神に乗っ取った行動」と、ミスター・うるちが歓喜した。
そうではない。イッキを含む生徒は裏に何かがあると読み取った。イッキが手を握り返すと、キクヒメがぼそりと呟く。
「形はどうあれ、あたいらの勝ち。これに懲りて、今度はでしゃばるんじゃないよ」
ある程度思ったとおりのことを言ってきたので、イッキはさしてショックを受けなかった。イワノイ、カガミヤマがセリーニャのメダルとパーツを拾うのを手伝い。イッキがロクショウの本体を抱えると、アリカがメダルを拾ってイッキに差し出した。
「ナイスファイト、イッキ」
いつもと違い、アリカの
初めて負けた。ロボトルをすれば、何度も味わう経験だと分かっていても、「負けること」がこんなに悔しいとは、イッキは思いも寄らなかった。
イッキとロクちゃん、負けちゃったのね。負けたら、こんな高い物を買っておきながら負けるなんて。と、きつい一言を言おうと思っていたけどやめておこう。
試合台からアリカちゃんと一緒に戻ってきたイッキの顔は悔しさと悲しさで一杯に溢れていて、メダロッチにいるロクちゃんに謝っていた。その態度を見たら、言えるわけが無い。
イッキは優しい子だけど、どこか中途半端というか事無かれ主義で、どんな物事に対しても、それなりにやればいいだろうという感じだった。
そのイッキが、今は一つの物事に真剣全力に考えぶつかっている。言わなくても、顔も見れば分かる。今のイッキの表情は、物事に全力に取り組んだ者しかできない顔をしている。
戻ってきたイッキの肩を抱こうとしたら、ジョウゾウさんが先にイッキの肩に手を置いて、「負けてしまったが、今のイッキとロクショウは本当にかっこう良かったぞ」と我が子の健闘を称えた。
私が言おうとしていたのに。この人、本当こういうところは抜け目なく思える。イッキはまだ立ち直れていないようだ。しょうがない、この単語なら少しでも現実に引き戻せるかもしれない。
「今晩は大好物のカツカレーよ」
「カツカレー」
カツカレーという言葉に一番反応したイッキを見て、やっぱりまだ子供だなとチドリは思った。