幸福と不幸は女神様次第!?   作:ほるほるん

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暗闇を這いずる生きた屍【挿絵】

 日の光は嫌いだ。それは好みの問題ではなく体に刻まれている呪いのようなもの。だから外を歩くのは必ず夜。月明かりがあれば十分に視界は利く。今宵は薄っすらと紅い月が暗い夜空に良く映える。だが見蕩れている時間は無い。

 

 

「なあ、近頃の夜の街で野良の動物に被害が出てるのは知ってるか?」

 

 俺はいつも通りギルドで屯っている仲間に声を掛ける。首を傾げる二人に特に興味の無さそうな一人。

 

「初耳だが、そうなのか?」

 

「私も初めて聞きましたよ」

 

「俺も今さっき受付の人から聞いたんだけどさ。何でも野良犬とか野良猫が襲われてるんだってさ」

 

 ちょっとした事件のようだが俺はそれほど深刻には考えず、さらりと言う。

 

「なぜそんなことを? 物騒な話ですよ」

 

「それが、理由は今のところ謎らしい。ただ……」

 

「ただ?」

 

 俺はここで初めて真剣な顔で話す。

 

「喰われてるんだよ」

 

「……? どういう意味だ?」

 

「文字通りだよ。襲われた動物を偶然見つけた人の話では、食い千切られたみたいに体が抉られてたらしい」

 

「猛獣か何かが襲っているのか? この街中で……普通ならありえないな」

 

「その通りですよ。とっくに見つかっているはずですよ」

 

 二人の言う通りだ。俺も話を聞いた時は同じことを思った。

 

「それで本題なんだけどさ、そういうことがあったからしばらく夜の街を見回ってもらえないかって頼まれたんだ。俺は構わないんだけど皆はどうだ? 別にパーティを組まなくちゃいけない依頼ってわけじゃないんだけど」

 

 三人の中で直ぐに頷いたのはサリアだけだ。

 

「構わない……のだが、すまない。今日は用事があるから明日の夜からでも良いだろうか?」

 

「もちろん良いよ。助かる」

 

 俺はメイルに顔を向ける。

 

「わ、わた、私はその……」

 

 目を泳がせるメイル。この反応は予想できた。夜道を一人で帰ることすら怖がる彼女に頼むのは酷というものだ。

 

「いいよメイル、無理するなって。レアは?」

 

「面倒そうなので、あなたが一日やってみて楽そうなら、ということにします」

 

 こっちも分かっちゃいた。レアが夜にまで働くわけがない。

 

「じゃあ、今夜は俺だけだな。明日また、やってみた感じを伝えるよ」

 

 そういうことでこの話は落ち着いた。正直なことを言うと誰か一緒の方が心強かったが、明日はサリアが一緒に居てくれるらしいので今日だけ我慢だ。

 

 

 夜。俺は月明かりの街道を行き、ギルドの扉を開ける。そこには数人のギルドメンバーが集まっており、皆が装備を整えている。俺と同様、同じ依頼を受けた人達のようだ。

 

 それから今回の依頼のリーダーらしき人から簡単な説明を受けた。と言っても街を見回るだけなので各自の見回り範囲の指示を受けたくらいだが。見回りにあたって、渡されたのは松明と危機を報せる呼笛。静かな街の中で吹けば直ぐに他の人に伝わるだろう。

 

 俺が指定された場所は街の外壁沿いなのでギルドからは少し遠い。街は中心ほど明かりが多いので、離れる程に辺りは暗くなっていく。次第に周囲は闇に覆われ、辺りを照らすのは手に持った松明だけになった。

 

 

 しばらく街道を歩いていた俺だったが、特に変わった様子もなく夜も更けた時間ということもあり眠気の方が増してきた。俺は担当の範囲を一周し終えると近くにあった木箱の上に腰を下ろす。

 

「楽っちゃ楽なんだけど暇だな……まぁこれで報酬が貰えるならいいか……」

 

 夜空を見上げながら呟く。僅かに紅みがかった月が綺麗だ。

 

 そんな俺の月見を遮るように路地から声が聞こえて来た。男数人の声、俺は直ぐに様子を見に行く。

 

 路地には三人の男と一人の……女性? 男達の姿に遮られてよく見えない。

 

 男達の声の大きさや話し方から察するに彼等は酔っ払っているようだ。要領を得ない話し方で女性に絡んでいるところを見るに、偶然通りかかった相手を呼び止めているといった様子だ。

 

「ったく……今は夜に出歩くのは危ないって分かってるのか……?」

 

 俺は溜息をつく。

 

「おいお前ら、何やってんだ。その女の人が困って……」

 

 男達がその場に崩れ落ちた。本来ならその事を心配するべきなのだろうが、俺の目にはその女性しか目に映らなかった。見間違えるはずもない。

 

「クローリア!?」

 

「おや、お主は……久方ぶりだな」

 

 相手ももちろん俺のことを覚えていた。吸血鬼の主祖、クローリアだ。

 

「どうしたんだ? こんなところで」

 

「これか? この者達が妾に気安く話掛けるのでな。目障りなのでこうさせてもらった」

 

「いや、まぁそれは別にいいんだけど……そもそもなんでこの街へ?」

 

 俺の問いにクローリアが目を細める。

 

「少し厄介な物がこの街に入り込んでしまってな。それを捕えに来た」

 

「……?」

 

「お主も知っての通り妾達は吸血鬼の一族だ。一度、意識を操られて人間と敵対したこともあったが本来、吸血鬼が他種族と敵対することなどほとんどない。……ほとんどというのは唯一、嫌悪する種族が居るからだ」

 

「嫌悪する種族……?」

 

「吸血鬼は血液を必要とするが、必要以上に相手を傷付けることはない。だが奴等は生物を喰い物としか見ていない。……人間もその対象だ」

 

 喰い物、という言葉で直ぐに嫌な予感がした。

 

「血肉を貪る生きた屍……屍食鬼だ」

 

 血の気が引く。そんな奴が存在していることに。そしてこの街に居るというその事実に。

 

「でもどうしてそいつがこの街に居るってことが分かったんだ?」

 

「すまぬ……実は今この街に居る屍食鬼は妾の城の地下に幽閉していたのだ……。偶然、妾の留守の間に牢屋の鍵が外され、奴は外に出た。使いの吸血鬼達に奴を止めることなど不可能だ」

 

「それでわざわざクローリアが来たってわけか」

 

 クローリアは静かに頷く。

 

「実は俺がここに居るのは……」

 

 少し離れたところから悲鳴が聞こえた。鳴き声から察するに小型の動物の物のようだ。まさか……? そう思った時には既に俺達は走り出していた。

 

 

 しばらく声を頼りに路地を進んで行くと、声はどんどん鮮明になっていく。そしてそれはもうすぐそこに……

 

 俺が曲がり角からそっと顔を覗かせるとそこには一見すると人間のような女の子が地面に座り、辺りには小動物だった物が散らばっていた。

 

 

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 彼女の手には黒ずんだ赤い液体が滴る。そしてそれを自分の口に運び……

 

「やめろ!」

 

 思わず身を晒して叫んだ。だが相手は片目をこちらに向けただけで手は止まらない。

 

 舌打ちと共に俺は駆ける。状況から見てこいつがクローリアの言っていた奴に間違いない。なら俺が止める。

 

 俺は短剣を相手の手を目掛けて振るう。切り落とすつもりではなく切り付けるだけのつもりだった。だったが……

 

 相手は小さな呻き声と共に短剣の軌道へと手を伸ばした。想定外の事に俺は短剣を振り切る手を止めることが出来なかった。

 

 何の抵抗もなく手首へ滑り込んだ刃は、想定していたよりも遥かに深く肉を切り裂き、骨を断つ。

 

「なん……だよこれ……」

 

 俺が人を切るのは初めてではない。だが今までのどの感触とも違う。筋肉が弛緩しているなんていうものではない。まるで脂肪の塊を刃が滑るような感覚だった。微かに固形物のような物を断ったのは分かったがあれが骨……?

 

 傷口を視界に収めながら、俺は自分が切った物が生き物であることが信じられなかった。しかし、手に持った短剣には黒い色をした血がべっとりと塗られていた。

 

「……ぁ……ぅ……」

 

 悲鳴も上げずに自分の腕を見つめる。痛みを感じていないのか……? 俺の疑問をよそに彼女は腕を地面へ下ろす。それと同時に傷口から大量の血が吹き出す。

 

 目を覆いたくなる光景と耳に入り込む不規則に肉を擂り潰すような音。俺は思わず自分の口へ手を当てる。

 

 血の海となった地面から再び腕を上げると負った傷は跡形も無くなっていた。

 

「無駄だ。奴はたとえ全身を擂り潰されても物理的要因で死ぬことはない」

 

「クローリア……」

 

 その光景を見ただけで俺の心は折れそうだったが、見慣れているといった様子のクローリアに少しだが救われた気がした。

 

「それじゃ……どうすればいいんだ……?」

 

「血だ」

 

「血……?」

 

「既に屍と化している相手を吸血鬼の力で支配する事は出来ぬ。だが奴は体を再生する度に自分の血を使う。そして体の血を全て使い切るまで殺し続ければ奴は死ぬ。妾達はそうして始末してきた。もっとも……気の遠くなる程の時間がかかるがな」

 

 つまり……今ここで倒すのは無理ってことか……

 

「だからクローリアは奴を捕まえに来たって言ったんだな。分かった……まずは俺があいつを弱らせるから後は……」

 

 言い終える前に、座っていた相手が突然立ち上がり、猛然と俺達へと駆ける。いや、狙いは俺か……? 俺は相手の手を受け止め……

 

「避けよ!」

 

「……っ!?」

 

 クローリアの声に俺は身を躱した。咄嗟のことだったが既のところで手は体を横切り、触れたのは着ていた服のみ。

 

「っ……危ねえ……どうしたんだクロ……」

 

 聞く前に分かった。避けろと言った意味が。奴に触れられた服の部分が黒ずみ、ぐずぐずと音を立てて千切れ落ちていたからだ。そしてそれは未だに侵食を続け、俺は慌てて上着を脱ぎ捨てた。

 

「奴等は自身が腐敗していると共に、手で触れた相手にもそれを侵食させる」

 

「なるほどな……そりゃ苦労するわけだ」

 

「どうする? 代わるか?」

 

 心配そうに尋ねるクローリア。けど「はい、お願いします」って言えるわけないよな。

 

「心配するなって。奴の両手両足削ぎ落としてやるよ」

 

 俺が駆けると同時に相手もこちらに体を向け、俺へと手を伸ばす。

 

 触れられてはいけないということもありいつもより集中が増す。少し大きく手を避けた後、相手の腕の根本へ短剣を振るう。滑り込む刃から手に伝わる感触が気色悪く、目を細めながらも短剣を振り抜いた。

 

 正直、何度もこの感触を味わいたくない。俺は奴の目の前で構えると

 

 残った手足に刃を振るった。まるで同時に切り付けたかのように三つの光が走る。

 

 当然だが相手は立っていられず、そのまま地面へと崩れ落ちた。これでしばらくは動けないはずだ。でもしばらくしたら再生するんだよな……後はクローリアに任せよう。俺は後を振り向く。

 

「おーい、クローリア! とりあえず手足は使えないようにしたけどこれで……」

 

「……! 馬鹿者! 奴から目を離すな!」

 

「えっ……」

 

 ひたりと俺の左腕に冷たい物が触れる。形状からそれが人の手だと理解するより先に、俺の腕は体ごと後へと引き摺り込まれた。

 

 しまった。最初に奴が再生するのを見た時はこんなに早くは無かった。だからしばらくは動けないなんて思い込みを……

 

 不揃いな歯が耳障りな音と共に俺の腕の肉へと喰い込んだ。そしてそのまま首を捻ると、肉は食い千切られ血が吹き出した。目の前で口から真っ赤な血を滴らせながら歪な笑みを浮かべる奴の悍ましい姿に俺は声を上げることも体を動かすことも出来なかった。

 

「離れよ!」

 

 クローリアに弾き飛ばされ、壁に叩きつけられながらも奴は俺の一部を咀嚼し続ける。

 

「大丈夫……では無さそうだな」

 

 声を掛けられて今になって全身を痛みが突き抜けた。食い千切られた部分が焼けるように痛む。しかもクローリアの話では奴の手に触れられた部分も侵食され……

 

「……?」

 

 奴に触れられた腕からは小さな音を立てながら微かに白い煙が立っていた。侵食されているから? 違う。逆に奴に触れられて黒ずんでいたのが少しずつ元に戻っていく。これは……?

 

「……っ……ぅぐっ……!」

 

 呆ける俺とは対照的に、苦しそうに呻き声を上げるは俺を喰った奴の方だった。

 

「一体何が起きている? なぜ侵食されぬ?」

 

 聞きたいのはこっちの方だ。自分の身に起こっていることなのに何が何やら分からない。

 

 俺は何も答えることが出来ずに首を横に振る。それを見たクローリアは何か考えが浮かんだように俺の腕から滴る血へと指を触れ、そのまま自分の口へと運ぶ。

 

「やはりな……お主、どこでそうなったのかは分からぬが神聖な力を取り込んでいるようだな」

 

 そう言われて真っ先に脳裏に浮かぶ少女が居た。俺は自嘲気味に笑うと

 

 「まったく……あいつには助けられてばっかりだ」

 

 俺はふらふらと立ち上がり、手を前に出す。

 

「お、おい。お主、大丈夫なのか? それに奴に魔法は……」

 

「大丈夫だ」

 

 瞳を閉じた俺の脳裏に映るのは風の少女……精霊魔法を奉唱する時はいつもそう。だが今はもう一人重なる。

 

 開かれた瞳は真っ直ぐに見つめる。

 

「『熾風精霊魔法(ロウ・ウェントゥス・エイク)精霊獣の光牙(フェイル)”』」

 

 一本の光が相手を貫く。確かにただの精霊魔法では意味が無かったのだろう。だが

 

 周囲に人の声とは思えない悲鳴が響き渡った。突き刺さった光の牙が触れている部分から奴の体が消えていく。引き抜こうと伸ばした手はそのまま掻き消された。

 

「これは……光と風の精霊魔法?そんなことが可能なのか……」

 

「初めてだったけどな。なんでかな、不思議と失敗する気が起きなかった」

 

「無茶苦茶だなお主は……」

 

「確かにな。けどおかげで……」

 

 そこにはもはや姿形はなく、残されたのは辺り一面に飛び散った黒い血痕だけだった。

 

 ようやく肩の荷が下り、一息つくと同時に痛みが走った。侵食されなかったとはいえ食い千切られたことには変わりはない。

 

「そこに座るとよい。手当てしよう」

 

「ありがとう……頼むよ」

 

 手当てのために差し出した腕からは血が滴る。

 

「こんなに血が……早く止めなくてはな。こんなに……血が……」

 

 滴った血の一滴をそっと手で受け止め、クローリアが小さく喉を鳴らす。

 

「しかし出てしまったものは仕方がない……少しくらい貰っても……」

 

「いや、ダメだろ」

 

 つい否定してしまったが、露骨に残念そうな彼女を見て、お礼に少しくらいならと思ってしまう俺だった。

 

 

 手当てを終え、俺達はギルドへと報告へ来ていた。と言ってもクローリアはギルドの外で待っているが。あまり顔を見られたくはないらしい。

 

 報告と言っても相手は既に居なくなってしまったので、どう報告すればいいか困ったが、とりあえず明るくなったらその現場を見に行くということで話はついた。もしかして、あの血だらけの場所って後で掃除させられるのか、と思うと少し気が重くなった。

 

 ギルドの外へ出るとクローリアが夜月を見上げていた。

 

「おや、もうよいのか?」

 

「ああ、明日現場を確認したらそれで終わりだってさ」

 

「そうか、ならば良かった。お主にも迷惑を掛けてしまったな」

 

「そんなことないって。無事に解決できて良かったよ」

 

 クローリアは小声で何かを言った後、俺のそばへ一歩前に出る。

 

「お主には礼がしたい。妾に出来ることなら何でもしよう」

 

 耳元で囁かれ、背筋が痺れた。

 

「か……考えておくよ」

 

「そうか? ならばいつでも言うとよい」

 

 一歩離れ、彼女は踵を返す。

 

「ではすまぬが日が昇るまでに帰らねばらなぬのでな。これで失礼する」

 

 静かに微笑む彼女に俺は呆けながら応える。

 

 徐々に遠くなる背中と空に浮かぶ紅い月。月と吸血鬼という絵面があまりにも似合いすぎて俺は思わず見蕩れてしまった。

 

 

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