「うん、何とも無い」
洗面所で鏡の前に立っていた俺は、自分の瞼を指で開いて見るが瞳は昨夜のように紅くはなっていない。
「レアも大丈夫か?」
「女神は吸血鬼ごときの支配は受けませんから」
レアは自分の首元の傷に治癒魔法をかけながら答える。
「悪かったな、どうせ俺は吸血鬼ごときに支配されましたよ」
俺はベッドに腰掛けると自分の手を開く。
「でも何か今までと違う気がするんだよな。上手く言えないんだけど…レアから見てどこかおかしいところないか?」
俺の言葉にレアは治療を止めて、こちらに近づく。とりあえず傷は塞がったようだが首元が少し赤い。
「そうですね…」
俺の体を眺めるレア。なんだか近くでまじまじと見られると緊張する。そして、俺の目を覗き込んだレアと目が合う。…近くで見ると青い瞳が綺麗だ。
「ど、どうかしたか?」
「別に何でも、いつも通りの間抜け面だと思っただけです」
「このヤロ…」
いつも通り憎まれ口を叩くレアに、俺だけ緊張していたのが馬鹿馬鹿しくなった。
扉を軽く叩く音が聞こえ、ナタリアが部屋に入って来る。
「おはようございます。朝食のご用意が出来ていますがお持ちして宜しいでしょうか」
俺が答えようとする前にレアが口を開く。
「すみませんが私のベッドのシーツだけ後で替えてもらってもいいですか?」
「…?はい、どうかされたのですか?」
ナタリアがレアのベッドに近づく。
「赤い…これは血ですか?レア様、どこかお怪我をされたのですか?」
「怪我という程のものではないです。昨夜ちょっと色々あったものですから」
レアが俺の方をチラリと見た。なるほど、あの時に零れた血で汚れてしまったわけだ。
「悪いなナタリア、手間かけさせて。俺のせいでもあるんだよ」
「それは構いませんが、昨夜お二人で何を…」
言いかけたナタリアはレアの首元を見て何かを察したように
「も、申し訳ありません!踏み入ったことをお聞きしてしまいました!」
なぜか顔を赤くしてシーツを片付けだすナタリア。そんな彼女を俺とレアは首を傾げながら見ていた。
俺がギルドで二人の視線を受けていた。
「いや、特に変わりはないが…」
「私も何も気付きませんよ」
「うーん…そうか?」
どうしても自分の体に違和感を覚える俺はサリアとメイルにも見てもらったがやはり分からないようだ。内面的な問題なのだろうか。
「それにしても体調が良くなったようで安心したぞ」
「心配かけたな、もうすっかりいつも通りだよ」
「結局何だったんですか?原因が気になりますよ」
「原因は吸血鬼に血を触れられたことで少しずつ吸血鬼化してたせいみたいだ」
二人は驚いた顔を見せる。
「吸血鬼化!?それは大変ですよ!」
「大丈夫なのか?」
「あー…、まぁそのなんだ、大丈夫だよ」
俺がレアの方を向いたのを見て二人も同じ方を向く。
「何が『大丈夫だよ』ですか。昨夜、理性を抑えられずに私を襲ったじゃないですか」
「お、おい、ちょっとは言葉選べよ!」
平然と言い放つレア。二人の視線が痛い。
「レアも大変ですね。そんな変態男が同じ部屋に居たらおちおち寝ていられませんよ」
「全くだ」
おい、あの時は普通にレアも受け入れてくれてただろ。なんで俺が無理やり襲ったみたいになってんだ。
「あの、少し宜しいでしょうか」
俺が弁明を考えていると後ろから声を掛けられた。受付嬢だ。
「ギルドマスターがあなたに話を聞きたい、と」
「フルストラが?」
正直、話の流れを変えてくれて助かった。だが何故俺だけ?疑問に思ったが特に断る理由もないので俺は三人を残し、受付嬢に付いて行った。
ギルドマスターの部屋の前で受付嬢は立ち止まる。
「あなた個人との対話を希望されています。私はここで失礼します」
受付嬢は頭を下げて歩き去る。俺は扉を軽く叩き、返事を受けて中へ入る。
「いやぁ、悪いね。急に呼び出しちゃって」
フルストラは机越しに椅子に腰掛けていた。
「別にいいよ。聞きたいことって?常闇の森でのことか?」
「そうそう、自分が伝えた情報が発端だったから気になってね」
「結構、長い話になるんだけど…」
「なるほどね、妖精が視える巫女様に吸血鬼か。ありがとう、常闇の森のことは本当に謎だらけだったから助かるよ」
「どういたしまして。でも大変だったなぁ、まさか吸血鬼がいるなんて。挙句に血を吸われるし」
「そうなの?大丈夫?」
「大丈夫っちゃあ大丈夫かな、レアのおかげなんだけど」
俺の言葉にフルストラがピクリと反応する。
「レア…君の仲間の銀髪の子だね?」
「そうそう、覚えててくれたのか」
「まぁね、それにしても彼女…どこか普通の女の子と違うよね」
「そ、そうか?別に普通だろ」
女神であることを秘密にしろと言われた覚えはないが、自分から公言しないということはあまり表に出したくないのだろう。俺はそう考え誤魔化したがつい目が泳いでしまった。
「君にとって大切な子なんだろう?何か理由があるのかな?」
「別にそんなことないよ。他の仲間だって同じくらい大切だ」
こちらの瞳を覗くフルストラ。心の中まで見透かされそうな目に思わず目を逸らす。
「君は嘘が下手だね。そんなに顔を赤くして」
「…!」
思わず自分の頬を触った。
「冗談だよ冗談、分かりやすくて好きだよ君のそういうところ」
「もう!からかわないでくれよ。聞きたいことはそれだけか?ならもう行くよ」
「あ、そうそう、もう一つだけ。もしこれから彼女の探している物の情報が入ったら知りたい?」
「もちろん。その時は頼むよ」
「…本当に知りたい?」
「…?当然だろ?」
「分かったよ。君の仲間にもよろしく伝えておいてね」
なぜフルストラがもう一度俺に尋ねたのかは分からなかったが、情報は伝えてくれると言ってくれたので特に気にしなかった。気にしなかった…が、なぜか俺はアヤメが最後に言っていたことを思い出していた。
「なあ、レア」
「はい?」
ギルドで夕方まで時間を過ごした俺達は、屋敷へ向かって歩いていた。
「無事に帰って来れたのは良かったけどさ、結局例の物は見つからなかったんだよな」
「そうですね」
素っ気なくこちらに顔も向けずに答えるレア。
「悪いな、すぐにでも見つけてやりたいんだけど」
「ええ、とんだ無駄足でした」
レアは足を止めて空を見上げる。顔をこちらに向けずに淡々と話すレア。怒っているのだろうか、それとも悲しい顔をしているのだろうか。
「本当にお願いしますよ、私はあなたと違ってこの世界に来たくてきたわけじゃないんですからね」
そう言って、レアがこちらを振り向く。
「じゃないと…いつまでもあなたと一緒に居なくてはならないじゃないですか」
レアの表情を見て……俺も同じように微笑んだ。