ある日、何をすることがなく部屋の窓から外を眺めていたが、唐突にあることを思い出す。
「ちょっと出掛けてくるよ」
「何か用事ですか?」
俺が思い立ったように言ったのを見てレアが疑問を浮かべている。
「えっと…その…そう!散歩!ちょっと気分転換にさ」
レアに外出の理由を聞かれるとは思っていなかった俺は吃りながら答える。
「…」
黙ってこちらを見つめた後、レアは再び本に視線を戻した。
「そうですか。お気を付けて」
良かった、これ以上突っ込まれなくて。この外出には別にやましい理由があるわけではない。…いや、やっぱりちょっとやましいかもしれない…。
俺は人目に付かぬよう玄関ではなく裏口から外に出ると、少し足早に屋敷の裏の森を歩いて行く。以前もここには来たことがある。そうあの時は…
しばらくして開けた場所に出る。ここは墓地だ。まだ日の沈まない時間なので不気味さはないが、特に用事がなければあまり来たくはない所だ。だが今回は用事がある。この場所にじゃないこの場所にいる人に、だ。
「えっと…お、居た」
正直、会えるかは運次第だったが見覚えのある少女を見つけた。
「おーい、レメリー」
「貴方は…ワタル…」
「良かった。居てくれて」
一つの墓石の前に屈みながら、こちらに顔を向けるのはナイトメアの少女、レメリーだ。夜の月明かりではなく日の元に晒された彼女はより蒼白に見える。
「どうかしたの…?」
「どうってことはないんだけどさ、ちょっと頼みたいことがあって」
「…?」
不思議そうな顔をして首を傾げる彼女。俺は、わざとらしく咳払いをする。
「この前、エレナのことで一悶着あった夜にさ、レメリーが俺達に最後に言ってたこと覚えてるか?」
「なんだっけ…覚えてない…」
くっ、覚えてないか。あまり自分から催促するのは嫌だったんだが…。
「見たい夢を見せてくれるっていうアレだよ」
「思い出した…決まったの…?」
「…一応聞くけど、どんな夢でもいいのか?」
俺は少し顔を近づけ、小声で尋ねる。
「もちろん…何でもできる…それが夢だから…」
「ホントか!?」
ある程度の制限があることも覚悟していたがノンリミットだと…?
「じゃあ…」
俺は更に近付き、レメリーの耳元で見たい夢の内容を伝える。彼女はうんうんと頷きながら黙って聞く。
「…どうだ?出来そうか?」
「任せて…今日の夜に貴方が…眠った時でいい…?」
「ああ!頼むよ!」
満面の笑みで答える。こんな少女に何をお願いしてんだと思われそうだが仕方がないじゃない、年頃の男の子だもの。
俺はそれからレメリーと話をした後、屋敷へと戻った。その足取りは軽い。今日の夜が楽しみだ。
そして俺は、再び屋敷の裏口から中に入った。
「あら、旦那様」
仕事をしていたナタリアとバッタリ会った。やべ、俺の顔ニヤけてなかったかな。
「おはようナタリア。仕事中か?」
「はい。旦那様は…裏庭に何かご用事ですか?」
「い、いや?何となく裏庭を見て回りたくなっただけだよ」
「そう…なのですか」
ナタリアは不思議そうにしていたがそれ以上は何も言わなかった。たぶん変に思ったよな、聞かないでくれてありがとう。
その後、俺はスキップしながら自分の部屋に戻ると、ベッドに腰掛けた。
「…何だか嬉しそうですね」
「え、そうか?気のせい気のせい」
と言ったが内心、楽しみで仕方がない。恐らくそれが隠しきれていないのだろう。
「そう言うなら別にいいですが、何となく気持ち悪いのでこっちを見ないで下さいね」
そんなレアの刺々しい言葉にもいつもなら噛み付いていただろうが今日は聞き流そう。その代わり、夢の中では覚悟しておけよ。
それから俺は期待を胸に抱いたまま夜まで過ごし、少し早めの時間にベッドに入った。確実に訪れる幸せな時間を心待ちにしながら。
…
……
眩い朝日が、瞼を通していても瞳を照らす。俺はゆっくりと目を開く。
「…」
いつもと変わらない朝。俺は頭を掻きながら大きく欠伸をする。そして…
「ここが夢の中か」
口の端を歪めて小さく呟く。俺はレメリーに夢を見せてもらうにあたっていくつか希望の条件を出した。”夢の中であることを自覚出来る”がその一つだ。
「って言っても現時点じゃ夢と現実の差が分からないな」
俺の望んだ夢は一人では意味がない。誰か他の人が居なければ成り立たない。
俺は部屋の反対側にあるもう一つのベッドへ歩いて行く。そこには静かに寝息を立てているレア。
「おーい、起きろよー朝だぞー」
体を揺すりながら声を掛ける。
「っ…ん…もう、朝ですか」
レアはゆっくりと瞳を開く。ここまではいつも通りだ。ここまではな。
「レアの寝顔が可愛くて起こすのを躊躇いそうだったよ」
「っ…!?」
レアが目を見開いて体を起こす。
「えっ…なっ…!何を言っているんですか…」
顔を若干、赤らめながら顔を逸らす。
…!間違いない、これは夢だ。いつものレアがこんな初々しい反応をするわけがない!今までこんなことを言ったことはないが現実なら豚を見るような目をされそうだ。
…よし。今なら何をしたって許されるはずだ。俺はレアの髪に手を伸ばす。
「レアのこの髪も綺麗だって思ってた。それにその瞳も、ずっと近くで見たいと思ってたんだ」
俺は真っ直ぐにレアを見て言った。嘘じゃない。本当にそう思っていた。けど現実じゃ言えないよな。触れた時点で殴られそうだし。
優しく撫でていたが、しばらくしてレアが俺の腕に手を添えた。
「あの、駄目です…あまり触っては…」
小さく力を込められた手からは拒絶の意思は感じられなかったが俺はレアから手を離した。
「可愛いよ、レア」
俺の言葉にレアの顔が更に紅潮する。
それにしてもホント可愛いな。黙ってれば可愛いってこういうことを言うんだろうな。絶対口には出せないけど。
俺は一度、レアから離れる。一日は長いんだ。朝食でも食べてからゆっくりと…
そう考えて俺はハッとした。一日は長い?それはそうだがここは夢だろ?なら夕方までいや、昼を待たずに夢が覚めるかもしれない。もしそうならやりたいことは今すぐにでもやるべきだ。
「…レア」
「はい…?」
こちらを向いたレアの前で、俺は上着を脱ぎ捨てた。
「っ!?なぜ服を脱ぐんですか!?」
「なぜってそりゃ決まってるだろ?」
俺はレアのベッドへ歩いて行く。
「さ、レアも」
レアの肩に手を掛ける。
「そんな急に言われても…あっ…」
身を捩ったレアは体のバランスを崩し、ベッドへと倒れる。頬を赤らめてこちらに視線を向ける彼女は本当にレアか?その優艶な姿に思わず息を呑んだ。
レメリーへの希望に”俺のことを拒まない”を入れたからだろう。ここから何をしてもレアは拒否しない…?何をしてもいいとなると逆にどうしていいか分からない。俺はとりあえず、目の前に晒されていた腹部に手を伸ばした。
「んっ…」
柔らかい。いつも視界にレアの姿は映っていたが見るのと触れるのでは大違いだ。
このままずっと触れていたと思ったが、一つ危惧していたことがあった。それは…
「失礼致します。旦那様、朝食の御用意が…」
扉をノックしてナタリアが部屋の扉を開けた。そう、そろそろ来る時間だと思ってたよ。
「な、な…何を…」
ナタリアは状況が理解出来ず立ち尽くしているが、俺は落ち着いていた。
「見て分からないか?悪いけど取り込み中なんだ。それともナタリアも一緒に混ざるか?」
ナタリアは自分の手を顔に当て、顔を真っ赤にする。
「し、失礼致しました!」
一瞬で扉を閉めて部屋を後にする。フッ、予想通りだな。
「さて、と」
俺は再びレアに視線を戻す。
「静かだな。ナタリアに助けを求めなくて良かったのか?」
「…」
レアは何も言わずに紅潮した顔を逸した。これは合意と見ていいのだろうか。
俺はレアの顔にそっと手を触れ、優しくこちらに向けさせる。そしてゆっくりと顔を近付けていく。レアは静かに瞳を閉じた。拒むはずがない。これは夢なのだから…
唇に冷たく硬い物が触れた。…?何だこれ…
俺が目を開くと、俺とレアの間に氷の壁が出来ていた。これは…
「貴様…等…」
いつの間にか部屋の扉を開けて立っているのはやはりクライスだ。馬鹿な…このタイミングで邪魔が入るのはおかしい。夢なら俺の思い通りになって然るべきだ。
「なんでここに…」
「廊下で会ったメイドの様子がおかしかったから見に来てみれば…」
こちらを睨みつけるクライスは怒髪天を衝きそうだ。
「他人の情事に口を出すつもりはないが時と場所を考えろ。アイヴィス様の目に触れたらどうするつもりだ!」
「いや、違うんだって!これは夢で…」
俺がしゃべり終える間もなくクライスの細剣が俺の頬を掠めた。
「夢だと?貴様にはこの痛みが現実ではないと感じるのか?」
頬を鮮血が伝った、刃の触れた場所が焼けるように痛い。これが夢の中…?違う、断じて違う。
「嘘…だろ…?じゃあ俺は…」
俺はレアの方を振り向く。レアは包布で体を隠しながら、恥ずかしそうにこちらを見つめている。なんで今日に限ってそんなしおらしいんだよ!?
「いいから服を着ろ」
クライスが放り投げるように服を渡す。
渡された服をいそいそと着ながら、俺はあることを心に決めていた。袖を通し終え、直ぐ様、レアの方を振り向く。
「申し訳ありませんでしたぁぁぁ!」
床に這い蹲って頭を下げる。そう、決めていた。潔く謝ろうと。
「途中からおかしいような気がしてましたがやはり何かあったんですね」
「実は…」
俺は話した。昨日、墓地に行ったこと。そこでレメリーに夢を見せてくれるようお願いしたこと。今日の出来事が夢だと思って調子に乗っていたこと。
「阿呆だな、貴様は」
黙って聞いていたクライスの第一声はこれだ。至極真っ当な感想だと思う。
「おかしいと思いましたよ。貴方が私に…かわいい…とか、その…」
レアは後半聞き取れないような声で言う。
「要するにあの時の言葉は雰囲気作りのための嘘だったんですよね」
「え?夢の中だからこそ、素直に思ったことを言ってたんだけど。普段は言えないし」
「っ…!」
レアは真っ赤にした顔を逸らす。
「でも、夢だと思うのも仕方ないだろ?レアがやけに大人しいし、無理やり迫っても拒まないし、俺が顔を近付けようとした時も…」
俺の顔面に女神の拳が埋没した。
「話は終わりです。ここからは仕置の時間です。クライスにも迷惑をかけましたね。一緒にどうぞ」
「そうか?あまり気乗りはしないが仕方ないな」
嘘ですよね。ノリノリですよねあなた。
歪な笑みを浮かべながら近付く二人を見ながら俺は思った。今この瞬間こそ夢であればいいのに、と。
「ごめん…忘れてた…」
墓地で事の顛末をレメリーに伝えると、彼女は申し訳なさそうに答えた。
「勘弁してくれよ…こちとら死にかけたっての」
「本当にごめんなさい…改めて今夜…夢を見る…?」
「当分はいいや。今回のことがトラウマになって自由に出来なさそうだ」
俺は包帯だらけの顔を擦りながら答える。リンチする女神って居るか普通?
それにしてもまだ取り返しの付く段階で夢ではないと気付けて良かった。下手したらあんなことやこんなことも…何を考えてるんだ俺は。もう今回のことは忘れよう。…しばらくはレアに蔑まれどうだが、甘んじて受けるしかない。ああ、気が重い…。
…そういえば何か忘れているような気がするな…まぁ忘れるなら大したことじゃないか。
俺は忘れていた。誤解を解かずに放置されたメイドを。今頃彼女の脳内には何が映っているのだろう。