幸福と不幸は女神様次第!?   作:ほるほるん

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ずっとそばにある幸福【挿絵】

 天使の少女は俺達と行動を共にすると言ってくれた。そもそも俺かレアが聖の力を供給しないとまた暴れ出すわけだしな……

 

 街への帰り道、魔力を使い切って体は重たいが足取りは軽かった。

 

 街へ着いた俺達はまずギルドへと向かった。フルストラへ今回のことの報告と情報をくれたお礼を伝えるためだ。うんうんと話を聞く彼女だったが流石に天使の少女を見た時は驚いていた。

 

 結局、屋敷へ戻ったのは日も沈み始めた時間だった。流石に疲労の色を隠せない。ナタリアが天使の少女を不思議そうに見ていたが説明する気力もない。また明日にでもすることにしよう。

 

 夕食を終えてようやく一息ついたところで、レアの隣に座る少女に話しかける。

 

「そういや名前もまだだったな。聞いてもいいか?」

 

「はい。私の名前はアンジュです。お二人のお名前はレア様とワタル様ですね」

 

「様付けなんてしなくていいって」

 

「いえ、天界では相手に敬称を付けるのは当然のことですのでお気になさらず」

 

「えっ、そうなのか? でも……」

 

 俺は思わずレアに視線を移す。

 

「なんですか、その目は」

 

 レアが誰かを敬称で呼んでいるところなんて見たことがないが、女神は別なのだろうか。

 

「アンジュは、力が戻れば天界に戻れるって言ってたけどそれってどれくらいかかるんだ?」

 

「具体的にと聞かれるとお答え出来ませんが、分けて頂く聖の力の量によっては数日後にでも可能かと」

 

 正直一ヶ月後くらいは覚悟してた。嬉しい誤算だ。

 

 それから天界のことやアンジュ自身のことを聞いたがほとんど覚えていることは無かった。分かっているのは天使であることと何らかの理由で堕天したということだけ。

 

 話を終えてから俺は夜まで過ごした。いつもと違う三人での部屋の景色に少し違和感を覚えながら。

 

 その日の夜、アンジュを俺のベッドで休ませるわけにもいかないのでレアのベッドで寝ることになった。遠巻きに眺めている分には女神と天使が一緒に寝ているようには全く見えなかった。

 

 

 翌日、俺は朝からアンジュに聖の力を注いでいた。前に戦った時は致し方なく熾風精霊魔法をぶっ刺したりしたが、今は彼女の体に触れて意識するだけで分け与えることが出来る。と言っても元々少ない俺の魔力では供給できる量は少ないので、この後に同じことをするレアが主な供給源になるわけだが。

 

 それから俺達はアンジュを連れてギルドへと向かった。一人で屋敷に置いて行くわけにもいかないし、本人も興味があるようだった。

 

 ギルドに入ると目線が一斉に此方を向いた。アンジュの外見もそうだが天使独特の雰囲気があるからだろう。あまり人目に付くところへは連れてくるべきじゃなかったか?

 

 俺は席に着く前に受付へと行く。聞きたいことがあったからだ。

 

「この子は、えっと……知り合いなんだけどクエスト連れて行ってもいいか?」

 

「それは構いませんが……大丈夫なのですか?」

 

 マリーナがアンジュと俺を不安気に交互に見つめる。

 

「心配いらないよ。少なくとも俺よりは強いから」

 

 冗談……ではないかもしれない。あの時の彼女は殺戮の天使と呼べるものだった。

 

「それなら問題なさそうですね」

 

 微笑む彼女。恐らく本当にアンジュの方が強いと信じたわけではないだろう。

 

 サリアとメイルの居る机へと行くと、二人ともアンジュを見て意外そうにしていたがクエストに連れて行くことに関して反対はしなかった。

 

 アンジュは当然、初めてのクエストとなるので簡単なものを選ぶ。もう一つ、俺とレアの魔力が少ないという理由もあった。が……

 

 数時間後、討伐を依頼されていたモンスターだったものから光の剣を引き抜くアンジュの元気な姿があった。返り血で肌と服を朱に染める彼女だが、本人の話では付いた血は天使の力で消すことが出来るらしい。

 

 どうやら俺は天使の強さを侮っていたらしく、まさかここまでとは思わなかった。

 

「これでクエストというのは終わりなのですか?」

 

 丁寧な言葉で話す彼女と今の姿がミスマッチ過ぎて違和感が凄い。どことなく家畜を屠殺するような無慈悲さを感じる。

 

「あ、あぁ……お疲れさん。強いんだなアンジュって……」

 

「お褒め頂いて光栄ですが私の力など天使の中では下の下……だった気がします」

 

 うろ覚えのようだが本当にそうなら天使ってのは化け物ばかりの種族のようだ。今さらながら事を構えたという事実に冷や汗が出た。

 

 彼女はそれだけの力を持っていながら出過ぎるようなことはせず、あくまで指示された対象を屠るということに徹していた。三人には悪いが彼女のおかげでとても楽にクエストを回す事が出来た。

 

 その日から、朝は聖の力の供給をして日中はクエストに行くというのが日課になった。

 そんな生活を数日続けたある日

 

「お二人とも本当にありがとうございました。これだけ力が戻れば天界へと戻ることが出来るはずです」

 

 そういえばそういう話だった。もうアンジュと過ごすのが当たり前になっていて本目的の方を忘れてしまっていた。

 

「それじゃレア、早速行くか?」

 

「そうですね。お願いします」

 

 いつもなら面倒だから俺だけ行って来いと言いそうなものだが流石に今回は素直に付いて来る。

 

 俺とレアはアンジュの手に片手ずつ触れると、徐々に辺りは光に包まれる。その眩い光に瞳を閉じた。

 

 再び瞼を開くとそこは部屋ではなかった。視界に映るのは一面に雲を敷き詰めたような真っ白の空間。白い煉瓦で組まれたような建物同士を繋ぐのは鏡のように光を反射する道。全てが現実離れしている。夢だと言われれば疑いなく信じるだろう。

 

 そこには数人の人……いや、天使達が居た。アンジュと同じく背に翼を広げている。天使、そして女神しかいないこの空間では俺の場違い感が凄い、よく考えたら俺が来る必要はなかったんじゃ……?

 

「貴方達は何者です」

 

 物音一つ無いこの場所に静かに響く声。天使の一人が俺達の前に立っていた。

 

「私です。アンジュです。覚えてはいませんか?」

 

「アンジュ……あの時、下界へと堕ちた……。それで、その者達は?」

 

「私の恩人です。お二人のおかげでこうして戻ることが出来ました。一つだけ彼等の願いを聞いて頂けませんか……?」

 

「事情は分かりました。ですがそれを決めるのは私ではなく大天使様です」

 

 大天使……。名前からして恐らくグライアの言っていた天使の主で間違いないだろう。話をさせてもらえるならこちらとしても願ったり叶ったりだ。

 

 連れて行かれたのは正面にある大きな建物。周囲と比べても一際存在感を放つそれは神殿と呼ぶに相応しいものだった。

 

 半円を刳り抜いたような広い空間の脇に天使が控えている。そして正面に立つのがもちろん……

 

 

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「ようこそいらっしゃいました。訪問者などいつ以来でしょうか」

 

 透き通るような声。威圧する雰囲気ではないのに跪いてしまいそうだ。

 

「突然、邪魔して悪いとは思った。けどどうしても頼みたいことがあって無理を言ってアンジュに連れてきてもらったんだ」

 

「成程……して、そのご用件とは?」

 

「神と対話させて欲しい」

 

 俺の言葉に天使達の間にざわめきが広がる。それは大天使の掲げた手によって収まる。

 

「失礼ですが、貴方様は神と対話するということの意味を分かっておいでですか?」

 

「意味……って言うと?」

 

「大天使という位を授かった私ですら恐れ多く、自ら神へと言を交わすことはありません。常に此方は言を賜るのみです。それを人間である貴方様が、とはとてもとても……」

 

 少し気に障った。天使ってのがそんなに偉いのかよ。

 

「じゃあ対等なら問題ないわけだな?」

 

「……仰る意味が分かりかねますが」

 

「女神が話をしたいって言ったらさせてくれるのかって聞いてるんだよ」

 

「女神……? 当然、同じ神である女神がそう仰るのであれば吝かではありませんが、存在し得ない事を仮定することに何の意味があるというのですか?」

 

 俺は隣りにいるレアの背中を軽く押す。

 

「察しが悪いな。ここにいるのが女神だって言ってるんだよ」

 

「彼女が……女神……?」

 

 目を見開き、俄には信じ難いという様子だ。それも致し方ないだろう。

 

「あぁ、そうだ。それなら協力するのも吝かじゃないんだろ?」

 

「……女神……の……名を……」

 

 視界から大天使が消えた。

 

「っ……」

 

 レアが小さな声を漏らす。その体は光の剣に貫かれていた。大天使が荒々しく剣を引き抜くとレアはその場に両膝をつく。

 

「女神の名を騙るとは愚かな……万死に値します」

 

「レア……おい! 大丈夫か!?」

 

「そして貴方もです。偽りの女神を信じ、天界に足を踏み入れた愚かな人間……同じく死を」

 

 俺はレアを守るどころか自分の身を守ることすら出来ず、光の剣を振り上げた彼女を見上げることしか出来なかった。

 

「止めなさい」

 

 光の剣をその手で受け止め、静かに呟いたのは体を貫かれたはずの女神。

 

「何故です……確かに貴方の体を……」

 

「そんなことも分からないとは……大天使といえど所詮は天使ですね。聖の力で創られた物が、同じ聖の力を宿す上位の存在には何の効力を持たないことすら知らないとは……」

 

「そんな……そんなことが……」

 

「知らないのも無理はありません。通常、天使が神に剣を向けることなどありはしないのですから」

 

 漸く自分の過ちを理解した大天使はレアを見下ろしていた体を屈め、床へと跪く。

 

「私は女神へなんということを……」

 

「神を想う故の事でしょう。私は貴方を赦します」

 

 静かに微笑む女神に彼女は瞳を伏せ、頬には涙が傳った。

 

 

「改めて頼みたいのですが、神と対話することが出来るという物を少しだけ使わせてもらえますか?」

 

 レアが女神と分かった今、もはや断る理由もないだろう。

 

「どうぞお使い下さい……と申し上げたいところなのですが、今はもう……いえ、直接見て頂いた方が早いかもしれません」

 

 大天使に案内されたのは神殿の更に奥、重厚な扉に触れると朧な光と共にゆっくりと開かれる。

 

「ここは天界に存在する宝物庫です。と言っても信じてはもらえないかもしれませんが……」

 

 まさにその通りだ。壁面の損傷が酷く、窓硝子は割れ、天井に入った亀裂によって疎らに光が注いでいる。その床には、金色や白に輝く様々な物が砕かれ散らばっていた。

 

 そして正面にある不自然な空洞……まさか……

 

「確かに我々は神からの言を授かるために"稀啓鏡"と呼ばれる神具を代々受け継いでいました。それがレア様の必要としているものです。ですが数ヶ月前、それは奪われました。突然、天界に現れた"奴"は抗う天使達を悠々と屠り、宝物庫を荒らし、気に入った物だけを奪っていきました。それが……この世界を統べる闇の王、ヴィルゼギア・ヴェリオスギアです」

 

 奪われた……闇の王……天使達を屠って……?

 

「そんな……恐れていたことが……」

 

 譫言のように呟く。その瞳に映るのは暗い絶望の色。

 

「レア……?」

 

 俺の声にも反応しない。

 

「おい、レア! どうしたんだよ」

 

「……」

 

 

 

 下界へ戻ると空は黒い雲に覆われていた。文字通り暗雲というわけか。

 

 屋敷へ戻った俺達の間にも重い空気が流れていた。

 

「なあ……どうしたっていうんだよ。ヴィルゼギアって奴が持ってるのが分かっただけでも収穫だろ?」

 

「あなたは何も知らないからそう言えるんです……。話なら明日、二人も交えてします」

 

 俺は今すぐにでも聞きたかったがレアがそれ以上、口を開くことはなかった。

 

 

 翌日、いつも通り……かのように過ごしギルドへと向かう俺達だがその間に会話は無い。話しかけるのも躊躇われる沈黙だった。

 

 ギルドで待っていたサリアとメイルの普段と変わらない様子に少し救われた気がした。だがそれは俺の口から伝えられた闇の王の名前によってすぐに塗り潰される。

 

「二人も知ってるのか?」

 

「あぁ……というよりこの世界で奴を知らない者など居ないだろう。それは残念だったな……」

 

「まさかレアの探していた物を奴が持っているなんて思いませんでしたよ……」

 

 全てが終わったかのように俯き顔を逸らす。なんで……

 

「なんでそんな簡単に諦めるんだよ! 奪われたって言うなら奪い返せばいいじゃないか!」

 

 思わず感情が昂ぶり、机をついて立ち上がる。

 

「……ワタルがこの世界のことに疎いことは知っていたがまさかこれ程とは……。奴のことは世界中のあらゆる人、生物が知っている。その根城の場所もだ。だが奴は自分の欲求のままに世界に点在する宝・貴重品を奪い集めている。その意味が分かるか?」

 

「意味って……」

 

「そんな貴重な物の所持者が黙って奪われることを良しとするか? 例え奪われたとして取り返そうと思わないか? それでも世界の宝は奴の元に集まる。奪われこそすれ、奪い返したという話は皆無……つまり、奴が所持しているということはこの世界に存在しないのと同義なんだ」

 

 漸く理解した。このことをレアも知っていたんだ。

 

「けど……それでも俺は行く。例えこの命に代えても取り返してみせる」

 

「馬鹿なことを言うな! 無駄に命を捨てることになると言っているんだ!」

 

「……それでも何もせずに黙ってるよりはマシだ」

 

「付き合い切れんな……私は、自ら命を落とすことに協力するつもりはない」

 

 立ち上がり席を後にするサリアと、それを黙って見送る俺をメイルは交互に見つめ、申し訳なさそうにサリアの方へと付いて行った。口には出さずともサリアと同じ考えだったようだ。それが正しい。間違っているのは俺の方だ。

 

「……レアも、付き合い切れないか?」

 

 諦めたように言った俺だったが、レアは静かに首を横に振る。

 

「あなたが私のために命を賭して戦うと言っているのに、その私がそばに居なくてどうするんですか」

 

「馬鹿だな、お前も」

 

 俺が笑ったのは自分の愚かさからというのもあったが、一緒に来てくれると言ってくれたその言葉だけで心を覆う闇に光が差したように感じたからだった。

 

「どうしたの? 珍しいね、喧嘩?」

 

 珍しいのはお互い様だ。ギルドの一階に降りて来ているフルストラを初めて見た。

 

「喧嘩じゃないよ。俺が駄目過ぎて怒られただけだ」

 

「そりゃそうだよね、闇の王のところへ行こうって言うんだから」

 

「……聞いてたのかよ」

 

「途中から。私も勿論反対するけど無駄なんだろうね。協力することも出来ないし……けど、餞別にこれをあげるよ」

 

 フルストラが手に持っているのは……首飾り? とりあえず受け取ったが、なぜ今これを?

 

「それを身に着けていくといい。私の魔力で精製したもので、雷属性の攻撃なら防いでくれるはずだよ。……もっとも、奴の力は未知数だからね。何の役にも立たないかもしれないけど」

 

「ありがとう……けど餞別っていうとなんか別れみたいで嫌だな。返しに戻るから、借りるってことにしといてくれよ」

 

「……そうだね。その約束で君が無事に戻って来てくれるならそうしよう」

 

 まるで叶わない願いだと分かりきって口にしているような悲しみの籠った声だった。

 

 

 ギルドを後にした俺達は、屋敷にも戻らず、闇の王、その根城へと向かうことにした。

 

「お別れは言わなくてもいいんですか?」

 

「必要ない。必ず戻って来るんだからな」

 

「……それもそうですね」

 

 街道を共に行くレアはさっきより明るく見える。結果がどうあれやることがはっきりして吹っ切れたのだろうか。

 

「そういや最初は二人だけだったんだよな。後からサリアとメイルがパーティに入ってくれて……」

 

「そうですね……四人でのパーティは私も少しだけ居心地が良かったです」

 

「けど結局は二人だけに戻っちゃったな……」

 

 自分で口に出しておきながら辛い。自然と視線が地を向く。

 

「……そうでもないかもしれませんよ」

 

「え?」

 

 予想していなかった言葉にレアの方を向くと、彼女は真っ直ぐに前を見つめていた。その目線の先を追うと

 

 正門に佇むのは赤と青の少女。見間違えるはずもない。

 

「どう……して……」

 

「やっぱりワタルは私達のことを何も分かっていませんよ」

 

「まったくだ。私は『自ら命を落とすことに協力するつもりはない』と言ったんだ。だから……命を落とさずに済むように、なら協力しよう」

 

 そうか……そうだよな……俺が間違っていたって二人は……

 

「あぁ……本当にありがとう。最後の我侭に一緒に付き合ってくれ」

 

 二人は笑顔で頷く。釣られて俺とレアも微笑んだ。必ず戻って来よう。その時もきっと笑顔で。

 

 

 闇の王の城は俺が意外なほど近くに位置していた。今まで街が襲われなかったのか疑問だったが、既に一度、目ぼしい物は奪い去られた後らしい。

 

「そういや城に行くのはいいんだけどさ、"稀啓鏡"とかいうやつの場所は分かるのか?」

 

「分かりますよ。名前まで知ることが出来たので私の力で既にどこにあるかも把握しています」

 

「そうか……うん、それなら戦わずに済むかもしれないな」

 

「あぁ、実は私も同じことを考えていた。目的が道具を奪うことなら無理に戦う必要はない、と」

 

「だよな? それで……こういうのはどうだ?」

 

 

 数刻の時が過ぎ、俺達の目の前に異様な光景が映った。まだ日の差すこの時間に、深い陰を落とす一つの建造物。まるでそこだけ空が切り取られたかのように光が差し込まない。城とその周りだけ別の空間かのようだ。

 

 そのまま歩を進めると、光と闇の境界を抜け俺達は黒に覆われた世界へと足を踏み入れた。

 

 徐々に闇に慣れた目で周囲を確認する。日の当たらないとはいえ草木が生えている。だが、その地に存在する全てから生命というものが感じられず、生き物の気配も感じない。音すら死んでいるかのような静寂の中を俺達は進んで行く。

 

 しばらくして、目の前に見えて来たのは巨大な城。遠目でも確認出来ていたが近くで見ると遥かに大きく見える。常闇の森で見た吸血鬼達の城とは比べ物にならない。

 

「それじゃ頼む」

 

 小声で言うとサリアとメイルは静かに頷き、俺とレアから別れて、城の反対側へと向かう。息を殺し、身を潜めていると遠くで爆発音が響いた。

 

 それを合図に俺達は城へと駆け出した。

 

「レア、場所は分かるか?」

 

 頷いた彼女の後を俺は付いて行く。今回の作戦は、単純な策だが陽動をすることだ。サリア、メイルがわざと敵の注意を引き、その間に俺とレアが忍び込んで回収するという手筈だ。だが相手の戦力が分からず、どれだけ時間が稼げるかも分からない。

 

「ここです!」

 

 レアが立ち止まったのは廊下の途中の壁。切れ目すら分からない真っ黒な壁へと手を添え、何かを唱えると、一瞬、光の線が走り、壁は横へと開いた。

 

 中へ入るとそこは天井から薄明かりの差し込む巨大な空洞。そこへ乱雑に置かれているのは一目で貴重だと理解出来る独特な雰囲気のある物の山。黄金郷かと見紛うその中に、大きな鏡が存在した。あれが"稀啓鏡"か?

 

 俺がレアに聞くまでもなく彼女はその鏡の前まで走って行った。やはり間違いない。よし、あとはこれを……

 

「こんなところに鼠が入り込んでいると思ったらよもや人間とは……」

 

 その言葉だけで死を与えるかのような声。そんな馬鹿な……早すぎる。陽動には釣られず此方に先に来たのか……?

 

 俺が恐る恐る振り返ると、黒に包まれた女。間違いなくこいつが闇の王、ヴィルゼギアだ。

 

 

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「あのような小細工で我を欺くつもりだったのか? 見縊られたものだ」

 

 女はゆっくりと前に歩き出す。どうする……? 戦わずにっていう作戦は完全に失敗だ。せめて四対一なら……

 

 そんな俺の祈りが通じたからだろうか。廊下の陰から二つの影が姿を現した。

 

「様子がおかしいと思ったらやはりこちらに来ていたか……!」

 

「助太刀しますよ!」

 

 期せずしてヴィルゼギアを前後で挟む形になった。

 

「わざわざ鼠の方から屠られに来るとは……人間とはいつからこれ程愚かになったのだ?」

 

 心底、惘れた様子の女。隙だらけだ。俺が手を出すと同時に二人も構える。

 

 サリアが飛び出して大剣を振りかぶる。メイルの詠唱を終えた杖の先が赤く光り、俺の奉唱によって手が白緑に輝く。

 

 乾坤一擲の斬撃、天使をも貫いた炎の槍、そして風と光による精霊龍はヴィルゼギアを同時に攻め立てた。宝物庫内が鳴動するかのような激しい震動とともに辺りは煙に包まれた。いくらなんでも油断し過ぎ……だ……

 

 煙が晴れていくその中心で何事も無かったかのように佇む。その周りを半透明の硝子のような壁が覆っていた。

 

「少々、認識を改めなければならないかもしれんな。貴様等は相当な力を持っているようだ……人間にしては、だが」

 

 ヴィルゼギアはサリアとメイルへ指を向ける。

 

 「ディクリスフレドゲイナ」

 「ディクリスクオゼイシア」

 

 黒い…炎と氷。サリアは大剣で身を庇い、メイルは対抗するように炎の槍を放つ。その二人の前に現れた半透明の壁、レアの防御魔法だ。

 

 黒い氷の魔法は魔法壁を貫き、大剣を弾き飛ばしてサリアを襲い、黒い炎はメイルの魔法を掻き消し、魔法壁を破ってメイルを襲った。

 

「サリア!メイル!」

 

 そのまま壁へと叩き付けられ、二人は悲鳴を上げる。

 

「侮るな。人間如きが我が力に抗うことなど不可能だ」

 

 こちらの攻撃は通じない。相手の攻撃は防げない。こんなのどう考えたって……

 

「どうした? 地に伏して赦しを乞えば見逃してやるかもしれんぞ?」

 

 呆然と立ち尽くす俺だったが、こんな状況にも関わらず自然と口の端が緩む。

 

「……生憎と負ける気がしないんでな」

 

「最期は虚勢か。もうよい、失せろ」

 

 虫を払うように手を広げる。

 

「ディクリスエレジトルス」

 

 天井から差した黒い稲光。その真下で俺は構えもせずに立つ。

 

 轟音と共に俺の体は黒い光に包まれ、周囲の床へと電流が広がった。俺の最期は黒焦げ……だったんだろうな。雷を操るギルドの長、その彼女に護られていなかったら。

 

「……それで終わりか?」

 

「莫迦な……そんなことが在り得る訳がない!」

 

 ゆっくりと歩き出した俺を、まるで自分が殺した相手の幽霊を見たかのように取り乱す。そして矢継ぎ早に詠唱し、放つのは先程見た黒い炎、氷の魔法……そして地、風の魔法。それらを身に受けながら思い浮かぶ、三人の竜の姿、そして俺の中に宿る風の少女の姿。一つでも欠けていたら今の俺は存在しない。

 

 俺が歩みを止めたのはヴィルゼギアの目の前、手を伸ばしその体へと触れる。

 

「よせ……」

 

「『熾風精霊魔法(ロウ・ウェントゥス・フィリアル)』」

 

「やめろぉぉぉ!」

 

「『"精霊騎士の聖剣(ヘイオルスクリプス)"』」

 

 女の背後から現れた巨大な光り輝く剣は体を貫き、天へとその剣先を仰いだ。

 

「……この……私が……人間に……敗れることなど……」

 

 聖剣が光の欠片となって消え去ると、ヴィルゼギアは床へと倒れる。体からは浄化されるように光が溢れ、その姿は徐々に朧になっていく。

 

「俺とお前じゃお前の方が強い。けど"俺達"とお前なら俺達が強かった、ただそれだけだ」

 

 既に言葉は届かないであろうその姿を見下ろす。これで全て終わったんだ……。

 

「二人も無事か?」

 

「あぁ……どうにかな」

 

「とても動けませんよ……」

 

 二人とも辛そうだが、その顔には安堵が浮かんでいた。

 

「これでもう何も気兼ねしなくていい。レア、稀啓鏡を使えよ」

 

 レアは頷くと、祈るように手を組み、唱える。しばらくして鏡の周りは光に包まれ、その奥に影のようなものが見える。その影とレアは話をしているが聞き耳をたてるのも野暮というものだ。その間に……

 

「二人にはまだ説明してなかったけど、レアはこのまま俺達とは別れることになる。二度と会うこともないと思う」

 

 当然、二人は驚いた顔だ。

 

「黙っててごめん。元々、レアはこの世界の住人じゃないんだ。だから元のあるべき場所に戻ることになる」

 

「そんな……せめて一言だけでも……」

 

「気持ちは分かるけど黙って見送ってあげてくれ。今までずっと帰りたくても帰れなかったんだからさ」

 

 俺は二人が頷いたのを見て立ち上がる。まだ話は終わらないのかな……。そう思っているとレアが俺の方を向き、手招きしていた。

 

「大事な話の最中じゃないのか? どうかしたのか?」

 

「はい……これで最期になると思うので一つだけ……。後はもうこの鏡を通れば神域へと戻れるのですが……」

 

 一瞬、躊躇した後、俺へと手を差し出した。

 

「もし良ければあなたも一緒に……と思いまして……」

 

 心臓が大きく脈打った。てっきり俺はもうレアとは会えないのだと思い込んでいた。

 

「時間がありません。すぐに決めて下さい」

 

 手を取らなかったのを見てレアは言ったが、俺の中で答えは決まっていた。もう自分の心に嘘は付けない。レアと離れたくない。一緒にいられるならどこへだって行ってやる。

 

 俺は手を伸ばし、レアの手を

 

 衝撃が走り、体へと視線を落とすと心臓のある場所を貫き、真紅に染まった黒い腕が目に映った。ゆっくりと首を傾け、振り返る。そこに居たのは鬼の形相をしたヴィルゼギア。

 

「……貴様……だけは……許さない……許さない許さない許さない……」

 

 狂った声を上げ、俺から手を引き抜き笑い出す。が、その体が永くは保たないことは明白だった。

 

 体を穿たれた穴は、栓を失い、周囲を朱に染めた。止め処無く流れる血液……これ全部俺の血……かよ……

 

 跪き、血飛沫を上げて床へと突っ伏す。死にかけるのとは違う……冷たい……これが死……か……

 

 「……そんな……嫌です……お願いです……あなたがいないと私は……目を開けて下さい……ワタル……!」

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 どこだここ……暗い部屋……?違う……微かに煌めく光……見覚えがある……そうだ……ここは……

 

 ゆっくりと体を起こす。体を確かめるが穴は空いていない。

 

「……そうか、俺、死んだのか……ってことは」

 

 辺りを見回すとやはり居た。

 

「まさかまたここで会うなんてな」

 

「本当にそうですね」

 

 なんだかレアが女神らしい服装をしていることに逆に笑ってしまう。

 

「なんか懐かしいな。初めて会ったのもここだったよな」

 

 レアは何も返さない。

 

「それで? 俺はどうなるんだ?」

 

「先にあなたが意識を失ってからのことを説明します」

 

 レアが手を掲げると光の中に風景が映し出される。

 

「あなたの魂は今ここにありますが、肉体の方はまだ向こうの世界にいるままです。闇の王との戦いで命を落としたあなたですが彼女達は諦めず街へと運び、出来る限りの治療をして、今は屋敷に置かれています。もっとも……手遅れだということを重々承知しているようですが」

 

 手を戻すと、光は消える。

 

「そこであなたには二つの選択肢があります。一つは私の力を使ってあなたの命を戻すこと。あなたは命を落としましたが、肉体の滅びていない今なら一度だけ命を戻すことが可能です」

 

「……? 二つ目は?」

 

 そこで言葉を途切れさせるレア。口に出すことを憚っているかのようだ。

 

「もう一つは……私と共に往くことです。あなたは女神である私と深く関わりすぎた。その事を伝えれば人間ではなく神域の民として受け入れてもらえるはずです。そこでこれからも私と過ごしていく……それが二つ目です」

 

 この選択肢……闇の王と戦った後の俺なら恐らく選ぶのは決まっていただろう。だが今は……

 

「……俺は元の世界に戻る。サリアとメイルを……いや、俺の死を悲しんでくれる全ての人を置いて自分だけ幸せになるなんて出来ない」

 

 俺の答えにレアは静かに瞳を伏せる。

 

「……あなたならそう答えると思っていました」

 

 レアは椅子から立ち上がると、先程までの女神っぽい威厳はどこへやら。俺に背を向け、天を仰ぎながらいつも通りに話し出す。

 

「ここでようやくお別れですか。やれやれ……長い旅路でした」

 

「そうだな」

 

「覚えていますか? 最初にあなたが私を無理矢理ここから連れ出したんですよ? 女神であるこの私を」

 

「そう……だな……」

 

「それからも女神である私に敬意は払わない。それどころか一緒にギルドメンバーとして働けと言うんですから。結果的にサリアとメイルが仲間になってくれてどうにか今まで上手くいっていたから良かったものの」

 

「……」

 

「成り行きとはいえあなたと一緒の部屋で過ごさなくてはいけないし、あなたは何度も無茶をするし、その度に私があなた手助けをして、あなたに巻き込まれて危ない目にもあって、あなたはいつでも私のそばにいて、あなたは私を想ってくれた……そんな……」

 

 振り返ったその目には涙が溢れる。

 

「そんなあなたがずっと好きでした」

 

「ありがとう……それなのに……ごめん……」

 

 俺も好きだった。けど口には出さなかった。言葉にしてしまうと気持ちが揺らいでしまう気がして。

 

「いいんです。私にはそれだけで十分です」

 

 レアが大きく手を広げると、巨大な光の扉が現れる。

 

「この扉を通ればあなたは元の世界へ戻れます。最期に一つだけ確認を……。私に関する記憶は全ての人から消えることになりますが、あなたが望むのであればあなたに限り残しておくことも可能です。どうしますか?」

 

 あくまで女神として聞いたつもりだったのだろうが、その瞳は、自分の望みを隠しきれず、僅かに潤んでいた。

 

 「全ての人間が覚えてなくたって俺はレアのことを覚えておきたい」

 

 レアは瞳を伏せて頷く。

 

 「……分かりました。ではどうぞ進んで下さい」

 

 俺は眩い光へと足を踏み出す。

 

 「ワタル、あなたに女神の幸運があらんことを」

 

 体は次第に光に包まれていく。後ろは振り返らなかった。

 

 

 

 

 ……

 

 …………

 

 目を開くと映ったのは暗い夜空ではなく明かりの差し込む天井。見慣れた景色、辺りを見るまでもない。ここは"俺の部屋"だ。

 

「ワタル……?」

 

 声がして首を傾けるとサリアとメイル。どうやらずっと付き添ってくれていたようだ。

 

 俺は重い体をゆっくりと起こす。

 

「ワタル! 私はもう駄目かと思いましたよ!」

 

「本当に良かった。今回ばかりは私も諦めかけていた……」

 

 目の周りを赤く腫らしながら目を輝かせる。

 

「何ていうか……本当は駄目だったんだけどな……」

 

 二人は当然、首を傾げる。

 

「レアが向こうで上手くやってくれたみたいでさ……」

 

「レア?」

「向こう?」

 

 疑問を浮かべた二人の顔を見て、俺は大きく俯く。

 

 しまった。ついいつも通りのつもりで未練がましくレアの名前を出してしまった。この世界でのレアの記憶はもう誰にも残っていないのに。そう、俺以外は。以前の"穎知の雫"の時とは違う。本当にレアはもう居ないんだ……。

 

「悪い、なんでもない……」

 

 俯いていた顔を上げると、二人は俺を指差していた。なんだ? いや、違う……指差しているのは俺の後ろ……?

 

 ゆっくりと振り返った俺の目に映ったのは、窓から入り込む風に髪を靡かせ、太陽の光によって銀色の髪を照らされた少女の姿。

 

「なん……で……」

 

 この目に映るものが現実なはずがない。だが、夢だと信じるにはその姿は眩すぎた。

 

「いやその……あなたを見送った後に神域で主神様に包み隠さず全てを伝えたら……『最期まで面倒を見ろ』と怒られてしまって……」

 

「最期まで……って……?」

 

「あなたが天命を全うするまでそばにいる、ということですよ」

 

 レアは恥ずかしそうに微笑む。

 

「は……ははっ……」

 

 可笑しくて俺は大きな声で笑い出す。目から溢れる雫で頬を濡らしながら。

 

「お、おい。どうしたんだ? 大丈夫か?」

 

「しっかりしてくださいよ!」

 

 サリアとメイルはわけが分からず戸惑う。けど関係ない。一頻り笑い尽くし、俺は息をつくと

 

「俺も大好きだよ、レア」

 

 言えなかった言葉を口にする。

 

「は、え……ちょ、ちょっとやめて下さい、二人の居る前で!」

 

 顔から火が出そうなほど真っ赤なレアと何故か不満げなサリアとメイルが面白くて俺はまた笑い出した。

 

 

 

 これから俺はどんな人生を歩んで行くのだろう。幸福なことがあれば不幸なことも起こるだろう。けどこれだけは言える。俺の目の前にいる女神様が、ずっとそばにいてくれさえすればそれだけで……

 

「幸せだ」

 

 

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