正直に言う。俺は魔法の扱いが苦手だ。理由は特にない。それは生まれつきの資質によるものらしいからだ。精霊魔法なら使えているがそれはエイラと協力しているからであって俺だけの力ではない。だから素直に羨ましく思う。詠唱する姿が絵になる青髪の少女の姿を。
ある日、俺は屋敷のベッドに横になっていた。予定のない日はいつもこうだ。だらだらしながらその日することを考える。
「なあレア、それ何読んでるんだ?」
「これですか?料理の本のようなものですよ」
そう言いながら背表紙を掲げる。確かに料理の絵が描かれている。
「色んな本を読んでるけどさ。どこで仕入れてくるんだ?」
「屋敷の書庫がほとんどですが、街にある古本屋で買うこともありますね」
「古本屋…」
俺は今まで本に全く興味がなかったのでそんな店があることなど知らなかった。だがいい機会か?
「場所を聞いてもいいか?ちょっと行ってみるよ」
「構いませんが…変な本を買ってこないで下さいよ」
「変な本ってなんだ?何か置いてあるのか?」
「っ…!何でもありませんよ。ほら、ここですよここ」
何故か動揺しながら街の地図を指差す。それほど入り組んだ場所じゃない。これなら簡単に行けそうだ。
「ありがと、ちょっと行ってくるよ」
屋敷を出た俺は記憶に刻んだ古本屋の場所を頼りに街道を歩いて行く。どんな本があるのか楽しみだ。
その店は大通りではなく一本路地に入ったところだった。どことなくエンクリットの店を彷彿とさせるが変な店じゃないよな…?
それ程広くはない店内にぎっしりと本が詰め込まれ、積まれていた。その天辺ににあった本を手に取ってみるが字が読めない…。基本的な字の読み書きはナタリアに教わったのだが昔の字とかだろうか?
読めない本を開いても仕方がないので俺はそれを元の場所に戻したが、元々バランスの悪かった本の山がその僅かな衝撃で崩れてしまった。俺は慌てて大まかにだけでも元通りに積み直す。
その途中で一冊の本が目に留まり、手を止めた。それが目に留まったのは俺が読める字だったからだろう。表紙に殴り書かれている本の題名は…
「ゴブリンでも出来る催眠魔法…」
誰かが巫山戯て付けたとしか思えない名前だったがそれが逆に俺には親しみやすかった。流石に魔法適性がゴブリン以下ではないと信じたいが。
なんてことを考えながら本を開く。
「えーっと…どれどれ…」
本には催眠魔法とやらのやり方が書かれていたが拍子抜けするほど簡単なもので、本当にゴブリンでも出来そうだった。
「うん…これを書いたやつ中々ユーモアのセンスがあるな」
こんな簡単な方法で魔法にかかるものか。こんな胡散臭い本を信じる奴が居たら逆に見てみたい。目の前でやられても絶対にかからない自信がある。まぁ、ネタとしては面白い本だった。
俺は本を閉じると、そのまま本の山の中に戻す。
それから適当に本を見ていったが読める本の方が少なく、ある程度の時間を過ごし、俺は結局何も買わずにその場を後にした。
屋敷へ戻ると、俺が本を買ってこなかったのを見たレアは「やっぱりですか」という顔をしていた。無教養で悪かったな。
翌日、俺は用事があり、街道を歩いていた。目指すのは宿屋の一室。扉を軽く叩くと部屋の主が迎え入れてくれる。
「いらっしゃいませですよ」
整頓されたこの部屋も見慣れたものだ。俺は部屋に置かれた椅子の腰掛ける。大した用事でもないのでゆっくりさせてもらうことにする。
俺が何か話でもしようかと考えていると、メイルはごそごそと棚の中を漁り出した。
「どうかしたのか?」
「ちょっと面白いものがあるんですよ。えっと、確かこの辺に…」
何だろう?気になる。俺が期待しながら待っているとメイルは一冊の本を取り出した。あれ、おかしいな。見覚えがある。
「催眠魔法の本ですよ!」
やっぱりそうだ。ていうかここにあるってことは買ったのかよその胡散臭い本。
「…それ、どうしたんだ?」
「新しい魔法の開拓用に買いました。結構、面白いですよ」
「へえ…」
おかしいな、俺の中のメイルはもうちょっと賢い奴のイメージだったんだが。
「試したいですよ」
「え?」
「折角なので誰かに試したいですよ」
「そっか、誰か試させてくれるといいな」
俺は無理矢理この話を終わらせようとしたが、メイルは俺の肩に手を乗せて微笑む。
「ワタル。一緒に新しい魔法の道を切り開きますよ!」
分かった。こいつは頭が悪いんじゃない。ちょっと阿呆なだけだ。
「分かったよ…どうすればいい?」
俺が溜息を付いて言うと、メイルは嬉しそうに本を開く。そして魔法石を紐に括り付けた物を取り出した。
「体の力を抜いてこれを見つめていて下さいよ」
俺の目の前でゆらゆらと魔法石を揺らす彼女。端から見たら何してんだと思われそうだがここは部屋なので気にしなくて済んで良かった。
メイルは小さく魔法を唱えながら手を動かす。
それに釣られて徐々に魔法石の振れ幅が大きくなる。残像を残しながらゆっくりと揺れるのを見ていると何だが意識が薄れていく……わけがないよなぁ。
俺はぼんやりと魔法石を眺めていたが何も変化がなくて眠くなってきた。
「なあ、もういいか?その本はやっぱりでたらめだろ…」
「…」
俺が話し掛けてもメイルは答えない。
「メイル…?」
「…」
目の前で手を振ってみても虚ろな目をしたまままばたきもしない。まさか…
「…右手上げて?」
何も言わずに右手を上げる。左手を上げるように言うと左手も上げる。
間違いない。理由は分からないが催眠魔法を掛けようとしていたメイルが逆に掛かってしまったらしい。
…意図せず、唾を飲み込んだ。俺は悪くない。俺は悪くないんだ。うん、勝手にこうなったメイルが悪い。
俺は周囲を確認してから、メイルの耳元で囁く。
「…上着を脱いでくれたりする?」
「…」
何も答えずに自分の服に手を掛ける。自分で言っておいてなんだが目の前で起きている出来事が信じられなかった。こんな簡単に…
「…」
俺は見てはいけないと思いながらも、止めることも、徐々に露わになる白い肌から目を離すことも出来なかった。
…?黒い服と白い肌の境界が途中から動かなくなった。俺が視線を上げると顔を真っ赤に紅潮させたメイルが俺を見下ろしていた。あっ、これ怒られるやつ…
「…?メイル?」
「あの…どうしてこうなっているのか…分かりませんよ…」
小刻みに震えながら口を動かす彼女。…もしかして覚えてない?
「あー、えっとその…俺も驚いたよ!メイルが急に服を脱ぎだしたから!」
「そ、そうだったんですか!?ごめんなさい、全く覚えていませんよ…」
やれやれ…メイルが覚えていなくて本当に助かった。俺が変態だと誤解されるところだった。
「いつまでそうしてるんだ?手を下ろして良いんだぞ?」
メイルは服を持ち上げたままの姿勢で固まっている。
「…手が放せませんよ」
「…え、本気で?」
メイルは微かに頷く。つまり意識だけ戻って体は操られたままということか。
「じゃあ俺が何をしても動けないのか?」
「!?」
冗談のつもりで言ったが実際動けない時に言われたら驚くよなそりゃ。
「何をするつもりですか!?あまりに変態的なことをすると人を呼びますよ!」
ちょっとならいいのかよ、と思ったが口には出さない。
「冗談だよ冗談。あの本のどこかに解術の方法が書いてあるだろ。ちょっと借りるぞ」
俺は本を手に取り、隅々まで目を通していく。同じ部屋で服を脱ぎかけている少女とそのそばで本を読む男…なんなんだこの絵面は…。
いくつか頁を捲っていくとそれらしいものを見つけた。
「あったあった。えーっと…」
俺は本を持ったままメイルの前に立つ。
「魔法石もちょっと借りるぞ。そんでこれを持ったまま…」
俺が両手をメイルの目の前で鳴らすと、体が小さく震えた。
彼女は自分の体の動きを確かめるように手足を少しずつ動かす。
「ちゃんと解けたみたいで良かったな」
「本当ですよ。ワタルが変な冗談を言った時はもう駄目かと思いましたよ」
「信用ないなぁ。そんなことするわけないだろ?」
メイルが本気で言っているわけじゃないのは分かってる。そう思うと少し胸が痛んだ。ごめんな、ちょっと魔が差しただけなんだ。
「それにしても本当にこんな簡単に魔法が使えるなんてな」
「確かにですよ。ですが赤の他人だったら目の前で魔法をかけさせてくれるわけがないですよ」
「それもそうだ。あくまでお遊び程度だな。でもなんで上手くいかなかったんだろうな。何か手順でも間違えたか?」
俺は最初から本を読み直しながら言う。
「そうかもしれませんよ。今度はワタルが試してみて下さいよ」
「そうだな。せっかくだし…上手くできればいいんだけど」
思ったよりまともな魔導書みたいだし覚えられるなら覚えておいても損はないだろう。だが、メイルの二の舞いになっては困るので、俺は慎重に何度も手順を確認し、メイルの前へ紐付きの魔法石を垂らす。
本に書かれた呪文を唱えながら紐を揺らす。問題ないはずだ、手順もやり方も間違えていない。これなら絶対に上手く…
相手の目の前で魔法石が揺れる。それは俺が揺らしている物のはずだが、まるで自ら揺れているかのように徐々に俺の意識から離れていく。
…
……
場面が切り替わったかのように、目の前の光景が変わった。魔法石を見つめていたはずのメイルはなぜか俺へと手を伸ばしていた。
「…メイル?」
「あっ」
メイルはしまったという表情をしたあと、手を戻す。
「ど、どうやら意識を失ってしまっていたみたいですよ」
顔を逸し、吃りながら彼女は言った。
「だろうな…で、何をしようとしてたんだ?」
「べ、別に何でもありませんよ?そんなことより体はどうですか?私と同じなら動かないはずですよ」
確かに動かせない。けど意識ははっきりしている。
ぴくりとも動かない俺を見て、答えずともメイルは察したようだ。口の端を歪めると
「そうでしょうそうでしょう…つまり、私が何をしてもワタルはなすがままということですよ!」
俺に驚かされた仕返しのつもりだろうか。
「おいおい、根に持ってたのかよ。そんな冗談言って…」
俺は笑い飛ばしていたがメイルは何も言わずに俺の服へと手を掛けた。
「メイルさん…?」
嘘ですよね。俺はあなたが動けなくなっても手を出さなかったですよね。
にっこりと微笑んだ彼女、無邪気なその笑顔は天使のようだ。だが違う。断じて違う。今から行われるのは動けない相手に手を出すという悪魔の所業に違いない。しかし今の俺に出来るのはなるべく優しくしてくれるようにと祈ることだけだった。