ある日、目を覚ました俺は寝ぼけ眼で時計を見る。
「あれ?もうこんな時間…」
時計の針は既に朝食の時間を回っている。おかしいな、いつもならナタリアが起こしに来てくれるはずなんだが。俺は違和感を覚えながらも体を起こし、着替えを済ませ、レアにも声を掛ける。
「なんですか…?まだご飯来てないじゃないですか…」
「朝食の時間なのに来てないからおかしいんだろ、俺はちょっと厨房行ってくる」
そう言って俺は部屋の扉を開け、廊下に出る。しばらく廊下を歩き、曲がり角を曲がった時、廊下にしゃがみ込む人影が見えた。あれは…
「お、おい。ナタリア!大丈夫か?」
「旦那様…?申し訳ありません、すぐに…」
そう言って立ち上がろうとするナタリアだったがフラつき、それを俺が支える。近くで見ると顔色が悪く、呼吸が速い。明らかに体調が悪そうだ。
「ナタリア、ちょっと抱えるぞ」
「えっ…?きゃっ」
俺はそう言ってナタリアを抱きかかえ、誰かを探して廊下を歩く。すると一人のメイドを見つけ、声を掛ける。
「ちょっといいか?ナタリアが辛そうなんだ。どこか休めるところはないか?」
俺の声掛けにメイドはとりあえず使用人用の部屋を勧めてくれた。俺は案内されるままにその部屋へ向かった。
「旦那様…申し訳ありません…」
ベッドに寝かせたナタリアが目を細め、俺に謝ってくる。
「何言ってんだよ、誰だって体調の悪い時ぐらいあるさ」
「…申し訳ありません」
ナタリアはもう一度謝ると瞳を閉じる。どうやら寝てしまったようだ。自分が辛い時にまで俺に気を使ってくれるナタリアに俺は居た堪れなくなる。ナタリアはいつも俺のために尽くしてくれている。だからナタリアが辛い時には俺が…
「俺がナタリアの代わりに仕事をする」
ナタリアを休ませ、部屋を出た俺は、メイドにナタリアの代わりに仕事をする旨を伝えた。
メイドは驚いたような声を上げ、最初は断ったが、俺が頭を下げて何度も頼むと、本気で言っているが伝わったのか、しぶしぶ納得し、簡単な仕事だけという条件付きで仕事を任せてくれた。
俺は使用人用の部屋で服を着替え、レアに事情を伝えるために自分の部屋に戻った。
「おかえりなさ…どうしたんですかその服、コスプレですか?」
「ナタリアが倒れた。今日は俺がその代わりをすることにした」
「そうですか、頑張って下さいね」
レアは自分に特に関係がないことを知ると、ありきたりな応援の言葉を残して本を読み始めた。そして、
「そこの使用人さん、お腹が空いたので早く朝食を持ってきて下さい」
「この野郎…」
「おや?ナタリアはそんな反抗的な目をしませんよ」
そう言ってレアは俺に朝食を催促してくる。なんか俺を顎で使って楽しそうなのは気のせいだろうか。いや、たぶん気のせいじゃないな。俺はなんとなく不服だったが、厨房へ朝食を取りに行った。
「お待たせ」
厨房には既に朝食が用意されていたので、俺はそれをそのまま持ってきた。厨房にいたメイドに、既に俺の朝食ができているからそれを食べてから仕事をして欲しいと言われた。
「その服、馬子にも衣装って奴ですね」
朝食を食べながらレアが俺の服装に感想を述べた。
「分かってるっての、初めて着たんだからな。レアだってメイド服が似合うか怪しいもんだぜ」
「私が使用人の真似事をする必要なんてありませんからね」
レアにからかわれながらも俺は朝食を終え、食器を片付けて厨房へと運ぶ。洗い物なんてしたのは前の世界に居た時以来だ。
洗い物を終えた俺はメイドに声を掛け、俺に出来る仕事を尋ねた。ナタリアの今日の仕事は各部屋の掃除だったらしく、俺がそれをすることにした。
「各部屋って…この屋敷どんだけ部屋あるんだよ」
掃除用具を持ち、廊下に出た俺は思わず呟いた。だが泣き言は言っていられない。ナタリアはいつも頑張ってるんだ。俺も頑張らないとな。
その後、俺は部屋を一つずつ周り、はたきや雑巾を使って、汚れに気付いたところを掃除して行った。普段人が入っていないであろう部屋も埃が目立つ。意外とそういう細かいところが気になってしまうあたり、使用人に向いているんじゃないかと思った。
俺が部屋を回っていると、ある部屋からクライスが出てくるのが見えた。あの部屋は確かアイヴィスの部屋だったはずだ。
「なんだ貴様、そんな格好で」
俺と目があったクライスが訪ねてきた。
「ちょっとわけあってな、今日の俺は使用人なんだよ」
「よく分からないが、アイヴィス様に迷惑をかけないのなら好きにしろ」
「へいへい…。この部屋アイヴィスが使ってるのか?今、部屋を掃除して回ってるんだけど」
「そうだ、だから掃除は後に…」
そう言いかけてクライスが口を噤み、少し考える。そして再び口を開くと
「入っても良いぞ、だが今のお前は使用人だ。失礼のないようにな」
「お、おう」
クライスの含みのある言い方に疑問を覚えたが、後回しにして忘れても面倒だ。先にやらせてもらうことにしよう。
「お邪魔しまーす…」
俺は軽く扉をノックして、アイヴィスの部屋に入った。
「誰ですの?今は一人にして欲しいと…」
そう言いながらこちらを振り向いたアイヴィスは俺の姿を見るや目を輝かせる。
「ワタル!どうしたのですの!?そのような格好で…あぁ、でもその姿も格好良いですわ」
アイヴィスが俺に近づき、俺を上から下まで眺めた後、感想を述べる。レアの感想とは正反対だな。どっちが正しいんだよ。
「いや~、色々あって今日は使用人スタイルなんだよ」
「使用人…ワタルが私の…」
「いや、アイヴィスじゃなくてどっちかっていうとエレナの…」
「つまり、ワタルは今日、私の言う事を何でも聞いて下さるのですわね?」
聞いちゃいねえ。俺の言葉を遮り都合の良い解釈をするアイヴィス。俺がさっさと用事を終わらせて部屋を出ようと思っているとアイヴィスが何やら考え込んでいる。そして何かを思いついたように
「なんだか、暑いですわね」
「そうか?別にそんなに…」
「着替えですわ」
「へ?」
突然の着替え発言に俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「服を着替えますわ、使用人は主の着替えを手伝うものですのよ」
そう言ってアイヴィスは替えの服を俺に差し出してくる。
「そうかもしれないけど男は手伝わないだろ!?」
「ワタルは特別ですわ」
「言ってること滅茶苦茶だぞ…」
俺はどうにかしてアイヴィスを説得したかったが何を言っても納得しそうにない。仕方なく俺はアイヴィスの後ろに周る。
「女の子の服の仕組みなんて分からないぞ、どうすればいいんだ?」
「簡単ですわ。背中にある結び目を解いて、ゆっくりと下ろして下さいまし。そう、優しくゆっくりと」
なぜそこを強調するのかは分からなかったが聞かないでおいた。俺はアイヴィスの服に手を掛け、背中で結ばれている紐をゆっくりと解いていく。アイヴィスは普段から使用人に着替えを手伝わせているから慣れているかもしれないが俺は初めてでなんだか緊張してしまう。
「なんだか緊張してしまいますわね」
「え?俺はともかくアイヴィスは慣れてるんだろ?」
「それはそうなのですけれど、ワタルが相手だからかもしれませんわね」
アイヴィスは少し頬を紅潮させ、はにかみながら言った。いつも自信満々な顔をしているアイヴィスからすると珍しい。そう感じながら俺は紐を解いた服を少しずつ下げていく。服で覆われていた肌が少しずつ露出していく。背中、腰、そして…
「やっぱり駄目ですわ!」
黙って服を脱がされていたアイヴィスが突然声を上げ、俺をベッドへ突き飛ばした。
「いたた…どっちだよもう…やっぱ嫌なんじゃないか」
「嫌というわけではないのですけれど…上手く言えませんわ!でも駄目ですの!」
「わかったわかった、ちょっと落ち着けって」
俺は服をはだけさせたまま取り乱すアイヴィスを落ち着かせようと声を掛ける。しばらく息の荒かったアイヴィスだがしばらくすると収まっていき、俺が解いた紐を自分で結び始めた。できるなら最初から自分でやれよ。
「私としたことが取り乱してしまいましたわ」
「平気だよ、むしろいつもと違うアイヴィスが見れて良かっ…やべ、長居しすぎた」
そう言いながら時計を確認した俺は一部屋にかける時間をとっくに過ぎていることに気が付いた。
「悪い、アイヴィス。今は一応仕事中だからさ、またあとで顔出すよ」
「いえ、私も少々戯れが過ぎましたわ。ワタルは残りの仕事に励んで下さいまし」
俺はアイヴィスに別れを告げ、部屋を出る。そして部屋の外で待機していたクライスに声を掛けられた。
「ずいぶん長かったな、アイヴィス様に何か変な事をしていないだろうな」
「…」
クライスの問いに思わずさっき部屋であったことを思い出す。あれってクライスに見られてたらまずかったのだろうか。まずいよなやっぱ。
「おい?貴様何か…」
「っ!な、何もなかったって!アイヴィスに聞いてみろよ」
俺がすぐに答えなかったのを見てアイヴィスが目を細めてこちらを睨んでくる。我に返った俺はすぐに誤魔化したが大丈夫だろうか。
「まあいい、もしアイヴィス様が貴様に猥りがましいことをされたと言ったら…」
「…言ったら?」
「その両手を切り落とす」
「は、はは…冗談キツいぜ、クライス…」
俺は苦笑いをしながらそう言ったがクライスなら本気でやりそうで怖い。頼むから何もなかったと言ってくれよアイヴィス。俺は心の中で祈りながらアイヴィスの部屋をあとにした。
「ふぅ、あらかた片付いたか。あとは…エレナの部屋だけだな」
各部屋の掃除をし終えた俺は、滲み出した汗を拭いながら呟いた。そしてエレナの部屋の扉をノックするが返事はない。どうやら不在のようだ。勝手に入るのはまずいよな…。
俺はそう考え、偶然通りかかったメイドに確認を取る。メイドによるとエレナの部屋は仕事のためなら本人の許可がなくても入室しても大丈夫とのことだった。エレナは屋敷で働く使用人のことを信用しているようだ。
「お邪魔しまーす…」
早速、俺は部屋の扉を開け、中へ入る。女の子の部屋に一人で入るのはなんだか緊張するな…。別にやましいことがあるわけではないのに悪いことをしている気分になる。早く終わらせてしまおう。
俺が一通り掃除を終え、道具を片付けていた時、部屋の扉が開いた。エレナが戻ってきたようだ。
「お部屋の掃除をしてくれていたのですね。…?新しい使用人の方でしょうか?
背を向けて道具を片付けていた俺の姿を見てエレナが不思議そうな声を出す。俺は困惑しているエレナの方を振り向き
「はい、今日からこの屋敷で働かせて頂いているワタルと申します。以後お見知り置きをエレナお嬢様」
俺はわざとらしく頭を下げながらエレナに挨拶をした。当然、エレナは驚いた顔だ。
「ワタル!?どうしてそのような格好をしているのですか!?」
「実はさ…」
俺が事情を説明するとエレナは黙って聞いてくれていた。
「それは大変でしたね。従者の健康の管理も主の仕事です。申し訳ありません」
「な、なんでエレナが謝るんだよ。誰も悪く無いって!」
予想外の謝罪に俺は狼狽えた。エレナは普段からこんなに気を使っていて疲れないんだろうか。
「それにさ、意外と悪くないんだよ。仕事をして汗を流すってのもさ」
「ですが、お父様に見られたら他のメイド達が何と言われるか…」
「あっ、そのこと考えてなかった」
エレナに言われて気がついたが俺が使用人の真似事をしてるのを看過してる他の使用人が国王からどう思われるかを考えていなかった。無理に仕事を手伝うと言って悪いことをしてしまったかな。
「じゃあこの服が着れるのも今日だけだな。結構気に入ってたんだけどなぁ」
「はい、とてもお似合いですよ」
お世辞かは分からないがエレナも褒めてくれた。やっぱりレアがおかしいんじゃないか。
「それじゃこの部屋を出たらもう普段の俺に戻っちゃうけど、何かご要望はございませんか?エレナお嬢様」
「…今、この時間だけはワタルが私の…」
俺は冗談で言ったつもりだったんだがエレナは本気にしたようだ。エレナはアイヴィスみたいに無茶なこと言わないだろう…言わないよな?
「服を着替えさせてくれってのは無しでお願いします」
「そ、そのようなことをワタルにはさせられません!」
させようとしたお嬢様がいるんだなこれが。
エレナはしばらく考え、自分のベッドに腰掛ける。
「あなたもここに座って下さい」
エレナはいつもよりはっきりとした口調で言いながら俺をエレナの隣に座るように催促してくる。使用人に対して言う風にしているつもりなんだろうか。似合わないけど可愛いな。
俺がそう考えながらエレナの隣に腰掛けると。エレナは軽く咳払いをして、俺の体を自分の方に傾けた。俺は抵抗せずにそのまま体を預ける。
「えっ、これって膝枕だよな?使用人がされる方っておかしくないか?逆じゃないの?」
「いいのです。私がしたいと思ったので」
「お嬢様はたまによく分からないこと言い出すよな。他の使用人にもこういうことしてるのか?」
「そのようなことはありません!ワタルが初めてです」
なおさら分からん、ならなんで急に膝枕を思いついたのか。まぁでもいいか、されて嫌なことでもないし、むしろ嬉しいくらいだ。
「ナタリアでしたか?彼女、明日には良くなるといいですね」
「あぁ、そうだな。ナタリアなら俺よりちゃんと仕事するんだろうしな。使用人の仕事って大変なんだぜ?」
「そうですね。ご苦労様でした」
そう言ってエレナは俺の頭を撫でる。なんだか子供みたいで恥ずかしいが心地良いので何も言わずにされるがままになる。
どれほど時間が経っただろうか。俺は重たくなりつつあった瞼を開き、体を起こす。
「ありがとなエレナ。使用人の俺が、逆にエレナにしてもらっちゃったな」
「ふふっ、困った使用人さんですね」
エレナは微笑みながら言う。俺も笑い返したあと、エレナの部屋を出た。さて、掃除を終えたことをメイドに伝えて、国王に見つかる前に早くこの服を着替えないとな。
「ナタリア?起きてるか?」
着替えを終えた俺はナタリアが休んでいる使用人用の部屋へ行き、扉を開け小さな声で話し掛ける。
「…旦那様」
俺の声掛けに反応したナタリアはゆっくりと体を起こすと、呟くように応えた。
「お、おい。体起こして大丈夫なのか?」
「はい、だいぶ楽になりました。念の為、明日までは休むように言われましたが」
「良かった…。病気とかじゃなくて安心したよ」
ほっと胸を撫で下ろした俺だったが、ナタリアの顔は暗い。
「…今日、私の代わりに使用人の仕事をしていたというのは本当ですか?」
「え?あ、ああ。上手く出来たかはわからな…」
「どうしてですか!私は旦那様のメイドです。どこにメイドの代わりに働く主人が居るのですか!どうして体調管理もできないメイドを責めないのですか!」
涙を浮かべ、息を荒げながら矢継ぎ早に話すナタリアの言葉を俺は黙って聞いていた。
「馬鹿だな」
「えっ…」
「俺が心配して、助けてあげたいと思ったのは"主人に仕える一介のメイド"じゃない。"俺のことを心から慕ってくれる女の子、ナタリア"だよ。そこを誤解してるよナタリアは」
「そんなの…詭弁です」
「そんなことないよ。もしナタリアが俺のメイドじゃなくなったって俺はナタリアと仲良くしていくよ。ナタリアは違うのか?」
「それは…私も同じです」
「ならそれでいいじゃないか。あ、でももうこの屋敷で使用人の真似事をするのはやめとくよ。エレナに注意されたからな」
俺が笑顔を向けて言うと、ナタリアも少し微笑んでくれた。
「そうですね、旦那様は後先考えずに行動するので困ってしまいます」
「ははっ。確かにな、もうちょっと考えてから行動するようにするわ。それよりさ今日あったこと聞くか?王女様二人が大変でさ…」
その後、俺は今日の使用人の仕事中にあったことを話した。ナタリアは俺の話を聞いて驚いたり笑ったりしながら聞いてくれた。先程までのような暗い顔はもうしていない。この様子なら明日にはまた普段通りのナタリアが見れそうだ。