サリアは服を着替えに行くと言い、部屋に向かったので、俺も一度、部屋に戻ることにした。その途中、廊下から外を眺めるクライスを見つけ、話しかける。
「どうかしたのか?」
「何でもない」
クライスはそう言ったが表情は暗い。
「もしかしてさっきのことでアイヴィスに何か言われたか?もしそうなら悪いことしちまったな」
「私が勝手にやったことだ。しかし…アイヴィス様にあれほど叱責を受けたのは久方ぶりだ。だが、なぜあれほど怒らせてしまったのかわからない。まったく、従者失格だな」
俺は黙って聞いていたが、クライスの言葉が気になる。
「なぁ、アイヴィスに気を使いすぎなんじゃないか?」
「気を使うのは当然だ、私は初めてこの城に来た時からずっとアイヴィス様に忠を尽くしている。十余年ずっとだ。私にとってアイヴィス様は生きる理由そのものだ」
「子供の頃からずっとか、すげーな。でもならもっと距離を近づけてもいいんじゃないか?」
「何を馬鹿な…アイヴィス様にとって私など一介の従者に過ぎない。それ以上を望むなど不敬というものだ」
「本気でそう思ってるのか?」
俺は口を出さずにはいられなかった。
「何年も一緒に居てくれる人を何とも思わないわけないだろ。クライスがアイヴィスを思ってるならアイヴィスにだって伝わってるはずだ」
「貴様に何が…!」
俺はクライスの言葉を遮り、続ける。
「俺の仲間から聞いたよ。賊を拘束したあと、お前もまた倒れたんだろ?倒れたお前をアイヴィスは何度も呼びかけてた。泣きながら何度もだ。一介の従者?馬鹿言うな。どこのお嬢様が大切に思ってない奴のために涙を流すってんだよ」
「アイヴィス様が…私を…」
クライスは俺の言葉をどう受け止めれば良いかわからない様子だ。
「アイヴィスが怒ったのはお前が心配だったからだよ。アイヴィスの性格からして口には出さないだろうけどな。だからあんま無茶するんじゃねーぞ?まあ、俺が言えたことじゃないけどな」
「わかったら早くアイヴィスに謝りに行けよ、『心配かけました』ってな」
クライスは俺の言葉に少し微笑み
「まったく…、散々仲間に心配をかけた貴様に言われるとはな」
そう言ってクライスは俺に背を向け
「…ありがとう」
背を向けたまま一言だけ言い残し、クライスはアイヴィスの部屋へと向かって行った。
やれやれ、今回のことで、この不器用な従者と主人との距離が少しでも近づくと良いのだが。
クライスと別れたあと、俺は自分の部屋に入る。中にはメイルが居た。俺のベッドに腰掛けている。
「おはよう、メイル。どうかしたのか?」
俺が声をかけるとメイルはすぐに立ち上がった。別に座っててもいいのに。
「お、おはようですよ。朝来たら出かけたようだったので待たせてもらいましたよ」
「あぁ、ちょっと早く目が覚めたから散歩にな。何か用だったか?」
「昨日、魔力をかなり使ったと思うので体調を聞こうと思っていたのですよ」
そう言えばそうだったな。特に何の不調もなくて忘れてた。
「問題ないぜ、朝も一発撃ってみたけど大丈夫だったしな。魔力って放っとけば回復するんだな」
「そうですよ。もしそれでも不十分だったら私の魔力を分けようと思っていたのですよ」
「へえ、そんなこともできるのか。どうやるんだ?」
「魔法石を持っている人同士が体を触れることで補充することができますよ。実際にやってみますよ」
メイルは杖を持ったまま、俺の手に触れる。
「目を閉じて楽にしていて下さいよ」
そう言われ、俺は目を閉じる。メイルに触れられている部分が温かい。そして、その温かさが徐々に体を覆うように広がっていく。心地よい。
「終わりましたよ」
メイルが終わりを告げ、俺はゆっくりと目を開ける。
「なんだかさっきより楽になった気がするぜ」
「もう、何が『問題ないぜ』ですか。結構魔力減ってましたよ」
俺は笑って誤魔化す。
「でも変ですよ。一晩経てばもう少し魔力が戻っているはずですよ」
メイルは首を傾げているが、俺にはよくわからない、俺の体は燃費が悪いんだろうか。
「なあ、俺も魔力の補充やってみていいか?」
「え?ええ、まぁいいですよ」
俺はせっかくなのでやってみることにした。覚えておけば何か役に立つかもしれない。
「私の体に触れて、魔法を放つ時のように手から魔力が流れていく感覚でやってみてくださいよ」
「触れるのはどこでもいいのか?」
メイルは頷き、瞳を閉じる。まぁ、無難に手にしておくか。
「じゃあ触るぞ、メイル」
「は、はい。いいですよ…」
俺がメイルの手に触れるとピクリと震えた。どこを触るか言ってからにすればよかっただろうか。
俺はメイルの手に自分の手を重ねる。触れている部分が熱い。いつもより自分の手が熱く感じるのは緊張しているからだろうか。俺は自分の手から、魔力をメイルに注ぐようにイメージする。
「っ…!」
「わ、悪い。痛かったか?」
メイルが小さく声を出し、体を震わせたので俺は声をかける。
「い、いえ。人にされるのは初めてだったので、驚いただけですよ」
俺がメイルにしてもらった時は変わった感覚もなかったが、やはり俺が魔力のコントロールが下手だからだろうか。そして俺はもう少しゆっくりと流れるように意識してみる。
「どうだ?」
「ええ、なんだか…気持ち…良いですよ。ワタルの魔力がゆっくりと私の中に入ってくるのがわかりますよ…」
良かった。上手くいっているようだ。
「じゃあこのへんで…」
俺が手を離そうとするとメイルに止められた。
「もう少し…もう少しこのままで…」
おいおい、さっき補充してもらった意味がなくなるんだが。メイルは蕩けたように俺の魔力を受け入れている。俺がどうしようか考えていると
扉をノックする音が聞こえ、メイルは我に返ったように俺の手を放す。
「朝食が出来て…、どうかしたのか?」
向い合って座っている俺達を見て、クライスが不思議そうな声を出す。
「な、なんでもないですよ、ね、ワタル?」
「ん、あ、あぁそうだな」
メイルに聞かれて同意した俺だが、不自然だったかもしれない。クライスは訝しげな顔をしていたがそれ以上は聞かなかった。そして俺達は三人で食堂へ向かう。俺はメイルと並んで歩いていたが、なんとなく照れくさくて黙って歩く。先程までメイルに触れていた手には、まだ温かさが残っていた。