天気の話というのは定番の話題だが、今までその話をした記憶は数えるほどしか無い。その時にどう答えたかは覚えていないが少なくとも俺は雨の日が好きではない。
「ここのところ雨ばっかりだな」
俺は自分の部屋の窓から外を眺めながら独り言のように呟く。まぁ、レアに話し掛けたつもりで言ってはいるんだが。
「そうですね」
無視されなかったのは良かったが反応は素っ気ない。
「雨の日って困るよな。修行は出来ないしクエストには行きにくいし、街に出るのも億劫になるしさ」
「私は元々、外で出たくはないのであまり気にしませんが」
「ナタリアが食品の買い出しに行くのも大変だって言ってたぞ」
「それは困りますね」
そりゃそうだろう。こいつはやたら食うからな。大して動かないくせに。
「あなた今、失礼なことを考えましたね」
「別に。はぁ…明日は晴れるといいんだけどなぁ」
小さな祈りを込めて言った。
だが次の日も雨だった。それどころか昨日よりも強くなっているように感じる。
俺は溜息をつき、空を覆う雨雲を眺めていた。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
「なんとなくなんだけど…雲が流れてない気がするんだけど気のせいか?」
昨日、眺めていた時になんとなく特徴的な形の雲があったので記憶に残っていた。そしてそれは昨日見た場所から動いていない。
「気のせいじゃないですか?」
「まぁ、はっきりと覚えてたわけじゃないんだけどさ…」
だから何だと言われればそれまでだが、妙に嫌な予感がした。だがそれは次の瞬間には消え去る程の小さな違和感だった。
「暇だからナタリアのところに行ってくるよ」
「邪魔をしては駄目ですよ」
「分かってるって」
俺は部屋を出て、一階へ向かう。
とりあえずナタリアの部屋へ行こうと思ったが、途中で足を止めた。厨房にナタリアが居たからだ。
「ナタリア、ご飯の用意か?」
「旦那様。はい、そうです」
「料理か…ちょうど暇だったんだ。何か手伝うよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
以前のナタリアなら一度断っただろうが、今では何も言わずに了解してくれる。何を言ったって俺は手伝うからだ。
「今日は魚か?これ焼こうか」
「はい、処理は済ませてあるのでお願いしても宜しいですか?」
「あいよ」
俺は魚を串に刺し、火の上に掲げた。パチパチと音を立てて皮が焼けていくのを眺めていたが、刺し方が甘く、少し下に傾けた時に抜け落ちてしまった。
「あっ、やべ」
魚は完全に火の中へ落ちてしまった。普通なら一度、火を消して引き上げるのだろうが、俺は燃え盛る火の中へ手を入れた。
「旦那様!?」
横で見ていたナタリアは当然驚く。仕方のないことだ。ナタリアはこの能力のことを知らないのだから。能力というのは炎竜の女皇、エルドラから貰った秘玉とやらを錬成して作った物による火の無効化のことだ。錬成してくれたエンクリットによると”炎皇竜の炎衛”と言うらしい。
「大丈夫大丈夫」
俺は平然と火の中から、魚を持った手を抜いた。手と腕の周りには火が覆うように付いているが振り払えば消えた。
「今のは一体…?」
「今の俺には炎竜の力が宿ってるんだ。その力が火を防いでくれる」
「素晴らしいです。いつ、そのお力を?」
「それは…」
俺が答えようとした時、窓に打ち付ける雨音が大きくなった。そして雨は、僅かに固形物を含むものに変わっているこれは…みぞれか?
…おかしい。多少の肌寒さを感じることがあってもまだ霙が振るような寒さじゃない。異常気象ってやつか?それにしたってこれは…
屋敷の呼び鈴が鳴った。普段なら気にも留めないことだが、胸騒ぎがして俺は玄関まで走った。
玄関に着くと、ちょうど扉が開かれるところだった。ゆっくりと開かれ、そこに立っていたのは一人の女性だった。だがそれより先に俺は外の風景に目を疑った。
外に降っているのが霙ではなく雪に変わっていたからだ。轟々と唸りをあげるそれは吹雪と呼べるものだった。
そして、屋敷へと一歩踏み出した彼女を見てもう一つ違和感を覚えた。理由はすぐに分かった。この外の悪天候にも関わらず、何も手に持っていない彼女の体には一滴も濡れた痕跡が無かったからだ。
「お客様、どのようなご用件でしょうか」
「…」
メイドが声を掛けたが彼女は一瞥もせずに屋敷の中を見回す。そして俺と目が合い…
「ナタリア!下がってろ!」
一目合っただけで分かった。こいつは普通じゃない。
女が足を前に踏み出すと、床を広がるように氷が俺のところまで伸びてくる。それを俺は飛び避け、階段の手すりへと移動した。
「貴方ね、炎竜の力を使っていたのは」
凍りつくような冷たい声だった。
「炎皇龍の炎衛のことか?それなら確かに俺だよ」
「炎竜の匂い…その残滓を追ってここまで来たけれど炎竜族ではなかったのね、残念だわ」
何が目的なのは分からないが俺を狙って来たのか?。話は通じるのか…?
「何の騒ぎだ!」
二階からクライスがこちらを見下ろしていた。アイヴィスが一緒にいないところを見ると一人で様子を見に来たようだ。
「…なんだそいつは?」
クライスは玄関に佇む見慣れぬ女に眉をひそめる。
「見ての通り敵襲だよ。俺が狙いみたいだけどな」
「そうか。ならば…」
女の足元が氷に覆われていく。
「どういうわけかゆっくり話を聞かせてもらおうか」
問答無用で相手を捕らえるあたり、クライスの迷いの無さには感心する。だが…
「残念だけど貴方に用はないわ」
氷は何の抵抗もなく砕け、何事も無かったかのように足を踏み出す。
「なっ…!?」
ゆっくりと俺の元へ歩いてくる女。
「近くだとより強く感じる…炎竜族の匂い…」
こいつの口ぶりからして炎竜族に敵対する奴か?
「それ以上近付くな!」
俺の忠告を無視し、近付く女に俺は精霊獣の牙を三本放つ。
だが牙は女に触れる前に、虚空に現れた氷の塊に突き刺さり、消えてしまった。
そして女は蜃気楼のように視界から消え…
「何をそんなに恐れているの?」
いつの間にか俺の目の前に現れ、顔に手を添える。
「…?」
目の前で小さく息を吸い込んだ女が驚いたような顔を見せる。
「まさか貴方…炎皇竜に会っているの…?」
「炎皇竜…?エルドラのことか…?」
俺の視界が反転した。体は宙を舞い、次に触れた時には俺は床に突っ伏していた。
その上から女は俺の頭へ足を乗せる。
「貴方がその名前を口にしないで頂戴。虫唾が走るわ」
「ぐっ…」
「旦那様!」
「黙りなさい、私は苛立ってるの。炎皇竜の居場所を知っているなら吐きなさい。そうすれば命だけは助けてあげるわ」
エルドラの居場所を教えろ…?こんな素性も分からない奴を連れて行くなんて絶対に駄目だ。
俺は何も答えなかったが、それが相手には否定に見えたらしい。
「…そう。ここにいる人間を順番に氷漬けにすれば気が変わるかしら?それともこの街全てを氷の世界に変える方が良いかしら?」
脅しで言ってるんじゃない。こいつにはその力がある。そんなの…
「…分かった。だから…止めてくれ」
「最初からそう言えばいいのよ」
女は足を退け、俺はゆっくりと立ち上がった。
「俺が黙って言うことを聞けば他の皆には手を出さないんだな?」
「ええ、そうよ。約束は守るわ」
諦めたような俺の言葉に、ナタリアとクライスは抗おうとする。
「駄目だ!」
俺は二人の方を向いて語気を強めて制する。
「頼む…ここは引いてくれ。俺のことなら大丈夫だ、必ず戻ってくるから」
頭を下げた俺に、二人は何も言わずに顔を伏せた。二人にあんな顔をさせて…俺はなんて情けないんだ…
「心配しなくてもすぐに帰してあげるわ。いい子にしていればね。さあ、早く案内しなさい」
女は俺の体を突き飛ばす。玄関の扉を開けると外は吹雪が吹き荒れ、地面には薄っすらと雪が積もっていた。
「この吹雪もお前のせいなのか…?」
「そうよ。この…」
一歩前に出た女の背中から大きな二翼の翼が広げられた。
「氷竜族を統べる私の、ね」
「氷竜族…」
人間ではないと思っていたがまさか、炎竜とは別の竜族…?氷竜族…そんな奴が炎竜の女皇であるエルドラに会いたがる理由なんて一つしかないだろう。恐らくこれから起こるのは同種別族による衝突だ。