俺がクエストの報告のついでにギルドの受付嬢と話をするのは珍しいことではない。と言っても俺が一方的に話し掛けているようなものだ。しかし、その日はいつもとは違っていた。
「貴方にぜひお願いしたいことがあるのですが」
俺が何か話でもしようかと考えていると意外にも向こうから話し掛けられた。
「え?誰かからの依頼か?」
「いえ、私からです」
いつも話をすると言っても事務的な返事しかしてくれないが、今日は相手からお願いときた。
「へえ、珍しいな。いいよ、俺に出来ることなら何でも言ってくれ」
「では……。見てもらえば、ギルドで働いているのは私だけではないことは分かりますね?」
「ああ、そうだな」
どういう勤務形態なのかは知らないが基本的に受付に座っているのは、今、話している受付嬢の人だ。名前はマリーナ。だがそれ以外にも奥で作業をしているギルド嬢は何人か居る。
「それで、新しくここで働くことになった方が一人居るのですが、今までギルドで働いた経験がないという話で、受付嬢としての指導は私がするのですが、実際にギルドメンバーがどのような事をしているのかを教えてあげて欲しいのです」
「なるほどね。クエスト中、その子の面倒を見て欲しいってわけだ」
「はい、その通りです。お願い出来ますか?」
「勿論いいよ。で、その子は?」
「今日は来ていません。明日からということになっています」
「了解。じゃあまた明日ギルドに来るよ」
その場はそれで話を終える。どんな子なのだろう、と気になりながら。
翌日、ギルドで受付嬢のところへ行くといつもの通り受付に座っていた。……怪訝な顔をして。
「おはよう、来たけど……どうかしたのか?」
「折角、来て下さったのに申し訳ありません…来ないんです」
「来ない……?何が?」
俺が尋ねると受付嬢は机を叩いて立ち上がる。
「新人の子がです!有り得ますか?初日からですよ!?」
突然のことに俺がびっくりした。結構厳しい感じの人だとは思っていたがやはりそうだったようだ。
「失礼しました。取り乱しました」
「お、おう……それは困ったな……。どうする?来るまで待つか?」
「本来なら私が呼びに行きたいのですがここを離れられないので…重ね重ね申し訳ないのですがクエストに行く際についでで良いので様子を見てきて頂けませんか?」
「気にしなくていいって。分かった、任せてくれ」
俺は家の場所を教えてもらうと同時に名前も聞いた。スロイアという名前らしい。
それから俺は仲間に事情を説明して、クエストへの同行と、出発前に彼女の家へ寄ることを了承してもらった。自分で頼んでおいて何だが大事な初日にやって来ないという時点で少し嫌な予感がしていた。たぶん他の仲間もそう思っただろう。
簡単なクエストを選び、支度を整えた俺達はギルドを出てスロイアの家へと向かった。地図を頼りに向かったそこは街の出口の近くにある宿だった。サリアやメイルと同じように部屋を借りているようだ。
その一室の扉を俺はノックしていた。三人には宿の外で待っていてもらった。あまり大人数で押しかけられても困るだろうからな。
だが一向に扉が開かれる気配も、中から返事も無かった。もしかして居ない?それとも部屋で何か……?少し心配になり、俺はより強めに扉を叩き、大きな声で名前を呼んだ。
すると、小さな声と共に何かが崩れるような低い振動が響き、呻き声が聞こえた。とりあえず部屋には居たようだが一体、何をやっているんだろう……。
俺が疑問に思っていると静かに扉が開かれた。現れたのは一目で部屋着と分かる簡素な服を着た女性。
「アイタタ……ごめんなさいこんな格好で……。急なことだったもので」
「いや、こっちこそ悪かったよ……スロイアっていうのは君であってるか?」
「は、はい!そうですが何かご用ですか?」
何かご用ですか。じゃないんだが。なぜ部屋に居るのにギルドに来ない?
「俺はギルドメンバーで、マリーナに頼まれて様子を見に来たんだけど…」
「ギルド……マリーナさん?受付の……」
彼女は部屋の壁に掛けられた日付へと目を向けた。みるみるうちに顔が真っ青に染まる。
「あああ!ご、ごめんなさい!そういえば今日でした!忘れてたわけじゃないんです!」
あたふたとその場を彷徨きながら狼狽える。
「俺に言われても……早くギルドに行った方がいいんじゃないか?」
「そ、そそそうですよね……!直ぐに着替えますから!」
そう言って俺の目の前で上着に手を掛ける。
「ちょっ!?俺が出てってからにしてくれよ!」
俺は顔を逸して扉を閉めた。何も見てない、俺は何も見てないぞ。
「じゃあ、俺達はクエスト行くからギルド行ってくれよ」
扉越しに言うと力ない返事が返って来た。行きたくないのは分かる……けどここを乗り越えて欲しい。俺は心の中で応援し、部屋を後にした。
あの子はちゃんとギルドに行っただろうか?そんなことを気にしながらのクエストだったが特に問題もなく終え、ギルドへと戻った。
ギルドの扉を開けると見慣れた空間。……のはずだったのだが入り口の脇に変な物を見つけてしまった。
そこには薄い布を引いた床に座っている、いや、正座させられている人が居た。スロイアだ。なぜこうなったのかは容易に想像出来る。
「うぅ……ワタルさん……」
しまった。思わず目を合わせてしまった。哀れな者を見る目になってなかっただろうか。
「なんで……かは分かってるけど、何してんだ……」
「このくらいは当然です」
その声にスロイアの体が震える。奥から現れたのはマリーナ。いつもは見せない笑顔が怖い。
「初日から堂々と遅刻してくる子には言葉ではなく体に教育する必要がありますから……そう思いますよね?」
えっ、俺に聞いてるのか……。チラリとスロイアを見ると助けてくれと言わんばかりにこちらを見上げていた。俺は瞳を伏せる。
「あぁ、その通りだな!」
悪いなスロイア。俺は正しい方の味方だ……!とはいえ流石に見捨てるのは可哀想だ。
「ま、まぁ……こんなもんで許してやってもいいんじゃないか……?」
俺がそう言ったから、というわけでもないだろうがマリーナは溜息をつくと
「……そうですね。ちゃんと反省していますか?」
スロイアは何度も大きく頷く。
「では今日は帰って良いですよ。明日は遅れず来て下さいね」
「は、はい!」
「良かったな。立てるか?」
手を差し伸べると彼女は手を取り、ふらふらと立ち上がった。
クエストの報告をした俺達はいつも通り一つの机に集まる。そこにもう一人。
「どうしたんだ?帰らないのか?」
「その……お世話になる方達のことを知っておきたくて……ご一緒してもいいですか?」
頭を下げる彼女は本心からそう思っているようだった。日付をど忘れするくらい別にいいじゃないか、こんなに真面目で良い子なのだから。
「もちろんいいよ」
俺は彼女に、仲間のパーティでの役割などを話した。うんうんと頷きながら聞く彼女を見て、明日から一緒にクエストに行くということにも安心出来た。……その時は。
翌日、ギルドを訪れるとちゃんとスロイアは来ていた。流石に二日連続で遅刻ということは無かったようだ。なんだか俺の方がほっとした。
「おはよう、今日はよろしくな」
「は、はは、はい!よ、よろしくお願いします!」
大げさに頭を下げる彼女。
「緊張し過ぎだよ。ちょっと肩の力抜けよ」
と言われて抜けるから苦労しないのだろう。彼女は首を縦に振りはしたが相変わらずガチガチだ。
「すみません……よろしくお願いしますね」
受付越しにマリーナが頭を下げる。今日は自分の仕事で忙しいようだ。
「心配ないって、それじゃ行こう!」
今回のクエストはスロイアが初参加ということもあり簡単なものを選んだ。つもりだったが……
「あっ、あの生き物、本で見たことがあります!」
そう言ってスロイアは、俺が止める前に叢から顔を出す小さな羊のような生き物に手を伸ばす。
うん、そいつが可愛いのは分かるよ。俺も初めはそう思ったよ。でもそいつは……
その子羊の後ろの叢から似ても似つかない凶暴そうな巨大な生き物が姿を現す。
「へ……?」
踏み潰されそうになるのを俺が彼女を抱えて助ける。
「無茶すんな!あいつは子供を触られると滅茶苦茶怒るんだよ」
「そ、そうなんですか!?」
俺達は普段から気を付けているのでこちらから手を出さなければ問題は無かった。知らなかったとは言え少し不用心すぎる。
その後、俺達はどうにか親羊をやり過ごしながらその場を後にした。彼女はその時は反省していた。が……
それからも彼女は俺が目を離すとふらふらと予想もしない行動を繰り返した。もちろんわざとではないようだし反省はするが改善はしない。無意識にそうなってしまうという様子だった。
紆余曲折はありながらもクエスト自体は達成出来た。だがいつもの三倍は疲れた。
「ごめんなさい……ご迷惑をおかけしてしまって……」
街への道中、スロイアは肩を落とし、申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいって、初めてなんだしさ」
とは答えたが、想像以上に大変で少し困っていた。
「ワタルさん……。私……昔から知らず知らずに余計なことをしてしまって……。このパーティでも……皆さんはとっても優秀なのに」
優秀、と言われて悪い気はしない。俺は少し照れながら
「そんなことないって」
「そんなことありますよ!短剣を使いこなしていて精霊魔法まで使えて……凄いです」
俺を真っ直ぐに見つめて目を輝かせる彼女。それを見ていたサリアとメイルが小さく咳払いをする。
「あっ、ごめんなさい。もちろんお二人も。私、魔法使いの方も戦士の方も初めて見ましたがとても格好良かったです!」
普段あまり褒められることがないからだろうか。二人は嬉しそうにはにかむ。レアは……人からの言葉を気にするような奴じゃないか。
ちゃんと謝れるしおべっかではなく素直に人を褒められる。これなら少しくらい迷惑を被っても許せる。そう思えた。
スロイアを連れてのクエストは三日間に及んだ。初日こそ舞い上がっていた彼女だったが最終日には多少は落ち着いていた。こうやって人は成長していくんだなと感心した。
ギルドへ戻った俺達は受付へと行き、マリーナにクエストを報告する。いつもなら報酬をもらって終わりだが
「お話があるのでこちらへお願いできますか?」
そう言い、受付の裏へ案内される。こんな場所へ来たのは初めてだ。
「三日間お疲れ様でした。そして、彼女のこと、ありがとうございました」
「本当にありがとうございました」
マリーナとスロイアは頭を下げる。
「そんなお礼なんていいって。全然大したことは……あ、でも初日は……」
「うっ…それはその…」
痛いところを突かれ、ぐうの音もでない彼女。ちょっと意地悪だったな。
「ははっ、冗談だって。今日まで楽しかったよ。お疲れ様」
笑いながら話す俺達だったが、マリーナが咳払いをする。
「とりあえずは終わり、ということにはなりますが、最後に一つだけ。あなた方から見て彼女はギルドで働くに相応しいと思いましたか?」
真剣な表情で尋ねられる。情けでの評価は不要ということだ。不安そうに見つめるスロイア。俺の中で答えは決まっていたが三人にも目を向ける。頷いたのを見て
「もちろんだ。きっと良いギルド嬢になるよ。保証する」
俺の答えに目を輝かせるスロイアと、肩の荷が降りたという様子のマリーナ。彼女もまたスロイアのことを心配していたようだ。
「ありがとうございます……!私、嬉しいです。初めてご一緒出来たのがみなさんのパーティで本当に良かったです……」
安堵からか瞳に涙を溜め、震える声で言った彼女を見て、苦労することもあったが力になれて良かったと思うことが出来た。
「ありがとう。でも、こうして一人前になれたのはスロイアが頑張ったからだよ。明日からもうギルドで働くことになるのか?」
「はい、そうですよね。マリーナ先輩?」
「え?」
「え?」
期せずして呆けた顔を見合わせる二人。
「貴方にはまだ教えることが山ほどあります。それを全部覚えてからに決まっているじゃないですか。それに試験もありますし」
「えっ?あの…?」
何となく俺もそんな気がしていた。彼女がこの三日間で経験したのはギルドメンバー側のことであってギルド嬢側のことはまた別なのだから。
「もしかして最初にした説明をちゃんと聞いていなかったのですか?」
にっこりと微笑んだマリーナと対象的にスロイアの頬には冷たい汗が滴った。あぁ、これから怒られるんだろうな。と察した俺は立ち上がる。
「それじゃ、俺達はこの辺で」
「えっ、ワタルさんちょっと待っ……」
続いて立ち上がろうとした彼女の肩をマリーナががっしりと掴む。
「どこへ行こうというんですか?話はまだ終わっていませんよ」
助けを求めるような彼女を尻目に俺はそっと扉を閉める。……ギルドの仕事というのは教える方も教わる方も大変なんだなと思った。今回は完全にスロイアの方が悪い気もするが。
二人きりになったあの部屋で何が行われるのか想像もしたくないが、今回のことを教訓に良いギルド嬢になってくれるよう心の中で祈る俺だった。