主な特産物は穀物とそして水。乾燥したその地に出来たオアシスから採れる水は、その国に豊かさをもたらし、多くの命を育んできた。しかし、まさかその水が命取りとなるとは。一体だれが予想できたことであろうか。
かつて豊かさを誇っていたその国は、今はその面影がないほどに荒れかえっていた。
家は焼かれ、草が地面から生えそろい、待ちゆく人の顔には笑みなど存在しない。
町中にゴミがばらまかれていて、そのゴミをあさるために鳥が集まり奪い合う。
そして、そんな鳥たちに交じって小さな子供までゴミの中にある残飯を取ろうとしている。
今もどこかでおなかがすいたと嘆く子供の声が聞こえる。もう少しの辛抱だと慰める母親がいる。そして、今もどこかで野垂れ死のうとしている民がいる。
果たして、そんな民をなぜ王様は放っておくのだろう。なぜ誰も助け船を出さないのだろう。
答えは簡単なこと。いないのだ。王は。
余裕がないのだ。他の誰かを助けられるほどにこの国の民には。
今から数か月前。隣国が突如その国に向けて宣戦布告を始めた。
前触れなんて一切なかった。双方の国との外交は良好であり、火種なんてどこにも存在していなかった。
けど、そんな国同士でもつぶしあうことになるのが欲望の怖いところ。この国は、隣国が水を独占するための標的となってしまったのだ。
もちろん、ただやられるわけにはいかない。この国の『二人の』王は力を合わせてこの国を守るために戦った。民とともに、最後の最後まで。
けど、結局待っていたのは敗北。隣国の圧倒的な戦力差により、二人の王は戦場で散った。
指揮官を失った軍はもろく、たちまち崩壊状態となり、この国には隣国のみならず、火事場泥棒が目的の輩まで集まってきてご覧のありさま。
とても綺麗だった町並みは見るも無残な結果になってしまう。
いつまで続くかわからない戦争。王を失ってもなお、二人の王妃を守るために戦った若者たち。
だが、争いの日々はついに幕を閉じることになる。
今隣国の城の地下牢にいる。『二人の』王妃によって。
「お姉ちゃん、いるですか?」
「……うん」
その城には、地下牢がいくつも存在していた。その中の二つに、一人ずつ女性が収監されていた。二人は、壁越しに背中を合わせながらかれこれ一時間近く会話を続けていたのだ。
だが、その会話には力強さなんてない。まるで消え入るかのような、そよ風にすらかき消されそうな声が姉を呼ぶ。
「よかった……」
妹は、姉の生存を確認すると、心のこもることのない弱い声でそう言った。まるで、七日目の今にも死にそうなセミのように、弱弱しい。
「史伽、いる?」
「……はい」
同じく、弱弱しい声で妹のことを呼ぶ姉。夏休み最後の日の夕日のように切なく、そしていとおしい声が妹に届いた瞬間、女性はさみしく返事をした。
「そっか……」
まだ生きている。女性は、それをうれしく思いたかった。
何度同じやり取りを続けているだろう。何分おきに互いの生存確認をしているだろう。
鳴滝風香、史伽の双子の姉妹は、不安で仕方がないのだ。姉が、妹が、自分の知らないうちに遠くへ行ってしまうということに。
「史伽」
「はい」
「史伽は、怖い?」
ここで、風香は今までとは違う質問を繰り出した。主語のない、とても抽象的な質問。しかし、妹の史伽はその質問の意図が分かっていた。いや、わからざるを得なかった。
「……はい」
「……僕も、怖い……」
なぜなら、今の二人にできる唯一のことというのが、これから自分たちに訪れることを考え、恐怖に震えるということだけだったから。
あの時、こうなる覚悟はできていたというのに、この国に自分たちの国の民への許しを乞う代わりにつかまったというのに、それでもやはり恐れてしまう自分が心の中にいるという事が恥ずかしく思う。
でも、それが人間として当たり前の事なのだ。そういって自分の心に弁明するのは、間違っていることなのか。それでも自分たちに待ち受けている物に対して嫌だと言っている矛盾は、愚かだとでもいうのか。
誰も、誰一人にも、分からない。
「ネギ先生が、来てくれれば……」
「先生は、今他の皆を助けるのに必死だから……」
せめて、ここに彼女たちの先生がいてくれれば、英雄の息子であり、この世界を一度救った彼であるのならば、自分たちの事を助けてくれるだろう。
だが、ネギは各地で戦っている白い翼のメンバーを救助するために奔走していた。自分たち白い翼の仲間ではない人間を助けるのに余裕なんてないはずだ。
それに彼女たちは知っていた。例え彼がどれだけ奮闘しても、助けられなかった命があったという事を。
自分たちと同じ、白い翼の仲間ではなかった三人の女性の死を皮切りとした数々のテロと、戦争。その中で多くのクラスメイトが死んでいった。
例えば、春日美空という女の子がいた。彼女も、白い翼のメンバーではなかったが、魔法使いの弟子をしており、魔法生徒と呼ばれていた人間の一人だったが、彼女もすでにこの世にはいない。
中学の頃から仮契約をしていたとある女の子を助けるために研究所に忍び込んだ際、なんとか助け出した物の致命傷を負い、最後はその女の子と一緒に研究所を巻き込んで爆死したとか。
自分たちが見捨てられたというわけではないと思いたい。
けど、少しでも思うのだ。
もしも自分たちも仲間だったのならば、こんな思いする必要はなかったのかもしれないと。
もし、自分たちも魔法を使えていたのなら、あの時彼と一緒に戦えていたのならば、魔法にあこがれを抱いたまま大人になって、小国の后になんてならなかったのかも。
いや、もし魔法の事を最初から知っていたとしても、自分たちはこの世界であの二人と結婚していたはず。自分たちと彼らとが出会ったこと、それは魔法とは何の関係もない運命だと、そう思いたいから。
「あの子たち、無事に亡命できたかな?」
「きっと大丈夫。だって、私たちの子供なんだよ。それに、ちづるもいるんだから……」
「ッ……はい」
風香は、振り絞るような声でそう反応した。
そう、彼女たちには子供がいたのだ。まだ幼い娘たちが。彼女たちは、自分たちが投降する直前に、一度クラスメイトの一人である那波千鶴に託し、とある国へと連れて行ってもらった。
そこならば、二人は殺されることは無い。この世界、この星から見るとずっと遠くにある。自分たちの故郷でならば。きっと。それだけが彼女たちに残った最後の希望。
その最後の希望を抱えながら、二人はこれから。
死んでいくのだ。
そう、戦争中の相手国に投降するという事がどういう意味を持っているのか、それを知らずにこの国に来たわけじゃない。
王が死に、事実上のトップは自分たち二人となった今、自分たちの死を持ってしか戦争を終えることが出来ないのだ。
もちろん、平和条約のようなものを結ぼうとも考えた。だが、王を失った国を維持するだけの力は持っておらず、侵略しに来た隣国にすがるしか民の命の保証はなかったのだ。
だから、彼女たちは来た。
そして、待っていたのは、やはり死。
それも、あまりにも前時代的な装置。ギロチンでの刑であるのだとか。
ながい、ながい沈黙、次の言葉が最後になるかもしれないという恐怖、それを考えれば何を言っていいのか分からない不安が、彼女たちを襲う。
「史伽……」
「はい……」
咽頭を絞り込んだかのように窮屈な声。泣きそうな、でも絶対に泣かないように声を振り絞る。
彼女の選んだ。最後の言葉は。
「僕たち……幸せだったよね……」
「ッ……」
その言葉を聞いた史伽は目を見開く。
「僕たち、幸せだったって思って、死んでも……いいんだよね……」
この世界で手にした幸せは本物だった。好きな人に出会えて、好きな人の子供を産んで。多くの人に愛されて。その幸せが本物だった。そう信じて、信じて、信じ切って死んでも、構わないのか。そんな風香の言葉を聞いた史伽は、唇をかみしめてから言う
「もちろんです。お姉ちゃん。私、お姉ちゃんの妹で、幸せだった。ネギ先生の生徒で、よかったって……今でも思っています!」
「ッ!」
思わず大声を出してしまう。
分かっているのだ。自分でも。この結末は、決して幸せではないと。希望の種を逃がしたのだと知っていてもなお、それでも自分も生きたかったと。
「でもッ……死にたくないです……私……」
「……史伽」
それは生への渇望。人間が当たり前に持つ矛盾。
けど、それを許してはくれないという絶望。
死にたくないと願い、もがき、苦しむ。まだ若い彼女たちに死は、恐ろしい物だった。
「私、まだ、やりたいことがあるのに……私……」
「……」
子供たちが成長する姿を見たかった。子供たちが麻帆良に入学して、卒業して、結婚して、おばあちゃんになって子供たちを見守りたかった。
夫と余生を過ごして、いい人生だったって言って、笑って死にたかった。
クラスメイト達と何度でも、何度でも会いたかった。年取ったねとか、今何しているのとか、あの頃はよかったねとか、たあいのない話をしたかった。
でも、もう、その願いは決して敵わない。
王は死んだ。クラスメイトは半分が死んだか、消息不明。
子供たちは、親の顔も知らずに成長して行く。
そして、自分たちはこれから死んでいく。
「死にたくないよぉ……」
ついに、彼女の目から大粒の涙が流れ出た。
二人で約束した。必ず、最後は泣かずに死のうと。ギロチン台の上では、一言もしゃべらず、ただただ敵を恨みながら死んでいこうと。
でも、自分は約束を破ってしまった。
彼女とした、大事な、大事な約束を。彼女の聞いている中で破ってしまった。弱音を吐いてしまった。
もう、彼女の全てが、絶望で塗りつぶされていた。
「時間だ。出ろ」
「ッ!」
ついに、その時が来た。牢屋のカギを開けた兵士は、二人の手を木製の手錠で拘束すると、座っていた二人を立ち上がらせて牢屋の外に出る。
牢屋から出された二人。およそ半月ぶり程の再会だ。変わらない。でも、変わってしまった。少しやつれてしまっただろうか。無理もない、この牢屋にきて自分たちはほとんど食事を口にしていないのだから。
二人は、何の会話も交わさない。もう、交わし終えたから。最後の言葉は、言い終えたから。
二人は、無言のまま兵士たちに連れられて城の外へと向かった。
「っ……」
強い光が、ずっと暗闇の中にいた二人の目を襲い、くらませる。だが、分かる。今、ここには自分たちや数名の兵士だけではない。数多くの人間がいるという事を。
歓声が聞こえる。怒号が浴びせられる。
殺せ、殺せ、殺せ。
狂気の賛歌。不幸せの押し付けあい。そんな、憎悪の叫びがこだまする中、光に眼が慣れた二人の女性は見た。
舞台の上に立建てられた、二つのギロチンを。
だが、それ以上に衝撃的だったのは舞台上から見た民たちの中に、子供もいたという事。彼女たちの子供と同じような年齢の子供、自分たちが初めてこの魔法世界に来た時くらいの小さい子供。
はるか昔、自分たちの世界でもギロチンという物は民の娯楽の一つであったとは聞き及んでいたが、その死を見させて親は一体何を考えているのか。
こんな、小汚い二人の未亡人の首がはねられる瞬間を見せて、どんな姿に成長してもらいたいと考えているのか、分からない。
まぁ、そんなことこれから死に行く二人が考えても無駄なことなのだが。
「……」
「后、何か言いたいことはあるか?」
死刑執行人が二人に言った。
「……ないです」
「僕は、ある」
「え?」
史伽は驚いた。
どうして。最後は、何も言わずに逝こうって約束したのに、どうして約束を破るの。
いや、最初に約束を破ったのは自分の方だ。そんな自分が何か言う資格なんて、ない。
風香が最後に何を言うのか。その言葉を聞いて、それを子守唄にして永遠の眠りにつこう。
果たして、彼女の口から出た言葉。それは。
「史伽、僕は……史伽と一緒に生まれて、一緒に死ねて……今が一番幸せだよ」
「お姉ちゃん……」
それは、風香から妹への感謝の言葉。これから死に行くことになる人間から出るはずのない言葉。
今が一番幸せ。そんなこと、あるわけがない。だって、自分たちは双子なのだから。相手が、何を考えているのかすぐに分かるのだから。
だから、分かったのだ。
自分も、姉と一緒に死ねて、幸せだと。
今まで、自分たちは双子だから。生まれた時からずっと同じだった。
何をするのも、遊ぶのも、入学するのも、卒業するのも、恋をするのも、結婚して子供を産むのだって同じだった。
そんな奇跡的なこと、双子であったとしてもありえただろうか。
いや、決してない。それは、自分たちのつながりがとても強いという証でもある。
自分たちは、確かにこれから死にゆく運命。でも、だからこそ自分たちは一緒に死ぬことが出来る。
それって、本当に不幸せなのか。いや違う。幸せだ。だって、こんなにも彼女は。
「だから、僕、笑って死ぬよ……史伽」
笑っているのだから。
風香は笑う。それは、史伽がこれまでに見たことがないほどの、一番の笑顔だった。
こんな状況で笑える人間がどれほどいようか。でも、彼女はそれでも笑って見せた。それは、彼女が今一番幸せな瞬間だという証でもあった。
「お姉ちゃん……はい!」
史伽もまた、風香に笑顔を送る。それまで悲しみに伏せていた二人が、まるで中学生の時、いつも分かって過ごしていたときのような笑顔を取り戻した瞬間だった。
民は、その二人の姿を見て狂ったと思う。
そう、狂っているのだ。彼女たちも、そして民も誰もかれもが狂っているのだ。出なければ、戦争なんてしない。起こらない。そして、彼女たちが死ぬことは無かった。
でも、誰も気が付かない。それは、人間が愚かだから。
愚かだからこそ、自分たちの過ちに気が付かない。彼女たちが死ぬ必要もないという事に気が付くことが出来ない。
どれだけの綺麗事もかき消されてしまう漆黒の闇に等しい悪意の中で、それでも笑うことが出来た二人は、ある意味でこの中では最もまともだったのかもしれない。
けど、狂っている。
残念なことに。
ギロチンに乗せられれた二人。処刑人たちが準備をしている間にもギロチンの距離が近いため互いに会話ができる。
「向こうにいったら、桜子やクギミー、美砂がいるです」
「それに、かえで姉に……もう、いっぱいいるね」
かつて死んでいった仲間たちの事を回想する二人。そこにもう絶望はなかった。あるのは、人間としてはもっともあってはいけない感情。
決して許されない暴挙。
生きなければならないという鎖に巻き取られている人間たちにとっては最も忌避すべき、しかし最も従事しなければならない大仕事。
「死ぬのが、楽しみです」
「ッ……」
死ぬのがこわいと言っていた妹からでた言葉、それは壊れた風香の心に安らぎを与えた。
でも、間違っている。
死ぬのが楽しみというのは、人間にとって最も愚かな行為であるというのに。
でも、恐ろしいことに何故愚かなのかの説明がつかない。
なぜこんなに苦しいのに死んではいけない。何故それでも生きなければならない。
決まっている。それは、その理由は。
理由は。
理由は。
もう、何も分からない。
「うん!」
史伽は笑い、風香は涙を流しながら笑っていた。
その時だった。
前触れもなく、ソレは舞い降りた。
シュルルル……
シュルルル……
シャーーッ
シャーーッ
グジュ……
グジュ……
リンゴーン
リンゴーン
リンゴーン……
その時、鐘が鳴った。誰が鳴らしたのか分からない、とても不思議な鐘。
けど、その音を聞くべき女性たちの耳は、頭はすでにその役目を終えてしまっていた。
鐘は、二人の女性の魂を見送るかのようにいつまでも、いつまでもなり続ける。
まるで、狂っているかのように。
リンゴーン
リンゴーン
リンゴーン……
籠の中に転がった二つのボール。執行人は、ソノ二つのボールを民衆にこれでもかとばかりに見せる。
そこから流れる血にも身もくれず。その後ろで撤去されようとしているかつては胴体と呼ばれていた物から流れ出る血も気にせず。
まるで自慢しているかのように、男は笑う。
感情が無くなったはずの二つのボールを見て歓声を上げる民衆たち。
ソノ顔から、笑みが消えることはなかった。
リンゴーン……