メダロット2 ~クワガタVersion~ 作:鞍馬山のカブトムシ
私という存在が起動してから、今日で一週間。
お母上は遠方まで買い物、お父上はお仕事、主人であるイッキは小学校で勉学に励んでいる。
アリカ嬢とのロボトル後、イッキと私は他三名の方と戦い、辛くも勝利を得ることができた。まだまだ、互いに成長段階。これからも、絶え間ない精進を重ねるのみ。
今日の私は留守役。片付けに我が家の愛犬ソルティの餌やりも済まし、やることが無くなった私は読書をした。速読は可能だが、あえて一ページずつ読むことにしている。そうすることにより、物語上の人物の心理、本を書いた筆者の気持ちなどをゆっくりと推測することができるからだ。
残り十ページ、犯人の動機には疑問を抱かざるを得ないが、主役の補完的説明台詞を読んで、何となく納得した。
おかしな話だ。機械であるはずの私が、「何となく」などという曖昧模糊な言葉に納得するとは。
わん、わん!
ソルティが散歩をしてくれて催促する。私は母上から自宅の鍵を預かっている。
「ロクちゃん。ソルティを散歩するときだけは、外出してもいいわよ」
母上はこう言っていた。私は思案した。ニュースなどを見ても、今の世の中は物騒。いくらこの辺一帯の治安が安定しているとはいえ、万が一という場合もある。しかし、ソルティと散歩をして、一人で歩く世界とはどのような感じものかという知的好奇心も湧いてくる。
二分思案したのち、結局、私はソルティの催促に応じることにした。
時期的にそんなに暑くないので、家中の窓を閉めても熱気が籠もることはないだろう。
念には念を入れて、火元などもチェックした。問題無し。
最後はしっかりと施錠。ドアが閉まったかどうか確認すると、地面に打ち込まれた太い釘に巻かれた綱を解き、私はソルティと外の世界へ出かけた。
外へ出ると、始めは隣人であるアリカ少女の母親が話しかけてきた。
「あら、あなたはイッキ君のメダロットで、名前は確か…」
「ロクショウと申します」
「そう、確かそんな名前だったわね。犬のお散歩、よね。どう見ても」
「はい。イッキの母上からは留守を頼まれましたが、ソルティが散歩を催促したら、そのときに限り外出をしてもよろしい許可を貰いましたので」
「ロクちゃんってば、作法がなっているわね。うちのアリカも見習って欲しいわ」
「では、甘酒さん。私はこれにて」
ロクショウは近所からロクちゃんの愛称で通っている。チドリが家でもロクショウのことをロクちゃんと呼び、ご近所さんたちにロクショウのことを話すときもロクちゃんと言っているので、この界隈でロクショウのことをロクショウと呼ぶのはイッキ、イッキパパ、アリカ、ブラスの四人しかいない。
親しみを込めての呼び名なので特に嫌とは思わないが、イッキと同じ小学生から「よっ! ロクちゃん」と小馬鹿にされたときは、さすがに溜め息をついてしまった。
呼び名を気に病んでも仕方ない。私はソルティを連れての外界を堪能することに気持ちを切り替えた。
国道に出て、信号に差し掛かる。赤ランプが点灯しているので、しばし待つ。車道側の信号が赤に切り替わる直前、一メートル離れた横に立つ者が歩き出した。安全と法規を考慮すれば、歩道の信号が青になってから渡るのが普通。
イッキにそのことを問うたが、イッキは無視するに限ると答えた。僕とロクショウが注意したところで、ああいう大人は無視するか、生意気なガキとガラクタだと逆切れする。この二つのパターンが専らであり、素直に聞く者は稀だと言う。
その人物たちには、何かそう至る事情があったのかもしれない。だが、私がそれらの人物に話を伺っても取り合ってくれそうにないし、私がそこまで首を突っ込む資格と必要性も無い。
私は遊歩道の中でも、ここが一番好きだ。涼やかな風がそよぎ、風によって揺らぐ揺れ茂る樹や草花を見ているだけで、心が安らぐ。いつまで眺めていても、飽きない。ソルティはそうでもないようだが。
緩慢な歩行にソルティは退屈してきたようだ。私は名残惜しみつつ、足早に河原道を通った。
帰り道、セブントゥエルブが視界に入った。
このコンビニには、イッキに半ば強制的に私の体を売りつけた店員がいる。その店員は、外でのんびりと体を伸ばしていた。店内で店番をしなくて大丈夫なのだろうか。
私が前を通ると、気の抜けた声で「ん、どうも」と挨拶した。店内を見たら、雑誌コーナーで立ち読みしている男が目に入った。表紙には、艶めかしい恰好の女が写っている。俗的な言い方をすれば、いわゆる「エロ本」であろう。
雌雄がある生物が、異性に興味を持つのは普遍的なこと。あの手合いの本を読む者は出来る状況ではないので、その欲求を解消するために読むのだろう。
さっき河原を通ったときの和やかな気持ちが吹き飛んでしまった。余計な雑念を考えてしまったためだな。
私は更に足早に歩いた。
家から歩いて五分ほどのところには公園がある。園内には、二人の幼児と一体のメダロットが砂場で遊んでいた。彼はカメレオンのような姿形をしている。そのメダロットは私に片目を向けた。
「よう、確か『ロクちゃん』と呼ばれているんだっけ?」
ふむ、見も知らぬメダロットにすらロクちゃんと呼ばれるようになるとは、主婦の噂話の伝達速度は恐ろしい。
園児の一人が私に人差し指を向けて、「あ!ロクちゃんだ」と呼んだ。
あの子は知っている。確か、
ソルティが少女のほうに行こうとする。ソルティは人懐っこく、見知っている人間を見たら、遊んでもらおうとする。まだ、時間はある。私は綱だけはしっかりと握ったまま、ソルティを園児二人と遊ばせた。
一つ気になる。それは、この子たちと遊んでいる彼だ。近所では見たことが無い。
「俺、ナチュラルカラーっていうメダロット。見てのとおり、カメレオン型メダロットさ。俺の主人は爬虫類とかが好きなんでな。ついでに、俺は機体名称がそのまま名前になっている」
私が聞くよりも早く、彼は自ら自己紹介した。
「何故、ここでこの子たちと」
「何故って? 俺の主人はメダロットに関しては放任主義者でな。俺が勝手に出歩いて遊んでも、特に咎められたりはしない。名誉のために言っておくが、山彦は決していい加減な奴じゃないぞ。ちょっと、マイペース過ぎる一面はあるが」
私と彼の間に、香織ちゃんが間に入ってきた。
「ねぇ、ロクちゃん。ナツちゃんと一緒に砂山作ろう?それで、トンネル開けよう」
人間の子供のこの無意味とも思える行動は、将来創造性を育む上で重要なものとなる。とはいえ、後十五分ほどで母上も帰宅するので、申し訳ないが、香織ちゃんには事情を言って断った。
「じゃあ、今度時間があるときは遊ぼうね」
「良かろう」
公園から去る前、私は彼に一つ物を尋ねた。
「もう一度聞くが。君は、何でこの子たちの遊び相手になってあげたのだ?」
「何って、決まっているじゃん。楽しそうだったから遊んだだけだ。なぁ」
彼は同意するように二人を見た。二人は邪気の無い笑顔でうんと頷いた。
彼のきさくな一面は、私に欠けているところだな。私は公園から去った。
私はイッキのことが好きだ。イッキだけではない、母上に父上、ソルティも好きだ。
一週間しか経っていないが、私は彼らのことを好いている。ただ、四六時中付き合いたいかと聞かれたら、首を振る。イッキも首を振るだろう。人間もメダロットも、時には適度に誰かと離れられる時間が必要。だが、彼が助けを求めるようならば、私は四六時中どころかずっと付き合うことも厭わない。
ソルティの綱を釘に巻き付け、私が家の鍵を開けたら、聞き慣れた車のエンジン音が近づく。ちょうど、母上が遠方の買い物から戻ってきたようだ。
萩野香織の名前はお酒がモチーフ。
ロクショウの性格は、目覚めたてだがやや大人な感じ。